「――まったく、私がいないと駄目なんだから」
それが彼の知る、彼女の口癖であった。
彼が初めて彼女を会ったのは、彼がこの世界に迷いこんできた時であった。
初めて見る場所、理解できない展開、そして、襲ってくる妖怪たち。そんな存在たちから、訳も分からぬままに逃げていた時に、彼は彼女に会った。
「ま、暇つぶしにはなりそうね」
そのようなことを呟きながら、彼女は彼を襲ってきた異形の者達を、極めてあっさりと倒してしまう。そんな彼女の戦いに、彼は思わず目を奪われた。
「――大丈夫かしら?」
戦闘の後、彼女が伸ばしてきた手を、ほとんど無意識のうちに掴んだ。未だ呆然としていた彼に対し、彼女は呆れたように言った。
「まったく、弱いのならこんなところを出歩くんじゃないわよ。偶々私が助けたから良かったものの、私が通りかからなかったらどうなっていたことか。……聞いている?」
心ここにあらずといった彼の態度に、彼女は怪訝そうな表情を浮かべる。その彼女の声に気付いた彼が自分の境遇を説明すると、
「……ああ、成る程ね。アンタ、外来人ってわけ」
納得したように頷いて、彼女はしばし考え込み、そして提案した。
「だったら、一先ずアンタを人里まで連れていってあげる。その道中で適当にここの、幻想郷についての説明をしてあげるわ」
親切心からだろうか、あるいは惰性からであろうか。そんな彼女の提案を聞いた彼は、よく分からないながらも頷いて、そして問いかけた。
「……は? 私の名前? ……まあいいけど。――天子、比那名居天子よ。アンタは?」
驚きつつも名乗ってくれた彼女に対し、彼も名乗る。
「じゃ、行きましょうか」
そう言って彼女が差し伸べてきた手を、彼はぎゅっと握り返した。
彼が彼女と再会したのは、彼が人里の中を歩いている時であった。
「あら? アンタ、この間の……」
団子屋で、暇そうに片肘をついていた彼女に対し、彼は思わず声をかけた。もしかしたら人違いかもしれない、そうでなかったとしても忘れられているかもしれない。そんな不安を感じつつもではあったものの、幸いなことに彼女もまた彼のことを忘れていなかった。
「元気そうね。……って、元気がなさそうだけど、どうかしたのかしら?」
彼の表情を見て、彼の悩みに気付いた彼女がそう問いかける。それに対し彼は、先日から困っていたことについて彼女に話した。
「……料理が出来ないって、アンタ大丈夫?」
彼女の言葉に、彼は軽くうなだれる。しかし、そうは言われても、彼としてもどうしようもない面があった。何せ彼は外の世界の住人で、幻想郷の生活水準とは異なる生き方をしてきていたため、ぶっちゃけた話、かまどなどがまるで使えなかったのだ。料理そのものが出来ないわけではないのだが、そのための手段がまるで使いこなせなかったのだ。
「……仕方がないわね」
そうため息混じりに呟いて、彼女は立ち上がる。
「アンタの家に案内しなさい。私が使い方を教えてあげるから」
そんな彼女の提案を、彼は戸惑いつつも受け入れた。文字通り死活問題である以上、断る理由も特にはなかった。
「まったく、駄目ね、アンタは」
そうこぼす彼女であったが、その顔は何処か嬉しそうにも、彼には見えないこともなかった。
その後も、彼と彼女の付き合いは続いた。日常生活すらぎこちない彼に、彼女が何かと様子を見に来るようになったからだ。
「まったく、私がいないと駄目なんだから」
このころから、彼は彼女のそんな言葉をよく聞くようになっていた。しかし、特に不快感を覚えるような事がなかったのは、その言葉に彼を馬鹿にする響が含まれていなかったからであろう。
彼が何かに失敗すると、あるいは手間取ると、彼女はその言葉と共に彼を助け、時には彼に代わってそれを済ませた。そんな日常に、情けないと自分に思いつつも、同時に充実感を彼は覚えていた。彼女に好ましく思われていると、そんな風に感じることがあったからだろう。だから彼は、彼女の言葉を、何処か嬉しげに受け取っていた。
「まったく、私がいないと駄目なんだから」
――そんな生活が数ヶ月、そして一年も経てば、彼も段々と生活に慣れるようになっていった。出来なかったことは出来るようになり、ものによっては彼女以上に使いこなせるようになっていった。
「……やることないわね、私」
そんなことを、つまらなげに呟く彼女に、これでいいのだろうかと彼は悩む事もあった。しかし、これでいいのだと思いなおすのが常であった。今まで彼女に頼ってきた分を彼女に返していきたいと、彼女の手助けをしてみたいと、そんな風に思っていたからだ。
だけれども、そんな彼の心境とは裏腹に、彼女が彼の元を訪れる回数は減っていっていた。それが何故なのか、彼にははっきりとは分からなかったけれども、
「……私がいる意味、ないじゃない……」
一度だけ聞いた彼女の呟きを、彼は忘れる事が出来なかった。
……そんな、ある日のことだった。
「……え! だい……ぶ!? ……を……!」
朦朧とする意識の中で、彼は彼女の声を聞き取ったような気がした。
「――まったく、私がいないと駄目なんだから」
怒ったように――しかし、何処か嬉しそうに――言う彼女に、彼は苦笑しながら頭をかいた。その右手には、ぐるぐると包帯が巻かれている。
少しぐらいなら大丈夫だろうと、そう高をくくったのが失敗だったのだろう。人里の外に出た彼は不運にも、かつてのようにはぐれ妖怪に襲われることとなった。必死に逃げ、命からがら人里近くまで逃げ切ったものの、その時には大怪我を負うことになっていた。偶然にも、人里を訪れていた彼女のおかげで妖怪は退治され、彼は一命を取り留める事が出来た。
「ほら、口を開けなさい」
匙を差し出す彼女に、彼は困ったようにするものの、最後には観念してそれを受け入れる。何せ今の彼は怪我人で、自分のことすらままならなかった。初めてここに来た時以上に、彼は彼女に頼るほかなかった。
「やることは多いわね、まったく忙しい」
そんなことを言いつつも、彼女の表情はどこか楽しげだ。また、彼に世話を焼けるのが嬉しいのかもしれない。そう、彼は思った。
そんな日々も、数ヶ月もすれば変わっていく。いや、正確には戻っていくというべきか。彼の怪我は治り、彼は一人でも生活が送れるようになっていく。それに比例するように、彼女はまたつまらなそうな表情を浮かべることが多くなっていった。
……しかし、ここでもまた彼を、不運が襲うのだった。
「運が悪いわねえ、アンタも」
彼女の言葉に、彼は困ったような笑顔を浮かべざるを得ない。
「事故なんて、本当に運が悪いわ」
人里で行われていたとある工事、その横を偶然通りかかったときに、彼のほうに木材が倒れてきた。幸いにも命に別状はなかったのだが、当面歩き回ることは出来ないだろう。まだ、時間が経てば歩けるだけましだと彼は思っている。
「とにかく、治るまではまた私が世話をしてあげるから。喜びなさい?」
そういう本人の方が嬉しがっているだろうと、そんな言葉を彼は飲み込んで、代わりに笑みを浮かべた。
「そう、それでいいのよ」
彼女もまた、笑みを浮かべる。その笑みに、彼は確かな満足を得ることが出来た。
……だから、彼は黙っておくことにした。
「――まったく」
あの事故の前日、あの場所に、
「私がいないと」
感情を削ぎ落としたような、まるで能面のような表情を浮かべた彼女が立っていたことを。
「駄目なんだから」
ずっと、それを黙っていようと、
「――ね?」
そう、彼は決心した。
はい、天子回です。パッと見は狂気なし、ですかね。まあ、天子サイドから見ればもう少しあるでしょうが、彼からしたらそうでもない、という感じ。
今回、天子は依存型のつもりで書きました。彼に必要とされなくなる、というのを酷く恐れるタイプです。ですので彼が自立していったとき、彼にもう必要にされなくなると、裏では酷く怯えていました。そんな中、彼が妖怪の所為で怪我を負い、再び世話を必要とするになったことに内心では狂喜していたり。……あ、ちなみにですが、最後に彼が見た光景にかんして。実は、その時の彼女は半ば無意識状態だったりします、あるいは夢心地。ま、それはそれで怖いんですが。それと、一応、前回の小傘とは一部対比的に書いています。あちらが自傷により彼を喜ばせよう、必要とされようと思うタイプでしたが、天子は他傷をもって彼を世話し、彼に必要とされようといったタイプ。どっちも依存型ですが、方向性が違うといった感じ。ぶっちゃけ、書いているうちに微妙に混乱してきたので、本当にそうであるかは自信なかったり。
次回は……、うん、遅くなると思います。ぶっちゃけ、少し前からリアルが忙しいのです。今日はたまの息抜きということでこれを書いて、この後も他作品を書いてみるつもりですが、明日以降はどうなるか少し分からないので、また気長に待ってもらえたらと。ではまた。