「お兄さま」
「何だい?」
「ふふっ、何でもない」
「ふふふ、そっか」
私はお兄さまが好き。何時も優しく微笑んでくれて、その大きな手で頭を撫でてくれるお兄さまが。私は、お兄さまといる時間が何よりも好きなの。
『あ、お兄さ』
『こっちよ! 早く手伝って頂戴!』
『あ、分かったよ』
『あ……』
でも、最近嫌な夢を見る。お兄さまが私の傍から離れてしまう夢。私が声をかけようとすると、決まって誰がお兄さまを呼ぶ。それで私に気付くことなく、お兄さまは何処かに行ってしまう。そんな夢を見ると、ぎゅっと胸が苦しくなった。
「お兄さま」
「何だい?」
「今日は何をして過ごす?」
「そうだね……、何かしたいことはある?」
「んー……、じゃあ一緒に本を読みましょ?」
「そう、じゃあそうしようか」
でも、その嫌な気分もお兄さまに会ったらすぐに飛んでいく。どんな夢を見ても、お兄さまがこうしてここにいるのは確かなんだもの。
『あ、あの、お兄さま』
『ん? どうしたんだい?』
『ええっと、その……』
『ああ、ここにいたのね。って、フランも』
『ん、レミリア』
『フラン、悪いんだけど彼を借りてもいいかしら?』
『……分かった』
『え? いいのかい?』
『うん、また後で話すから』
夢の中のお兄さまは私を優先してくれない。夢の中の私もお兄さまに声をかけきれていない。何でなんだろう、現実の私はちゃんと声をかけられるのに。
「お兄さま」
「何だい?」
「お休みなさい」
「うん、お休み」
お兄さまは一日中私の傍にいてくれる。私が寝る時もお兄さまはずっと私の手を握っていてくれる。その暖かさを感じて眠っているのに、何故か見るのは悪夢ばかりだ。
『……お兄さま』
眠りに落ち、夢の中の私が起きると、そこにお兄様はいない。部屋の外にお兄さまの声は聞こえるのに、お兄さま自身は部屋の中にはいない。いるのが当然なのに、何故か何処にもいない。
「お兄さま」
「どうしたんだい?」
「……夢が、怖かったの」
「そう。でも、大丈夫だから」
「うん……」
現実のお兄さまはこうして抱きしめられる。そのお兄さまの暖かさで、悪夢を見た恐怖がじんわりと安らいでいく。あんな夢なんて見たくないに、どうしても見てしまう。それがとてつもなく嫌だった。
『……今日も、お兄さまと話せなかった』
でも、今日もまた悪夢を見ている。お兄さまに近づきたいのに近づけなくて、お兄さまも近づいて来てくれない。こんな悪夢を終わらせる方法は、夢の中でも眠ることだった。そうすれば、お兄さまがいないその悪夢はなくなってくれる。
「……お兄さま?」
「起こしたかな?」
「ううん。おはよう、お兄さま」
「おはよう」
そして、悪夢が終わると目の前にお兄さまがいる。お兄さまは私の髪をそっと撫でながら、私が起きやすい様に手を差し伸べてくれる。キザな感じの行動なのに、お兄さまがやるとすごく格好いい。そんなお兄さまの姿を見て起きる朝は、心がポカポカする。
『……あれって……、お兄さまと、お姉さま……?』
最近の悪夢はさらに嫌な内容になってきた。お兄さまが誰か他の、私じゃない女といるのをただ見ているだけの夢。隣にいる人は、私の姉? だったり、メイドだったり、魔女だったりする。そんなに色々な人がお兄さまの隣にいるのに、どうしてだか、私だけは遠くで見ているだけだった。
「お兄さま」
「何だい?」
「お兄さまは、他の人のところにいったりしないよね?」
「誰のところに行くっていうんだい? ここにいるのは、僕たちだけなのに」
「それも……そうだね」
あまり気にしないほうがいい、そうは思っているんだけど段々と不安になってくる。ここにはお兄さまと私の二人だけなのに、いつか夢の中の誰かが来てしまうような不安があった。あんな、見たこともないような人達なのに。お兄さまの笑顔を見ても、そんな不安が完全に払拭されることはなかった。
『あ、フラン。ちょっといいかな?』
『……あ、おにいさ』
『咲夜が何処にいるか知らないかな? ちょっと用事があるんだ』
『あ……、えっと、分かんない』
『そっか、ごめんね』
『そ、その、お兄さま』
『ごめん、ちょっと急いでいるからまた今度ね』
『……あ…………』
夢の中のお兄さまは、私以外の誰かばかりを追いかけている。そんなお兄さまと私は満足に話すこともできない。ここにいる私はお兄さまと話したいと思っているのに、夢の中の私はお兄さまの背に手を伸ばすだけ。その手が届くことは、一度もなかった。
「お兄さま」
「何だい?」
「お兄さまは、私と一緒にいてくれるよね?」
「当たり前じゃないか」
「……そう、だよね」
不安がよりいっそう強くなっていく。お兄さまが何処かに行ってしまう。そんな恐怖が存在感を増していく。でもそんな思いもお兄さまが晴らしてくれる。お兄さまが笑って私の頭を撫でてくれるから、私は大丈夫。……大丈夫、大丈夫にきまっている。
『ふふっ、そうね……』
『……そうそう……』
『…………』
お兄さまが誰かと仲良くしているのを、ただただ見ているだけの夢。いい加減、気が滅入ってくる。夢から覚めればそれが夢だったと分かるのに、夢を見ている間はどんな内容でも現実になってしまう。胸の痛みも、隣の誰かへの妬みも、全てが現実と名って私を襲う。……本当に、気が狂いそうだ。
「お兄さま」
「何だい?」
「もう、夢を見るのが怖いの」
「でも、夢だろう? 現実は今なんだから」
「それでも、怖いの」
「……だったら――」
お兄さまに恐怖を告白したら、お兄さまは私に解決策を教えてくれた。その答えは私にとっては予想外のもので、不思議とストンと納得が出来た。……それを言っていたときにお兄さまの顔が、何処となく怖いように感じたのは、私の気のせいなのだろう。
『フラン、彼が来たら私の元に来るように伝えて頂戴ね』
「怖い夢を見なくするにはね」
『申し訳ありません、妹様。お客様を見なかったでしょうか? 先ほどから探しているのですが、見つからなくて……』
「その夢を、壊してしまえばいいんだ」
『ごめんなさいね、妹様。ちょっとこの人を借りていくわ。私も少し用があるの』
「君も、それを望んでいるはずだよ?」
夢の中で、現実のお兄さまの言葉がとめどなく聞こえる。そのお兄さまの声の通りに行動したいのに、夢の中の私は中々実行しようとしない。お兄さまの言葉が正しいのに、この悪夢を終わらせる事が出来るのに、私の身体は動かない。
『ああ、フラン。ちょっといいかな?』
「さあ、今がその時だよ」
『彼女が何処にいるかを知らないかな? 来るって言っておいたのにいなくてさ』
「壊してしまえば、全てが壊れる。夢は夢になって、現実が現実として確定する」
『困ったな……』
「さあ、今だよ」
お兄さまの声とお兄さまの声が、重なって響く。お兄さまの声に頭の中が一杯になって、その声に段々と身体が従っていく。そうだ、やってしまえ。そうすれば、この悪夢も終わるんだ。
『……フラン? どうしたんだい?』
「さあ、今だよ」
『待ってくれ! 急にどうしたんだ!?』
「さあ、今だよ」
『フラン!? どうして!?』
「さあ、今だよ」
『フラ――』
――壊れた。壊れに壊れて壊れぬいて、壊れすぎるほどに壊れ続けて壊れた。夢の中のお兄さまは動かなくなって、現実のお兄さまの声は聞こえなくなった。
「これで良かったんだよね、お兄さま」
『……そうだよ、これで良かったんだ』
良かった。お兄さまが褒めてくれた。最初からこう出来ていればよかったのに、こんなに時間がかかっちゃった。そうなんだ、私の傍にいてくれない夢の中のお兄さまなんて、さっさと壊してしまえばよかったんだ。そうすればこの夢は終わってくれたんだ。
「……あ、ああ。そんな」
「い、医者に、医者に連れて行かないと……。急いで、急いで……」
「……むだ、よ。もう、遅いわ」
……あれ? 目が覚めない? どうしてお兄さまは壊れたのに、この人たちはまだいるんだろう。
「…………フラン、どうしてこんなことをしたの?」
「……どうして? 夢の中で何をしたって、私の勝手じゃない。そうでしょ、お兄さま?」
『そうだね、その通りだ』
「何を、言っているの? 誰に、話しかけているの?」
「お兄さまに決まっているじゃない。ねえ、お兄さま?」
『ああ、僕は君の傍にいるよ』
「ほら、お兄さまはここにいるじゃない」
「……そう、貴方はとっくに壊れていたのね。現実と夢の区別すら、つかなくなるほどに」
「……夢と現実」
そんなのは決まっている。これが夢で、お兄さまがいるのが現実だ。そうなんだよね、お兄さま?
『そうだよ』
うん、お兄さまが言うなら、お兄さまが傍にいてくれるなら、私はお兄さまを信じる。今が夢で、お兄さまがいるのが現実。
……何だか、お兄さまに抱きしめられたくなってきた。あの大きな手で私の頭を撫でてもらって、お兄さまの匂いを感じられるように胸の中に頭を埋めたい。
――だから、早く目覚めたいな。こんな夢の世界から、お兄さまのいる現実に…………。
はい、フラン回、胡蝶の夢、をイメージしたような、していないようなお話のつもりでした。どっちが現実でどっちが夢なのか、まあ説明するまでもないでしょう。実を言うとレミリアと同じくフランの話は別の物を考えていました。ただまあ、今回のような話を思いついて、何となくフランに当てはめてみることに。夢といえばなキャラはまあ別に居るんですが、まだ色々と把握できていないので今回はフランで。ああ、それとこの後フランがどうなったかですが、そこは皆さんのご想像にお任せします。つまりはいつものことです。オチがもうちょっと上手く書けたらよかったんですけどねえ、難しいもんです。
で、次回。幾つかアイデアは思い浮かんでいますが形になるのはもう少々先になるかと。まあ形になっても上手く書けるかどうかは見てのとおりなんですけどね。ではまた。