「ん……」
目覚まし時計の音が聞こえる。
微睡みの中俺は携帯を探してアラームを止めた。
午前八時。
大学の講義がないのにも関わらずいつもの癖でアラームをかけてしまった。
ここで二度寝するのも悪くはないのだが、なんとなく布団を出る。
とりあえず慣れた動作でパソコンの電源を入れる。
「八時ってことは、アメリカだと十三時間遅れるから昨日の七時くらいか」
結構時差がある。
パソコンが動き始めるまで携帯を見てみるが朝の七頃にフェイリスからメールが来ていた。
『おはようニャン。今日も一日頑張るニャン』
昨日聞いた限りだと今日も仕事らしい。
動きだしたパソコンを操作してインターネットブラウザを開く。
「さてと」
google先生にある単語を打ち込む。
『牧瀬紅莉栖』と。
検索結果は膨大なものだった。
そして全てに科学者という肩書が付いている。
この世界でも紅莉栖は脳科学者として有名だった。
ただ一つ違うのは生きていることくらいだろうか。
英語ばかりで研究内容は分からなかったが、微笑んでいる紅莉栖がそこにはいた。
「俺はやったんだな……」
これでフェイリスの父親とまゆり、そして紅莉栖。
誰も死んでいない世界線だと確信することが出来た。
もう会うことはないだろうけど。
紅莉栖の無事を確認するともうパソコンを点けている理由もないので着替えて電源を切り、自分の部屋を出る。
どうしようか。
特に予定もない。
このままフェイリス・ニャンニャンでフェイリスが仕事を終えるまでお茶でも飲んでいようか。
いや、それだとただの無職だ。
フェイリスとしても彼氏がそれでは体裁が悪いだろう。
「何かバイトでも始めるか……」
家に来たアルバイト募集のチラシを見てみるがどうにもピンと来るものがなかった。
「俺が居酒屋のバイトか似合わな――待てよ」
俺は自分の顎に手をやる。
バイトか。
「フェイリスの所で雇ってくれないかな」
キッチンとかで。
思い立ったら吉日で俺はフェイリスに電話を掛けてみることにする。
流行りの歌の着メロが数秒流れてから向こうが電話に出る音がした。
『はいニャ? 凶真どうしたニャ?』
外にいるのか電話の向こうから車が走る音が聞こえる。
「今大丈夫か?」
『ちょっと聞きづらいけど平気ニャ』
「そうか。今、メイクイーンでバイト募集してないか?」
『バイトニャ?』
まさかそんなことを聞かれるとは思ってなかったのか少し驚いたような声音が聞こえた。
『どうだかニャー。凶真がどれくらい料理を作れるかによるニャ。オムライスは作れるかニャ?』
「人並には」
それから俺はメイド喫茶に出るようなメニューの名前を聞かされた。
中には何か分からないものもあったが大抵は作ることが出来た。
『ふーむ。分かったニャ。凶真。今日フェイリスのバイトが終わったら家に来て欲しいニャン。味見してから決めるニャン』
「分かった。時間が近くなったらメイクイーンに顔出すよ」
『了解ニャ。だけど、いきなりなんでそんなことを言い出すのニャ?』
「あぁ、そうだな。留未穂と出来るだけ一緒にいたいと思ったからかな」
『ん!?』
我ながら歯が浮くセリフだ。
嘘は言ってない。
ただ、このセリフを言っている時の顔は見られたくない。下手したら通報ものだ。
『わ、分かったニャ、きょ、凶真がそこまで言うなら色々検討してみるニャ。それじゃ待ってるニャ』
照れくさくなったのか最後の方はほとんど聞き取れない速さと大きさで電話は切れた。
メイクイーンでバイト出来れば、金も入るしフェイリスとも一緒に居ることが出来る。
次いでに貯まったお金で何か買ってやれるかもしれない。
「少しは男気ってのを見せれるかもな」
そんな青写真を描くと俺は家を出た。
前の世界線でラウンダーに襲われてから少しだけでも体を動かすことにしていた。
肝心な時に体が動かないほど悔しいものはないからな。
「あ、オカリンさん。おでかけー?」
どこに向かって歩こうと考えながら足を動かしていると誰かに呼び止められた。
オカリンさんなんて珍しい呼び方をする奴なんて一人しか知らない。
「お、まゆりか。おはよう。早いな」
「オカリンさんこそ早いですねー。お仕事ですかー」
白衣を見ながらまゆりは首を傾げる。
「いや、昨日も言ったが俺はまだ学生だから今は夏休みなんだ。だから散歩をしていたんだ」
「なるほどー。まゆしぃも朝のお散歩をしていたのですー。どこに行こうかなーと考えてたらオカリンさんを見つけたのです」
まゆりはどこか抜けた様子でそんなことを言う。
「ここで会ったのも偶然だし、一緒に歩くかまゆり」
「まゆしぃは別に構わないのです」
頷くとまゆりは俺の横に付いた。
見ている側からしたら俺達は恋人同士に見えるのだろうか。
「なんだか、不思議な感じがするのです」
「不思議な感じ?」
うん。
まゆりは頷く。
「昨日オカリンさんと話してからお母さんに聞いてみたのです。お母さんはオカリンさんのことを知ってるような微妙な感じだったんだよー」
「それまた微妙な答えだな」
まぁ、小学校の同級生でもない先輩の名前など憶えているほうが珍しいだろう。
俺だってまゆりの同級生なんて一人も覚えていない。
「そんなこんなで結局分からなかったんだよー」
「わざわざ調べてくれてありがとなまゆり」
「トゥットゥルー」
久しぶりにその言葉を聞いた。
言葉に意味はないらしいが。
俺の運命石の扉と似たようなものか。
「それでねー。まゆしぃは考えたのです」
急にまゆりが足を止める。
「ん?どうした?」
何かあったかと俺も足を止める。
まゆりがこちらを見ていた。
「んーと。とりあえず、これからもよろしくだよー。オカリンさん」
「よろしくなまゆり」
えへへ。とどこかまゆりは照れた様子を見せる。
懐かしい。
この笑顔を守る為にどれだけ思考し、試行したか。
「そう言えば、オカリンさんはこの後予定はないんですかー?」
携帯で時間を確認するとまゆりはそんなことを口にした。
「少し秋葉原に行こうかと」
秋葉原という言葉を聞いてまゆりは納得したように頷く。
「フェリスちゃんのところ?」
俺は頷く。
「トゥットゥルー。二人はラブラブなんだねー。まゆしぃもメイクイーンとかに行かなきゃならないからオカリンさんに付いていくのです」
「そうか」
俺達は駅に向かって歩きだす。
時間が時間の為か人はまばらだった。
「それで、まゆりはなにしに行くんだ?」
見たところ何も荷物を持っているようには見えない。
「んーとね。シフトをメモするのを忘れちゃったから見に行かなきゃならないのです。あと、生地屋さんにでも行こうかなって」
「生地ってコスプレ用のか」
「うん。そうだねー。あれ?なんでオカリンさんはまゆしぃがコスプレ用の服を作ってるの知ってるの?」
「この鳳凰院凶真には全てお見通しなんだ」
「オカリンさん凄いねー」
俺が鳳凰院と名乗ったにも関わらず特にリアクションもなくいつも通りのリアクションをまゆりを返した。
もしかして気づかなかったのだろうか。
『次はー秋葉原ー秋葉原―』
電車が俺達の降りる駅を告げる。
席から立つと俺達はドアの前に立つ。
「オカリンさん。まゆしぃは一つ質問があるのです」
「聞こう」
電気街に出る階段を降りながらまゆりは話始める。
「どうやってフェリスちゃんと付き合ってたのー?」
「なっ……」
思わず絶句する。
まゆりがそんな話に興味があると思っていなかった。
「それはだな――」
そこまで言って俺は固まる。
そうだ。
俺はそれを知らないのだ。
まるで記憶喪失したかのように。
「それは?」
「ふむ。二人は初めて会った時から惹かれ合っていたのだ」
「おー、なんか。ロマンチックだねぇ、オカリンさん」
なんとか口から出まかせでその場を乗り切る。
とりあえず問題が起きなかったので俺は胸を撫で下ろす。
駅から出るとまゆりと俺は別方向に歩き出した。
秋葉原の地理を完全に把握していないので分からないが、恐らく向こうにまゆり良く行く生地屋でもあるのだろう。
「じゃあねーオカリンさん。トゥットゥルー」
まゆりの元気に手を振る姿に少し感動を覚えながら俺も手を振り返す。
流石にメイクイーンに行くにはまだ早いので、俺はメイクイーンとは違う方向に歩き出した。
目的はないが、秋葉原はパーツショップや家電量販店など時間を潰すには事欠かない。
フラフラと路地を歩いているとカメラを構えている男がいた。
そのカメラの先を見ると巫女の衣装を着た人がいる。
体型や恰好からして女性だろう。
男の巫女服に需要などない。
こんな時間から路上で撮影会なんて色々と問題がありそうだな。
そんなことを考えながら俺も興味が湧いたのでそちらに近づく。
「ん?」
近づくに連れて俺は早足になっていた。
誤解していたのだ。
あれは、コスプレの撮影会などではなく、カメラを持った二人組に巫女さんが絡まれているということを。
そして、そのシチュエーションには憶えがあった。
「やめて下さいその――」
「いいじゃないですか。コスでしょそれ?」
「いや、ちが……」
近づくに連れて会話が聞こえるようになる。
間違いない。
「と――」
「貴様ら誰に断ってこの子を撮っているのだ」
無我夢中で片方の男の肩を掴む。
割と強めに。
「なんですか……」
怪訝そうな顔で男は俺を睨みつける。
体は細く白い。
黒縁眼鏡に黒髪の男は睨むことに慣れていないのか俺の顔と服を交互にチラチラと見ている。
連れの方は、カメラを持っているが我関せずと言う雰囲気で回りの路地の様子を写真に収めている。
こちらは巫女さんを撮っていた方とは対照的に色黒で髪も茶色に染めていた。
正直こっちに凄まれていたらヤバかったかもしれない。
「それでなんですか?」
「いや、なんですかじゃないだろう。彼女嫌がっているじゃないか」
「はぁ……」
俺の言葉に納得していない様子だ。
どう説得しようか考えていると隣にいた男が黒髪の男の肩を叩いた。
「俺、ここら辺でめぼしい所撮り終わったから次に行こうぜ。巫女さんの写真も少しは撮れたんだろ?」
「いや、ブレてるし……」
ボソボソとした黒髪の口調に色黒の男は露骨に舌打ちをした。
「うるせーよ。さっきから注目浴びてん気付かねぇのかお前。大体コスプレだとしても許可取れてねぇんだからマナー違反だろうが。ほら、行くぞ」
「うん……」
不機嫌なのを感じ取ったのか黒髪は渋々頷き俺を恨めしそうにみながら色黒の男の後に付いていった。
「あの……」
一連の騒動を見ていた巫女さんがおずおずとした口調で話しかけてきた。
そちらに視線を移す。
「全く本当に女みたいだな……」
「え?」
思わず俺も咄嗟に彼女と言ってしまった。
呆れたように溜息を吐く俺の様子に巫女さんは混乱しているようだ。
女のように華奢な肩。
触れば折れてしましそうな腰。
ボブに揃えられた黒髪に潤んだ上目遣い。
どう見ても女にしか見えない。
「だが、男だ」
「え?」
「久しぶり、いや、こっちでは初めましてだな。ルカ子、いや、漆原るか」
俺は目の前の巫女に手を差し出した。