「というわけで、一色いろは改め、比企谷いろはです!」
「「は……?」」
放課後の奉仕部部室が凍りついた。ていうか、凍りついたのにまだ室温が下がる……だと!? ギギギと一色に向けていた首を動かして雪ノ下と由比ヶ浜が俺を睨んでくる、超怖い。
「比企谷君、ついに通報しなくてはならないようね」
「ヒッキー、女の子脅すなんてサイテー」
「何お前ら勘違いしてんの?」
雪ノ下はまじでその二ケタまで入力した携帯をしまってくれ。冤罪でも人を社会的に殺すには十分なんですよ!? 痴漢冤罪怖くて電車乗るのにビクビクしている社会人もいると言うのに……。あと由比ヶ浜、脅して名字を自分のに変えさせるってどういうプレイだよ特殊すぎるわ。
「脅すだなんて人聞きが悪いですよ~。……ちゃんと合意の上なんですから」
「「合意!?」」
「お前はちょっと黙ってろ」
トスっと一色の頭にチョップをかますと、「いたっ」とかわいらしい声を上げながら涙目上目遣いで睨んできた。明らかに演技なのによく涙目になれるな。一色、お前なら女優も夢じゃないぞ。レッドカーペットに乗れるまである、嘘ない。
「痛いですよ~、お兄ちゃん」
「「お兄ちゃん!?」」
「まだ俺はお前の兄じゃねえぞ」
「「まだ!?」」
なんか今日は二人のシンクロ率高いっすね。今ならフュージョンもできそう。サイズ的にも頭的に丁度良くなるかも知れんな、どうでもいいや。というか、雪ノ下がかなりキャラ崩壊起こしている気がするが、ツッコんだら余計ややこしいことになりそうだ。
「あー、とりあえず説明するから口挟まずに聞いてくれ」
心労がすでに限界に近いが、今後を円滑にするためにがんばって説明しよう。八幡、がんばれ♡がんばれ♡キッモ。
* * *
「お兄ちゃんおかえりー……っていろはさん!?」
「こ、小町ちゃん、どうも……」
あの後、一色に最低限の荷物を用意してもらって比企谷家に帰ってくると、案の定小町に驚かれた。というか、お前らいつの間に下の名前で呼び合うほど仲良くなってたの? クリスマスイベント? 妹と後輩のコミュ力高すぎ!
「とりあえず一色、お前風呂入ってこい。小町にはその間に説明しとくから」
「はい、わかりました……」
奥の浴室に一色を案内して、小町とリビングに入る。二人分のコーヒーを用意して、一色の現状、そして俺の案を説明した。
「なんか、お兄ちゃんにしては大胆なこと考えたね」
「このままだと明日にでも退学届出しそうだったし、いやそれ以前に生きていけなさそうだったしな」
実際、あの状態の一色が一人で生きていけたとは思えなかった。そもそも、今日俺が無理やり行かなかったら死んでいたのではないかとすら思える。だから、どうしても早急な判断を取らざるを得なかった。
「まあ、そのためには親父とお袋の説得なわけだ。小町、手伝ってくれるか?」
「もっちろんだよ、お兄ちゃん!」
ほんと、協力的で良い妹を持ったもんだ。頭をポンポンと撫でてやる。まあただ、これは俺のわがままだ。手伝ってもらうとはいえ、最後は俺が説得しなくてはならんだろう。
全員食事とシャワーを済ませていると、お袋と親父が帰ってきた。いつもより早くて驚いたが、お母様、俺を見て即携帯取り出すのやめてくれません? 俺あなたの息子ですよね? 「あんたついに……」ってついにって何だよ! 息子信用しろよ!
「それで、あんたがこんな遅くに女の子を家に連れ込んでいる理由はなに?」
ここからが本題だ。一色に同意は取ったが、ここで親父お袋の同意を取らなければ結局全てがおジャンなのだ。自分で考えておきながらずいぶん綱渡りな作戦だ。作戦とも呼べない。
作戦とは呼べないから、正々堂々真正面から――
「一色を養子にしてください!」
土下座でお願いをするしかない。
二人とも状況を読みこめていない顔をしている。いきなり息子が後輩を養子に迎え入れろなんて言ってくるのだから当然だろう。しかし、今一色を繋ぎとめておくにはこの方法しか考え付かなかった。
一色が比企谷家の養子になれば、当然うちの親に養われることになるし、そうなれば学校を中退する必要もなくなる。それに、一人では生きていけないような状態の一色の様子を確認することもできるだろう。
しかし、この提案は両親にとってメリットがない。そもそも取引や駆け引きではなく、お願いをするしかないのだ。
「大学を卒業したら一色の学費は俺が絶対返します。自分の分も返します」
そこに少しでもベットできるカードがあるのなら、それを惜しみなく使う。絶対に、一色を離すわけにはいかない。
「だから……だから……」
「せんぱい……」
両親は俺と一色を見比べ、互いに頷き合い、小さくため息をついた。
「いいよ」
「え……」
「えってなによ、えって」
「いや……いいの、か……?」
あまりにあっさりと親が了承して完全に困惑していた。俺のこづかいなくすとかバイトでできる限り家計に貢献するとかいろいろカードを用意していただけに、あまりにも拍子抜けだった。
「だって、ぎりぎりまで私たちの脛かじって生きるとか言ってたあんたがそこまで言うんなら、答えてあげないわけにはいかないでしょ」
呆れ顔のお袋とその後ろでうんうん頷いている親父。
「一色、いろはちゃんだっけ?」
「は、ひゃい!」
思わず緊張で声が裏返ってしまった一色にお袋は優しく笑いかける。母性って言うのはこういうもんなんだなと改めて理解した。
「養子縁組自体は少し先になるだろうけど、現時点であなたは事実上この家で家族です。学費も生活費も私たちが払うし、その点をいろはちゃんが気にすることはない。家では自由にしてくれて構わないし、八幡で遊んでも構わないわ」
「はい……」
待ってくださいお母様。なんか俺で遊んでもいいとか言いませんでした? 俺おもちゃじゃないよ? さっき感じた母性消し飛んじゃったよ? 一色もまさか俺で遊んでいいってところに関して頷いたわけじゃないよね? ね?
「けど、今すぐ慣れろとは言わないわ。ゆっくり、自分のペースでいいから。いつか本当の家族になれればいいと思っているわ」
「っ……はい!」
…………。
そう、いまの俺達の関係は偽物。偽物の家族。形だけを取り繕った関係。けれど、そんな偽物も突き詰めていけば本物になるのだろうか。俺達が心から本物だと思えるようになれば、きっとそれは本物になりえるのだろう。
「じゃあ、母さんたちはもう寝るから。娘が増えたから明日からまた頑張らないとね。その代わり、老後はちゃんと面倒見なさいよ、八幡?」
「わかってるよ。ありがとう、おやすみ」
ひらひらと後ろ手を振って、お袋は親父を連れて寝室に向かっていった。ところで親父一言も発言しなかったけど了承ってことでいいんだよな? まあ、親父だしいいな。
「ふう……」
これでとりあえず、一色は学校を辞めずにすんだ。予定よりあっさり終わったとはいえ、親にこんなに真面目に何かを頼んだのも久しぶりだったから、さすがに疲れたな。
「せんぱい……ありがとうございます」
見上げると、一色が申し訳なさそうな、ともすれば今にも泣きそうな顔をしている。本当に普段は図々しいくせにこういう時ばっかりそんな弱気な顔をする。
「俺がやりたいことやっただけだから気にすんなよ。それに、妹は兄貴に迷惑かけるもんだ」
「お兄ちゃん、むしろ小町はお兄ちゃんに迷惑かけられてばかりな気がするんだけど……」
そ、そんなこと……あるかもしれないな。八幡反省……。
「ふふっ、それじゃあこれからよろしくお願いしますね、小町ちゃん。……お兄ちゃん」
照れながらお兄ちゃんというのはやめていただきたい。なんか背徳的でかわいいから。しかし、まだぎこちないが多少は表情に色が出てきた。それに少し安心している自分がいた。
一色の部屋は物置にしている空き部屋を翌日片づけて使わせるとして、今回は小町の部屋に布団を敷いて寝てもらうことにした。多少何かを話している声が隣から聞こえてきたが、一色も疲れていたのだろう。すぐに話声は収まった。
それを確認して、俺も眠りについた。
* * *
「というわけで、書類上はまだだがいっし……いろはと俺は事実上兄妹になったわけだ」
「わけです!」
「おいこらくっつくな」
「「…………」」
んんー? おかしいな、俺真面目に説明したはずなんだけど、なんか二人の視線が痛いぞー? やだヒッキー信用されてないの?
「はあ、あなたにしてはずいぶんと大胆なやり方ね」
「まあ確かにヒッキーらしいと言えばヒッキーらしいのかもしれないけど」
「何か不満なのかよ」
なんか口の端々から納得していませんオーラが出てるんですが。
「いえ、不満はないのよ。ただ……どうしてさっきから彼女はあなたにくっついているのかしら?」
え、納得してないのそこ? ちょっと八幡なに言われたのか分からない。まあ確かにさっきからべったべったくっついて離れない。なんなの? 蜘蛛の糸につかまっちゃったの? 俺蜘蛛の巣なの?
「いいじゃないですか~。お兄ちゃんにくっつくのは妹の特権だって小町ちゃんが言ってましたよ?」
「まあ、間違っちゃいない……のか?」
確かに妹に抱きつかれてもお兄ちゃんは特別な感情を抱かないものなのだが、いろはは昨日まで妹ではなかったわけで……大丈夫、いろはは妹いろはは妹。うん大丈夫問題ない。鬼のお兄ちゃんも義理の妹は萌えるだけだって言ってたもんな。あれ、大丈夫じゃなくね?
「それに、ヒッキーの呼び方が“いろは”になってるし」
「どうして由比ヶ浜はいじけてんだよ、わけわからん」
そもそも家族を名字呼びとかおかしいだろ。だから下の名前で呼ぶことになにも違和感はないはずである。そもそも朝になってそう呼べと言ってきたのはいろは自身なので俺は全く悪くない。
なんとか二人を宥めたころにはもう下校時刻だった。もう八幡げっそり。大筋の理解は得たからいいけどね。
鍵を返しに行く雪ノ下と由比ヶ浜に別れを告げて、いろはと帰宅する。お互い靴を取り、駐輪場へ向かうと、いろはが小走りで俺の自転車を引っ張り出してドヤ顔で荷台に乗った。
「さあお兄ちゃん! 我が家へレッツゴー! です!」
「なぜお前と二ケツする必要があるんですかね……」
そもそも小町を乗せて二人乗りすることもあまり乗り気ではないんですよ? しかし、いろはは全くどこうとしない。地味にむかつくからそのドヤ顔やめてまじで。
「はあ、しゃーねーな……」
「わ~い!」
サドルに跨ると一色が腰に抱きついてくる。触れ合っている部分から感じるいろはの体温は、何となくさっきより低く感じた。
家に帰りつくまでの間、俺達に会話はなかった。
* * *
学校でのいろはは至極いつも通り振る舞っていた。いつも通りのあざとさと明るさで、きっとあいつのクラスの連中なんかはいろはに何かがあったなんて考えもしていないだろう。それは一重に一色いろはがこれまで維持し続けてきた仮面の賜物だったのであろう。
しかし、仮面は仮面。事情を知らない人間の前では無意識に被れても、事情を知っている人間の前では剥がれおちてしまう。
たとえば、家族の前とか。
「いろはさん、お風呂空きましたよ」
「うん、ありがと……」
家でのいろはは学校とはうって変わって声に覇気がなく、表情も薄い。いや、むしろこれが今の本当のいろはの状態なのだ。昼間のテンションの高さや俺への過剰なスキンシップもいままでどおり振る舞おうとした結果の空回りだと分かっていれば怒る気も起きない。
小町もそれが分かっているから、あえていつものテンションでいろはに接する。周りの目を気にするいろはは変化に敏感だから。
相手の目を気にして、偽り、自分を騙し、誤魔化す。そんな偽物の家族がそこにあった。
まだ始まったばかりの非日常が日常になる日は本当に来るのだろうか。それは俺にもわからないし、まずは時間をかけなければ解決しない問題だった。居場所を無理やり作ってやっただけで、俺は全くの無力だった。
夜中になって空き部屋を片づけて用意したいろはの部屋から漏れ聞こえてきたすすり泣く声に、胸が締め付けられる。あいつの苦しみをここまで感じているのに、なにもあいつにしてやれない自分にはらわたが煮えくりかえる。けれど、本当にあいつに直接してやれることはなかった。
なら、ならばせめて……家族として、兄として本物の愛情を注いでやろう。
今俺にできることは、きっとそんなちっぽけなことだけだから。
コミカルを挟まないと死んでしまう病
小町ももっと出したいけど一色の件が一段落しないと比重てきに出しづらい罠