何かの呼び声   作:クロル

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1-1 悪霊の家

 八坂家の長男として生まれた八坂一太郎は聡い子供だった。教えた事はすぐにモノにし、小学校入学前から二桁の足し算引き算ができ、小学校低学年で習うような漢字を書く事ができたし、両親が喧嘩をしたり、父が職場で大きなミスをして落ち込んで帰ってきたりすると、例え隠していてもそれを敏感に察知した。両親にそういった事を驚かれ、褒められると、一太郎は「だって見ればわかるよ?」と不思議そうに言った。

 

 幼さ故の言葉の拙さで両親には伝わらなかったのだが、一太郎は一種の魔眼のようなものを持っていた(※)。一太郎は目に意識を集中すると、生き物が持つモヤのようなものを視る事ができた。モヤは人によって色や明るさ、雰囲気が異なり、感情によって変化する。これによって相手の感情を察知していたのである。もっとも、意識を集中しても失敗してモヤが見えない事も多かったし、精神的に疲れるのであまり多用はできない。モヤの変化から必ず正確に感情を読めるわけでもない。よくわからない時の方が多い。しかし、モヤの変化が感情の変化と連動しているとこの歳で洞察できたのは間違いなく一太郎の頭が飛び抜けて良かったからで、魔眼を抜きにしても優秀な子供だったと言える。

 

 八坂家を悲劇が襲ったのは、一太郎が小学二年生の時だった。古いガスストーブの故障が原因で、八坂家は全焼。一太郎の両親は死亡し、一太郎も重い火傷を負った。

 どうにか一命を取り留めた一太郎は、火傷の後遺症で筋肉が引き攣り、煙を吸い込んだため肺も弱め、病弱な身体になっていた。顔には酷い火傷の跡もある。そんな一太郎は親戚をたらい回しにされ、最終的に叔父の家に預けられる事になった。

 

 数年もすると一太郎が火事で負った心の傷も癒えていった。一太郎は勉強熱心で、友達と遊ぶよりも図書館で本を読む事を好んだ。

 元々頭が良かった事に加え、読書のおかげで年齢の割には相当スマートに物事を筋道立てて喋る事ができるようになった一太郎は、ある時叔父に自分の魔眼について話した。

 叔父は激怒した。必ず、甥の無知蒙昧の虚言を除かなければならぬと決意した。叔父にはオカルトが分からぬ。叔父は、オカルト嫌いである。科学を尊び、数字と遊んで暮して来た。けれども擬似科学に対しては、人一倍に敏感であった。

 

 一太郎の魔眼は光るわけでも音が出るわけでもなく、客観的に魔眼の存在を証明するものは何もない。証拠は一太郎の自己申告しかない。

 一太郎は賢いとはいっても、小学生に過ぎず、叔父の容赦ない、嫌悪を混ぜた言葉で自分の魔眼を全否定され、嘘つきだ、キチガイだ、とまで言われると泣いてしまい、何も反論できなくなった。

 最初はなんとか自分の魔眼について叔父に分かって貰おうとした一太郎だったが、すぐに理解してもらうのは無理だと学んだ。

 一太郎はしばらく真実を否定する叔父に反抗的になったが、何年もゴリゴリゴリゴリとオカルトを否定する言葉を聞かされ、現代的な科学知識を身に付ける内に、自分の力を魔眼だとは思わなくなった。突然変異か視神経の異常で妙な物が見えているだけ、と思うようになったのである。

 

 実際のところ、一太郎の魔眼は本物で、生粋のオカルトの体現とも言えたのだが、皮肉な事に成長した一太郎はオカルトを信じなくなった。それどころか、幼い頃自分が魔眼だ、魔眼だ、と言っていたのを酷い勘違いだと恥じるようになった。

 しかし相変わらず目に意識を集中するとモヤが見える事には変わりない。一太郎はなぜこんな症状が出るのだろう、と思い、叔父に頼んで医者に連れて行ってもらったが、原因は分からなかった。

 そこで好奇心旺盛な一太郎は自分で調べる事にした。医学を学び、生物について学び、暇を見つけては、自分の目がどうなっているのかを自分なりに検証する日々。

 趣味が高じて、と言うべきか、高校を卒業した一太郎は、眼細胞の研究で有名な教授が生物学の講師を務める大学の理学部に進学したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 三月の始め、東京郊外。駅の高架近くの古びた屋敷の前で、大きな旅行カバンを背負った一太郎は、手に持った地図と目の前の建物を見比べていた。

 時間帯のせいもあるだろうが、麗らかな春の日差しは高架に遮られ、屋敷には届いていない。無機質なコンクリートを這う寒々しい風が足元をさらうばかりである。

 大学進学に伴って一太郎は一人暮らしを始める事にした。未だ残る火傷の後遺症で、筋力も体力も人並み以下だったが、頭は大学に主席入学するほど良かったし、精神的にもタフだった。顔面の半分を覆う酷い火傷の跡も、人目を気にしない一太郎には足かせにならない。一人暮らしに支障は無かった。

 奨学金をもらい、叔父からそれなりの生活費も送られている一太郎がおどろおどろしいボロ屋敷を選んだのは、金銭を研究費に当てたかったからである。図書館にも無い医学書、解剖書、論文を取り寄せて購入するためにはかなりの金がかかるし、研究というのは機材に薬品にと、やたらと金を喰う。在学中は大学の設備を使わせてもらえるにしても、大学の金も無限ではない。一太郎はいざとなれば自腹を切ろう、とまで考えていた。それを考慮すれば、住まいに金を費やすのは全く無駄であろう、と思えた。

 

 件の賃貸ボロ屋敷は事故物件で、日当たりの悪く陰気で寂れた立地を差し引いても家賃が恐ろしく安かった。一ヶ月五千円という裏を疑いたくなるような家賃について問いただせば、大家は口を濁し、もにょもにょと幽霊がどうの、祟りがどうの、と言った。どうやら入居者に事故が連続したせいで悪い噂が立ち、いっそ取り壊すか、という話も出ていて、五千円でも住んでくれるなら儲けもの、といった事情があるようだった。

 オカルト否定派の一太郎にとって、超常的な怪異はマイナス要因にはならない。そんなもの、本当に存在するわけがない。錯乱してそう見えただけとか、単純な事故の話に尾ひれがついたとか、怪異の真相はその程度。馬鹿馬鹿しい幽霊や祟りの噂のおかげで安く住めるなら万々歳だ。ただし、事故が連続しているなら、床板が腐っているとか、水漏れがあるとか、何かしらの欠陥が事故の直接的・間接的原因になっている可能性はある。注意は必要だろう。

 

 表札の文字は消されたというよりも掠れて消えていて、目を凝らすと辛うじて「魚流田」と読めた。「うおるた」か「うおるだ」か、どちらにせよ変わった苗字だ。前の居住者のものだろうか。屋敷の窓という窓にはカーテンがかかっていて、中にあるものをかたくなに隠しているような印象を受ける。ひっそりとして他者を拒絶するような、非科学的な言い方をすれば不吉な雰囲気に、一太郎は思わず眉を潜めた。半ば無意識に、感覚的に魔眼が発動する。すると、屋敷全体に薄らとモヤがかかっているのが見えた。

 

「……んん!?」

 

 驚いて瞬きをする。これまで、生物以外がモヤを纏っているのは視た事がない。しかも、モヤそのものは酷く薄くはあるが、そこから粘ついた怖気立つような悪意を感じる。

 これはどういう事だろうか。目の異常が進行したのか。慣れない土地に来た事によるストレスが影響したのか。それとも屋敷に本当に何かあるのか……いやいやそんな馬鹿な。

 一太郎はぶるりと身を震わせる。不気味だが、いつまでも屋敷の前で棒立ちしていたも仕方ない。

 

 鍵を差し込んで捻るとガチャリと音がした。そのままドアを開けようとするが、開かない。錆び付いているような感触ではなかった。もしやと思いもう一度鍵を捻ると、今度は開いた。最初から鍵が開いていたのだ。

 無用心だなあ、と思いながら玄関に入ると、そこには靴箱を漁る髪を金髪に染めたチャラチャラした男がいた。

 

「!?」

「ファッ!?」

 

 まさか人がいるとは思わなかった一太郎は驚いて固まり、チャラ男の方も奇声を上げてビクンとした。

 

「え、なんなんですかなんでいるんですか誰ですか」

「何ってそりゃ……お前こそ誰だよ、ああん?」

「私は今日からここに住む事になった八坂一太郎です。あなたは?」

「ね、根津 未弧蔵」

「ねずみ小僧?」

「っせーな未弧蔵だよミコゾウ、もう帰るからそこどいてくれ」

 

 一太郎がここに住むと聞いた途端に顔色を変え挙動不審になり、そそくさと立ち去ろうとする未弧蔵。一太郎は未弧蔵が手に曲がった針金を持っているのを目ざとく見つけ、腕を掴んだ。

 

「な、なんだよ、離せよ(震え声)」

「泥棒ですよね?」

「ちげえし! あの、アレだ、セールスマンだし! 物音するのにチャイム鳴らしても誰も出なかったから入ってみただけで――――」

「泥棒ですよね?(威圧)」

「そ、そうです……」

「あのねぇ、あなた不法侵入ですよ? いくら誰も住んでいなかったといっても勝手に入ったら犯罪です。これはもう警察に連絡するしかないですね」

「やめて下さいお願いしますなんでもしますから!」

「ん? 今なんでもするって言ったよね?」

「エッ、アッハイ」

「じゃあこの屋敷の点検手伝って下さい。けっこうあちこち痛んでるらしいので。途中で逃げたら通報するのでしっかりやって下さいね」

「……うっす」

「あ、財布とか持ってます?」

「持ってますけど」

「点検終わるまでそれ担保として預かっときますね」

 

 渋々渡された財布を受け取り、一太郎は一階から点検を始めた。旅疲れで少し休みたいところだったが、差し当たっての安全確認ぐらいは済ませておきたかった。過去の事故の原因が屋敷に住み着いた凶暴な野良犬だった、などという真相だったら、寝ている間に噛み殺されかねない。

 大家から受け取った簡単な見取り図のメモによると、屋敷は一階が居間、食堂、キッチン、空き部屋3の合計6部屋。二階がユニットバスと寝室3の4部屋。更に地下には倉庫が2部屋ある。一人暮らしの大学生が住むには贅沢すぎる。ボロ屋敷とは言えこれが家賃五千円なのだから、一体どんな事件があったのだろう、と、一太郎は今更ながら少し心配になってきた。何しろ白昼堂々泥棒が入り込むぐらいなのだから、安全性も問題がある。自費で防犯設備を追加する程度は必要だろう。

 

 預かった財布から免許証を取り出し(期限切れで失効していた)、根津 未弧蔵 という名前を確認した一太郎は、偽名じゃなかったのか、と変な感心をした。財布をポケットにしまい、荷物を置くついでに居間に向かう。一太郎は未弧蔵を信用したわけではなかったが、財布を預かっておけばそうそう変な事はされないだろうという判断があった。今屋敷にある物は一太郎が持ち込んだ物ではなく、仮に何かをちょろまかされたところで痛くもない。人のいない屋敷にある物なんてたかが知れているだろう。

 

 居間には修学旅行先の旅館にあるような古いテレビ、背もたれが破れて綿がはみ出たソファ、椅子があった。棚には小学校の学園祭のフリーマーケットで売られているような見るからにチャチな小物が雑然と転がっていたが、中には仏像やお守りが混ざっていた。部屋を見渡してみると、柱や窓の桟に御札が貼られていて、壁の画鋲から十字架がぶら下がっている。前の居住者が置いたものだろうか。思ったよりも置き土産が多い。

 こんなオカルトチックな物を無意味に並べるよりも警報器の一つや二つ設置した方がよっぽど効果があるのに、と内心で前の居住者の愚鈍を嘲笑いながら、窓を開け、薄らと埃の積もった床を軽く靴で擦って払って荷物を置く。それから小一時間ほど丹念に柱を調べたり、床板が腐っていないか調べたり、天井に穴が空いていないかチェックしたりしたが、全体的に経年劣化で薄汚れ、傷んではいるものの、特に事故に繋がりそうなものはなかった。カビの生えた壁紙を張替え、黄ばんだカーテンを一新すれば見れるようになるだろう。

 

 特に場所の指定はしなかったが、未弧蔵がどこを点検しているのか気になった一太郎は、廊下に出て耳を済ませた。キッチンからガサゴソ音がしたのでそちらに向かう。

 キッチンでは、未弧蔵が箸もスプーンも使わず、缶詰に直接口を突っ込んで「うめえ、肉うめえ」と言いながらむしゃむしゃ食べていた。ドン引きした。

 

「あ、ども。いやこれはサボってるわけじゃなくてっすね、腹が減っては戦はできぬって言うじゃないすか。へへへ」

「お、おう……」

 

 よく見れば未弧蔵の服はよれよれで、ズボンのサイズが合っていない。ちらりと見えた靴下は左右でデザインが違った。染められた髪も根元が黒くなってきている。耳にピアス穴は空いているが、ピアスはない。思い返せば財布の中には小銭しかなかった。

 こいつひょっとしてけっこう悲惨な暮らしをしてるんじゃないか、と察した一太郎は急に憐憫の情が湧いてきた。まあ、実害は無かったわけだし、点検の報酬に食事ぐらいだしてやってもいいかな、と仏心を出す。

 優しい気持ちになる一太郎に、缶詰の中身を舐め終わった未弧蔵が報告した。

 

「冷蔵庫はまだ使える臭い。オーブンとレンジはぶっ壊れてた。ガスコンロは無かった。保存食は半分は袋だけになってた。ネズミの足跡とクソあったんで食い荒らされたっぽい。マジうぜえ。あー、埃はざっと拭いときましたんで。あと賞味期限切れのパスタあったんでもらっていいすかね」

「どうぞどうぞ」

「ありがてえありがてえ」

 

 いそいそとパスタを懐にしまう未弧蔵。一太郎が腕時計で時間を確認すると、ちょうど昼時だった。未弧蔵が割と真面目に仕事をしていた事もあり、買い物ついでに昼食に誘う事にした。流石に屋敷に一人で置いておくのは不安がある。

 

「買い出し行くけど来ます? ってか来い」

「ええ……タリいなあ」

「コンビニ弁当ぐらいなら奢るから」

「お供します」

 

 買い出しのついでに、一太郎は未弧蔵に屋敷について聞いた。大家からは事故物件としか聞いていないが、噂になっているなら未弧蔵も知っているかも知れない。

 

「根津さんは幽霊屋敷? の噂知ってます?」

「あ? あ~……なんかデるみたいな話は」

「あんまり有名な話じゃないんですかね」

「俺も知り合いの爺さんから聞いただけなんで。ああそうだ、帰りにちょっと寄り道していっすか」

「どこに?」

「その知り合いの爺さんとこに。世話になってるんで」

 

 沼に片足を突っ込んだコソ泥の交友関係に興味を抱いた一太郎は了承し、手土産に缶ビールを買い、未弧蔵の案内で人通りの少ない郊外の橋の下に行った。そこには廃材を寄せ集めて作ったボロ小屋があり、白い髭の老人が汚れた買い物カゴに腰掛けて新聞を読んでいた。老人は根津に気付くと気さくに軽く手を上げ、隣の一太郎を訝しげに見た。

 

「ちわっす。土産持ってきたぜ」

「おうおう、ありがとうよ。ところで隣の青年は誰だね」

「こんにちは。八坂一太郎といいます。今日このあたりに引っ越してきました」

「ご丁寧にどうも。同里といいます。廃品回収業をしとります。このあたりに引越し……? ああ(察し)」

 

 同里老人は未弧蔵と一太郎を見比べ、何かに納得したようだった。バツが悪そうにしている。その様子を見て、一太郎も納得した。恐らく、幽霊屋敷の話をして、泥棒を示唆したのはこの老人なのだ。

 

「同里さんはこのあたりに詳しいんですか」

「この土地を離れた事は無いですからなあ。長く住んでいると色々な話が耳に入ってくるものです」

「幽霊屋敷の話も?」

「……興味がおありで?」

「そうですねえ。もしもの話ですが、仮に私のボロ屋敷に泥棒が入ったとしても、幽霊屋敷の話を聞いていれば、『肝試しかな?』と思って警察に通報せず見逃すかも知れませんねえ」

「ふうむ。勘違いを未然に防ぐのは良い事ですなあ」

「そうでしょう。そこの根津さんとは全く関係の無いですが、やっぱり私も自分の家の噂話は気になるんですよ」

「ふむ。ま、参考程度にお話しましょう」

 

 同里老人はゆっくりと語りだした。

 一太郎の屋敷の元々の持ち主は「魚流田 紅人(うおるた こうと)」といい、大層不気味な人物だったという。不審な行動や夜中の騒音が酷かったため、近所から苦情が相次ぎ、裁判に発展するほどだった。同時期に、近所で子供の失踪が相次ぎ、警察の調べで屋敷の近くの「黙想チャペル」を根城としたカルティスト達の仕業と断定され、大捕物があった。魚流田紅人も関係が疑われたが、明確な証拠がなく、結局カルティストは大多数が逮捕。魚流田紅人も怪しい行動は控えるという事で和解し、密やかな関連が見え隠れする二つの事件は別物として終わった。

 やがて時が経ち、老いた魚流田紅人は、自分の死後は死体を自宅の地下に土葬するように、と主張し、再び裁判沙汰になった。裁判の結果は不明だが、魚流田紅人が寿命か病気で死んだ後、屋敷に住んだ者には様々な祟りが起き、半年と住んだ者はおらず、当時は幽霊屋敷として有名になった。今では放置され、近寄る者もおらず、忘れ去られている。

 

「なるほど。参考になりました」

「いえいえ」

 

 同里老人の話を聞き終わった一太郎は礼を言い、河原に捨てられたエロ雑誌を読んでいた未弧蔵を連れて屋敷に戻った。

 

「じゃけん点検の続きしましょうね~」

「マジで? 八坂お前爺さんの話聞いてた? 明らかにウォルターの祟りじゃん。住むのやめとけよ。やべぇって」

「魚流田ね。祟りなんてないから大丈夫大丈夫。家鳴りとか電車が通った時の振動とかそのあたりが不気味ってだけだと睨むね。どうせそれに尾ひれがついて大げさに広まったとかそんなところでしょう」

「ホントかよ」

「夜になったら帰っていいですから。今日いっぱいは頑張りましょう」

「まあいいけどさあ」

 

 また二人は二手に分かれて点検を始めた。

 一階の物置部屋には錆び付いた自転車や薄汚れた水槽、湿気ったダンボールなどが乱雑に放り込まれていた。部屋の右側には戸棚があったが、板を張って封印されていた。割と頑丈に取り付けられていて、引っ張ったぐらいでは取り外せそうにない。ざっとガラクタを漁っても妙なものはなく、怪しいのは戸棚だけ。こじ開けるべきかと思案していると、未弧蔵が入ってきた。

 

「食堂点検終わり。異常なし。食器とかテーブルとか椅子は七セットあったんでサークル仲間呼んで宅飲みとかには困らないんじゃないすかね」

「お疲れです。根津さんこの戸棚の板外せたりします?」

「呼び捨てでいーよ。てかいい加減敬語やめろなんかそわそわする。戸棚は……ガッチリ板打ち付けてあんな。こりゃ道具ないとキツいわ」

「スパナならあった」

「くれ」

 

 未弧蔵は塗装のハゲたスパナを受け取ると、普通に生活していたら絶対に身につかないような犯罪臭のするいやらしい手つきで操り、あっと言う間に板を外してしまった。

 

「うわっ……凄いけど引くわ」

「うっせ!」

 

 戸棚の中には三冊のノートのようなものが入っていた。パラパラと捲ると一冊目の見返しの所に住所氏名が書いてあり、魚流田紅人の日記である事が分かった。

 

「ウォルター、日記なんて付けてたんすね。几帳面なタイプ?」

「それは知らないけど屋敷について何か書いてあるかも知れない」

「なんちゃらチャペルと繋がってる秘密の通路とか? 実はチャペルのカルティストの生き残りが秘密の通路から夜な夜な屋敷に入り込んで住人を脅かしてた、なんてオチ」

「ありそう。ちょっと読んで……いや軽く読める量じゃないな。とりあえず一階の点検だけ終わらせとこう」

「うす」

 

 それから夕方までかけて一階を点検したが、全体的に老朽化が見られる程度で、怪しいものは何もなかった。ちらほらネズミの痕跡はあったので、ネズミ取りが必要だろう。

 日が沈む頃になると、未弧蔵が馴れ馴れしく一太郎ににじり寄ってきた。両手を合わせて頼み込む。

 

「八坂ぁ、悪ィけど今晩泊めてくんね? 春先は外で寝ると寒くてさあ」

「はあ? 図々し過ぎないか」

「いいじゃん、部屋クッソ余ってんじゃん。財布は預けっぱでいいからさ。な? な?」

「……明日も働いてもらうからな」

「っしゃ寝床確保!」

 

 未弧蔵は買ったばかりのコンロで勝手にパスタを茹でて貪ると、居間の床にクッションを並べて寝転がり、早々に寝てしまった。

 それを横目に、ソファに座った一太郎は日記を読み始める。一日目の夜はそうしてふけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 徹夜で日記を読んだ一太郎は、青ざめた顔で朝を迎えた。常軌を逸した内容に冷や汗が止まらない。ひぐらしなんて目じゃない狂気が文面全体からにじみ出ていた。

 明らかに狂人が書いたものであり、常識的に考えて支離滅裂な文章であるにも関わらず、非常識的な観点から読むと理解できてしまう。それは今まで自分が過ごしてきた常識の世界が実は取るに足りない狭い世界に過ぎず、平常な精神ではとても捉えきれないような一種虚無的な世界の広がりをほのめかされたようで、一太郎は頭痛がしてきた。一太郎は賢いが故に、一見して非論理的極まりない戯言が並んでいる日記から人間が通常「論理」と考える思考メカニズムとは全く別の形態の名状しがたい「論理」の足がかりを掴み取ってしまい、今まで身につけてきた人生観を根本から揺るがす知識の片鱗に苦しむ。一方で、通常の社会的生活の中では決して得られない革新的な知識を得る喜びもあり、読むのを辞められなかった。

 

 一太郎は疲れきった目をしょぼしょぼさせ、起き出してきた未弧蔵に昼頃になったら起こすように頼み、仮眠に入った。

 

 一太郎が寝ている間、未弧蔵は二階のユニットバスを点検・掃除し、ついでに一風呂浴びた。蛇口が緩くなって水が滴り落ちていたので、スパナをねっとりといやらしく操り、数時間悪戦苦闘して修理した。既に未弧蔵はなし崩し的にこの屋敷に居座る気満々で、生活空間の整備に余年がない。

 未弧蔵が米を炊き、フライパンが無かったので鍋で野菜炒めを作っていると、一太郎が起きた。一眠りして少し顔色が良くなった一太郎と二人で食事をとる。白米と塩味野菜炒めだけの大雑把な料理だったが、一太郎は特に文句は言わず、未弧蔵が自分よりも多く食べている事も指摘しなかった。

 たかられている自覚はある。しかしやる事はやっているし、追い出したら野垂れ死にするか別の家に空き巣に入りそうだとも思った。一人でボロ屋敷のリフォームをするのは大変だし、手伝わせるついでにしばらく寝床と食事の世話をするのはやぶさかではない。

 

 食事をとって気力を充実させた後、二人は黙想チャペルに向かった。まだ地下と二階にはほとんど手を入れていないが、屋敷に一晩泊まっても何も起きなかった。幽霊や怪異の噂の原因は、雰囲気だけの屋敷よりも、むしろカルティストのたまり場だったという歴然とした事実がある黙想チャペルであるように思えたのだ。もしかしたら二つの建物の噂が混同されているのかも知れない。

 

 黙想チャペルは屋敷から徒歩五分ほどの距離にあった。チャペル(礼拝堂)というよりはその残骸で、風雨にさらされ、雑草や木が生い茂っているため、灰色の瓦礫は建築物の壁や土台の跡というよりも自然の石のように見える。

 特に柵も立ち入り禁止の看板もなかったので、二手に分かれて探索を始めた。しかし見つかるのは焦げ跡のついた花崗岩のブロックや、半分焼けて腐った木材、ポイ捨てされたゴミばかりである。昔火事か何かがあったらしい。

 しかししばらくうろついていると、一太郎は自分が立っている土の下に弱った床板がある事に気づいた。足元がミシリと軋み、身体が不吉に揺れる。咄嗟にその場を飛び退こうとしたが、それが良くなかった。

 

「うおあっ!?」

 

 脆くなっていた床板が崩れ、一太郎は体勢を崩し頭から落下。受身もとれず全身を強打した。あまりの衝撃と痛みに声も出ない。危うく意識が飛ぶところだった。

 

「なんだどうした!」

 

 物音を聞いて駆けつけた未弧蔵は、地面に開いた穴に気付くと、三メートルはある高低差から忍者のような華麗な跳躍で音もなく飛び降り着地した。

 

「おいおい大丈夫か? 救急車を……やべっ俺携帯持ってねえわ」

「いや、大丈夫、そこまでの怪我じゃない」

「無理すんなよ、落ちたんだろ?」

 

 ふらふら起き上がる一太郎に未弧蔵は応急手当をしようとしたが、落ちた時に土と埃を被って全身が汚れていて、どこが悪いのか良くわからなかった。

 一太郎は医学の心得もある。ざっと自分の身体を調べ、あちこち大小様々な打撲はあるが、病院に行かなければいけないような怪我は無い事を確かめた。一番酷いのは後頭部のコブと脱臼した右足首だ。幸い骨は折れていない。

 一応擦り傷をペットボトルのお茶で洗い、足首の脱臼をはめ直す。涙が出るほど痛かったが、無事はまった。鈍痛は残ったが、歩けないほどでもない。

 

「とりあえずこれでよし」

「やるじゃん。医学部?」

「いや理学部。ここは……隠し部屋か」

 

 改めて周りを見回すと、そこは地下室だった。階段はあったが、何トンもありそうな瓦礫で埋まっている。地下室の天井に当たる部分に穴が空き、そこから落ちたらしい。

 中には骸骨が二体あり、ローブの切れ端のようなものがまとわりついていた。どうやら地下室に隠れたまま蒸し焼きになって死んだカルティストの死体らしい。

 名前も知らない骸骨に南無、と祈り、他に何か妙なものは無いか探す。まさか白骨死体が幽霊の噂の正体でもあるまいが、地下室は天井が抜けるまで封印状態だったので、幽霊との噂の関連性は薄いが、調べるだけ調べる。

 

 地下室の隅には朽ち果てた教会の記録類の入ったキャビネットがあった。一太郎が中を調べてみると、カルト教団の活動を記録した日誌があった。パラパラと捲ると、「魚流田紅人」という名前を見つけて手を止める。そこには、魚流田紅人が屋敷の地下に埋葬された事が書かれていた。「本人の希望と『闇の中にて待つもの』の希望による」のだという事である。闇の中にて待つもの、というのは中二病的称号か何かだろうか。カルティストの考える事は分からない。

 

「うっげ、なんだこれ。八坂これ見てみろよ」

 

 腐りかけたデスクに鎖で繋がれた非常に分厚い本を、汚物をつまむように持った未弧蔵が一太郎に声をかけた。日誌を持ったままそちらに向かう。

 腐敗と虫食いでボロボロの本だったが、特に妙なのは表紙だった。どことなく見覚えがある。よく見る材質の気がするがなんだったか、と首を傾げた一太郎は、ハッと気づいた。

 その本の表紙は、人の皮でできていた。

 

「ひ、人の皮……?」

「やっぱそう見えるか。うげー、えんがちょ、えんがちょ」

 

 未弧蔵は本を放り投げ、摘んでいた指を床にこすりつけた。一太郎はそれを拾い、ざっと捲ってみる。本は全て手書きで、判読不能の部分が多すぎたが、どうやらラテン語で書かれたものらしかった。装丁からして狂気が滲み出るその本はいかにもカルティストが持っていそうだった。どことなく魚流田紅人の日記に近い雰囲気を感じる。

 ふと思い、目に意識を集中させ、人皮の本を視る。すると、屋敷がそうであったように、薄らと弱々しくも禍々しいモヤがまとわりついているのが視えた。印象としては悪意的ではないが、より混沌と人智の及ばぬ深淵の、吸い込まれるようなモノを感じる。

 

「…………」

 

 一太郎は躊躇ったが、本を鎖から外し、教会の活動日誌に挟んでそっと懐に入れた。

 

「あ? それ持って帰るのかよ」

「なんか怪しげだからさ」

 

 一太郎は嫌そうな顔をする未弧蔵を適当にあしらった。

 魚流田紅人を半分ほど読んだ一太郎は、オカルトに対する否定と科学への信仰が揺らいでいた。幼い頃、自分の目の異常を素直に魔眼だと思っていた頃の感覚を懐かしく思い出す。ひょっとして、あの頃の直感こそが真実だったのではないか? 世界には既存の科学で説明できないような領域が、日常と紙一重の裏側に潜んでいるのではないか?

 一太郎は科学とオカルトの間で揺れる。まだ確定的な証拠はない。オカルトが実在を示唆するものは次々と見つかったが、明確な証拠は未だ無いのだ。例えそれらしいモノが数多くあったとしても、オカルトの実在を前提に考えた方が筋道だっているとしても、それが科学の及ばない世界の証明にはならない。

 だからこそ、一太郎はオカルト的なものを検証する事で、オカルトが実在するかどうか確かめようと思った。そのためにはサンプルが多いに越した事はない。調べた結果、やはり実在しないとわかれば何も問題はない。実在したら……その時は、その時だ。

 

 瓦礫を積み上げて足場を作り、地上へ脱出した二人は、警察に無縁仏の発見を知らせた。現場に到着した警察に軽い事情聴取を受けた後、屋敷に戻る。後は警察が適当に処理するだろう。ちなみに人の皮の本の存在は知らせなかった。

 食材とフライパン、その他細々としたものを買って屋敷に着くと、もう夕方だった。未弧蔵はカップ麺を食べると、さっさと寝てしまった。一太郎は風呂に入って身体の汚れを落としてから、魚流田紅人の日記の残りを読む。

 ちなみに人の皮の本は、試しにネット翻訳頼りでタイトルだけ調べてみたが、「エイボンの書」と訳せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真夜中を過ぎた丑三つ時。日記を読み終えた一太郎は、青い顔で呆然としていた。

 日記には、魚流田紅人が行った色々なオカルト的な実験の事が記されていた。召喚などの魔術を行ったようだ。特に《空鬼の召喚/従属》の呪文のテクニックについてははっきりと記されている。魚流田紅人はこの魔術を使い、怪物を召喚して使役し、黙想チャペルと結託して子供を誘拐し儀式に使っていたらしい。攫った子供をどのように「使った」かはとても書き表せない。書かれている事が事実なら、魚流田紅人は狂っているだけでなくとんでもない犯罪者だった事になる。彼が死亡し、教会も崩壊し、全てが終わった今となっては追及もできないが……

 

 いや。

 本当に全て終わったのだろうか?

 幽霊の噂や、事故死は、まだ魚流田紅人の魔術が残っている証拠なのではないか?

 屋敷を覆う謎のモヤはその証ではないのか?

 

 いやいや。

 魔術のはっきりした証拠は未だない。それらしい、というだけで、そうだ、と決め付けるわけにはいかない。

 偶然辻褄があっただけで、真相は拍子抜けするぐらいたわいも無いものなのかも知れない。いや、その可能性の方が、魔術の実在などという荒唐無稽な結論よりもよほど説得力がある。第一幽霊屋敷という割にポルターガイストの一つも起こらな――――

 

 そこまで考えたところで、突然ズシン、ズシン、という大きな音が聞こえてきた。一太郎は心臓が口から飛び出したかと思うほど驚き、ソファから転がり落ちた。

 

「うっおわ、地震かっ」

「静かに!」

 

 飛び起きてすぐさまバタバタと窓から逃げようとする未弧蔵を制し、小声で叫ぶという器用な事をした。

 二人が耳を澄ませると、音の割に振動がない事、音は屋敷中に響いているが、どうやら出処は二階らしい事が分かった。二人は顔を見合わせ、ゴクリと息を呑む。二日目にして初めての怪奇現象である。

 

「どうする八坂、調べにいくのか」

「それはもちろん、調べに行かないと何も解決しないから。ただし事故死の話もあるし、警戒だけはしよう」

 

 二人は雑誌を洋服の下にはさみ、未弧蔵はスパナを、一太郎はフライパンを持って二階へ向かった。足を痛めている一太郎は未弧蔵の後ろに着いていく。

 音の発信源と思われる二階の寝室の前に着くと、ズシンズシンという音は見計らったようにぴたりと止まった。代わりにガタガタと何かが動く音が聞こえてくる。未弧蔵は寝室のドアを慎重に開けた。

 

 寝室の入口から室内を見た限りでは、中には誰もいなかった。枠とスプリングが剥き出しのベッドと空のタンスだけがある殺風景な部屋だ、人が隠れられるようなところはない。目を凝らして探しても、ワイヤートラップや頭上に仕掛けられたタライはなかった。ただし、形容しがたい悪臭がぷんと漂っている。

 ガタガタという音は窓からするようだった。

 

「音立ててた人間が窓の外にぶら下がってる?」

「見てみるか……いや待て! ホラー映画だとこういうシーンは窓の下を覗くと誰もいねーんだ」

「ああ、それでほっとして振り返ると背後に忍び寄った化物と目が合ってギャー!」

「そうそれ。八坂は背後の警戒頼むわ」

「了解」

 

 未弧蔵が抜き足差し足で窓に向かうが、古い床がミシミシ音を立てるせいで全然忍べていない。未弧蔵がカーテンの隙間からそっと窓の下を覗くと、急にベッドがもの凄いスピードで動き、未弧蔵の背中に体当たりした。未弧蔵は悲鳴を上げ、窓を突き破って外に放り出される。

 

「うげあっ!」

「ベッドが動くのかよ! 分かるか!」

 

 部屋に飛び込もうとした一太郎は、まだガタガタ動いている窓とベッドを見てぐっと堪え、急いで一階に降りて二階の窓の下に向かった。窓ガラスの破片が散乱する道路に立つ未弧蔵を見て、一太郎はほっとした。

 

「焦った、無事か。不意打ちだったから死んだかと」

「無事じゃねーよ。腰おもっクソ打った。背中に雑誌入れてなかったら骨逝ってたかもしれねー。ファック!」

 

 未弧蔵は悪態をつきながら二階の窓を睨んだ。割れた窓は嘲笑うようにガタガタ揺れている。

 

「ファッキンポルターガイストが。ぶっ潰してやる!」

「待て待て待て、落ち着け」

 

 屋敷の中に戻ろうとする未弧蔵の服を掴んで止める。

 

「止めんな! 殺されかけたんだぞ? ベッドの奇襲にゃビビったが分かってりゃなんてことねー。タンスもベッドも窓枠も片っ端からぶっ壊して」

「それは多分根本的な解決にはならない」

「ああん? なんでだよ」

「考えてみろ。最初にズシンズシン音がしただろ。それで俺たちはホイホイ二階に行った。次に窓から音がした。窓に近づいたら後ろからドカン。要するに罠にハメられたわけだ」

「……で?」

「普通、攻撃されたら困るような場所そのものに罠を仕掛けるか? 仕掛けないだろう。攻撃されたら困る場所に行かせないために罠をかけるんだ。俺だったら監視しやすい、もし失敗して暴れられても困らないようなところに誘導して罠にハメる」

「ポルターガイストがそんな事考えるか? 脳みそねーだろ」

「いや、たぶん犯人は魚流田紅人だ。脳みそはある。もしくはあった」

「はあ?」

 

 未弧蔵が可哀想な人を見る目で一太郎を見た。

 

「ウォルター、死んでるじゃん」

「だから、その祟りなんじゃないか」

「ああ、そういう……八坂はオカルト否定派なんじゃなかったん?」

「気が変わった。流石にアレ見たら事故は疑えない」

「確かに。それで名探偵八坂の推理だとどうすりゃ祟りは止まるんだ。アレじゃおちおち寝てもいられんぜ」

「魚流田紅人は屋敷の地下に埋葬されてるって話がある。地下に行って、死体を見つけて……死体を清めるとか、火葬するとか、ちゃんとした墓地に移すとか?」

「肝心なとこ曖昧だなあ」

「忘れてないか? 俺、入学前の大学生。陰陽師じゃない」

「ま、とりあえず行くだけ行ってみるか。警察に相談しても悪戯としか思われねーだろうし」

 

 二人は台所の塩と、居間の十字架や仏像、ガムテープ、ごま油とライターを持ち、屋敷の地下へ向かう。

 一階から地下へ入るためのドアは、鍵一つと差し錠三本によって閉められていた。上の階からしか開けられないらしい。未弧蔵はスパナで鍵と差し錠をバラバラにしようとしたが、なかなか上手くいかず、蹴って壊した。地下に入った途端に入口が壊れ、地上に出られなくなるのはホラーの定番だ。予防するに越した事はない。ベッドで体当たりをかますような相手なので安心はできないが。

 

 地下への階段は壊れたものを簡単に直しただけの状態で、見るからにグラグラしていた。しかも蛍光灯が切れているのか、階段の明かりがつかない。

 薄暗い階段をまず未弧蔵が降りていくと、案の定階段が揺れた。しかし未弧蔵は壁に手をつき、巧みに足場を移して無事に下まで降りる。

 次に一太郎が降りると、また階段が揺れた。未弧蔵が簡単に降りていったので油断していたが、思ったよりも揺れが大きく、足を滑らせて転がり落ちる。が、下で待ち構えていた未弧蔵にキャッチされて怪我はせずに済んだ。

 

「昨日から落ちすぎィ! なんなん? ウォルターは落ちゲー好きなの?」

「そんな理由で落とされてたまるか。毎回死にかけてるんだぞ。洒落になってない」

 

 地下室はあまり大きくなく、雑多な道具類、塩ビ管、木材、釘、ネジなどが散らばっていた。横の壁はレンガだが、突き当たりの壁は木だった。階段の下に小さな物置があったが、そちらには埃が溜まっているだけでなにもなかった。

 二人がスマートフォンの明かりを頼りに墓石や床板がはがされたような跡がないか探していると、妙に目を引く古いナイフを見つけた。

 柄の部分にゴテゴテと飾りのついたナイフで、刃は異様に厚いサビで覆われている。

 

 一太郎はナイフを拾ってマジマジと見てみたが、変わった様子はない。ナイフを投げ捨てて他の物を調べようとすると、ナイフは床に落ちず空中でぴたりと止まり、一太郎に襲いかかってきた。

 

「おわああああああああ!」

「あああああああ!?」

 

 驚いた一太郎の悲鳴に驚いて未弧蔵も悲鳴を上げた。ナイフは一太郎の頬を掠め、宙に浮いたままUターンする。獲物を品定めする猛獣のように、切っ先を一太郎と未弧蔵に交互に向けた。

 

「うっそだろぉ! ベッドの次はナイフかよ!」

 

 未弧蔵は床に散らばったガラクタも動きだすのかと急いで周りも見回したが、不幸中の幸いで、動いているのはナイフだけだった。

 

「ふぬっ!」

 

 逃げたら背中から刺されると判断した一太郎は、心臓をバクバクさせながらナイフにフライパンのフルスイングを喰らわせた。ナイフは金属同士がぶつかる硬質な音を立てて飛んでいったが、空中で体勢を立て直し、未弧蔵に向かって襲いかかる。未弧蔵は頭を狙うナイフをしゃがんで回避した。

 

「やべえよやべえよ。八坂、叩き落せ!」

「合点!」

 

 再び一太郎がフライパンを振り、ナイフを床に叩きつける。ナイフが宙に再び浮かび上がる前に、すかさず未弧蔵が踏みつけて動きを止めた。ナイフは抜け出そうと暴れるが、しっかり靴と床の間に挟まれていて脱出できない。未弧蔵はポケットからガムテープを出すと、踏みつけたまま、絡みつくようないやらしい手つきで器用にぐるぐる巻きにした。更に他のガラクタと一塊にしてがんじがらめに貼り付ける。ナイフはしばらく暴れていたが、すぐに動かなくなった。

 

「ふー……殺意高いな。八坂ぁ、無事か」

「なんとか。と、とりあえず他のガラクタが動き出しても大丈夫なようにしよう。不意打ちは心臓に悪い」

 

 二人はガラクタを集め、階段したの物置に放り込んで扉を閉めた。これで少なくとも奇襲はない。

 ガラクタのなくなった地下室は殺風景で、死体の指先のカケラもなかった。地下室のどこかに魚流田紅人の死体が埋葬されているのは確かなはずなのだが。

 

「床板めくって掘り返してみるか?」

「いや、まずは隠し通路か隠し部屋があるか探そう。本格的な調査は専門家呼ばないとどうにもならないけど、指で叩いて音を確かめるぐらいはしてみてもいいと思う」

「OK」

 

 専門家を呼ぶ必要はなかった。二人が指で壁や床を叩いて音を確認していると、地下室の突き当たりの木の壁から明らかに空洞がある音がした。考えてみればその壁だけ他の壁とは違い、レンガではなく木である。疑って見てみれば、元々大きな一つの部屋だったところを板で塞いで壁にしたような印象を受けた。

 

「これはあからさまに怪しい。木の板か。ノコギリあったかな」

「いらねーよ。オラァ!」

 

 未弧蔵は躊躇なく木の壁を蹴破った。中からチューチューという鳴き声がしたので警戒して飛び下がると、奥から十数匹のネズミがちょろちょろと走り出てきて、足元を駆け抜けて一階へ消えていった。どうやらネズミの巣があったらしい。

 しばらく身構えていたがそれ以上は何もなく、未弧蔵は乱暴にヤクザキックを壁に繰り返し、人が通れるぐらいの穴を開けた。仮にも屋敷の持ち主として一太郎は微妙な気分になったが、文句は言えない。この屋敷に潜む悪霊は、明らかに一太郎達を殺しに来ている。多少乱暴な手段を使ってでも迅速に解決しなければ命が危ない。屋敷から逃げたとしても、それで祟りが収まる保証はないのだ。取り憑かれるかもしれない。

 

 穴の前で耳を澄ませ、効果はあるか分からないが塩を撒いて十字架を掲げながら奥の隠された部屋に入る。

 奥の部屋は、床が土が剥き出しになっていた。中央の藁布団の上に人型のモノが横たわっているだけで、他には何もない。

 横たわったそれは、身長約180cmほどで、死体のようだった。木で出来ているような感じのやつれてしなびた身体をしている。痩せていて、裸で、見開いた大きく燃えるような丸い目をしていて、鼻はナイフの刃のように鋭く尖っている。髪の毛は一本も無くなっており、歯茎が歯周病のように後退し、黄ばんだ歯が異様に長く見える。その死体からは、どこかで嗅いだような不快な臭いが漂ってくる。一太郎はすぐにそれがベッドが動いた部屋のあたりで嗅いだ異臭と同じものだと気付いた。

 間違いない。怪異の元凶、魚流田紅人の死体である。

 

「埋葬されてねーじゃん……」

「やっぱりしっかり埋葬して成仏させるパターンか。いやいっそ燃やすか。あの死体、何か変だ」

「油とライターは持ってきたけどさあ、ここで燃やしたら屋敷も燃えるんじゃね」

「あー。外に持っていくか」

「持ってくってお前、あれ触んの? 呪われそう」

 

 ひそひそ話す二人の前で、魚流田がガタガタ震え、むくりと起き上がった。燃えるようなギラギラした目で二人を睨みつける。そこには明らかな悪意と、邪悪な生気が宿っていた。

 二人はびくりとしたが、取り乱さなかった。ベッドもナイフも動いたのだから、死体ぐらい動くだろう、という変な達観があった。

 魚流田の動きはぎこちない。木の壁を破って作った穴は狭く、余裕を持って通れるほどの広さはない。逃げたらもたもたしている内に背中から狙われる。先手必勝、逆に未弧蔵が魚流田に襲い掛かり、スパナで全力で腹を殴りつけた。

 ガアン、というとても人間の身体をなぐったとは思えないような重低音がした。魚流田は身体の一部が申し訳程度に欠けただけで、よろめきもしない。

 

「うわ、かってぇ!」

「ゾンビなら頭だ!」

 

 続いて一太郎が接近する魚流田の頭部をフライパンで殴る。地平線の向こうにホームランする勢いで殴ったにも関わらず、まるで鉄の塊を叩いたような感触だった。まるで効いた様子がない。

 近寄ってきた魚流田が未弧蔵に鉤爪を振るう。避け損なった未弧蔵は腹の雑誌を切り裂かれ、その下に血を滲ませた。

 

「んぐあ!」

「根津!」

「大丈夫だ! 大した事ねー! ゾンビっつっても男なら!」

 

 未弧蔵がスパナを下からすくい上げるように振り上げ、魚流田の股間を強打する。しかしやはり効果は無かった。魚流田は嘲笑うようにゲタゲタと調子の狂った笑い声を上げる。

 

「やっぱ効いてねぇ! んだよこいつ無敵か!?」

「そんなわけあるか! 無敵だったらこんな所に引きこもってるはずがない! もっと派手に……何かしてる!」

「弱点突かないと死なない系か!? 弱点どこだよ! 解析! 解析はよ!」

「……! OKちょっと耐えてくれ!」

 

 根津の言葉で、一太郎は目に意識を集中させた。人の皮の本。幽霊屋敷。人以外でモヤが見えた時、どちらもオカルト的なものだった。この力で魚流田を視れば、何か分かるかも知れない。

 しかし焦って集中が疎かになり、焦点が合わずうまくモヤが視えて来ない。

 魚流田は身の毛もよだつような笑い声を上げながら未弧蔵に鉤爪を振るい、未弧蔵の染められた金髪をひと束持っていった。

 

「おいまだか! 死ぬ!」

「すまんもうちょい!」

 

 深呼吸して意識を落ち着かせ、もう一度目に力を込める。今度は成功し、魚流田が持つモヤが見えた。人間が纏うモヤよりも格段に禍々しく、屋敷を覆っていたモヤを濃縮したようだった。モヤの力強さは常軌を逸しているというほどでもないが、モヤとは別に、何か膜のようなものが魚流田を覆っているのが見えた。

 未弧蔵が牽制にスパナを突き出す。スパナは膜に当たり、跳ね返したが、代わりに膜が薄く弱々しくなったのが分かった。あれを削りきれば。

 

「バリア張ってるけど弱まってる! タコ殴りで押し切れる!」

「おっしゃ! 八坂ぁ! 手ェ貸せ!」

 

 魚流田の鉤爪を回避し、カウンターでスパナを振るう。しかし綱渡りの戦闘で汗がにじんだせいで、未弧蔵の手からスパナがすっぽぬけた。スパナはくるくる回って壁にぶつかり、ぽさりと遠くの地面に落ちる。

 

「んげ!」

「おい根津ぅうう! これからって時に何やってんの!」

 

 叫びながら一太郎がフライパンで強かに魚流田を殴りつける。すると何度も攻撃を無効化し弱まっていた膜が消失し、魚流田の身体がはじめてバランスを崩した。怒ったように、焦ったように、魚流田の哄笑がますます大きくなる。

 スパナを拾いに行こうとした未弧蔵は横から鉤爪攻撃を受けて肩を裂かれた。激痛で意識が遠のくが、歯を食いしばって耐えた未弧蔵は、スパナを拾うのを諦めて素手で魚流田の頭を殴った。

 

「イマジンブレイカァアアア(物理)!」

 

 未弧蔵の拳が真正面から魚流田の顔面に突き刺さり、吹き飛ばす。そこにすかさず一太郎がフライパンで追撃を入れる、魚流田はよろめきながら無理な体勢で鉤爪を振るったが、当たらない。

 起き上がった死体と言っても、ベースは人間だったらしい。二人にしこたま殴られると、力尽きたように動かなくなった。

 

「やったか?」

「おい馬鹿やめろ」

 

 肩を押さえながら荒い息をつく未弧蔵がフラグを立てたが、杞憂だったらしい。魚流田の身体はあっという間に崩壊し、塵になった。一太郎の目にも魚流田の邪悪なモヤが消失し、屋敷全体を覆っていた薄いモヤも消え去るのが分かった。屋敷に憑いていた悪霊は、退治されたのだ。

 崩壊する魚流田を見て、未弧蔵と力なく笑いあった一太郎は、塵の中に黒い貴石が紛れている事に気付いた。緊張の糸が切れ、警戒心を失っていた一太郎は無用心にその石を拾い上げる。すると、石は手の中で溶解し、一太郎は自分の身体を覆うモヤが少し力強さを増した事を自覚した。

 

「なんだ今の」

「ドロップアイテム的なもの、かな。たぶん」

「なんだそれ。よくわかんねーけど終わったんだよな? 悪いけど救急車呼んでくんね? もうマジ無理。意識トビそう」

 

 へたりこんだ未弧蔵の服が鮮血で真っ赤に染まっている事に気づき、一太郎は慌てて救急車を呼んだ。未弧蔵に肩を貸し、階段を登って一階に出る。

 遠くから聞こえる救急車のサイレンを聞きながら、一太郎は家賃五千円の対価としては危険すぎる冒険だったな、と疲れきったため息を吐いた。

 




――――【八坂 一太郎(18歳)】スタート

STR8  DEX10  INT18
CON9  APP7  POW18
SIZ14 SAN80  EDU17
耐久力12

呪文:
 透視

技能:
 医学 65%、オカルト 15%、生物学 71%、化学 51%、聞き耳 55%、信用 45%、
 心理学 55%、精神分析 31%、説得 35%、図書館 85%、目星 85%、薬学 61%、英語 21%


――――【八坂 一太郎(18歳)】リザルト

STR8  DEX10  INT18
CON9  APP7  POW19
SIZ14 SAN76  EDU17
耐久力12

所有物:
 損傷の激しいエイボンの書(ラテン語版)
 魚流田紅人の日記

呪文:
 透視、空鬼の召喚/従属

技能:
 医学 65%、オカルト 25%、生物学 71%、化学 51%、聞き耳 55%、信用 45%、
 心理学 55%、精神分析 31%、説得 35%、図書館 85%、目星 85%、薬学 61% 英語 21%
 説得 19%、ラテン語 8%、クトゥルフ神話 9%

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――――【根津 未弧蔵(21歳)】スタート

STR12 DEX16  INT9
CON12 APP13  POW11
SIZ13 SAN55  EDU13
耐久力13 db+1d4

技能:
 言いくるめ 75%、応急手当 40%、回避 42%、鍵開け 71%、隠す 65%、聞き耳 45%、忍び歩き 50%、目星 55%、いやらしい手つき 50%

――――【根津 未弧蔵(21歳)】リザルト

STR12 DEX16  INT9
CON12 APP13  POW11
SIZ13 SAN49  EDU13
耐久力13 db+1d4

所有物:
 魔法のダガー……命中率=現在MP×5%、ダメージ=1d6+2、コスト=1ラウンド毎に1MP

技能:
 言いくるめ 75%、応急手当 40%、回避 42%、鍵開け 71%、隠す 65%、聞き耳 45%、忍び歩き 50%、目星 55%、いやらしい手つき 52%
 跳躍 31%、こぶし 58%、クトゥルフ神話 4%

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