何かの呼び声   作:クロル

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3-2 フルメタルクトゥルフ

 田所浩二は暴力団谷岡組の構成員である。

 浅黒い肌に逞しい上半身。ヤンキー時代に組長である谷岡に拾われ、以来恵まれた体格を生かし武闘派として鳴らしてきた。極真空手と並ぶ二大流派、迫真空手を身に着けた田所の容赦無い実戦空手は有名で、敵対組織にはその暴れぶりから「野獣」と称され恐れられた。

 

 しかしそんな田所も秘密結社HPLなる謎の組織との抗争の際、両目に矢を受けてしまい失明。昏睡からの大手術とそれに伴う長期の入院を余儀なくされる。田所は最新式のバイザー型視界補助器具を装着する事でなんとか視力を取り戻す。そうして生死の境から這い上がってみれば、谷岡組は既に空中分解、離散していた。

 田所は嘆き悲しんだ。あまりの理不尽に吠え猛り、一時は錯乱してお気に入りの枕を八つ裂きにするほどだった。しかしすぐに立ち直り、尊敬する親分、谷岡の後を追った。谷岡ならば必ず再起に向けて奮闘しているだろうという確信があった。

 

 調べによると、田所が昏睡状態の間に谷岡は北海道の打権村に赴き、現地で得た構成員と共に密造酒の販路を開拓したようだった。

 流石親分は格が違った。田所は敬愛を新たにし、さっそく谷岡の下に馳せ参じ……ようとしたのだが、夕方に訪れた東京都世田谷区下北沢にある谷岡の邸宅はもぬけの空だった。

 

「おかしい……おかしくない?」

 

 邸宅の明かりはついている。が、呼び鈴を鳴らしても反応が無かったためドラノブを捻ってみると、不用心にも邸宅の鍵は開いていた。警戒心が高まる。谷岡は鍵をかけ忘れるような間抜けではない。

 田所は秘密結社HPLとの抗争を思い出した。抗争中は不自然な失踪や、怪奇現象が多発した。まさか再び奴らの魔手が伸びたのでは。田所はケツの穴を引き締め、心の中で谷岡に不法侵入を謝り、邸宅に踏み入った。

 

 邸宅は全盛期の谷岡が金にあかせて建てたモダンな造りのもので、独り暮らしには不相応なほどに大きい。田所はよく招かれて酒盛りをしており、勝手は知っている。

 ポストには定期購読している朝刊がねじ込まれている。朝刊の見出しは全て最近連続している通り魔事件に関するもので、つまりは三日前から投函されたまま回収されていない事が分かる。三日前に何かあったのだろうか? 玄関から見渡した限りでは荒らされた様子もない。ただ、見なれない靴が一足、踵を揃えて置かれていた。大人の男のものだ。

 谷岡の新しい靴だろうか。それとも招かれざる客のものか。

 

 懐に忍ばせた拳銃を触り、足音を忍ばせ奥へ進む。住宅地の、しかも谷岡の邸宅で発砲沙汰は避けたい。だが、もし谷岡が窮地に陥っているならば躊躇なく撃つ覚悟を決めた。

 廊下の突き当り、居間へ続くガラス戸の向こうから、人の気配がした。耳を澄ませる。人数は1。紙が捲れる音。何かが、恐らくソファが軋む音。戸の隙間から微かに漂う紅茶の香り。

 どうやら中の人物はソファに座り紅茶を飲みながら本を読んでいるらしい。谷岡に留守を任された何某だろうか。それにしては呼び鈴にも反応しない、鍵もかけない、と怠慢極まりない。

 

 何にせよ相手が一人ならば敵対しても制圧できる。そう踏んでガラス戸を開け放った。

 中に居たのは細身の男だった。白のTシャツに黒のカーゴパンツというラフな服装で、歳の頃は四十半ばほどだろうか。顔立ちも並よりは上だが普通のおじさんといった風だが、何か形容し難いスゴ味がある。修羅場を潜ってきた田所には直感的に分かった。この男、只者ではない。

 

「誰だお前」

「こんばんは。私は八坂一太郎。ただの資産家だ。君は……谷岡氏の部下かな?」

 

 直截な問いに答えた男は立ち上がり、張り付けたような無機質な笑みを浮かべ田所に手を差し出した。田所は警戒してその手を握らず、更に問いかける。

 

「田所だ。資産家が谷岡兄貴とどういう関係? 肉体関係?」

「おいやめろ! 谷岡氏には金を貸していてな。回収しに来たのだが不在で、こうして帰ってこられるまで待たせてもらっている」

「ええ……なんで居座ってんの? ここ谷岡兄貴の家だぞ。不法侵入?」

「何を言う、君達のような者にとっては居直りは常套手段だろう」

「おっそうだな」

 

 屁理屈に近かったが妙な『説得』力があり、あっさり『言いくるめ』られてしまった。珍客・八坂一太郎は依然変わりなくッ! 怪しかったが、あまりに堂々としているためなんだか面倒臭くなり、警戒を緩める。八坂の対面のソファにテーブルを挟んで座り、拳銃を見せびらかすように弄ぶ。それを見ても八坂に怯えた様子はない。

 

「タバコいっすか?」

「どうぞ」

 

 八坂が言った時には既に田所は火をつけていた。煙を吸い込み、満足気に吐き出す。

 

「おっさん、兄貴がどこ行ってるか知らない?」

「知っていればこんなところで待ちぼうけてはいない。しかし心当たりはある」

「ほんとぉ……?」

 

 ネットリ尋ねると、八坂はしっかり頷いた。

 

「谷岡氏は最近マホロバ株式会社を調べていたようだ。特に義肢部門だな。最近超高性能義肢を売りに出してちょっとしたニュースになっていただろう? それ関係を追っている、という話を聞いていた。何か後ろ暗い背景があって、それをタネに脅そうとしているような口ぶりだったな。近いうちに金が入りそうだ、とも」

「あーいいっすね~!」

 

 金! 金! 金!

 谷岡組復権に金は欠かせない。何をするにしてもまず金だ。金があって困る事はない。その出処がどうであれ。バイザーを点滅させ喜ぶ田所に八坂は続けた。

 

「が、三日前から連絡が取れなくなった。それでまさかと思いここを訪ねた訳だ」

「あ、そういう事? 兄貴がなんだっけ、その、マホロバ? にヤられちまったって事? やべぇよやべぇよ……」

 

 慄く田所。谷岡は田所ほど武闘派ではないが、拳銃の扱いに長け、クソ度胸と人徳がある。それが返り討ちとなると話は穏やかではない。

 

「状況証拠から見て谷岡はマホロバと何かしらで揉めたのだろう。しかし物証がない。警察を頼るわけにもいかん。そこでどうだろう、谷岡氏を探して金を返すよう言ってもらえないだろうか。察するに私が頼まずとも谷岡氏を探しに行きはするのだろう? そのついでだ」

「いや探さないよ? 絶対ヤバい会社じゃん。正直関わりたくないわ」

 

 きょとんとして言う田所に八坂は頭を抱えた。田所は谷岡を慕っていたが、自分の命も大事だった。

 

「はーこのクソチキン……恐らく谷岡氏は危機に陥っているんだぞ。舎弟だろう、助けに行けよ」

「あー、そうだった。どうすっかなー俺もなー。死にたくねぇしなー。イマイチやる気出ないわ。伝言伝えたら報酬とか出ないの?」

「図々しいなおい。分かった報酬もやろう。そうだな、十万やるから行ってこい」

「十万? もう一声!」

「あーもう面倒臭いなこの探索者! 導入シーンで手こずらせるんじゃねーよ! オラッ前金だ喜べ!」

「あぁ~! 札束の音ォ~!」

 

 ここぞとばかりに話を拗らせる田所に苛ついた八坂による札入り封筒で頬を叩かれ、交渉成立。田所は改めて谷岡の行方を追う事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆(りんどう)瑠璃(るり)は私立探偵である。二十五歳になる成人女性だが、女性としても小柄な身長と童顔で学生に間違われる事が多い。縁なし眼鏡は『頭が良さそうに見えるから』という頭が悪そうな理由でかけているが、実際、竜胆は飛びぬけて頭が良かった。

 

 竜胆は知能の発達が早く、好奇心旺盛で、知りたがりだった。親は喜んで本を買い与え、塾に通わせたが、塾の方はすぐに辞めた。授業を受けるよりも教科書と参考書を読み込む方が遥かに早く確実に知識を身に着け血肉にする事ができたからである。竜胆にとって塾の特別進学クラスの授業は簡単過ぎ、退屈過ぎた。例え学年が二つ上の授業であっても、だ。

 竜胆は校内では図書室に、放課後や休日は図書館に入り浸り、本という本を読み漁った。中でもお気に入りは本格推理小説であり、知識と知恵を駆使し事件を華麗に知的に解決していく名探偵達に魅了された。

 竜胆は中学卒業後、すぐに渡米した。そして若くして世界最高学府たるハーバード大学で心理学を専攻し、博士号を取得。卒業後は大学のポスト、大企業の顧問、各種研究機関にと引く手あまたであったが、全てを断り日本に戻り、幼い頃からの夢であった探偵業を開業。現在に至る。

 

 体力も筋力もなく足で稼ぐ地道な調査は苦手で、一度荒事で右手を失い義手に換装する羽目になった事すらある。反面、ハッキングや依頼人からの口頭で得た僅かな手がかりから的確に推理を行い真実を導き出すその様は探偵小説の世界の住人と言っても差し支えない。

 彼女は新進気鋭ゆえに知名度こそ高くないものの、個人規模の捜査実力だけで見れば世界有数の、もしかすると一番の探偵であり、それは正に竜胆が幼い頃思い描いた「名探偵」の姿そのものであった。

 

 さて、そんな名探偵竜胆瑠璃であるが、親戚の宮本葵から紹介された男を事務所に招き、依頼内容を聞いていた。

 男は名を八坂一太郎と言った。宮本葵とは古い付き合いで、親戚の集まりで確かにその名を耳にした事がある。身元のはっきりした依頼人は歓迎だ。

 

 しかし注意しなければならないのは、宮本葵から彼の動向に気を付けるよう警告を受けている事だ。

 最近八坂の様子がどこかおかしいらしい。紅茶に睡眠薬を混ぜ、眠っている内に身体検査をする事すら試みたらしいが、成人男性が間違いなく昏睡する量の睡眠薬を摂取してもなお八坂は眠気に襲われる様子すら無かったという。何食わぬ顔でテーブルに置いてある来客用の梅のど飴を舐めている男はしかし何かしらの異常事態にあるのだ。

 

「今回の依頼内容はマホロバ株式会社の内部調査です」

 

 そう言って八坂は封筒の封を解き、数枚の書類を提示した。

 竜胆は書類をざっと読みながら尋ねた。

 

「ふむ。古巣の調査とは穏やかではないね。不正の疑いでも?」

 

 竜胆は宮本から紹介された時点で八坂の軽い身辺調査を行っていた。妙な事件に巻き込まれた経験が多い事が目を惹いたが、かつてマホロバ社に勤めていたという経歴も注目に値する。『お前の事は知っているぞ』と言外に圧をかけ反応を窺ったが、八坂は至って平均的な反応しか見せなかった。

 

「そうなんですよ。在職時のツテで知ったのですが、どうやらマホロバ社の研究所では危険な人体実験をしていて、犠牲者まで出ているようなんです。全く許せない! 人の命をなんだと思っているのか! しかし私一人で不正を暴くのは難しい。そこで竜胆さんのお力をお借りできればと」

 

 八坂の口からスラスラと綺麗事が並べ立てられる。竜胆は頭からこの壮年の男を疑ってかかっていたが、演技臭さも隠し事も全く読み取れなかった。この男は『信用』がおける。そう感じた。竜胆は警戒を緩めた。

 

「いいだろう。調査費用は一日四万、経費は別途請求する事になるが?」

「ではひとまず三日分、そうですね、色を付けて十五万をお支払いしておきます。それと同じくマホロバを調べている男がいまして、彼と協力するのも良いのではないかと思います。どうするかは竜胆さんにお任せしますが、彼の連絡先は渡しておきますね」

 

 八坂は気前よく調査費用を前払い一括で置いて去っていった。

 それを愛想笑いで見送った竜胆は、八坂の姿が消えた瞬間に笑みを消した。窓際に立ち、キセルにペパーミントを入れて火をつけ、刺激臭で灰色の脳細胞を活性化させ黙考する。

 マホロバ社といえば日本を代表する大手電子機器・電機メーカーである。マホロバ製品は卓越した技術に裏打ちされたブランド力で世界を席巻し、海外でも高い人気と信頼を勝ち得ている。年商は一兆円近い。後ろ暗い事の一つや二つやっていても何の不思議もない。

 もちろん、不思議ではないだけで許される事ではない。特に八坂の言葉通り、本当に人体実験で死者を出しているならば。

 

 調査は慎重に行う必要があるだろう。竜胆の右の義手もマホロバ製だ。他社製品と比べると精密性・強度など全てが何段階も上回り、最早日常生活を送る上で切っても切れない。マホロバ社の一部門が不正を行っているからといって全てが腐っているとは限らない。真相を暴きつつ、事を荒立てないよう穏便に解決する必要がある。マホロバには恩があるのだから。

 差し当たってはまず八坂に紹介された男と接触を試みるところからだ。

 考えをまとめた竜胆はインバネスコートを羽織り、ハンチング帽を目深に被り、キセルを懐に入れ、電話をかけながら事務所を出発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 正午、喫茶店で待つ竜胆の元に目立つバイザーをつけた浅黒い肌の男がやってきた。電話口で特徴を聞かされてはいたが、なるほど確かに見れば分かる。

 竜胆がキセルを振ってみせると、男はすぐに気付いて店員に一言断り、いそいそと席についた。

 

「あっ、どーもどーも田所浩二ですよろしく~」

「ああ、よろしく。竜胆瑠璃だ」

 

 馴れ馴れしく差し出された手を笑顔で握る。田所の到着までの間に軽くネット上で情報を漁ったところ、どうやら暴力団谷岡組に所属する鉄砲玉らしい。危険な男だが、不思議と身の危険は感じなかった。装着しているバイザーがカタログで見た事のあるマホロバ製視界補助器具であり、同じマホロバユーザーとして親近感が持てる事が一つ。どうにもホモ臭く女性としての身の危険が無さそうな事がもう一つだ。

 奇妙な事に初対面だというのに同じ情報を探索する者としての形容し難い連帯感があった。田所も同じ感覚を抱いているらしく、すぐに協力して事にあたろうという事で話はまとまった。

 一通り情報を交換し、竜胆はキセルを取り出しペパーミントを詰めながらつらつらと考えを述べる。

 

「短絡的に我々が知り得る情報を結び付けるならば、マホロバを探っていた谷岡氏は逆にマホロバに囚われ、人体実験に利用された。と、こういう筋書きになるか」

「義肢部門ってとこが怪しいんだよな。とりあえず殴り込み行く?」

「そんなとりあえず生! みたいに言うものではないよ君」

 

 何も考えずにノコノコ出て行けば谷岡氏の二の舞になりかねない。まだ谷岡氏がマホロバに囚われたという確たる証拠を掴んだわけではないのだが。

 調査し、考える事こそ探偵の本領。熟考の上で慎重に事を運ばなければならない。

 

「義肢部門は調査対象候補として上げておこう。あと調べるべきは、そうだね、人体実験を疑うとして会社ぐるみで行っているのか、一部門の暴走なのかははっきりさせておきたいところだ。本社の経営状況、義肢部門の提携・協力先を洗い出し、敵と味方をはっきりさせておくのは重要だろう。ハッキングないしは社員に小金を掴ませ情報を引き出す、といった手が使えるな」

「はえー……すっごい頭良さそうな作戦……俺役に立つとこある?」

「実力行使の面で期待しているよ」

 

 どれだけ策を巡らそうと、竜胆は小柄でひ弱な女性である。推理を披露し犯人を追い詰めたとしても、逆上した犯人に襲われたら死ぬ。武闘派ヤクザである田所が睨みを利かせてくれる状況は実際大変ありがたかった。

 

「なるほどなー。ところでさあ……お前さっきからチラチラ俺達の事見てるだろ」

 

 深々と納得した田所は急に竜胆の背後に声をかけた。竜胆が振り返ると、観葉植物を挟んだ後ろの席で聞き耳を立てていた女性がびくっと痙攣し目を泳がせる。

 

「えっ!? み、見てないです」

「嘘つけ絶対見てたぞ。何か言いたい事あるなら言えよほらほら」

 

 腰を浮かせ前のめりになって威圧する田所。大柄で屈強な男の威圧はそれはもう恐ろしかった。

 しばらくモジモジしていた女性だったが、声をひそめて言った。

 

「あの、実は竜胆さんが事務所を出てから尾行していたんですけど――――」

 

 竜胆は田所のバイザーが自分に向けられるのを務めて意識しないようにした。頬が赤くなる。探偵ともあろうものがいかにも素人らしい女性の尾行に気付かないとは不覚。

 

「話を聞いて私も協力できないかな、って……」

「OK!」

「いやOKではないだろう」

 

 即答した田所を制し、立て続けに質問をぶつける。

 

「何故私を尾行した? 何故協力しようと思った? 仮に協力するとしてどのような協力が可能だと言うんだい?」

「最初はお父さんを尾行してたんです。お父さんが何か依頼をしていたようなので、気になって竜胆さんを尾行しました。ごめんなさい。協力しようと思ったのは……お父さんはいつも私に秘密にしてる事が多すぎて。特に、なんて言うのかな、オカルト的な……神話的な? 事件には関わらせてくれないんです。私も知りたいのに、心配なのに。お父さんが一人で全部やって大丈夫なはずがない。だからこの調査を通して少しでもお父さんがやってる事、やろうとしてる事、考えてる事を知れたら。だから協力しようと思いました」

「ふむ……君、名前は」

「八坂。八坂蓮です」

 

 竜胆はすぐに八坂一太郎の義理の娘の名前と彼女の名前が一致する事に思い至った。資産家である一太郎の娘と考えれば、彼女の上品な身なりも頷ける。親戚の宮本が時折幼少時の彼女を預かっていたという話もあり、あながち竜胆と無関係という訳でもない。

 つまりはお父さんのナイショのお仕事の内容を知りたい、お父さんが心配、という動機らしい。尾行理由と合わせてひとまず整合性は取れている。

 

「本人に親父ィ何やってんのー、って聞けばいいんじゃないの?」

「聞いても絶対に教えてくれないんです」

「あっそっかぁ。そら尾行したくもなるわな」

「なるか?」

 

 普通は秘密を暴くために尾行などしないだろう。八坂蓮は同性から見ても整った美貌に行動力まで伴ったお嬢様らしい。

 

「あと私にできる事ですけど、古書修復が得意です! ラテン語と英語もできます。古本屋に勤めているので、稀覯本の知識もあります」

「なるほど。それが日本の誇る大企業の内部調査にどう役立つと?」

「……役に立たないです。あっ潜入とか得意です! こう、メイクの応用で変装したり、足音を殺してささっと動いたり」

「ふむ。しかしだね、私としても依頼人の娘を組織的犯罪捜査に連れ歩くわけにもいかないのだよ」

「でも、」

「まあ待ちたまえ。とはいえ、だ。君の行動力とこの浅黒い大男にも怯まない胆力から察するに、我々が同行を拒否すれば単独でマホロバの暗部を追う事は想像に難くない。明らかに危険な状況になった時にはこちらの指示に従う、という条件付きで同行を許可しようと思う。家族を心配し、隠し事が気になるその気持ちも理解できる。どうかな、田所君」

「いいんじゃない? 俺早くマホロバ調べに行きてぇわ」

 

 田所はせっかちな性格らしい。囚われの身になっている可能性がある兄貴分の事がそれだけ心配なのだろうが。

 話し合いは大切だが、話し合いだけで事態の進展は望めない。田所の言う通り三人はさっさとマホロバの調査を開始する事にした。

 

 マホロバの義肢部門が怪しいという話だったため公式サイトを調べたところ、二年ほど前に開発部門から独立した小さな部署だと分かった。

 高い評価を得ているマホロバ製義手ではあるが、その開発を担っている義肢部門の社員数は不自然なほど少ない。竜胆がマホロバ社のサーバーをハッキングして更に探りを入れたところ、主任研究員の『神崎 正道』が本社からの厚いサポートの元で開発を一手に担っているらしい。投資金額が非常に多く、大きな期待を寄せられている事が分かる。さぞ有能な研究員なのだろうが、流石に多様なマホロバ義肢の開発をたった一人で全て行っていると考えるのは無理がある。何かしらのカラクリがあると考えて然るべきだ。

 義肢部門の設計図や事業計画などの細部はネットから独立したスタンドアローンのコンピュータに保管されているらしく、そこまでは掴めなかった。

 

 一方、田所と蓮はマホロバ支社内にある義肢開発局を訪ねた。

 田所はマホロバ製の義肢ユーザーである。不調を訴え、点検を要求すれば内部に潜入ないしは研究員に会う程度はできるものと思われた。

 が、ダメ!

 受付嬢に追い返されてしまう。

 

 曰く、高性能がウリのマホロバ製義肢であったが、ここ数日不調を訴える顧客が急増し、あまりのクレームの数に一時メンテナンスの受付を停止しているという。

 後日公式に対応の発表があるため、それを待って欲しい、という話だった。

 確かに田所のバイザーも壊れたというほどのものではないがどうも反応が悪い。時折奇妙に震えたり、妙な映像が映し出されたりするのだ。

 ここぞとばかりにクレームをつけ金を巻き上げようとする田所であったが、「弁護士を呼びます」の一言で打ち据えられた子犬の如く弱々しい鳴き声を上げて撤退する他無かった。ヤクザ者である田所には探られて痛い腹しかない。

 

 そして田所が騒ぎを起こしている間に、八坂蓮は社員のフリをして潜入調査をした。

 結果、公式には支社内部にあるはずの義肢開発局が倉庫になっている事が判明する。最近移転したのかといえばそんな事もなく、実際の義肢開発局がどこにあるのか誰も知らない。これもまた疑わしい新事実だった。探れば探るほどマホロバは怪しい。

 

 それぞれが一通り調査を行った後、一行は東京某所の公園に集まり捜査結果を報告しあった。

 情報共有を終え、さあこれからどうするか、という話に入ろうとしたところ、茂みの中から飛び出してきた男の奇襲を受けた。

 

 その男は青白い顔に目だけがギラギラと輝き、焦げ跡のある服にべったりと血のりをつけ、早口にぶつぶつと意味の分からない事をまくし立てている。

 完全な不意打ちで組み敷かれた田所は、工具を無茶苦茶に振り回す狂気の男にビビり散らす。

 

「ア、アバーッ! 怖い!」

「落ち着きたまえ、田所君! 押し返すんだ! それでもスジ者かい!?」

 

 竜胆は助けに行きたいのは山々であったが、貧弱な自分では振り回す工具の一撃で昏倒しかねない事を承知していた。

 一体男は何者か? 調査に勘付いたマホロバの刺客なのか? 真実を知るため観察に勤める。なお八坂蓮はオロオロしていて役に立たない。

 様子を窺う竜胆は、男の服と体についた焦げ跡と火傷の特徴から、彼が強力な電気を浴びたのだと見抜いた。更に完全に正気ではなく工具を無茶苦茶に振り回しているが、それは攻撃しようとしているよりもむしろ田所のバイザーを破壊しようとしているように見える。

 

「怖……くないッ! オラァ!」

 

 一転攻勢ッ! 奇襲のショックから立ち直った田所が拘束を振りほどき、汗臭く逞しい筋肉を十全に生かし逆に男に密着して組み伏せる。

 マウントを取った田所はねっとりした笑みを浮かべた。

 

「へへっ、さぁてどうしてやろうか」

「田所さん、その男、最近の通り魔事件の犯人です! ニュースで見ました! 気を付けて下さい!」

 

 八坂蓮が叫び、二人は男の顔をまじまじと見た。男はどう見ても気が触れている。

 何か引っかかりは覚えるが、白昼堂々人に襲い掛かる危険人物を捕獲できたと考えれば不幸中の幸いだろう。

 

「あ゛ーッ! あ゛ーッ! ダメだダメだダメだ俺っ、俺が止めるんだ止めなければ離せ離せ……離せェェエ!」

「ふぁっ!?」

 

 完全に男を組み伏せていた田所だったが、絶叫と共に尋常でない力で跳ね起きた男に吹っ飛ばされた。

 男は足を逆関節に屈脚させる有り得ない走り方で、集まりはじめた野次馬を跳ね飛ばすようにして信じがたい速度で逃げていった。

 田所はその様子と組み伏せていた時の感触から、男の両足が義足であった事を知った。

 

「なるほど。アレでは警察の捜査から逃げきる訳だ。まあ逃げていったならば危険人物をわざわざ追う事もあるまい。我々はマホロバの調査に集中して――――」

「あの男の両足さあ、義足だったわ。たぶんマホロバ製」

「――――何をしている!? 奴を追うぞ!!!」

 

 明らかにマホロバに関係する手がかりである。一行は急いで男を追った。

 とはいえ到底人間には出せない超スピードで逃げ去った事に加え、出遅れて見失ってしまった。

 街中の一角で三人は周りを見回すが、どこにも男の姿は無かった。

 

「いやこれ追いつけないでしょ。どこに逃げたかも分かんないしさあ」

「いいや、逃走先の特定は可能だ。初歩的な事だよ、田所君。闇雲に追っても効率が悪い。逃走する者の心理を考えるんだ。真っすぐ逃げるか? いや違う。小道に入る、人目を避ける、そして緊急時に脳裏に閃く逃走先は最も馴染み深い安心できる場所だ。彼は正気では無かったが、茂みに隠れ奇襲をかける程度の理性はあった。ならば、そう、例えばこんな細道は正に……見通しの良い直線は通らないと仮定し……そら、痕跡を見つけた」

 

 竜胆の卓越した観察眼と追跡能力により、三人は過たず見失った男の足跡を辿る事に成功した。

 八坂蓮は尊敬の目を向け、田所も称賛を隠さない。

 

「すげぇ! 探偵みたいだ!」

「探偵なんだが」

「そうだったわ」

 

 痕跡を辿り到着したのは、大通りから離れ奥まった場所に建てられた小さな建物だった。

 手がかりは建物の前で途切れている。

 

「奴の本拠地、か?」

「表札も看板も無いですね」

 

 建物は住居というより何かの施設のようだった。窓は少なく、デザインは簡素で、中に何があるのか窺い知るのは難しい。

 周囲に隠れられるような場所はなく、男はこの建物の中に入ったと推測された。さてどうするか、と相談する間もなく、田所の耳が建物の中から小さくくぐもった叫び声を捉えた。それは聞きなれたものではなかったが記憶に新しい、あの狂人のものだ。

 

「あっ……あの男中にいるっぽいっすねぇ」

「なぜ分かる?」

「声が聞こえた。小さいけどなんか叫んでる」

「ふむ? 田所君の聞き間違いでなければあれだけの叫び声がほぼ聞こえないほどに抑え込まれている、という事か。随分防音性が高いな……何の建物だ?」

「入ってみようぜ!」

「待て待てそんな迂闊な事は」

「ピンポン押すぐらいならタダじゃない?」

「それは……そうだな」

 

 田所は気楽に呼び鈴を押した。少し間を置いて叫び声が止まる。それから更に間を開け、玄関口が空いた。

 姿を見せたのは白衣を着た女研究者だった。三十代前半だろうか、十人並みの容姿に薄く化粧をしている。典型的な働く日本の女性三十代、と言った雰囲気だ。

 

「こんにちはー。すみませぇん、なんかこの建物の中からものすんごい叫び声聞こえたんですけど大丈夫なんですかねぇ?」

「叫び声、ですか? いえ、私は聞いていませんが……」

 

 女性は不思議そうにしている。竜胆は小首をかしげる動きや目線の方向、声色などから本心を読み取ろうとしたが、よく分からなかった。田所の来訪に身構え上手く演技をしているのか、本当に叫び声に覚えが無いのかどちらかだ。

 

「いえね、えーと、あのー、なんだっけ、そう、連続通り魔。ニュースでやってたじゃないですか、その男がこのあたりに来てましてね。俺達はそれを追いかけてたんですけど、この建物のあたりで見失って。もしかしたら、あー、もしかしたら……?」

「もしかしたらこの建物に逃げ込んだのではないかと思いまして。中を確認させてもらう事はできますか?」

 

 上手い言い訳が思いつかずグダりそうになった田所の言葉を竜胆が引きつぐ。女性は「まあ」と驚いた様子で手を口元に当てた。

 

「私は研究室にいたもので気付きませんでしたが、中に入られている事もあるかも知れません。確認を……警察に通報した方が?」

「いえ、まずは様子を見ましょう。誤報で警察の方の手を煩わせるのは良くない。差し出がましいようですが、この建物にはおひとりで? よろしければ我々も捜索を手伝いますが?」

「ええ、お願いします」

 

 怯えた様子で頼んで来た女性に注意を払いつつ、三人は建物の中に入った。

 竜胆の目からして、女性の行動は不審だった。内部調査を打診したのは竜胆だが、それが受け入れられるのはおかしい。

 

 不審者が侵入したかもしれないといって、その確認のために不審者を招き入れるだろうか?

 連続で人を襲っている狂人が家に侵入しているかも知れないのなら、普通は家から出て別の場所に避難するのではないか?

 個人的なこだわりや勇気・正義感・善性の問題で片付ける事はできるが、やはり違和感は拭えない。

 

 建物内部は廊下に観葉植物が置かれ、ソファがあり、ウォーターサーバーも置かれていた。誰かの自宅というより研究所のようだ。各部屋の入口にはカードリーダーがあり、セキュリティカードが無ければ開かない仕組みになっている。四人で固まって二階建ての建物の廊下を確認したが、誰も隠れてはいなかった。

 竜胆は部屋の中も確認した方が、と提案したが、通り魔がセキュリティを破り室内に侵入したとは考えられない。

 可能性としては、

 

①叫び声を聞いたのは聞き違いで、建物内に男はいない。

②建物内に男がいるが、女性が匿っている。

 

 このどちらかになる。そこまで考え、竜胆は女性の名前をまだ聞いていない事を思い出した。

 

「失礼ですが、お名前は?」

 

 竜胆が尋ねると、女性は薄く笑って答えた。

 

御厨(みくりや)映月(はづき)です。このマホロバ義肢開発局の副所長を務めさせて頂いています」

 

 竜胆は心臓がひっくり返るような嫌な感覚に襲われた。

 偶然秘匿されたマホロバ義肢開発局に辿り着いたというのか? そんなはずはない。

 罠だ。間違いなく罠だった。どこからどこまでが恣意的な誘導だったのかは定かではない。しかし彼女が意図的に嗅ぎまわる邪魔者を自らの牙城に招き入れたのは確実だろう。

 

「そうですか。これだけ調べてもいないとなれば聞き間違いだったのかも知れませんね。御迷惑をおかけしました。では、我々はこれで」

「お待ちください。その右手は我が社の義手では? そちらの方も視界補助器具を使っていらっしゃる。既にお聞き及びかも知れませんが、最近弊社製品の義肢の不調が報告されておりまして、これも何かの御縁でしょう、よろしければメンテナンスをしていかれてはいかがでしょう? もちろん無料ですし、時間もそれほどかかりません」

「ありがたいお話ですが……」

 

 御厨は何を考えているのか分からない。まさか味方ではないだろう。

 一度引いて耐性を立て直すべきと判断し断ろうとしたが、後ろで何やらコソコソしていた田所が耳打ちしてきた。

 

「窓も玄関も開かんわ。ロックされてる」

 

 舌打ちを我慢するためにかなりの忍耐力が必要だった。

 あまりに迂闊だった。内部に閉じ込められる可能性を考慮して然るべきだった。

 

「……いえ、そうですね。せっかくですしお言葉に甘えさせて頂きます」

「では主任の元にご案内しますね」

 

 今のところ表向きは平和的な対応をされている。事を荒立てるのは最終手段として、ひとまず口車に乗る事にした。

 御厨は廊下の突き当りの部屋に一行を連れて行き、セキュリティドアを開けて中に入るよう促すと、自身はどこか別の場所へ立ち去った。

 

 部屋にいたのは見るからに憔悴し、目の下に濃いクマを作った白衣姿の男性だった。歳は40前後に見える。彼が義肢を開発した神崎正道で間違いない。事前調査で見た顔写真とも一致している。

 男は予想通り神崎正道と直り、手早く田所と竜胆の義肢を点検した。その手際は淀みなく、確かに彼が開発者なのだと明白に示すものではあったが、一連の作業中どこか上の空であったのが気にかかった。

 

「はい、お二人とも異常ありません。お疲れ様でした。余裕があれば半年に一度のメンテナンスをおすすめします」

「ありがとナス! ところでさあ、例の通り魔の義肢さあ、めっちゃ高性能だったけどアレどうなってんの? アレも神崎さんが作ったんでしょ? なんか違法な事やってない?」

 

 ノーモーション超絶ド直球ストレートで核心に切り込んだ田所の足を竜胆は踏んづけた。

 その聞き方でボロを出す奴があるか? そうです違法な技術を使っています人体実験もしています、などと白状するか?

 最悪の事態を覚悟し頭を抱えた竜胆だったが、驚くべき事に神崎はあからさまに動揺し目を泳がせ始めた。

 

「い、いえ、法に触れるような事は何も。あの、あなたは彼の、北上氏の知り合いですか?」

「襲われた。今通り魔やってるのは知ってる? あれは……趣味とかなんですかねぇ」

「そんな訳があるか。神崎さん、我々は今この件について調査しています。しかしできれば穏便に、事を荒立てず問題を鎮静化したいとも思っている。何か知っている事、不安に思っている事などがあれば教えて頂けませんか? 必ず力になります。誓って神崎さんの不利になるような事はしません」

 

 真摯に――――あるいは真摯に見えるように言い聞かせたおかげで、神崎はぽつぽつと話しはじめた。

 

 以前はマホロバ社に所属するしがない一技術者であった神崎だが、ある日から見るようになった夢にインスピレーションを受け、義肢を設計した。

 その義肢には未知のメカニズムの回路が使われていて、実のところ、何故正常に作動しているか神崎自身にも把握できていない。まさか夢のお告げ通りに組み立てていると白状するわけにもいかず、周囲からは革新的発想力を持つ技術者であると認識され、社長からも大きな期待をかけられ、まあ自分の発想力の賜物である事は間違いないし悪くない気分だ、と勘違いされるままにしておいた。

 一番最近の夢に出てきたのはロボットの頭部のインスピレーションであるが、自分はあくまでも義肢製作者であって、人間の頭部を四肢にそうするように機械に置き換えるなど論外も良いところ。未知のメカニズムについて理解を深めるために造りはしたが、公表はしていない。

 

 問題が起きたのは数日前。両足に神崎が製作した義足を装着している北上武蔵という男が義足の不調を訴え、訪ねてきた。メンテナンスの準備をしている間、見学でもしていてもらおうと副所長の御厨映月に案内を任せたところ、大きな悲鳴が聞こえ、何事かと現場に駆けつけた。すると北上が狂乱しながら頭部を保管していた部屋から飛び出して、そのまま逃げていった。驚いて部屋の中を見ると、頭部へコードとワイヤーがするすると収納されていくところだった。

 それは一瞬の事で、気が動転していたので、気のせいかもしれないが、脳裏にこびりついて離れない。もちろん頭部にはコードやワイヤーが勝手に飛び出たり収納したりするような機能はついていない。

 部屋の電気機器はショートしていて、落雷があったかのようだった。以降、頭部には変化は見られないが、どうも不気味である。

 その事件から前後して制作した義肢の不調を訴えるクレームが急増し、自らが設計した義肢に何か致命的な欠陥があるのでは、不安に怯えている。

 

 話を聞き終わった三人は顔を見合わせ、八坂蓮が代表して尋ねた。

 

「その頭部は今どこに?」

「隣の部屋にまだありますが」

 

 短い沈黙が降り、田所が言った。

 

「ここまで兄貴の手がかり全く無いのほんと草」

「ああ、君は兄貴分の手がかりを探していたのだったか。ふむ、どうするべきか」

「神崎さん兄貴知らない? 谷岡豪っていうんだけど」

「すみません、聞き覚え無いですね……」

 

 竜胆は熟考しつつ部屋の窓に手をかけるが、しっかりロックされていた開かなかったし、鎧戸まで下りていた。

 

「神崎さん、現在この研究所の出入口にロックがかかっているようですが解除できますか?」

「ロックが? いえ、すみません。そういった事は副所長に任せているので」

「…………」

 

 全ての黒幕が副所長である疑いが濃厚になってきた。神崎が嘘八百を並べたてていて煙に巻こうとしている可能性もあるが。

 竜胆がそれ以上質問と推理を進める前に、隣の――――頭部が保管されているはずの部屋から悲鳴が上がった。今日だけで何度も聞いた通り魔、つまり北上の声だった。

 

「野郎! やっぱりここにいるんじゃねぇか!!!」

 

 叫んだ田所が真っ先に隣室へ駆けだす。少し遅れて残りの面々も後を追った。

 隣室に飛び込んだ一行が目にしたのは、部屋の中央のテーブルに置かれた欠損パーツだらけの人型ロボットから伸びたワイヤーとコードに足を掴まれ宙吊りにされた北上の姿だった。口から泡を吹き、半狂乱で暴れている。

 呆気に取られる一行が見ている目の前で、北上の下半身ごと無理やり引き千切るようにして義足がもぎ取られ、本体と合体する。足を得たロボットはぎこちなく立ち上がった。

 そのロボットの機械の体は足を得た事でほとんど揃っていたが、目と右手だけが欠けている。

 竜胆の右手と田所のバイザーがロボットに吸い寄せられるように振動を始めた。

 

 有り得ざる怪奇を目撃した神崎が絶叫し、気を失う。

 

 ロボットが何かを求めるように左手を伸ばす。何を探しているのか分からないほど愚鈍な者はこの場にはいない。ロボットはチク、タク、と破滅の時を刻むような音を立て、伸ばした左手に紫電を閃かせた。

 

「いかん! 逃――――」

 

 竜胆の警告より早く、電気が田所に向かって放射される。

 

「アバババーッ!」

 

 体をくの字に曲げ痙攣し、悲痛な声を上げた田所は煙を上げ白目を剥いて倒れ込む。そしてそのまま痙攣を繰り返すだけの置物と化した。

 死んではいないようだが、到底動ける状態ではない。

 

 武闘派最大戦力が開幕で戦闘不能に追い込まれてしまった。

 これは無理だと判断した竜胆が田所を引きずって撤退しようとするが、いつの間にか部屋のドアは閉まっており、ロックまでかけられている。閉じ込められたのだ。

 

「や、やぁああーっ!」

 

 八坂蓮がパイプ椅子を振り上げ、勇敢にも機械仕掛けの怪物に殴りかかる。無謀だと思われた攻撃だったが、パイプ椅子は確かに命中し、ロボットは金属の体を軋ませ少しだが確かによろめいた。

 

「何!? 倒せる、のか!?」

 

 ドアは封鎖され、密室には殺人ロボット。生き残るには、事態を打開するには、倒す以外に道は無い。屈強な田所を一撃で戦闘不能に追い込んだ事から人の手に余る存在だと錯覚したが、八坂蓮の果敢な行動によりどうしようも無い存在ではないらしいと判明した。

 とはいえ非力な女性が二人で殴りかかっていては、ロボットを破壊するより電撃攻撃で全滅する方が早いだろう。

 竜胆は脳みそをフル回転させた。単純な攻撃以外で効率よくロボットを破壊する方法は?

 

 何か使える物は無いかと見回し、テーブルの隅に部品の洗浄用だろうアルコールのガロン瓶が置かれているのを見つけた。

 閃きが走る。電気で攻撃しているという事は、当然電気系統で動いているのだろう。未完の機械の怪物は配線が剥き出しで、液体をかければショートさせる事ができるのではないか? かける液体がエタノールなら電気による着火・炎上も狙える。

 

「八坂蓮! この瓶を投げつけろ!」

「は、はい!」

 

 自分もガロン瓶を掴みながら蓮に言う。

 蓮が投げつけた瓶はロボットが鞭のように振り回すコードに迎撃され弾かれてしまったが、竜胆が投げた瓶は見事命中して割れ、中身のエタノールがロボットの全身にかかる。

 

「よし! 隠れろ!」

 

 竜胆が神崎を、蓮が田所を引きずって机の後ろに隠れる。

 ロボットは数回机越しにコードを振り回し打ち据えようとしてきたが、効果が無いと見たのか攻撃法を変える。

 ロボットの左手に紫電が再び閃き……そして電気が弾ける耳障りな音と共に燃え上がり、もがきながら崩れ落ちて動かなくなった。

 

 竜胆の右手の義手の振動が止まり、通常の動きまで停止し、一人でに付け根から外れ床に落ちる。異質なメカニズムで稼働していた機械は完全に沈黙していた。

 机の陰から顔を出し恐る恐る様子を窺うが、機械が再起動する様子はない。

 倒したのだ。

 

 ほっと一安心した竜胆は重体の田所に応急手当を施し、意識を回復させる。タフな田所はなんとか自分では歩けるようだったが、回復には長期の入院が必要だろう。

 全てが解決したわけではなく、怪しげな副所長の処遇をどうするか、という問題はあるが、ひとまず全ての元凶と思しき存在の打倒は完遂した。

 竜胆が受けた依頼であるマホロバの暗部の調査についても、あの機械仕掛けの怪異と副所長である御厨について報告すれば十分だろう。

 

 田所に肩を貸しつつひとまず部屋から出ようとすると、部屋の扉が勝手に開き、廊下側から一人の男が入ってきた。

 その男は竜胆の依頼人である八坂一太郎だった。重体の田所、気絶したままの神崎、竜胆、そして未だ燻る機械の怪異の残骸を一通り見るが、眉一つ動かさない。蓮の姿を見て僅かに動揺したようだったが、それも一瞬の事だった。

 

「あー、八坂氏? なぜここに?」

 

 予想外の人物の登場に竜胆は困惑して尋ねた。すると、八坂一太郎は能面のようなゾッとする無表情から一変し、気づかわしげに言った。

 

「竜胆さんを信用していなかった訳ではないのですが、私の方でも独自に調査を行っていましてね。私の想定より根が深い問題である事に気付き警告するために来たのですが……遅かったようですね。しかしご無事なようでよかった。いえ、彼は無事とは言えないようですが。よろしければ車で病院まで送りましょうか? ヤクザでも詮索せず治療してくれる病院を知っています。竜胆さんもお疲れでしょう、ご自宅まで送りますよ」

 

 八坂一太郎の言動には引っかかる部分もあったが、彼は『信用』できる人物だし、言葉には力強い『説得』力があった。

 何より竜胆は奇妙な事件の渦中に置かれ、命がけの戦闘を終えたばかりで、心身共に疲れていた。緊張の糸も切れていた。早く家に帰って休みたかった。

 

「お言葉に甘えさせてもらおう。とても疲れているんだ」

「そのようですね。田所さんは私が背負っていきましょう」

 

 和やかに帰途に就こうとする三人を止めたのは、蓮だった。

 

「ねえお父さん、二人をどうするの?」

 

 その言葉は父にかけるものとしては緊張に満ち過ぎていた。

 まるで刑事が犯人に向けるような疑いの響きを帯びていた。

 声をかけられ、肩越しに振り返った八坂一太郎は、困り顔で優しく答えた。

 

「どうする……? 手当をして、自宅に送って。正当な報酬を渡すだけだ。蓮、こういう事件に首を突っ込むなといつも言っているだろう?」

「私も馬鹿じゃない。お父さんが何かしてるのは知ってる。ねえ、私の目を見て答えて。

 お父さん、少し前にも変な事件を解決した四人組の人達と会ってたけど……

 あの四人をどこにやったの?

 二人をどうするの? 本当に病院に連れて行くの? 家に送るだけなの?」

「…………」

 

 八坂一太郎は優しい笑みを浮かべたまま沈黙した。

 竜胆は朦朧としている田所の手を引き、そろそろと八坂一太郎から距離を取る。

 彼の笑顔は人を安心させるような穏やかなものだった。そして、表情が完全に固定され、ぴくりとも動いていなかった。

 八坂一太郎は笑顔を貼り付けたまま淡々と言った。

 

「未完とはいえチクタクマンを倒した事は評価しよう。しかしチクタクマン召喚のトリガーを引いた狂信者、ああ、御厨の事だが、奴を始末できなかったのはマイナスだな。おかげで私が出張って片づけるハメになった。探索者としての評価は並、というところか。引退してこれ以上神話的事件に首を突っ込まない事をすすめる。死にたくなければな」

 

 一体どういう意味なのか。八坂一太郎は低い背筋の冷える声で評定すると、最初から幻であったかのように忽然と姿を消した。

 

 訳が分からない。何か事情を知っているらしい八坂蓮に目を向けると、悲壮感溢れる様子で頭を下げられた。

 

「お願いです。お父さんを――――八坂一太郎を止めて下さい」

 

 竜胆と田所の事件はまだ終わっていない。

 

 




――――【竜胆 瑠璃(25歳)】私立探偵

STR6 DEX7 INT18
CON6 APP14 POW16
SIZ8 SAN75 EDU21
耐久力7 db-1d4

技能:
 初歩的な事だ、友よ 99%、コンピュータ69%、図書館45%
 精神分析41%、追跡60%、変装51%、経理30%、医学35%
 化学21%、考古学21%、薬学31%、心理学99%、英語61%
 ラテン語41%


――――【田所 浩二(24歳)】谷岡組 構成員

STR17 DEX13 INT10
CON16 APP6 POW10
SIZ16 SAN48 EDU11
耐久力16  db+1d6

技能:
 野獣の眼光(目星)95%、聞き耳35%、組み付き45%
 マーシャルアーツ(迫真空手)91%、キック95%、薬学61%


次回、完結。

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