何かの呼び声   作:クロル

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 執筆の間隔が空きすぎた上に一晩で一気に執筆したため前話までと雰囲気が異なる恐れがあります。あしからず。


2-4 未知なる誰かを夢に求めて

 

 この目と鼻の先で蓮が攫われた。屈辱だった。十年以上プレイしてきた愛用ゲームの重課金したお気に入りキャラクターデータを盗まれたような気分だ。とんでもない野郎だ。相手が神だろうと取り戻さないなど有り得ない。怒りが湧き上がり人間形態が解けそうになるが、小雪が正気に戻って不安そうに見上げてきているのにギリギリで気付き、どうにか抑え蓮を取り戻す方法を考える。

 

 蓮を誘拐したノーデンスは神格である。彼は現実世界の地球のみならず、銀河の果てや夢の世界までも行き来する事ができる。当てずっぽうに探してもどこに行ったかは分からない。「透視」を使い消えたノーデンスの痕跡を探ったところ、「門」が持つものに似た魔術的痕跡が視えた。つまりノーデンスは空間を超えてどこかへ行った、という事だ。

 ……これでは何の参考にもならない。現に空間を超えて移動していった場面を見ていたのだからそんな事は分かっている。ライブ会場を満たしていた海水は消えていて、潮の残り香すら不自然なまでに綺麗さっぱり消えている。ノーデンスの貝殻戦車の轍の跡すらない。まさに夢であったかのように何の痕跡もなかった。

 蓮の行方を追う手がかりは、ゼロだ。

 

 信じられない。なんだこのゴミクズのような状況は。手がかり皆無で始まる探索行があってよいのか?

 いや、まあどうしようもなくなったわけではないのだが。手がかりが皆無となると蓮の奪還にかなり面倒な手間をかけなければならなくなった。

 

 私は今もじわじわと続く怒りで人間の姿を取るのに苦労するほどで、その危うい均衡と怒気が小雪の口を噤ませ怯えさせていた。が、それに気遣う精神的余裕はない。目まぐるしい怪異と親友の突然の誘拐に錯乱寸前といった様子の小雪に私の原ショゴスの姿を見られていない事だけ確認し、おっとり刀で駆けつけた警察に小雪を任せ、私はその場を後にした。事情聴取など知った事ではない。蓮の安否だけが心配だった。ノーデンスはクトゥルフ神話の神格の中で最も人間に友好的で親切であるが、それでも「邪悪でない」というだけで、一歩間違えれば死が見える存在である事に違いはない。今こうしている瞬間にも蓮が神話的恐怖を味わい精神を穢されているかも知れないと考えるだけで発狂しそうになる。

 

 夜刀浦市文化会館の裏口から外に出た私は、深呼吸して冷たい夜気を腹一杯に吸い、夜空を見上げて気持ちを落ち着かせた。

 蓮奪還に動く前に、一度道筋を整理しよう。

 

 目標は蓮を奪還する事。

 そのためには蓮の行方を知る必要がある。

 しかし行方を知る手がかりが何もない。

 手がかりを見つける必要がある。

 そのために必要なのは「タールクン・アテプの鏡」の魔術だ。

 

 タールクン・アテプの鏡は本来嫌がらせや警告に使われる魔術である。この魔術はよくホラー映画にある「鏡の中にいないはずの人物の影が見える」という恐怖を演出する事ができる。

 具体的にはまず自分の顔が全て映る程度に大きな鏡を用意し、その鏡を見つめながら対象の姿を思い浮かべ短い呪文を唱える。そのまま待っていると、対象が鏡や水たまりなどの鏡面を覗いた時、その鏡面に自分の姿を浮かび上がらせる事ができる。対象はその鏡面の中にいるはずのない誰かの姿を見るわけであるから、かなり不気味な恐怖を味わう事になるのだが、ここで着目すべきはそこではない。実はこの魔術は呪文の使い手側も対象の姿やその周りの様子を見る事ができるのである。

 つまり、タールクン・アテプの鏡の魔術を蓮を対象にして使えば、蓮が例えどこにいたとしても、蓮が鏡面を覗き込んだ時、私は蓮の姿と蓮の周囲の光景を見る事ができる。それは十分に蓮の居場所を特定する手がかりになるだろう。

 

 しかし私は「タールクン・アテプの鏡」を習得していない。中の人のリアルクトゥルフ神話知識でこの魔術の存在と概要は知っているが、肝心の呪文が分からない……が、呪文が書かれている魔道書の所在ならば知っている。

 私の外の人、つまり八坂一太郎の父である八坂幸太郎は、自宅が「炎の精」という神話生物に襲撃された時、万が一に備えて秘密の地下室に所持していた三冊の魔道書と一枚の詩篇を投げ込んでいる。その魔道書の一冊「高等魔術の教理と祭儀」に「タールクン・アテプの鏡」が載っている。八坂幸太郎は仲間の探索者と共に炎の精を迎え撃ち、破れ去り、息子を残して焼け死んだ(表向きは古いガスストーブの故障が原因であると処理された)のだが、今も秘密の地下室には魔道書が眠っているはずだ。八坂幸太郎のプレイヤーも私だったため、地下室の入口も開け方も構造もよく知っている。八坂幸太郎が死んだ次のシナリオから使い始めたキャラクターが八坂一太郎なのである。

 まさかあの時の咄嗟の判断が巡り巡ってこんな所で役に立とうとは……

 

 いや、思考が逸れた。改めてまとめよう。

 

 目標は蓮を奪還する事。

 そのためには蓮の行方を知る必要がある。

 しかし行方を知る手がかりが何もない。

 手がかりを見つける必要がある。

 そのために必要なのは「タールクン・アテプの鏡」の魔術。

 「タールクン・アテプの鏡」の魔術は「高等魔術の教理と祭儀」に記載されている。

 「高等魔術の教理と祭儀」は焼け落ちた旧八坂家の秘密の地下室にある。

 従ってまずは旧八坂家に行かなければならない。

 

 何度か手順を頭の中で復唱したが、矛盾はないしこれが考えられる限り蓮を取り戻す最短経路だ。

 よし。

 

 私は一人頷き、惜しみなくPOWを消費し旧八坂家へ直通の「門」を創造し、夜刀浦市から消えた。今は一分一秒が惜しい。POW1で時間を短縮できるならば安いものだ。

 待っていろ、蓮。必ず見つけ出して助けてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 焼け落ちた旧八坂家は静岡県の閑静な住宅地にある。瓦礫こそ撤去されたが、未だに地面や両隣の民家のブロック塀には焦げ跡が残ったままになっていた。火災からもう三十年以上経つが草一本生えておらず、今の季節が夏であるという事を差し引いても不自然な暑さを感じる。住宅地にぽっかりと空いた不気味な空白だ。私の外の人はあの火災の真実を知らないまま大人になり、一度もここに戻ってきていない。こうして改めて見てみると酷いものだ。火事の爪痕が不自然なほどまざまざと残りすぎている。話に聞くだけで戻る気もなくなるというものだ。

 まあ危うく炎の神格クトゥグァが降臨しかけたのだからそういう事もあるだろう。あのシナリオで八坂幸太郎は死にはしたが神格の降臨は瀬戸際で阻止した。彼はよくやった。いや我ながら上手くやったというべきか。懐かしい。

 

 感傷もほどほどにして家の間取りを思い起こし、地下室の入口があった場所の地面を掘る。道具は使わず素手での掘削だが私には象並の怪力がある。焦げて固まった地面を豆腐のようにあっと今に1m掘り下げ、鋼鉄の扉を掘り当てた。この扉は一種の「門」になっていて、キーワードが無ければ開かないようになっている。そのキーワードは八坂幸太郎しか知らないのだが、私は八坂一太郎であり八坂幸太郎でもある。秘密のパスワードは障害に成りえない。ほんのり熱を帯びた周りの土と魔術的に断絶されている事を示すようにひんやり冷たい鋼鉄の扉に手を当て、唱えた。

 

「ハワード・フィリップス・ラヴクラフト」

 

 色々な意味でこの世界の住人が知るよしもないキーワードを感知し、扉が開いた。簡単なものだ。

 しかし長居はしたくない。先ほどから変な汗と奇妙な動悸、漠然とした不安感が止まらなかった。それは悍ましい神格の気配によるものか、それとも「八坂一太郎」が幼い日に負ったトラウマによるものなのか。どちらにせよ地下室探検と洒落込む気にはとてもなれない。

 私は「透視」で暗視を得て暗い地下室の底に転がった三冊の魔道書と一枚の詩篇を確認し、触肢を伸ばしさっさと回収。扉を閉じて土を埋め戻し、急いでその場を離れた。

 

 首尾よく手に入れた魔道書の内一冊「高等魔術の教理と祭儀」パラパラと捲り「タールクン・アテプの鏡」の記述を確認する。記憶通りそこには魔術儀式の方法と呪文が持って回った謎めいた文言で記されている。完璧だ。

 ……完璧なのだが、気分は最悪だった。だからここには来たくなかったのだ。

 

 私は頭を振って気持ちを切り替える。忘れよう。今は蓮の事が先決だ。

 「タールクン・アテプの鏡」の呪文は短く、複雑な手順も道具も必要としない。ニ、三時間もあれば容易に習得できるだろう。が、流石に真夜中とはいえ住宅地のど真ん中につっ立って怪しげな儀式の習得に励むわけにもいかない。私は再びPOWを消費し、安全な我が根城、八坂邸への「門」を開いた。POWの大盤振る舞いだ。

 

 八坂邸に帰還した私は早速書斎の椅子に座り、魔道書を読み込み魔術を覚えた。数々の魔術に慣れ親しんだ私にとっては今更魔術の一つや二つどうという事はない。特にそれが単純なものなら尚更だ。

 まだ夜も開けない内に、私は風呂場の鏡を使いタールクン・アテプの鏡を使用した。

 

 鏡にはしばらくの間何も映らなかったが、やがてぼんやりとした影が現れ、一人の女性の像を結んだ。蓮だ!

 

 鏡の向こうで蓮が驚いたようにこちらを見ている。私は安心し、そして安心させるために微笑んだ。見たところ蓮は目も口も鼻もちゃんとついていて、化物に変身していなければ、大きな怪我も負っていないようだ。ただ、なぜか服装が随分と……古めかしいものに変わっている。

 蓮が泣きそうな顔でこちらを見て盛んに何か言っているが、残念ながらあちら側の言葉はこちら側には伝わらない。こちら側から短い単語程度なら伝える事ができるのだが。

 更に数秒見ていると、蓮の背後の景色が見えてきた。無数に蠢く小さな影……尻尾……ふさふさした毛……ああ、これは猫だ。猫がたくさんいる。古い石畳の道を何匹もの猫が悠々と闊歩し、時代錯誤な古いファッションの人々が猫に丁寧に道を譲っている。鏡越しの視界が揺れ、蓮に向けて伸ばされた前脚が見える。どうやら猫の瞳を介して魔術が発動したようだ。

 

 それだけでもう場所が分かった。

 なるほど。ドリームランドのウルタールか。猫がたくさんいて、古めかしい服装の人々がいるとなればそこしかない。また面倒なところに置き去りにされたらしい。いや神格に誘拐されたとしては穏当な方か。

 

「すぐ助けに行く」

 

 私が一言告げると、鏡に映った像は薄れて消えていった。最後に見た蓮はほっとしたように頷いていた。

 私は風呂場から出て顔を叩き、気合を入れ直した。

 さて。蓮の居場所は分かった。どうやらここからまた一苦労必要なようだ。

 

 ドリームランドとはその名の通り夢の世界である。紛れもない異世界であり、覚醒の世界(現実世界)とは色々とルールが違う。

 まず一つ目、時間の流れが違う。ドリームランドの二ヶ月は現実世界の八時間だ。つまり現実世界で八時間経つ間に、ドリームランドでは二ヶ月経過する事になる。一種の精神と時の部屋のようなものだ。大雑把に計算すると救助が一時間遅れれば蓮は一週間待たされる事になる。急がなければいけない。

 早くドリームランドへ行く必要があるが、問題がある。

 ドリームランドのルール二つ目、入場制限だ。

 

 ドリームランドへ行くための方法は幾つかあり、また制限もある。

 最もポピュラーなのは「眠って行く」事だ。特別な才能がある人間は眠る事で自然と精神をドリームランドに送る事ができる。そして起きると現実に戻ってくるのだ。ドリームランドへ行くのは精神のみで、肉体は精神がドリームランドへ言っている間も現実世界に残る。ドリームランドで死んでも現実の肉体は死なず、SAN値を少し削り酷い寝汗をかいて飛び起きる程度で済む。一番自然でリスクが少なく無理のない方法なのだが、私にはその才能がない。この方法は使えない。

 他にも幾つかドリームランドへ行く方法はあるのだが、私ですら所在が全く分からない貴重過ぎるアーティファクトが必要であったり、危険過ぎるアーティファクトが必要であったり、現実的ではないものばかりだ。

 ドリームランドへ行くための数ある方法の中で唯一現実的であるといえるのは食屍鬼の穴を利用する方法だろう。

 

 食屍鬼はドリームランドと現実の世界両方に存在する特殊な神話生物である。彼らは両方の世界の世界中に存在し、古い墓、忘れられた陵墓、古代の地下墓地などに巣穴を掘り、毎晩ドリームランドと現実世界を行き来する。巣穴が二つの世界を繋ぐ門の役目を果たしているのだ。その巣穴を通れば誰でも徒歩で物理的にドリームランドへ行く事ができる。ただしこの方法の場合、精神だけでなく肉体ごとドリームランドへいくため、当然ながら現実世界に肉体は残されず、ドリームランドで死ねばそこで終わりだ。「眠っていく」方法と比べてリスキーなのは否めない。が、それしか方法が無いのならば是非もない。

 不幸中の幸い、食屍鬼には友好的な知り合いがいる。事情を話し、頼み込めば巣穴を通してくれるだろう。道中で巣穴にたむろする食屍鬼に襲われる危険が無い分リスクは幾らか軽減される。

 

 いつかの食屍鬼の頭目キミタケに話をつけ。

 食屍鬼の巣穴を通り。

 ドリームランドでウルタールへ行き。

 蓮を見つけ。

 連れ帰る。

 

 ようやく終着点が見えた。ようやくといっても一晩経っていないが。

 八坂邸から食屍鬼がたむろする青山霊園は車を飛ばしてすぐだ。流石にこの距離を「門」を使っていては身が持たない。この数時間で二回も「門」を使い、既にPOW(魔術的基礎能力)は22から20に低下。魔術的に大きく弱体化してしまっている。ドリームランドではPOWが役立つため、これ以上消耗するわけにもいかない。

 一分一秒が惜しいがほんの数分を惜しんだせいで弱体化し、その弱体化のせいでドリームランドに入ってから怪物に襲われ敗北して蓮を取り戻せなかったら……

 迷い所ではあるが、やはり時間の流れの違いが痛い。5分遅れれば14時間も蓮を待たせる事になる。蓮が攫われたのは私の手落ちだ。私の責任、養父の責任である。私のPOWより蓮を少しでも早く安心させてやりたい。

 

 私は三たび「門」を開き、名状しがたい空間の歪みをくぐり抜け、青山霊園へ移動した。

 

 久方ぶりの青山霊園は記憶と少しも変わらなかった。

 苔が張り付いた墓石。萎れた献花。線香の残り香に、墓石の間を縫うようにのびる歩道、それを囲む樹木たち……そして茂みと木の陰からこちらの様子を伺う爛々とした赤い目が何対か。

 食屍鬼語は基本的な単語が辛うじて分かる程度にしか習得していない。日本語の方がまだ通じるだろう。私は日本語で話しかけた。

 

「私は二十年前、蛇人間に関する事件で諸君と協力した八坂一太郎という! 今日は蓮の安否に関わる件で来た! 私か蓮、どちらかに覚えがある者がいれば出てきて欲しい!」

 

 私の言葉に食屍鬼達がざわつくのが分かった。二十年といえば人間にとっては短くないが、長いとも言えない。人間より遥かに寿命の長い食屍鬼に尚更短く感じるだろう。仮に誰も私と蓮の事を覚えておらず襲われても、二十年前と違い今は食屍鬼程度群れを相手にしても蹴散らせる。それは最悪のパターンだが。

 穏便に行ってくれよ、と念じていると、一体の食屍鬼が月明かりの下よろめくような独特の歩き方で俺の前に出てきた。犬面の歪んだ顔の食屍鬼だ。食屍鬼は全員そんな顔をしているので誰なのかは分からない。食屍鬼は吠えるような耳障りなかすれ声で名乗った。

 

「久しイな、八坂。見覚エがあるカ? 私はトミタケだ。何用ダ」

「ん? トミタケ? キミタケではなく?」

「忘れタのか。生前はフリーのカメラマンをやっテイた」

 

 ……ああ! いたなそんなキミタケ氏のパチモンのような食屍鬼。「奇妙な共闘」のシナリオ進行を務めたゲーム進行役(KP)が悪ふざけで出したキャラクターだったと記憶しているが、本当にそんな名前なのか。「八坂一太郎」はそんな名前の食屍鬼と短時間ではあるが行動を共にした記憶があるし、当然と言えば当然なのだが。

 

「申し訳ない、食屍鬼の顔を見分けるのは難しいもので。キミタケさんは?」

「彼ハあの事件以降隠遁してイル。行方は我らモ知らぬ。しかシ蓮の事ならば私モ知っテいる。彼女に何かあッたのカ?」

 

 聞き取り辛い人外鈍りの発音ではあったが、トミタケの口調にははっきりと心配が滲み出ていた。

 蓮は私が養子に取るまで孤児として食屍鬼に育てられていた。その頃の事情については良く知らないが、食屍鬼と奇妙な絆を築いていたらしいという事は知っている。蓮の危機とあれば助けが期待できると踏んだのは間違いではなかったようだ。

 

 事情を説明すると、トミタケは二つ返事でドリームランドへの案内を了承してくれた。

 

 トミタケは死臭漂う暗く湿った陰鬱な地下へ続く巣穴のうねる道の中を私を案内する道中、ドリームランドにおける巣穴の出口に住む怪物、毛むくじゃらの巨大なる怪物ガグや卑しい長き後脚の禍々しきガーストについておどろおどろしく警告し、ガーストを避けるため足音を殺し慎重に移動するよう、またガグは計り知れぬ理由をもって食屍鬼を恐れる故に食屍鬼に変装し食屍鬼の如く振る舞い欺くが良かろう、と言った。私は既にそう言われた時には足音を殺し食屍鬼のように背骨を猫背に曲げ跳ねるような独特な歩行に切り替え、服を脱いで丸め死体を運ぶかのように担いでいた。

 言われるまでもない事である。人間を超越した私の肉体も、同じく人外の域にあるガグとガーストの群れ(奴らは厄介な事に群れるのだ)を相手にするには些か以上に分が悪い。食屍鬼は人間に毛が生えた程度であるからまだなんとかなるのだが。こうした厄介な神話生物共を切り抜けるのも食屍鬼の案内を必要とした理由だ。

 トミタケの慣れた案内により居眠りするガグの歩哨の横を忍び足で通り過ぎ、ガーストの群れを避けるルートを通り、私はいつの間にか食屍鬼の巣穴を抜けドリームランドに入っている事に気付いた。土くれのほら穴めいた道はごつごつした石の通路に変わり、腐臭の代わりに血肉と獣臭に変わっていた。食屍鬼の巣穴からガグの石の要塞に入ったのである。現実の食屍鬼の巣穴がしばしばドリームランドの危険地帯に接続している事は知っていたが、こればかりは知っているからと言ってどうにかなるものではない。私は大人しくトミタケの指示に従い、息を潜めて先を進んだ。

 

 トミタケは食屍鬼ゆえに疲れ知らずであり、私もまた疲労とは無縁で「透視」を使えば明かりのないガグの石に囲まれた広大な住処の中でも視界が通ったため、旅は順調に進んだ。何度かすわ戦闘か、という事もあったが、辛うじてやり過ごす事ができたのは幸運という他ない。戦闘になったら死ぬという訳でもないが勝てもしない。面倒な逃避行や負傷とその回復は大幅な時間のロスに繋がっただろう。

 やがて石の扉を力任せに押し開けると、化け物じみた木々が立ち並ぶ森に出た。夜空が見え、長い巣穴とガグの石の要塞を抜けドリームランドの外に来たのだと知る。星々の並びとその瞬きは現実のものとは異なるどこか幻想的なもので、明確にここが異世界なのだという事を示していた。

 私はリアルクトゥルフ神話知識ゆえにドリームランドの地理にも詳しい。森に漂う不可思議な燐光からここが「あやかし森」である事はすぐに分かったし、あやかし森を抜け橋を渡ればすぐに猫の街ウルタールに着く事も分かった。危険地帯を通る事になったが結果的に最もウルタールに近い場所に出る事ができたのだ。

 何かの加護でも働いているのではないかというぐらい上手くいっている。よもやノーデンスの加護だろうか。まさかニャルラトホテプの加護ではないだろう。

 

 私は案内はここまでで結構だと謝辞を言うと、トミタケはどの道案内できるのはここまでだと言い、更に私の目をじっと見て言った。

 

「君ハ我らに近シい存在にナッたよウだな。深淵に近づキすぎタか」

「…………」

「イヤ、文句がある訳ではナイ。蓮を心配スル心は残ってイるのダろう。アの子をよろシく頼む。君ニ託シタ事を後悔さセないでクレ」

 

 トミタケは私の返事を待たず、暗がりへ消えて行った。

 言われるまでもない事だ。私は蓮の幸せを願っている。

 ただ昔のような純粋な気持ちで願えなくなっているのだが……SAN値が残っている八坂一太郎が蓮のためにここまでできたのかと考えると少々疑わしい。SAN0になって良かったと思っておこう。

 

 さて、ドリームランドの制約の一つに近代的な物を持てない作れない持ち込めない、というものがある。スマートフォンを持ち込めばインク壺と万年筆、白紙の手紙にいつの間にか変化しているし、今回私が持ち込んだ背広は上等なキルトの服と丈夫な旅人の革のマントに変わっていた。食屍鬼のフリをやめそれらの服を身に付け、私は触肢を空へ向けて伸ばし先端に眼を生成。橋とその先にあるウルタールの場所を確認し、一気に森を駆け抜けた。道中で何匹か鼠のようなものを撥ね飛ばした気がするが、どうせズーグ族だろう。一応神話生物ではあるが、ドブネズミの鼻先に触手を生やしただけの弱弱しい奴だ。全く持ってどうでもよろしい。

 森を飛び出し平原に出て、橋をひとっとびに飛び越えるとウルタールが見えた。

 

 ウルタールはちょうど夜明けを迎え、平原の向こうから顔を出す太陽に照らされ始めるところだった。屋根の上や荷車に詰まれた藁の上でまどろんでいた無数の猫たちが何事かという目で駆けこんできた私を見る。そのうち半分ほどの勘の鋭い猫は私の正体を漠然と感じたらしく、毛を逆立て尻尾をピンと立て威嚇してきた。

 

「蓮! 迎えに来たぞ!」

 

 街全体に伝われとばかりに大声で叫ぶと、少し離れた民家から物音がして、数秒して戸口から蓮が飛び出してきた。

 

「お父さん!」

 

 駆け寄ってきた蓮をきつく抱きしめる。蓮も抱きしめ返してきた。確かなぬくもりと共に千の言葉よりも雄弁な感謝が伝わってくる。

 その顔は泣いているものと思ったが、嬉しそうに笑っていた。不思議に思い聞いてみる。

 

「蓮、一人で怖くなかったのか?」

 

 そう尋ねると、蓮は全幅の信頼を乗せた声で答えてくれた。

 

「ううん、お父さんが絶対迎えに来てくれるって信じてたから。助けに来てくれるって言ったでしょ?」

 

 この子達もいたしね、と蓮は足元に纏わりついて猫を撫でた。聞けばウルタールの猫達から猫語を習いながらのんびり待っていたらしい。私の感覚では一晩の救出劇だったが、蓮の感覚では六週間ほど待ったようだ。確かに助けに行くとはいったがなかなか図太い神経をしている。探索者向きだ。

 私は警戒する猫達に蓮を預かっていてくれた礼を言い、それを蓮が猫語に通訳した。猫達の警戒は解けなかったが、納得はしてくれたようだ。

 

 蓮を見つけて心底安心した。肌に傷一つでもついていたらノーデンスの肌を抉り取っていたところだ。また会った時に文句を言うぐらいで許してやろう。

 後は蓮を現実世界に送り返すだけだが、もう道は覚えたし、ガグやガーストの避け方も覚えた。支障ない。

 

 私は幼い頃よくそうしたように蓮の手を取り、鮮やかな朝焼けの中、現実への帰途へついた。

 


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