「人間というものは複雑に造られている。生まれながらにして反社会的な性質を持っているが、それはタブーになっている。人間にはタブーというものが必要なんだ。それが必要ということは、つまり、人間に本来、反社会の性質がある証拠だよ。犯罪本能と呼ばれているものも、それなんだ」
暗い六畳ほどの部屋に通された俺を、物見遊山のような感覚で出迎えたのは、淡いスーツに身を包んだ初老の男だった。こいつは、俺のような特殊な人間は、今後起きるであろう、自分達が到底、理解出来ない犯罪において重要なアドバイザーになると言っていたらしい。
警察や法律関連のいざこざが始まる前に、是非とも一度会ってみたいと申し出た奇特な人間だ。厚い壁を隔てた先にいるそいつは、俺の背後にいる数名の警官を見やったが、静かに首を振られていた。
「......江戸川乱歩だな」
「おや、知っていたかい?こいつは恥ずかしいな」
男は鼻の頭を掻いた。
「ああ、知ってるよ。防空壕の市川清一だろ......あれは面白い話だったよなぁ......人を騙すってのはこういうことだと感心したもんだ」
嬉しそうに両手を打ち付け、パン、と鋭い音が響いた。
「そう!あれこそ、乱歩らしい作品だよ!」
理解者を得た子供のように目を輝かせ、立ち上がる男を仰ぎながら、俺は笑った。
「違うな。乱歩の真骨頂が詰め込まれているのは、芋虫だろ......」
ピタリと男が落ち着きを取り戻し、ゆっくりと座り直すと咳払いをしてから顔をあげて言った。
「君は、あの作品をどう思った?」
「あ?あれこそ、純愛だろ?両手足、五感を失って、女を呼ぶ方法は頭を床に打ち付けるだけ......加えて食欲と性欲を持て余した男をお前は、お前らは甲斐甲斐しく世話を出来るのか?」
「だが、結局は、快楽に溺れていく。そして......」
「女は、唯一、意思の表示が出来る両目を潰してしまう......か?それは、女の病的興奮の一種だろ?つぶらな両目を嫌う。だが、そこにこそ、女の人間らしさが描かれている。分かるか?芋虫のようになってしまった男は、女の介護がなければ、何もできないんだよ......女の征服欲が膨れ上がるのは必然だろ?」
男は、得心がいかない様子で首を傾げる。俺は黙って男の言葉を待った。
「......つまり、征服欲を満たす為に、女は男の両目を潰したと?」
俺は、低く唸るように返す。
「ああ、そうだな。それ以外の解釈があるのか?」
男は、天井を見上げる。その様が、芋虫に登場する男のようで俺は苦笑した。やがて男は、なるほど、と頷いた。
「最初に世間から向けられていた評価が薄くなっていくにつれ、何も出来ない男を虐げていくことが快感へと刷り変わったのだね。それは、確かに本文中にもあるな」