「待てよ。先に言っとくがよぉ……これ以上、下らねえことを言おうってんなら止めとけよ?こっちは、いますぐにでも、アクリルをぶち壊してアンタの喉を握り潰してやりてぇと思ってんだからよ」
腰を曲げて顔だけを近づけるが、安部の動揺は、もう感じられなくなっていた。立ち直りが早いのか、それとも、温室育ちで鈍感なだけか。これは、俺にとっての品定めであることを、この男は気付いているはずだ。それでも目線を外さない。
「続けます。子供とは未来を定められる唯一の存在です。だからこそ、貴方は子供を手にかけていないのでは?」
腰を戻した俺は、鼻から息を吸い込み、吐き出す過程で椅子を蹴りあげた。背後で、警官がざわつきだすが、無視して安部との会話を続ける。
「なぁ、安部よぉ……テメエは今、俺の逆鱗に触れちまったぜ?言ったよなぁ、つまんねえことを口にするなってよ」
「つまらないこと、今、そう言いましたか?」
「ああ、そう言ったがなんだ?神様にでも報告するってか?ひゃはははは!面白れえじゃねえか!おい!」
俺は額をアクリルに勢いをつけてぶつけた。垂れてきた血が鼻を通り、唇を伝い味蕾に鉄の味が広がる。だが、憤懣を宿したのは、安部も同じだった。
憤懣を宿した証のように、安部の頬が揺れる。
「未来を預かる子供をして、何がつまらない、というのか!」
俺は、更に顔面を押し付けて反駁する。
「あ?未来を預かるだぁ?大層なことを口にしてんじゃねえっての!餓鬼の未来なんざ分かる訳がねえだろうが!神様ってやつに脳でもイジられたかぁ?」
途端、安部は目元を沈めた。眉を寄せた俺には、どうにも様子を窺えないが、前髪の奥にある双眸が、さきほどの陰険なものとは違い、徐々に溌剌とした色を取り戻していくのが分かる。纏っていた荒々しい雰囲気が静まり、流動が細かな場所を通るような細い声で言った。
「神は……神は死んだ、死んだのですよ、東さん」
「あ?なんの話だ?」
「おや、ご存知ありませんか?死んだ、というよりも、神の意思はない、と改めたほうが?」
「テメエら宗教家って奴らは、どうしてこうも鬱陶しいんだろうなぁ」
俺が額を離せば、アクリルに残った血痕が垂れていく。一番長く伸びた筋が安部の腹部に差し掛かったとき、俺から口火を切った。
「そいつは、ニーチェの言葉だ。ニヒリズムを全面に展開する虚無主義者は、世界的にも歴史的にも、どこにでもいる。けどな、ニーチェは虚無主義でも絶対主義でもなく、相対主義だった。疑うことを知らねぇ、馬鹿共に教えてやる為にな。その言葉を持ってくんのは、お門違いってもんだよなぁ」