蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第84話「政変」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、姫神達は横須賀鎮守府の一角に据えられた慰霊碑の前に並び、一心に手を合わせていた。

 

 居並ぶのは、姫神と黒姫、それに矢矧、暁、響、電、島風の7人である。

 

 彼女らの脳裏には今、1人の少女の姿があった。

 

 暁型駆逐艦、3番艦「雷」。

 

 暁型4姉妹の三女にして、誰よりも包容力のあった少女。

 

 彼女はもう、帰らない。

 

 シブヤン海で敵の爆撃を受け、その小さな命を散らしたのだ。

 

 手を合わせる電の口からは、姉を偲ぶように嗚咽が漏れる。

 

 そんな妹を、そっと抱きしめる響だが、彼女の目からも大粒の涙がこぼれていた。

 

 その傍らでは暁もまた、顔をくしゃくしゃにして泣くのを堪えている。

 

 旗艦を務める矢矧は、そんな少女達を慰めるようにそっと抱き寄せる。

 

 暁達がすすり泣く声が響く中、

 

 いたたまれない気持ちになった姫神、黒姫、島風の3人は、そっとその場を後にするのだった。

 

「何かね・・・・・・・・・・・・」

 

 口を開いたのは黒姫である。

 

「阿賀野さんが沈んだ時に、こういう事は経験してるんだけど、やっぱ慣れないよね。何回目でも」

「そうですね」

 

 妹の言葉に、姫神も声を低くして応じる。

 

 雷を失い消沈しているのは、何も暁達ばかりではない。

 

 姫神達もまた、長く共に戦ってきた友達を失い、失意の中にあるのだった。

 

 これからますます、戦いは厳しくなる。

 

 味方は減り、相対的に敵は増えてきている。

 

 となれば、今回のような事は、往々にして起こり得る事だった。

 

 と、

 

「あれ?」

「どうかしましたか、島風?」

 

 後ろからついて来ていた島風が、何かに気付いたように足を止める。

 

 巡戦姉妹が訝るようにして振り返る中、島風は建物の向こう側を指差した。

 

「あれ、信濃ちゃんじゃない?」

「「え?」」

 

 島風が指差した方向に目を向ける、姫神と黒姫。

 

 見れば確かに、そこにはやや長い髪を後頭部でリボンで縛った少女が立っている。間違いなく信濃だ。

 

 どうやら、知り合いの海軍士官と談笑している様子である。その顔には、少女特有の朗らかな笑顔が浮かべられている。

 

 しかし、

 

「あれは・・・・・・・・・・・・」

 

 低い声で呟き、姫神は険しい顔を作る。

 

 信濃と話している海軍士官に、姫神は見覚えがあったのだ。

 

 それは、彰人に着いて何度か出席した会議で顔を合わせた事がある人物。

 

 常に、彰人の意見に対して反対の立場を取り続けていたせいで、姫神はその人物に対し、あまり良い印象は持っていなかった。

 

 信濃と話している海軍士官。

 

 それは、黒鳥陽介海軍大佐だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後世、「レイテ沖海戦」の名で呼ばれる事になる戦いは、大きく分けて4つの海戦から成立している。

 

 ハルゼー機動部隊による宇垣護率いる連合遊撃艦隊に対する航空攻撃を差す「シブヤン海海戦」。

 

 小沢治俊率いる連合機動艦隊と、ハルゼー機動部隊の航空艦隊決戦を差す「エンガノ岬沖海戦」。

 

 連合遊撃艦隊と、キンケード、ハルゼー両提督率いる水上砲戦部隊の激突を差す「サンベルナルジノ海峡海戦」

 

 そして、連合遊撃艦隊によるマッカーサー軍殲滅を差す「レイテ湾口海戦」

 

 これらの海戦域の広大さ、そして参加艦艇の規模から、レイテ沖海戦は「史上最大の海戦」としても語り継がれていくことになる。

 

 この戦いで帝国海軍が上げた戦果は、以下の通りとなる。

 

 戦艦9隻、大型巡洋艦4隻、護衛空母4隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦18隻撃沈。

 

 戦艦3隻、護衛空母2隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦13隻撃破。

 

 誇るべき、偉大なる戦果である。

 

 帝国海軍発足以来、これ程の大戦果を上げた戦いは他には無い。

 

 正しく、古今に比類なき武勲と言える。

 

 更に、作戦目的であったレイテ湾への突入も成功。マッカーサー軍に所属する10万以上の兵士を艦砲射撃によって撃破し、数百万トンに及ぶ物資を焼き払う事に成功していた。

 

 未確認情報だが、南太平洋軍司令官のデイビス・マッカーサー大将も、この艦砲射撃を受けて戦死したと言う情報も入ってきている。

 

 これにより、太平洋に展開する合衆国軍の内、約半数を撃破する事に成功していた。

 

 正に、戦略、戦術、双方における大勝利であると言える。

 

 だが、

 

 その代償は、決して安くは無かった。

 

 大戦果と引き換えに、帝国海軍が被った損害は以下のとおりである。

 

 戦艦「榛名」、空母「大鳳」「雲龍」「飛鷹」「龍驤」「千代田」、重巡洋艦「愛宕」「高雄」「羽黒」「那智」、軽巡洋艦「川内」「五十鈴」、駆逐艦「秋月」「初月」「霜月」「雷」「野分」「早霜」「清霜」「浜波」「藤波」「秋霜」「岸波」沈没

 

 戦艦「信濃」、空母「隼鷹」「千歳」「龍鳳」、重巡洋艦「妙高」大破

 

 戦艦「大和」「武蔵」「金剛」「比叡」、巡洋戦艦「姫神」「黒姫」、空母「天城」、重巡洋艦「鳥海」「鈴谷」「熊野」、軽巡洋艦「能代」、駆逐艦「響」「涼月」中小破。

 

 この他、400機以上の航空機が失われている。

 

 海戦後もし、合衆国軍が徹底的な追撃戦を展開していたとしたら、あるいは帝国海軍はその時点で全滅していたとしてもおかしくは無かった。

 

 だが、奇妙な事にレイテ湾口海戦の後、合衆国軍の追撃は下火となり、潜水艦と思しき反応が幾度かあった以外は、これと言った接触は無かった。

 

 理由は不明だが、恐らくマッカーサー、ハルゼー、キンケードと言った上級指揮官が悉く戦死した事により、指揮系統が混乱を来したと推察された。

 

 なお、ここで特筆すべき事は、戦果の中に護衛空母の存在が入っている事だろう。

 

 これらの艦は、航空攻撃によって撃沈破された物である。

 

 だが、通常の航空攻撃ではない。

 

 神風特別攻撃隊と命名さらてこの航空攻撃部隊は、軍令部主導の下で選抜されたパイロット達が、零戦の下部に爆弾を抱えて敵艦へと突っ込む、「自爆攻撃専門」の部隊である。

 

 まさに戦慄と驚愕、そして憤慨を禁じ得ない事態である。

 

 古今東西、自爆を前提に戦った部隊が無かった訳ではない。例えば「決死隊」と呼ばれる部隊は、戦局打開の為、死を覚悟して出撃する部隊の事である。

 

 だが、死を覚悟するのと、死を強制されるのとでは天地以上の開きがある。

 

 神風特別攻撃隊のパイロット達は皆、純粋に国や家族、大切な人々を想う心に付け込まれて体当たり攻撃の為に出撃し、そして1人として帰ってこなかったのだ。

 

 空母4隻撃沈は、そんな彼等の熱く、掛け替えのない魂と引き換えに得た貴重な戦果だった。

 

 こうして、レイテ沖海戦は辛うじて、帝国軍の勝利に終わった。

 

 連合艦隊は半壊に近い損害を被ったものの、マッカーサーを始め合衆国南太平洋軍を殲滅に追いやり、敵艦隊に対しても多大な損害を出して撃退した。

 

 紛う事無き、帝国海軍の勝利である。

 

 だが、

 

 その勝利に影が差すとは、いったい誰が予想し得た事だろう?

 

 レイテ沖海戦に勝利し、凱旋した帝国海軍。

 

 そんな彼等を予期せぬ衝撃が襲った。

 

 すなわち、「マリアナ諸島陥落」である。

 

 

 

 

 

 だから、あれほど言ったのだ。

 

 会議の場に出席しながら、彰人は憮然とした調子でそんな事を考えていた。

 

 宇垣率いる第2艦隊と共にブルネイに帰還した彰人の第7艦隊は、その後、一部損傷の軽い艦を、「明石」率いる後方支援艦隊に預け、自らは損傷の大きい艦を率いて本土へと戻ってきた。

 

 途中、東シナ海で潜水艦の襲撃を受けそうになったが、それを辛うじて回避し、本土に辿りついたのは、12月に入ってからの事だった。

 

 彰人は母港である横須賀に投錨すると、その足で軍令部へ出向くように言い渡された。

 

 彰人は取り急ぎ艦隊の入居を手配すると、すぐさま鎮守府から車を用立ててもらい、軍令部へと赴いたのだ。

 

 そこで待っていたのは、軍令部、連合艦隊を合同した全体会議だった。

 

「ともかくだッ」

 

 議長役を務める軍令部総長、永野修大将は、顔面を引きつらせながら口を開いた。

 

 レイテでの勝報を聞いた直後に届いた、まさかのマリアナ陥落。

 

 その事実が、彼を強く打ちのめしていた。

 

「すぐにでも、マリアナ奪還の為に兵を出さなくてはならんッ それも早急にだ!!」

 

 金切り声に近い叫びを発する永野。

 

 その顔には、深刻な焦りが見て取れた。

 

 だが、

 

「無理ですね」

 

 憮然とした調子で答えたのは、小沢治俊だった。

 

 レイテ沖海戦では連合機動艦隊を率いてハルゼーの目を引き付け、見事に連遊艦の側面掩護を果たした提督は、海戦後、残った「瑞鶴」「蒼龍」等の戦力を纏め、本土に帰還していた。

 

 空母5隻を失いはしたものの、敵機動部隊を完璧に引き付け、海戦3日目以降の連遊艦への航空攻撃を防いだ事で、海軍内の小沢に対する称賛の声は今まで以上に高まっていた。

 

 その小沢が、鋭い眼つきでジロリと永野を睨んだ。

 

 元々「鬼瓦」などと言う物騒な渾名で呼ばれている小沢である。その一睨みがいかに迫力ある物であるか、想像に難くない。

 

 ウッと息を飲む永野。

 

 その永野を睨みつけながら、小沢は続けた。

 

「レイテで勝利したとは言え、我が連合艦隊も基地航空隊も損害が大きく、すぐに出撃できる状態にありません。そんな状態でマリアナの奪回など夢物語でしかありません」

「そこを何とかするのが、君等の仕事だろうが!!」

 

 この給料泥棒め!!

 

 その言葉が口元まで出かかり、永野は思わず口をつぐむ。どう考えても、海軍戦略部のトップが言うセリフとして相応しくなかった。

 

「無い袖は振れませんので」

 

 対して、小沢は素っ気ない口調で応じる。

 

 小沢には、永野の魂胆が読めていた。

 

 元々、マリアナには充分な兵力が配置されていた。

 

 にも拘らずマリアナが陥落の憂き目を見たのは、他でもない。永野の命令に従い、駐留していた戦力を他戦線に転用された事が原因だった。

 

 そのせいでマリアナ駐留の帝国軍は、来襲した合衆国軍に対し殆ど抵抗らしい抵抗ができず、陥落の憂き目を見てしまった。

 

 マリアナから兵力が引き抜かれた理由は、陸軍の兵力不足によりマッカーサー軍に進軍阻止が困難になった事が由来している。それ故に、永野1人に責任を負わせる事は筋違いなのかもしれない。

 

 しかしだからと言って、何の責任も無しとはいかないだろう。

 

 まして、マリアナは本土を守る最重要な要塞陣地である。ここを抜かれたと言う事は即ち、本土が戦場になる事も避けられない事を意味している。

 

 永野の責任は、決して軽くは無かった。

 

 その失地回復の為に、永野は焦りを見せているのだ。

 

 とは言え、帝国海軍は永野の面子を守る為の道具ではない。損傷した艦艇を碌に修理もせずに出撃させる事など論外も甚だしかった。

 

「まあまあ、小沢提督。そう熱くならずに」

 

 猫なで声のような口調で声を上げたのは、補佐役として永野の傍らに控えている黒鳥陽介だった。

 

 どうやら永野では埒が明かないと判断して、しゃしゃり出て来たらしい。

 

 その姿を見た途端、連合艦隊側の幾人かは苦い表情を見せる。

 

 先日のレイテ沖海戦の際に行われた体当たり攻撃。所謂「神風特攻隊」の編成に中心的役割を果たし、さらに現地に行って督戦までしたのは、この黒鳥である。

 

 当然ながら、連合艦隊に所属する将校や艦娘達からは良い感情を持たれてはいない。

 

 だが、当の黒鳥本人はと言えば、そんな彼等の感情などどこ吹く風と言わんばかりに、涼しい顔で発言した。

 

「マリアナが取られたからと言って、それが即、本土の危機に繋がる訳ではありません。敵が本土に取りつくにはまだしばらく猶予がある筈です。その間に損傷艦の修理を終え、更に残る戦力を結集すれば、我が軍の勝利は間違いありません」

「残念ながら、事はそんな悠長に構えている場合じゃありませんよ」

 

 黒鳥の言葉を遮って発言したのは彰人である。

 

 途端に、苦々しい眼つきを向けてくる黒鳥。

 

 だが、彰人はその眼光を真っ向から受け止めて言い返す。

 

「マリアナの失陥は、帝国の滅亡に直結する一大事です。なぜなら、既に敵は、マリアナから出撃し、ノンストップで帝都を攻撃できる爆撃機を完成させているからです」

 

 彰人の言葉に、居並ぶ一同はざわめきを見せる。

 

 既に合衆国軍が実戦配備を進めているボーイングB29スーパーフォートレスの噂は、帝国軍内部で囁かれ始めている。

 

 完成すれば、マリアナから出撃して帝都を空襲し、またマリアナへ帰還できるほど長大な航続力を持つ重爆撃機の存在は、確かに脅威である。

 

 だが、

 

「何を言うかと思えば」

 

 そんな彰人の言葉に対し、黒鳥は鼻を鳴らしてせせら笑う。

 

「1個艦隊を預かる提督と言う立場にありながら、そのような幻想に怯えるとは。情けないにも程がある」

 

 黒鳥は、彰人を小馬鹿にした口調で続ける。

 

「僕の言っている事が幻想だと?」

「当然でしょう。そんな兵器が現実に存在する訳がない。我が国でも同様の機体が開発されていると聞きますが、完成には程遠い状況だとか。つまり、貴方が言っている事は妄想に過ぎないと言う事です。お分かりですかな水上少将?」

 

 黒鳥の言う「同様の機体」とは、中島飛行機が開発を進めている超重爆撃機の事だろう。

 

 完成すれば「富嶽」と命名される予定だったその機体は、計画性能ではB29を凌駕し、帝国本土から発進して合衆国首都ワシントンを爆撃。その後、盟邦ドイツの飛行場に着陸して給油を受けた後、帝国へ帰還する。と言う計画まで存在するのだとか。

 

 確かに完成すれば強力な機体になる事は間違いないが、あまりにも途方の無い計画であるが故に、実現は100パーセント不可能とされている。

 

 それにしても、

 

 帝国にできないからと言って、合衆国でもできない、などと言う発想は、どうすれば出て来るのか? 向こうの方が航空技術の面では優れていると言うのに。

 

 帝国にできない事でも合衆国にならできる。

 

 彰人はこの戦争で何度も、そんな場面を目の当たりにしてきたのだ。

 

「ともかく、です」

 

 彰人が次の言葉を発する前に、黒鳥は口を開いた。

 

「敵が次の攻勢を行うまでにはまだ時間がある訳ですから。その間、連合艦隊と基地航空隊には戦力の回復に専念してもらいます。なに、我が軍にはまだまだ戦力が残っているのです。戦う手段が無くなった訳ではありません」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 静かに口を開いたのは、宇垣護だった。

 

 彰人と共に損傷艦を引き連れて本土に帰還していた宇垣もまた、この会議へ招集されていた。

 

「例の特攻作戦を、今後も継続して行うと言う事かね?」

「当然です」

 

 黒鳥は胸を張って言い放った。

 

「単一の作戦。それも僅か50機の機体で空母4隻撃沈、2隻大破と言う戦果は、この戦争が始まって以来の快挙です。今後も特攻作戦を規模拡大していけば、我が軍に最終的な勝利が齎される事は疑いありません」

「愚かな事を」

 

 宇垣は吐き捨てるように返す。

 

 彰人はそんな宇垣の様子を見ながら、ブルネイに帰った日の事を思い出した。

 

 全艦隊の収容を終え、「大和」へ報告に行った彰人が見た物は、これまで見た事も無い程に荒れた様子の宇垣だった。

 

 怒りに任せて暴れると言う様子こそなかったものの、ジッと机に座り黙っている宇垣の迫力は、思わず彰人ですらギョッとしたほどの迫力であった。

 

 傍らで業務の手伝いをしていた大和も、声を掛けるのを躊躇う程の怒りを見せていた宇垣。

 

 その後、何とか怒りの理由を聞き出した彰人。

 

 その理由と言うのが他でもない。特攻に関する事だった。

 

 彰人も宇垣も軍人である。戦場で戦い武運及ばず死ぬ事については、とうに覚悟もできている。そして、それは艦娘達も同様である。少なくとも帝国海軍に所属する艦娘達の中で、戦う事に対して躊躇する者はいない。

 

 それは、彼等、そして彼女らが「プロ」の軍人だからに他ならない。

 

 プロであるが故に己の職務と生き様に誇りを持ち、散って行く事を良しとできるのだ。

 

 だが、特攻隊に選ばれたパイロット達は皆、候補生とは言え軍人になっていない、いわば「アマチュア」の域を出ていない者達ばかりである。

 

 いかに純戦術的に効果のある作戦でも、こんな物を認めなければいけない理由は、水平線の果てまで探しても見つかりそうになかった。

 

 そんな彼等に犠牲を強いる前提の作戦を今後も継続していくと言う黒鳥は、 明らかに、最初の大戦果に目を晦ませ、大局を誤っているとしか思えなかった。

 

「連合艦隊としては・・・・・・・・・・・・」

 

 重々しく開かれる声。

 

 その声に導かれるように、振り返る一同。

 

 そこには、連合艦隊司令長官 豊田玄武大将が謹厳な面持ちで座っていた。

 

 この会議が始まって以来、一言もしゃべる事が無かった豊田。その発言に、誰もが注目する。

 

 どうせ、軍令部の意見に賛成、などと言う言葉を言うのだろう。

 

 彰人はそう考えていた。

 

 豊田自身を悪い人間だとは思っていないが、豪胆な反面、上の命令には忠実な所がある豊田。現に、軍令部の命令に従い、マリアナ諸島の兵力をニューギニアに送る事を了承したのは豊田である。

 

 今回もそうなるだろう。

 

 果たして、

 

 豊田はゆっくりと目を見開いて続けた。

 

「連合艦隊としては、軍令部の方針には反対である」

 

 その言葉に、誰もが驚愕した。

 

 てっきり永野のシンパ(裏を返せば富士宮派閥)だと思っていた豊田が、ここでまさかの裏切りに出るとは。

 

 だが、そんな一同に構わず、豊田は続ける。

 

「特攻などと言う下劣な作戦を用いずとも、現に連合艦隊も航空隊も充分な戦果を上げている。あたら若い命を無駄に散らすことは無い」

「無駄とはなんですか!? 彼等は彼らなりに国を想い、そして散って行ったのですぞ!! そんな彼等の崇高な想いを踏み躙るが如き暴言は、たとえGF長官と言えど・・・・・・・・・・・・」

 

 黒鳥は最後まで言葉を言う事ができなかった。

 

 その前に、豊田の強烈な一睨みによって黙らされた。

 

 その様子を見て、彰人は勝負あった事を悟る。

 

 痩せても枯れても大将の階級を持つ人間の貫禄は、黒鳥如きに敵うものではなかった。

 

 そもそも豊田の言葉が散って行った特攻隊員の崇高な想いを踏み躙る物であるなら、その崇高な想いを焚きつけ、利用して死地に飛び立たせた軍令部はどうなのか?

 

 黒鳥が言っている事は、ただのご都合主義の妄言に過ぎなかった。

 

「しかしだね、豊田君」

 

 口を開いたのは、先程、小沢に論破された永野だった。

 

 どうやら今度は黒鳥が論破されたとみて、選手交代して来たらしい。

 

「そもそも特攻は、我が海軍が始めた事だ。それに、既に陸軍でも特攻の採用を決めている。それを今さら、我々の方からやめると言う訳にはいかんだろ」

「勘違いしないでください」

 

 永野の言葉を遮るようにして、再び口を開く彰人。

 

「特攻は戦争をする上で実施する一手段、それも長官が仰ったとおり下劣な手段です。若いパイロット達に『死んで来い』と言って出撃させるんですからね。そんな事しかできないようなら、こんな戦争はとっとと白旗掲げてやめるべきです」

 

 かなり過激な事を言っているのは、彰人自身にも判っている。

 

 だが、言わずにはいられなかった。

 

 永野が言った事は、完全に自分達の面子可愛さゆえである。

 

 自分達が始めて、戦果を上げ、それに便乗して陸軍も特攻を始めた。その言い出しっぺの海軍が、今さら手を引く事はできない。と言う。

 

 そこには特攻で散らされる若い命への情も、国民を守ると言う軍隊が持つ最低限の基本理念すら無い。

 

 ただただ、己の面子が大事と言う、意地汚い醜さがあるだけ。

 

 愚かしいにも程があった。

 

「言い過ぎだ、馬鹿」

「すみません」

 

 宇垣の叱責に、そう言って頭を下げる彰人。

 

 だが、言いたい事は言った。あとは状況に任せるのみである。

 

 そんな中、会議を締めくくるように、豊田が言った。

 

「今回のマリアナ失陥の件。更に、連合艦隊司令部(われわれ)に諮る事なく特攻などと言う重大な作戦を決行した件。それらについては、いずれ日を改めて、きっちりと追及させてもらいます」

 

 その言葉が重々しく、永野や黒鳥に胸に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日としないうちに、状況は忙しなく動いた。

 

 だが、その動きは海軍のみの範囲にとどまらず、帝国全体を巻き込むほどの大激震となった。

 

 その第一撃は、帝国政府その物に加えられた。

 

 まず、マリアナ陥落の責任を問われ、現政権は総辞職を余儀なくされた。

 

 首相であった東條は、マリアナに敵が進行した時点ではまだ戦況を楽観視し、天皇陛下に対して、「マリアナの防備は万全である」と奏上していた。

 

 だが、その言葉に反し、マリアナは僅か2カ月を待たずに陥落。東條は天皇陛下に対する面目を完全に潰してしまった。

 

 それに加えて東條には、大敗に終わったビルマ作戦を承認した責任もある。今上天皇は東條に厚い信頼を寄せていたが、ビルマ戦線の崩壊が巡り巡ってマリアナの失陥に繋がっている事を考えれば、流石に今回の失態においては庇いきる事ができなかった。

 

 内閣総辞職に伴い、海軍にも嵐が吹き荒れた。

 

 まず手始めに、海軍大臣も辞任した。とは言え、これは別段不思議な事ではない。内閣が辞職した以上、その内閣に名を連ねている大臣が連座で職を辞するのは慣例の事だった。

 

 だが、その後の展開は、誰もが予想できなかった事である。

 

 まず、軍令部総長の永野修大将が辞任した。

 

 表向きは「人事の刷新」と言う事になっているが、真の理由がマリアナ失陥の責任と、独断で特攻作戦を裁可した事への責任を問われた事であるのは言うまでもない。

 

 永野の辞任に伴い、軍令部内において彼の配下にいた職員たちも軒並み罷免され、閑職へと回されている。

 

 その中には黒鳥陽介の名前もあった。

 

 黒鳥は永野と共に軍事参議官に転任させられていた。

 

 軍事参議院とは、何らかの事案があって天皇陛下が裁可を下さなくてはならない場合、事の是非について討議し、天皇陛下の裁決の手助けをする組織である。

 

 名前は仰々しいし、ふとすれば重要な機関のようにも思えるかもしれないが、実際のところは何ら実権がある訳でもなく、天皇陛下が意見を求めなければ何もする事が無い。言ってしまえば「高等閑職」とでも言うべき部署だった。当然だが、軍の方針について直接的に意見する事も許されない。

 

 その他の者達も、地方の行政府や予備部隊の指揮官に転属させられた。

 

 これにより、海軍内における富士宮派閥は、事実上一掃されたのだった。

 

 代わって、新しい人事が発令された。

 

 まず、海軍大臣に就任したのは井上成重(いのうえ なるしげ)大将だった。

 

 彼は開戦時には第4艦隊司令官を務め、ウェーキ島攻略や珊瑚海海戦を指揮した人物である。

 

 その指揮ぶりは拙劣で、お世辞にも名将とは言い難い部分があった事は否めない。

 

 だが一方で、江田島兵学校校長に就任すると、「脱落者を出さない」と言う大方針を打ち立てて教育改革を行い、立派な海軍士官を幾人も育て上げた実績を持つ。

 

 また政治的手腕にも優れ、その現実を見通し、時には正論を持って自らの意志を押し通そうとする姿勢から「過激な現実主義者(ラジカル・リベラリスト)」と言う異名で呼ばれていた。

 

 井上には海軍大臣として、今後その手腕に大きく期待されていた。

 

 次に、新任の軍令部総長には、繰り上がる形で豊田玄武大将が就任した。

 

 ニューギニアに航空兵力を抽出した件について責任があるのは豊田も同様であるが、しかしレイテではともかく勝利を収めたのは事実である。その功績でもって今後、海軍の戦略立案に期待されていた。

 

 そして豊田の後を追う形で連合艦隊司令長官に就任したのは、

 

 連合機動艦隊司令長官であり、数々の戦いで武勲を重ねてきた名将、小沢治俊だった。

 

 この人事については、問題無く了承された。

 

 ただし、小沢は本人の主張により、機動部隊指揮官を兼任する事。更に、慣例通り大将への昇進する事は謝辞し中将のままGF長官に就任していた。

 

「現状、考えなくてはならない事は、マリアナ諸島の可能な限り速やかな奪還、乃至、敵戦力の粉砕である」

 

 空母「瑞鶴」に将旗を掲げた小沢は、着任時の第一声としてそのように訓示した。

 

 正に、もう後が無い帝国。

 

 今、最後の戦いに向けて、全てが動き出した。

 

 

 

 

 

第84話「政変」      終わり

 


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