蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第78話「非情の海」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合衆国海軍第3艦隊司令官ビル・ハルゼー中将の機嫌が良かったか、と言われれば、誰もが首を横に振るだろう。

 

 友人からは「ブルドックのよう」などと言われるいかつい顔面いっぱいに不機嫌さを張り付け、旗艦「ニュージャージー」の艦橋でふんぞり返っていた。

 

「クソッ」

 

 舌打ち交じりに呟きを漏らす。

 

「ジャップの艦隊はいったいどこへ行ってしまったんだ」

 

 ハルゼーの苛立ちの原因は、そこにあった。

 

 折角出撃して来たのに、帝国艦隊が現れない。

 

 彼はてっきり、台湾を攻撃した時点で帝国艦隊が現れると思っていたのだ。だからこそ、わざわざ艦隊を台湾に接近させ、堂々とした姿を見せ付けてやったのだ。

 

 自分が敢えて姿を見せてやれば、帝国艦隊がこれ幸いと出て来る事を期待していたのだ。

 

 そうしておびき出した帝国艦隊を、ハルゼー自らが艦隊を率いて殲滅する。と言うシナリオを考えていたのだが・・・・・・・・・・・・

 

 しかし、意に反して帝国艦隊は現れなかった。

 

 ハルゼーとしては欲求不満が溜まる一方だった。

 

「これじゃあ、いったい何の為にマッカーサーの野郎についてフィリピンくんだりまで来たのか判らんじゃないか」

 

 ハルゼーがマッカーサー嫌いである事は有名な話であるが、今回、ハルゼーは帝国艦隊と直接雌雄を決する為に、敢えて自ら艦隊を率いて来たのだ。

 

 彼は自らが率いる艦隊が世界最強であると自負しており、それは同時に紛れもない事実でもある。

 

 ハルゼー艦隊の全力を持ってすれば、帝国軍艦隊の全ての艦艇を海の藻屑にしてやる事ができるだろう。

 

 だが、それも帝国艦隊が現れない事には如何ともしがたい。ハルゼーの闘志は、完全に空回っていた。

 

 彼は戦いたくて、このフィリピンに来たのだ。動く事の出来ない敵基地を叩く為でも、まして大嫌いなマッカーサーを支援する為でもない。

 

 そして戦うなら大物。それも、帝国海軍が後生大事に取っておいてある空母との戦いが望みだった。

 

「まるで子供ね」

 

 呆れ気味に言ったのはニュージャージーである。

 

 トラック環礁海戦時、スプルーアンスが将旗を掲げたこの新鋭戦艦は、今度はハルゼーの旗艦として、このレイテ沖海戦に参加していた。

 

「遊び相手が現れないのが、そんなに寂しい訳?」

「当然だろうが」

 

 噛みつくような勢いで答えるハルゼー。

 

「待つのは良い。ジャップ共の艦隊が確実に現れるんならな。だが、奴等は臆病風にでも吹かれたみたいに雲隠れしやがっているじゃねえかッ」

 

 敵が来るのを待ち受けて倒すのと、いつ来るか判らない敵に待ちぼうけを喰らわされるのとでは、少なくともハルゼーの中では天地の開きがあった。

 

 嘆息するニュージャージー。

 

 前任者のスプルーアンスは物事を深く考えすぎてしまい、そのせいでニュージャージーは苛立つ事も多かったのだが、今度のハルゼーはその逆である。

 

 本能のまま行動し、本能のまま戦おうとする。

 

 闘将の名に相応しいと言えなくもないが、もう少し控えめにしてくれた方が、ニュージャージーとしてはありがたいくらいである。

 

 いっそ、帝国艦隊にさっさと現れてほしいくらいだった。そうすれば、ハルゼーの苛立ちも収まる事だろう。

 

 果たして、

 

 ニュージャージーの祈りが天に届いたのは、それから数時間後の事だった。

 

「報告しますッ」

 

 通信文を手にした兵士が、艦橋内に入ってきて報告をした。

 

「フィリピン西部を哨戒中の味方潜水艦より報告です。《我、敵艦隊を発見す。数、40隻前後。戦艦複数を含む》。以上です」

 

 その報告に、ハルゼーは指を鳴らした。

 

 待ちに待った帝国艦隊が、ようやく姿を現したのだ。

 

 だが、ふと気になった事を口にする。

 

「戦艦だけか? 空母はいないのか?」

「ハッ 発見の報告は受けていません」

 

 発見できたのは戦艦だけで、空母はいない。

 

 その事実を、ハルゼーは噛みしめるように考える。

 

 帝国艦隊がようやく出て来たのは喜ばしい事だが、最上の獲物である空母がいないのはいただけない。

 

 空母と航空機は海戦の主力であり、今や航空機の援護なしで艦隊決戦を勝ち抜くのは困難を極める。と言うのは最早、常識と言って良いだろう。

 

 現代海戦は既に、航空機無しでは成り立たなくなりつつあるのだ。

 

 航空支援の無い艦隊を突っ込ませるなど、愚の骨頂である。

 

 その事から考えると、戦艦部隊は囮。ハルゼーの目をそちらに引き付けておいて、その隙に空母部隊が襲撃すると考えられた。

 

 下手に戦艦部隊に気を取られ過ぎると、かえって危ないだろう。

 

「フン、そんな安い手に掛かってたまるかよ」

 

 嘯くハルゼー。

 

 とは言え、折角獲物がノコノコと目の前に現れてくれたのだ。そちらを見逃す手も無かった。

 

「直ちに攻撃隊発進準備に掛かれ。ジャップ共に目に物を見せてやるんだ」

 

 消しかけるようなハルゼーの言葉。

 

 それと同時に、殺戮者の群れは雄たけびを上げて動きだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パラワン水道で敵潜水艦の襲撃を受けた連合遊撃艦隊は、その後は特に襲撃を受ける事も無く、翌日には予定通り、シブヤン海への侵入を果たしていた。

 

 ここまでで、行程の半分は消化した事になる訳だが。

 

「問題はここから、だね」

 

 彰人は朝日に照らされた海面を眺めながら、呟きを漏らす。

 

 昨日、潜水艦に襲撃された事で、連遊艦の動きは敵に察知されている筈である。となれば予想通り、敵はまず空から仕掛けてくるだろう。

 

 チラッと、自分の背後へと視線を向けると、姫神が艦の制御に集中しているのが見える。

 

 シブヤン海は島の多い狭い海だ。本来なら大規模な艦隊運動には適さない場所である。

 

 このような場所で襲撃を受けたら、大損害を喰らいかねない。

 

 できるなら、何事も無く通過したいところではあるのだが、

 

 しかし、

 

「対空電探に感有り!!」

 

 彰人の願いは、天には届かなかった。

 

 電測員の絶叫と共に、事態は動き出す。

 

「やっぱり・・・・・・・・・・・・」

 

 敵が連遊艦の接近を見逃すとは思っていなかった。

 

 チラッと、姫神に目をやる彰人。

 

 同時に、顔を上げた姫神と視線が重なる。

 

 大丈夫だ。

 

 心が通じ合っていれば、どんな困難でも乗り越えて行ける筈。

 

 頷き合う、彰人と姫神。

 

 同時に、彰人は帽子を目深にかぶり直して正面を向く。

 

「全艦、対空戦闘用意!!」

 

 命令は直ちに伝達され、第7艦隊の各艦は接近してくる敵機を迎え撃つべく、急速に戦闘準備を整えて行く。

 

 機関は唸りを上げ、各砲は天を仰ぐ。

 

 戦艦群の主砲が一斉に旋回を始めた。

 

 同時に、先行する第2艦隊も、戦闘準備を整ていくのが見える。

 

 こうして、連遊艦の各艦が接近する敵機を迎え撃つべく準備を進める中、

 

 間もなく、耳障りなエンジン音が、上空から響き渡って来た。

 

「来たか」

 

 「姫神」の防空指揮所に上がった彰人は、双眼鏡を手にしながら、接近してくる敵編隊を睨み据える。

 

 雲の合間を縫うように、連遊艦を目指して飛行してくる敵編隊。

 

 だが、

 

「少ない、な」

 

 彰人は低い声で呟く。

 

 敵はせいぜい、20~30機といったところであろう。

 

 少なめに見積もっても1000機以上の艦載機を有しているにしては、随分と敵機の数が少ない。

 

「温存しているのか・・・・・・・・・・・・」

 

 思案しながら彰人は呟く。

 

 敵は帝国海軍の空母からの攻撃を警戒し、航空機の温存を図っているのかもしれない、と彰人は考えていた。

 

 連遊艦を相手にしている隙に、小沢機動部隊に横腹を突かれる事を恐れているのだ。敵の指揮官は。

 

「なら、やりようはある」

 

 彰人は帽子の下で不敵に笑う。

 

 敵がこちらを軽視してくれているなら、それこそ好都合だった。ここは最大限、付け込むべきだった。

 

「敵編隊、更に接近ッ!!」

「左舷90度ッ 高角40度!!」

 

 更に接近する敵機。

 

 同時に、彰人は眦を上げた。

 

「対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 彰人の号令と共に、戦艦群は一斉に主砲を撃ち放った。

 

 46センチ砲27門、40センチ砲20門、36センチ砲22門。

 

 その全てが、対空用に3式改対空砲弾になっている。

 

 後に「レイテ沖海戦」の名で呼ばれる事になる戦い。

 

 その第1戦となる、「シブヤン海海戦」の幕が、ここに、壮絶に切って落とされた。

 

 空中で炸裂する砲弾。

 

 飛び散る鉄球の嵐が、合衆国軍の編隊を飲み込んで行く。

 

 たちまち、機体を引き裂かれて墜落する敵機が続出する。

 

 喝采を上げる連遊艦。

 

 帝国海軍最強の戦艦群による砲撃は、圧倒的な攻撃力を見せつけ、敵機の半数近くを撃墜に追い込んだ。

 

 だが、

 

「敵第2波接近!!」

 

 その報告に、彰人は舌打ちした。

 

 敵は、こちらの動きを読んで、初めから2段構えの編成を行ってきたのだ。

 

 戦艦主砲による対空射撃が脅威なのは、これまでの戦訓で合衆国海軍も判っている。

 

 だから、囮となる部隊を配置してこちらの目を引き付ける一方、本命となる部隊を時間差を置いて突入させてきたのだ。

 

「第2艦隊各艦、対空戦闘を開始した模様!!」

 

 第2艦隊に所属する「大和」以下の艦艇が、上空目がけて一斉に対空砲火を放っている。

 

 そんな中、一部の敵部隊が第7艦隊の方角に向かってくるのが見えた。

 

「撃ち方始め!!」

 

 鋭く命じる彰人。

 

 同時に、第7艦隊の各艦も、一斉に対空砲火を撃ち上げ始めた。

 

 外周の駆逐艦を突破して、輪形陣の内側に入り込もうとしてくる数機のアベンジャー。

 

 だが、

 

 そこへ「姫神」と「黒姫」から火砲が殺到する。

 

 電探連動式の対空砲を持つ両艦は、殺到しようとするアベンジャーに砲撃を集中させる。

 

 たちまち、火を噴いて落下していくアベンジャー。

 

 だが、合衆国軍は尚も執拗だった。

 

「敵機直上!!」

 

 見上げればそこに、爆弾を抱えた複数のヘルダイバーが、一斉に急降下しようとしていた。

 

「取り舵一杯!!」

 

 対空砲火だけでは埒が明かないと判断した彰人が、とっさに回避を命じる。

 

 暫くした後、徐々に艦首を振り始める「姫神」。

 

 そこへ、ヘルダイバーが投下した爆弾が次々と落下してくる。

 

 突き上げられる水柱の中を、「姫神」のスマートな艦体が、高速で駆け抜けていく。

 

 1機のヘルダイバーが「姫神」上空で弾け飛ぶ中、彰人は次の目標に視線を向けていた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 宇垣率いる第2艦隊にも、敵機が殺到していた。

 

 攻撃手段はこれまでと同様、急降下爆撃と雷撃を同時に行う事で、対空砲火の分散を狙って来ている。

 

 それが判っているからこそ、宇垣も可能な限り各艦が互いに掩護できるような陣形配置を心がけていた。

 

 そんな中で威力を発揮したのは、やはり「信濃」だった。

 

 旗艦「大和」の左舷側に占位し、32門の長10センチ砲を筆頭にして、圧倒的な火力を見せ付ける。

 

 海面スレスレの低高度から接近を図ろうとするアベンジャー部隊には、28連装噴進砲が次々と襲い掛かり、敵機を寄せ付けない。

 

 帝国海軍最強の防空力は伊達ではなかった。

 

 合衆国軍も、そんな「信濃」の奮戦に恐れをなしたのか、彼女を迂回する形で殺到しようとしてくる。

 

 だが、

 

 対空火力を強化されたのは、何も「信濃」ばかりではなかった。

 

 

 

 

 

 合衆国軍の攻撃隊は、一部が回り込むようにして連遊艦の右舷側に出ようとしていた。

 

 「信濃」の強烈な対空砲火を避けようとした結果、そのような軌道を取る事になったのである。

 

 後続する第7艦隊を目指す合衆国軍。

 

 だが、

 

 そんな彼等の前に、生まれ変わった1隻の戦艦が立ちはだかった。

 

「やらせませんよ。お姉さまたちは!!」

 

 気合十分に叫んだのは比叡である。

 

 その艦上に並べられた対空砲が、向かってくる敵機に対して一斉に火を噴いた。

 

 その火力は圧倒的であり、他の戦艦を明らかに上回っている。

 

 南太平洋海戦に参加し、大破した「比叡」は、その後、副砲を全撤去して、空いたスペースに高角砲と機銃を増設している。

 

 ここまでなら、同様の措置を「大和」「長門」「金剛」と言った戦艦たちも行っている事であるが、「比叡」の場合、損傷の激しかった第3砲塔を撤去し、空いたスペースに合計4基もの高角砲を設置している。

 

 合計で20門に達する高角砲が一斉に唸りを上げる。

 

 直撃を受けて海面に突っ込むアベンジャーが続出する。

 

 その鉄壁とも言える防空火力を前にして、多くの機体が輪形陣突入を果たせず、空しく帰投していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘開始から4時間が経過し、戦闘はますます激しさをましていた。

 

 ここに至るまで、合衆国軍は連合遊撃艦隊に対し3波に渡る攻撃隊を繰り出している。

 

 当初は、連遊艦の対空砲火の前に攻めあぐねていた合衆国軍であったが、徐々に追い詰めようとしていた。

 

 攻撃の連携がシャープになり、フェイントまでかけてくるようになったのだ。

 

 その為、連遊艦側の被害も増し始めている。

 

 既に「信濃」「武蔵」「金剛」「妙高」が直撃弾を浴びている。

 

 今のところ、沈没した艦は無い。

 

 損害軽微なのが救いであるが、連遊艦の対空砲火が、度重なる攻撃を前に綻びを見せ始めているのは確かなようだった。

 

 そしてついに、

 

 連遊艦側にも犠牲が出る事になった。

 

 狙われたのは、第4戦隊旗艦「愛宕」だった。

 

 

 

 

 

 ヘルキャット数機が、翼を連ねて低空から接近してくる。

 

 その様子を、愛宕は自らの艦橋で訝るように眺めていた。

 

「戦闘機が、いったい何を・・・・・・・・・・・・」

 

 呟いた瞬間、

 

 ヘルキャットの両翼に、一斉に火が噴いた。

 

「あッ!?」

 

 叫んだ時には、既に遅かった。

 

 複数の直撃弾が、一斉に歴戦の重巡を襲う。

 

「ああッ!?」

 

 身体に走る痛みに、思わず悲鳴を上げる愛宕。

 

 攻撃したヘルキャットは、翼下にロケット弾を搭載し、それを一斉に放ったのだ。

 

 本来なら地上攻撃の際に用いる平気なのだが、当然ながら対艦攻撃にも使う事ができる。一発で撃沈には追い込めないが、対空砲火を潰す役割は十分期待できた。

 

「まさか、こんな攻撃が・・・・・・・・・・・・」

 

 愕然と呟く愛宕。

 

 だが、彼女の悲劇は、まだ終わっていなかった。

 

 ヘルキャットに後続するように、今度はアベンジャーが編隊を組んで向かってくるのが見えた。

 

「面舵一杯!!」

 

 艦長が必死の形相で叫ぶのが聞こえる。

 

 先のヘルキャットの攻撃によって、右舷側の対空砲は潰されてしまっている。攻撃阻止は不可能だった。

 

「クッ!?」

 

 とっさに艦の制御に集中。艦長の指示に従い艦首を右舷へと向ける愛宕。

 

 重巡特有のスマートな艦体が旋回を開始する。

 

 それと同時に、「鳥海」と「摩耶」。2人の妹たちも、必死に対空砲火を撃ち上げて姉を掩護してくる。

 

 特に「摩耶」は、改装されて戦艦に匹敵するほどの打撃力を持つ対空砲を必死に振り翳しているのが見えた。

 

 だが、その抵抗を持ってしても、合衆国軍の猛攻は防げない。

 

 やがて、

 

 「愛宕」の舷側に、魚雷命中を示す2本の水柱が迸った。

 

 

 

 

 

 空襲がひと段落した時点で、彰人は艦隊に集結命令を出した。

 

 時刻はまだ昼過ぎ。

 

 敵将がどこまで食いついてくる心算かは判らないが、あと2回、多ければ3回は空襲があると考えるべきだろう。

 

 幸いな事に、今のところ、一度に来襲する敵機はせいぜい30機程度。多くても50機ほどである。

 

「どうやら思った通り、敵将は戦力の温存を図っているみたいだね」

 

 彰人は敵将ハルゼーの心理を読み取って、そう呟いた。

 

 ハルゼーの狙いは恐らく、自分達に接近しているであろう連機艦の迎撃だ。その為に、自軍の航空機をなるべく温存しているのだろう。

 

 連遊艦の事は軽視しているのか、それとも制空権を取った後にじっくりと仕留める心算なのか。

 

 いずれにしても、こちらはレイテ突入までに距離を稼げる事になる。

 

「被害集計が出ました」

 

 参謀長が書類の束を持って報告してくる。

 

「戦艦『武蔵』に魚雷1本命中。『信濃』に爆弾3発名中。『金剛』に爆弾1発命中。重巡『愛宕』にロケット弾複数、及び魚雷2本命中。『妙高』魚雷1本命中となっています。なお、戦艦は何れも小破で、戦闘、航行に支障はないそうです」

「そうですか・・・・・・・・・・・・」

 

 今のところ、被害は最小限に留まっていると言って良いだろう。

 

 小分けにしているとは言え、のべ150機近い敵機に襲われて、主力戦艦群が未だに戦闘力を失っていないのは大きい。

 

 しかし、

 

「彰人、あれを」

 

 姫神に促されるまま、視線を外へと向ける。

 

 そこには、傾斜して海上に停止している「愛宕」の姿があった。

 

 その艦体は未だに燃え盛っている。

 

 「愛宕」はもう、助からない。それは誰の目にも明らかだった。

 

 かつて第2艦隊旗艦を務めた栄光の重巡は、このシブヤン海に沈む事になる。

 

 既に「妙高」も、大破し艦隊から脱落している。連遊艦はこれで、3隻の重巡を突入戦力から失った事になる。

 

 宇垣はやはり、沈没艦や脱落艦に護衛は付けないつもりらしかった。

 

 非情だが、正しい判断である。艦が脱落する度に護衛を付けていたら、最終的に随伴できる駆逐艦がいなくなってしまいかねない。

 

 もっとも、自分が宇垣と同じ立場であったなら、同様の決断ができると言う自信は彰人には無いのだが。

 

 「愛宕」の艦橋では、髪の長い女性が手を振っているのが見える。

 

 愛宕もまた、自分の最後を悟って別れの挨拶をしているのだ。

 

 そんな愛宕に、手を振りかえす彰人と姫神。

 

 対して、愛宕もまた微笑を向けたように思えた。

 

 だが、

 

 呑気に別れを惜しむ時間すら、彰人達には無かった。

 

「対空電探に感3!!」

 

 電測室から緊張した報告が上げられる。

 

 舌打ちする彰人。まったく持って、余韻に浸る余裕すら、敵は与えてくれない。

 

「対空戦闘用意!!」

 

 彰人の命令に、再び第7艦隊は臨戦態勢を整える。

 

 最後に、

 

 姫神はチラッと、「愛宕」の方へと目を向けた。

 

 

 

 

 

 この日、4度目となる連合遊撃艦隊に対する航空攻撃は、この日最大の規模となった。

 

 来襲した敵機は、実に150機。

 

 航空支援の無い艦隊に対する攻撃としては、過剰とも言える規模の攻撃隊である。

 

 合衆国海軍の指揮官であるハルゼーは、思うように戦果が上がらない事に業を煮やし、出せるだけの数の機体を連遊艦に差し向けて来たのだ。

 

 対して、連遊艦側も一斉に対空砲火を撃ち上げて対抗する。

 

 たちまち、シブヤン海の戦場は空と海とに破壊の衝撃が撒き散らされる。

 

 そんな中、

 

 合衆国軍が狙ったのは、やはり大和型戦艦の3姉妹だった。

 

 上空からでもひときわ目立つ3隻の巨艦が、真っ先に狙われるのは至極当たり前の事だった。

 

 だが、

 

 連遊艦側も、それを許すまいと必死に抵抗を行う。

 

 一群のヘルダイバーが、輪形陣中央に位置する「大和」を狙って急降下を開始するのが見える。

 

 位置関係から「大和」が旗艦であると見抜いたのだろう。

 

 一斉に急降下するヘルダイバーから、爆弾が次々と投下される。

 

 だが、

 

「当たりません!!」

 

 少女の凛とした叫び。

 

 同時に「大和」は艦首を左に振り始める。

 

 大和型戦艦は、その巨体に比して実は旋回半径がかなり小さい。これは主舵と副舵をタンデム式に装備している事、そして縦横比が7:1と小さく、横からの水圧が小さい事に由来している。

 

 これらの条件のおかげで、旋回半径自体は駆逐艦よりも小さいくらいである。

 

 もっとも、質量自体がかなりの物になる為、舵輪を回してから実際に艦首を振り始めるまで1分近い時間がかかるのだが。

 

 つまり、大和型戦艦とは思っている以上に、機動性が高い艦なのである。

 

 その旋回力を駆使し、「大和」は今日1日の戦闘をほぼ無傷で乗り切っていた。

 

 そして、それは今回も同様である。

 

 吹き上がる水柱が「大和」の両舷を覆い尽くしていく。

 

 はた目には轟沈を思わせる光景だが、事実は真逆。ただの1発も「大和」に命中していない。

 

 逆に、対空砲の痛烈なカウンターパンチを浴びた2機のヘルダイバーが、引き起こす事もできずに海面へと突っ込んで行った。

 

「よくやった。その調子で恃むぞ大和」

「はいッ 提督!!」

 

 宇垣の激励に、笑顔で返事をする大和。

 

 その間にも降り注ぐ爆弾の雨は、しかし「大和」を捉えることは無かった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 彼女の妹である武蔵も、多数の敵機に群がられながら奮闘を繰り返していた。

 

 午前中の戦いで魚雷一本を喰らい、若干の浸水を来した「武蔵」だったが。その後の注排水によって復旧を果たし、戦闘航行には一切の支障が無かった。

 

 その「武蔵」が、再び集中攻撃を受けていた。

 

 唸りを上げて、翼が一斉に急降下するのが見える。

 

 投下される爆弾。

 

 その様を、

 

 武蔵は不敵な眼差しで見据える。

 

「舐めるなよ!!」

 

 一斉に放たれる対空砲火。

 

 1機のヘルダイバーがバランスを崩して海面へと突っ込む。

 

 だが、

 

 他の機体は「武蔵」の対空砲火を恐れる事無く、そのまま突っ込んで来た。

 

 衝撃が走る。

 

 命中した爆弾は3発。

 

 「武蔵」の甲板に爆炎が躍った!!

 

「右舷中央に直撃弾ッ 高角砲1基損傷!!」

「左舷に直撃弾ッ 第2機銃群全滅!!」

「第2砲塔に命中弾ッ 損害無し!!」

 

 第2砲塔に命中した爆弾は、その分厚い装甲によって弾き返されていた。

 

 流石の防御力と言うべきだが、残り2発の命中弾が「武蔵」から対空戦闘力を削ぎ落している。

 

 更に、

 

「右舷雷跡ッ 接近!!」

 

 見張り員の絶叫。

 

 爆弾命中による衝撃の、一瞬の隙を突いて接近してきたアベンジャーが、魚雷を放ったのだ。

 

「面舵一杯!!」

 

 艦長の命令と共に、右への回頭を始める「武蔵」。

 

 だが、回頭は聊か遅かった。

 

 放たれた魚雷の大半は、「武蔵」の両舷を通り過ぎていく。

 

 しかし、完全に艦首が魚雷と正対する前に、衝撃が襲ってきた。

 

 命中魚雷は2本。

 

 これで、午前中の分と合わせて、「武蔵」は3本の魚雷を喰らった事になる。

 

 しかし、

 

「まだまだ!!」

 

 咆哮を上げる武蔵。

 

 世界最大の巨艦は、尚も屈する様子を見せない。

 

 浸水によって生じた傾斜は、注排水によって復旧しつつある。

 

 更に、その間も機銃と高角砲が唸りを上げて敵機阻止を試みていた。

 

 だが、そこへ更にアベンジャーが接近してくる。

 

 既に爆弾槽の扉が開き、魚雷の発射体勢に入っている。

 

 駄目か?

 

 そう思った時だった。

 

 突如、

 

 「武蔵」に接近するアベンジャー編隊のど真ん中で、巨大な炸裂が発生した。

 

 たちまち、あおりを喰らって吹き飛ばされるアベンジャー。

 

 その様子に、武蔵も唖然とした様子で眺めている。

 

「いったい、何が・・・・・・・・・・・・」

 

 呆然として振り返る。

 

 そこには、

 

 後方を航行する第7艦隊。

 

 その中心に位置している2隻の巡洋戦艦が主砲を振り翳し、「武蔵」を掩護している様子があった。

 

「味な事をしてくれる」

 

 不敵に笑う武蔵。

 

 尚も敵機が上空で乱舞する中にあって、頼りになる味方と言う物はどこまで行ってもありがたい物だった。

 

 

 

 

 

 敵機に群がられた「武蔵」をとっさに主砲射撃で掩護した「姫神」と「黒姫」。

 

 どうやら効果はあったらしく、「武蔵」に攻撃寸前だったアベンジャー部隊は全滅。残りも、圧倒的な火力に追い散らされていった。

 

 これで、少なくとも「武蔵」の危機は回避できたはずだった。

 

 周囲を見回す彰人。

 

 連遊艦の各艦は必至の応戦を繰り返している。

 

 中には損傷をおっているらしい艦も少なくは無いが、それでも必死に海面を駆けまわりながら対空砲火を撃ち上げている。

 

 既に、上空に残っている敵機の数も少ない。

 

 これなら、持ち堪えられるはず。

 

 今日1日乗り切る事さえできれば、明日にはレイテへ突入できる筈。

 

 この戦い、出した犠牲は決して少なくは無かったが、少なくとも乗り切る事はできる筈。

 

 そう確信する彰人。

 

 だが、

 

 そう判断するのは、まだ早計だった。

 

 誰もが見せた、一瞬の安堵の瞬間。

 

 その一瞬の間が、悲劇を生んだ。

 

 第2艦隊を攻撃していた一部の敵機が、進路を変えて第7艦隊の方へとやって来たのだ。

 

 恐らく、第2艦隊の対空防御は厚いと判断して、矛先を変えて来た物と思われる。

 

 対して、第7艦隊も「姫神」を中心に応戦をする。

 

 しかし、

 

 その全てを防ぎきる事は不可能だった。

 

 狙われたのは、輪形陣外周の駆逐艦。

 

 その先頭にいた「雷」に、攻撃が集中する。

 

「雷!!」

 

 聞こえない事は判っていても、叫んでしまう彰人。

 

 一瞬、

 

 駆逐艦の艦橋で、見慣れた少女が溌剌な笑みを浮かべた気がした。

 

 次の瞬間、

 

 駆逐艦「雷」を、複数の爆弾が直撃する。

 

 踊る爆炎。

 

 閃光が視界を埋め尽くす。

 

 やがて晴れる視界。

 

 その彼方に、

 

 駆逐艦少女の姿は、何処にも無かった。

 

 

 

 

 

第78話「非情の海」      終わり

 


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