蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第76話「通い合う心」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 航空母艦「蒼龍」戦闘機隊所属 相沢直哉中尉は、ここ数日、いつも心ここに非ずと言った感じに過ごしていた。

 

 一言で言えば「気が抜けた」感じである。

 

 日がな一日、飛行甲板に座り込んでボーっとしている事が多い。

 

 かと思えば、ひとたび空へと上がれば鬼神もかくやと言わんばかりの暴れぶりを見せる為、始末に負えない。

 

 おかげで訓練時、不用意に直哉の機体に近付こうとしたパイロットは、手痛いしっぺ返しを食らって退散する羽目に陥っている。

 

 どうやら、天才パイロットは腑抜けていても、体は勝手に動くらしかった。

 

 いずれにしても、はた迷惑な話である。

 

 そして今日も、直哉は1人、「蒼龍」の飛行甲板に座って海を眺めていた。

 

 少年はただ、前方の海に見入っている。

 

 耳に聞こえる潮騒の音。

 

 艦体に寄せては返す波が、深く心に響いて来る。

 

 まるで、そのまま引き込まれて生きそうである。

 

 

 

 

 

 深く

 

 

 

 

 

 深く

 

 

 

 

 

 どこまでも深く

 

 

 

 

 

 ただ、静かに・・・・・・

 

 

 

 

 

「だァァァァァァッ 鬱陶しいわァァァァァァァァァ!!」

 

 ドゴォッ

 

「うわわわッ!?」

 

 いきなり背中から蹴り飛ばされ、そのまま吹き飛ばされる直哉。

 

 その背後では、小柄な少女が怒り顔で仁王立ちしていた。

 

「ええ加減、戻って来んかいアホンダラ!! いつまで腑抜けとる心算や!?」

「りゅ、龍驤?」

 

 蹴り飛ばされたショックから立ち直れない直哉に、龍驤はズイッと顔を近づけてくる。

 

「いったいどないしたんやジブン? しゃっきりせんと、示しがつかんでッ」

「それは・・・・・・判ってるけど・・・・・・」

 

 龍驤に言われ、直哉は視線を逸らす。

 

 どうやら本人も、自分が普通ではない事を自覚しているらしかった。

 

「・・・・・・・・・・・・何かね」

 

 ややあって、直哉は語り出した。

 

「僕は本当に、飛龍の仇を討てたのかな、て思って」

 

 あの、マリアナ沖海戦で、敵旗艦を銃撃した直哉。あの時確かに、甲板上で将官風の人物が倒れるのを見た。

 

 そしてあの後、直哉は小沢から、敵将スプルーアンスがマリアナで戦死した事を聞かされている。

 

 つまり、真偽はどうあれ、飛龍の仇に当たる人物が死んだのは間違いないのだ。

 

「けど結局、僕がやった事なのか、それともそうじゃないのか、それが判んないからさ。どうしても、もやもやしちゃって・・・・・・・・・・・・」

 

 自分は、飛龍の仇を討てたのだろうか?

 

 そんな考えが、どうしても直哉に付きまとっていた。

 

 対して、

 

「阿呆か、ジブン」

 

 龍驤は呆れ気味に言った。

 

 対して、直哉はキョトンとした顔で龍驤を見る。

 

「誰がやろうが、飛龍の仇を討てた事には変わりないやろ。そもそも『戦果の判らん結果』なんてもんは、戦場ではよくある話や。なら、『やったのは自分』って思っておけばええろが」

「そんな強引な」

 

 直哉は嘆息交じりに龍驤に返す。

 

 彼女の言っている事は、あまりにも暴論のように思えたのだ。

 

 だが、

 

「強引で結構」

 

 龍驤は(無い)胸を張る。

 

「こういう事は、多少強引にやった方がええに決まっとる」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな龍驤を、呆れた眼差しで見詰める直哉。

 

 そんな直哉に対し、龍驤は自分の背後を指差した。

 

「それにほれ。少なくとも1人、あんたに感謝しとる奴がおるで」

「え?」

 

 視線を向ける直哉。

 

 そこには、

 

 緑色の着物にスカート姿の少女が、真っ直ぐな瞳をして直哉を見詰めていた。

 

「蒼龍・・・・・・・・・・・・」

 

 その声に答えるように、蒼龍はゆっくりと直哉に近付いて来る。

 

 そして、

 

「ありがとうございました、中尉」

 

 そう言って、蒼龍は直哉に深く頭を下げる。

 

「飛龍の、仇を取ってくれて」

 

 飛龍の仇を討ちたいと考えていたのは、何も直哉ばかりではない。

 

 蒼龍もまた、妹分の仇を取りたいと、密かに思っていたのだ。

 

 そして、その想いは図らずも、直哉が成し遂げてくれた。

 

 いわば、直哉と蒼龍。2人の想いが成就した形である。

 

「でも蒼龍、僕は・・・・・・・・・・・・」

「良いんです」

 

 否定しようとする直哉を制して、蒼龍は強い口調で遮った。

 

 ふと顔を上げる直哉。

 

 そこには、蒼龍の笑顔があった。

 

「私が、そう思いたいんです。中尉が飛龍の仇を討ってくれたって」

「蒼龍・・・・・・・・・・・・」

 

 見つめ合う2人。

 

 いつの間にか龍驤の姿は無い。どうやら、2人に気を効かせてくれたらしかった。

 

 直哉と蒼龍は、そのまま甲板に佇むと、2人で揃って海を眺める。

 

 どこまでも広がる海を眺める中、

 

「ねえ、蒼龍」

 

 直哉の方から話しかけた。

 

 振り返る蒼龍に対し、直哉は海を眺めたまま続ける。

 

「飛龍が沈んでから、僕はずっと、抜け殻みたいになって戦って来たんだと思う」

 

 その事は、蒼龍にも覚えがあった。

 

 飛龍を失い、前線行きになり、まるで死に急ぐように戦い続けていた直哉。

 

 そんな直哉を見かねて、蒼龍は直哉を自分の元へと呼び寄せたのだ。

 

「そんな僕を、蒼龍が救ってくれた。蒼龍がいてくれたから、僕はここまで立ち直れたんだと思う」

「中尉・・・・・・・・・・・・」

 

 振り返る蒼龍に、直哉は笑い掛ける。

 

「この前、僕の事、好きって言ったよね、蒼龍」

「あ、あれは・・・・・・」

 

 カァーッと顔を赤くする蒼龍。

 

 あの時、

 

 いきなり直哉に抱き付き、

 

 キスして、

 

 告白まで決めてしまった蒼龍。

 

 今更ながら、自分がいかに恥ずかしい行動を取ったのかを思い出しているらしかった。

 

 そんな蒼龍に、直哉はそっと近づく。

 

「あの時の答えを、今するよ」

「え、こ、ここでですか?」

 

 思わず周囲を見回す蒼龍。

 

 当然だが、周囲には作業中の乗組員が多数いる。こんな中で、直哉は告白の答えをしようと言うのか?

 

 だが、直哉は構わず続ける。

 

「僕も、蒼龍の事が好きだよ」

「え・・・・・・・・・・・・」

 

 思わず、キョトンとする蒼龍。

 

 一瞬、直哉が何を言ったのか判らなかったのだ。

 

 ややあって、その言葉の意味を悟り、急速に顔を赤くする。

 

「ま、待ってください!!」

 

 思わず大声を出してしまう蒼龍。

 

 当然だが、その声に釣られて周囲の人間の視線が一斉に集まる中、蒼龍は慌てて声のトーンを落とす。

 

「何言ってるんですかッ だって、中尉は飛龍の事がッ」

「飛龍の事は・・・・・・・・・・・・」

 

 直哉は蒼龍の言葉を遮るようにして言う。

 

「飛龍の事は、今でも好きだよ。きっと・・・・・・ずっと、忘れられないと思う」

 

 けど、と直哉は続ける。

 

「蒼龍の事も、僕は大切なんだ」

 

 飛龍の事が好き。

 

 けど、蒼龍の事も好き。

 

 その2つの相反する感情が、ようやく直哉の中で折り合いが付いたのだった。

 

「そんな、いい加減すぎます」

「そんなつもりはない」

 

 そう言うと、

 

 直哉は蒼龍の腰に手を伸ばす。

 

「あッ」

 

 とっさに逃げようとする蒼龍。

 

 だが、直哉はその前に蒼龍を抱き寄せる。

 

「これが、僕の答」

 

 蒼龍の体が、直哉の腕の中にすっぽりと納まる。

 

 蒼龍が好き。

 

 けど、飛龍の事も決して忘れない。

 

 それが、直哉の出した答えだった。

 

 やがて、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 蒼龍もまた、躊躇いながらも直哉に身を委ねていく。

 

 そんな2人の様子を、周囲の乗組員たちは微笑ましそうに眺めているのだった。

 

 

 

 

 

 この機体の完成を、誰もが待ち望んでいた。

 

 見上げる小沢治俊らの目の前で、完成したばかりの翼は精悍な外見を見せていた。

 

「これが・・・・・・烈風、か」

 

 惚れ惚れするような声で、小沢は呟く。

 

 17試艦上戦闘機

 

 正式名称、三菱「烈風」。

 

 帝国海軍はついに、零戦に代わる強力な新型戦闘機の開発に成功したのだ。

 

 この機体を生み出す為に、帝国軍の技術陣は相当な苦労を重ねてきた。

 

 何しろ海軍の出した要求仕様は「2000馬力エンジンを搭載して最高速度は600キロ以上、20ミリ機関砲4丁を装備、防弾性能を充実させ、零戦並みの航続力と旋回性能を有する事」とあったからだ。

 

 そんな事は無茶を通り越して不可能である。

 

 速度が上がれば当然、機動性は落ちる。出力の高いエンジンで長い航続力を持たせる為に燃料タンクを拡張すれば機体も大型化し、それも機動性低下に直結する。

 

 海軍側の仕様要求は、常識を無視した素人の我儘に近かった。

 

 だが、技術側が仕様の緩和を要求しても、頭の固い海軍は「技術者如きが用兵に口を出すとはけしからん。お前達はただ黙って、言われたとおりの物を作っていればいいのだ」と言って取り合わなかった。

 

 エリート意識の強い海軍士官にとって「技術者の助言は虚心で聞くべし」と言う思想は無く、ただ自分達の要求を居丈高に突きつけるばかりだった。

 

 だが、そうした頑迷な態度が変化したのは、海軍航空隊の戦術変化以降だった。

 

 小沢の発案により海軍航空隊は防空戦闘を中心に戦う事になり、戦闘機の増産が急がれた。

 

 その結果、烈風の要求仕様も大幅に引き下げられた。

 

 まず、航続力がそれほど重要視されなくなった。防空戦闘中心なら、航続力は零戦の7割程度でも充分と言う事になったのである。

 

 これで、機体の軽量化ができた。

 

 更に高速と高機動性の両立については、川崎飛行機が開発した「自動空戦フラップ」の採用が行われた。

 

 フラップと言うのは主翼の後方に取り付けられている小羽の事だが、自動空戦フラップは、内蔵された水銀計が速度を感知して、自動的にフラップ角度を変更するシステムである。これにより、烈風は零戦に匹敵する機動性を確保できたのだ。

 

「烈風は既に量産体制に入っています」

 

 小沢に説明したのは、新たに連機艦の航空参謀に就任した原田実大佐だった。

 

 古河峰一の元でGF航空参謀を務めていた原田は、司令部解散と共に任を解かれていたが、それを小沢が自分の元へ引き寄せた形である。

 

 以前、原田は機動部隊の編成について小沢と激論を交わした事がある。

 

 戦闘機中心の編成を推し進めようとした小沢に対し、原田は真っ向から反対。通常通りの戦爆雷バランス型の編成を主張した。

 

 結局、小沢の主張が受け入れられ、帝国海軍航空隊は現在のような戦闘機中心型の編成になっている。そして、その正しさはトラック環礁海戦やマリアナ沖海戦の勝利によって証明されていた。

 

 その事から原田も考えを改めたらしく、今は小沢の下で強力な戦闘機隊の編成に勤しんでいる。

 

 烈風の開発促進も、その一環だった。

 

 原田が編成する戦闘機部隊は、やがて機動部隊の中核になる事を小沢は期待している。徐々に敵が本土に迫っている中、部隊の早期戦線投入が待ち望まれている。

 

「しかし、予想外に敵の侵攻が早すぎました。これでは、次の戦いに間に合わない可能性も出てきます」

「この機体は機動部隊の切り札だからな。こいつの数をそろえる為なら、他の機体の生産ラインは止めるよう、海軍省に進言しようと思っている」

 

 マッカーサー軍の侵攻が近い今、烈風の実戦配備は急務である。その為なら、全てに優先されると思っている。

 

「提督にそう言っていただけると心強いです」

 

 そう言って原田は頭を下げる。

 

 彼が編成を進めている戦闘機部隊は、完成すれば帝国海軍始まって以来、最強の部隊になる筈である。

 

「期待しているぞ」

「ハッ」

 

 小沢の激励に対し、敬礼を返す原田。

 

 その時だった。

 

「提督ッ 小沢提督!!」

 

 1人の兵士が、電文を片手に駆け寄ってくるのが見えた。

 

 訝る、小沢と原田。

 

 そんな2人に敬礼すると、兵士は手にした電文を差し出した。

 

「艦隊からの緊急電文です。これをッ」

 

 兵士が差し出した紙を受けとりながら、小沢の顔に緊張が走る。

 

 緊急、と言うのが穏やかではない。何か良く無い事が起こったのかもしれない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 読み進めていくうちに、小沢の顔は見る見るうちに険しい物へと変化していった。

 

「提督?」

 

 不安げに覗き込む原田に、小沢は嘆息交じりに顔を上げて口を開いた。

 

「まずい事になった。敵の機動部隊が台湾沖に来襲。我が軍の基地航空隊と交戦状態に入ったらしい」

「台湾、ですって・・・・・・・・・・・・」

 

 小沢の言葉に、原田も絶句する。

 

 台湾には今、マッカーサー軍のフィリピン侵攻に備えて、帝国陸海軍の航空部隊が集結中だった筈。

 

 そこを、敵の機動部隊に襲われた形である。

 

「まずい事になりました。台湾の航空部隊は、決戦の時に我が軍の側面掩護を担う筈だったのですが」

「うむ。それがやられたとなると、我が軍は次の戦いで、陸上基地からの支援を殆ど受けられない事になりかねん」

 

 小沢は険しい表情のまま考え込む。

 

 マリアナ沖海戦で帝国海軍が勝利できたのは、機動部隊と基地航空隊が連携し、敵の攻撃を大規模兵力を有する基地航空隊が完全に受け止めた事が大きい。

 

 だが、こうなると、帝国軍の不利は否めなくなる。

 

 台湾への攻撃が、マッカーサー軍のフィリピン侵攻に連動した予備攻撃である事は間違いない。

 

 それはつまり、いよいよマッカーサーの動きが秒読みの段階に入っている事を意味していた。

 

「艦に戻るぞ原田君。今後の対策を練らなくてはならん」

「ハッ」

 

 原田を伴い、早足でその場を後にする小沢。

 

 事は一刻を争う。

 

 最悪、作戦を根底から練り直す必要がありそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小沢達の心配は、杞憂ではなかった。

 

 来襲した合衆国軍機動部隊に対し、体勢が立ち遅れた台湾の帝国軍航空部隊は、奇襲を許す結果となった。

 

 数100機に及ぶ航空部隊が洋上の艦隊から台湾へ来襲。帝国軍の拠点に、片っ端から爆弾の雨を降らせていった。

 

 これに対し、帝国軍も反撃を行うべく航空機を繰り出したものの、立ち上がりを制された影響から攻撃は散発的な物とならざるを得ず、合衆国軍の攻撃を防ぐ事はできなかった。

 

 中には、少数の攻撃隊を編成して果敢にも合衆国艦隊に反撃を行った部隊も存在した。

 

 だが、その大半がレーダーと邀撃機、VT信管付きの対空砲弾と言う鉄壁の防空ラインに阻まれ、ほとんど戦果を上げられないまま壊滅していく運命にあった。

 

 こうして、台湾近辺に展開した帝国軍航空隊は壊滅。

 

 合衆国軍は、フィリピン近海の制空権をほぼ手中にしたのだった。

 

 

 

 

 

 ハワイの太平洋艦隊司令部において報告を聞いたレスター・ニミッツ大将は、満足げに頷きを返した。

 

 トラック環礁海戦移行、合衆国海軍は敗北が続いている。

 

 そのせいで、ライバルであるマッカーサーにまで後れを取ってしまっていた。

 

 加えて、マリアナでは長く参謀長としてニミッツを支えてくれたスプルーアンスまで戦死する始末である。

 

 ニミッツにとっては歯噛みするしかない日々が続いていた。

 

 しかしそんな中で、今回の台湾沖航空戦の結果はニミッツを充分に満足させ得る物だった。

 

「それにしても、ハルゼーがよく、今回の任務を引き受けてくれたものだよ」

 

 苦笑気味に放たれたニミッツのつぶやきに対し、幕僚達が揃って笑みを浮かべるのが見える。

 

 今回の台湾攻撃艦隊の指揮官は、ビル・ハルゼーである。

 

 あの合衆国海軍きっての猛将は、同時に大のマッカーサー嫌いとして知られている。そんなハルゼーが、今回の任務を引き受けた事がニミッツたちにとっては意外だったのだ。

 

 もっともハルゼーからすれば、「恨み連なるジャップの艦隊」を撃滅できる機会を得られるのであれば、任務の内容はどうでも良いのかもしれないが。

 

「一つ、懸念材料があります」

「何かね?」

 

 発言した幕僚に視線を向け、ニミッツは先を促す。

 

 不安要素と聞いては黙って見過ごす事も出来ない。ちょっとした油断から勝利の方程式が崩れるのは、今回の戦争で何度も起こって来た事である。

 

 ニミッツとしては、不安要素はできる限り減らしておきたかった。

 

「ハルゼー提督はこれまで多くの艦隊を指揮してきましたが、自らが艦隊を率いて帝国海軍と戦った経験は無かったはずです。その事が不安なのですが・・・・・・・・・・・・」

 

 確かに。

 

 ニミッツは考え込む。

 

 実のところ、これまでの戦いでハルゼーは、その多くの場合、陸上の基地から部隊全体の指揮に当たる場合が多かった。勿論、開戦初期には自ら艦隊を率いていたし、その時には帝国本土空襲と言う大胆な作戦まで成功させている。

 

 だが、直接、帝国艦隊と砲火を交えたことは無かった。

 

 唯一の例が、件の帝都空襲の際、ヒメカミタイプの巡洋戦艦を含む小規模な艦隊に追撃を受けた事くらいである。

 

 確かに、不安材料ではあった。

 

 だが、

 

「大丈夫だろう」

 

 ニミッツは静かな声で言った。

 

「確かに経験は無いかもしれないが、ハルゼーは南太平洋の戦いで全般指揮に当たり、戦略全体を見て総合的に判断できる目を養っている。その経験を活かせば、今回の戦いは充分に勝機があると思っている」

 

 スプルーアンスを失った今、ニミッツにとってハルゼーは最も頼るべき提督である。そのハルゼーを信じずして、何を信じると言うのか。

 

 ニミッツの深い知性は、そう語っていた。

 

 それに、ハルゼーの事ばかりを気にしている余裕はない。ニミッツはニミッツで、やる事が山積しているのだから。

 

 その時だった。

 

「失礼します」

 

 そう言って扉が開き、兵士が1人、部屋の中へと入って来た。

 

「閣下、お客様が来られました」

 

 その言葉に、ニミッツは今日の予定を思い出す。そう言えば、陸軍の将官が1人、来客する予定だった。

 

「通してくれ」

「ハッ」

 

 促されて入ってきた人物は、やや大柄な体型の人物だった。

 

 良くセットされた髪と、下膨れした顔が印象的な人物である。

 

 そして、目。

 

 目を見た瞬間、ニミッツは思わず奇妙な不快感に捕らわれた。

 

 濁った鋭さ、とでも称するべきか、

 

 ともかく、その人物が発する眼光が、ニミッツに言いようの無い不快感を与えたのは確かだった。

 

「失礼します。合衆国陸軍、戦略航空軍少将、カースト・ルメイ少将であります」

 

 その名前には聞き覚えがあった。

 

 多数の重爆撃機部隊を有し、欧州ではドイツの各都市に猛爆撃を加えていると言う、陸軍の戦略航空軍。

 

 その中心的な役割を担ってきたのが、目の前にいるルメイ少将だったはずだ。

 

 その作戦には一切の呵責は加えられず、敵と名の付く者には全て爆弾を叩き付けて吹き飛ばす。

 

 ルメイが通った後には草木一本残らないとさえ言われている。

 

 「殺戮者(スローター)ルメイ」

 

 それが、彼に付けられたニックネームだった。

 

「噂には聞いている。ようこそ、ハワイへ」

 

 そう言って差し出したニミッツの右手を、ルメイは無言のまま握り返してきた。

 

 野心的な男。

 

 それがニミッツのルメイに対する第1印象だった。

 

 今次大戦において、航空機の持つ役割が大きく躍進したのは言うまでも無い事だが、そんな中でも戦略爆撃は特に特異な分野であると言える。

 

 これまでどこの国の軍隊も、後方の民間人を標的にするような戦略は忌避して来た。

 

 民間人に犠牲者が出た事が無い訳ではないが、それらはあくまで、流れ弾に当たった程度の事であり、意図的に民間人を標的にした作戦が実施された作戦は少ない。

 

 だが戦略爆撃と言うのは、敵の後方にある生産施設や街を爆撃し継戦能力を奪う事が目的である。必然的に、攻撃対象は民間人と言う事になる。

 

 戦略爆撃の有効性はニミッツも充分に理解しているが、それでもどうしても好きになれなかった。

 

 勿論、作戦の有効性と個人の好悪は別物である事は、ニミッツ自身もよく理解しているのだが。

 

「早速ですが、本題に入ります」

 

 対してルメイは、そんなニミッツの艦上など斟酌せずに話を進めていく。

 

「我が戦略航空軍がジャップの本土に爆撃を仕掛けるには、マリアナ諸島の存在が不可欠なのは言うまでも無い事だと思います」

 

 ひどく抑揚のない声でしゃべるルメイ。

 

 その声が、どこか陰々と響くように、ニミッツには感じられた。

 

「B29の量産体制が確立され、この太平洋戦線への投入も決定しました。我々としては、B29の到着を待って、帝国への戦略爆撃を開始したいと考えております」

「帝国の街を、爆弾で破壊しようと言うのかね?」

 

 尋ねるニミッツに対し、

 

「勿論です」

 

 ルメイは間髪入れずに答えた。

 

 元々、ヨーロッパではドイツの都市に対し容赦ない爆弾の雨を降らせたルメイである。同じく敵国である帝国に対し、遠慮する理由は無かった。

 

「ドイツの街は殆どが石造りですが、帝国の街は大半が木でできています。我々が爆撃を加えれば、さぞかし派手に燃える事でしょうな」

 

 そう言うとルメイは薄笑いを浮かべながら言った。

 

 この男はある意味、平等である。どんな相手であろうと、敵と名の付く物には爆弾の雨を降らせる。

 

 それがルメイと言う男の流儀だった。

 

「その為の拠点として、マリアナ諸島の攻略を海軍にお願いしているのですが、未だに成果は上がってはいないようですな」

「・・・・・・・・・・・・君に言われずとも判っている」

 

 痛い所を突かれたニミッツは、渋い表情で視線を逸らす。

 

 帝国軍の激しい抵抗によってマリアナ攻略に失敗したのは、彼にとっても苦い一事だった。

 

 そんなニミッツに対し、ルメイは詰め寄ってくる。

 

「一刻も早いマリアナの占領を願います」

 

 有無を言わせない迫力で告げるルメイ。

 

 それに対しニミッツは、言いようの無い恐怖感を感じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軍令部作戦課に所属する黒鳥陽介大佐と、軍令部総長永野修大将は、共に険しい顔を突き合わせ、唸り声を発していた。

 

 ここ最近の戦況は、彼等にとって目を覆いたくなることばかりだった。

 

 マリアナ沖海戦には大勝したものの、その後のニューギニア東部航空戦では大敗を喫し、派遣した航空部隊の大半を喪失に繋がる結果となった。

 

 更にその後、帝国海軍の最前線だったパラオも壊滅。南洋における作戦行動が大幅に制限される結果となった。

 

 そこに来て、先日の台湾沖航空戦の敗北である。

 

 この結果、帝国軍が保有していた航空部隊は、文字通り壊滅状態に陥ってしまった。

 

「仕方がありません」

 

 黒鳥は絞り出すように言った。

 

「マリアナの航空兵力を、増援としてフィリピン方面に送るように対応しましょう。それと同時に教育飛行隊の訓練課程を引き下げて、技量優秀者も戦線に投入します」

「うむ。その点については異論はない」

 

 黒鳥の提案に対し、頷きを返す永野。

 

 ともかく今は、フィリピン防衛が最重要項目である。優先度の低いマリアナから兵を退き抜くのは当然の事だったし、訓練課程の飛行隊員も、技量優秀者なら戦力で期待できるだろうと言う思惑があった。

 

「しかし、大丈夫かね? いかに優秀な成績を持っているとは言え、訓練を終えていない連中は実戦経験が皆無だ。そのような者達を戦線に投入したら、却ってベテランパイロット達の足を引っ張る事になりかねないのではないか?」

「皆、初めは実戦経験など皆無ですよ」

 

 懸念を現す永野に対し、黒鳥は自信ありげに笑みを浮かべて行った。

 

「それに、実戦経験の有無は関係ありません。この際『飛ばす』事さえできれば十分ですから」

「どういう事かね?」

 

 訝る永野に、黒鳥はニヤリと笑って言った。

 

「彼等には、彼等なりのやり方で、帝国を守る為に戦ってもらいます」

 

 

 

 

 

 彰人は自分の執務室に座って、報告書を読みふけっていた。

 

 「姫神」以下、第7艦隊は宇垣の第2艦隊と共に、現在、ボルネオのブルネイに停泊し、マッカーサー軍の動向に備えている。

 

 既に台湾方面の基地が敵機動部隊に襲われて壊滅状態に陥った事は、彰人も掴んでいる。

 

 マッカーサーの侵攻は近い。

 

 しかし、それに対抗する帝国海軍の戦力は、減少する一方だった。

 

 しかも、彰人が懸念する材料は他にもあった。

 

 手にした書類は、軍令部の友人、中西寅彦大佐から送られて来た物である。そこには、合衆国軍の動向について書かれていた。

 

「カースト・ルメイ、か・・・・・・・・・・・・」

 

 合衆国陸軍に所属する将官の名前。彰人も、聞いた事があった。

 

 戦略爆撃の権威であり、彼が率いる部隊はドイツ軍相手に猛威を振るったとか。

 

 そのルメイが、対帝国戦線における戦略爆撃の総責任者として着任したのだ。

 

 カップに注がれた紅茶を口へと運ぶ彰人。

 

 銘柄は以前、金剛から貰った物と同じである。

 

 しかし芳醇な香りふくよかな味わいも、今は彰人を慰めてはくれない。

 

 既にイタリアが降伏し、ドイツも連合軍とソ連軍に四方から攻められ、欧州の枢軸軍戦線は末期的な状況にある。

 

 そこに来て、ルメイのような危険な男が対帝国戦線に投入された事実を、彰人は無視する事ができなかった。

 

「ルメイは、新型爆弾を帝国に使うだろうか・・・・・・・・・・・・」

 

 1発で都市をも壊滅させるほどの威力を秘めた、恐るべき爆弾。

 

 そんな物が使われたら、帝国は終わりである。

 

 もし、それがルメイの手に渡ったとしたら、

 

「・・・・・・・・・・・・恐らく、使用は躊躇わない」

 

 ルメイの戦績を見れば、民間人が多数いる都市であっても容赦なく爆撃している傾向がある。

 

 そこに来て、1発で全てを決するほどの兵器が手元にあれば、使用を躊躇う理由は無いだろう。

 

 敵にマリアナを明け渡してはならない。

 

 彰人はその想いを、改めて強くした。

 

 と、

 

「彰人、おはようございます」

 

 小さな声に導かれて振り返る。

 

 そこには、起きたばかりの姫神の姿があった。

 

 下着の上から、彰人のYシャツを着込んだだけと言う、艶やかな姿。

 

 身体は彰人の方が大きい為、小柄な姫神が着ると、手は袖の中へ隠れ、裾は太ももの中ほどまで来てしまっている。

 

 シャツの裾から延びた細い足とが艶めかしく彰人の視界に映り、昨夜の情事を思い起こさせる。

 

 あの旅行以来、姫神はしばしば夜になると、彰人の部屋を訪れるようになっていた。

 

「おはよう、姫神」

 

 彰人はそう言うと、手元のポットを取って、姫神にも紅茶を入れてやる。

 

 彰人は紅茶を入れる際、ティーパックは使わず、必ず茶葉ちポットを使用している。以前、ティーパックを使おうとしたら、金剛に怒られた為である。

 

「はい。どうぞ。まだ淹れたばっかりだから熱いよ」

「ありがとうございます」

 

 そう言ってカップを両手で受け取ると、口へと運ぶ少女。

 

 紅茶の熱さに少し顔をしかめながらも、一口飲んでみる。

 

「美味しいです」

 

 そう言って微笑む姫神。

 

 その笑顔が、不安の中にある彰人の心を癒してくれていた。

 

 

 

 

 

第76話「通い合う心」      終わり

 


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