蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第63話「墓場島・前篇」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トラック環礁に敵艦隊襲来の兆し有り。

 

 その報告を受け、帝国海軍は俄かに動き出そうとしていた。

 

 いよいよ決戦の時である。誰もが、この時を待ち望んでいた。

 

 聊か予定が早まった感はあるが、それでも待ちに待った状況の到来に、誰もが奮起する様が見られる。

 

 航空隊は直ちに出撃準備が成され、艦隊も出撃に向けて必要な物資が積み込まれようとしている。

 

 パラオからトラックまでなら、巡航速度でも2日掛からずに到達できる。仮に連合艦隊の出撃が合衆国艦隊よりも遅かったとしても、余裕で決戦に間に合うだろう。

 

 ともかく、トラックの友軍が持ち堪えている間に、こちらも有利な海面に展開するのだ。

 

 こうしてパラオ諸島に在泊する連合艦隊は、主力である第2艦隊、および連合航空艦隊の出撃準備を着々と推し進めていく。

 

 そんな矢先だった。

 

 目を疑うような命令書が、連合艦隊司令部に届けられたのは。

 

 

 

 

 

「それは本当なのですか、長官ッ」

 

 「鬼瓦」とも言われる顔を怒らせて詰め寄る小沢。

 

 その正面には、古河が険しい表情で座っている。

 

 既に小沢自身、敵艦隊出撃の兆候を受けとり、準備を進めていたところである。

 

 小沢にとっては本土にて「大鳳」等の新造艦や、新型機の視察を終え、パラオの艦隊に戻ってきた直後の急報だった。

 

 既に艦隊の出撃準備は8割がた完了し、明日にも出撃できる体勢にある。

 

 状況はひっ迫している。既にトラックでは被害も出始めているとか。

 

 今は一刻も早く、全艦隊を上げてトラック救援に赴かなくてはいけない時である。

 

 だと言うのに、古河が示した海軍上層部からの命令書のは、小沢達を仰天させるのに十分すぎる物だった。

 

「間違いない。軍令部からの正式な命令書だ。永野総長の署名もある」

 

 詰め寄る小沢に対し、古河は険しい表情のまま答える。

 

 その手元にある命令書。

 

 そこには「パラオ駐留の艦隊は、トラック方面に出撃する事を禁じる」とあった。

 

 馬鹿げた命令であるとは思うが、これが軍令部からの正式な命令である以上、従わない訳にはいかなかった。

 

 少なくとも、軍令部の真意がどこにあるのか確かめる必要がある。それまでは、動くに動けなかった。

 

「これは本当に、軍令部からの指示なのですか?」

 

 問いかけたのは宇垣である。彼も作戦担当の当事者ということで、この場に呼ばれていた。

 

 ここには今、宇垣の他にも大和と蒼龍、2人の旗艦と、参謀長の福留の姿があった。

 

 もっとも、この場に集まった6人全員が、この命令に納得していないのは明白だった。

 

「ああ、確認したが、正式な物だったよ。書類に不備も無い」

 

 問いかける宇垣に対し、答えたのは福留だった。

 

 宇垣と福留は兵学校の同期であり、同じ砲術出身である為、気の合う間柄同士であった。

 

 だが、そんな福留も、今は難しい表情をしている。彼もまた、この決定には納得できないでいるのだ。

 

「信じられません、こんな命令・・・・・・」

「そうですね。いったい、何が起きているんでしょう?」

 

 大和と蒼龍も、この不可思議な命令書を前にして、当惑を隠せないでいる様子だった。

 

 こうしている間にも、敵はトラックへ迫っている。あそこにはまだ、第7艦隊の諸艦艇を始め、多くの船舶が取り残されているのだ。

 

 グズグズしていると何もかもが手遅れになってしまうと言う事が、なぜ本土の連中には判らないのか。

 

 古河たちには、海軍上層部の認識がどうしても「呑気」に思えてならなかった。

 

「ともかく、この命令は撤回するように、もう一度、私の方から軍令部に掛け合ってみる事にする。諸君はその間、いつでも出撃できるように準備をしておいてくれ」

『ハッ』

 

 小沢、宇垣、大和、蒼龍が、それぞれ古河に向けて敬礼する。

 

 そんな一同に答礼しながら、古河もまた内心で困惑を隠せずにいた。

 

 いったい、この命令書は何を意味しているのか?

 

 なぜ、軍令部は味方を見捨てるが如き命令を発したのか?

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 何か、良く無い事が起ころうとしている。

 

 古河にはそのように思えてならないのだった。

 

 

 

 

 

 その頃、

 

 軍令部にある1室において、その人物は暗い愉悦に浸りながら、己の成した事を自画自賛していた。

 

 その手元には、先に軍令部から発した命令書が置かれていた。

 

「フフフ、これで、水上の小僧もおしまいだな。トラック環礁と言う豪華な墓を用意してやったんだ。せいぜい派手に散ってくれよ」

 

 誰もいない部屋で1人呟き、笑い転げるのは、黒鳥陽介大佐だった。

 

 連合艦隊作戦参謀から待命状態を経て、この軍令部の作戦課に転属になった黒鳥。

 

 勿論、その陰には総長の永野、そしてその黒幕である富士宮康弘の存在があったのは言うまでも無い事である。

 

 その彼が配属後、最初にやった事が、今回の連合艦隊に対する行動指示だった。

 

 内容は、連合艦隊主力を、トラック諸島方面に出撃する事を禁じる物だった。

 

 彼は永野を通じて、これを軍令部からの正式な命令として発令してもらった。

 

 これで、軍令部の下部組織である連合艦隊は従わざるを得なくなる。特に現長官の古河峰一は謹厳実直でクソ真面目さが取り柄の男だ。軍令部からの命令を違えるような事は間違ってもあり得ないだろう。

 

 永野の方には「連合艦隊主力温存の為」と言い含めておいた。

 

 永野好みのもっともらしい理由さえ作ってやれば、彼を操る事はさほど難しくは無い。

 

 もともと永野は、艦が損傷する事にすら極度に難色を示すような小心の男である。「主力温存」と言う黒鳥の言葉をあっさりと信用し、命令書に同意のサインをしてしまった。

 

 そう言うもっともらしい理由を考えるのは、黒鳥にとって得意分野であると言える。

 

 ようするに黒鳥にとって永野は、ほどく御しやすい操り人形だった。

 

 そして、

 

 黒鳥がこのような謀略に出た理由はただ一つ。

 

 水上彰人の抹殺だった。

 

 黒鳥にとって、彰人は憎むべき存在だった。

 

 自分の立てた作戦に悉く反対しておいて、自分が立てた作戦がたまたま運よく成功した時には自慢げに吹聴する若造。

 

 とうとう自分の階級を追い越し、少将に進級した彰人に対し、黒鳥はもはや憎悪以外の感情を抱いてはいなかった。

 

 その彰人を殺す為なら、もはや黒鳥はなりふり構うつもりは無かった。

 

 その為なら、1個艦隊が沈もうが、トラック環礁が壊滅しようが、それは仕方のない事であると思っていた。更に言えば、輸送船ごときがいくら沈んだところで、黒鳥に言わせれば些細な問題だった。

 

 全ては、彰人抹殺の為。

 

 その為ならば、全てが許されると、黒鳥は本気で考えていた。

 

「さあ、これで貴様も終わりだ、水上彰人」

 

 そう言うと、黒鳥は愉快そうに高らかに笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 潜水艦によってトラック環礁が包囲されている事を察知した彰人は、作戦変更を余儀なくされていた。

 

 ともかく、外海に出れば敵潜水艦に狙われると判っていて、無防備な輸送船を出す訳にはいかない。

 

 第7艦隊を護衛に付ける方法もあるが、こちらは戦力に限りがある。今、艦隊を二分する事はできなかった。

 

 しかも、

 

 先日、彰人の元へ、東京の軍令部から1通の命令書が届いた。

 

 そこには、

 

「水上彰人海軍少将を、トラック基地防衛責任者に任ずる」とあった。

 

 要するに、トラックから後退する事は許さない。その場に踏みとどまって戦え、と言う意味だった。

 

 彰人はいよいよもって、劣勢の戦力を率いて戦わなくてはならなかった。

 

 そこで彰人は、自分の権限でできる事を全てやることにした。

 

 トラック環礁の防衛力を強化する一方、輸送船団は環礁内の所定の場所に待機させ、敵の来襲に備えていた。

 

 こうして、トラック環礁全体が迎撃作戦の為に悲壮な盛り上がりを見せる中、

 

 2月17日。

 

 ついに悪夢は、現実的な形を取って、襲い掛かって来た。

 

 

 

 

 

 視界の中では、天を押し潰さんとするかのように、一群の航空機が向かってくるのが見える。

 

「来たか・・・・・・・・・・・・」

 

 「姫神」の艦橋で、迫りくる絶望の存在を見据えながら、彰人は低い声で呟く。

 

 手にした双眼鏡のレンズの向こう、

 

 その視界には、蒼穹を塗りつす勢いで迫ってくる敵艦載機の姿がある。

 

 数は100機程度。

 

 その報告を聞いて、彰人は納得したように頷く。

 

「成程。まずは、小手調べって感じかな・・・・・・」

 

 少ないとは一概に言えないが、合衆国艦隊の規模を考えれば、もう少し多くの航空機を繰り出して来ても良い筈である。

 

 まずはこちらの戦力を、少しでもそぎ落とす事が目的と思われた。

 

 第7艦隊は現在、春島泊地に全艦が集結して投錨している。既に全乗組員が配置に付き、臨戦態勢を整えていた。

 

 その編成は以下のとおりである

 

 

 

 

 

○第7艦隊

第11戦隊「姫神」(旗艦)「黒姫」

第7戦隊「最上」「鈴谷」「熊野」

第5水雷戦隊「那珂」 駆逐艦7隻

第13戦隊「阿賀野」 駆逐艦5隻

 

 

 

 

 

 以上、巡戦2隻、重巡3隻、軽巡2隻、駆逐艦12隻。

 

 第1艦隊解体に伴い、浮いた戦力を編成に組み込んだため、これまでの倍以上の数の艦艇が、彰人の指揮下に収まっていた。

 

 だが、それでも尚、向かってくる敵には到底およばない。

 

 まともな洋上決戦では勝負にならない以上、やはり当初の計画通り、トラック環礁の防御力に拠って戦うしかない。

 

 ただし、問題なのはいつまで持ち堪える事ができるか、である。

 

 古来より、援軍の無い籠城戦が勝利した試しは無い。

 

 そして軍令部の作戦方針のせいで、今の彰人達には援軍が期待できない状況である。

 

 トラック環礁に立てこもって戦い、敵の息切れを待つ。

 

 それが、今の彰人に取り得る最善にして唯一の手段だった。

 

「・・・・・・まあ、絶望するには、まだ早いか」

 

 指揮官が真っ先に絶望していては、艦隊の秩序は維持できない。

 

 彰人は艦隊司令官として、最低限の威厳だけは維持する必要性があった。

 

 と、

 

「彰人、大丈夫ですか?」

 

 手をギュッと握られる。

 

 振り返ると、姫神が不安そうに見上げながら、小さな手を彰人の手に重ねて来ていた。

 

 背がい低いせいで、自然と見上げるような形になる姫神の顔には、彰人を案じるような光が宿っている。

 

 どうやら、少女なりに、自分の彼氏を案じて励ましてくれている様子だ。

 

 対して彰人は、少女の優しい温もりを掌に感じながら笑いかける。

 

「大丈夫。僕に任せて、姫神」

 

 確かに、状況的に不利は否めない。

 

 事前に放っておいた偵察機からの報告によれば、トラック環礁東側に展開した敵の機動部隊は、少なくとも5隻以上の空母を擁している。更にそこへ、ラバウルにいる基地航空隊も攻撃に加わる可能性が高い。

 

 となると、敵は少なくとも800機近い航空機を、この戦いに投入できる計算になる。

 

 対して、トラック諸島の航空隊は、せいぜい300機。その大半が戦闘機とは言え、数的に劣勢である事に変わりは無かった。

 

 その為、彰人はトラック環礁の春島泊地に停泊している「姫神」から、全部隊を統括できるように、指揮系統を集中している。

 

 いわば、今の「姫神」は、「トラック環礁」と言う名の巨人が持つ頭脳に等しかった。

 

 彰人はこの「姫神」の艦橋にあって、トラック環礁で起こる戦い全ての指揮に当たる事になる。

 

「大丈夫です彰人。私は、あなたを信じて戦います」

 

 そう告げる姫神の目には、どこか決意にも似た強い光が宿っているようだった。

 

 互いに視線を交わし合う、彰人と姫神。

 

 その両者の強い絆が結びつく。

 

 やがて、迫り来る敵の大軍勢を見据え、

 

 彰人は帽子を深く被り直す。

 

 その鋭い視線が、真っ向から敵を見据えた瞬間、

 

「撃ち方、始め!!」

 

 鋭い命令を発した。

 

 

 

 

 

 来襲した合衆国軍パイロットの中には、この攻撃に対する強い意気込みを持って臨んでいる者も少なくなかった。

 

 相手はトラック環礁。

 

 帝国海軍が戦前から整備を進めてきた外洋最大の根拠地であり、不遜にも「東洋のジブラルタル」「日本の真珠湾」などと呼ばれている泊地である。

 

 忘れもしない、2年と少し前、帝国海軍の攻撃によって壊滅させられた真珠湾。

 

 あの時、家族や仲間を失った兵士は決して少なくない。

 

 言わばこれは、真珠湾の報復劇。

 

 散って行った仲間達へと送る、壮大な敵討ちなのだ。

 

 艦載機は次々と翼を翻す。

 

 爆撃機は高度を上げて急降下体勢に入る一方、逆に雷撃機は高度を下げて海面を這うように進む。

 

 そんな彼等の眼下には、戦艦2隻を中心に停泊する帝国艦隊の姿がある。

 

 正に、願っても無い獲物である。

 

「パールハーバーで死んだ仲間の仇だ!!」

「死ね、ジャップ!!」

 

 口々に叫びながら、攻撃を開始しようとするパイロット達。

 

 帝国艦隊は惰眠をむさぼっているのか、一切反撃してくる気配はない。

 

 これまでの戦いで何度か確認されている主砲弾による対空砲を撃ち上げる事も、派手に弾幕を形成する事も無い。

 

 全ての艦が沈黙を守り続けている。

 

「それならそれで構わんさッ せいぜい、ボーナスステージを楽しませてもらうだけだ!!」

 

 「姫神」目がけて急降下するドーントレスのパイロットが、嘲るように笑い声を上げながら、まっさかさまに迫って行く。

 

 次の瞬間

 

 逆落としに高度を下げていくドーントレスの前面に、黒い華が咲き誇った。

 

 何が?

 

 思った瞬間、

 

 そのパイロットの命は、全くの唐突に刈り取られた。

 

 それを合図に、次々に巻き起こる嵐のような対空砲火。

 

 復讐心に猛って不用意に艦隊に近付こうとしていた攻撃隊は、たちまち対空砲火に絡め取られ、機体を爆砕されていく。

 

 艦隊は、ただ漠然と停泊していた訳ではない。全ての用意を周到に整えて待ち伏せていたのだ。

 

 合衆国軍の攻撃が、まずは空から来るだろうと読んでいた彰人は、それを迎え撃つ準備を入念に行っていた。

 

 まず、環礁内のありとあらゆる場所に対空砲陣地を設置し、高射砲や機銃を大量に配備、敵がどの方角から攻め込んで来ようとも、必ず対空砲によって阻止できる体制を作り上げておいた。

 

 合衆国軍の攻撃隊は、真っ向からその中に突っ込んだ形である。

 

 敢えて、三式弾の使用を行わなかったのは、この罠を十全に発動させるためである。

 

 「三流の狩人は獲物を罠に追い込むが、一流の狩人は獲物を罠に誘い込む」と言う言葉がある。

 

 彰人はこの対空砲火の罠の中へと合衆国軍を誘い込むために、艦隊を餌にしてギリギリまで敵を引き付けてから砲撃を開始したのだ。

 

 勿論、収容した輸送船団に関しても、対空砲火の内側に退避させてある。安全は確保済みだった。

 

 艦隊が無防備に停泊中であると勘違いし、不用意に接近してしまった合衆国軍機は、次々と対空砲火の洗礼を浴びて、吹き飛ばされる運命にあった。

 

 ただちに退避に掛かる合衆国軍。

 

 だが、そんな彼等も、完全に対空砲火の網を抜けるまでの間に背後から攻撃を喰らい続け、相当数に上る犠牲を出し続けるのだった。

 

 

 

 

 

 急降下爆撃機隊が苦戦を強いられている頃、海面付近にまで降下した雷撃隊が、停泊中の「姫神」「黒姫」目がけて、アヴェンジャー雷撃機が接近を図ろうとしていた。

 

 チャンスだった。

 

 帝国艦隊は現在、上空から迫る爆撃機の相手に忙殺され、雷撃隊の方には手が回っていない。

 

 上空にあれだけ吹き荒れている対空砲火も、海面付近にはほとんど飛んでこなかった。

 

「チャンスだジャップッ でかいのを一発、お見舞いしてやるぜ!!」

 

 爆弾層を開き、雷撃体勢に入るアヴェンジャー隊。

 

 その腹の下から、一斉に魚雷が放たれた。

 

 航跡を退き、失踪を開始する魚雷。

 

 その魚雷が目標を捉え、白い水柱を噴き上げる光景を、誰もが想像していた。

 

 しかし次の瞬間、

 

「な、何ィ!?」

 

 パイロットは、思わず目を剥いた。

 

 何と、魚雷は命中前、目標とした姫神型巡戦のはるか手前で爆発し、空しく水柱を噴き上げたのだ。

 

 一瞬誰もが、「自爆したか?」と考えた。魚雷の信管が不良で、命中前に爆発してしまう事はこれまでも何度かあったからだ。

 

 しかし、「自爆」したのは1本だけではなかった。

 

 次々と吹き上げられる水柱。

 

 放った魚雷全てが、命中前に空しく爆発してしまったのだ。

 

「い、いったい何が・・・・・・・・・・・・」

 

 言いきる前に、熱い衝撃と共に彼の意識は暗転する。

 

 あまりの事態に自失している間に、そのアヴェンジャーのパイロットは「姫神」の放つ対空砲火の中へと突っ込んでしまったのだった。

 

 

 

 

 

「狙い通りだね」

 

 次々と、はるか手前で突き上げられる水柱を見上げながら、彰人は満足そうに笑みを浮かべて行った。

 

 当然と言うべきだが、合衆国軍が放った魚雷は信管不良で自爆した訳ではない。

 

 こうなる事を、彰人は予め計算していたのだ。

 

「いやはや、効果のほどは判っていましたが、現実に体験するのは冷や汗ものですな」

「まったくです。心臓に悪いです」

 

 副長と姫神が、口々に不満を申し立てて来るが、彰人はそれを丁重に無視する。

 

 取りあえず助かったんだから、それで良しと考えてほしかった。

 

 彰人は、雷撃隊に対して無防備だったわけではない。敵が魚雷を使ってくることは判っていたので、そちらの方にも万全の防備策を整えていた。

 

 彰人が取った対雷撃防御。

 

 それは、春島泊地内周辺に防潜網を張り巡らせる事だった。

 

 本来なら小型潜航艇の港内侵入を防ぐためのネットだが、彰人はこれを対雷撃防御に転用したのだ。

 

 彰人はこの防潜網を、トラック環礁の春島泊地周辺に重点的に設置しておいたのだ。魚雷が命中のはるか手前で自爆したのはその為だったのである。

 

 流石にトラック環礁全体に張り巡らせるだけの余裕も時間も無かったが、その分、春島周辺には充分な量の防潜網を配置してある。これなら、複数回の雷撃を受けたとしても防ぎ止める事は可能なはずだった。

 

「よし、仕上げだ」

 

 笑みを浮かべる彰人。

 

 その視線が、鋭く光る。

 

「防空隊に連絡。《攻撃を開始せよ》!!」

 

 

 

 

 

 「姫神」からの通信は、電波となってトラック泊地全体に届けられる。

 

 それは、各島々に点在している飛行場にも通達。待機していた航空隊に、直ちにスクランブル命令が下る。

 

 エンジン音をとどろかせ、上空へと舞い上がって行く零戦隊。

 

 その矛先は、春島上空に群がっている合衆国軍機へと向けられた。

 

 たちまち、乱戦の様相を呈する両軍。

 

 だが、合衆国軍は予期せぬ対空砲火の反撃によって、既に陣形が大いに乱れている状態である。

 

 そこに来て、万全の状態で待機していた帝国海軍航空隊が襲い掛かったのだ。

 

 もはや、抵抗どころではなかった。

 

 新鋭戦闘機であるヘルキャットが奮戦し、何機かの零戦は撃墜されたものの、状況は明らかに零戦隊の方が有利だった。

 

 やがて、第7艦隊各艦が砲撃を停止した時、合衆国軍機が這う這うの体で、母艦の間っている方角へと引き揚げていくのが見えた。

 

 トラック環礁を巡る戦いの第1幕は、こうして帝国軍の勝利に終わったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボロボロに傷ついた機体が、よろけるようにして母艦へと帰ってくる光景が見える。

 

 その多くが傷つき、ようやく離脱してきた、と言う感じである。

 

 旗艦「ニュージャージー」の艦橋でコーヒーを飲みながら、艦隊司令官の任にあるスプルーアンスは、戻ってきた攻撃隊の様子を眺めていた。

 

「どうやら、予想通りといったところか」

 

 呟く声には、冷静その者であり、少なくとも表面上は驚いているようには見えない。

 

 実際、スプルーアンスは、今回の結果は予め予想できていた。

 

 帝国海軍がトラックの守りを固めているのは、スプルーアンスも知っていた。その為、威力偵察もかねて第1次攻撃隊を行かせたのだが、

 

 結果はご覧の通り。手痛いカウンターパンチを浴びた形になってしまった。

 

「さて、この事態はどうしたものかね」

「迷うことは無いわよッ」

 

 スプルーアンスの問いに、答えたのはニュージャージーだった。

 

「こっちには、あたしを含めて戦艦が5隻もいるんだ。近付いて主砲で吹き飛ばしてやれば良いでしょ」

 

 ニュージャージーの発言は過激だが、実際のところかなり的を射ている。敵が守りを固めていると言っても、それは今のところ防空関係に関してだけだ。戦艦が接近して砲撃を掛ける事態は、恐らく想定していないだろう。

 

 だが、

 

「まだ、その段階じゃない」

 

 飲み干したコーヒーのカップを置きながら、スプルーアンスは静かに答える。

 

「今の時点で、不用意に敵の拠点に近付くのは危険を伴うからな」

 

 戦艦の砲撃は確かに強力だが、使用するなら当然、敵拠点に接近しなくてはならない。

 

 あれだけ周到に準備して迎撃態勢を整えた帝国軍の指揮官である。当然、戦艦が艦砲射撃を仕掛けて来る事も予測して然るべきである。

 

 今はまだ、切り札を切れる段階ではなかった。

 

「じゃ、どうすんのよ?」

 

 問いかけるニュージャージーに対し、スプルーアンスは少し思案してから答えた。

 

「我々の任務は、『トラック環礁』の無力化だ。ならば、何も在泊する船舶に拘る必要はない」

「はあ?」

 

 スプルーアンスの言葉に、ニュージャージーは訳が分からないと言った感じに首をかしげる。

 

 目の前の敵拠点に、戦艦を中心とした大艦隊が停泊していると言うのに、それを無視すると言うスプルーアンスの考えが、彼女には理解できなかった。

 

 それに対し、スプルーアンスはニュージャージーの質問に答えないまま、前方に広がる環礁を眺めていた。

 

 

 

 

 

 敵の空襲がひと段落した時点で、彰人は乗組員たちに戦闘配食を配るように指示を出した。

 

 腹が減っては戦はできぬ、は古来からある、戦場における普遍の真理である。

 

 事に過酷な戦場において、食事とはたんに胃袋を満たすだけでは無く、乗組員たちの英気を養う、最大限の娯楽でもあるのだ。

 

 彰人もまた「姫神」艦橋に詰めたまま、配られたおにぎりを食べていた。

 

 その背後の司令官席では、ちょこんと座った姫神もおにぎりを頬張っている。両手で持ったおにぎりをモキュモキュと食べる様は、何だか小動物を見るようで可愛らしかった。

 

 そんな恋人の可愛らしい様子に癒やされつつ、彰人は敵が打つであろう次の一手について模索していた。

 

「敵はこっちの対空火力が尋常じゃない事を、これで理解したはず。となれば、次は、それを潰す方向で来るんじゃないでしょうか?」

「同感です。恐らく、我が艦隊の上空を迂回する形で泊地上空へ侵入し、飛行場や対空陣地を狙うのではないでしょうか?」

 

 幕僚の意見に、彰人も賛成だった。

 

 だとしたら、こちらが取るべき手も決まってくる。

 

「各飛行場に通達。《第2次迎撃戦の為、出撃準備せよ》」

 

 敵が来ると判っているから、予め飛行場で戦闘機を待機させておこうと言うのである。

 

 常時、直掩を上げておくのも手だが、それでは燃料消費が馬鹿にならないし、何よりパイロットへの負担も大きい。

 

 故に彰人は環礁外縁部の監視を強化し、敵の早期発見に努めるようにしている。

 

 電探は勿論、沿岸監視員を配置して肉眼監視まで使った索敵網は網の目のように、トラック環礁全体をカバーしている。

 

 電子の目と肉眼を組み合わせた監視システムの活躍により、第7艦隊は合衆国軍の迎撃に成功したのだ。

 

 その時、

 

「夏島電探基地より入電ッ 《敵大編隊捕捉。数、100機以上ッ 方位90より急速接近中》との事!!」

「やはり来たね」

 

 目深にかぶった帽子の奥で、彰人は目を光らせる。

 

 この時彰人は、自分の考えが当たっていた事を喜ぶと同時に、心の底では安堵もしていた。

 

 どうやら敵は、なかなか慎重な人物であるらしい。おかげで、事態はまだ、彰人の掌の内である。

 

「主砲、対空砲撃戦準備。弾種、3式改!!」

 

 命令を受けて、前部甲板に装備した3連装2基6門の、50口径40センチ砲を旋回させる「姫神」。

 

 そんな中、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 いつの間にか司令官席から立ち上がっていた姫神が、彰人に寄り添うようにピトッと身体をくっつけてくる。

 

 どうやら、ここが自分の定位置である。と主張したいらしい。

 

 そんな姫神に笑いかける彰人。

 

 同時に、後方の「黒姫」も同じく、主砲を旋回させて照準を合わせる。

 

 次の瞬間、

 

「撃ち方始め!!」

 

 

 

 

 

 ちょうどその頃、

 

 合衆国軍の空母を発艦した攻撃隊は、翼を連ねてトラック環礁の上空へと差し掛かろうとしていた。

 

 編成は第1次攻撃隊と同じ、戦闘機、爆撃機、攻撃機の3編成。

 

 ただし第1次攻撃隊と違い、魚雷や対艦攻撃用の徹甲爆弾ではなく、全機が地上攻撃用の榴弾装備できている。

 

 その目的は、対空砲陣地と飛行場の破壊にある。

 

 いかに帝国艦隊の防空力が強大と言えど、航空支援なしで、数100機から成る航空攻撃に耐えられる道理はない。

 

 そのあとで、艦隊を叩く。

 

 この段階を踏んだ戦略こそが、スプルーアンスの狙いだった。

 

 飛行場を目指し、堂々たる編隊を組んで進撃する合衆国軍。

 

 その圧倒的な光景から齎される攻撃は、トラック環礁その物を飲み込もうとしているかのようだ。

 

 次の瞬間、

 

 だしぬけに、編隊の中央で、小規模な炸裂が発生する。

 

 ほぼ同時に、周囲へと撒き散らされる死の閃光。

 

 強烈な勢いで駆け抜けた鉄球の嵐が、トラック泊地に迫ろうとしていた合衆国軍航空隊を、容赦なく噛み砕いている。

 

 それに対して合衆国軍は、龍の(あぎと)に飲み込まれる獲物の如く、無力な存在に成り果てていた。

 

 「姫神」と「黒姫」が放った3式弾改2型が編隊中央で炸裂し、合衆国軍航空隊の隊列を大きく薙ぎ払ったのだ。

 

 たちまち、散り散りになる合衆国軍。

 

 砲撃は更に続く。

 

 姫神型巡洋戦艦最大の武器である主砲速射能力を存分に発揮し、10秒に1斉射の割合で炸裂する砲弾の威力は凶悪と言って良く、合衆国軍攻撃隊の大半が、隊列の維持すらままならずに四散していく。中には機位を見失い、空中衝突まで起こす機体がある程である。

 

 そこへ、上空で待機していた零戦隊が一気に襲い掛かる。

 

 対する合衆国軍は、碌な抵抗もできずに撃墜されていく。

 

 状況はまだ、帝国軍の方が有利に進んでいた。

 

 

 

 

 

第63話「墓場島・前篇」

 


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