蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第60話「蒼空の重装騎兵」

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝国軍にとって、1943年は後退の年であったと言っても良いだろう。

 

 それまでの最前線だったソロモン諸島からは、順次段階を踏んで後退し、更に北ではキスカ島で「奇跡」とも言われる鮮やかな撤退戦をやってのけた。

 

 ギルバート諸島は撤退が間に合わず、全島守備隊玉砕と言う悲劇的な結果に終わったが、そのギルバートに隣接するマーシャル諸島では、連合艦隊の主力を繰り出してまで撤退作戦を成功させている。

 

 これらの撤退行動により、それまで最大規模だった帝国の版図は、急速に狭められていく事となった。

 

 しかし、撤退行動は概ね整然とした物であり、最小限の犠牲者のみで退く様は、とても秩序だった物であった。

 

 下手をすれば全軍潰走、あるいは玉砕の運命をたどっていたかもしれない事を考えると、その撤退行動は「見事」と評して良いだろう。

 

 そして今また、南洋にある帝国軍最大の拠点からも、撤退作戦が開始されようとしていた。

 

 

 

 

 

 放たれる対空砲火によって、1機のP38が吹き飛ぶのが見える。

 

 しかし、敵は尚も相当数の機体を繰り出してきている。数機の撃墜程度では焼け石に水だった。

 

「左舷90度。アヴェンジャー雷撃機5機接近!!」

 

 見張り員の絶叫を受けて、彰人は視線を左へと向ける。

 

 見れば報告の通り、アベンジャーが横隊を組んで、真っ直ぐに「姫神」へと向かって来ている。

 

 このままだと「姫神」は、水線下に複数の魚雷を喰らう事になる。

 

 いかに基準排水量3万2000トンの巡洋戦艦と言えど、それだけの魚雷を喰らえば大破は免れないだろう。

 

「取り舵一杯、左舷、対空火力を集中せよ!!」

 

 彰人の鋭い指示が飛ぶ。

 

 その間、姫神はじっと前方を見据え、己の艦体を動かす事に集中する。

 

 艦娘は艦その物であり中枢でもある。彼女の意志が、そのまま艦の性能にも直結するのだ。

 

 10センチ高角砲を皮切りに、25ミリと40ミリの対空砲火が交錯し、2機のアベンジャーが吹き飛ぶのが見える。

 

 しかし、残る3機は構わずに突っ込んで来た。

 

 低空を這うように迫るアヴェンジャーは、一斉に魚雷を投下する。

 

 海面下を、白い航跡を引いて迫る魚雷。

 

 しかし、彼等が射点に到達する前に「姫神」は回頭を始め、徐々に進路を正対させていく。

 

 やがて、

 

「戻せッ 舵中央!!」

 

 彰人が直進を命じる頃、「姫神」は完全に魚雷と艦首を正対させていた。

 

 やがて、両者は真っ向からすれ違う。

 

 アベンジャーは行き掛けの駄賃とばかりに「姫神」へ機銃掃射を浴びせていくが、そんな事では巡洋戦艦に掠り傷一つ負わせる事はできなかった。

 

「制限有りの戦闘、と言うのも聊か厄介だね」

 

 そう言って、艦の性能維持に傾注する姫神に笑いかける。

 

 それに対し、姫神も少しだけ首をかしげて彰人を見詰めて来た。

 

 現在、「姫神」以下第7艦隊ががいるのは、広い外洋では無く、運動に制限のある湾内である。

 

 1943年12月12日。

 

 帝国軍はついに、南太平洋における最後の拠点である、ニューブリテン島ラバウルからの撤退作戦を開始した。

 

 ラバウルは、米豪遮断作戦を企図した1942年から、約2年近くに渡って帝国軍の一大拠点として存在し続けた。いわば南洋における要とも言うべき拠点である。

 

 最盛期には10万近い兵力が常駐し、合計すると1万機以上の航空機が稼働していたのだ。

 

 しかし、戦局の悪化に伴い米豪遮断作戦は中止。ソロモン諸島からの撤退が始まると、今度は一転して、撤退戦の支援拠点として活躍した。

 

 そのラバウルからも撤退する時が、ついに来たのだ。

 

 帝国海軍はこの撤退戦に際し、第7艦隊、及び連航艦から第2、第3航空艦隊を派遣して撤退支援を行っている。

 

 撤退戦の全体指揮は連航艦司令官の小沢治俊中将が取り、次席指揮官である彰人は艦隊を率いてラバウルに入港し、兵員収容を行う輸送船団掩護を行う事になっている。

 

 だが、それを黙って見過ごす合衆国軍ではなかった。

 

 先のマーシャル撤退戦において見事に出し抜かれた借りを返すべく、機動部隊がブーゲンビル島沖に展開、激しい航空攻撃を仕掛けて来ていた。

 

 その為、既に3隻の輸送船が沈没の憂き目に遭っている。

 

 これ以上の損害は、何としても防ぎたいところであるが、

 

「電測より艦長!!」

 

 電測室から、悲鳴じみた声が聞こえてくる。

 

「新たなる反応を感知ッ 方位100、急速接近中!!」

 

 報告を聞いて、彰人はギリッと歯を噛み鳴らす。

 

 朝から既に4波に渡る攻撃を受けているが、一向に敵の攻勢が弱まる気配はない。

 

「何だか、徹底的に、と言う感じですね」

 

 姫神の呟きに、彰人は頷きを返す。

 

 タダ逃げは許さない。

 

 何が何でも撃滅する。

 

 そんな意志が、合衆国軍の攻撃からは感じられるのだ。

 

 その時、電測室から新たな反応が上げられてきた。

 

「後方より反応多数!! 味方機と思われます!!」

 

 報告を聞き、顔を見合わせる彰人と姫神。

 

 すぐに艦橋の窓へと駆け寄って上空を見る。

 

 するとそこには、鋭いエンジン音を響かせて、まっすぐに向かってくる一群の航空機の姿があった。

 

「小沢さん・・・・・・」

 

 知らずの内に呟く彰人の口には、笑みが刻まれる。

 

 外洋で待機していた小沢治俊率いる連合航空艦隊が、孤軍奮闘する第7艦隊を掩護する為に、直掩の戦闘機を派遣してくれたのだ。

 

 数は、目測でも50機以上。

 

 それらは一気に第7艦隊の頭上を飛び越えていく。

 

 期せずして、艦隊乗組員から喝采が起こった。

 

 

 

 

 

 「蒼龍」を発艦した直哉は、そのまま部隊の先頭に立ち、ラバウルの上空までやってきた。

 

 眼下には都合4波までの敵機を退けた、第7艦隊の雄姿がある。

 

「あれが、姫神型巡戦か・・・・・・・・・・・・」

 

 直哉自身、これまで幾度か姫神型巡戦を見た事がある。しかし上空からじっくり見たのは初めてのような気がした。

 

 戦艦にしては随分とスマートな印象がある反面、前部甲板に集中配備された2基の巨大な主砲塔が力強い印象がある。

 

 何だか、細身の女性が巨大な剣を振り翳しているイメージがある。

 

 眼下に1隻、そして少し陸寄りの場所に、もう1隻の姫神型巡戦が航行しているのが見える。どちらが「姫神」で、どちらが「黒姫」かは判らなかったが。

 

 しかし、航空機の支援なしで敵機の攻撃を退けるあたり、艦も指揮官も優秀である事が伺えた。

 

「さて、今度はこっちの番か」

 

 眦を上げる直哉。

 

 その視界の中で、急速に迫りつつある敵部隊の姿。

 

 直哉は零戦22型甲のスロットルを開くと、速度を上げて襲い掛かった。

 

 それに続く、帝国軍の迎撃部隊。

 

 両者の距離が、急速に迫る。

 

 しかし、

 

「あれはッ!?」

 

 敵機のシルエットが視認できる距離まで縮まった時、直哉は思わず呻き声を上げた。

 

 太い胴に力強い翼。

 

 まるで羆が翼をはやしているような姿をした合衆国軍の機体は、これまで戦ってきたグラマンに特徴が一致している。

 

 しかし、

 

「違うッ ワイルドキャットじゃない!!」

 

 言いながら直哉は6丁の7・7ミリ機銃を乱射し、敵機の牽制を図る。

 

 先頭の機体が、僅かに翼を翻して、直哉の射線から逃れるのが見えた。

 

 撃墜はしていない。

 

 だが、出端を挫き、相手に動揺を与える事はできた筈だ。

 

 それと同時に、両軍入り乱れる攻防が始まった。

 

 零戦隊は持ち前の旋回性能を活かし、得意の巴戦に入ろうとする。

 

 これまで幾度となく行われてきた航空戦において、敵機を圧倒してきた必勝の戦法である。

 

 誰もが、自分達の勝利を信じて疑わなかった。

 

 だが、

 

 零戦隊が旋回を始めた途端、グラマンの機体は一切追随しようとせず、全速力で直進、零戦を引き離しに掛かった。

 

 驚いたのは零戦隊の方である。

 

 自分達が旋回を終えて背後に回る頃には、敵機は既に遥か先にまで通り過ぎているのだから。

 

 追いかけようにも、グラマンは零戦の最高速度を遥かに凌駕するスピードで、あっという間に引き離されてしまう。

 

 逆に、背後に浸かれた零戦は、振り切る事もできずに機銃を浴び、火を噴いて墜落していく。

 

 中には、敵機を追撃している最中に、いつの間にか別の敵機に背後に浸かれて撃墜される機体もある。

 

 勿論、零戦隊の中には果敢な反撃によって敵機を撃墜する者も存在する。

 

 しかし、撃墜される機体は間違いなく零戦の方が多かった。

 

 零戦隊の誰もが、戸惑いを覚えていた。

 

 これまでの敵なら、こんな簡単にやられる事は無かったのに。

 

 そんな中、

 

 直哉は持ち前の上空監視戦術を用い、確実に2機の敵を葬りながら、敵の動きをつぶさに観察していた。

 

「やっぱり、何か違う・・・・・・・・・・・・」

 

 今まで戦ってきた敵とは、機体も、戦法も、何もかもが違う相手に、帝国軍の誰もが、戸惑いを覚えている。

 

 だが、

 

「ッ!!」

 

 直哉は目標目がけて急降下。緩やかなカーブを掛けて相手の背後へ回り込むと、両翼と機首に装備した7・7ミリ機銃を連射する。

 

 放たれた細い弾幕が、敵機のコックピットを粉砕し撃墜した。

 

 

 

 

 

 ギャレット・ハミル合衆国軍大尉はこの日、2機目の零戦を血祭りにあげ、得意げな笑みを見せていた。

 

「コルセアも良いが、あっちの機体もなかなかじゃないか」

 

 操縦桿を操りながら、窓の外を並走する機体を見て呟く。

 

 グラマン社が開発した新型艦上戦闘機。外見的にはワイルドキャットとそう大差無いように見える機体だが、中身は別物と言っても良い進化を遂げている。

 

 グラマンF6Fヘルキャット。

 

 グラマン社が零戦に対抗する為に開発した機体であり、ワイルドキャットのボディをベースに、エンジン回りを強化。実に612キロの最高速度を叩き出すに至っている。

 

 ギャレットが愛機にしているコルセアに比べると幾分劣速だが、コルセアがいくつか艦上機として無視できない欠陥が見つかった事で、合衆国海軍は、コルセアを一部の部隊のみに残し、主力機はヘルキャットで統一を図っていた。

 

 速度と機動性はコルセアに劣るヘルキャットだが、ワイルドキャットの設計を引き継いだことで信頼性も高く、実際に操縦するパイロット達もすぐに機種変更に馴染んで行った。

 

 2000馬力級エンジンを搭載した事で設計に余裕があり、防弾装備も充実している。余程下手に攻撃を喰らわない限り、撃墜される事はまずあり得なかった。

 

 例えるなら、零戦が速度を重視した機動力のある軽騎兵なら、ヘルキャットは重装備を施して敵部隊を正面から打ち砕く重装騎兵だろう。

 

 もっとも、速度と機動性はコルセアの方が勝っており、その辺の事を考慮して、ギャレットは機種を変えない事にしたのだった。

 

 肝心な事は、自分達が帝国軍を圧倒できるだけの機体を揃える事が出来たと言う事実だった。

 

 更に、新型機の登場に合わせて、戦法も進化している。

 

 これまで零戦の格闘性能に翻弄され、大きな損害を出してきた合衆国軍は、帝国軍機との格闘戦をいっさい禁じ、徹底した一撃離脱戦法に徹するようにマニュアル化した。

 

 これは、かなり有効な戦法と言える。機体の出力は合衆国軍機の方が勝っているから、一撃加えて離脱する事だけを考えれば、仮に攻撃に失敗しても、零戦に背後を取られる可能性は低い、と言う訳だ。

 

 更にパイロット達には単独行動を禁じ、必ず2機1組で行動する事が義務付けられている。

 

 これは1機が囮になって敵を引き付けている内に、もう1機が背後から忍び寄って仕留めると言う「機織り戦法」を採用した為だった。

 

 これらの改革により合衆国軍はついに、帝国軍航空隊を圧倒できるだけの戦力を揃えたのだった。

 

「さあ、行くぞ!!」

 

 咆哮を上げると同時に、ギャレットは再び乱戦の中へと飛び込んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 防空戦闘を終えた戦闘機が、次々と自分達の母艦へと戻ってくる。

 

 その中に、直哉の零戦22型甲もあった。

 

 結局この日、帝国海軍は多少の損害を出しつつも、夕刻までには撤退作戦を終了。ラバウル守備隊、及び航空隊の全将兵を引き上げる事に成功した。

 

 しかし、合衆国軍がF4Uコルセアに続き、新たに姿を現した合衆国軍の新鋭機には、誰もが戦慄を禁じ得なかった。

 

 直哉は零戦22型甲の機首を「蒼龍」に向けながら、先程の戦闘の事を思い出していた。

 

 い号作戦以降、帝国軍は戦闘機中心の航空隊再建を目指し、機材調達やパイロット育成も戦闘機が優先されるようになった。

 

 一本化された教育方針が功を奏し、こと戦闘機に限って言えば、帝国海軍航空隊はかつての第1航空艦隊並みの勢いを取り戻しつつある。

 

 しかし、今日の戦闘は、そのような細々とした努力を、完全に打ち砕く物だった。

 

 新型戦闘機ヘルキャットによって、連航艦の航空隊は再び大きな損害を受けてしまった。

 

 無論、この程度の損害であるなら、すぐにでも補充が効く。それだけの体勢が、既に後方では確立されているのだ。

 

 しかし、戦闘機の性能において決定的に差を付けられた現在、パイロットの腕だけでは敵に追いつく事は難しいだろう。

 

 初登場から3年以上が経過し、敵が次々と新型機を繰り出す中、零戦は旧式化した感が否めない。

 

 勿論、直哉のようなエースパイロット達からすれば、まだまだ十分使える機体である事は間違いない。事実、直哉も今日の戦闘で敵機4機を撃墜している。

 

 しかし、これから実戦に臨む新人パイロットにとっては、性能に劣る機体で強力な敵機に立ち向かっていくのは無理がある。

 

 いかにベテランパイロットを養成しようとも、新型戦闘機の配備が遅れていては、いずれは再びじり貧になるであろう事は目に見えていた。

 

 そうしているうちに直哉は危なげない動作で「蒼龍」の飛行甲板に滑り込み、機体を停止させた。

 

 甲板に降り立つ直哉。

 

 ふと顔を上げると、自分の帰りを待っていてくれたのか、1人の少女が控えめに手を振っているのが見える。

 

 縛ったツインテールを風に靡かせ、蒼龍が笑いかけてきている。

 

 それに対し、

 

 直哉もほんの少し顔を赤くすると、ぎこちなく手を振り返すのだった。

 

 

 

 

 

 帝国海軍がラバウルを出航して、一路トラック環礁を目指し北上を開始した頃、ブーゲンビル島の東方でも、艦隊が反転しようとしていた。

 

 その各艦のマストには、星条旗が風を受けてはためいている。

 

 合衆国軍艦隊である。

 

 その数は、正規空母4隻、軽空母3隻、戦艦5隻、大型巡洋艦3隻、巡洋艦8隻、駆逐艦30隻。艦載機総数520機。

 

 これだけでも、ラバウル救援の為に派遣された帝国艦隊と、互角以上に戦えそうな戦力である。

 

 事実、旗艦である戦艦「ニュージャージー」では、司令官のレイナード・スプルーアンスが、幕僚達に詰め寄られている所だった。

 

「迷う事はありません提督」

 

 目を吊り上げた少女が、意気込んで言い募る。

 

 ブラウンの髪を短く切り、耳には大きなピアスをしている。下は短パンを穿き、上は白い軍服を着用しているが、その軍服の胸元が大きく膨らんでいるのが目を引く少女である。

 

 艦娘のニュージャージーは、居並ぶ幕僚達の現を代表するように、スプルーアンスに食って掛かった。

 

「今すぐ、ジャップの艦隊を追撃しましょう。我々の戦力なら、奴等を撃滅する事は充分に可能なはずです!!」

「ニュージャージーの言う通りです。ここで躊躇うべきじゃありません!!」

 

 数人の参謀が、少女に同調して、口々に追撃戦の実行を主張する。

 

 誰もが、自分達の手で帝国艦隊を撃滅できるかもしれない機会に興奮している様子だった。

 

 しかし、

 

 そんな彼女等の言葉を聞きながら、スプルーアンスは冷静に状況を見極めようとしていた。

 

 ミッドウェー以後、ニミッツから是非にと請われて太平洋艦隊参謀長を務めた冷静沈着な提督は、その頭脳でもって追撃戦の危険性を考慮している。

 

 合衆国艦隊が数度にわたって空襲を仕掛けたにもかかわらず、帝国軍艦隊には殆ど手傷を負わせる事ができなかった。

 

 それも、艦隊運動が制限される湾内で攻撃したにもかかわらず、である。

 

 スプルーアンスの脳裏には、数か月前のマーシャル諸島沖追撃戦の事が思い出された。

 

 あの時、海兵隊の航空隊が、戦闘機の援護の無い帝国艦隊に攻撃を仕掛けたにもかかわらず、逆に強烈な対空砲火を浴びて、攻撃した部隊の過半数を失うと言う醜態を晒した。

 

 スプルーアンスは、今回ラバウルに出てきた敵部隊が、その時の部隊なのではないかと疑っているのだ。

 

 加えて、付近には空母を含む帝国艦隊の存在も確認されている。

 

 だとすれば、下手な攻撃は却って危険である。

 

 加えて、時間の問題もある。

 

 既に日は傾き始めている。今から合衆国軍が準備して追撃したとしても、攻撃再開は明日の朝になるだろう。

 

 だが、ラバウルからトラックまでは艦隊の巡航速度で1日半の距離にある。一晩あれば、帝国艦隊はトラックの制空権内に届く距離まで逃げおおせる事ができる。

 

 結論から言えば、これ以上の追撃は不可能だった。

 

「ラバウルの敵部隊を叩き出した事で、我が艦隊の目的は達したと判断できる」

 

 冷静な口調で告げるスプルーアンスに対し、意見したニュージャージーたちは不満そうな顔を見せる。

 

 しかし、スプルーアンスには自分の意見を曲げる心算は無かった。

 

「艦隊進路反転。エスピリトゥサントに帰投する」

 

 スプルーアンスの言葉に従い、合衆国艦隊は粛々と進路を反転させていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、マーシャル・ギルバート・ラバウルから兵員を撤退させる為に行った、帝国海軍の「ろ号作戦」は、一部を除いて成功裏に幕を閉じた。

 

 ギルバート諸島の守備隊をまるまる失ったのは痛かったが、最終的に引き上げに成功した兵員の数は12万にも及び、今後、予想されるであろう合衆国軍の反攻作戦に対し、大きな力になるであろう事は間違いなかった。

 

 既に撤収を終えた部隊は、いったん本土へと行き、休養と再編成を行った後、トラックやマリアナに再配備される事になる。

 

 そして、

 

 ろ号作戦の成功は、同時に帝国軍にとって、来たる決戦に向けて準備が始まった事を意味していた。

 

 何しろ、時間が無い。

 

 敵は既に体勢を立て直しつつあるのに対し、帝国軍の再編成はまだ半ばと言う有り様である。

 

 艦隊の編成、人員の配置、航空隊の錬成と編成、防御陣地の構築。等々・・・・・・

 

 やる事は掃いて捨てれば山ができるくらいにあった。

 

 そんな中、ラバウル撤収作戦を終えた彰人は、その報告を行う為、「武蔵」にある連合艦隊司令部に足を運んでいた。

 

 

 

 

 

「ご苦労だった。本当に、よくやってくれた」

 

 姫神を伴って長官公室に入って来た彰人に対し、古河はそう言って労いの言葉を掛けた。

 

 部屋には今、武蔵と参謀長の福留の姿もある。

 

 2人とも、彰人をねぎらい、今後の協議をするために来ていたのだ。

 

 対して、彰人は古河の労いの言葉にも、気分が晴れずに俯いていた。

 

「けど、結局犠牲者は出てしまいました」

 

 結局、作戦には成功したものの、ラバウル救出艦隊は事前の空襲で3隻、夜間、潜水艦の襲撃で1隻の輸送船を失った。

 

 全体から見れば軽微な損害かもしれないが、それでも、自分の参加した作戦で犠牲者を出してしまった事が悔やまれる。

 

 加えてギルバート守備隊玉砕の件もある。

 

 彰人としては、手放しでは喜べないのが現状だった。

 

「彰人は頑張りました」

 

 気落ちする彰人に対し、姫神は控えめにそう言って慰める。

 

 ラバウル撤退作戦を終えてからしばらく、彰人が気落ちしていたのは姫神も知っている。

 

 恋人が落ち込んでいる姿を見て、彼女なりに何とか支えてあげたいと考えているのだろう。

 

 そんな姫神に笑い掛けながら、彰人はそっと、彼女の頭を撫でてやる。

 

 その2人の様子を見ながら、古河が声を掛ける。

 

「戦争に絶対はあり得ない。それを考えれば、君はよくやったよ」

「はい。ありがとうございます」

 

 そう言って彰人は、古河に頭を下げる。

 

 確かに、完全とはいかないまでも、ろ号作戦は順調に終了したと言える。

 

 ならば、次の段階を考える時が来たと見るべきだった。

 

「撤退作戦の成功に伴い、既に次の作戦の一部は稼働し始めていると言って良いだろう」

 

 そう言うと福留は、4人にそれぞれ資料を配る。

 

 基本はこれまで何度も言って来た通り、トラックとマリアナを要塞化して敵を迎え撃つ迎撃戦術を行う。

 

 具体的には、トラックとマリアナには強固な守備隊を配備し、同時に航空部隊も精鋭を派遣、防御陣地も入念に形成する。

 

「艦隊の泊地としては、パラオ諸島を予定しています。今後、トラックが最前線になると予想されますので、今後、このトラックは敵の空襲圏内に入る事が予想されますので」

 

 当然の措置である。空襲の恐れがある島に、主力艦隊を置いて置く事はできなかった。

 

 つまり、トラックとマリアナが敵の攻撃を受け止める城壁の役割を果たし、パラオが後詰の城と言う訳だ。

 

「成程、パラオなら、敵がトラックに来ようがマリアナに来ようが、3日以内には即応できますね」

 

 資料を読み進めながら、彰人は頷く。

 

 当初、艦隊泊地は東南アジア近辺、具体的にはリンガ、ブルネイ、マニラ、タウイタウイのいずれかになる可能性が高いと考えていた。

 

 しかし、これらの泊地は決戦予測海面からあまりにも距離がありすぎ、即応するのが難しい。その点、パラオなら問題は無かった。

 

「これは、漸減邀撃作戦と言うより、戦国時代の後詰決戦のような形ですね」

「拠点を餌に敵主力をおびき出す、と言う意味では、確かに似ているな」

 

 彰人の言葉に、武蔵も同意するように頷く。

 

 後詰決戦とは、主に織田信長等の戦国大名が得意としたとされる戦術である。

 

 まず攻め手側が目標となる敵国の拠点を攻める。当然、攻め込まれた側は救援の為の軍勢を派遣し、そこで両軍の決戦に持ち込む、と言う物だ。

 

 この時、攻め手側は敵の主力軍を誘い出し殲滅できれば勝利。逆に攻め込まれた側は敵を撃退し拠点の救援に成功すれば勝ちとなる。

 

 有名な戦いで見れば、長篠や姉川の合戦が典型的な例となる。

 

 今回、帝国軍が守備側となり、攻め寄せてくる合衆国軍を迎え撃つ事になる。勝利条件は、トラック・マリアナを防衛し、合衆国軍を撃退する事だった。

 

 鍵となるのは、拠点の防衛力と艦隊の機敏性となる。この2つが完璧に機能して初めて、この戦略は現実味を帯びる事になる。

 

 トラック、マリアナ、パラオ。

 

 この3カ所が、言わば彰人達が考案した「海上要塞」の役割を果たす事になる訳だ。

 

「一つ、良いですか?」

 

 断りを入れてから、彰人は口を開いた。

 

「後方支援艦隊の事なんですけど」

 

 工作艦「明石」、給糧艦「間宮」を中心とした後方支援艦隊は、帝国海軍が南洋で活動する要である。この艦隊がいるからこそ、帝国海軍の主力は本土に戻る事も無く、トラックで2年もの間戦う事が出来たのだ。

 

 いわば、帝国海軍の隠れた主力である。

 

「この艦隊を、マニラのキャビテ港か、あるいはシンガポールのセレター軍港まで下げるわけにはいきませんか?」

「そんな後方までか?」

 

 驚いたのは福留である。

 

 当初の予定では、後方支援艦隊は主力艦隊と共にパラオに留まるか、最低でもミンダナオ島のダバオあたりに展開する手はずになっていた。作戦維持の要である後方支援艦隊は、なるべく主力艦隊の近くに置いて置きたい、という思惑からだった。

 

「あまり後方に下げ過ぎれば、戦闘で負った損傷から復帰させるのに、時間がかかる事になるぞ」

「後方、と言っても本土よりは近いです」

 

 言い募る福留に反論するように、彰人は自分の考えを続ける。

 

「それに、戦闘力が無い後方支援艦隊を前線近くに置いておくのは、そっちの方が危険だと思います」

 

 輸送船や工作艦、給糧艦が中心の後方支援艦隊は、防御力も弱く、速力も期待できない。万が一、有力な敵艦に襲われでもしたらひとたまりもないだろう。

 

 故に彰人は、「後方の更に後方」に下げようと考えていたのだ。マニラやシンガポールなら、万が一にも敵が来る可能性は低い。襲われる危険性は低い筈だった。

 

「成程、確かに一理あるな」

「長官、宜しいので?」

 

 彰人の意見に賛同の意を見せた古河に対し、福留が尋ねる。

 

 とは言え、その様子は自分の意見が否定されたから不快になっている訳ではない。むしろ、古河の真意を確認するような感じだった。

 

 福留個人としても、どうやら彰人の意見には賛成らしかった。

 

「後方支援艦隊の安全確保は最優先事項の一つだ。ならば『確実に安全』と思える方法を取るのが得策だろう」

 

 たとえば「明石」を失えば、帝国海軍は損傷した艦艇をいちいち全部、本土に戻さなくてはならなくなるし、「間宮」を失えば士気がガタ落ちになるのは目に見えている。

 

 だからこそ、後方支援艦隊は最優先で守る必要があるのだった。

 

「それと、これはまだ、正式な発表はしていないのだが・・・・・・」

 

 改まった口調で告げる古河。対して、何事だろう、と彰人と福留は顔を見合わせる。

 

 一方で武蔵は、泰然として古河の言葉を待っている。どうやら彼女は、古河が切り出した話題に心当たりがある様子だった。

 

「私は近々、『武蔵』をGF旗艦の任から外そうと思っている」

「と言うと・・・・・・」

 

 彰人は訝るように古河に尋ねる。

 

「GF旗艦は『大和』か『長門』に移すのですか?」

 

 それなら別に、改まって言う程の事ではないと思う。別に在任中のGF長官が、旗艦を変更する事は珍しい事ではない。

 

 「大和」や「武蔵」は編入後、すぐに連合艦隊旗艦に指定されたし、その前は「長門」「陸奥」が交代で旗艦を務めていた。

 

 だが、その予想は裏切られた。

 

 次に古河が言った言葉は、福留は愚か、彰人や姫神をも驚かせるのに十分な物だった

 

「私は、連合艦隊司令部を、陸上に移そうと思っている」

「なッ」

「え!?」

「・・・・・・」

 

 驚いて声を上げる、福留と彰人。

 

 姫神だけは声を上げてないが、それでも驚いたように目を見開いている。

 

 流石に、これは予想外過ぎる事態だった。

 

 対して古河は、そんな3人の顔が可笑しかったのか、笑みを浮かべながら続ける。

 

「そう驚く事もあるまい。敵に倣う訳ではないが、敵将ニミッツも前線指揮はハルゼー、スプルーアンスと言った配下の将に任せ、自分はハワイの司令部で全体の指揮に当たっていると言うではないか」

「いや、そうですけど・・・・・・」

「しかし、GF司令部は最強の戦艦に置く、と言うのが通例では・・・・・・」

 

 尚も戸惑いを隠せない彰人と福留は、そう言って古河に言い募る。

 

 GF長官は常に、連合艦隊最強の艦を旗艦と定め将旗を掲げる。それが、連合艦隊の全身に当たる常備艦隊時代からの伝統である。

 

 しかし、

 

「たとえ大和型戦艦と言えども、通信能力には限界がある。日露戦争の頃くらいまでならそれで良かったかもしれんが、時代は変わり、戦域はあの頃と比べ物にならないくらい拡大した。ならば通信能力と情報収集分析能力、司令伝達能力さえ確保できれば、司令部はより安全で確実な陸上に移した方がいいだろう」

 

 もはや指揮官先頭が美徳とされた時代ではない、と言う事だ。

 

 加えて、古河の念頭には、先のマーシャル撤退戦時に「大和」「武蔵」が揃って出撃した事があった。

 

 あの時、連合艦隊司令部と最強戦艦が揃って出かけた事への批判が、軍令部から批判を受けた。

 

 結局、第1艦隊の方には敵が来なかったから、「『大和』や『武蔵』の出撃は、燃料を消費しただけだった」などと批判する者も多い。

 

 しかし、古河や武蔵に言わせれば、それは手前勝手な結果論に過ぎない。事実、第7艦隊は基地航空隊からの襲撃を受けている。今回はたまたま、第1艦隊の方に敵が来なかったと言うだけに過ぎなかった。

 

 それに、守備隊将兵からすれば、「大和」「武蔵」のような巨大戦艦が護衛すれば、それだけで安心感が違ったはずである。

 

 あの出撃には意義があった。と言うのが、古河と武蔵の一致した見解である。

 

 しかし、最強の戦艦にGF司令部が居座り続けると、その艦はそうそうな事では前線に出す事ができず、それだけで有力な艦を1隻を遊兵化させてしまう事になる。

 

 事実、前長官の山本伊佐雄は呉に停泊した戦艦「大和」に居座り続けた為、「大和」はミッドウェー時に宇垣護前参謀長が強引に前線に連れて行くまで、実戦参加の機会を得られなかったのだ。

 

 しかし、今はあの時とは状況が違う。戦況が徐々に悪化する中、使える艦を後方で遊ばせておくことほど愚かしい事も無いだろう。

 

「まあ、私としても堅苦しい司令部任務から解放されるのは願ったりだがな。長官たちのお守りをしないだけでも大助かりだよ」

「言ってくれる」

 

 肩を竦める武蔵に、古河は苦笑する。

 

 そんな2人のやり取りを聞きながら、彰人はこれからの事へと想いを馳せていた。

 

 皆が、これからの戦いの事を考え、今の体制を変えようとしている。

 

 敵は強大化し、新たな戦力を投入してくる中、状況は決して楽とは言えない。

 

 しかしそれでも、これからの戦いは、これまで以上に面白い戦ができるかもしれない。

 

 彰人はそう考えると、胸の奥底が沸き立つような、熱い感覚を覚えるのだった。

 

 

 

 

 

第60話「蒼空の重装騎兵」      終わり

 




1943年編はこれで終わり。
次回からは、激動の1944年編になります。

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