蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第58話「届かなかった手」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギルバート諸島。

 

 マーシャル諸島の南側に位置し、開戦前、イギリス領だった場所である。

 

 しかし、開戦と同時期に帝国軍の侵攻を受けて陥落。以後は帝国軍が実効支配を続けてきた。

 

 その後、戦いはここより北のミッドウェーや、南のソロモン・エスピリトゥサントに移行した事もあり、この方面の戦線は、半ば忘れ去られた感が強くなっていっていた。

 

 そのギルバート諸島のの中核であるタラワ環礁に向けて、一群の艦隊が航行していた。

 

 大型の巡洋艦を中心に、その周囲を駆逐艦が取り巻く艦隊は、俊敏さと力強さを併せ持つ精悍な印象があった。

 

 帝国海軍第2艦隊である。

 

 重巡洋艦7隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦11隻から成る帝国海軍の主力艦隊は、一路、ギルバート諸島のタラワ環礁を目指していた。

 

 その第2艦隊旗艦「愛宕」の艦橋において、司令官の栗田武夫少将は、謹厳な眼差しで前方を注視していた。

 

「異常はないか?」

「ん~ 大丈夫みたいね~ 今のところ~」

 

 声を掛けられた愛宕は、緊張感を欠いた間延びした印象のある声で応じる。

 

 もっとも、ふざけている訳では無く、これが彼女のスタイルなのだが。

 

 どんな状況でも物おじせず、割とマイペースに応じる。それでいて仕事はキッチリこなし、提督の補佐までするのだから侮れない。

 

 日米初となる大規模水上砲戦になった南太平洋海戦の際も、当時の第2艦隊司令官近藤信行を補佐し、見事に勝利に導いている。

 

 彼女が長く、第2艦隊旗艦を務めている所以の一端を見るようだった。

 

 しかし、

 

 愛宕は見事なブロンド髪の端から、チラッと栗田の方を見やる。

 

 彼女はその胸の内には、一抹の不安、と言うよりも不信感が芽生えているのを自覚せずにはいられなかった。

 

 自分の司令官を疑うなど、軍人にあるまじき行為だが、胸に生じた疑心暗鬼は、草々な事で消えてくれそうになかった。

 

 何しろ、着任以来、栗田とは業務以外の会話をほとんどしていない。

 

 愛宕の方から話しかけない限り、殆ど自分から声を掛けて来る事が無いのだ。

 

 海上勤務一筋でやってきたベテランであり、性格的には寡黙で謹厳。と言う評価は着任前から聞いている。ある意味、その前評判通りと言えない事も無いが。

 

 しかし今までの提督は、前任者の近藤も含め、愛宕たち艦娘にも気さくに声を掛けてくれた物である。

 

 その為、愛宕としては栗田に対して、若干のやりにくさを感じているのだった。

 

 それに、

 

 栗田についてだが、いくつかよろしくない噂を聞いてもいる。

 

 まず、あの記憶にも忌々しいミッドウェー海戦の事。栗田率いる第7戦隊はミッドウェー砲撃を命じられ島に接近したのだが、その際、戦艦「ワシントン」を含む艦隊に待ち伏せを受けた結果、第7戦隊は「三隈」を喪失、「最上」大破の損害を被った。

 

 そこで栗田は「三隈」と「最上」、そして孤軍奮闘する「鈴谷」を残し、旗艦「熊野」に避退を命じたと言う。

 

 更に、開戦初頭のバタビア沖海戦においては、味方からの合流要請を無視して戦線から離脱したと言う。

 

 検証会議の結果、前者は作戦上止む終えなかった事であり、後者は事実無根とされ、いずれも不問に付されている。

 

 更に言えば栗田は、エスピリトゥサント艦砲射撃の折には、射撃隊の1隊を率いて参加し、見事に作戦成功を成し遂げている。

 

 これらの評価から、栗田の悪い噂は、あくまで「噂」レベルに留まっているのだが。

 

 しかし、不信感を拭えないのは確かだった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 愛宕は気付かれないように、軽く首を振る。

 

 豊かなブロンドの髪が頬を撫でる間に気持ちを切り合える。

 

 司令官を疑うなど、軍人にあってはならない事である。それが旗艦艦娘であるならなおの事だった。

 

 自分のするべき事は、栗田の指揮を補佐し、彼の指示を明確に実行する事だった。

 

「提督~ まもなくタラワ環礁が見えてくるはずです。いつ敵が来ても良いように~ 警戒レベルを引き上げますね~」

「おう、頼む」

 

 愛宕の言葉に、短く応じる栗田。

 

 その返事を聞いて、クスッと笑う。

 

 これが、この人のスタイルなのだろう。ならば、少しでも早く、それに慣れるような空気を作るのも、自分の務めだと思った。

 

 異変が起きたのは、その数分後の事だった。

 

「対空電探に感2 方位右舷30度!!」

 

 電測室から上げられてきた報告に、栗田は訝るような視線を受けた。

 

「何だ? タラワから迎えの航空隊でも寄越したのか?」

「さあ、そんな予定はありませんけど~・・・・・・」

 

 呟きながら、愛宕は自分の中で不安が徐々に大きくなるのを感じた。

 

 予定に無い、航空隊の飛来。

 

 それが意味するところは、不吉な予感を想起させるのに十分だった。

 

 その時だった。

 

 艦隊嚮導艦として先頭に立っていた軽巡洋艦「神通」が突如、予定に無い回頭を行うのが見えた。

 

 速力を上げながら、急速旋回する「神通」。

 

 同時に激しく対空砲火を撃ち上げる。

 

「敵かッ!?」

 

 とっさに叫ぶ栗田。

 

 その耳に、不快感を齎すエンジン音が、徐々に大きくなりつつ降り注いできた。

 

 同時に、通信参謀が電文を手に駆け寄ってきた。

 

「2水戦旗艦『神通』より入電。《我、接近中の敵大編隊を確認。これより迎撃に移る》!!」

 

 通信参謀が報告をしている間にも、エンジン音はどんどん大きくなる。

 

 やがて、

 

 視界の彼方で、巨大な水柱が立ち上るのが見えた。

 

「『神通』に攻撃集中!!」

 

 見れば、次々と自身に迫る急降下爆撃に対し、「神通」が高速で動き回りながら、盛んに反撃しているのが見える。

 

 放たれる対空砲火が敵機の接近を阻み続ける。

 

 流石は「華の2水戦」の異名で呼ばれる、帝国海軍最強の水雷戦隊において、長年にわたり旗艦を務めて来ただけの事はある。敵機の攻撃如き、そう簡単に近寄らせるものではない。

 

 そのまま、敵機の攻撃をかわしきれるか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 突如、「神通」の甲板に、巨大な爆炎が躍った。

 

「『神通』被弾ッ 行き足止まりましたァ!!」

 

 響き渡る、見張り員の絶叫。

 

 前部甲板に直撃を受けた「神通」は、そこに備えられた主砲塔を吹き飛ばされ炎を噴き上げている。

 

 見れば、完全に行き足が止まった「神通」に、更に爆撃が加えられているのが見える。

 

 1発目と2発目は目算が狂って大きく外れたが、3発目と4発目が命中。2水戦旗艦をさらに痛めつける。

 

 海上に傾いて停止した「神通」。

 

 それを皮切りに、そこかしこで同じような光景が起こる。

 

 「愛宕」の僚艦「高雄」は、爆弾複数を浴びて炎上している。

 

 第8戦隊から参加した「筑摩」は魚雷1本が命中。艦体を傾斜させつつ、必死に回避運動を試みている。

 

 第5戦隊旗艦「妙高」は、至近弾多数に直撃弾を浴びて黒煙を吹いている。

 

 更に駆逐艦にも被害が出始めている。

 

 帝国海軍の精鋭部隊である第2艦隊が、手も足も出せず、一方的に叩かれている。

 

 正に悪夢のような光景だった。

 

「空母さえ・・・・・・航空機さえいれば・・・・・・」

 

 絞り出すような栗田の声に、愛宕はハッとして上空に目をやる。

 

 唸りを上げて迫る急降下爆撃機。

 

 海面を這うようにして寄ってくる雷撃機。

 

 その全てが単発機である。

 

「クッ」

 

 唇をかみしめる愛宕。

 

 何で、今ま「それ」の存在に気付かなかったのか。

 

 愛宕は真剣な眼差しで栗田を見やる。

 

「提督。敵は艦載機です。近くに空母がいる筈です」

「空母だと・・・・・・」

 

 いつになく真剣な口調の愛宕の言葉に、絶句する栗田。

 

 空母が近くにいる。と言う事はつまり、合衆国軍はこちらの動きを読んで、待ち構えていたと言う事になる。

 

 このままタラワ入港を目指すのは危険だった。

 

「いかんッ」

 

 反転を命じようとする栗田。

 

 だが、その前に見張り員の絶叫が鳴り響いた。

 

「敵機直上ッ 急降下ァ!!」

 

 声に導かれるように振り仰ぐ天。

 

 そこには、

 

 「愛宕」目がけて急速に迫る、敵機の姿があった。

 

 放たれる爆弾。

 

「提督!!」

 

 とっさに庇おうと、栗田に手を伸ばす愛宕。

 

 だが、

 

 その前に降ってきた爆弾が、彼女の艦体を次々と直撃する。

 

 たちまち、「愛宕」の甲板で爆炎が躍る。

 

 1発は第1砲塔に命中。そこを完膚なきまでに粉砕する。

 

 更に1発。

 

 その1発が、艦橋に命中する。

 

 爆炎と共に、艦橋内にいた人間全てが吹き飛ばされる。

 

 一瞬にして頭脳を失う「愛宕」。

 

 後には、吹き飛ばされて更地のようになった艦橋で、人の呻き声だけが響き渡っている。

 

 そんな中、

 

「て・・・・・・提督・・・・・・」

 

 自身も傷を負いながらも愛宕は必死になって、倒れている栗田に手を伸ばそうとする。

 

 栗田は、床に投げ出されたまま、ピクリとも動こうとしない。

 

 やがて、

 

 愛宕の意識も急速に薄れ、視界は徐々に、何も映さなくなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久々となるトラック泊地は、予想以上の賑わいを見せていた。

 

 既に昨年来の戦いで損傷を受け、本土に後退していた艦の多くは復帰を果たし、このトラック泊地に集結を果たしている。

 

 多く参集した艦隊を見れば、何か大きな作戦の前触れのようにも思える。

 

「もっとも、『枯れ木も山の賑わい』でない事を祈るけど」

「どうしました、彰人?」

 

 青年のつぶやきに対し、傍らに立つ姫神が反応した。

 

 そんな少女に、彰人は笑いかける。

 

 あの日、

 

 プールからの帰り道にお互いの気持ちを確認しあって以来、彰人と姫神は、それまでとは違った関係になった。

 

 一言で言えば、恋人同士になったのだ。

 

 彰人は姫神の事を大切に思い、

 

 姫神はそんな彰人に恋をした。

 

 この流れはある意味、必然であったのだ。

 

 その報告をした時、第7艦隊の幕僚や艦娘達は、揃って祝福をしてくれた。

 

 どうやら皆、彰人と姫神が互いに思いあっている、と言う事は前々から感づいていたらしい。

 

 知らぬは本人ばかりなり、とはよく言った物で、そのせいで彰人はみんなから、非難と言う名の祝福を浴びてしまった。

 

 雷などは、「遅過ぎよ、司令官!!」などと叱ってきたほどである。

 

 そんなわけで、第7艦隊公認のカップルとなった彰人と姫神は、全ての準備を終えてここ、トラック環礁へと再進出を果たしたのだった。

 

 2人を乗せた短艇が、ゆっくりと目の前の巨艦へと近づいてくる。

 

 しかし、

 

「見分けがつきません」

「まったくだね」

 

 今や恋人となった巡戦少女の言葉に、彰人は同意の頷きを返す。

 

 視線の先には、威容と共に錨を下ろしている2隻の大和型戦艦の姿がある。

 

 彰人達から向かって右に停泊しているのが「武蔵」。左に停泊しているのが「大和」・・・・・・らしい。

 

 などと言われたところで、どちらも同じシルエットをしている為、遠目には全く見分けがつかない。

 

 細部は違うところがあるらしいが、ここまで一緒だと、間違い探しをするのも大変である。

 

 やがて短艇が「武蔵」(と言われた艦)に横付けすると、そのまま彰人と姫神はラッタルを上がり、甲板の上へ出た。

 

 その足で、長官公室へと向かう。

 

 「武蔵」は「大和」より遅れて完成した分、いくつかの点で優れた部分がある。その最たる物が司令部施設だった。

 

 当時の山本伊佐雄連合艦隊司令長官が、司令部設備の充実化を追加工事として要望した事で実現したらしい。とは言え、そのせいで「武蔵」の竣工が遅れてしまったのは、皮肉以外の何物でもなかったのだが。

 

 そうしているうちに、長官公室の前までやってくる。

 

「失礼します。7艦隊司令水上彰人、及び旗艦姫神、参りました」

 

 そう言って敬礼する彰人。

 

 傍らでは、姫神も揃って敬礼している。

 

 対して、

 

「おう、来たか。待っとったぞ」

 

 ソファー手を上げて見せた人物を見て、彰人は驚いた。

 

「小沢さん・・・・・・」

 

 連航艦司令官の小沢治俊中将が、謹厳な顔を見せて座っている。

 

 室内には他に、武蔵やGF参謀長の福留茂。

 

 そして、山本伊佐雄の後を継いで連合艦隊を率いる立場になった古河峰一の姿もあった。

 

「よく来てくれた。君の事は小沢君や宇垣君から聞いていた。会える日を楽しみにしていたよ」

「あ、はい」

 

 低いが、良く通る声で言われ、彰人は思わず居住まいを正す。

 

 気さく、と言うか、どこか軽めの印象があった山本とは違い、古河は謹厳なイメージがある。とは言え、決して固い人物と言う訳では無く、戦国武将を思わせる質実剛健さがあった。

 

 古河に促され、小沢の隣に腰掛ける彰人。

 

 その対面に福留と武蔵が座り、古河は一同を見渡すように上座の席に着く。

 

「そこの小沢君や、今は加療の為に内地へと戻っている宇垣君は、君の事を随分と褒めていたよ。面白い考え方をする奴だ、と」

「恐縮です」

 

 彰人はそう言いながら、隣の小沢に視線を向けると、小沢は何やら「してやったり」とばかりに笑みを見せて来た。

 

 対して、苦笑を返す彰人。

 

 自身の知らない所で評価が独り歩きしている事については、聊か言いたい事が無しとはいかない。

 

 しかしまあ、おかげでこうして、わざわざ古河との会談の席が用意されたのだから、その点に関しては小沢に感謝しておくべきだろう。

 

「事態はひっ迫している」

 

 口を開いたのは武蔵だった。

 

 かつての大和や長門がそうであったように、彼女もGF司令部の業務を一部担当している。その観点から話に加わって来た。

 

「1週間ほど前の事だ。ギルバート諸島の撤退支援任務の為に第2艦隊が派遣されたのだ」

 

 当初、戦線はラバウル近辺に集中しており、ギルバートやマーシャル諸島への敵の来襲は、まだ先になると考えられていた。その間に、両方面の守備隊を撤収させてしまおうと考えていたのだ。

 

 帝国軍が、早期にソロモン撤退を開始した事で、ある程度兵力と時間に余裕が生じていた事もあり、この作戦は上手く行くかと思われた。

 

 だが、そこで予期せぬ事態が発生した。

 

 突如、出現した合衆国軍の空母機動部隊が、タラワ環礁入港直前だった第2艦隊に空中から襲い掛かり、これに一方的な爆撃の嵐を浴びせた。

 

「この攻撃により、第2艦隊は軽巡洋艦『神通』、駆逐艦『萩風』『江風』『嵐』沈没。重巡洋艦『愛宕』『高雄』『筑摩』『妙高』、駆逐艦『漣』『浜風』大破。その他、損傷艦多数にのぼり、第2艦隊は、事実上壊滅した」

 

 この戦いで、第2艦隊は司令官の栗田武夫少将が意識不明の重体に陥り指揮不能。機関を大破されながらも辛うじて生存していた第5戦隊司令官が艦隊を取りまとめ、トラックまで後退している。

 

「『神通』が・・・・・・」

 

 顔見知りの艦娘が沈んだ事に、彰人は顔を俯かせる。

 

 神通とは、かつて同じ第2艦隊に所属していた事もあり、会議の席や私的な場においても顔を合わせた事がある。

 

 「華の2水戦」の名前を体現したようなたおやかな美人であると同時に、配下の駆逐艦娘達を徹底的に鍛え上げる事に執念を燃やす鬼教官的な一面もあった女性である。

 

 自分に厳しく、他人に厳しく、そして誰よりも優しく、だからこそ多くの将兵や駆逐艦娘たちに慕われる存在でもあった。

 

 その神通が死んだ事に、悲しみを覚えずにはいられない。

 

「彰人・・・・・・」

 

 彰人を慰めるように寄り添う姫神。

 

 そんな姫神に寄り添いつつ、彰人は先を続ける。

 

「では、ギルバート諸島は今は?」

「第2艦隊が後退した後、合衆国軍が電撃的に侵攻。守備隊はその3日後、《最後の突撃を敢行する》と言う無電を最後に連絡を絶った」

 

 その言葉に、彰人と姫神は二の句を告げる事ができなかった。

 

 武蔵の言葉が意味するところは、一つしかあり得ない。

 

 ギルバート諸島の守備隊は「玉砕」したのだ。

 

「間に合わなかった・・・・・・・・・・・・」

 

 呻くように呟く彰人。

 

 ギルバート・マーシャル・ラバウルの守備隊を引き上げ、その兵力を再編成して配備する事でトラック・マリアナの要塞化を図る。と言う彰人の構想は、その一角が崩された事を意味している。

 

「悲観するのはまだ早い」

 

 そんな彰人を叱咤するように古河が口を開いた。

 

「ギルバート諸島の救援が間に合わなかったのは私としても遺憾の極みだが、過ぎた事を嘆くよりも、これからの事を考えるのが我々の仕事だ」

「はい・・・・・・」

 

 古河の言葉に、彰人は顔を上げる。

 

 確かに、反省は全てが終わってからすればいい事である。今はこれからをどうするか、考えるべきだった。

 

「基本は変わりません」

 

 彰人は気を取り直して口を開く。

 

「残ったラバウルとマーシャルの守備隊を、万難を排して撤収させます」

「ラバウルの撤収作業は順調に進んでいる。あとは航空隊を含む守備隊将兵の撤収を残すのみだ」

 

 福留の説明に、彰人は頷きを返す。

 

 ならば、そちらは良いだろう。残る問題は、マーシャル諸島である。

 

 マーシャル諸島にはクェゼリン島やルオット島など大小複数の島々が展開し、そこに合計で2万名の兵力が駐留している。できればそれら全てを救いだしたいところである。

 

 報告書を読み進める彰人。

 

 隣接するギルバート諸島が陥落した以上、もうあまり時間が無いと判断した方がよさそうだ。何としても、敵の本格侵攻の前に撤収を完了させたいところである。

 

 理想としては、キスカ島で木村正臣がやったように、敵に気付かれないうちに全兵力を引き上げる事ができればいいのだが、あれはある程度の時間に余裕があった事と、濃霧の発生と言う、いわば自然界からの「掩護射撃」があって初めて成し遂げられた奇跡である。今回の戦いでは期待できないだろう。

 

 もやは作戦は、敵の戦力を一時的にせよ行動不能にして、その間に撤収を済ませる、と言う力技以外に無い。しかも味方は第2艦隊を欠いている状態である。

 

 限られた戦力で、作戦を実行する以外に無かった。

 

 何か、

 

 何か打てる手はないか? 僅かでいいから時間を稼ぐために、帝国軍がアクティブに打てる策は無いか?

 

 更に報告書を読み進める彰人。

 

 その目が、ある一点で止まった。

 

「これは・・・・・・・・・・・・」

「彰人、どうしました?」

 

 問いかける姫神に頷きつつ、彰人はテーブルの上に置いた報告書の記述を指差す。

 

「この報告は、間違いありませんか?」

 

 一同が促されるまま、身を乗り出して報告書を覗き込む。

 

 そこには、「攻撃後、敵艦隊は南方へ進路を取った模様」とある。

 

 対して、頷いたのは福留だった。

 

「それだったら間違いない。哨戒に出ていた伊168(イムヤ)からの報告だ。敵艦隊は攻撃終了後、南に進路を取ったとの事だ」

「南ですね。北では無く?」

 

 念を押すように尋ねる彰人。

 

 北では無く、南に行く事に、何か意味があると言うのか?

 

 一同が訝る中、彰人は立ち上がって壁に掛けられた地図に歩み寄る。

 

「僕はエスピリトゥサントを巡る戦いが激しかった頃、通商破壊戦を計画していました」

 

 1年前の頃。

 

 ミッドウェー敗北以後も、あくまで攻勢を目的にして作戦を進める連合艦隊司令部の方針に従い、彰人は第7艦隊を用いた通商破壊戦を企図していた。

 

 しかし、合衆国軍の補給線は複数存在しており、仮に艦隊を繰り出してそれらを叩いて回ったとしても、合衆国軍の作戦を妨害できるだけの戦果を得られるかどうかは疑問だった。

 

「けど、進めていくうちに僕は、合衆国軍の補給部隊がハワイや本土と、南太平洋の拠点を結ぶ際、必ず中継する拠点がある事に気付いたんです。そこで、補給線を攻撃して船を沈めるよりも、中継点を叩いて敵の補給に負荷をかけてはどうか、と考えました」

 

 もっとも、その作戦を実行する前に、帝国海軍は南太平洋海戦に事実上敗北し、作戦はソロモン撤退に移行。作戦案は彰人の中でお蔵入りになってしまったのだが。

 

「それが、ここです」

 

 彰人は地図上の一点を指差す。

 

「ほう」

「ふむ」

「ああ」

「成程な」

 

 古河、小沢、福留、武蔵がそれぞれ、感心したように頷きを返す。

 

 ハワイの南方海上に位置し、ちょうど、ハワイ、米本土、そして南方拠点のフィジー・サモアを結ぶ中間点にある。

 

 確かに、見ようによっては敵の中枢部分に見える。

 

 そんな一同を、彰人は自身のある眼差しで見据える。

 

「僕はこの拠点を叩く事で敵の補給を妨害し、稼いだ時間で守備隊の撤収を図るべきだと考えます」

 

 

 

 

 

第58話「届かなかった手」      終わり

 


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