蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第36話「火矢の嵐」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝国海軍が、エスピリトゥサントに向けて攻撃隊を放っている頃、

 

 それとすれ違うように、珊瑚海の中央寄りの海域を、すれ違うように北上する艦隊がある事に、帝国海軍の将兵は、まだ気付いていなかった。

 

 2群に分かれ、それぞれ空母を中心にして輪形陣を組んだ艦隊は、水平線の彼方にいるであろう、帝国艦隊の動向を虎視眈々と睨んでいた。

 

「フフン、良い調子じゃないの。どうやらジャップはこっちの罠にはまってくれたみたいだし」

 

 エンタープライズは、そう言って不敵な笑みを漏らす。

 

 続々と寄せられてくる戦闘情報は、合衆国軍が有利に戦況を進めている事を伝えてきている。

 

 これに先立ち、最低限の防衛部隊のみを残してエスピリトゥサント島から撤退した合衆国軍は、それより南方のエファテ島に戦力を集中させていた。

 

 つまり帝国海軍が放った乾坤一擲の攻撃隊は、完全に空振りをした事になる。

 

 因みに、合衆国軍がエファテ島に集結させた航空機は合計で580機。これに、母艦航空隊も加わると、800機に及ぶ。つまり、帝国海軍の航空部隊を上回る戦力を、戦線に投入していたのだ。

 

 しかも、攻める帝国軍は戦力をどうしても分割運用しなくてはならないのに対し、守る合衆国軍は兵力の集中運用が可能となる。

 

 状況は完全に、合衆国軍有利に進んでいた。

 

 その仕上げが、エンタープライズたちの艦隊と言う訳だ。

 

「エスピリトゥサントを攻撃して、へとへとになった帝国海軍を、横合いから俺達が攻撃するって訳か。随分とあざといよな」

 

 ギャレット・ハミルが、そう言って肩を竦める。

 

 敵が拠点を攻撃している隙を突いて艦隊が接近。攻撃隊を放ち、一挙に殲滅する。

 

 正にミッドウェーの再現を狙っての作戦である。

 

 今回、帝国軍がミッドウェーの時を上回る空母を投入してきている事は掴んでいるが、それでもやり方次第で充分に撃破は可能であると考えられていた。

 

 既に「エンタープライズ」の飛行甲板では、帝国艦隊に向けて放つ、第1次攻撃隊の陣容が、エンジン音をとどろかせていた。

 

「まあ、今回の目的は、とにかく『凌ぐ』事だな」

「凌ぐ?」

 

 ギャレットの呟きに、エンタープライズはキョトンとしたように首をかしげて見上げてくる。

 

 対してギャレットは、頷きを返して説明を続ける。

 

「どのみち、今回、俺達の戦力だけで帝国艦隊を撃滅する事は難しい。だが、奴等の戦力も無限じゃない。そろそろ予備兵力の限界も近い筈だ」

「成程ね。今回の戦いが終われば、あとはこっちの好きにできるって訳ね」

 

 ギャレットの言葉に、エンタープライズも納得が言ったように頷きを返す。

 

 今まで合衆国軍は、帝国軍に対し攻め込まれる側だった。

 

 だが、これが終われば立場が逆転する。今度は、こっちが攻める側に回れるのだ。

 

 ちょうどその時、発艦準備の命令が鳴り響く。

 

 エスピリトゥサントに襲来した帝国軍が基地航空隊によって撃退され、いよいよこちらが攻撃を放つときが来たのだ。

 

「よっしゃ、そんじゃ、ジャップ共に目に物を見せて来てやるよ」

「期待してるからね、ギャレット」

 

 声援を送るエンタープライズに手を振るギャレット。

 

 そのまま、愛機であるワイルドキャットの方へ、真っ直ぐと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 エスピリトゥサントを攻撃した航空隊が、南の空から戻ってくるのが見えた。

 

 しかし、

 

 その姿を見て、蒼龍は顔を俯かせる。

 

 つい数時間前、自分の飛行甲板を蹴って勇躍出撃していった堂々たる攻撃隊の姿は、そこには無い。

 

 殆どが編隊も組まず、バラバラに戻って来る様は、まるで落ち武者の群れのようだった。

 

「収容作業に掛かれ」

 

 小沢が命じると同時に、舵が回され、「蒼龍」は風上に向かって全速航行を始める。

 

 やがて、帰還機が次々と舞い降りてくる。

 

 損傷を負った機体。負傷者がいる機体が優先である。

 

 第1次攻撃隊で隊長を務めた江草繁孝の機体も、帰還した中にいた。

 

 しかし、帝国海軍最強の艦爆隊と謳われた彼の部隊も、約半数が失われる大損害を被っていた。

 

 江草は愛機を降りると、すぐさま艦橋へと上がり、状況について小沢と蒼龍に説明した。

 

「とにかく、敵の迎撃が激しすぎました。そのせいで、多くの部隊が投弾前に撃墜されてしまったのです」

「でも、エスピリトゥサントの航空基地は、事前に艦砲射撃で叩いていた筈。それなのに、どうして・・・・・・」

 

 江草の言葉を聞いて、蒼龍は首をかしげる。

 

 今回の戦いは、敵の迎撃を受けない事が前提となっている。しかし、多くの敵機が出現した事で、その前提が崩れてしまった事になる。

 

 問題なのは、その大量の航空機が、いったいどこから現れたのか、と言う事だった。

 

「ヌーメアの航空基地か? いや、しかしニューカレドニアからでは、流石に遠すぎる・・・・・・」

 

 蒼龍の問いかけに対し、小沢も考え込む。

 

 仮にニューカレドニアの航空基地から発進した敵機が迎撃して来たのだとしたら、あまりにも手際が良すぎる。こちらの航空隊を撃退できるほどの部隊を、事前にエスピリトゥサント上空に展開できるとは思えなかった。

 

 どこか近場にある敵の拠点を見逃しているのではないか?

 

 小沢がそう考えた時、通信参謀が駆け寄ってくるのが見えた。

 

「提督、第7艦隊旗艦『姫神』より、緊急暗号通信です」

「水上大佐から?」

 

 電文を受け取って一読する小沢。

 

 ややあって、その電文を蒼龍へと渡す。

 

「これは・・・・・・・・・・・・」

 

 読んでみて、蒼龍は思わず絶句した。

 

《エファテ島に、敵の大規模な航空基地を確認。至急、攻撃の要有りと認む》

 

 電文には、そう書かれていたのだ。

 

「エファテ島・・・・・・確か、エスピリトゥサントよりも南にある島ですな」

「そうだ。そして、ニューカレドニアよりも戦場に近い」

 

 小沢の頭の中で、全てのパズルのピースが合わさろうとしていた。

 

 自分達は、

 

 否、帝国海軍は、完全に一杯喰わされたのだ。敵はエスピリトゥサントその物を囮にして連航艦をおびき寄せ、戦線後方に密かに建設していた新たな拠点に戦力を集中させ、こちらを迎え撃ったのだ。

 

 しかし、

 

 小沢はエファテ島の位置を確認し、密かに舌打ちする。

 

 距離が遠すぎる。連航艦の位置からなら辛うじて攻撃は可能だが、ガダルカナルやラバウルからの攻撃は完全に圏外である。

 

 つまり、戦力の集中ができないのだ。

 

 加えて連航艦の戦力も消耗している。今から新たな拠点に攻撃を仕掛けるのは不可能に近い。

 

 その時だった。

 

「第1航空艦隊より入電です!!」

 

 通信長が、息せき切って艦橋へ駆け込んでくるのが見えた。

 

「読みますッ 《我、空母機の空襲を受く。「翔鶴」「瑞鳳」損傷!!》

 

 通信長の報告に、戦慄が走るのが止められなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合衆国軍の攻撃隊が、最初に狙ったのは、連航艦の本隊とも言うべき第1航空艦隊だった。

 

 「エンタープライズ」「ホーネット」の2隻から発艦した航空隊、約120機は、1航艦が攻撃隊の収容作業に入るべく艦隊行動を始めた直後に来襲、攻撃を開始した。

 

 直掩についていた零戦が直ちに迎撃に移るが、数が違い過ぎた。

 

 この時、1航艦上空に張り付いていた零戦は、瑞鳳隊の12機と瑞鶴隊の6機。これでは、100機以上の航空機を完全に阻止する事は不可能である。

 

 零戦とワイルドキャットが乱戦を演じる中、アベンジャーとドーントレスが艦隊への攻撃を開始する。

 

 だが、帝国海軍も、ただ手を拱いて一方的にやられたわけではない。会心とも言える逆劇の一太刀を浴びせ、反撃に成功していた。

 

 ここで威力を発揮した新戦力があった。

 

 艦隊外周に布陣していた2隻の駆逐艦が、高角砲による強烈な弾幕を展開、合衆国軍の攻撃を寄せ付けまいと奮戦している姿があった。

 

 従来の艦隊型駆逐艦より大きな艦体を持ち、甲板には姫神型巡戦にも搭載されている65口径10センチ連装高角砲を4基搭載している。

 

 秋月型防空駆逐艦「秋月」「照月」。

 

 帝国海軍が期待を込めて戦線投入した、防空戦闘の切り札である。

 

 姫神型巡戦で威力が確認された長10センチ高角砲を搭載する事で、空母機動部隊の守護神としての役割を期待されている艦である。

 

 防空火力は姫神型の半分となっているが、駆逐艦ならではの小回りを利かせた戦いが可能となっている。

 

 駆逐艦の命とも言うべき魚雷発射管は4連装1基のみで、速力も最高で33ノットと、駆逐艦としての性能は決して高いとは言い難いが、この艦の主任務は空母の防空である事を考えれば、大して問題視はされていない。

 

 むしろ「防空艦に魚雷発射管を搭載するのは却って有害」と言う主張もあり、3番艦以降の秋月型からは、魚雷発射管を取り外し、空いたスペースに機銃を多く積んで防空力を強化する案も出されていた。

 

 尚も、数機のドーントレスが、しつこく「瑞鶴」に狙いを定め、急降下体勢に入ろうとしている。

 

 だが、それは敵わない。

 

 彼等は必殺の攻撃を行う前に、強烈な対空砲火の洗礼を浴び、炎を上げて行く。

 

 「秋月」の艦橋では、黒髪をポニーテールに纏めた少女が鋭い眼つきで天を睨み、「照月」の艦橋では、茶髪をお下げにした少女が、姉に遅れまいと上空から迫る敵機に狙いを定めていた。

 

 2隻の防空駆逐艦にガードされ、鉄壁とも言える防空網を掛けられた「瑞鶴」を狙った合衆国軍は、攻撃隊の半分近くが攻撃前に被弾して墜落。残り半分も秋月型2隻の攻撃によって散り散りになり、殆ど明後日の方角に魚雷や爆弾を落として退避するしかなかった。

 

「やるわね、さすが新鋭艦ってところかしら」

 

 長いツインテールを揺らしながら、瑞鶴は自身を守り通してくれた2隻の防空艦を頼もしげに見つめる。

 

 零戦隊のエアカバーを突破した敵機は、そのまま「瑞鶴」に狙いを定めて来たのだが、まさかの伏兵の存在によって撃退された形である。

 

 爪先を揃えて敬礼してくる照月に、自身も手を振りかえす瑞鶴。

 

 今後、より激しくなるであろう航空戦を戦うに当たって、頼もしい味方が加入した形である。

 

 だが、

 

 敵機の攻撃は、まだ終わっていなかった。

 

 「秋月」「照月」の奮戦によって撃退され、更にワイルドキャットとの戦いを制した零戦隊に追い回され、散り散りに逃げ惑う合衆国軍。

 

 だが、それらの迎撃網を逃れた敵機の一部が、「翔鶴」と「瑞鳳」に迫っていたのだ。

 

 雲間から飛び出すようにして「翔鶴」に急降下を掛けるドーントレス隊。

 

 その光景を見た瞬間、瑞鶴は驚愕に目を見開く。

 

「翔鶴姉!!」

 

 絶叫するも、既に遅い。

 

 秋月型の2隻が直ちに高角砲を撃ち上げるが、既に急降下体勢に入っている敵機を撃ち落とすのは容易な事ではなかった。

 

 

 

 

 

 激しい対空砲火の弾幕の中を、敵機が自身に向けて急降下してくる様子を、翔鶴は唇を噛みしめて見詰めていた。

 

 「秋月」や「照月」、それに妹の「瑞鶴」が援護射撃を行ってくれているが、殆ど奇襲に近い攻撃を仕掛けてきた敵機を捉える事はできていない。

 

 勿論、「翔鶴」自身も対空砲火を撃ち上げてはいるが、効果は殆ど上がっていなかった。

 

「これは・・・・・・駄目ですね」

「翔鶴・・・・・・」

 

 悔しげに呟く翔鶴を、南雲はいたわるように見つめる。

 

 珊瑚海海戦で被弾した経験を持つ翔鶴は、既に敵の攻撃から逃れられない事を悟っていた。

 

 そして南雲自身も、ミッドウェーで「赤城」被弾を経験してる身である。容易に状況が理解できてs舞う。

 

 向かってくる爆弾が、「翔鶴」にとって回避不能である事は明白だった。

 

 次の瞬間、

 

 衝撃が、「翔鶴」の飛行甲板を貫いた。

 

「キャアァァァァァァ!?」

「翔鶴!!」

 

 爆炎が視界を焼く。

 

 激痛に悲鳴を上げる翔鶴を、必死に支える南雲。

 

 敵機が投弾した爆弾が、甲板に命中していた。

 

 直撃弾は3発、うち2発が飛行甲板の、それぞれ前部と中部に命中し大穴を開け、のこり1発が舷側付近に命中し、機銃座を1基潰していた。

 

「大丈夫か?」

「は、はい・・・・・・何とか・・・・・・けど」

 

 南雲に支えられながら、翔鶴は自分の飛行甲板を見る。

 

 そこには大穴が開き、内部の格納庫が露出している状態だった。

 

 吹き上げる炎に対し、消火班がホースを持って駆け寄って行くのが見える。

 

 正に、状況は珊瑚海の時と同様である。

 

 幸い、搭載機の殆どがエスピリトゥサントに向かい、その帰還途上だった事もあり、格納庫は空に近い状態だった。その為、ミッドウェーの時のような致命的な誘爆が起こる事は無かった。

 

 しかし、「翔鶴」が艦載機運用能力を失ったのは明らかだった。

 

 

 

 

 

 「翔鶴」被弾とほぼ同じタイミングで、少し離れた海面では、軽空母の「瑞鳳」も被弾し、炎を噴き上げていた。

 

 飛行甲板から立ち上る炎。

 

 直撃弾は1発のみだったが、排水量1万トンの軽空母に過ぎない少女には、それでも耐え難いほどの大打撃である。

 

「クッ・・・・・・これ、くらいなら・・・・・・・・・・・・」

 

 痛みにこらえながら、どうにか立ち上がろうとする瑞鳳を、航海士の1人が支える。

 

 既に副長に指揮された内務班が消火作業に入っているが、「瑞鳳」が「翔鶴」同様、空母としての機能を失ったのは明らかである。

 

「珊瑚海の時の祥鳳も・・・・・・こんな感じだったのかな?」

 

 3航艦に所属する姉の事を想い、瑞鳳は呟く。

 

 こうなった以上、「翔鶴」と「瑞鳳」は後退せざるをえない。

 

 後の事は、祥鳳を始め、残った6隻の空母に託すしかないだろう。

 

「祥鳳・・・・・・みんな、あと、お願いします」

 

 祈るような声で呟く瑞鳳。

 

 しかし、この時はまだ、瑞鳳は知らなかった。

 

 1航艦が攻撃を受けるのとほぼ同時に、3航艦も米機動部隊からの攻撃を受けていた。

 

 攻撃したのは空母「サラトガ」

 

 事前の作戦会議で蒼龍が指摘した通り、合衆国軍は第2次ソロモン海戦で大破した「サラトガ」に応急修理を施し、辛うじて戦線に間に合わせていたのだ。

 

 この攻撃で空母「飛鷹」が被弾、沈没は免れたものの、やはり後退を余儀なくされていた。

 

 これにより、帝国海軍が使用可能な空母は、5隻にまで減ってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トラック環礁に停泊中の「大和」艦内は、沈痛な空気に包まれていた。

 

 既にこちらにも、南太平洋で行われている戦況の様子は伝えられてきている。

 

 勿論、リアルタイムと言う訳ではないが、それだけにもどかしい程の焦燥感が加わり、まるでお通夜のような雰囲気を出していた。

 

《エスピリトゥサント上空に敵機多数確認。第1波、第2波攻撃隊共に、攻撃効果不十分》

《エファテ島に大規模な敵航空施設を確認。攻撃目標変更の要有りと認む》

 

 二つの電文が、状況の悪化を如実に物語っていた。

 

「『翔鶴』『飛鷹』『瑞鳳』被弾、航空機多数喪失・・・・・・・・・・・・」

「ガ島とラバウルの航空隊からも、同様の報告が上がってきています」

 

 呆然と呟く山本に対し、大和がいたわるような言葉で続ける。

 

 疑うべくもない。エスピリトゥサント攻撃は、完全に失敗したと判断せざるを得なかった。

 

「長官」

 

 大和の後を引き継ぐように、宇垣が前へと出た。

 

「こうなってしまった以上、エスピリトゥサント攻略の意義は失われたと判断します。これ以上、損害を増す前に、全軍を撤退させるべきです」

「反対ですッ」

 

 撤退を主張する宇垣に、真っ向から反対してきたのは黒鳥だった。

 

「敵がエファテにいるなら、目標をエファテに変更して攻撃を続行すれば良いだけの事。何の問題もありません」

「エファテはガ島からもラバウルからも遠すぎる。陸攻の航続力()でも届かないだろう。基地航空隊の援護が無ければ、いかに連航艦と言えども単独で攻撃するのは危険すぎる」

 

 敵地に単独で乗り込んで行けば、集中砲火を浴びる事は想像に難くない。

 

 エスピリトゥサント攻撃に失敗した時点で、この戦いは帝国軍の負けが確定していたような物だった。

 

「まだ戦艦がある」

 

 だが、黒鳥は尚も食い下がった。

 

「敵艦隊が出てきているようだが、それらを撃破し、攻撃目標をエファテの敵基地に変更すれば良い。その為に『長門』『陸奥』まで出撃させたんだ」

 

 必死さだけは伝わってくる。

 

 ここに至るまでに払った犠牲や出費、更に自らが立案した作戦。

 

 その全てが無駄になろうとしている瀬戸際である。黒鳥としては、何としても撤退だけは避けたいと思っている様子だった。

 

「・・・・・・・・・・・・戦いはまだ、始まったばかりだ」

 

 それまで黙っていた山本が、重々しく口を開いた。

 

「まだ多くの戦力を残している。今ここで、撤退させる事は無いだろう」

「ありがとうございます、長官」

 

 頭を下げる黒鳥。

 

 その目は、チラッと傍らの宇垣へと向けられる。

 

 黒鳥の口元が、僅かに吊り上げられるのを、宇垣は見逃さなかった。

 

 宇垣の意見は退けられ、黒鳥の言葉が支持された。その事に対し勝ち誇っているのだ。

 

 対して、宇垣は何も言い返さない。事実として、山本は宇垣では無く黒鳥の意見を採用したのだ。状況はどうあれ、宇垣の旗色が悪いのは確かだった。

 

 引き下がる宇垣。

 

 その姿を、大和は鎮痛な表情で眺めていた。

 

 

 

 

 

 直哉が「蒼龍」に着艦したのは、帰還した攻撃隊の一番最後だった。

 

 零戦22型甲は航続力が長いうえ、機銃は7・7ミリのみの搭載である為、搭載弾数が多い。エスピリトゥサント上空で敵機と交戦して、帰還しても尚、継戦能力に余裕があった。

 

 万が一、敵機が襲来した時はそのまま防空戦闘に参加する心算で、上空で待機していたのだ。

 

 しかし幸か不幸か、敵の攻撃は1航艦と3航艦に集中した為、2航艦は見逃された形となった。

 

 その為、直哉は順番待ちの後、問題無く着艦したのである。

 

 しかし、あまりゆっくりもしていられないのも事実である。

 

「弾丸と燃料の補給、急いでください!!」

 

 コックピットから降りると、駆け付けて来た整備員に叩き付けるように要望する直哉。

 

 敵の空母が来ている以上、すぐにまた出撃はある筈。その為、直哉はいつでも攻撃隊に加われるように準備しておくつもりだった。

 

 と、

 

 待機所に向かおうとする直哉の目に、歩み寄ってくる蒼龍の姿があった。

 

「おかえりなさい中尉」

「ああ蒼龍、ただいま。状況はどうなってるの?」

 

 挨拶もそこそこに尋ねる直哉。

 

 戦闘機からでは、状況を確認する事は難しい。その為、より詳しい状況を聞きたかったのだ。

 

 蒼龍の方でも、その事を了解しており、頷くと説明を始めた。

 

 エスピリトゥサントを攻撃した部隊は、2航艦も含めて大打撃を受けた事、敵はエファテ島に新たな拠点を築いていた事、敵機動部隊の攻撃により、「翔鶴」「飛鷹」「瑞鳳」が被弾して戦線を離脱した事。

 

 ここに至るまで、帝国海軍はほぼ一方的にやられっぱなしの状態である。

 

「それで、敵の空母はまだ見つからないの?」

 

 勢い込んで尋ねる直哉。

 

 対して、蒼龍は自分の飛行甲板の後部を指差す。

 

「あれを見てください」

 

 蒼龍が指差した先では、今しも発艦体勢に入ろうとしている機体があった。

 

 独特なシルエットの機体である。鋭く細められた機首が、いかにも精悍な印象を見せていた。

 

「あれって、2式艦偵?」

 

 直哉が見ている機体は、2式艦上偵察機と呼ばれる、昨今、正式採用された新鋭の偵察機である。

 

 従来の空冷式のエンジンと異なり、液冷式のエンジンを搭載しているのが特徴である。機首が細い外見をしているのはそのためだった。

 

 エンジンとは使えば加熱する。その状態が長く続けばオーバーヒートの状態となり、故障や停止の原因となる。空冷式とは、エンジンの冷却を空気の流れに寄って行う方式であり、液冷式とは加熱部分をウォータージャケットで覆い、内部に流した水で冷却する方式である。

 

 液冷エンジンは高い性能を誇る反面、整備や開発が難しく、現状の帝国のエンジン技術では扱いが難しい。その為、零戦をはじめとする機体の多くが空冷式が主流となっている。

 

 しかし、配備数が少数で済む偵察機なら整備の手間も少ないと判断され、採用に踏み切ったのが、この2式艦上偵察機である。

 

 因みにこの2式艦偵、ミッドウェーでも「蒼龍」に搭載されて出撃し、実際に運用されたのだが、新兵器故の不具合から無線機の不調を起こし、空母発見の通報ができなかった、と言う経緯がある。

 

「あれが出るって事は、敵がどの方向にいるか、大体見当がついているのかな?」

「はい。提督は、敵機が去った方向から、敵艦隊がいる大まかな位置を予想しているみたいです」

 

 小沢は偵察部隊の切り札とも言うべき二式艦偵を出して敵艦隊の位置を探る一方、その間に攻撃隊の準備を進める心算なのだ。

 

 発艦していく2式艦偵を見送る直哉と蒼龍。

 

 その姿が見えなくなると、蒼龍は直哉に向き直った。

 

「多分、次の攻撃は空母へ向けた物となると思います。中尉も、出撃に備えて待機していてください」

「うん、判った」

 

 頷く直哉。

 

 これまでのところ、殆ど押され気味な帝国海軍。

 

 しかし、まだ負けたわけではない。これから巻き返しを図り、反撃の準備は着々と進められていくのだった。

 

 

 

 

 

第36話「火矢の嵐」      終わり

 


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