蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第24話「ミッドウェーの後先」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陰気な顔を突き合わせ、居並ぶ一同は低い囁きを漏らしている。

 

 目の前にある料理の数々はどれも豪勢で、一般家庭ではまず、お目に掛かる事すら不可能と思える物ばかりである。

 

 しかし、話が終わるまでは、誰もその料理に手を付ける事は許されない。

 

 そんな事をすれば、自分達の主が如何なる怒りを顕にするか、よく判っているのだ。

 

 都内にある料亭に集まった一同の話題は、先に中部太平洋で行われた海戦の事だった。

 

「空母『赤城』『加賀』『飛龍』、重巡『三隈』沈没、重巡『最上』大破、空母『蒼龍』中破、戦艦『大和』、巡戦『姫神』『黒姫』、重巡『鈴谷』小破か・・・・・・・・・・・・」

 

 被害を読み上げる度、一同に重苦しい唸り声が鳴り渡る。

 

 聞きしに勝る大損害である。かつて、帝国海軍がここまでの大損害を喰らった事は無かった。

 

 駆逐艦が何隻か戦没してはいるが、軽巡以上の中・大型艦が沈む事は、今まで無かったのだ。

 

 そこに来て、空母3隻、重巡1隻の一挙喪失は、計り知れないショックとなって襲い掛かっていた。

 

「山本の『火遊び』は高い代償だったな」

 

 上座に座った男が、低い声で呟く。

 

 身形の整った、どこか他の者とは一線を画する雰囲気のある男である。

 

 男のその言葉に、居並ぶ何人かは追従の笑みを浮かべた。

 

「いやはや全く」

「これだからバクチ打ちは困ります。戦争をどうやるかすら判っていないのだから」

 

 口々に、この場にいない山本伊佐雄大将を罵る一同。

 

 今回の敗戦を作った責任、それは間違いなく、山本伊佐雄大将をはじめとしたGF司令部にある。彼等が暴走した結果、帝国海軍は敗北の屈辱を味わう羽目になったのだから。

 

「だが今、山本の責任を問う事はできん。忌々しい事よ」

 

 上座の男は苦い表情を作って呟く。

 

 今や山本は真珠湾攻撃を成功させ、戦争初期における帝国海軍の快進撃を演出した名将である。そんな山本を解任などした日には、国民が海軍に対する不信感を抱く事も考えられる。

 

 仮に山本の責任を追及し、彼を解任でもしようものなら、彼を連合艦隊司令長官と言う重職につけ、それを承認してきた自分達の責任まで問われる事になりかねない。

 

 それだけは、絶対に許されなかった。

 

「山本以下、GF幕僚には引き続き現職に留まらせ、今回の件の『後始末』をさせます。その後、折を見て『勇退』と言う形で閑職に追いやれば良いでしょう」

「加えて、今回の件は、国民に知られないように既に手は打ってあります。これで少なくとも、我等に火の粉が飛んで来る事は無い筈です」

 

 それらの言葉を聞いて、上座の男は深く頷く。

 

「我等、海軍の威信が失墜するような事態は、何があっても避けなくてはならん。空母を3隻も失った事は確かに痛いが、今回は運が悪かったのだ。苦い薬でも飲んだと思えば、何ほどの物ではない。ようは最終的に、我らの手で、このアジアに王道楽土を築く事こそが重要なのだ」

 

 アジアの覇者として、帝国が君臨する。

 

 それこそが彼等の理想であり、目的でもある。

 

 その為ならば、如何なる犠牲も厭わない覚悟を持っている。

 

 もっとも、

 

 彼等の言う「犠牲」の中に、彼等自身は入っていないのだが。

 

「では殿下。苦い薬を飲んだ後は、お口直しを」

 

 そう言って、側近の男が酒を満たした徳利を差し出してくる。

 

 対して、上座の男は満足そうに笑みを浮かべて頷くと、手にしたお猪口を差し出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 配布された資料に目を落とし、皆が一読する。

 

 しばしの沈黙の後、司会進行役の女性が口を開いた。

 

「みんなに見ているのは、私達GF司令部で策定した、今後の艦隊編成計画書です。ここでは、長官の意向を尊重し、活発な討議を行う事を目的としているから、意見がある人は遠慮なく発言してちょうだい」

 

 スラリと長い手足に、プロポーションの良い肢体。短く切りそろえた髪の下からは、どこか親しみやすさを感じさせる表情が伺える。

 

 彼女は戦艦「陸奥」の艦娘である。

 

 先のミッドウェー海戦における水上砲戦により、「大和」は敵戦艦との砲戦を行って損傷を受けた。

 

 その為、「大和」が工廠に入渠している間、連合艦隊旗艦は一時的に、この「陸奥」に移されていた。

 

 ミッドウェーから戻って、初となる全体会議は、この「陸奥」で行われている。その為、彼女が司会進行役に任命されたのだった。

 

 資料の内容は主に、機動部隊の再建計画と、艦政本部、航空本部に送る意見書だった。

 

 大まかな内容は、以下のとおりである。

 

 

 

 

 

○ 編成案

 

1、今後の母艦航空隊の編成は、正規空母(戦闘機5:艦爆・艦攻5)、軽空母(戦闘機8:艦攻2)とする。

 

2、対艦攻撃は主に正規空母が担当し、軽空母は直掩、及び対潜任務専用艦とする。

 

3、正規空母1隻~2隻と、軽空母1隻を合同し、一個航空戦隊を形成する。具体的な編成は以下の通り。

 

 第1航空戦隊:「翔鶴」(修理中)「瑞鶴」「瑞鳳」

 

 第2航空戦隊:「蒼龍」(修理中)「龍驤」

 

 第3航空戦隊:「隼鷹」「飛鷹」「祥鳳」

 

 尚、この編成に伴い、比較的大型で搭載機数の多い隼鷹型航空母艦2隻は、正規空母扱いとする。

 

4、機動部隊を3隊形成し、一個航空戦隊を、それぞれに振り分ける。

 

5、第2艦隊の戦力を増強、水上砲戦部隊の主力と位置付け、決戦時、機動部隊の前衛、及び水上砲戦、航空戦後の追撃を担当する。

 

6、大規模な通商破壊部隊を組織、敵部隊後方を攪乱する。

 

以上の編成を持って、「連合航空艦隊」、略して「連航艦」と呼称し、指揮は1航艦司令官が執る物とする。

 

 

 

 

 

○ 艦船建造、及び改装

 

1、航空母艦の建造促進。特に、今後の主力となる正規空母の建造を最優先とする。

 

2、改装の実施、商船、や水上機母艦等の空母への改装を急ぐ。

 

3、建造中の110号艦(大和型戦艦3番艦)を空母へと改装する。

 

4、艦隊防空力強化を目的とし、一部の建造艦の防空艦化、及び既存艦の防空力強化を実施する。

 

5、一部の既存艦の後部甲板を改装し、航空艦としての機能を持たせる。

 

6、防災対策の実施、及び、ダメージコントロールの徹底化を図る。具体例は以下の通り。

 

 ・木製製品・布製製品等の可燃物の撤去。及び可燃性塗料、木製甲板の除去。

 

 ・艦内各所に消火剤噴射器の増設。

 

 ・内務班(ダメコン担当)の増員。及び専門知識の育成。

 

 ・破片防御の為、配線部分には不燃性マットレスを撒きつける。

 

7、電探、逆探装備の充実。

 

8、高性能対空砲の充実。

 

 

 

 

 

・航空開発

 

1、航空機開発は、艦攻、艦爆、陸攻よりも戦闘機を優先する。

 

2、戦闘機は今後、高速化する米軍機の出現に備え、より高速、高機動の物が望ましい。

 

3、高性能艦上偵察機の開発を急ぐ。敵艦隊を単独で偵察し、敵の戦闘機を振り切って帰還できる性能である事が望ましい。

 

 

 

 

 

 ご覧の通り、連合艦隊その物を作りかえる勢いの、大胆な物である。

 

 それだけ、ミッドウェーのショックは大きかったと言う事である。

 

 特に、目立つのは航空隊関係の項目だろう。これまでの帝国海軍は、戦闘機、攻撃機、急降下爆撃機をほぼ均等な数乗せて作戦に臨む事が多かった。

 

 しかしその結果、ミッドウェー攻撃時には戦闘機の護衛が不足し、攻撃が失敗したり、また敵艦隊攻撃に向かった部隊が、迎撃に合って大損害を喰らった経緯を鑑みている。

 

 また、軽空母を直掩任務艦とする事で、正規空母は攻撃に専念できるようにする狙いもあった。

 

 各航空戦隊に空母を小分けにしたのも、正規空母をひとまとめにしておいて、一時に全滅してしまった戦訓を鑑みた結果である。

 

 全体的に、これまでの攻撃重視主義を改め、防御に力を入れた形である。

 

 搭載機数自体は低下したが、戦闘機の数を増やした事で、敵の直掩隊を排除して、攻撃隊の被害を極限する事も期待できる。事実上の攻撃力低下は殆ど無いと考えられていた。

 

「いかがですか、長官?」

「うむ」

 

 陸奥に促され、山本は頷きを返す。

 

 長年、航空主兵主義を標榜してきた山本にとって、今回の編成案は彼の理想の1つを具現化した形だった。

 

 聊か遅きに失した感はあったが。

 

「皆は何か意見はあるかね?」

 

 山本は一同を見回して尋ねた。

 

 山本的には満足の意見書ではあるが、今回の会議はこの意見書を更に突き詰めていくための物である。

 

 参謀たちも、概ね満足げな顔だった。

 

 そこで、山本はある人物に視線を向けて口を開いた。

 

「君はどうかね、参謀長?」

 

 その言葉に、一同は驚きを見せる。

 

 山本の方から宇垣へ声を掛けるなど、異例以外の何物でもなかった。

 

 航空主兵主義者の山本は、大鑑巨砲主義者の宇垣を煙たい存在だと思っており、それ故に2人の不仲は続いていた。

 

 誰もがそう思っていただけに、皆が山本の行動には驚きを隠せなかった。

 

 だが、一番驚いていたのは宇垣本人であろう。まさか、山本の方から自分に声を掛けて来るとは、思っても見なかったのだ。

 

 どうやら山本の中では、ミッドウェー海戦後半において水際立った指揮ぶりを見せた宇垣に対する評価が、若干ながら変わり始めている様子だった。

 

「・・・・・・そうですね」

 

 やや驚きながらも、宇垣はもう一度資料を読んでから顔を上げた。

 

「一点だけ、宜しいでしょうか?」

「うむ」

「110号艦について、ですが」

 

 110号艦。現在、横須賀海軍工廠において建造中の大和型戦艦の3番艦である。

 

 のちに「信濃」と命名される事になる船は現在、船体まで完成し、進水の時を待っている。

 

 船体だけの状態であるのなら、空母に転用するのに最適と言えた。

 

 しかし、その扱いについて、宇垣には一つ意見があった。

 

「わざわざ、空母にする必要があるのでしょうか?」

 

 その言葉に、司会役の陸奥が首をかしげるように尋ねる。

 

「参謀長は、110号艦を戦艦のまま完成させた方が良いって考えているんですか?」

「ああ」

 

 頷く宇垣に対し、参謀の幾人かは批判的な目を向けてくる。

 

 「鉄砲屋の参謀長が、また時代遅れな事を言い出した」。

 

 そんな視線が、宇垣に集中される。

 

「それは、如何な物ですかな」

 

 口を開いたのは黒鳥だった。

 

「ミッドウェー海戦の結果、我が方は主力3空母を失い、洋上航空兵力は半減しました。その補充の為に空母の増産は急務と考えますが?」

 

 黒鳥の意見に、多くの者達が賛同する。

 

 大和型戦艦の広大な船体を使用した空母なら、かなりの数の航空機運用が見込める筈だった。

 

 対して、宇垣も反論する。

 

「空母なら残った3隻に加えて、建造中の『大鳳』、それに戦時急増の雲龍型が戦列に加われば、現在の倍以上の戦力運用が可能になる。それに、今から空母に改装するとなれば、設計を一からやり直し、更に余計な工事をしなくてはならなくなる。そうなれば、却って竣工までに時間がかかる事が予想される」

 

 戦艦として建造予定の110号艦は、既に艦内の内装工事を終えており、厳重な水密区画や隔壁等が既に設けられている。しかし空母にする場合、飛行機を搭載する広大な格納甲板が必要になる為、これらの隔壁を取っ払わなくてはならなくなる。必然的に、無駄な手間が増え、時間もかかる。

 

 竣工までに時間が掛かれば、それだけ戦力化が遅れる事になる。最悪の場合、戦局に間に合わなくなる可能性すらあった。

 

「必要な時までに完成しない艦は、何の役にも立てません。よって、110号艦は空母では無く、戦艦として完成させるべきです」

「何を馬鹿な事を」

 

 黒鳥は掃き捨てるように言った。

 

「これからは空母の時代です。戦艦なんぞ、いくら作っても役には立ちませんよ」

「現にミッドウェーでは『大和』が役に立ったし、第11戦隊の姫神型巡戦2隻は、開戦以来目覚ましい活躍をしている。重要なのは役に立つ、立たないでは無く、使う意思が有るか無いかだ」

 

 どんな強力な兵器も、使われなければ役に立つはずがない。その事は、開戦以来、柱島に留め置かれ、活躍の場が与えられなかった「大和」がミッドウェーで活躍した事で、証明している。

 

 黙り込む黒鳥。

 

 宇垣が実績を持ちだして来た事で、反論の糸口を失った様子である。

 

 そんな黒鳥に代わって、今度は航空参謀が口を開いた。

 

「しかし、これからの戦局を考えますと、やはり戦艦よりも空母を多く建造した方が有用であると考えますが?」

「そうだろうか?」

 

 航空参謀の言葉に対し、宇垣は問いかけるように言葉を返す。

 

 その言葉に、思わず航空参謀は言葉を詰まらせた。

 

 「黄金仮面」などと異名で呼ばれる宇垣に正面から睨まれると、ある種の凄味を感じてしまうのだ。

 

「我々は、ミッドウェーで3隻の空母と引き換えに、いくつかの貴重な戦訓を得た。作戦のシンプル化、索敵の重要性、兵力の集中運用、先制攻撃の重要性、情報統制の必要性、そして共有化・・・・・・」

 

 宇垣が上げて言ったのは全て、海戦後の戦訓分析においてミッドウェー海戦における敗因とされた事柄である。

 

 古来の軍学より「勝因無き勝利は有っても、敗因無き敗北は無い」とされているが、ミッドウェーは正に、その典型であったと言える。

 

「そして今一つ、対空戦闘時における個艦対空防御力の低さです」

 

 その宇垣の言葉に、居並ぶ幾人かは納得したように頷くのが見えた。

 

 確かに、初めの3空母、そして後の「飛龍」が被弾した際、1航艦に所属する戦艦、巡洋艦、駆逐艦の対空砲火は、殆ど効力を上げず、敵機の投弾を許してしまっている。

 

 艦隊に来襲する敵機の少なさ、そして零戦パイロット達のほぼ無敵に近い活躍もあって、対空砲火の命中率の悪さは今までさほど重要視されてこなかったのだが。

 

「し、しかしならば尚の事、空母を増産し、運用できる戦闘機の数を増やした方が・・・・・・」

「戦争に絶対はない。我々は、ミッドウェーでその事を痛感したはずだ」

 

 航空参謀の言葉を遮り、宇垣は言った。

 

 ミッドウェーでも襲撃を受けた時、零戦隊は直掩に上がっており、充分な活躍を示し、多数の敵機を撃墜している。

 

 しかし、そんな零戦隊の見せた一瞬の隙が敗北につながったのだ。

 

 もし戦闘機隊が突破された時、対空砲火は身を守る最後の盾となるのだ。

 

「今回の戦いの敗北は、確かに『偶然』が大きな要因を締めています。しかし、この『偶然』は、またいつ何時、起こるとも知れない物です。それを考えて、あらゆる手を撃っておくことは重要であると考えます」

「つまり参謀長は・・・・・・・・・・・・」

 

 それまで黙って討論を聞いていた山本が、重々しく口を開いた。

 

「110号艦は、対空火力を徹底的に強化した戦艦として竣工させるべきだと考えているのかね?」

「その通りです長官」

 

 我が意を得たり、と言った感じで頷く宇垣。

 

 現在、対空戦闘の切り札として期待されている防空駆逐艦の配備が急ピッチで進められており、また今回の意見が通れば、いくつかの艦の防空力は強化される事だろう。

 

 しかし結局、それだけでは足りないと宇垣は感じていた。

 

 戦艦のような大型艦に対空砲を満載し、それを機動部隊に張り付ければ、来襲する敵機に対して相当な圧力になる事が期待できる。

 

 何より今回、1航艦が敵機動部隊出現の情報を捉えていなかった事も大きい。

 

 「大和」では受信できた情報を、「赤城」や「飛龍」、更には1航艦に所属していた高速戦艦の「霧島」「榛名」では受信できていなかったのだ。

 

 となるとやはり、空母ばかりを増産しても意味は無く、戦艦もある程度は必要と言う事になる。

 

 勝負あったわね。

 

 腕組みをしながら頷く山本の様子を見ながら、陸奥は内心でそんな事を考えていた。

 

 宇垣の論調の方が、黒鳥達よりも的確だし、何より実績を下地にしている。

 

 兵器と言うのはある意味、保守的な色が強く、実績を上げた兵器こそが、現場では重宝される事が多い。

 

 実験的な新兵器に高い金をつぎ込んで、結果、何の役にも立ちませんでした、などと言う事になったら笑い話にもならないのだ。

 

 「明日の新兵器よりも、昨日の旧式兵器を」

 

 それが、現場の偽らざる意見であると言える。

 

 そう考えれば、敢えて戦艦を建造し、艦隊防空力の強化を図ると言う宇垣の意見は理にかなっている。

 

 それに、

 

 陸奥は皆に悟られないようにクスッと笑う。

 

『何だかんだ言っても、この結果を聞けば長門達は喜びそうだし』

 

 たとえ旧式兵器と言われようとも、戦艦の仲間が増えるのは、自分達にとっても喜ばしい事である。

 

 長門も、そして勿論、大和もきっと喜んでくれるだろう。

 

 そう考えると、陸奥もまた嬉しさが込み上げてくるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陰気さを漂わせる帝国海軍とは打って変わって、凱歌上げる合衆国海軍の士気は、正に天を突かんとする勢いだった。

 

 敵空母3隻。

 

 それも真珠湾以来、恨み連なる敵の正規空母を撃沈し、帝国軍の侵攻を防いだのだ。

 

 これで士気が上がらない方がおかしかった。

 

「よくやってくれた」

 

 レスター・ニミッツ大将は、居並ぶ一同、特に最功労者と言うべき、レイナード・スプルーアンスを見て言った。

 

「君達のおかげで、ミッドウェーを守り、このハワイを日本軍の侵攻から守り通す事ができた」

 

 敵より圧倒的に少ない戦力。しかも、無理やり間に合わせた物だ。

 

 その少ない戦力で、圧倒的な敵兵力を撃退できたのは大きかった。

 

「さすがだぜレイ。俺の目に狂いは無かったな」

 

 そう言って同僚の肩を叩くのは、先日、ようやく退院したばかりのビル・ハルゼーだった。

 

 自身の入院に伴い、代役としてスプルーアンスを指名したハルゼーだったが、その判断は正しかったと言う事になる。

 

 対してスプルーアンスは、同僚に笑みを返しつつも、険しい表情を作ってニミッツに向き直った。

 

「しかし長官。勝ったとは言え、こちらが被った損害もバカにはできません」

 

 その言葉に、一同は笑いを消して沈黙する。

 

 スプルーアンスが指摘した事を、誰もが自覚せざるを得なかったのだ。

 

 空母1隻、重巡洋艦3隻、駆逐艦5隻沈没。重巡洋艦2隻大破、戦艦1隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦1隻中破。

 

 戦略上では、空母3隻を撃沈し、更にミッドウェー防衛に成功した合衆国側の勝利であると言えるが、戦術的には良くて引き分け、悪くすれば合衆国側の敗北と取る事ができる。

 

「帝国軍は侮れません。特に、彼等が使用している艦上戦闘機は我が軍のワイルドキャットと同等の速力でありながら、圧倒的な機動性能を誇っており、対峙したパイロットの報告によりますと、殆ど歯が立たなかったとの事です」

 

 その言葉に、一同は苦い表情を作る。

 

 零戦の性能が、あらゆる面でワイルドキャットをはじめとする合衆国軍の戦闘機を上回り、これまであらゆる戦闘で敗北の憂き目を見て来たのは事実である。

 

「更に、敵の水雷戦隊が使う魚雷ですが、報告によると、非常に高性能であり、かつ、全く航跡を残さずに航走する事が判明しました」

「それはつまり・・・・・・・・・・・・」

 

 ニミッツは冷や汗を流しながら、スプルーアンスを見る。

 

 航跡を残さずに走る魚雷。それが可能だとすれば、一つしかあり得ない。

 

 対して、スプルーアンスもニミッツを見て頷く。

 

「はい。敵は恐らく、純粋酸素を動力とした魚雷を採用しているものと考えられます」

「馬鹿なッ 信じられません!!」

 

 叫んだのは、参謀の1人である。

 

「純粋酸素を媒体とした魚雷は、我が国を始め、列強各国が開発を試み、悉く失敗しているのですぞ。それなのに、技術力に劣るジャップに開発できるとは思えません」

 

 酸素魚雷の有用性は、多くの国で着目されていたのだが、開発中の事故が多く、殆どの国が断念していたのだ。

 

 そんな中、まさか帝国軍が開発に成功していたなどとは、信じられない話だった。

 

「事実を直視したまえ」

 

 金切り声を上げる参謀に対し、ニミッツは落ち着いてたしなめるように言った。

 

「事実、敵の魚雷攻撃によって、我が軍は多大な損害を被っている。それに、無航跡魚雷の報告は、フィリピン防衛に当たっていたアジア艦隊からも同様の報告が上がっている」

 

 疑う余地は無い。帝国海軍は酸素魚雷の開発に密かに成功し、実用化しているのだ。

 

「更に、今回、存在が確認された帝国海軍の新型戦艦。主砲口径は間違いなく40センチ以上。恐らく46センチを採用していると思われます。当然、防御装甲も、それに対応した物でしょう。現状、我が軍がこの戦艦に対抗するのは、非常に困難であると言わざるをえません」

 

 スプルーアンスの言葉に、一同は黙り込む。

 

 46センチ砲を装備した戦艦は、今の合衆国には無い。それは、ノースカロライナ級以降の新鋭戦艦についても同様である。水上砲戦では、圧倒的に不利と言わざるを得ないだろう。

 

「なあに、戦艦なんぞ、航空機の前では無力だ。忌々しい事だが、ジャップ共がこのハワイと、マレー沖で証明しているだろ」

 

 確かに、航空機で戦艦を撃沈できる事は、既に証明されている事である。ハルゼーの主張にも一理あるのだが。

 

「いや、それは無理だビル。ここはレイの主張の方が正しいだろう」

 

 ニミッツは、そう言って首を振った。

 

「開戦以来、我が軍も『レキシントン』『レンジャー』『ヨークタウン』を失っている。大西洋から『ワスプ』を派遣してもらうように手筈を付けたが、それでも使用できる空母は4隻のみ。しかも、これら全てを、敵の新鋭戦艦に向けるわけにはいかん。現状では、航空戦力でも、水上部隊でも、対抗は難しいだろう」

 

 その言葉には、ハルゼーも沈黙せざるを得ない。

 

 ハルゼー自身、自軍の戦力不足は感じている事である。

 

 戦力の不足は気合で補える。などと思う程、彼も愚かではなかった。

 

「更にもう一つ、気になる戦力があります」

 

 議論が終わったと見たスプルーアンスは、そう言って切り出す。

 

「開戦前に帝国軍が完成させた物で、ヒメカミ・タイプと呼ばれる巡洋戦艦です。当初は30センチ砲と言う中型砲を搭載した艦であり、艦隊決戦ではさほどの脅威にはならないと考えられていましたが、今回の戦いで、速力は35ノット前後発揮可能であり、更に主砲はほぼ、10秒に1発、斉射が可能であると判明いたしました」

「そいつは例の、『レキシントン』と『コロラド』を沈めてくれた連中だな。俺もジャップ共の本土を空襲した時、奴等に追撃されたからな」

 

 その時の事を想いだし、ハルゼーも苦い表情を作る。

 

 痛快な気分に浸っていた帝都空襲作戦の後、一転して窮地に追い込まれそうになったのは、彼にとっても忌々しい記憶だった。

 

「巡戦の主砲を、10秒に1発・・・・・・」

「それに35ノットなどと・・・・・・それではまるで駆逐艦ではないか・・・・・・・・・・・・」

 

 唸り声が、次々と聞こえてくる。

 

 帝国軍が所有する兵器。

 

 その全てが自分達の物よりも数段上回る事が判り、誰もが打ちのめされた思いである。

 

「諸君。今回の戦いは確かに、我が軍が勝利を得る事が出来た」

 

 そんな一同を見回して、ニミッツは言った。

 

「しかし同時に、尚も敵の方が強大であり、我が軍にとっては予断の許されぬ状況が続いている。一同、その事を肝に銘じ、作戦に当たってほしい」

 

 ニミッツの言葉に、一同は頷きを返す。

 

 主力空母3隻を沈め、一時的に攻勢を頓挫させたとは言え、尚も帝国軍が本気で攻めて来れば、合衆国軍は防ぎきれない事は明白である。

 

 本国では新鋭艦が続々と就役し、零戦に対抗可能な新型機の開発も進んでいる。しかし、それらが戦力化されるまでには、まだ時間がかかる。

 

 だからこそ、現有戦力を有効活用して、戦線を支える必要があった。

 

 そこで、ニミッツはスプルーアンスに向き直った。

 

「レイ。帝国海軍撃退の英雄には悪いが、君には暫く、後方勤務についてもらう」

「後方、ですか・・・・・・・・・・・・」

 

 その言葉に、すぐにまた、前線で指揮を執ると思っていたスプルーアンスは内心で落胆する。

 

 とは言え、命令である以上、それがどんな物であろうと従わない訳にはいかない。

 

 だが、次にニミッツが告げた言葉は、スプルーアンスの予想だにしなかった物だった。

 

「君には今後、太平洋艦隊参謀長として、私の補佐に当たってもらう。よろしく頼むよ」

 

 これには、流石の智将スプルーアンスも、思わず呆けてしまった程だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手にした新聞に目を落とし、水上彰人は険しい顔をしている。

 

 普段は人のよさそうな柔和な表情でいる事が多い青年提督にとっては、珍しい事である。

 

「何だこれ・・・・・・・・・・・・」

 

 ややあって、呟きを漏らす。

 

 ここは彰人がよく下宿として使わせてもらう、横須賀の民家である。主には候補生だったころから世話になっており、独り身の彰人に何かと良くしてくれるありがたい存在だった。

 

 本来なら鎮守府内の官舎に部屋を貰い、そこで生活すべきところではあるが、こちらは艦隊生活が主流。いつまた海に出るとも判らない身である。ならば、動きやすいように身軽でいたかったのだ。

 

 彰人は新聞の見出しを睨みつける。

 

『ミッドウェー沖にて、帝国海軍大勝利。敵空母2隻撃沈、1隻大破。航空機撃墜多数。我が方の損害、空母1隻損傷、航空機10機喪失のみ』

 

 味方の損害を低く抑え、戦果を過大にしている。明らかなねつ造記事である。

 

 新聞は大本営の検閲を受けて発行される。つまり、この記事は軍部、それも海軍の圧力を受けて発行された物と言う事だ。

 

 海軍は今回の敗北を隠そうとしている。戦果をでっち上げる事によって、国民や、ひいては新聞を読まれる天皇陛下に対し、自分達の失態を誤魔化そうとしている。

 

 そうとしか考えられなかった。

 

 苛立ちまぎれに新聞を机の上に投げ出すと、そのまま床に寝転がる。

 

 悪しき官僚主義の実態がここにある。

 

 海軍上層部は、初戦における快勝に尾を引かせ、「無敵皇軍」と言う幻想に取りつかれているのだ。

 

 帝国海軍が出撃する以上、勝つのが当然。負ける可能性などあり得ない。

 

 常に大戦果を上げてくる。

 

 そして、自分達は、後方でただそれを待っていればいい。

 

 そう考えている者が多いのだ。

 

 そして、その「幻想」が崩れた時、自分達の失態を公表する事で国民からバッシングされ、権威が失墜される事を恐れ、このようなねつ造と欺瞞に奔ったと言う訳だ。

 

 彰人にとって腹立たしいのは、そう考えて実行しているのが、戦場に出ない海軍省や軍令部の人間であると言う事だった。

 

 前線の将兵は、彼等の権威を守るために命を散らした訳ではない。あくまで祖国の為、親兄弟を戦火から守るために命がけで戦ったのだ。

 

 だが、海軍上層部にとっては、前線の犠牲など眼中に無く、自分達の権威を守る事の方が重要だと言う事だ。

 

 戦争とは軍人の専門分野であり、戦時には軍部が政治の上に立って主導するのが通例である。

 

 しかし今、軍人の恰好をした政治家モドキとでも言うべき官僚軍人が実権を握り、軍を主導している。

 

 これでは、勝てる戦いも勝てない。

 

 彰人はそう考えざるを得なかった。

 

 その時だった。

 

「水上さん、お客さんですよ」

「はい? 客?」

 

 下宿のおばさんに声を掛けられ、彰人は床から起き上がる。

 

 わざわざ下宿にまで尋ねて来る客とは誰だろう?

 

 心当たりがない彰人は、首をかしげながら部屋を出る。

 

 すると、下宿のおばさんが、口元に笑みを浮かべながら、廊下を近付いて来るのが見えた。

 

 長年お世話になっているこのおばさんは、彰人を実の息子のようにかわいがり、滞在している時は色々と世話をしてくれる存在である。

 

 そんなおばさんは近付いて来ると、彰人の腕を軽く叩く。

 

「水上さんも隅に置けないわね。あんな可愛い子達と知り合いだったなんて」

「はい?」

 

 可愛い子・・・・・・「達」?

 

 その言葉に、彰人はある予感を抱く。

 

 果たして、

 

 居間に行き、ちゃぶ台を囲んでいる少女達を見て、予感は確信に変わった。

 

「ヤッホー、提督!!」

「来ちゃったー」

「お邪魔しています」

 

 島風、黒姫、そして姫神。

 

 第11戦隊の3人娘が、テーブルを囲んで座っていた。

 

 3人とも、今日は外出と言う事もあってか、いつものセーラー服姿では無く。各々の雌伏を着込んでいる。

 

 その為、普段とはがらりと変わった印象があった。

 

 その姿に、彰人は苦笑する。

 

「よくここが判ったね」

「第2艦隊の方に照会したら、すぐに教えてくれました」

 

 成程、別に難しい手段では無かった訳か。

 

 姫神の言葉に納得したように頷く。

 

 と、島風と黒姫が彰人の腕を取ってくる。

 

「ねえねえ提督。遊びに行こうよ」

「そうですよ。こんなにいい天気なんだし!!」

「ちょ、ちょっと、2人とも・・・・・・・・・・・・」

 

 いきなりのお誘いに、戸惑う彰人。

 

 さっきの新聞の件もあり、今はそんな気分ではないのだが。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 姫神が向けて来た瞳を見る彰人。

 

 フッと笑みを浮かべる。

 

「判った。準備するから、ちょっと待ってて」

 

 

 

 

 

 乗り気ではなかったが、一緒に公園を歩く少女達の様子を見るだけで、少し気分が軽くなるのが判った。

 

 どうやら、自分は思っていた以上に疲労していたらしい事を自覚し、彰人は苦笑する。

 

『無理も無い、か』

 

 ミッドウェーでの無理な作戦強行に加えて、最終時の夜戦。更に、その後の撤退戦と、目まぐるしい戦いの連続だった。

 

 疲れるのも当たり前である。

 

 しかも、敗北によって全てが徒労に終わったとなれば尚更である。

 

 これは良い気分転換になったのは間違いない。

 

 彰人の前では、露店で買ったアイスを食べる3人の姿がある。

 

 クスッと、笑みを浮かべる。

 

 何だかんだ言って、自分は彼女達に癒やされている。

 

 その事を実感させられていた。

 

 と、

 

「提督、どうぞ」

 

 いつの間にか近くに寄ってきていた姫神が、アイスを差し出していた。どうやら彰人の分も買っておいてくれたらしい。

 

 そんな姫神に、彰人は一瞬キョトンとしてから笑い掛ける。

 

「ありがとう、姫神」

 

 そう言うと、彼女の手にあるアイスを受け取り口に運んだ。

 

 

 

 

 

第24話「ミッドウェーの後先」      終わり

 


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