蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第18話「急転落下」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話は1航艦がミッドウェーへの攻撃を開始する、数時間前まで遡る。

 

 戦艦「大和」を旗艦とする帝国海軍第1艦隊は、主力部隊と言う位置づけがなされ、1航艦の後方、約550キロの海域をミッドウェー目指して航行していた。

 

 戦艦は「大和」以下、「長門」「陸奥」「伊勢」「日向」「扶桑」「山城」の、合計7隻。

 

 そして旗艦「大和」のマストには、連合艦隊司令長官山本伊佐雄大将座乗を意味する大将旗が、風を受けて雄々しく翻っている。

 

 正に、世界最強の水上砲戦部隊と言って良いだろう。

 

 だが、

 

 その最強艦隊も、主戦場から遥か550キロも離れた場所にいては、何もする事ができなかった。

 

 いかに世界最大の艦載砲を誇る「大和」であっても、その射程は40キロに過ぎなかった。

 

 その「大和」の艦橋では、宇垣が直立不動で立ち、進路前方に目を向け続けている。

 

 予定なら、払暁と同時に1航艦は第1次攻撃隊を発艦、ミッドウェーに対して航空攻撃を掛ける手筈になっている。

 

「間も無くだな」

「はい」

 

 傍らの大和も、硬い表情で頷きを返す。

 

 視線を巡らせれば、黒鳥は他の参謀と何やら話し込んでおり、山本は相手を見付けて将棋を指している。

 

 嘆息する宇垣。

 

 宇垣本人としては、この第1艦隊の配置は不満である。

 

 後方550キロと言うのは、あまりにも遠すぎる。これでは、いざ何かあった時に、第1艦隊が戦闘に加入するまで、最短でも10時間以上かかる計算になる。せめてもう少し前に出ては、と山本に進言してみたが却下された。

 

 もっとも、この配置自体は違和感のある物ではない。

 

 この時期、戦艦を主力として後方に置き、空母をその前衛として配置するやり方は、世界各国を見ても珍しい物ではない。

 

 「大和」以下第1艦隊が1航艦の後方に展開しているのは、そう言った理由からだった。

 

 その時だった。

 

 通信参謀が、血相を変えて駆け込んで来た。

 

「長官、本国より緊急通信です」

 

 その言葉に、艦橋にいた全員が振り返る。

 

 緊急、とは穏やかではない。

 

 山本は将棋を指す手を止めて電文を受け取ると、黙って一読する。

 

「長官?」

 

 尋ねる黒鳥に対し、山本は黙って電文を差し出す。

 

 それに素早く目を通した黒鳥の顔が、見る見るうちに顔色を変える。

 

「《米空母複数、北太平洋にて行動中の可能性大。留意されたし》・・・・・・・・・・・・」

 

 黒鳥の読み上げた文章は、波紋のように動揺のさざ波を広げていく。

 

 米空母の出現。

 

 MI作戦の前提の1つが、これによって確立されたわけである。

 

「長官、すぐに1航艦に連絡を」

 

 言い募る大和。

 

 しかし、

 

「いや、その必要は無いだろう」

 

 黒鳥が大和を制して言った。

 

「なぜですか?」

「本艦で受信していると言う事は『赤城』でも受信している筈。なら、わざわざ転送の必要は無い」

 

 決めつけるように黒鳥は言った。

 

「それに、1艦隊は無線封止中だ。こちらから転送するには、封止解除が必要だが、それは危険すぎる」

 

 現在、黒鳥の言う通り、第1艦隊、第2艦隊、第1航空艦隊、アリューシャン攻略部隊は全て、無線封止を行って行動している。これは、直前まで艦隊の行動を秘匿し、奇襲の効果を上げる為の措置である。

 

 しかし、

 

「いや、やはり伝えるべきだ」

 

 それまで黙っていた宇垣が口を開いた。

 

「本艦と違って、空母はマストの位置が低いから受信していない可能性もある。ここは念を入れて転送すべきだ」

 

 そう告げる宇垣の脳裏には、図上演習の日に彰人に言われた言葉が思い浮かべられていた。

 

 「大和」の高い通信能力を活かして、情報伝達を行って欲しい、と。

 

 まさに、今がその状況であると考えたのだ。

 

 だが、黒鳥も黙ってはいなかった。

 

「よしんば『赤城』が受信できなかったとしても、機動部隊には『榛名』も『霧島』もいる。彼女達が受信していれば、それを発光信号なり手旗信号なりで『赤城』に通報するはずだ」

 

 それに、と黒鳥は宇垣が反論する前に続ける。

 

「万が一、封止を解除して、敵がこちらに向かって来たらどうするのです? この『大和』が傷つき、長官の身にもしもの事があれば、どうする心算なのですか?」

 

 黒鳥のその言葉に、宇垣は思わず怒鳴り出したい心境に捕らわれた。

 

 後方500キロ以上。それも世界最強の戦艦に乗っていて、何と言う言い草だろうか?

 

 宇垣とて敵の航空機を軽視する心算は無いし、事に寄れば「大和」と言えども損害を喰らう可能性はある。

 

 しかし、機動部隊の将兵は「大和」よりも遥かに防御力の劣る空母に乗り、最前線で戦っているのだ。それを考えれば、黒鳥の意見は彼等に対する侮辱であるようにも思えるのだった。

 

「敵の先制攻撃によって機動部隊に損害が生じれば、作戦その物が危うくなるのだぞ」

「南雲さんは、第2次攻撃隊を対艦装備で待機させています。敵空母を発見すれば、そちらに攻撃を振り向ける筈です!!」

 

 言い募る、宇垣と黒鳥。

 

 そこで、

 

「そこまでだ、2人とも」

 

 山本が口を開いた。

 

 山本は2人を見比べて行った。

 

「参謀長の意見にも一理あるが、ここは黒鳥の意見が正しいだろう。万が一、敵が通信波に引き付けられて主力部隊の方に来た場合、『鳳翔』1隻しか空母を持たない我々は一方的に叩かれる事になる。よって、封止解除、及び機動部隊への転送は行わない物とする。」

 

 その言葉によって、議論は終止符を打たれる。

 

 見せ付けるように、意気揚々と敬礼する黒鳥に対し、宇垣は黙然と頭を下げる。

 

 宇垣にとっては腹立たしい限りだが、GF長官がそう決断した以上、従わざるを得ない。

 

 やがて山本は、再び将棋盤に向き直り、中断していた勝負を再開する。

 

 その様子に背を向け、

 

『すまん山口・・・・・・・・・・・・すまん、水上・・・・・・・・・・・』

 

 友と腹心の両方に、心の中で詫びる宇垣。

 

 彼等との約束を果たす事ができず、ただ無為に海の上でのうのうと時を過ごしている事しかできないとは。

 

 悔しさを滲ませる宇垣。

 

 そんな宇垣を、大和は痛ましそうに見つめる事しかできないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 愛機に駆け寄り、殆ど飛び込むようにしてコックピットに座る。

 

 風防を閉じると、直哉は直ちに発艦準備に掛かった。

 

 敵機来襲の報告に、艦隊全体が色めき出っている。

 

 またミッドウェーからの攻撃か? それとも、敵艦隊からの攻撃隊だろうか?

 

 いずれにせよ、すぐにでも迎撃に上がる必要があった。

 

 取り付いていた整備員に、機体から離れるように腕を振って合図を送る。

 

 既にエンジンはスタートし、プロペラは轟音を上げて回転している。

 

 風上に向かって突進している「飛龍」。

 

 その合成風力が吹き付ける中、直哉は零戦を空へと舞い上がらせた。

 

「敵はッ!?」

 

 視線を走らせる。

 

 警報から発艦まで5分も掛かっていない。敵はまだ、攻撃を開始していない可能性もある。

 

 そう思い、視線を素早く走らせる。

 

 高高度・・・・・・いないッ

 

 中高度・・・・・・いないッ

 

 どこだ?

 

 どこから来る?

 

 そして、直哉は低高度に視線を走らせたとき、

 

「いたッ!!」

 

 敵は低高度を這うようにして、輪形陣に侵入しようとしている。

 

 単発の攻撃機。TBDデバステーターだ。

 

「空母機か!?」

 

 叫びながら、零戦の翼を翻し、一気に高度を落とす直哉。

 

 編隊を組んで飛行するデバステーターを、眼下に臨む。

 

 その向かう先には、全速で航行するスマートな空母の姿がある。直哉にとっては、この上無く慣れ親しんだ母艦の姿だ。

 

「飛龍は、やらせない!!」

 

 叫びながら、直哉は駆ける。

 

 大切な少女を守るために。

 

 照準に敵機を捉えると同時に1連射。

 

 20ミリ弾を喰らったデバステーターは空中でバランスを失うと、翼から海面に突っ込むようにして墜落する。

 

 その間に、直哉は次の目標へと向かう。

 

 デバステーターが後部の旋回機銃で反撃してくるが、そんな物で零戦の軽快さに敵う筈がない。

 

 あっさりと回避すると、再び距離を詰めに掛かる。

 

 もう、「飛龍」までの距離は殆ど無い。これが、最後のワンチャンスだ。

 

 照準器の捉えたデバステーター目がけて、再び20ミリ弾を発射。

 

 吸い込まれた弾丸は、狙い違わずデバステーターの胴体部分に命中。内部から破壊する。

 

 残りのデバステーターに照準を合わせようと、更なる機動に入る直哉。

 

 だが、もはやその必要は無かった。

 

 直哉の奮戦と、「飛龍」の対空射撃に恐れを成した残りのデバステーターは、編隊を解いてバラバラになり、そのまま明後日の方向に魚雷を放って逃げ散って行く。

 

 勿論、たででは逃がすまいと、後続した零戦に追いまくられ、更に損害を増やしているが。

 

 一方、当然ながら「飛龍」は全くの無傷である。

 

 その上空を飛び去る直哉。

 

 一瞬、艦橋に立つ、橙色の着物を着た少女と目が合う。

 

 手を元気に振ってくる飛龍に対し、直哉は指を揃えて敬礼を返すのだった。

 

 

 

 

 

「恰好付けちゃって」

 

 飛び去って行く直哉の零戦を見送りながら、飛龍は苦笑する。

 

 正直、今のは危ないと思った。

 

 魚雷を抱いたデバステーターは、「飛龍」のすぐ至近にまで迫って来たのだ。

 

 だが、

 

 直哉が奮戦してくれたおかげで、「飛龍」は回避運動を行うまでの時間を稼ぐ事が出来た。

 

「ありがとう・・・・・・直哉」

 

 上空をゆっくりと旋回する銀翼を見上げ、飛龍は笑顔を浮かべる。

 

 と、

 

「さすがだな、あいつは」

 

 傍らに立った男が呟きを漏らし、飛龍は振り返る。

 

「多聞丸?」

「だが、いくら相沢達の腕が良くても、いつまでも守りきれるものじゃない。一刻も早く発艦したいところなんだが・・・・・・」

 

 呟きながら、山口は「赤城」へと目を向ける。

 

 今の戦闘で、換装作業は一時中断されたはず。ただでさえ時間のかかる作業が、さらに伸びた事になる。

 

 更に、この後も敵の攻撃が続けば、換装に掛かる時間は更に伸びる事になる。

 

 その時、

 

「多聞丸、あれ」

 

 飛龍が空の彼方を指差す。

 

 そこには、編隊を組んで真っ直ぐにこちらへと向かってくる、一群の航空機の姿がある。

 

 数はかなり多い。恐らく100機近くになるだろう

 

「敵か・・・・・・いや・・・・・・」

「違うよ。たぶん、友永大尉の部隊だと思う」

 

 飛龍の言う通りだった。

 

 ミッドウェー攻撃を終えた友永大尉率いる第1次攻撃隊が帰還して来たのだ。

 

 その様子に、思わず山口は険しい顔を作る。

 

 彼等を収容する作業に、さらに時間がかかるだろうし、そのせいで各空母の艦内が混乱するのは目に見えている。

 

 いら立ちを募らせる山口。

 

 時間だけが、ただジリジリと過ぎ去って行った。

 

 

 

 

 

 一方その頃、

 

 進撃を続ける米編隊の中にあって、空母「エンタープライズ」戦闘機隊に所属するギャレット・ハミル中尉は、あからさまな舌打ちを漏らしていた。

 

 断片的に入ってくる情報から、デバステーター隊がギャレット達よりも先に攻撃を仕掛けたと言う事は掴んでいた。

 

 レイアード・スプルーアンス少将が立てた攻撃計画では、全攻撃隊を一時に発艦させ、それを一斉攻撃させる事で、数の優勢を確保しようと言う物だった。

 

 数的に合衆国海軍の劣勢は否めないため、瞬間的にでも数で帝国艦隊を圧倒しようと言うのが狙いである。

 

 だが、言うまでも無く戦闘機、急降下爆撃機、攻撃機では、それぞれ速度が異なる。

 

 大兵力で攻撃を仕掛けるとなれば、その統制も難しかった。

 

 その為、空中で各隊はバラバラになり、進撃もそれぞれの隊が独自に行わざるを得ない状況になっていた。

 

 もっとも、一番速度の遅いデバステーターが、最初に敵艦隊に取り付いたのは予想外だったが。

 

「こいつは、失敗だったんじゃないのか?」

 

 ギャレットは、病気療養中のビル・ハルゼーに代わって艦隊の指揮を取っている若い提督の事を思い出し嘆息する。

 

 スプルーアンスは緻密な頭脳と、戦略重視型の手堅い思考を持つ人物と称されているが、あまり物事を難しく考えすぎて、失敗するタイプなのではないかと思ってしまう。

 

 ハルゼーは、一見すると粗野で短気な正確なようにも見えるが、開戦から今まで、劣勢の機動部隊を指揮して太平洋を転戦した実績がある。その為、パイロット達からの信頼も厚かった。

 

 翻って、スプルーアンスは元々、巡洋艦部隊の指揮官であり、空母機動部隊の指揮は今回が初めてである。

 

 その為、スプルーアンスはイマイチ、パイロット達から受けが良くない。ギャレットもまた、スプルーアンスに不審を抱いている1人である。

 

「まあ、言っても始まらないか」

 

 さばさばした口調で、ギャレットは呟く。

 

 既に賽は投げられたのだ。ならば、ギャレット達は、この盤上にて全力を尽くすしかない。

 

 幸い、急降下爆撃機であるドーントレス隊は、戦闘機隊と行動を共にしている。

 

 ならばまだ、逆転の目は充分にあると言う物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、第1次攻撃隊の収容を優先した結果、1航艦の換装作業は更なる遅延を来す事となった。

 

 「赤城」「加賀」の艦内では換装作業と補給作業、そして収容作業が同時に行われ、作業員たちは大混乱に陥っている。

 

 格納庫の床には、取り外された爆弾がそのまま放置され、収容した機体をどこに運ぶかで、ひっきりなしに怒号が飛び交っている。

 

 とにかく、1秒でも早く。

 

 皆が、ただそれのみを念頭に置きながら、作業に必死になっているのだ。

 

 「飛龍」艦橋の山口多聞は、いら立ちを募らせながらその様子を眺めている事しかできない。

 

 既に、空母機と思われる航空機が複数回来襲して攻撃を仕掛けて行った。

 

 幸いにして、直掩隊が奮戦してくれたおかげで全て事無きを得ているが、それとていつまでも続くと言う保証は無かった。

 

 そんな山口の苛立ちが伝播したのか、傍らの飛龍も、先ほどからそわそわと落ち着きが無い様子を見せていた。

 

 「飛龍」と「蒼龍」だけなら、すぐにでも発艦する事ができる。にも拘わらず、敵発見から2時間以上も待機を強いられた事に対し、少女もまた苛立ちを募らせている様子だった。

 

 しかし、永遠に続くかと思われた待機状態も、やがて終わりを告げる。

 

 見張り員の1人が、興奮したように声を上げて伝えてきた。

 

「旗艦『赤城』より発光信号!! 《1航戦、換装作業終了。全艦、直ちに発艦体勢に入れ》!!」

 

 その言葉に、安堵と会心、両方の表情が山口と飛龍の顔に浮かぶ。

 

 待ちに待った命令が、ようやく来たのだ。

 

「よし、発艦準備だ。攻撃隊全機、飛行甲板に上げろ。同時に『蒼龍』に信号、《ただちに発艦用意成せ》!!」

 

 山口の言葉を聞きながら、飛龍はそっと胸をなでおろす。

 

 これでようやく、反撃できる。

 

 先程から小癪な攻撃を散発してくる米空母に、存分に借りを返してやる事ができる。

 

 誰もがそう思った。

 

 やがて、格納甲板からエレベーターを使い、航空機が次々と上げられてくる。

 

 それらが飛行甲板に整然と並べられ、発艦体勢が整えられていく。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵機直上ォ!! 急降下ァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶望が、

 

 

 

 

 

 不意に、口を開けた。

 

 

 

 

 

 誰もが、

 

 

 

 

 

 唖然とした。

 

 

 

 

 

 振り仰ぐ、天。

 

 

 

 

 

 そこには、

 

 

 

 

 

 死神の如く翼を広げた、一群の航空機。

 

 

 

 

 

 既に、攻撃態勢は整っていた。

 

 

 

 

 

 デバステーター隊から遅れて進撃してきたドーントレス隊が、ようやく1航艦上空に到着したのだ。

 

 タイミング的には、最悪と言って良い。

 

 今まさに、4隻の空母は発艦体勢に入る為、風上に向かって直進している最中である。その為、合衆国軍のパイロットからすれば、ひどく狙いやすい目標だった。

 

 更に間の悪い事に、帝国軍の直掩隊は、先ほどから攻撃を仕掛けてくるデバステーター隊に対応する為に、全機が低高度まで下りてしまっていた。その為、高高度から接近してきたドーントレスに、誰も対応できなかったのだ。

 

 ダイブブレーキを開き、独特な風切り音を響かせながら急降下を始めるドーントレス。

 

 最初に狙われたのは、

 

 旗艦「赤城」だった。

 

 

 

 

 

「馬鹿なッ こんな・・・・・・・・・・・・」

 

 自分達に向かってくるドーントレスを見上げ、南雲は呆然と呟きを漏らす。

 

 大丈夫だと思った。

 

 零戦の性能を持ってすれば、いかに敵機が攻めて来たとしても撃退できると思っていた。

 

 しかし、まさか、その零戦の迎撃網を掻い潜って、敵機が攻撃を仕掛けて来るとは思いもよらなかった。

 

「取り舵一杯!!」

 

 艦長の青木大佐が、声を張り上げて回避行動を命じる。

 

 しかし、基準排水量が3万トンに達する「赤城」は舵の効きが鈍い。舵輪を回してから、実際に回頭を始めるまでに時間がかかるのだ。

 

 その間に、急速に迫ってくるドーントレス。

 

 それが至近まで迫ったと思った瞬間、

 

 胴体下に吊るされた黒い爆弾が切り離される。

 

 誰もが絶望的な光景を見詰める中、

 

 衝撃は、容赦なく襲ってきた。

 

 踊る爆炎。

 

 轟く激震。

 

 飛行甲板に大穴が開く。

 

「アァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 悲鳴を上げる赤城。

 

 艦体の損傷が、彼女に直接フィードバックしたのだ。

 

 命中弾は2発。

 

 元々、巡洋戦艦として建造される予定だった「赤城」は、「飛龍」や「蒼龍」に比べて防御力が高い。これくらいなら耐えられるはず。

 

 しかし、

 

「ダメッ そこは!!」

 

 痛みを堪えて顔を上げた赤城が、思わず悲鳴交じりに叫ぶ。

 

 ドーントレスが投下した爆弾が命中した場所。その下には、格納庫がある。

 

 そこには今、2時間かけてようやく換装作業を終えたばかりの97艦攻が、エレベーター待ちをして待機している。その他にも、燃料や取り外した爆弾が置かれている。

 

 それが意味するところを悟り、顔面を蒼白にする赤城。

 

 次の瞬間、否応なく自覚する、己の内から湧き上がる熱い感触。

 

「提督、危ない!!」

 

 赤城は残された力を振り絞るようにして、南雲へ体当たりし、その体を艦橋の床に伏せさせる。

 

 次の瞬間、「赤城」の艦内で、大爆発が起こった。

 

 

 

 

 

 「赤城」がドーントレスの攻撃を受けているのとほぼ同時に、同じ1航戦の「加賀」もまた、敵機の攻撃を受けていた。

 

「まずい状況ね・・・・・・・・・・・・」

 

 自身に迫ってくる敵機を見上げ、加賀は苦い表情を作る。

 

 今、4隻の空母の艦内には、爆弾や魚雷を搭載した航空機が満載されている。

 

 いわば、藁を積んで航行しているような物である。

 

 しかもこの時、1航艦の4空母は、とんでもない欠陥を抱えていた。

 

 これは加賀のみならず、帝国海軍に所属する全員が気付いていない事実である。

 

 4隻の空母は、艦首付近に大きな日の丸を赤いペンキで書いている。これは以前、帝国海軍のパイロットが、誤って米空母に着艦しそうになった珍事を鑑み、同様の「事故」を防ぐ為の措置だった。

 

 しかし、この日の丸が米パイロットに格好の攻撃目標を与える事となっていた。

 

 米パイロット達は、「加賀」艦首に描かれた日の丸を目標に、次々と急降下を開始する。

 

 対する「加賀」も、必死に対空砲を撃ち上げつつ回避行動に入る。

 

 米軍パイロットの腕は、お世辞にも良いとは言い難い。帝国軍のパイロットならば、落第生のレッテルを張られるようなレベルである。

 

 投下される爆弾は、全て海面に落ちて空しく水柱を噴き上げる。

 

 このまま、回避に成功するか?

 

 そう思った時だった。

 

「『赤城』爆発ッ 被弾の模様!!」

「えッ!?」

 

 見張り員の絶叫に、加賀の気が一瞬削がれる。

 

 その視界の彼方には、炎を上げる「赤城」の姿がある。

 

「赤城さん!?」

 

 加賀が叫んだ瞬間。

 

 衝撃が、彼女にも襲ってきた。

 

 

 

 

 

 「赤城」「加賀」、被弾炎上。

 

 その様子は、上空を飛ぶ直哉からも確認する事が出来た。

 

「こんな・・・・・・何で・・・・・・・・・・・・・」

 

 呆然と、呟きを漏らすしかない。

 

 真珠湾から続き、連戦連勝を続けてきた1航艦。

 

 世界最強、無敵の機動部隊が、

 

 一方的に叩かれている。

 

 「赤城」と「加賀」が助かるかどうか、それは判らない。

 

 まさに、直掩隊が見せた、一瞬の隙を突いた惨劇である。

 

「飛龍は!?」

 

 とっさに、母艦の方へと目を向ける直哉。

 

 見れば、「飛龍」へと向かっている敵機の姿は無い。

 

 どうやら、先のデバステーターによる襲撃で回避行動を取った為、「飛龍」は他の空母より少し離れた場所を航行している。その為、敵機の攻撃から見逃されている形だった。

 

 と、

 

「・・・・・・・・・・・・飛龍?」

 

 「飛龍」艦橋に立っている少女が、何やら大きく手を振っているのが見える。

 

 よく見ると、手を振りながら何かを指差している。

 

 その方向に目を向けた瞬間、

 

 直哉は思わず目を見張った。

 

 「飛龍」から少し離れた場所を航行している「蒼龍」。

 

 その「蒼龍」の上空に、旋回する敵機の姿。

 

「クソッ!?」

 

 舌打ちしながら、直哉は機体を翻す。

 

 ドーントレスは、既に急降下体勢に入っている。

 

 最早、上空へ上がって敵機の背後を取っている時間的余裕は無い。

 

 直哉は素早く決断すると、零戦の機首を僅かに下げて海面すれすれまで降下、同時にエンジンスロットルを上げる。

 

 降下を利用して、機体の速度を上げるのだ。

 

 敵機は機首を下げ、一列縦隊となって「蒼龍」に迫ろうとしている。

 

 もはや、寸暇と言えども猶予は無い。

 

「あッがれェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 思いっきり、操縦桿を引き寄せる。

 

 同時に零戦は、大きく機首を上げる。

 

 迫る「蒼龍」の巨体。

 

 当然、そこは彼女が噴き上げる対空砲の射程圏内である。

 

 だがこの時、直哉は味方に撃たれる可能性について、微塵も考慮に入れていなかった。

 

 

 

 

 

 驚いたのは蒼龍である。

 

 敵機の急降下爆撃を阻止しようと、躍起になって回避運動を行っている最中、自身のすぐ傍、海面から跳ね上がるように、味方の零戦が急上昇を掛けたのだから。

 

 対空砲は絶賛稼動中である。

 

 味方の対空砲の中に飛び込んでくる者など、馬鹿でなければキチガイだけである。

 

 しかも、その「馬鹿orキチガイ」が、蒼龍も良く知る人物であると悟り、更に愕然とする。

 

「無茶です、相沢少尉!!」

 

 聞こえない事は、蒼龍にも判っている。しかし、叫ばずにはいられなかった。

 

 直哉はそのまま、急降下してくるドーントレスと相対する形になる。

 

 米パイロットが度肝を抜かれたであろう事は、想像に難くない。

 

 まさか、味方の対空砲火の中に突っ込み、あまつさえ急降下体勢に入った機体の正面に直掩機が立ちはだかるなど、誰が想像するであろう?

 

 先頭に立って急降下しようとしていたドーントレス隊の指揮官は、思わず「クレイジー・ジャップ!!」と叫んだほどである。

 

 次の瞬間、直哉の零戦は、両翼に装備した20ミリ機関砲を発射。正面から指揮官のドーントレスを打ち砕く。

 

 直哉の行動は、無謀を通り越して自殺志願者の挙動である。

 

 だが、その直哉の行動は、米軍の機先を完全に制する事に成功した。

 

 意表を突く行動によって指揮官機を撃墜されたドーントレス隊は、隊形を大いに乱され、次々と高い高度で爆弾を投下していく。

 

 次々と吹き荒れる水柱。

 

 このまま「蒼龍」は逃げ切る事ができるか?

 

 そう思った時、

 

 突如、衝撃が艦体を貫いた。

 

「キャァァァ!?」

 

 悲鳴を上げる蒼龍。

 

 ドーントレス隊最後尾の機体が投下した爆弾が、彼女の艦体中央付近に命中したのだ。

 

 踊る爆炎。

 

 その中で、蒼龍は苦悶の表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

「そんな・・・・・・蒼龍まで・・・・・・・・・・・・」

 

 自身の姉とも言うべき空母を襲った悲劇を目の当たりにし、飛龍は愕然と呟く。

 

 直哉の無謀な掩護のおかげで、命中爆弾は1発に押さえられたようだが、それでも飛行甲板を覆う程の黒煙を目の当たりにしては、蒼龍が助かるかどうかわからなかった。

 

 それにしても、

 

 「赤城」

 

 「加賀」

 

 「蒼龍」

 

 空母3隻が、炎に包まれて海面をのたうちまわっている。

 

 ほんの数分前まで無敵の威容を誇っていた第1航空艦隊が、今や稼働空母1隻にまで打ち減らされてしまっていた。

 

 一体誰が、このような事態を想像し得た事だろうか?

 

 絶望的な状況の中、

 

「・・・・・・・・・・・・全艦宛て、打電しろ」

 

 第2航空戦隊司令官山口多聞少将は、よく通る声で命じる。

 

「多聞丸?」

 

 怪訝な顔で覗き込む飛龍。

 

 そんな少女の視線を受けて、山口は眦を上げる。

 

「我、これより航空戦の指揮を執る!!」

 

 闘志に満ち溢れる声で言い放った。

 

 

 

 

 

第18話「急転落下」      終わり

 


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