1
定期的に行っている飛行訓練を終えた後、相沢直哉少尉は母艦である「飛龍」の飛行甲板に愛機を滑り込ませた。
機体が完全に停止し、直哉がコックピットから降りると、すぐに整備兵達が駆け寄ってきて、零戦をエレベーターの方向まで運んでいく。
その後ろ姿を眺め、直哉は微笑をする。
零戦は、やっぱり良い機体だ。
米軍の如何なる機体よりも軽快な機動性を誇り、癖も少ないため操縦がしやすい。操縦している方は、まるで直接空中を泳いでいるような感覚になる。
いくつか無視できない欠点はある物の、直哉ほどの腕があれば十分にカバーできる。
まさにパイロットにとっては、理想的な機体である。
自分は零戦に乗っている限り、どんな敵と戦っても負ける気がしない。そう感じさせる物が零戦にはあった。
と、
「な~にニヤニヤしてんの直哉。気持ち悪いよ」
「うわッ ひ、飛龍!?」
突然、後ろから覗き込むように声を掛けられ、慌てて飛び退く直哉。
そんな少年を、飛龍は不審者を見るように、ジト目で見詰めている。
そんな飛龍に対し、直哉は唇を尖らせる。
「て言うか、気持ち悪いってひどくない? 僕は別に・・・・・・」
「自覚が無いなら重症だね。軍医さんの所に行く?」
そう言って笑う飛龍に対し、直哉はバツが悪そうな顔をする。
そんな直哉を見ながら、飛龍はクスクスと笑う。
「嘘嘘。ほら、不貞腐れてないで早く着替えてきなよ。ご飯食べに行こう」
そう言って屈託なく笑う飛龍。
そんな少女の笑顔を見ていると、からかわれた事への怒りもどこかへ消えてしまうから不思議である。
「そうだね、行こうか」
直哉が頷いて、飛龍に続こうとした時だった。
「君が、相沢直哉少尉か」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには草色の第3種軍装を来た士官が歩いて来るのが見えた。
その士官を見た直哉は、どこか違和感のようなものを感じ首をかしげた。
見ない顔である。少なくとも「飛龍」の乗組員ではない。
戦場で場数を踏んだ者のみが発する事ができる、鋭い気配を身にまとっているのが判る。
しかし反面、直哉にはその士官が、どこか戦場慣れしていない様にも見えるのだ。海軍における専門的な隠語を使えば「潮気が足りない」と言った感じである。
経験豊富なようでいて、どこか実戦慣れしていないという、矛盾したアンバランス感を持った人物である。
と、
「直哉、直哉」
傍らの飛龍が、指先でチョンチョンと、直哉の肩を突いてきた。
「な、何、飛龍?」
「あれ」
飛龍が指差したのは、目の前の士官の胸元。
そこにつけられた階級章。それは、目の前の人物が大尉である事を示していた。
「し、失礼しました、大尉ッ」
慌てて踵を揃えて敬礼する直哉。
その横では、飛龍がさもおかしそう笑いを堪えているのを横目でにらんでいると、目の前の士官も直哉に答えるように敬礼を返してきた。
「君の事は山口提督や、飛龍から聞いている。凄腕の戦闘機乗りは、我々にとっても頼りになる存在だからな。期待しているぞ」
そう言うと、士官は飛龍の頭を軽く撫で、その場を立ち去って行った。
その後ろ姿を見届けると、直哉は傍らの飛龍を見やる。
「誰、今の?」
対して、
飛龍はあからさまに呆れ顔で少年を見る。
「直哉さ、自分とこの隊長くらい覚えておこうよ。新任の飛行隊長の
飛龍の話を聞いて、直哉は成程、と頷く。
先程、友永に感じたアンバランスなギャップの正体はそれだったのだ。
実戦経験豊富な人間が教官役として、内地に招聘されるのは珍しい話ではない。友永も、そう言う経緯で、長く内地で教官をしていたのだろう。
つまり、友永にとっては、「飛龍」への配属は久しぶりの実戦参加と言う事になる。
大丈夫かな?
歴戦のパイロットとは言え、長く実戦を離れていた人間が隊長をやる事に対し、直哉は一抹の不安を覚える。
何事も無ければいいのだが。
まあ、あの山口司令が認め、わざわざ自分の旗艦の飛行隊長にするくらいの人物だ。腕は確かなのだろう。
それに、
チラッと、飛龍に目をやる。
何があっても、飛龍だけは絶対に守る。
その想いを、直哉は新たにするのだった。
説明された作戦について、彰人は人目も憚らずに嘆息したい気分にとらわれていた。
ここは戦艦「大和」内部の会議室。
ここでは今、差し迫りつつある次期作戦についての説明、並びに図上演習が行われていた。
「MI作戦」と銘打たれた作戦計画は、中部太平洋にあるミッドウェー環礁を占領し、ハワイ攻略の足掛かりにする、と言う物である。
連合艦隊は、この戦いに稼働可能な全兵力を投入する予定になっている。
戦艦・巡戦は「大和」以下13隻、空母は5航戦と修理中の「祥鳳」を除いて大小8隻。その他、巡洋艦以下の艦艇が続く。
作戦の流れとしては、先鋒として出撃した1航艦が、ミッドウェーを攻撃して同地に駐留する航空戦力を撃滅。その後、迎撃の為に出撃してくるであろう、米機動部隊を捕捉・撃滅する。
敵艦隊を撃退した後、輸送船団を伴った攻略部隊である第2艦隊がミッドウェーに接近し、上陸作戦を行う。その間、第1艦隊は上陸部隊の砲撃支援を行う、と言うのが大まかな流れだ。
しかし、この作戦について、彰人は疑問を覚えずにはいられなかった。
と言うよりもむしろ、「疑問しかない」と言った方が正しいかもしれない。
まず、ミッドウェーは米海軍の本拠地であるハワイの西方にある小さな環礁なのだが、ハワイとの距離があまりにも近すぎる。つまり、米海軍にとっては容易な迎撃が可能と言う事だ。
また、仮に占領に成功したとしても、補給線の維持はどうするのか?
当然、輸送船を使用した補給計画が成される事だろうが、ミッドウェーは絶海の孤島である。根拠地が近い米軍からしてみれば、容易に帝国側の補給線を寸断できる。
更に参加兵力についても、彰人は疑問を持っていた。
1航艦や攻略部隊を伴った第2艦隊が出撃するのは判る。
しかし、果たして「大和」以下の第1艦隊を、出撃させる意味があるのだろうか?
米軍の戦艦部隊は、今だに真珠湾攻撃の後遺症から立ち直っていない。仮に再編成した部隊が出撃して来たとしても、1航艦の艦載機で、十分対応は可能だろう。
しかも第1艦隊は、1航艦の遥か後方を着いて行く形になる為、いざ戦闘になった場合でも、戦闘加入するまでに時間がかかる事になる。
第1艦隊の出撃は、無駄にしか思えなかった。
同時並行して行われる「AL作戦」の意味も、彰人にはいまいち判らない。
これはアリューシャン列島にあるアッツ島とキスカ島を占領し、そちらに米軍の目を引き付け、無防備になったミッドウェーを主力艦隊が襲うと言うのが全体としての形である。
しかしアリューシャンはミッドウェーと距離的に離れすぎている上、戦略的な価値も低い。そんな場所を攻撃したとしても陽動の効果についてはかなり疑問がある。
むしろアリューシャン攻略に向けた部隊もミッドウェー方面に投入し、戦力の増強を図るべきではないか、と彰人は考えている。
更に、主力となる1航艦に、ミッドウェーの無力化と、敵艦隊の攻撃と言う、二つの任務を課している事も彰人は否定的だった。
指示内容をシンプルにまとめる事は、軍事上の基本の1つである。二つ以上の毛色の異なる任務を一つの部隊に課せば、万が一不測の事態が起こった時に、思わぬ損害を被る事も考えられる。
要するに彰人から見れば、何もかもが支離滅裂なのだ、この作戦は。
そして、彰人の懸念は、さっそく顕在化しようとしていた。
どんな作戦であっても、それを実行する前に入念な準備を行うのは当然の事である。
いざ作戦を実行してみれば、準備不足で失敗したとなっては笑うに笑えない。
作戦シュミレーションを行うのも、その一環である。
図上演習と呼ばれるシュミレーション方式は、日露戦争で活躍した
参加者は「青軍(味方)」と「赤軍(敵)」とに分かれて互いに戦場に見立てた盤上で兵を動かし、作戦における問題点を洗い出していくことになる。
参加艦艇に模した艦を海図上で動かし、命中判定はサイコロを振って行う。
聊かたとえは悪いが、海戦ゲームをアナログ式でやっていると言えば近い物がある。
しかし今、
演習参加者の表情は、暗澹たる形に染まっていた。
演習の総監役を務める参謀長の宇垣護や、その後ろで腕を組んでいる山本伊佐雄大将。それに珊瑚海海戦の折に彰人が顔を合わせた黒鳥陽介大佐の姿もある。
その他、主力となる1航艦からは南雲忠志中将や山口多聞少将。
第2艦隊からは、彰人の他に近藤信行中将なども参加している。
艦娘からは第1艦隊旗艦の大和や、1航艦旗艦の赤城、第2艦隊旗艦の愛宕。彰人の傍らには姫神の姿もあった。
彼等は皆、演習の結果を受けて、一様に暗い顔をしていた。
事前に帝国海軍の行動が敵に漏れていたと想定した場合、1航艦はミッドウェー攻撃中に敵機動部隊に横合いから奇襲され、「赤城」沈没、「加賀」「蒼龍」大破。作戦続行不能と言う判定がなされたのだ。
この作戦には重大な欠陥がある。
もし敵の奇襲を受ければ、1航艦と言えども危うい。
そう、誰もが思わざるを得なかった。
「・・・・・・・・・・・・よし」
そんな中、気を取り直すように宇垣が口を開いた。
「敵の攻撃命中は『加賀』のみ。それも爆弾3発命中に変更しよう。米軍の攻撃なら、それくらいが妥当だろうからな」
その言葉に、居並ぶ一同が、そして彰人自身も思わず目を剥いた。
一度沈んだ船を復活させるなど、本来ならあり得ない事である。これでは完全に八百長である。
にも拘らず、沈んだ艦を無理やり元に戻して、演習は続行されている。
しかも、彰人を驚かせたのは、それをやったのが宇垣であると言う事だった。
彰人自身が懇意にしており、第11戦隊の創設にも力を貸してくれた宇垣が、こんな八百長じみた事をしたのが、彰人には信じられなかったのだった。
その後、結局、被弾訂正されたまま図上演習は続行され、ミッドウェー攻略は完了して終了した。
ただし、敵が入念な備えをしていた事もあり、攻略期間が予定より長くなったことで、駆逐艦数隻が海岸に座礁せざるを得なくなってしまったが。
「総監に申し上げる」
演習が終わると同時に、挙手をして発言した人物がいた。
山口多聞である。
第2航空戦隊司令官として、この図上演習に参加した彼は、自身が感じた事をぶつけるべく、行動を起こしたのだ。
「ただ今の図演(図上演習)によって、MI作戦における重大な欠陥が明らかになったはず。もし敵がこちらの動きを察知して待ち構えていた場合、ミッドウェー攻略中の我が機動部隊は、甚大な損害を被る事になる。この事を踏まえ、作戦の練り直し、もしくは延期を検討すべきだと考える」
「空母の損害は、『加賀』1隻だったはずだが?」
心外そうに返す宇垣。
それに対し、山口は殆ど掴み掛らんばかりの勢いで詰め寄る。
「実戦の場において、あのような八百長じみた事が許されるとお思いか!?」
普段は友人同士、気心の知れた会話をする宇垣と山口だが、今は公的な場である為、口調はGF参謀長と2航戦司令の物になっている。
しかし、それを別にしても、山口は烈火とでも呼称できそうな口調で宇垣に言い募る。
まるで、本当に殴り掛かりそうな雰囲気の山口に、その場にいた誰もが思わず息を飲んだほどである。
彰人もまた、押し黙って成り行きを見守っていた。
山口多聞少将とは、これまで作戦会議以外で面識は無かったが、ここまで激情を顕にした姿は初めて見た。
「もし、敵の機動部隊が出撃してきた場合、どのように対処する心算か、連合艦隊司令部としての意見を伺いたい」
尋ねる山口に対し、
宇垣はどこか歯切れが悪い感じで口を開く。
「実戦の場においては、あのような事は無いように対処する」
「具体的にはどのような?」
質問の答えになっていない宇垣の回答に、山口は更なる追及を掛ける。
これは下手をすれば味方の敗北にもつながりかねない重大な問題である。生半可な回答では済まさない。
山口の目は、そのように語っていた。
だが、
宇垣が何か口を開くよりも前に、彼の背後にいた山本伊佐雄長官が口を開いた。
「2航戦司令の懸念は判らないでもない。しかし、図上演習の最大の目的は、あくまで作戦の流れを確認する事にある。そのように、無用に不安をあおるべきではないと考えるが?」
「しかし長官、ここで問題を洗い出す事も重要であると考えます」
流石に、GF長官相手では強気に出る事もできず、山口は控えめな意見を口にするにとどめる。
対して、山本は静かな目で山口を見ると、厳かな口調で言った。
「MI作戦は、私の信念である。この作戦の成否こそが、戦争を終結に導き、平和をもたらすと確信している」
その山本の言葉に、居並ぶ一同が襟元をただす。
だが、そんな中、
彰人は冷ややかな目で山本を見詰めていた。
また、それか・・・・・・・・・・・・
山本は真珠湾攻撃の際にも「私の信念」で無理やり押し通した経緯がある。
そもそも、この手の横車は山本の得意技である。
信念で戦える方は、それは気分が良いだろう。何しろ、自分の好きなように兵力を動かし、戦争ができるのだから。だが、その信念とやらに付き合って戦わされ、まして命を落とす方はたまった物ではない。
いったい、この戦争は誰の、何の為の戦争なのか?
彰人には、判らなくなりつつあった。
2
ビル・ハルゼーは、自他ともに認める猛将であり、この劣勢の中にあって少数の機動部隊を率い、太平洋各地を転戦した猛将である。
つい先月などは、空母に陸上機を搭載して帝国本土に奇襲を仕掛けると言う、前代未聞の痛快な作戦を成功させている。
正に、米海軍の英雄と言っても過言ではない。
その英雄が今、
病院のベッドの上で、不機嫌そうに唸っていた。
その体の、首から下には白い薬品が塗られているのが見える。
帝国本土空襲作戦から晴れて帰還してから数日、ハルゼーは持病だった皮膚病が悪化し、入院を余儀なくされていたのだ。
「いやほんと、大丈夫ですか?」
「大丈夫なように見えるか? 体中かゆくて死にそうだよ」
見舞いに来た若い提督を前に、ハルゼーはそう言って悪態を吐く。
その提督の名はレイナード・スプルーアンス合衆国海軍少将。
ハルゼーが指揮する第12任務部隊で、巡洋艦部隊を率いている。
冷静沈着で、物事を理論的に解釈し、作戦を立てる事を得意としている。ハルゼーにとっては、海軍内部にあって最も信頼できる戦友の1人である。
「まったく、ジャップ共が攻勢を掛けようとしている時に、何でこの俺が病院のベッドで寝てなきゃならんのだ」
「安静にしててください」
今にも起き出そうとするハルゼーを、スプルーアンスは苦笑気味に眺める。
いかに自他ともに認める猛将のハルゼーと言えど、病気には敵わないと言う事だ。しかもハルゼーが患った皮膚病「疥癬」は、他人に感染する。
万が一、出撃前に主力の機動部隊が、司令官を介して蔓延した病気で壊滅したとあっては、笑い話にもならなかった。
やがて、ハルゼーは諦めたように、ベッドに倒れ込んだ。
それを見て、スプルーアンスは口を開いた。
「情報部の暗号解析はだいぶ進んでいるみたいです。敵の攻撃目標についても、間も無く特定できると言っていますよ」
「フンッ 例の『MI』か。またぞろジャップ共が、卑怯な作戦を考えている所なんだろうよ。まったく、そんな時に動けんとは、我ながら情けない限りだ」
力無く愚痴ってから、ハルゼーはスプルーアンスに向き直った。
「レイ、俺の部隊の指揮は、お前が取れ」
「私がですか? いや、しかし・・・・・・・・・・・・」
突然のハルゼーの申し出に、スプルーアンスは戸惑ったように言葉を詰まらせる。
スプルーアンスは巡洋艦部隊の指揮官であり、これまで空母を指揮した経験はない。そんな自分に、機動部隊の指揮が務まるとは思えなかったのだ。
「大丈夫だ」
そんなスプルーアンスに対し、ハルゼーは太鼓判を押すように力強く言う。
「お前はこれまで、常に俺の傍らにいて、俺のやり方を見てきている。経験は無くとも、充分やれるはずだ」
実際のところ、合衆国でも空母を指揮した経験のある提督は少ない。ようするに「こいつなら絶対に大丈夫」と思える人物は、ハルゼーにもいないのだ。
それならいっそ、自身が全幅の信頼を置き、腹心とでも言うべきスプルーアンスに預けた方が得策と、ハルゼーは考えたのだった。
スプルーアンスは徹底的な合理主義者で、戦術よりも戦略を優先する思考を持っている。必ずや期待通りの戦果を上げてくれると信じていた。
言わば、ハルゼーはスプルーアンスの持つ可能性に賭けているのだ。
スプルーアンスならやれる。ハルゼーは、そう確信していた。
その時だった。
病室の扉が開き、少女が2人、入ってくるのが見えた。
「ビル、お見舞いに来たわよ!!」
「失礼しまーす。あら、何だレイ、あなたも来てたんだ」
ツインテール髪を靡かせた小柄な少女と、もう一人は少し背の高い、纏め髪をしている少女だ。
エンタープライズとホーネット。ハルゼー指揮の下、帝都空襲を成し遂げた艦娘姉妹コンビである。
ホーネットの手には花束と、ケーキの箱がある。入院したハルゼーを心配して見舞いに来たのだろう。
「お加減はどうですか、提督? あ、これ、お土産ですから」
そう言って、ホーネットはケーキと花を机の上に置く。
その間にエンタープライズは、ベッドの方に駆け寄る。
「まったくだらしないわね。ジャップに目に物見せてやった英雄が皮膚病で入院なんて」
「うるせえ、お前にこの辛さが判るかよ」
言い募るエンタープライズに対し、ハルゼーは愚痴りながらそっぽを向く。
疥癬の齎すかゆみは、実際に掛かった人間でなければ判らないだろう。
因みに、艦娘であっても病気に掛かる事はある。そして病気に掛かった艦娘が、全力を発揮できなくなるのも人間と同じである。その為、各国の海軍関係者はは彼女達の健康管理にも気を使う必要があるのだった。
花を花瓶に入れるホーネットを横目に見ながら、スプルーアンスは自身の中で気になっている事を尋ねてみた。
「ヨークの容態はどうだい?」
「修理は順調みたいですね。けど、
答えたホーネットは、そう言って少し俯く。
珊瑚海海戦で大損害を被りながらも辛うじて帰還した「ヨークタウン」は、直ちに入居し、突貫工事で修理が行われている。
爆弾1発を飛行甲板にくらい、艦内にも被害が及んだ「ヨークタウン」の修理には、最低でも2か月は掛かる見通しであると言う。
しかし、それを聞いたレスター・ニミッツ太平洋艦隊司令長官は、「3日で直せ」などと言う無茶な命令を下していた。
おかげで今、真珠湾のドッグは不眠不休の大童で「ヨークタウン」修理に追われている。
日本軍の攻勢が近いと思われる現状、空母は1隻でも多い方が良い。
ただ、
帰還して以後、ヨークタウンは一人で塞ぎこみ、エンタープライズやホーネットが声を掛けても黙っている事があった。
「やっぱり、目の前でレンジャーを沈められたのが堪えているみたい」
「そうか、心配だな・・・・・・・・・・・・」
ハルゼーもヨークタウンの事を想い、声を沈ませる。
ヨークタウンには頑張ってもらいたい。特に今は、米海軍には苦しい時期である。主力となる空母には、休む暇すら無い。
しかし艦娘もまた、人と変わらない。どうにか立ち直ってもらいたいと思う心に、偽りは無かった。
3
やはり来たか。
自身の前に立つ彰人の姿を見て、宇垣は嘆息気味に苦笑する。
会議が終わって、いの一番に自分の部屋に突撃してくるならこいつだろうと予想していたが、まさに期待を裏切らない男である。
「何か言いたげだな」
「言いたい事が無ければ、わざわざGF参謀長の部屋に押し掛けたりしません」
彰人は硬い表情を宇垣に向けて告げる。
作戦の事、先ほどの図上演習の事。
彰人としては、言いたい事はそれこそ、山のようにあった。
背後に目をやれば、姫神がソファーに座って、大和が用意してくれたお茶とお菓子を食べているのが見える。
相変わらずの無表情振りだが、その顔は、美味しいお菓子とお茶に満足している感じがする。
そんな姫神を、傍らに座った大和が優しそうに微笑みながら頭を撫でてやっている。
それはさて置き、彰人は宇垣に向き直った。
「実戦で、沈んだはずの船が浮かんで来るなんてありえません。あんな八百長じみた事が許されていいんですか?」
言っている事は、図演の場で山口が言い募った事と同じである。
いったん沈没判定されたはずの艦を復活させ、無理やり作戦成功に持って行った宇垣のやり方には、彰人も反発を覚えている。
ゲームならリセットする事もできる。だが、
「そうまでして、ミッドウェーを攻略する意味があるんですか?」
彰人の疑問は、まさにそこである。
情報畑にいた彰人の頭には、戦前から存在する米軍の拠点情報は、全て網羅されている。
それによればミッドウェーは、イースタン島とサンド島と言う二つの小島からなり、その二島をぐるっと囲む形でできた小さな環礁によって成り立っている。
主だった施設としては、飛行場と補給施設、さらに小規模な港湾施設の他は、多少の防御施設と司令部がある程度である。
占領したとしても艦隊の泊地としては不適切だし、そもそも補給に難がある事に変わりは無い。
どう考えても、連合艦隊が総力を挙げて攻略に掛かるような拠点ではない。
それよりも彰人としては、先に延期になった米豪遮断作戦に戦略をシフトして南方に戦力を集中。オーストラリアの連合軍脱落と、間接的ハワイ攻略を狙った方が実用的なように思えた。
「ミッドウェーを攻撃するなら、いずれハワイを攻略するときのついででも構わないと、僕は思っています」
意見を言い終えて、彰人は宇垣を見る。
今、性急に攻略する必要は無い。それが、ミッドウェーに対する彰人の評価だった。
「お前も知っての通り、先に帝都が空襲された件。あれがきっかけだった」
ややあって、宇垣は重い口を開くように話し始めた。
「あれによって海軍上層部、特に永野総長をはじめとする軍令部の面々は、米軍の本土接近を防ぐ為の警戒ラインを構築する事に躍起になり始めたんだ」
本土東側にある要地を占領して、米艦隊接近を防ぐ。と言うのが軍令部の考えであるらしい。どうやら、海軍省の方でも、その考えに賛同する動きがあるのだとか。
「もっとも山本長官は、ミッドウェーその物よりも、敵空母撃滅を主目的にしておられるのだがな」
「つまり、警戒ラインを構築したい軍令部と、空母を仕留めたい山本長官の思惑が一致して、今回の作戦に繋がった訳ですね」
とは言え、それでもこの作戦がいろいろと問題があるのは間違いない。
まず、軍令部の懸念だが、これは殆ど杞憂と言って良いだろう。
断言しても良いが、米軍がもう一度、帝国本土を突く事は不可能である。あれはあれ一度きりの作戦だから成功したような物である。既に帝国も警戒網を強化してあるし、何より米軍が、あんな投機性の高い無謀な策を何度もして来るとは思えなかった。
そして山本の考えについて、彰人は多少の理解を示す事ができる。
確かに、敵空母を捕捉・撃滅するのは急務である。空母と航空機の機動力は無視できない。放置したら思わぬ奇襲を受ける可能性があった。
しかし、それなら尚の事、1航艦にミッドウェー攻撃と敵艦隊撃滅と言う二つの任務を課すのではなく、それぞれ別個に任務を帯びた部隊を用意すべきなのだ。
「それと、もう一つ、気になる情報があります」
「何だ?」
顔を上げる宇垣に対し、彰人は険しい表情のまま言った。
「こちらの情報が、敵に漏れている可能性があります」
「何だと・・・・・・・・・・・・」
これには、流石の宇垣も表情を険しくした。
情報漏洩。
事実だとすれば、由々しき事態である。
「証拠はあるのか?」
「確証はまだ。ただ、状況証拠はあります」
彰人が収集した情報には、信じがたい事実がいくつも浮かび上がってきた。
ある士官は、行きつけの料亭で女将から「今度はミッドウェーですってね」などと言われた。
ある重巡の艦長は、たまたま帰宅した際に妻から「ミッドウェーと言うのは遠いのですか?」と聞かれた。
またある下士官は飲み屋の親父から「海軍さんがミッドウェーに行くなら、うちもそっちに出張しましょうか」などと冗談交じりに言われたらしい。
疑う余地は無い。海軍の作戦が、民間レベルにまで漏洩してしまっているのだ。
「真珠湾の時は、慎重の上に慎重を重ねた防諜体制が敷かれ、事前に作戦内容が伝えられたのは、作戦に参加する1航艦司令部と、各戦隊の司令官、参謀、それに各旗艦の艦娘まででした。その他の士官や兵士達には、出撃してからようやく攻撃目標が伝えられたほどです。しかし、今回は既に、この体たらくです」
緩んでいる。何もかもが。
そう判断せざるを得ない。
もしスパイが国内に紛れ込んでいたら(いないと考える程、彰人も宇垣もお人よしではない)、確実に米海軍に通報されているだろう。
「しかし、作戦は既に動き始めている。今更中止にはできんぞ」
「判っています。だから、これから僕が言う事を必ず行ってください」
まず第1に、索敵の強化。敵がどこから来ても、すぐに発見し、即応できるようにしておく。
第2に、得た情報の共有化。特に「大和」は最新鋭戦艦だけあって、高い通信能力を誇っている。他の艦では傍受しきれない通信であっても「大和」なら傍受できる。その能力を駆使して、必要な情報を各部隊に通達するようにするのだ。
「判った。必ず実行する事を約束する」
「お願いします」
頷きを返す宇垣に、彰人は頭を下げるのだった。
「俺は、参謀向きではないのかもしれんな」
彰人が姫神を伴って出て行き、大和が後片付けを始めると、宇垣はそんな風に呟いた。
「参謀長?」
キョトンとする大和に、宇垣はため息交じりに続ける。
「GFの参謀長などと言っても、俺はここではただぼんやりとしているだけだ。作戦は山本長官と黒鳥が二人で立てているだけに過ぎない」
宇垣は参謀長に就任して以来、その職責を果たした事は殆ど無い。と言うのも、山本は宇垣を経由せず、配下の参謀たちに直接命令を下す事が多いのだ。
陰では宇垣の事を「お飾りの参謀長」などと揶揄する物までいる始末である。
山本は宇垣を毛嫌いして遠ざける一方、黒鳥を寵愛して重く用いている。
確かに黒鳥の発想力に独創的な物がある事は、宇垣も認めている。それ故に、山本が彼を徴用したがる気持ちもわからないでもないのだが。
しかし宇垣としては、自身の中にある寂寥感を感じずにはいられないのだった。
「水上中佐に言えば良かったじゃないですか。参謀長だって、本心では今度の作戦には反対だって事を」
「・・・・・・・・・・・・言い訳をするのは性に合わん」
大和の言葉に対し、宇垣は憮然として答える。
その脳裏には、先ほどの図上演習での事が思い出されていた。
彰人や山口に言われるまでも無く、今回の作戦が支離滅裂である事は宇垣も気付いている。
だが宇垣は、それに反対できる立場ではなかった。
真珠湾攻撃に成功し、南方作戦が順調に進捗した事で、今や連合艦隊司令部の権力は飛ぶ鳥を落とす勢いである。
今や軍令部のコントロールも受け付けなくなり、自分達だけで戦争をしているように錯覚している物までいる。
それは、山本や黒鳥であっても例外ではない。否、この2人こそが増長の源泉であるようにすら思える。
だが、宇垣はGFの参謀長であり、山本の作戦構想実現にまい進する立場でもある。その宇垣が反対意見を述べようものなら、連合艦隊司令部が混乱に陥る事は目に見えていた。
だから敢えて、宇垣は図上演習における強引な采配に出たのだ。
山本と黒鳥の構想を実現させる為に。
「それに・・・・・・」
宇垣は大和を見やる。
「何はともあれ、ようやく、お前に初陣の場を作ってやれるからな」
「あ・・・・・・・・・・・・」
その言葉に、大和はほんのり顔を赤くする。宇垣が強引な手段を取った理由が、自分の為でもあった事に思い至ったのだ。
宇垣は以前から、大和も実戦参加させたいと思っていたが、竣工以来、なかなかその機会が訪れる事は無かった。
だが、連合艦隊が総力を挙げて出撃する場である。最強戦艦の初陣として、これ程の舞台は他に無いだろう。
「期待しているぞ、大和」
「ありがとうございます参謀長。私、頑張ります」
そう言うと大和は嬉しそうに笑った。
全てが、良くない方向に流れて行こうとしている。
「大和」を辞した彰人は、夜道を歩きながら、そんな事を考えていた。
古来より、敵を軽んじた軍隊が、最終的な勝利を収めた例は無い。
慢心は全軍に蔓延し、緊張感を無くした軍隊は、やがて敗北への道を転がり落ちる事になる。
帝国海軍全体が、その坂道を転がり落ちているのではないか?
彰人には、そのように思えるのだった。
と、
袖がクイクイっと引かれて振り返ると、姫神が不思議そうな眼差しで彰人を見上げて来ていた。
「姫神?」
「また、難しく考えすぎてませんか?」
低い声で囁かれる姫神の言葉に、彰人は一瞬、ドキリとする。
この子は、普段は茫洋としているのに、時々、驚くほどに鋭くなる時がある。そう言う時、彰人は、この少女にいつも驚かされるのだった。
「・・・・・・そうだね」
微笑みながら、彰人は姫神の頭を撫でてやる。
あまり深く考える必要は無い。自分はこの少女と共に戦い、目の前の敵を撃ち倒す。
ただそれだけ。何も難しい事は無い。
振り仰ぐ先に、煌めく星々。
決戦の時は、刻一刻と迫ろうとしていた。
第15話「進路暗中」 終わり