蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第113話「愛しき海に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砲戦開始から約1時間が経過している。

 

 この間に、状況は帝国海軍にとって一層不利に傾こうとしていた。

 

 旗艦「姫神」は既に多数の46センチ砲弾をその身に受け、艦全体が炎に包まれようとしていた。

 

 上部甲板には大穴が開けられ、そこから炎と煙が噴き出している。

 

 後部に喰らった砲弾が、後部艦橋と副砲2基を完全に破壊していた。

 

 炎を背負いながらも、しかし「姫神」は砲撃をやめようとしない。

 

 前部甲板に集中配備された6門の40センチ砲は10秒おきに砲撃を続け、奇跡的に健在な機関は、最大戦速の35ノットを維持し続けていた。

 

「敵艦発砲ッ!!」

「衝撃に備えろ!!」

 

 見張り員からの報告を受け、声の限りに叫ぶ彰人。

 

 本射に入って以来、「メイン」の砲撃は、次々と「姫神」に命中するようになってきている。

 

 姫神型巡洋戦艦は元々防御力を重視した艦であり、40センチ砲弾までなら直撃に耐えられる造りとなっている。

 

 しかし、相手が46センチ砲装備の巨大戦艦とあっては、自慢の防御力も意味を成さない。

 

 中枢こそ未だに保っているものの、既に最重要防御区画(ヴァイタル・パート)の装甲も打ち破られている。

 

 このままでは「姫神」が戦闘力を失うのも時間の問題だった。

 

「耐えろッ!!」

 

 彰人が叫ぶ。

 

「もうすぐ、状況は逆転するはずだッ そうすれば勝機はあるッ!! だからみんな、耐えてくれ!!」

 

 その時、強烈な衝撃が再び「姫神」を襲う。

 

 「メイン」の放った砲弾が、再び「姫神」に命中したのだ。

 

 命中弾は2発。散々に破壊された装甲が、更に細切れに粉砕される。

 

「被害はッ!?」

 

 叩き付けるように尋ねる彰人に、被害報告が寄せられる。

 

 中甲板まで敵弾が貫通。艦内各区画損傷。

 

 ただし、機関と主砲は未だ健在。戦闘・航行に支障無し。

 

「・・・・・・・・・・・・首の皮、一枚で繋がっている感じだね」

 

 彰人は苦しげに呻き声を漏らす。

 

 見れば、傍らの姫神も苦しげにしている。

 

 身体のあちこちは傷つき、息も荒く、呼吸の調子もおかしい。

 

 しかし、目だけは、

 

 可憐な双眸だけは、彼方で砲撃を行う「メイン」を見据えてい放さない。

 

 少女の瞳は、自身が倒すべき敵を真っ向から睨んでいた。

 

 前方に、目を向け直す彰人。

 

 今この場で、最も苦しいのは間違いなく姫神本人だ。

 

 ならば、自分達が先に音を上げる事は許されなかった。

 

 その時だった。

 

「敵、アラスカ級、隊列を離脱ッ 速度を上げて遠ざかりつつあります!!」

 

 その奇妙な報告に、彰人は思わず双眼鏡を取って目に当てた。

 

 すると確かに、

 

 それまで「姫神」に向かって砲撃を続けていたアラスカ級大型巡洋艦が、面舵に転舵して急速に戦場を離脱しつつあった。

 

 その様子に、彰人の直感が鋭く反応した。

 

「姫神、あれがッ」

「私もそう思います」

 

 彰人の言葉に、姫神も頷きを返す。

 

 もし、あのアラスカ級大型巡洋艦が普通の戦闘艦であるなら、この場で離脱するのはおかしい。そのまま火力を集中して「姫神」を叩いた方が断然有利だからだ。

 

 しかし今、視界の中のアラスカ級は、明らかに進路を変更。それどころか、速度を上げて離脱しつつある。

 

 これであのアラスカ級が、何らかの損傷を負っているなら話は分かる。しかし「姫神」の砲撃は、もっぱら「メイン」に集中されている。アラスカ級は損傷を負っていないはずだった。

 

 このタイミングで、損傷を負っていない艦が離脱するのは、明らかにおかしい。

 

 つまり、あのアラスカ級は何か、急いで離脱しなくてはならない理由がある。

 

 もっと言えば、急いで離脱させたいほど重要な物を積んでいる。と、考える事ができる。

 

「あれが原爆搭載艦か!!」

 

 確証は無い。

 

 だが、高確率であれが最重要攻撃目標だと確信していた。

 

「あの艦を逃がすなッ 絶対に沈めろ!!」

 

 命令を飛ばす彰人。

 

 だが、

 

 そこへ再び「メイン」の砲撃が「姫神」を捉え、甲板上の爆炎は更に拡大する。

 

「格下の癖に、こちらを無視する事は許さない。良いからこっちを向け」

 

 まるで、そう言っているかのようだった。

 

 炎を噴き上げる「姫神」。

 

 こちらも果敢に反撃を行い、その攻撃が「メイン」の丈夫甲板を捉えるも、やはり効果は薄い。

 

 「メイン」自体もダメージを負っているが、それは未だに「軽微」と言って差し支えなかった。

 

 せいぜい上部構造物をある程度薙ぎ払い、甲板に炎を噴き上げさせた程度である。

 

 状況は明らかに、最悪の方向へと転がり落ちようとしていた。

 

「クソッ」

 

 舌打ちする彰人。

 

 あのアラスカ級は、何としてもここで沈めなくてはならない。

 

 だと言うのに、こっちはあの艦に手を出す事も出来ない。

 

 絶望が、彰人の心を支配する。

 

 目的を果たす事もできず、

 

 愛する人を守る事も出来ない。

 

 自分はこんなにも無力だったのか。

 

 何もなす事もできず、ただ無為に海の底に沈んで行く事しかできないのか。

 

 悔しさに、拳を握りしめる彰人。

 

 次の瞬間、

 

「4戦隊旗艦『鳥海』より入電!!」

 

 駆け込んで来た通信参謀が叫ぶ。

 

 この状況で尚、「姫神」の通信能力が生きていたのは奇跡に近い。

 

 だが、それが彰人に、最後の勝機を齎した。

 

「本文、《我、敵駆逐艦部隊の撃退に成功。これより貴艦の支援に入る。今しばらく健闘あれ》。以上!!」

 

 その言葉に、「姫神」の艦橋内は、戦闘中であるにもかかわらず湧きかえる。彰人が実行した作戦が、ここにきて効力を発揮し始めたのだ。

 

 彰人はこの状況を作り出す為に、あえて強大な敵戦艦を無視し、「姫神」で敵巡洋艦を潰す一方、「鳥海」以下、残る全戦力を敵の駆逐艦にぶつけたのだ。

 

 この時、第4戦隊と第2水雷戦隊は、駆逐艦「朝霜」「磯風」撃沈と引き換えに、敵の駆逐艦8隻を撃沈、2隻を撃破している。

 

 その戦力で「姫神」を支援しようと言うのだ。

 

 味方の支援が来る。

 

 これで勝てる。

 

 誰もがそう思った。

 

 だが、

 

 彰人は眼差しの奥で、自分でもぞっとするほどに冷たい計算をしていた。

 

 「鳥海」以下の援護があれば、「姫神」は助かるだろう。

 

 だが・・・・・・・・・・・・

 

 苦悩が、表情に浮かぶ。

 

 その彰人の表情に気付いたのは、艦橋の中でただ1人、姫神だけだった。

 

「彰人・・・・・・・・・・・・」

 

 提督だから、

 

 恋人だから、

 

 彰人が何を考えているか、姫神には手に取るようにわかった。

 

 ここだ。

 

 こここそが、運命の分岐点だ。

 

 彰人の視線の先、

 

 そこでは、愛する少女が微笑を浮かべている。

 

 私は大丈夫。だから、迷わないでください、彰人。

 

 姫神は無言の内に、そう語っている。

 

 その微笑を見て、

 

 彰人は最後の決断を下した。

 

 

 

 

 

 大型巡洋艦「パナマ」は、命令を受けて艦隊を離脱。単独で速度を上げ、急速に戦場から遠ざかりつつあった。

 

 本来なら旗艦「メイン」を支援し、小癪なジャップの艦隊を撃滅する手伝いをしたいところである。

 

 しかし、それは彼女が抱えている任務上、難しい事だった。

 

 彼女の艦内の、最も深い場所にある格納庫には今、原子爆弾が積まれている。

 

 もっとも、積んでいるのは爆弾その物では無く、材料と部品に解体した物なのだが。

 

 合衆国軍にとって、戦争を終わらせる為の最後の切り札である原子爆弾を輸送すると言う栄えある任務を帯びた「パナマ」は、それが故に、戦闘から遠ざけられたのである。

 

 もっとも、これも致し方が無い事だろう。万が一にも、原子爆弾が無為に失われるような事にでもなれば元も子もない。

 

 ここは離脱を命じたオルデンドルフの英断だったと言える。

 

 しかし、

 

「あ~あ、退屈」

 

 手すりに座った少女は、短パンから出たむき出しの素足をプラプラと振りながら、嘆息気味に呟いた。

 

 短く切った俊敏そうな印象のある少女は、大型巡洋艦「パナマ」の艦娘である。

 

 元々はアラスカ級大型巡洋艦の7番艦として建造されていた彼女だが、大改装を受けた帝国海軍の姫神型巡洋戦艦に対抗する為、主砲をワンランク上の36センチ砲連装3基6門に換装して完成していた。

 

 それらの改装のおかげで竣工が遅れ、レイテ沖海戦や第3次マリアナ沖海戦に参加できなかった経緯がある。

 

「まったく、何で、あたし1人逃げなくちゃいけないのよ。あたしもあっち行って、砲戦したいのに」

「仕方ないだろう。我々は重要な物を抱えているのだから」

 

 ぼやくパナマを、艦長はそう言って宥める。

 

 アラスカ級の末っ子は、今まで主要な海戦に参加し損ねた経験故か、退屈を持て余す傾向が強いようだった。

 

「まったくもう、あんな余計な物積むから、こんな事になるのよ」

 

 言いながら、パナマは自分の格納庫の中にある物を思い浮かべて嘆息する。

 

 原爆が重要な兵器である事は、パナマ自身も充分に理解しているが、しかしそのせいでせっかくの海戦参加の機会を逃す羽目になってしまった。

 

 帝国海軍には最早、碌な艦艇は残っていないと言う。それでなくても、原爆投下作戦を継続すれば早晩、連中は降伏するだろう。

 

 つまり、これが海戦に参加する最後の機会だったと言うのに。

 

 パナマとしては、つまらない事この上なかった。

 

 その時だった。

 

「右舷後方より敵艦隊接近ッ 巡洋艦4ッ 駆逐艦6ッ!! 速度30ノット以上!!」

 

 見張り員の報告に、艦長とパナマはとっさに振り返る。

 

 見れば確かに、日章旗を掲げた艦隊が、「パナマ」を追撃してくるのが見える。

 

 合衆国軍の駆逐隊を撃破した第4戦隊と、第2水雷戦隊が、「パナマ」の離脱を阻止すべく追い付いてきたのだ。

 

 今、こうしている間にも、「姫神」は「メイン」相手に苦しい戦闘を続けている。

 

 第4戦隊と第2水雷戦隊の戦力を持ってすれば、その苦境を脱する事は容易かっただろう。

 

 だが、彰人はあえて、それをしなかった。

 

 自分達の使命はあくまで、合衆国軍による再度の原爆投下を阻止する事にある。ここで自分達だけが助かっても、原爆がマリアナに輸送されてしまっては何の意味も無かった。

 

 だからこそ、原爆輸送艦と目した「パナマ」を撃沈すべく、残る全戦力を差し向けて来たのだ。

 

「来た来た来た来た来たァ!!」

 

 歓喜の声で叫ぶパナマ。

 

 戦線離脱を命じられてから鬱屈していた感情が、一気に爆発したようなはしゃぎっぷりである。

 

 その姿に、艦長は嘆息する。

 

 正直、自分達の任務を考えれば極力、交戦は避けたいところである。

 

 しかし、速力は敵の巡洋艦や駆逐艦の方が速い。逃げても追いつかれる事は間違いない。

 

 何より、帝国海軍の巡洋艦や駆逐艦が使用する「青白い殺人鬼(ブルー・マーダー)」こと酸素魚雷は強力な破壊力を有し、数本喰らえば、「パナマ」と言えども撃沈は免れないだろう。

 

 ここはこちらの砲撃で牽制しつつ、隙を見て離脱を図るよりほかに無かった。

 

「取り舵一杯ッ 左砲戦用意!!」

 

 艦長の命令に従い、左に旋回しつつ主砲を帝国艦隊に向ける「パナマ」。

 

 ややあって、6門の36センチ砲を一斉発射する「パナマ」。

 

 帝国艦隊の周囲に、巨大な水柱が立ち上るのが見えた。

 

「これよこれッ こうでなくっちゃね」

 

 その様を見て、パナマは喜色を浮かべる。

 

 自分の砲撃が、敵艦隊を攻撃している事実に興奮している様子である。

 

 更に砲撃を続ける「パナマ」。

 

 帝国艦隊の先頭を進む「鳥海」のが、水柱に囲まれて一瞬、姿が見えなくなる。

 

「撃沈した!?」

 

 機体の笑みと共に身を乗り出す「鳥海」。

 

 しかしその数秒後、「鳥海」が健在な姿を現し落胆する。

 

「生意気ィ!!」

 

 その姿に苛立つように砲撃を続行するパナマ。

 

 帝国艦隊からの反撃は未だに無い。まだ、射程内に入っていない為、砲撃できないのだ。

 

「悲しいわね、ジャップ!!」

 

 砲撃を放ちながら、パナマは嘲るように叫ぶ。

 

「その程度の艦しか残っていないなんてさ!!」

 

 言った瞬間、

 

 「鳥海」の前部甲板に爆炎が躍るのが見えた。

 

 「パナマ」の放った36センチ砲弾が、第4戦隊旗艦「鳥海」の前部甲板を直撃したのだ。

 

 角度が浅かったおかげで第2砲塔が吹き飛ばされただけで済んだが、しかし「鳥海」が火力の20パーセントを奪われたのは事実である。

 

「よっしゃ、このまま押し切るわよ!!」

 

 パナマが喝采を上げて、更に砲撃を続行しようとした。

 

 その時だった。

 

「右舷後方より、接近反応ッ 敵駆逐艦です!!」

 

 見張り員の絶叫が、悲鳴のように響き渡った。

 

 

 

 

 

「今ごろ気付いたの? おっそーい!!」

 

 最高速度の40ノットで海面を疾走しながら、島風は会心の笑みを浮かべていた。

 

 第4戦隊が「パナマ」の砲撃を引き付けている内に、単独行動を命じられた彼女は、砲の向いていない右舷側に回り込んだのだ。

 

 既に合計15射線の魚雷発射管は旋回を終えている。

 

 世界最強の駆逐艦は、攻撃態勢を完全に整えていたのだ。

 

 あの艦だけは、

 

 「パナマ」だけは絶対に逃がす訳にはいかない。

 

 その想いは、この海域にいる全ての帝国軍人、将兵から艦娘に至るまで全員が共通する思いである。

 

 「島風」の接近を察知した「パナマ」は、両用砲で迎撃を試みてくる。

 

 放たれる弾丸が、「島風」の周囲に落着し、小さな水柱を噴き上げる。

 

 しかし、当たらない。

 

 40ノットで疾駆する駆逐艦を捉えるには、パナマと、彼女の乗組員たちの技量は圧倒的に足りていなかった。

 

 その間に「島風」は、一気に5000メートル以内に距離を詰める。

 

 世界最高の威力を誇る酸素魚雷にとっては、完全に必中距離である。

 

「いッけェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 一斉に放たれる、15射線の酸素魚雷。

 

 ほぼ同時に、反対側に陣取る「鳥海」以下の艦隊は「パナマ」から距離を取り、万が一にも外れた魚雷に巻き込まれないようにする。

 

 次の瞬間、「島風」を衝撃が襲った。

 

「あぐッ!?」

 

 痛みに顔をしかめるウサギ少女。

 

 この時、「パナマ」が放った両用砲弾の1発が、彼女の2番魚雷発射管を直撃、これを根こそぎ吹き飛ばしたのだ。

 

 しかし既に魚雷発射は終わっており、島風型駆逐艦は予備魚雷も搭載していない為、誘爆が起こる心配も無い。

 

 傷つきながらも、速度を落とさず退避を始める「島風」。

 

 一方の「パナマ」も、どうにか逃れようと回頭を始めているのが見える。

 

 遅ればせながら、自分達が危機的状況にある事に思い至ったのだ。

 

 しかし、もう遅い。

 

 次の瞬間、大型巡洋艦の舷側に巨大な水柱が4本、高々と突き上げられた。

 

 

 

 

 

 敵アラスカ級に魚雷命中。撃沈確実。

 

 その報告は、死闘を続ける「姫神」にも直ちに届けられた。

 

 敵の主力。それも、恐らく原爆輸送艦と思われる艦を撃沈できたことは大きい。

 

 これで、少なくとも再度の原爆投下は阻止されたと見て良いだろう。

 

 勿論、他に原爆搭載艦がいないと言う保証は無いのだが、彰人としては、本命は間違いなく、沈んだ「パナマ」で間違いないと思っていた。

 

「これで終ってくれるとうれしいんだけど・・・・・・・・・・・」

 

 彰人は彼方の「メイン」に目をやりながら呟く。

 

 ここまでで既に、「姫神」は20発近い46センチ砲弾を喰らっている。

 

 ヴァイタルパートはずたずたに引き裂かれ、左舷側の高角砲、機銃、噴進砲は全滅、副砲と後部艦橋も失っている。

 

 艦全体が炎に包まれ、今すぐにでも轟沈してもおかしくは無い状況である。

 

 特に痛いのが舷側に喰らった一発である。これにより「姫神」の船体は大きく抉られ、一部では浸水も発生していた。隔壁を閉じて浸水を食い止めてはいるが、それも時間稼ぎでしかないのは明白である。

 

 しかしそれでも尚、「姫神」は沈まなかった。否、走り続けていた。

 

 まるで、そうする事が己の存在意義であるかのように。

 

 彰人はチラッと、傍らの姫神に目をやる。

 

 それも全て、この愛しい少女が限界を超えて頑張ってくれているからに他ならなかった。

 

 その時、「メイン」が再び主砲を放つのが見えた。

 

 どうやら、見逃してくれるつもりは無いらしい。それどころか、「パナマ」を撃沈された事で、却って怒り心頭になっている感さえあった。

 

 その様を、彰人は帽子の廂から真っ直ぐに睨み据える。

 

 今から離脱する事はできない。既に「姫神」と「メイン」の距離は相当縮まってしまっている。今から離脱しようとすれば、背後から一方的に攻撃を受けて沈められる事は間違いない。

 

 ならば、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 彰人は姫神の頭に手を乗せ、優しく撫でてやる。

 

「彰人・・・・・・・・・・・・」

 

 嬉しそうに、顔を上げる姫神。

 

 対して、彰人も巡戦少女に笑い掛ける。

 

「奴を、沈めるよ。姫神」

「はい」

 

 頷きを返す姫神。

 

 同時に、彰人は眦を上げた。

 

「機関全速、取り舵一杯!! 本艦はこれより、敵モンタナ級戦艦に対し、接近砲戦を試みる!!」

 

 

 

 

 

 一方、「メイン」の艦橋において、オルデンドルフは苦虫を百匹くらい同時に噛み潰したような顔をしていた。

 

 既に「パナマ」沈没の報告は、彼の元へも届けられている。

 

 大型巡洋艦1隻の撃沈。

 

 そして合衆国軍の切り札である原爆の喪失。

 

 この損害は、無視し得ない物である。

 

 無限とも言える物量を誇る合衆国と言えども、長引いた戦争と、相次ぐ敗北によって経済は既に火の車と化している。

 

 原爆は1発作るだけでも莫大な予算が掛かる為、おいそれと簡単には調達できないのだ。

 

 その数発分の原爆材料が、無為に海底へ沈んでしまった事になる。

 

「クソッ」

 

 任務失敗を悟り、拳を叩き付けるオルデンドルフ。

 

 しかし、もはやどうする事も出来ない。海底から「パナマ」を引き上げ、原爆を回収する事は不可能だった。

 

「せめて・・・・・・・・・・・・」

 

 絞り出すように呟きながら、オルデンドルフは視界の彼方で燃え盛る「姫神」を睨み据える。

 

 せめて、あの恨み連なる巡洋戦艦だけは沈めなければ気が済まなかった。

 

「砲撃続行ッ 何としても奴を沈めろ!!」

 

 オルデンドルフの命令を受け、砲撃を行う「メイン」。

 

 その時だった。

 

「敵戦艦回頭ッ 本艦と距離を詰める模様です!!」

 

 見れば確かに、「姫神」が炎を背負いながら、艦首をこちらに向けようとしているのが見える。

 

その姿を見て、オルデンドルフはニヤリと笑みを見せた。

 

「どうやら、連中はしびれを切らしたようだな」

 

 ジャップの指揮官は、自分達の主砲では「メイン」を撃沈できない事を悟り、距離を詰めて威力の水増しを図るつもりなのだ。

 

 その考えは判らなくもない。格下の艦で強大な敵を倒すには、接近して舷側装甲をぶち抜くか、距離を置いて甲板破壊を狙うか、2つに一つ。敵の指揮官が前者を選んだとしても不思議は無かった。

 

 だが、接近砲戦は諸刃の剣である。

 

 距離が詰まれば「姫神」の砲撃力も挙がるが、当然ながら「メイン」の砲撃力も上がるあらである。

 

「良いだろうッ とどめを刺してやる」

 

 「メイン」は、突撃してくる「姫神」に対して舷側を向けている。つまり、T字隊形の状態となっている為、全主砲を放つ事ができるのだ。

 

 状況は「メイン」にとって、圧倒的に有利。万に一つも、負ける要素など、ありはしなかった。

 

 放たれる8門の46センチ砲。

 

 しかし、

 

 放たれた8発の砲弾全てが、「姫神」の周囲に落下し、水柱を噴き上げるにとどまった。

 

 目を見開くオルデンドルフ。

 

 そこへ、「姫神」からの連続斉射が襲い掛かってくる。

 

 次々と命中する、1・3トンの砲弾。

 

 距離が詰まった事で威力の増した砲撃が、「メイン」の艦体を破壊していく。

 

 その威力たるや、今までの比ではない。

 

 「姫神」の放った砲撃は、次々と「メイン」の装甲を貫通して内部で炸裂、火炎地獄を噴き上げていく。

 

 更に、第1砲塔の直下に命中した砲弾が、装甲を食い破って内部で炸裂。幸いにして弾薬庫の誘爆は起こらなかったものの、第1砲塔はターレットリングが破壊されて旋回不能に陥ってしまった。

 

「馬鹿なッ!!」

 

 吐き捨てるように言い放つオルデンドルフ。

 

 状況は一転、彼等にとって不利に傾きつつあった。

 

 反撃とばかりに、砲火を放つ「メイン」。

 

 しかし、またも当たらない。

 

 「姫神」は尚も、全速力で突撃してきていた。

 

 

 

 

 

 基本は、今までやってきた接近戦と同じである。

 

 「姫神」は全ての主砲を前部甲板に集中配備している為、突撃しながら全火力を集中できる。

 

 これには更に、もう一つ大きなメリットがあり、突撃を行うと言う事は当然、艦首を向ける事になる訳だが、この時、敵に対する投影面積を小さくする事にもつながる。平たく言えば「敵から見える的が小さくなる」のだ。当然、敵砲の命中率も低下する。

 

 対して、敵艦は舷側をこちらに向けている為、投影面積が大きく(つまり「的」が大きい)、主砲も当てやすい。

 

 いわば彰人は、「丁字戦法」のメリットを逆に利用した形だった。

 

 通常の丁字戦法で、丁の字の横線、つまり舷側を向けている側の艦の方が有利になるが、この状況では逆になり、縦線側(艦首を向けている)の艦の方が、有利になる訳である。

 

 「姫神」の放つ砲撃が、「メイン」の舷側装甲を次々と突き破り、艦内を食い破って行く。

 

 突撃時間は、わずか数分。

 

 その数分の内に、実に20発以上の砲弾が「メイン」に命中、その艦内を炎で飲み込んで行った。

 

 やがて、

 

 放たれた1発が、「メイン」の舷側を真っ直ぐに貫通。そのまま威力を失う事無く、艦中枢に達する。

 

 炸裂する砲弾。

 

 2式徹甲弾が内蔵した焼夷弾子が一気に弾け、「メイン」の艦内部に深刻な火災を引き起こす。

 

 ボイラーが吹き飛び、タービンが始める。

 

 炎は一気に艦内を蔓延し、まるで「メイン」全体が火炎地獄に落とされたかのようだ。

 

 艦橋もまた衝撃で吹き飛び、そこにいたオルデンドルフ達をも吹き飛ばす。

 

 動力が停止し、海上に停止する「メイン」。

 

 撃沈確実のダメージを「メイン」に与える事に成功した「姫神」。

 

 しかし、喝采を上げる暇は無かった。

 

 「メイン」にトドメの一撃を放った直後、彼女が最後にはなった砲弾が「姫神」へ殺到する。

 

 命中弾は1発。

 

 しかし、

 

 その1発は第1砲塔直前の甲板を貫通して艦内に突入、そのまま弾薬庫まで突進して炸裂する。

 

 次の瞬間、

 

 弾薬庫に残された砲弾と装薬が一斉に誘爆。「姫神」の艦体は、第1砲塔直下から無惨にも引き裂かれ、断ち折られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いが終わり、海に静寂が戻る。

 

 海面では、第2艦隊に所属する駆逐艦と巡洋艦が走り回り、艦が沈没して海面に投げ出された将兵達の救助作業に当たっていた。

 

 これも、勝者の特権であり務めでもある。

 

 敗者には何も救う事はできない。ただ、己の身一つを持って逃げる事のみである。

 

 故に、生き残った者を助けるのは、勝者の義務となる。

 

 この場での勝者は、間違いなく帝国海軍だった。

 

 救助の際、司令官である彰人の命令は一兵卒に至るまで徹底された。

 

 即ち、溺者救助に当たっては敵味方の区別を付けず、海面に投げ出された全ての人間を助けるように、と。

 

 その命令は実行され、第2艦隊の各艦は海面に人影を見つけると、敵味方の区別を問わず、救助するように当たっていた。

 

 そんな中、

 

 彰人は司令官として、最後の命令を発しようとしていた。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・ええ、指揮は4戦隊の司令官に。可能な限りの溺者救助を行った後、本土へ帰還してください。まだ、ここは敵地です。警戒は充分怠らないように」

 

 傾斜する環境の床に座り込み、彰人は目の前に立つ幕僚達に指示を飛ばしていた。

 

 その膝の上には、巡戦少女が目を閉じて苦しそうな息をしている。

 

 既に戦いを終えた少女は、愛する人の膝の上で、ゆっくりと迫る運命を待っていた。

 

 彰人はふと、気になった事を聞いてみた。

 

「敵戦艦は、どうなりました?」

 

 尋ねる彰人に対し、幕僚の1人が艦橋の外を見て言った。

 

 視界の彼方では「メイン」が激しく炎上しているのが見える。既に右舷に大きく傾斜し、半ば鎮火している状態である。

 

「燃えています。恐らく、沈没は免れないかと」

「そうですか・・・・・・・・・・・・」

 

 姫神を膝に抱いたまま、彰人はフッと笑う。

 

 どうやら、自分達は賭けに勝ったらしい。

 

 これだけの損害を受け、原爆をも失った合衆国が戦争継続を選択する可能性は薄いだろう。

 

 大陸では未だにソ連軍の猛威が続いている。もう、合衆国が帝国に構っている時間は無い筈。

 

 この戦い、事実上、帝国の勝ちと言って良かった。

 

「それから・・・・・・・・・・・・」

 

 彰人は一瞬ためらってから付け加えた。

 

「僕の名前で、艦内全てに『総員上甲板』を発令してください」

 

 彰人の言葉に、居並ぶ幕僚達は一様に息を飲んだ。

 

 総員上甲板。それは船舶用語の1つであり、意味は字の如く「全乗組員は上甲板に上がれ」を意味している。

 

 そして、

 

 真の意味は、それに続く言葉に全てが集約されていた。

 

 即ち「総員上甲板、総員退艦せよ」と。

 

 「姫神」は沈む。

 

 もはや、その運命は変えられない。

 

 「メイン」が放った砲撃は第1砲塔の弾薬を誘爆させた。

 

 砲戦が長時間にわたって続いた事で残弾が少なくなっていた事が幸いし、轟沈には至らなかったのは、奇跡以外の何物でもないだろう。

 

 しかし、特徴的だった細く優美な艦首は第1砲塔の当たりから切断され、衝撃で第2砲塔も台座から外れてしまっている。

 

 その他、「メイン」の砲撃を繰り返し受けた事で、艦内の区画がずたずたになっている。

 

 もはや、「姫神」の沈没は避けられなかった。

 

「判りました。では、提督もお早く」

「いえ・・・・・・・・・・・・」

 

 退艦を促す幕僚に対し、彰人は笑って首を振った。

 

 なぜ、と一同が思う中、彰人は自分の腹を指示して見せた。

 

「残念ですが、この状態では、退艦しても生き残る事はできないでしょう」

 

 紺色の第1種軍装を着ているせいで気付かなかったが、彰人の脇腹は、べっとりとした血で濡れ、それは艦橋の床にも広がろうとしていた。

 

 更に、皆には言っていないが、左腕も肩から先の感覚がマヒし、全く動かせなかった。

 

 「メイン」の最後の一撃で弾薬庫が誘爆した時、衝撃が艦橋をも襲った。その際のショックで、彰人は致命傷を負ってしまったのだ。

 

 自分はもう、助からない。

 

 その事は誰よりも、彰人自身がよく判っていた。

 

「しかし提督・・・・・・・・・・・・」

 

 言い募ろうとする幕僚を制し、彰人は静かな声で告げる。

 

「僕が第11戦隊司令官に就任して、この『姫神』に着任して以来、最初で最後の我がままを、皆さんに言います」

 

 言ってから彰人は、自分の膝の上で座る姫神に目をやる。

 

「どうか、この子と一緒に行かせてください。お願いします」

 

 そう言われてしまっては、誰も反対する事はできない。

 

 やがて幕僚達は、1人1人、それぞれ彰人と姫神に敬礼すると、艦橋を後にしていった。

 

 後に残された彰人。

 

 動く片腕で、愛する少女の体をしっかりと抱きしめる。

 

 と、

 

「・・・・・・彰人?」

 

 腕の中から聞こえる、静かな声。

 

 見れば、気配に目を覚ましたしたらしい姫神が、真っ直ぐにこちらを見詰めていた。

 

「姫神」

 

 もはや自分では動く事もできなくなった少女の体を、彰人は残る力を振り絞って抱きしめる。

 

「彰人・・・・・・暖かい、です」

「うん、そうだね」

 

 互いに、微笑を浮かべる彰人と姫神。

 

 ただこうしているだけで、本当に幸せだった。

 

 徐々に上昇する海面は、既に上甲板を完全に洗いつつある。

 

 2人の運命は、旦夕に迫りつつあった。

 

 やがて、2人は目を閉じ、そして唇を合わせる。

 

 手を繋ぐ、彰人と姫神。

 

 たとえ死んでも、お互いの手を決して離さないように。

 

「愛しています、彰人」

「うん、僕もだよ」

 

 互いに微笑みを浮かべ合い、

 

 身を寄せ合うと、

 

 静かに、運命の時を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1945年9月15日

 

 帝国海軍巡洋戦艦「姫神」

 

 マリアナ諸島東方海上において、沈没。

 

 

 

 

 

 合衆国が帝国に対し、正式に停戦交渉再開の申し出を通達して来たのは、その僅か5日後の事だった。

 

 

 

 

 

第113話「愛しき海に」      終わり

 


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