1
鈴木勘太郎内閣総理大臣は、恐懼する想いで首を垂れていた。
目の前に存在しているのは、この国その物。
全ての国民が崇拝する対象であり、名実ともに帝国のトップに立つ人物。
全帝国軍人が、全霊を持って仕えるべき主君である。
だが、
そのような威厳など感じさせない程、目の前の人物は穏やかな瞳を鈴木に向けて来ていた。
「鈴木」
「ハッ」
声を掛けられ、鈴木は僅かに顔を上げる。
僅かに高い壇上に設置された玉座。
そこに座った人物は、大元帥服に身を包み、眼鏡の奥に隠された穏やかな瞳を鈴木に向けて来ていた。
今上天皇陛下。
名実ともに帝国の頂点に立つ人物であり、帝国陸海軍を統率する事を許された唯一の人物である。
その天皇陛下が今、鈴木に声を掛けていた。
「これ以上、国民に犠牲を強いる事は朕の本意ではない」
その言葉に、鈴木は更に深く頭を下げる。
判っていた。
この戦争が始まって以来、天皇陛下は常に軍部の意向を支持し、その活躍を称えてきた。
帝国軍が躍進する事を喜んでおられた。その事に偽りはないはず。
しかし本来は慈悲深く、心の優しい方であり、開戦前は連合国との戦争自体にも反対しておられた。
ただ、立憲君主と言う立場故に明確な反対もできず、軍が暴走し、帝国が泥沼の戦争に引きずり込まれていくのを留められなかった事を悔やんでおられたのもまた、事実だった。
このように天皇陛下は元々、戦争には反対の立場だったのである。
そこにきて帝国は追い詰められた。東京をはじめとした主要都市のいくつかは空襲によって焼き払われ、満州や、一時的には北海道までもソ連軍の手に落ちた。
極めつけは、広島への原爆投下である。
犠牲者の数は知れず、今も苦しみにあえいでいる人々もいる。
そのような状況に、天皇陛下が心を痛めない訳が無かった。
「連合国から申し渡された降伏案を、受け入れようと思う。それで民の犠牲が減らせるなら、朕が、この身を差し出しても良いと考えている」
これが、弱気から出た発言ではない事を、鈴木は知っている。
人が、自分の家族を愛するように、天皇陛下は全ての国民を愛しておられる。
だからこそ、これ以上の犠牲を増やしたくないと考えておられるのだ。
対して、
「陛下」
鈴木は渾身の結城を持って、一歩前に出て言い募る。
「どうか、陛下・・・・・・今しばらく・・・・・・今しばらく、その儀はお待ちください」
鈴木の言葉を、天皇陛下は黙って聞き入っている。
そこへ、鈴木は熱を帯びたような口調で言い募った。
「今まさに、空の精鋭達は、敵の暴挙を防ぐために戦っております。そして、はるか南の海では、海の勇者と戦乙女たちが、更なる悲劇を食い止めるために戦っております。どうか、彼等、彼女等を信じ、今しばらく、ご猶予を賜りたく存じます」
鈴木の言葉は、悲痛な響きでもって天皇に届く。
これ以上の悲劇を食い止めたいのは、皆同じ事だった。
その鈴木の言葉に対し、
天皇陛下は、ジッと、静かに見つめているのだった。
2
後世、「第4次マリアナ沖海戦」の名で呼ばれる事になる戦いは、戦争評論家から肯定と否定、2種類の評価を受ける事になる。
肯定的な意見は「太平洋における真の最終決戦」と称され、歴史上意義のある戦いであったと言う意見。
実際、これが太平洋戦線における最後の水上戦闘となったのは事実であり、そう言う意味では最終決戦と言えない事も無い。
また、原爆と言う凶悪な存在に対し、帝国海軍が命を賭して挑んだ戦いである、と評価を受ける事もある。
対して否定的意見は「不必要だった海戦」「蛇足の戦い」などと言われる事がある。
停戦交渉の最中に、その交渉全てを否定するようにして合衆国軍が行った原爆投下の結果生じた海戦であり、いわば「終わりかけた戦争をわざわざ延長した」事になる。それ故に、多くの研究者が必要のない戦いだったと批判している。
帝国に対しても「原爆を投下された時点で降伏していれば、このような戦いをやる必要が無かったのだ」と意見する者までいる。
とは言え、それらは全て後世の事である。
今まさに歴史の表舞台にいる者達にとっては今が全てであり、この瞬間以外に掛ける物などありはしなかった。
合衆国海軍は祖国に偉大なる勝利をもたらす為、
帝国海軍は祖国を守る為、
辿りついた、この最果ての地において、最後の決戦に臨んだ。
彼方では、巨大な戦艦を中心にした合衆国艦隊が、真っ直ぐこちらに向かってくるのが見える。
その様子を「姫神」の艦橋で眺めながら、彰人は自身が打つべき手を考えていた。
この戦い、帝国海軍にとって極めて不利である。
それは、単純に戦力的な事を差す訳ではない。
原爆輸送阻止を戦略目標に掲げている帝国海軍の立場からすれば、仮に敵艦隊の99パーセントを撃沈、乃至、行動不能に陥れたとしても、最後の1隻が原爆輸送艦で、そしてその艦が戦域を離脱してしまったら、負けが確定してしまう事になる。
つまり彰人達は、ただの1隻たりとも、この海域から先に敵を行かせるわけにはいかないのだ。
「敵戦艦は情報通りモンタナ級とアラスカ級。巡洋艦はデモイン級、ウースター級と確認!!」
見張り員の言葉に、彰人は僅かに眦を上げる。
モンタナ級戦艦だけでも厄介だと言うのに、そこに帝国海軍の巡洋艦では太刀打ち不能と言われるデモイン級、ウースター級が加わっている。
第2艦隊が苦しい立場である事は疑いなかった。
「どうしますか、彰人?」
「そうだね・・・・・・・・・・・・」
尋ねる姫神に対し、彰人はしばらく考え込んでから笑い掛けた。
「まともにやって勝てないなら・・・・・・・・・・・・」
「勝てないなら?」
「まともじゃないやり方をする」
彰人のその言葉に、姫神は思わずハッとする。
今の彰人のセリフ。
それは忘れもしない。彰人と姫神にとって最初の試練となった、北太平洋海戦。その終盤において、戦艦「コロラド」を迎え撃った時に、彰人が言ったセリフである。
「機関全速、取り舵一杯。敵戦艦の頭を押さえる!!」
彰人の命令にしたが、左に大きく回頭する「姫神」。
そこへ、彼方で閃光が走った。
「敵戦艦、発砲!!」
こちらに向かって突撃してきている「メイン」が、8門の50口径46センチ砲の内、4門を放つ。どうやら交互撃ち方で弾着修正を行い、照準を合わせるつもりのようだ。
突き上がる水柱。
その向こうでは、巡洋艦と駆逐艦が向かってくるのが見える。
その動きを見据える彰人。
「敵戦艦の動きに気を付けて。変化があったら、すぐに知らせるように」
言ってから、彰人は次の指示を飛ばす。
「主砲、撃ち方用意。目標・・・・・・・・・・・・」
彰人の指示に従い、「姫神」の主砲は旋回し、砲身は上下を繰り返した。
一方、合衆国艦隊を率いる、ジェームズ・オルデンドルフも旗艦「メイン」の艦橋で、帝国艦隊の動きを見ていた。
「敵戦艦増速、速力35ノット以上!!」
その報告に、オルデンドルフは頷きを返す。
そんな高速が出せる戦艦は、帝国海軍には一つしかない。
「やはりヒメカミタイプか。まあ当然だろうな。連中には最早、それくらいしか切り札が残っていないだろうし」
帝国海軍が開戦前から保有していたヒメカミタイプの巡洋戦艦2隻には、海戦以来、合衆国軍はたびたび煮え湯を飲まされている。
世界最高速の速力と、優れた指揮官に率いられたあの忌々しい巡洋戦艦によって、幾多の合衆国艦船が沈められている。
言わば、合衆国軍にとって疫病神とも言うべき、最大の仇である。
「提督、ヒメカミタイプなら、私の敵ではありません。どうぞご安心ください」
静かな声でオルデンドルフに告げたのは、長い金髪をストレートに下ろした、怜悧な容貌の女性、メインである。
姉妹艦の中で彼女は最も冷静沈着であると言う評価を受けている。
それが故に、至当となった第3次マリアナ沖海戦を生き抜く事が出来たのだ。
「計算では、私の勝率は95パーセント。残る5パーセントの不確定要素こそありますが、それでも勝ちは動かないと考えます」
「良いだろう」
自らの旗艦が下した計算に自信を深めながら、オルデンドルフは大きく頷く。
単純な戦力差では合衆国軍が勝っているのは間違いない。負ける要素は殆ど無かった。
オルデンドルフは視線を、全速で航行してくる「姫神」へと向ける。
「見ていろ、ここをお前の墓場にしてやるからな」
幾多の海戦で合衆国海軍に煮え湯を飲ませて来た難き巡戦に引導を渡す事ができる。
その想いが、オルデンドルフを高揚させていた。
既に作戦は発動している。
オルデンドルフは配下の艦隊の突撃を命じ、帝国海軍の巡洋艦以下の艦艇を抑え込むように指示を出していた。
デモイン級、ウースター級の各巡洋艦は帝国海軍の巡洋艦を上回る戦闘力を持っている事は第3次マリアナ沖海戦において証明済みだし、駆逐艦の数も合衆国海軍が勝っている。
巡洋艦同士の戦いでも、合衆国軍が有利なのは間違いない。
勿論、戦艦同士の戦いも言うに及ばない。
ヒメカミタイプの持ち味は、35ノットの高速と、毎分6斉射可能な速射能力の2つのみ。
しかし、速射能力十全に発揮する為には、ある程度距離を詰めなくてはならない。そうしないと、外れ弾が多くなり、砲弾の無駄遣いになってしまうからだ。
ならば、ある程度の距離を置いた状態で砲撃を浴びせれば、主砲の威力が大きい「メイン」の方が有利と言う訳だ。
その間にも「メイン」は砲撃を続ける。
各砲塔1門ずつ、計4門による交互射撃。
未だに命中弾は得られていないが、しかし徐々に「姫神」を追い詰めているのは間違いなかった。
その時、
「敵艦発砲!!」
見張り員の報告が、オルデンドルフの元へと上げられてくる。
その報告に、不敵な笑みを浮かべるオルデンドルフ。
良いぞ、これで条件は整った。あとは一気に押しつぶすのみ。それでこちらの勝ちだ。
そう思った。
だが、
「敵戦艦の目標は、本艦じゃありません!!」
その報告に、思わずオルデンドルフは仰天した。
2度の弾着修正で至近弾を得た「姫神」は、更に2度交互射撃を行い、敵艦に対して狭叉弾を得るに至った。
彼方で立ち上る水柱を見据え、彰人は帽子の下で笑みを浮かべる。
「さて、これで敵の指揮官の意表は突けたと思うけど、この間にどれだけ掻き乱せるかが勝負の分かれ目だね」
敵艦が慌てふためいて砲撃をしているのが見える。
しかし、まだ距離が遠いせいで充分な照準が行えないのだろう。弾着はかなり荒い。
通常、セオリー通りに行くなら、最も手ごわいと思える相手には、味方の最強の戦力をぶつける物である。
この場合、「メイン」に対して「姫神」が当たるのが正しいやり方だろう。
しかし今回、彰人はあえて、そのやり方を無視した。
まともな戦い方では勝てない。
だから、まともじゃないやり方をする。
「姫神」の目標は、突撃してくるデモイン級重巡洋艦。
彰人はまず、「姫神」の砲撃力でもって、敵巡洋艦を潰す作戦に出たのだ。
その為に、「メイン」の砲戦距離ギリギリの地点を、自慢の健脚で駆け抜け、巡洋艦部隊に迫ったのである。
デモイン級重巡やウースター級軽巡が持つ速射能力脅威なのは、第3次マリアナ沖海戦において、「黒姫」「鈴谷」「熊野」「矢矧」等、多くの艦娘が犠牲になった事で既に理解できている。軽視するつもりは毛頭無かった。
目標としたデモイン級重巡は、「姫神」にも勝る毎分10斉射の砲撃で対抗しようとしてきているが、その弾着は全て「姫神」に届いておらず、空しく水柱を噴き上げている。
次の瞬間、
デモイン級重巡の艦上に、巨大な爆炎が上がった。
「姫神」の砲弾が、命中したのである。
この時、デモイン級重巡は艦橋と第3砲塔に1発ずつ命中。火力の3分の1をもぎ取られると同時に、艦長以下、艦の頭脳を叩き潰されたのだ。
「目標変更ッ 敵ウースター級軽巡!!」
デモイン級が脅威ではなくなったと判断した彰人は、素早く目標変更の指示を出す。
既に第4戦隊と第2水雷戦隊には、行動の指示を出している。
彼等には、敵の水雷戦隊を牽制してもらっている。
恐らく合衆国側の指揮官は、数に任せてこちらを押しつぶそうとしてくると、彰人は読んでいた。彼等にとってはそれが必勝のパターンであり、定石でもあるからだ。彰人が彼等の立場でも、恐らく同じことをしただろう。
だから、彰人は裏をかいた。
火力の高い「姫神」で敵巡洋艦を叩き、残る全戦力を敵の駆逐艦に当てる。
これで、火力差は逆転する。
勿論、敵の戦艦2隻が反転してくるまでの僅かな時間に、どれだけ敵を撃滅できるかが、この作戦の肝となる。
こうしている間にも、背後から迫る敵の弾着は徐々に近づいてきていた。
その時、
「姫神」が目標にしていたウースター級軽巡の甲板に爆炎が躍った。
命中した2式徹甲焼夷弾が艦内で炸裂。甲板を破砕すると同時に、内蔵焼夷弾子が艦内部に深刻な火災を引き起こしたのだ。
炎上し、停止するウースター級。
残る1隻のウースター級は、叶わないと判断したのか転舵を行い、「姫神」から遠ざかるコースを取り始める。相変わらず後部3基の連装砲塔は放ってはいるが、それらは完全に牽制の為の攻撃であり、「姫神」にとっては、脅威にはなりえなかった。
「よし、次は・・・・・・・・・・・・」
遠ざかって行くウースター級軽巡を眺めながら、次の指示を出そうとする彰人。
次の瞬間だった。
突如、突き上がるような衝撃波が襲い、彰人達は大いによろける。
彰人はとっさに、倒れそうになった姫神の体を支えてやりながら、瀑布の彼方に見える光景に目をやった。
「・・・・・・もう追いついてきたか」
舌打ち交じりに言い放つ視線の先。
そこには、こちらに砲門を向けて発砲する「メイン」と「パナマ」の姿があった。
3
執念。
としか、言いようが無かった。
それは、本来なら全くの不可能だったと言っても過言ではない。
一度は取り逃がした敵に、もう一度追いつく事は、間違いなく不可能に近い事だった。
だが、
相沢直哉は、執念としか言いようがないしぶとさで、高高度を飛ぶB29を、再度補足する事に成功していた。
B29の方でも、小癪な烈風改に手を焼いたのか、再び防御砲火で迎撃を試みてくる。
放たれる銃撃の嵐。
対して、直哉は苦戦して機体を操りながらも、どうにか回避していく。
肉薄する、巨人機の機影。
「こ、れでェ!!」
照準器一杯に広がる巨大な機影目がけて、発射トリガーを引き絞る。
放たれる8丁の機銃。
しかし、やはりB29の装甲を貫くには至らない。せいぜい、掠り傷を負わせる事が限界である。
しかし、直哉は諦めない。
構わずトリガーを引き続け、機銃を放ちながら突撃する。
その執念が、ついに貫き通される。
集中された銃撃が、B29の右翼外側のエンジンを直撃。比を吹かせる事に成功したのだ。
「よしっ」
コックピット内で喝采を上げる直哉。
これで撃墜できる。
そう思った次の瞬間、
信じられない事が起こった。
B29のエンジンから吹き上がる炎が、見る見るうちに消火し始めたのだ。
B29は火力や防弾装備だけでは無く、修復力にも優れている。仮にエンジンから出火しても自動消火装置が作動するようになっているのだ。
当然ながら、B29の飛行に変化は見られない。
まるで「エンジンの1つや2つ、くらでもくれてやる」とでも言いたげに、悠然と飛行を続けている。
それどころか、明らかに速度を上げて離脱しにかかっている。
「クソッ」
直哉は舌打ちすると、虫の息のエンジンを鞭打って、自身も速度を上げ始めた。
相手は戦艦1隻、大型巡洋艦1隻。
対して、こちらは巡洋戦艦1隻。
まともにやり合えば、勝ち目がない事は明白。
だが、
「やるしかない、か」
帽子を目深にかぶり直しながら、彰人は呟く。
既に敵巡洋艦部隊は壊滅、駆逐艦部隊も第4戦隊と第2水雷戦隊が押さえてくれている。
残る敵は、戦艦2隻。
これの相手は、「姫神」がするしかなかった。
「最大戦速。砲撃を行いつつ、敵戦艦の前方へ回り込む!!」
彰人の命令に従い、「姫神」はマストのZ旗をはためかせ、「メイン」の前方へと回り込んで行く。
対して「メイン」も、どうにか「姫神」の機動に追いつこうとしているが、速度差が7ノットもあってはいかんともしがたい。
やがて、「メイン」の後部砲塔は射角を失い沈黙する。
後続する「パナマ」も同様だった。前方を航行する「メイン」が邪魔で、「姫神」を照準内に捉えられなくなっていた。
その間に、彰人は畳み掛ける。
「撃てッ!!」
命令と共に放たれる、6門の50口径40センチ砲。
屹立する水柱が、「メイン」を取り囲む。
やがて、
「敵戦艦に命中弾!!」
見れば「メイン」の甲板上で、爆炎が躍っているのが見える。「姫神」が放った2式徹甲焼夷弾が炸裂し、甲板上で火災が発生したのだ。
残念ながら貫通はしていないのだが、仮に貫通しなくても、2式徹甲焼夷弾なら甲板上に火災を発生させ、二次被害を狙う事もできるのだ。
「畳み掛けろ!!」
彰人の指示通り、「姫神」は主砲の連続斉射に移行する。
次々と放たれる砲弾。
たちまち、「メイン」の甲板に爆炎が躍る。
焼夷弾子が巨大戦艦の甲板を焼きつくし、一見すると撃破したようにも見える。
だが、それが幻であった事は言うまでもない。
「メイン」は、尚も砲撃を「姫神」目がけて放ってくる。
まるで「お前の矮小な攻撃など、毛程も効きはしない」と言っているかのようだ。
「提督、このままでは!!」
幕僚の1人が声を上げる。
それに対して、彰人が何かをこたえようとした。
次の瞬間、
突如、強烈な激震が、「姫神」全体を襲った。
同時に艦橋内にいた全員、彰人や姫神も含めた全ての者が、衝撃で床に投げ出される。
それは、これまでに感じた事も無いような衝撃だった。
ここまで、辛うじて戦いを有利に進めてきた「姫神」。
だが、その幸運も、ついに尽きる時が来たのだ。
「メイン」が放った46センチ砲弾。
その内の1発が、「姫神」の艦体中央を捉え、艦内で炸裂したのだった。
「姫神」が直撃弾を受け、炎を噴き上げる様は、「メイン」の艦橋からも捉える事が出来た。
これまで一方的に命中弾を浴びせてくれた小癪な巡洋戦艦に、世界最強の戦艦はようやく一矢報いる事に成功したのだ。
「命中弾有りッ 敵艦炎上!!」
その報告に、オルデンドルフはニヤリと笑みを浮かべる。
「よし、こうでなくては」
視界の先では、尚も「姫神」は全速航行を続けている。どうやら、激しく炎上はしているものの、艦の中枢機能にダメージを与えるまでには至らなかったらしい。
しかし、命中弾を得たと言う事実その物が重要だった。
「これでもう、お前等の好き勝手にはさせないぞ」
「姫神」は尚も、「メイン」目がけて砲撃を放ってきている。
命中弾も発生し、時折「メイン」の巨体を揺らしてはいるが、その砲撃は艦上構造物に被害を与えるばかりで、「メイン」の中枢には殆どダメージを与えるには至っていない。
ここにきて、戦艦としての格の差が、じわじわと出始めていた。
そこへ、「姫神」艦上で更なる爆炎が躍るのが見えた。「メイン」の砲撃が、再び直撃したのだ。
今度は後部寄りの場所へ命中したのが見える。「姫神」の後部は、もうもうと立ち込める煙に覆われ、視認すら困難となっていた。
「参謀長」
損害にあえぐ「姫神」の様子を見やりながら、オルデンドルフは傍らの参謀長に声を掛けた。
「ヒメカミタイプの相手は、本艦1隻で充分だろう。『パナマ』は予定通り、離脱させた方がいいんじゃないのか?」
「同感です。ここで時間をロスする必要はないかと」
参謀長の言葉に頷きを返すと、オルデンドルフは通信参謀に向き直った。
「『パナマ』に打電。《直ちに戦線を離脱。作戦行動に戻れ》」
「ハッ」
程無く、オルデンドルフの命令は、「メイン」に後続している「パナマ」に伝えられる。
それと同時に、「パナマ」は緩やかに回頭しつつ、隊列から離れて行った。
4
もはや、チャンスは無い。
すでに眼下には、九州地方の海岸線が見え始めている。
最後の一撃に賭け、必殺の気合いでもって目の前の怪物を倒すしかない。
直哉は烈風改の操縦桿を握りながら、決死の覚悟でもって、3度目の接近を試みていた。
敵は手負い。
しかし、その事を全く感じさせない程、目の前のB29は速度を上げて飛翔を続けている。
並みの攻撃では奴は倒せない。
ならば、どうするか?
この時、
直哉の脳裏に、2人の人物の事が思い浮かべられた。
1人はミッドウェー海戦時に、「飛龍」の航空隊長だった友永丈二中佐(戦死後2階級特進)。
彼は、己の命を燃やして、敵空母に体当たりして果てた。
そしてもう1人は、第3次マリアナ沖海戦で対峙した、名も知らぬ合衆国軍パイロット。
彼は、愛する
あの2人が直哉に見せ付けた執念。
自らの意志を貫き通す勇気。
今こそ、その時だと思った。
「・・・・・・・・・・・・」
チラッと、手元に目をやる。
操縦桿に括り付けた、飛龍と蒼龍のぬいぐるみ。
直哉が愛した、2人の少女達。
直哉が守りたくて、そして守る事ができなかった少女達。
その姿を見て直哉は、
覚悟を決めた。
エンジンに全てをぶち込むようにしてフル加速する烈風改。
高空でそんな事をすれば、出力は得られるものの機動性は完全に失われる事になりかねない。
だが、
直哉は初めから、「回避」の選択肢を、自分の中で切り捨てた。
B29から、次々と防御砲火が放たれ、直哉の烈風改に殺到してくる。
視界全てが炎に染め上げられたかと思える程の、強烈な攻撃。
その一撃一撃が、直哉の烈風改を捉えて破壊していく。
装甲が裂かれ、プロペラが割られ、翼が吹き飛ばされる。
しかし、もはやそんな物はどうでも良かった。
直哉はただ、己が倒すべき敵を真っ向から見据えて、機体を突撃させる。
次の瞬間、
直哉の烈風改は、B29の胴体部分に機首から突入、フルスロットルで突っ込んだ機体は、B29の巨体を真っ二つに叩き折った。
もつれ合うようにして、落下していく烈風改とB29。
やがてB29は空中にて分解し、眼下の海面へと落下していく。
そんな中、命中の衝撃で空中へと投げ出された直哉は、薄れゆく意識の中で、己が成した事への会心の笑みを浮かべていた。
自分はもう助からない。
だが、そんな事はもう、どうでも良かった。
自分が使命を果たし、帝国を、多くの人々を救う事が出来た。
守りたいものを失い続けた自分が、最後の最後に守る事が出来た。
その満足感が、直哉の胸を満たしていく。
「・・・・・・飛龍・・・・・・蒼龍・・・・・・僕、やったよ」
殆ど無意識に呟きながら、直哉の意識は急速に暗転した行った。
《直哉!!》
《直哉さん!!》
身体が落下する中、不意に名前を呼ばれた気がして、直哉は目を開ける。
振り仰ぐ天。
果たして、
そこには、
背には美しい純白の翼を持った裸身の少女達が、直哉に向かって笑い掛けて来ていた。
目を見開く直哉。
微笑みかける2人の少女。
その少女達は、直哉にとって忘れたくても忘れられない存在だったのだ。
「飛龍ッ!! 蒼龍!!」
驚いて声を上げる直哉。
その表情に、歓喜が浮かぶ。
双眸から溢れる、熱い涙の感触。
会いたかった。
ずっと、
ずっと、
僕はずっと、君達に会いたかった。
少女達が、直哉に向かって手を伸ばしてくる。
迷う事無く、直哉は2人の手を取る。
同時に、意識は天へと昇って行った。
第112話「最果ての海」 終わり