1
北海道北西部石狩湾に上陸したソ連軍は、50万と言う圧倒的な大兵力でもって、橋頭堡の確保に成功していた。
これは、ソ連軍が用意した対日侵攻軍の、実に30パーセントに相当する大兵力である。その中には、満州進行に加わった部隊も、一部が参加していた。
彼等は既に、満州の大半を手中に収めており、後顧の憂いは断っている。大陸に展開した帝国陸軍は無力であり、南方の主力が引き返してくるには、まだ時間がかかる。
つまり現状、帝国の北部地域は手薄となっている。
そう判断したソ連は帝国を赤化するチャンスと捉え、千島・樺太から進撃してきた部隊に加え、満州に侵攻した主力軍の一部をも、北海道侵攻に振り向けたのである。
これに対し、帝国陸軍も可能な限りの兵力を津軽から北海道へと送り込み、迎え撃つ体勢を整えようとしていた。
更に、上陸が予想された北海道北部では、いち早く住人の退避が行われた。
多くの住人達が住んでいる場所を追われ、強制的に南への移動を指示される。
しかし、やはりと言うべきか、時間が足りな過ぎた。
全住民の退避が完了する前に、ソ連軍の侵攻が始まってしまったのである。
上陸したソ連軍は、帝国軍によるささやかな抵抗を撃破すると、ベルリンや満州で行った物と同様の地獄を、北海道でも作り出した。
ソ連軍兵士は、手当たり次第に殺し、壊し、犯し、全てを蹂躙していく。
それに対して、寡兵の帝国陸軍は、あまりにも無力でしかなかった。
こうして、北海道がソ連軍の暴虐によって蹂躙され尽くそうとする中、
帝国軍にとっての、希望が来援しようとしていた。
ソ連艦隊司令長官アレクセイ・ユマシェフ元帥は、旗艦である戦艦「アルハンゲリスク」の艦橋において、その報告を受けていた。
彼は戦艦3隻、巡洋艦3隻を中心としたソ連海軍太平洋艦隊を率いる最高責任者である。
指揮下にある戦艦の内、「ガンクード」と「セバストポリ」は、ガンクード級戦艦に所属するソ連海軍独自の艦である。
第1次世界大戦の頃に建造された戦艦で、基準排水量は2万3300トン。52口径30センチ砲3連装4基12門を装備し、最高速度は23・5ノットとなっている。
誇張でも何でもなく、冗談抜きにして前時代の骨董品とでも言うべき船である。
因みに全くの余談だが、このガンクード級戦艦、第2次世界大戦が勃発した当時、ソ連は3隻保有していたが、2番艦の「ペトロパブロフスク」は、ドイツ空軍が誇る、とある伝説的な
そしてもう1隻、ユマシェフの旗艦である「アルハンゲリスク」だが、こちらは基準排水量2万9100トン、42口径38センチ砲連装4基8門を装備し、速力は21・5ノットとなっている。
やや低速ながら、ガンクード級2隻に比べれば、まだ強力な戦闘力を有していると言える。
実はこの「アルハンゲリスク」。元の名前は「ロイヤルソブリン」と言い、れっきとしたイギリス戦艦である。
この大戦期間中にイギリスからソ連に貸与された艦である。こちらも第1次大戦期に建造された艦だが、少なくともガンクード級戦艦に比べれば、まだマシな方であると言えよう。
あくまで「まだ」と言うレベルだが。
上気の通り、かなりの「ポンコツ艦隊」であるが、それでも地上部隊の上陸支援としては充分すぎる火力を有していると判断され出撃して来たのだった。
その「アルハンゲリスク」に、津軽海峡を偵察していた空軍機から報告が入った。
「何、帝国海軍の艦隊が、津軽海峡を通過中だと?」
報告に対し、ユマシェフは片眉を吊り上げるようにして尋ねた。
「確かかね?」
「はい、間違いありません。巡洋艦5隻を中心にした大規模な艦隊が津軽海峡を通過中だと。敵艦のマストには、日の丸が掲げられていたそうです」
幕僚の報告に対し、ユマシェフはフンと鼻を鳴らして答える。
正直、今回の作戦はユマシェフにとって、ピクニック気分でこなせる物だと認識していた。
悪逆非道な帝国主義者どもの艦隊が強かったのは昔の事。奴等は既に、米帝との戦いで壊滅し、ろくな艦が残っていないと言う。
恐らく海上での迎撃を諦め、絶望的な陸上戦に望みを掛けるしか無い筈。
そう思っていた。
その為、ユマシェフとしては、陸軍の上陸支援を終えたら、潜水艦隊だけを残してウラジオストクへ帰還しようと思っていたほどである。
それが、思わぬところで躓きを見せていた。
絶対に来るはずがないと思っていた帝国艦隊が、迎撃の為に出撃して来たと言う。
ユマシェフにとっては寝耳に水どころか、敵将の正気を疑いたくなるような話だった。
奴等はなぜ出て来たのか。出て来ても、我が強力な艦隊を前に、勝ち目などあろうはずがないのに。
それにしても、
ユマシェフは、敵艦隊が出撃して来た事以上に憂慮すべき事柄を発見し、幕僚を睨みつける。
「偵察員には、もっとしっかりと目標を確認するように言い給え」
「はい?」
突然の物言いに、指摘された幕僚が戸惑いの声を上げる。
彼には本当に、ユマシェフが何のことを言っているのか理解できていないのだ。
対してユマシェフは、まるで点数の悪い答案を前にした教師のような口ぶりで言った。
「この報告、巡洋艦5隻と書いてあるが、今の帝国軍に、巡洋艦が5隻もある筈がないだろう。大方、駆逐艦5隻と、その他の小型艦艇が航行しているのを見間違えたのだろうさ。何しろ、海上の目標を肉眼で識別するのは難しいと言うからな」
ユマシェフは、そう言って肩を竦めた。
そうだ。今の帝国に巡洋艦のような大型艦が5隻もある筈がない。奴等は駆逐艦以下のなけなしの戦力で迎撃に出て来ただけだ。いわば「やぶれかぶれ」と言う奴である。
まあ、それだけ追い詰められていると言う事だろう。弱小の艦隊でも、迎撃に繰り出さなければならない程に。
口の端を吊り上げて笑うユマシェフ。
この時、彼の脳裏にはあるエピソードが思い浮かべられていた。
かつて、屈辱的な敗北に終わった日露戦争の折、時のロシア皇帝は日本人たちの事を
皇帝などと言う存在は人民の敵の最たる物であると思うが、その意見には大きく賛成である。
帝国軍など所詮、猿並みの存在でしかない。奴等は近代戦とは、数と質、双方で相手に圧倒されては勝ち目がないと言う、単純極まりない理屈すら理解できていないのだ。
だからこそ、駆逐艦しかいない弱小艦隊で、大軍に挑むなどと言う愚を平気で行ってくる。
だから、野蛮人の考えは理解に苦しむのだ。
「如何いたしますか、提督?」
「そうだな・・・・・・・・・・・・」
幕僚の言葉に対し、ユマシェフは考え込む。
退屈だと思っていた任務に折角、間抜けな獲物がノコノコと迷い込んでくれたのだ。これを逃す手は無い。
「空軍に処理を任せると言う手もあるが、それではあまりに芸が無い」
呟いてから、一同を見渡す。
「諸君、ここはひとつ、帝国占領を前にして、盛大な余興と行こうじゃないか」
ユマシェフの言葉に、幕僚達は追従の笑みを浮かべる。彼等も、ユマシェフが言わんとする事を理解したのだ。
「上手くすれば、かつて対馬沖で受けた屈辱を、纏めて叩き返す事もできるだろう」
単なる陸軍支援のためだと思っていた任務。
それが、思わぬ形で箔付けされた物である。
自分が栄光を掴みとる瞬間を夢見て、ユマシェフは笑みを浮かべるのだった。
2
払暁を迎えた空に、翼が舞い上がる。
飛行甲板を蹴った一群の航空部隊が、次々と翼を翻して北を目指す。
函館沖に展開した帝国海軍第3艦隊は、空母「瑞鶴」「葛城」「瑞鳳」「隼鷹」「千歳」の5隻から、一斉に艦載機を飛び立たせた。
既に、樺太に展開したソ連空軍が、北海道目指して飛行中であると言う情報が齎されている。
この部隊を迎撃する為に、小沢治俊連合艦隊司令長官は、全力迎撃を指示していた。
現在、本州では増援部隊が編成され、続々と津軽地方へ送り込まれてきている。
これらの部隊を糾合すれば、ソ連軍の撃退は充分に可能だろう。
とは言え消耗し尽くした帝国軍が、強大な戦力を有するソ連軍相手に勝利を得るのは容易な事ではない。
だからこそ、策を仕掛ける必要がある。それも、巨大な獣を捕殺するのにふさわしい、壮大な策が。
第2艦隊司令官 水上彰人中将が小沢に献策した作戦は、現状の帝国海軍でも充分可能であり、尚且つ、この絶望的な状況を打破し得る唯一の物であった。
とは言え、反発も強かった。
彰人が立案した作戦は、あまりにも突拍子が無い物だったのだ。
だが、
もはや贅沢を言っていられる時は過去に過ぎ去った。
時間も、戦力も限られている状況の中で、彰人の示した作戦案以上の策が出される事も無かったため、最終的には小沢が決断。海軍省の井上成重海軍大臣や、軍令部の豊田玄武総長等とも協議して、作戦は採決された。
この作戦には、海軍のみならず陸軍の全面協力も不可欠となっている。
その為の部隊展開が急がれている状態だった。
「できる限りの御膳立てはしてやる」
小沢は、今ごろ、石狩湾の敵橋頭堡粉砕を目指して北上しているであろう第2艦隊に想いを馳せて呟く。
「何としても、敵艦隊を撃滅しろ、水上」
その頃、
第3艦隊を発艦した航空部隊は、石狩平野上空において、進撃してきたソ連軍航空部隊と激突していた。
日の丸の翼を連ねて飛翔する帝国海軍航空部隊の前に立ちはだかる、星のマークの翼たち。
これまで相手にしてきたヘルキャット、ワイルドキャット、ベアキャット、コルセアと言った合衆国軍機とは明らかに異なるシルエット。
こちらはむしろ、鋭角的ですっきりとした印象の機体が多い。
合衆国軍きが重たい鎧を鎧を着込んだ重装騎兵なら、ソ連軍機は俊敏さと重厚さを併せ持った胸甲騎兵と言った感じである。
「多いね・・・・・・・・・・・・」
烈風改の操縦桿を握りながら、相沢直哉大尉は呟きを漏らす。
第3次マリアナ沖海戦において、乗艦であり恋人でもあった蒼龍を失った直哉。
彼はその後、軽空母「瑞鳳」の戦闘機隊隊長に就任し、今回の戦いに臨んでいた。
視界の中では、ソ連空軍が誇る戦闘機部隊が急速に迫ってくるのが見える。
ヤコブレフYak-9、ポリカルポフI-16、ラボーチキンLa-7、ミコヤン・グレヴィッチMig-3と言った、ソ連空軍の主力戦闘機たち。
いずれも、精強を誇った
しかも、ザッと見ただけでも敵は200機近い大軍であるのに対し、帝国海軍航空隊は5隻の空母から発艦した第1次攻撃隊は僅か80機に過ぎないのだ。
だが、
「それでも、やるしかない!!」
直哉は操縦桿に括り付けた、2体の人形に目を向ける。
飛龍と蒼龍。
今は亡き、直哉の想い人達。
彼女達が命を捨てて守ろうとした帝国を、終わりごろになってしゃしゃり出て来た火事場泥棒風情に滅茶苦茶にされる謂れは無かった。
フルスロットルで突撃する、直哉の烈風改。
続いて、帝国海軍の航空部隊も突撃を開始する。
たちまち、石狩平野上空は日ソの戦闘機が入り乱れて戦う、乱戦の巷と化した。
圧倒的兵力で押し包もうとするソ連軍。
それに対して帝国軍は、持ち前の機動性を如何無く発揮して対抗する。
ソ連空軍のパイロットは、この帝国海軍航空隊の動きに、明確な戸惑いを見せた。
彼等がヨーロッパで相手にしたドイツ空軍の機体は、どれも大出力エンジンを搭載し、馬力を活かした戦術を仕掛けて来る事が常だった。
戦闘機の大型、高速化に伴い、機動性よりも速力と出力の方が重視されるようになったからである。
だが、帝国海軍航空隊は、ソ連軍パイロットがそれまで見た事も無いような小さい半径で旋回を繰り返し、いつの間にか背後に回り込んだかと思うと、致命的な銃撃を相手へ浴びせる。
その、ソ連軍パイロットからすれば「奇妙」としか言いようがない戦術を前に、損害は徐々に大きくなり始めていた。
直哉も交戦開始数分でポリカルポフ1機を撃墜。今また、2機目の獲物としてヤコブレフを追い詰めつつあった。
「勝手に人の国に入ってきてッ」
照準器の中で、どうにか逃げようとする敵機の姿が急激に拡大していく。
「ただで済むと思うな!!」
叫ぶと同時にトリガーを引き絞る直哉。
放たれた8丁の13ミリ機銃が、ヤコブレフの胴体に突き刺さり粉砕する。
次の瞬間、
直哉はとっさに操縦桿を捻り、機体を回避させる。
間一髪。
背後から直哉の烈風改に銃撃を浴びせようとしていたヤコブレフの攻撃が空を切った。
直哉はそのまま小さい半径で宙返りを敢行。一気にヤコブレフの背後へと回り込んだ。
一方、ヤコブレフのパイロットからすれば、目の前にいた筈の烈風改が、突如、目の前から幻の如く消失したように見えた事だろう。
ヤコブレフの背後へと回り込んだ直哉は、容赦なく機銃を一連射。ヤコブレフを撃墜する。
数においては圧倒的に勝っている筈のソ連軍。
しかし、初めて対戦する帝国軍機の機動性に翻弄され、ヨーロッパで勇名を馳せた一騎当千のパイロット達が、次々と撃墜されていくのだった。
3
石狩平野上空において、第3艦隊航空隊とソ連空軍が死闘を演じている頃、
北海道西部。
奥尻島の西方海上においても、砲門が開かれようとしていた。
帝国海軍第2艦隊と、ソ連海軍太平洋艦隊。
今は名を変えたとは言え、かつてこの日本海の地で激突した2つの艦隊が、時を超え、再び会い見えようとしていた。
帝国艦隊が指呼の間に迫るまで、ソ連太平洋艦隊司令長官ユマシェフ元帥は、自分達の勝利を疑っていなかった。
既に帝国海軍には大型艦を運用するだけの力は無く、奴等は残された絞りかすのような艦隊で、無謀な突撃をして来る事しかできないはず。
ならば、旧式とは言え戦艦3隻を有する自分達に勝てる筈がない。
そう思って疑わなかった。
だが、
「敵艦隊接近!!」
「アルハンゲリスク」見張り員の報告を受け、ユマシェフも視線をそちらに向ける。
既に勝利を確信している彼は、余裕の態度を崩そうとしない。
「祝杯の準備をさせておけ。連中の艦隊なんぞ、30分もあれば殲滅できるだろうからな」
そう言って、大いに笑うユマシェフ。
未だに砲火が交わされていないにもかかわらず、彼の中では既に、戦闘は終わったも同然に扱われていた。
やがて、
「敵艦隊、更に接近!!」
見張り員は、慌てたように振り返ってユマシェフを見た。
「敵は駆逐艦じゃありません!!」
その報告に、ユマシェフは首をかしげた。
てっきり、駆逐艦くらいなら派遣してくるだろうと思っていただけに、期待外れも甚だしかった。
「では何が来たんだ?」
尋ねるユマシェフ。
対して、見張り員は躊躇うように言葉を濁す。
「そ、それが・・・・・・・・・・・・」
「はっきりしたまえ!!」
そんな見張り員の態度に、ユマシェフは業を煮やしたように怒鳴り付ける。
「駆逐艦でなければ何だ? 海防艦か? それとも魚雷艇か? まさか連中、漁船に大砲でも括りつけて持って来たか!?」
冗談交じりのユマシェフの叱責に、一同が失笑を漏らす。
連中ならあり得る。そもそも、まともな軍隊すら残っていないのだからな。
本気でそう考えている幕僚が大半だった。
だが、
「敵は戦艦5隻ッ その後方から巡洋艦、水雷戦隊が続行しています!!」
見張り員の報告に、「アルハンゲリスク」の艦橋は騒然とした。
戦艦?
馬鹿な。
連中がまだ、そんな物を持っているなどあり得ない。
「馬鹿を言うなッ そんな事があってたまるか!!」
「し、しかし本当に・・・・・・・・・・・・」
「ええい、貸せ!!」
役に立たんとばかりに、見張り員から双眼鏡を引っ手繰るユマシェフ。
アイピースに当てて覗き込んだ視界の先では、
堂々と単縦陣を組んだ5隻の戦艦が、真っ直ぐにこちらに向かって突き進んできている光景が見て取れた。
更に、その後方から付き従う艦隊も、明らかにソ連艦隊よりも数が多い。
彼等は近代戦争を知らない、敗残の弱小艦隊なのではない。
ソ連艦隊よりもはるかに強大な戦力を有する、世界でも有数の強力な艦隊なのだ。
「な、何なんだ・・・・・・何なんだ、奴等は一体・・・・・・・・・・・・」
先程までの余裕ある態度はどこへやら。
突如、目の前に現れた予想をはるかに上回る強力な敵艦隊を前に、完全に思考停止状態に陥っていた。
そこへ、
「敵艦発砲!!」
見張り員の絶叫が響き渡った。
「姫神」「伊勢」「日向」「金剛」「比叡」から成る第2艦隊の戦艦群は、彼我の距離が2万になってから砲撃を開始した。
昼戦、それも、主砲射程が3万8000を誇る「姫神」にとっては、かなりの至近距離であると言える。
しかし、事前情報で敵戦艦が旧式である事を掴んでいた彰人は、砲弾の節約を行う為、敢えて至近距離まで引き寄せてから叩く作戦を採用したのだ。
相手が旧式戦艦なら、多少攻撃を喰らったところで耐えられると判断しての行動である。
その視界の中で、慌てて砲門を開くソ連戦艦3隻の姿があった。
古臭いイメージの戦艦が、第2艦隊目がけて必死に砲撃を繰り返してきている。
唸りを上げて飛翔してくる砲弾。
しかし、その弾着はお世辞にも上手いとは言い難かった。
もっとも近い弾着でも、「姫神」から2000メートル以上離れている場所に、空しく水柱を上げるにとどまっていた。
実のところ、ソ連海軍の実戦経験は、ある意味、これが初めてと言っても過言ではない。
陸軍には精鋭部隊が多く存在しているソ連軍だが、海軍は大戦期間を通じて、ほぼ全くと言って良い程、増強がされなかったのだ。
広大なユーラシア大陸の半分近くを領有する陸軍国家のソ連にとって、海軍など「床の間の飾り」程度の認識でしか無く、「一応は(海軍を)持っている」くらいの物でしかない。
加えて、国家元首であるスターリンが、海軍に関して無理解である事も大きかった。
スターリンは「制海権」と言う概念に関する知識が皆無と言って良く、海軍艦艇についても上陸支援用の海上火力支援部隊程度にしか考えていないのだ。
同じ陸軍国のドイツが相手ならそれでも良かったのだが、海軍国である帝国を相手にするには役者不足も甚だしかった。
更に艦隊を構成する兵士達も、多くが欧州戦線に参戦して戦ったが、それらは全て「海軍歩兵部隊」として陸上戦闘に参加したのであって、本格的な艦隊戦経験者は全くの皆無だったのだ。
彼等は、陸上戦闘と違い、常に高速で機動する戦艦の上で、各種パラメーターを組み合わせて最適な照準を導き出し発砲する。と言うノウハウを、全くと言って良い程理解していなかった。
対して、帝国海軍は遥かに強大な合衆国海軍を相手に死闘を演じ、多くの戦いで勝利を収めて来た。
消耗し尽くしたとは言え、今なお世界有数の戦闘力を誇る精鋭海軍と、陸軍の下請けしかした事が無い3流海軍とでは、端から勝負にならなかった。
「よし、撃ち方始め!!」
彰人の鋭い号令の下、「姫神」の主砲が撃ち放たれる。
それに呼応して、射撃開始する「伊勢」「日向」「金剛」「榛名」の4隻。
たちまち、ソ連戦艦3隻は水中に囲まれて見えなくなってしまう。
可能な限り近付いてからの発砲である為、初弾からかなり目標に近い場所に水柱が上がっている。
この時、第2艦隊は「伊勢」「日向」の第4航空戦隊が「ガンクード」に、「金剛」「比叡」の第3戦隊が「セバストポリ」に、そして「姫神」が「アルハンゲリスク」に対して単独砲撃を行っている。
しばし、両軍の間で砲火が交わされる。
相変わらず弾着の遠いソ連艦隊に対し、的確な弾着修正で間合いを詰めていく第2艦隊。
やがて、
「敵1番艦に命中弾有り!!」
見張り員の報告を受け、彰人は力強く頷く。
見れば、「姫神」の砲撃を艦中央付近に浴びた「アルハンゲリスク」は、中央から後部に掛けて黒煙に覆われている。
更に2番艦「ガンクード」、3番艦「セバストポリ」も相次いで直撃弾を受け、その艦体が炎に包まれる。
その様子を見て、彰人は矢継ぎ早に命じた。
「機関全速、取り舵一杯!!」
「4航戦旗艦『伊勢』に打電、《我に代わり、砲戦部隊を指揮統率せよ》!!」
彰人はここが勝負どころと判断し、一気にたたみかける事にした。
速力を最高の35ノットに上げながら、左へと回頭する「姫神」。
そのまま、ソ連艦隊の前方に回り込む。
「東郷閣下と同じ相手に、同じ戦法で挑む事になるとはね」
「元帥も草葉の陰で呆れていると思います」
苦笑気味に呟く彰人に対し、姫神も肩を竦めて応じる。
高速で機動する「姫神」。
それに対し、ソ連艦隊は全くと言って良い程、追随する事が出来ないでいた。
「敵旗艦、本艦の前方に回り込みます!!」
悲鳴に近い見張り員の絶叫が「アルハンゲリスク」の艦橋に木霊する。
そのアルハンゲリスクの前方に、左舷側を向ける形で砲門を開く「姫神」の姿がある。
ちょうど日露戦争の折、東郷平八郎元帥率いる連合艦隊が、バルチック艦隊相手に行った丁字戦法の再現である。
立場がロシア艦隊からソ連艦隊に代わった今になって、彼等は同じ相手に同じ戦法で叩かれているのだ。
「おのれ
怒りに顔を真っ赤に染めるユマシェフ。
そのまま、幕僚達に振り返った怒鳴った。
「何をしているッ さっさと、あの小癪な敵艦を沈めろ!! 我が砲撃手たちは何をしているのか!?」
そうしている間にも、砲撃体勢を整えた「姫神」の砲撃が「アルハンゲリスク」に降り注ぐ。
対抗するように「アルハンゲリスク」も前部2基の38センチ連装砲を振り翳して応戦する。
しかし、やはり当たらない。
先程に比べれば弾着は近付いているものの、やはり命中弾を得るには至らない。
それに対し、熟練揃いの「姫神」砲術班は、3射の弾着修正で狭叉を得ると、得意の連続斉射に入る。
次々と飛来する1・3トンの砲弾が、次々と「アルハンゲリスク」に突き刺さる。
艦内に突入した砲弾が深刻な火災を振り撒き、前部2基の砲塔が叩き潰される。
その様子を、ユマシェフは歯噛みしながら見詰める。
「補助艦艇軍は何をしているかッ!? さっさと掩護に入れ!!」
怒鳴るユマシェフ。
砲撃戦では敵わないと判断し、巡洋艦3隻、駆逐艦8隻の補助戦力で側面掩護を行い、状況を打破しようと考えたのだ。
ところが、
「そ、それが・・・・・・・・・・・・」
幕僚の1人が、実に言いにくそうに口を開く。
その内容は、ユマシェフを驚愕させるのに十分な物だった。
海上に揺蕩う炎を、木村正臣は旗艦「阿武隈」の艦橋で、泰然と眺めていた。
ソ連艦隊の兵士達は勇敢だった。
彼等は帝国艦隊に真っ向から勝負を挑み、
そして潰え去ったのだ。
「殲滅完了ね。どうやら逃げた艦が何隻かいるみたいだけど」
「構わなくて良い。残った戦力だけで挑んでくるほど、彼等も愚かではないだろう」
阿武隈の言葉に、木村は前方を見据えて言った。
木村率いる第5艦隊は肉薄雷撃戦を敢行し、ソ連艦隊の巡洋艦3隻、駆逐艦6隻の撃沈を確認している。
対して、第5艦隊の被害は駆逐艦「曙」小破のみ。
まさにパーフェクトゲームと言って良かった。
木村正臣と言えば後世、キスカ島撤収作戦の指揮ぶりが特に有名であり、その他の事について記述される事は少ない。
しかし木村自身、もともと生粋の水雷屋であり、冷静かつ闘志に溢れる指揮官であると言う評価を受けている。
弱小のソ連艦隊如き、仮に戦力的に劣っていると言っても負ける道理は無かった。
「各艦、陣形再編、及び魚雷の再装填を急げ。完了次第、2艦隊主隊の援護に行く」
「了解よ」
木村の命令に対し、頷きを返す阿武隈。
戦いは、終局へと向かいつつあった。
「アルハンゲリスク」は、沈もうとしていた。
既に、繰り返し「姫神」の砲撃を受けた第1、第2砲塔は爆砕され、叩き潰された艦首からは大量の海水が流入しようとしていた。
艦首から前のめりになるようにして停止した「アルハンゲリスク」。
イギリス海軍から貸与される形でソ連海軍に編入された「ロイヤルソブリン」。
彼女もまさか、こんな極東の地でソ連海軍の一員として終焉を迎える事になろうとは、夢にも思わなかった事だろう。
残る僚艦、ガンクード級戦艦2隻の運命も、既に決していた。
「ガンクード」は全艦炎に包まれて海上に停止。既に総員退艦が命じられ、周囲の海面には飛び込んだ兵士達が群がっているのが見える。
「セバストポリ」の姿は無い。数分前、「金剛」の放った砲弾1発が艦内に突入。第3砲塔の弾薬庫を直撃したのだ。
大爆発を起こした「セバストポリ」は、艦後部から真っ二つに折れて沈んで行った。
「・・・・・・・・・・・・どうして、こうなった?」
ユマシェフは、呆然とした調子で呟きを漏らす。
戦闘が開始されるまで、彼は自軍の圧倒的勝利を確信していた。
消耗した帝国主義者どもの艦隊を撃滅する事など容易い、と。
しかし蓋を開けてみれば、彼の艦隊は殆ど戦果らしい戦果を上げる事すらできないまま全滅していた。
正に、日露戦争時のロシア・バルチック艦隊と同じ醜態を、時を越えて同じ帝国艦隊相手に晒したのだ。
近代海戦について無知だったのは、帝国海軍では無く彼の方だった。
沈みゆく「アルハンゲリスク」。
その艦橋でユマシェフは、受け入れられない現実にいつまでも背を向け続けていた。
4
目の前の湾内にひしめき合う、大輸送船団。
圧倒的な物量を誇るソ連軍が、対日侵攻を行う為に繰り出してきた船団の姿は、壮観の一言に尽きた。
だが、
彼等は最早、凶暴な征服者ではない。
狩人から獲物に成り下がった、哀れな羊の群れでしかなかった。
既に湾内は第5艦隊と第2水雷戦隊が封鎖、戦艦5隻、重巡3隻から成る第2艦隊主隊が、砲門を向けるに至っている。
ソ連船団の輸送船もどうにか逃げようとしているのが見えるが、それは無駄な努力でしかない。
彼等の運命は、既に決しているも同然だった。
「撃ち方始め!!」
彰人の号令一下、第2艦隊の各艦が砲撃を開始する。
たちまち、湾内に地獄絵図が展開される。
紙同然の防御しか持たない輸送船が、戦艦や重巡の砲撃に耐えられる物ではなかった。
たちまち、炎を上げる輸送船が続出する。
何しろ湾内中に船団がひしめいている状態である。冗談抜きにして「撃てば当たる」のだ。
更に湾口封鎖中の第5艦隊、第2水雷戦隊も砲撃に加わり、さらに拍車がかかった。
対してソ連船団も狭い湾内を逃げ回り、あるいは少しでも武装を積んでいる艦はささやかな抵抗を試みる。
しかし、それらは全て無駄な努力でしか無く、やがて彼等も次々と沈黙を余儀なくされていった。
彰人は更に艦隊を湾内に侵入させると、海岸に設けられたソ連軍橋頭堡にも砲撃を浴びせかけた。
海岸に山積みされた物資や、戦車などの兵器が次々と巨弾を上げて爆砕される。
それは正に、レイテ沖海戦の再現であった。
そして、同時に彰人の作戦が成就した瞬間でもあった。
彰人は海上でのソ連軍迎撃が間に合わないと判断し、そこで思考を切り換えた。
そもそも帝国軍の大半の人間が、「敵を本土に入れない」と言う事を前提に考えていたが、彰人はその発想を逆転させたのである。
敵が本土に来たいのなら、敢えて来させてやる。
その上で艦隊を石狩湾に突入させ、戦争に必要な物資を、輸送船ごと焼き払ってやれば良いのだ。
ソ連軍がいかに強大とは言え、これ程の規模の輸送船団をもう1度用意するには相当な時間がかかる筈。
つまり、船団さえ撃破してしまえば、北海道に上陸した部隊は進軍続行も、補給も、更に言えば撤退や増援すら行う事ができず、北海道と言う巨大な「檻」の中に閉じ込められてしまう事になる。
要するに、「2階に上げて梯子を外す」的な考え方である。
通商破壊戦の専門家ならではの発想だった。
同時に、船団さえ撃破してしまえば、ソ連軍が再侵攻を行う事も出来ない。まさに一石二鳥である。
勿論、反対意見は多数あった。
誰もが皆、本土に敵を入れる事への抵抗が強かったのである。
しかし、結局それ以外に有効な手段が無かった事で、彰人の案が採用される運びとなった。
ソ連軍は自分達がスターリングラードでドイツ軍相手にやった戦術を、そっくりやり返された形である。しかも、より完璧な形で。
前方で炎を噴き上げる輸送船団。
その姿を、彰人は「姫神」の艦橋で、勝利への確信と共に眺めているのだった。
第108話「かつてと、今と」 終わり