蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第104話「帝都奪回への賭け」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私物を詰め込むと、トランク一つに収まった。

 

 苦笑する。

 

 ここに着任した時と同様だ。余計な持ち物を身の回りに置かない性格である事を良く表していた。

 

 レスター・ニミッツ合衆国海軍太平洋艦隊司令長官は、その役職名の頭には既に「元」を付けて語られるべき存在となっていた。

 

 彼は今日、真珠湾攻撃以降、自身がトップとして指揮を執り続けてきたハワイを去り、本国へ戻る事になる。

 

 第3次マリアナ沖海戦の終結から2か月。

 

 海戦後の事後処理が完了したニミッツに、いよいよ本国からの召喚状が届いたのだ。

 

 この後ニミッツは、本国で査問委員会に掛けられ、予備役へ編入される運命が待っている。

 

 戦争初期には帝国軍の攻勢を劣勢の戦力で支え、南洋の戦いで押し返し、ついには攻勢に転じる事に成功した英雄に対する、これが合衆国本国の決定だった。

 

 それだけ、マリアナにおける敗北は大きかったと言う事だ。

 

 マリアナ基地の破壊と、戦略航空軍の壊滅。対日爆撃の責任者だったカースト・ルメイすら戦死した状況は、合衆国軍を震撼させるのに十分だった。更に太平洋艦隊も半壊に近い損害を受けている。

 

 この失態は、たとえ帝国海軍の壊滅と引き換えにしたとしても購える物ではない。

 

 ニミッツの処分は必然だった。

 

「皆、世話になったね」

 

 ニミッツは穏やかにそう言うと、居並ぶ幕僚達、その1人1人と握手を交わしていく。

 

 皆、この3年間、献身的にニミッツに仕え、的確に補佐してくれた。ニミッツにとってはかけがえのない仲間達である。

 

 彼等の力があったからこそ、ニミッツは辛い対日戦を戦い抜く事が出来たのだ。

 

 幕僚達の中には、アンリ・ステイネス少将と、彼の妻であるワシントンの姿もあった。

 

 戦艦「ワシントン」は第3次マリアナ沖海戦で帝国海軍の巡洋戦艦「姫神」と戦い大破。辛うじて帰還する事が出来たものの、今はこの真珠湾のドッグで修理を受けている身である。

 

 そのワシントンは今も自力で歩く事も辛いらしく、車いすに乗って夫の介助を受けている。しかしニミッツの退官を知り、病床の身を押して駆け付けてくれたのだ。

 

 ニミッツはまずアンリの手を握り、ついで腰をかがめてワシントンとの抱擁を交わした。

 

「君達にも、本当に世話になった」

「いえ、全ては長官のおかげです」

「私達の方こそ、長官には多くの物を学ばせてもらいました」

 

 ステイネス夫妻は、そう言ってニミッツに笑い掛ける。

 

 実際、2人にとってニミッツは仕えやすい上司だった。戦略や戦術に長けているだけでは無く、部下への気配りも欠かさなかったニミッツは、まさに理想の上司であったと言える。

 

 そのニミッツがハワイを去る事へ、一抹の不安を覚えずにはいられなかった。

 

 だが、そんな彼等に対し、ニミッツはむしろさばさばとした調子で応じる。

 

 既に帝国海軍に昔日の力は無い。加えて彼等は今、首都東京でクーデター騒ぎが起こり、こちらに対して攻勢をかけてくる余裕はない。

 

 更に、合衆国政府は水面下で帝国政府と、停戦の為の交渉を始めていると言う。

 

 戦争は終わろうとしている。

 

 ならば、ニミッツが現職に留まる理由も無いと言う事だ。

 

「私の後任が来るまで、戦線を頼む。無理な攻勢は控え、占領地を確保して守りを固めてくれ。敵が出てくる可能性は低いが、無駄に犠牲を出すことは無い」

 

 そう指示すると、ニミッツは踵を返す。

 

 それが、ニミッツが太平洋艦隊司令長官として出す、最後の命令だった。

 

 やがて、ニミッツは部屋を出て行こうとする。

 

 一同が、自分達にとって最高の司令官を敬礼で見送る中、

 

 ふと、ニミッツの眼が1枚の書類に止まった。

 

 まだ、未決済の書類があったのだろうか?

 

 そう思い、何気なくとって目を通す。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・何だ、これは」

 

 見る見るうちに、ニミッツの顔が驚愕に染まって行くのが判った。

 

 それは本来、立場を追われたニミッツが目にする筈の無い書類。

 

 しかし、何かの手違いでこちらに回されて来たらしい。それがたまたま、退官するニミッツの目に留まったのだ。

 

「本国は本当に、これを実行する心算なのかッ」

 

 唸り声を上げるニミッツ。

 

 そこには、ある種の怒りすらにじみ出ているようだ。

 

 書類には合衆国で碌を食んだ軍人として、

 

 否、人として決して許容できない内容の事がから書かれていた。

 

 だが、

 

 書類のサインは間違いなく、合衆国軍最高司令官である大統領の物であり、この書類が本国からの正式な命令書である事を現している。

 

 そしてニミッツは既に、この命令書に対して異を唱えられる立場ではなくなっていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出港用意を告げるラッパが高らかに鳴り響き、戦機は海全体を包み込むように広がって行く。

 

 甲板上では兵士達が忙しなく動き回り、錨の巻き上げられる金属音が鳴り響く。

 

 呉軍港に停泊している連合艦隊。

 

 その実戦部隊である第2、第3両艦隊が、いよいよ東京沖に出撃するのである。

 

 目的は帝都近郊を制圧している反乱軍、「愛国臨時政府軍」の制圧。

 

 帝国軍同士が互いに砲火を交える、凄惨な同士討ちが間もなく始まろうとしていた。

 

 第2艦隊もまた、投錨地を離れ、ゆっくりと動き出している。

 

 巡洋戦艦1隻、戦艦4隻、重巡洋艦3隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦7隻から成る、帝国海軍最後の水上砲戦部隊は緊張と戦意の合わさった空気を纏い北を目指す。

 

 ところで、

 

 その第2艦隊旗艦たる「姫神」のマストには今、2枚の旗が翻っていた。

 

 基本的な構図は、日の丸を中心に赤い線が八方に伸びた、所謂「日章旗」なのだが、その内の1枚は完全な日章旗なのに対し、1枚は上の部分に赤いラインが入っているのが見える。

 

 後者は中将旗。第2艦隊司令官 水上彰人中将の座乗艦である事を現している。

 

 そしてもう1枚、完全な形の方の日章旗は更に重要な意味を現している。

 

 それは大将旗。つまり、大将の階級を持つ人物が座乗している事を意味しているのだが、

 

 当然だが、今の連合艦隊に、その旗に相応しい人物は1人しかいなかった。

 

「何も、旗艦を変更しなくても良かったんじゃないですか?」

 

 苦笑気味に尋ねる彰人に対し、傍らに立った人物も笑みを返す。

 

「今回の主力は、空母部隊よりもむしろ戦艦部隊の方が主力となるだろう。それに、ここにいた方が情報は集まりやすいからな」

 

 小沢治俊連合艦隊司令長官である。

 

 彼は全体会議の後も、出航準備中の「姫神」に居座り、出撃後も当然のように乗り込んで来たのだ。

 

 あまつさえ、マストに自分の旗まで掲げているのである。彰人ならずとも、苦笑したくなると言う物である。

 

 付け加えるようにして小沢は言った。

 

「安心しろ。お前の指揮権を奪うつもりはない。俺はあくまで、情報収集と全体指揮に専念させてもらうよ。第2艦隊の指揮は、引き続きお前が当たってくれ」

「はあ・・・・・・・・・・・・」

 

 生返事のように言葉を返す彰人。

 

 小沢の事は嫌いではないが、何分、相手は海軍三顕職と言われる連合艦隊司令長官である。それでなくても、上司に見張られているような環境で仕事するのは緊張する物である。

 

 まあ良い。

 

 彰人は仕方なく、思考を切り換えることにした。

 

 小沢は第2艦隊の指揮に付いては口出ししないと約束してくれた。彼はその手の約束を反故にするような人間ではないので、その点については気にしなくても良いだろう。

 

 無駄な緊張感に付いては、東京沖に着くまでに慣れておこうと思った。

 

 何はともあれ、彰人の第11戦隊司令官就任以降初めて、彼以外の提督が「姫神」のマストに将旗を掲げた事になる。

 

 そんな彰人の心配をよそに、小沢は傍らに立つ姫神の頭をポンと叩いて笑い掛ける。

 

「これで、暫定的だが、君が連合艦隊旗艦となった訳だ」

「GF旗艦・・・・・・私が・・・・・・」

 

 姫神は少し反芻するように言ってから、前方に向き直った。

 

「悪くないです」

「あ、気に行ったんだ」

 

 自分の彼女が微妙にはしゃいだ表情をしているのを、彰人は見逃さなかった。

 

 連合艦隊旗艦カッコカリとなった「姫神」は、2枚の日章旗を高らかに靡かせて、海の上を進んで行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実を言えば、愛国臨時政府は現在までのところ、決起した本来の目的を、何一つとして達成してはいなかった。

 

 彼等は確かに東京近郊を支配下に置き、政府要人を幾人も拘束、事実上の勝利宣言までしている。

 

 しかし、彼等の目的はあくまで自分達が帝国の政治的主導権を握り、対米戦を継続。帝国を中心とした理想郷を建設する為の「聖戦」を続行する事に他ならない。

 

 しかし、今のところはまだ、帝都近郊を占領した「だけ」に過ぎなかった。

 

 政治的背景は何一つ取得していないし、もし正規軍が反撃に出てきたら最終的に勝ち目がないのも明白だった。

 

 このままでは、ただの暴徒の群れと変わりがない。

 

 自分達の主張を正当な物とし、もって新たなる政府を立ち上げる為には、国家元首たる天皇陛下の裁可が必要なのだ。

 

 帝国は立憲君主制を採用しており、天皇と言えども権力を縦横に振るえると言う訳ではない。しかしやはり国のトップが持つ影響力は計り知れず、重要な裁可には全て、天皇の意志が大きく介在しているのも事実である。

 

 つまり、天皇陛下のお墨付きさえもらえれば、愛国臨時政府は「臨時」の二文字を取り除く事ができると言う訳である。

 

 その為の作戦第2段階として、富士宮康弘は自身の片腕たる永野修に、自身のしたためた書簡を持たせて皇居へと向かわせたのだった。

 

 だが、

 

 そこで愛国臨時政府は、思わぬ躓きを見せた。

 

 意気揚々と皇居の門をくぐり、中へと入ろうとした永野と、その取り巻き達。

 

 しかし、そこで永野達を待ち構えていたのは、銃を構えて片膝をつき、射撃体勢を整えた陸軍近衛師団の兵士達だった。

 

「無礼者!!」

 

 自身に銃口を向けてくる近衛兵達を睨み付け、永野は怒声を放った。

 

「この私を誰だと心得るッ いやしくも大将の階級を持つこの私に銃を向けるとは何事かッ 恥を知れ!!」

 

 怒鳴り散らす永野。

 

 だが、近衛兵達は眉一つ動かすことなく、銃口を向け続けている。

 

「クッ おのれッ」

 

 歯噛みしながら、一歩前へと出る永野。

 

 居並ぶ近衛兵達を睨みつけて言い放つ。

 

「我等は愛国臨時政府の者達であるッ 急ぎ参内し、陛下に申し上げたい事がある。ここを通してもらいたい」

 

 だが、言い放つ永野の言葉にも、近衛兵達は動こうとしない。

 

 その姿に、いら立ちを募らせる永野。

 

 ついに、一歩前に出ようとする永野。そのまま強引に中に入ってやろうかと思った。

 

 だが、

 

「そこまでにして頂こう」

 

 鋭い声と共に、足を止める永野。

 

 睨みつける視線の先。

 

 そこには、本来なら今ごろ、惨めに拘束されている筈の人物が、毅然とした態度で立っていた。

 

「井上、貴様ァッ!!」

 

 クーデター時における最大目標の1人、海軍大臣井上成重が、泰然とした調子でその場に佇んでいた。

 

「お引き取り願いましょうか、永野閣下。あなたがしている事は、陛下に対する明確な反逆行為です。決して許される事ではありません」

「何を言うか痴れ者が!! 反逆者はお前達の方だ!!」

 

 永野は怒鳴り付ける。

 

「貴様らの如き君側の奸が陛下の傍にあって、あらぬことを吹き込んだあげく、帝国を滅ぼそうとしているのだろうがッ」

 

 凄まじい剣幕の永野に対し、井上は黙したまま彼の主張を聞きいる。

 

 その間にも永野は、井上たちの「罪状」について読み上げる。

 

「貴様らの如き弱腰の輩は、卑怯にも憎き合衆国相手に講和を結ぼうとしているッ これは散って行った英霊を侮辱する行為に他ならないッ これを反逆と呼ばずして何だ!?」

 

 確かに、井上たちは講和を進めようとしている。それは事実だ。

 

 しかし、それはあくまで、客観的な事実に基づいた判断である。

 

 既に帝国、特に海軍には戦う力はほとんど残っていない。次に敵が途洋侵攻作戦を行ってきた場合、敗れ去るのは明白である。

 

 加えて、今回の講和には、合衆国側からも交渉に対して乗り気な態度が見られている。

 

 合衆国軍もマリアナやレイテで多くの戦力を失っている。加えて、彼等にとっては主敵だったドイツが滅びた事で、戦争の目的自体が達成されつつあると言う事だ。

 

 つまり、交渉次第ではこの戦争を終わらせられると言う事だ。

 

 だが、永野達の目には、その行為ですら「帝国に対する反逆」に映るらしい。

 

 彼等は自分達が目指す聖戦の完遂こそが唯一の答えだと思い込み、それに反対する人間は反逆者と断じている節がある。

 

 反対意見に聞く耳を持たず、ひたすら「YES」のみを求め続ける姿は、もはや、子供の我がままと大差無かった。

 

「恐れ多くも、講和は陛下も賛同なされている事。それを無視しようとするあなた達の方こそ、反逆者と言うべきでしょう」

 

 井上の言っている事は真実である。

 

 和平は天皇陛下自ら望んでいる事。だからこそ、鈴木現総理に対米講和の政策を託しているのだ。

 

 こんな事は自明の理である。

 

「黙れ黙れェ!!」

 

 永野は顔を真っ赤にして怒鳴る。

 

 どうやら「反逆者」呼ばわりされた事が、そうとう頭に来ている様子だった。

 

「それは貴様らが陛下に誤った情報を伝えているからだろうッ 陛下さえたぶらかすとは、何と言う不敬かッ!!」

 

 巧みに議論をすり替える能弁の才能だけは大した物であると言えるだろう。

 

 永野の頭に掛かれば天皇陛下の存在さえ、自分達の主張を通すための道具に成り下がると言う訳だ。

 

「さあ、そこをどいて縄を受けるが良いッ 私は陛下に会わねばならんのだ!!」

 

 取り巻きを引き連れて、押しとおろうとする永野。

 

 だが、

 

 近衛兵達が、再び銃口を突きつけて来た。

 

 その様子に、またも足を留めざるを得ない永野。

 

 対して、井上は怜悧な眼差しで睨みつける。

 

「これが、答ですよ」

 

 冷ややかな声が、永野の顔面に突き刺さる。

 

「陛下はお会いになられません。もし陛下に会いたいと言うのなら、反乱軍を直ちに解隊して兵士達を原隊に戻し、その上で幹部全員が出頭するべきでしょう」

「おのれ・・・・・・・・・・・・」

 

 屈辱に震える永野。

 

 その手が、腰の拳銃へと伸びそうになる。

 

 それに合わせるように、近衛兵達にも緊張が走った。

 

 だが、

 

 ややあって、永野は銃から手を放した。

 

 流石の永野も、自分が成そうとしている事がいかに致命的な事であるか思い至ったのだろう。

 

 井上の背後には皇居が、天皇陛下の住まいがある。

 

 これが意味するところは即ち、井上に銃を向けると言う事は、その背後にいる皇居に、天皇陛下に銃を向ける事と同義となる。

 

 実のところ、この光景が2人の立場をよく表している。

 

 すなわち、天皇陛下の後ろ盾を持つ井上と、それに反逆する永野、と言う構図である。

 

 加えて、この事態を予測していなかった永野は、取り巻き数名を引き連れているのに過ぎないのに対し、井上は20名近い近衛兵によって守られている。撃ち合いになれば永野達が敗れるのは明白だった。

 

 近衛師団は第1、第2、第3の3個師団から成り数も多い。更に天皇陛下を守り奉ると言う任務上、精鋭部隊で固められている。まともに激突すれば、陸軍第1師団を主力とする愛国臨時政府軍と言えど勝ち目は薄いだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・帰るぞ」

 

 最後に井上を一睨みすると、永野は取り巻きを引き連れて踵を返した。

 

 井上の方も、銃口を向けるのみでそれを見送るにとどめた。

 

 井上としては、ここで永野を拘束すると言う選択肢もあったのだが、永野を拘束する事で幹部を失った反乱軍が暴走する可能性を危惧したのだ。

 

 やがて、永野を乗せた高級車が皇居前でUターンして走り去って行く。

 

 これにより、近衛師団と反乱軍が全面衝突する事態は回避されたのだが。

 

 実はこの瞬間が、今回のクーデター劇のターニングポイントだったのだが、

 

 この時点で、その事に気付いた人間は、ほぼ皆無と言って良かった。

 

 

 

 

 

 事態を収めた井上は、その足で皇居内の一室へと足を向けた。

 

 そこには首相の鈴木勘太郎や軍令部総長の豊田玄武、更には数名の幹部たちが控えていた。

 

 彼等は愛国臨時政府のクーデター計画を事前に察知し、いち早く皇居内に退避する事で難を逃れたのである。

 

 この皇居は、帝都の中にある唯一の「聖域」であり、何人たりとも手出しできる物ではない。それがたとえ、皇室に名を連ねるの富士宮であってもだ。

 

 井上たちは独自のルートでクーデター派の決起を察知すると、事前に取り決めて、この皇居で落ち合ったのである。

 

 ただし、彼等が行動を起こしたのは、正にクーデターが勃発するまでの間一髪の状況だった為、殆ど身一つで逃げて来るのが精いっぱいだったのである。

 

「どうやら、一旦は諦めてくれたようです。しかし、今後どうなるかは予想がつきません」

「彼等は本当に考えているのかね。聖戦の完遂が可能などと・・・・・・」

 

 井上の言葉を受けて、口を開いたのは鈴木だった。

 

 鈴木は海軍軍人の中でも、富士宮を越える「長老格」である。それだけに多くの経験によって、現状を正確に認識できていた。

 

 今や帝国軍に昔日の力が無いのは誰の目にも明らかである。

 

 この状況で聖戦の完遂など、夢のまた夢でしかないと思うのだが。

 

「彼等は本気でしょうね」

 

 口を開いたのは豊田である。

 

「でなければ、このような大それたことはしないでしょう」

 

 確かに。

 

 一同は豊田の言葉に頷きを返す。

 

 彼等も既に、引っ込みがつかない所まで足を突っ込んでしまっているのだ。

 

「問題は今後です」

 

 井上が、険しい顔つきで口を開いた。

 

 事態は、クーデター派を排除すれば良い、などと言う単純な物ではない。

 

 今はまだ戦争中。それも、盟邦であるドイツ、イタリアは既に無く、帝国は孤立無援の状況である。

 

 そのような状況での反乱が長く続き、まして双方に被害が生じれば、結果的に合衆国や他の連合国に利するだけである。

 

 何とか、犠牲を最小限に収めて乱を収束させる必要があった。

 

「幸いな事に連合艦隊は呉で健在です。それに、いざとなったら陛下に近衛師団を指揮してご出撃頂きます。そうなれば、クーデター派を鎮圧する事は不可能ではないでしょう」

 

 井上の言葉は理にかなっていた。

 

 9年前の「二・二六事件」においても、天皇陛下は近衛師団を率いて自ら出撃する意思を示されている。

 

 幸い9年前は、そこまでの事態には至らなかったが、今回は場合によっては本当に御出陣いただく事になるかもしれなかった。

 

 勿論、実際に指揮を執るのは本職たる近衛師団長が取る事になるが、天皇陛下と言う文字通りの「錦の御旗」が翻れば、クーデター派を鎮圧する事は不可能ではないだろう。

 

 実のところ、勝機は充分にあるのだ。

 

 クーデター軍と一口で言っても、攻勢する大部分は下士官や兵達である。彼等はただ、上官の命令に従って行動しているだけの可能性が高い。

 

 そこで「下士官・兵の罪は問わない」と言うことを条件に投降を呼びかければ、愛国臨時政府軍その物を瓦解に追い込む事も不可能ではないだろう。

 

 だが、その為にはどうしても、クリアしなくてはならに条件が一つあった。

 

 「信濃」である。

 

 帝国最強戦艦が敵にまわっている以上、仮に陸上の兵力を押さえたとしても、彼等は抵抗を続ける可能性は残される。最悪、富士宮以下の首謀者が「信濃」に乗って逃亡する可能性すらあった。

 

「そこは連合艦隊に期待するしかありません。小沢連合艦隊司令長官や水上第2艦隊司令官は長くこの戦争において最前線で戦ってきた歴戦の提督たちです。彼等なら、何とかしてくれる事を信じましょう」

 

 井上はそう言って一同に頷いて見せる。

 

 小沢達が「信濃」を制圧してくれたら、自分達にも動く余地が生まれてくる。

 

 全ては、その一点に掛かっていると言っても過言ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 報告を受けた富士宮は、思わず舌打ちした。

 

 皇居に行かせた永野達が、1時間もしないうちに帝国ホテルに設置した司令部に戻って来たのだ。

 

 聞けば、姿が見えなかった井上成重が皇居に降り、更に近衛師団が永野達に銃口を向けて来たと言う。

 

 これは即ち、天皇が井上らを支持し、あくまで愛国臨時政府の存在を否定した事を意味している。

 

「これなら私自らが行くべきだったか・・・・・・・・・・・・」

 

 富士宮が永野のみを皇居に出向かせたのは、自らの存在をギリギリまで秘匿したいと言う思惑があったからに他ならなかった。

 

 言わば「保身」である。

 

 万が一、クーデターが失敗に終わった際には、自分に火の粉が掛からないようにするため、自分と言う存在を最後まで隠しておこうと考えたのだ。

 

 だが、こんな事になるなら自ら皇居に赴くべきだったと考える。

 

 富士宮とて皇室の1人。銃口を向ければ即、反逆罪を適用できる。そうなれば、近衛兵と言えど容易に銃口は向けられず、皇居内に入る事は簡単だった筈である。

 

 完全なる失策だった。

 

 しかし、こうなってはもはや後の祭りである。

 

 天皇への参内は後ほど改めて考えるとして、今の富士宮には他に懸案事項があった。

 

 連合艦隊主力が呉を出撃し、この帝都を目指していると言う。

 

 やはり連合艦隊の制圧には失敗したのだ。

 

 もし、連合艦隊主力が東京湾に集結すれば、愛国臨時政府軍は瓦解しかねない。たとえ砲火を交えずとも、帝国海軍最強部隊の存在感と言うのは、それだけで十分な脅威なのだ。

 

 帝都内部には近衛師団が睨みを利かせ、外部からは連合艦隊が迫りつつある。

 

 富士宮達にとっては、正に「内憂外患」とでも言うべき状況である。

 

 富士宮の構想は、徐々にだが崩れつつあった。

 

 だが、まだ致命的ではない。巻き返しは充分に可能なはずだった。

 

 特に連合艦隊。

 

 彼等を東京湾に入れる事を阻止できれば、勝機は充分にある筈だった。

 

「『信濃』の黒鳥大佐に連絡せよ」

 

 部下に命じる富士宮。

 

 そうだ、こちらにはまだ「信濃」がある。たとえ連合艦隊の主力が攻めて来ようとも、撃退は充分可能だろう。奴等とて、戦争をしている最中に無駄に兵力をすり減らす事は避けたいだろうからな。

 

 連合艦隊が来たとしても、自分達に手出しする事は絶対にできないはず。

 

 そのように考え、富士宮は自信を深めるのだった。

 

 

 

 

 

 その頃、

 

 指令を受けた東京湾の「信濃」でも、動きが生じていた。

 

 錨の巻き上げが行われ、出航準備が整えられていく。

 

 連合艦隊主力の接近に対応すべく、湾口付近に艦を布陣させるのだ。

 

 流石の黒鳥達と言えど、戦艦1隻、駆逐艦4隻のみの戦力だけで、外洋で連合艦隊主力とやり合う事の無謀さは理解している。

 

 そこで湾口付近に布陣して、海峡を通って侵入して来ようとする連合艦隊主力を「信濃」の巨砲で狙い撃ちにするのだ。

 

 愛国臨時政府軍は航空戦力も持っているが、その数はわずか30機程度に過ぎない。それでは、機動部隊である第3艦隊に対抗する事は叶わない。

 

 しかし大和型戦艦を爆撃のみで無力化する事は難しい。雷撃だけは脅威だが、ある程度水深の浅い場所に布陣しておけば雷撃は無力化できる。当然だが、東京湾の測量データは、帝国海軍内に膨大に存在している。その中から「信濃」の喫水でも入って行ける水域を布陣場所に選んだ。

 

「さあ、来るなら来い、水上彰人。貴様にほえ面をかかせてやる日をどれだけ待ち望んだ事かッ」

 

 「信濃」の艦橋で、黒鳥陽介は不敵な笑みを見せる。

 

 最強戦艦を自らの指揮下へと置き、まるで自らが無敵の提督にでもなったかのような心境に酔っている様子である。

 

 その一方、傍らの信濃は浮かない様子で俯いていた。

 

「ヒメちゃん、どうして・・・・・・・・・・・・」

 

 親友の事を思い浮かべ、その気持ちは深く沈んでいく。

 

 連合艦隊主力が向かってくると言う事は当然、その中に「姫神」もいるだろう。

 

 信濃の親友は、彼女自身よりも国家の方を選んだ。そう思えてならなかった。

 

 近付いて来る対決の時。

 

 もはや、激突は不可避の物となりつつあるのだった。

 

 

 

 

 

第104話「帝都奪回への賭け」      終わり

 


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