蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第9話「米艦隊追撃」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビル・ハルゼーは上機嫌だった。

 

 実を言えば当初は、本当に空母からB-25を飛ばせるのかどうか不安だったのだ。勿論、彼は最高のスタッフたちの腕前を信じてはいたが、流石に前例を見ない作戦であるだけに、不安要素の塊だったのである。

 

 日本の洋上監視艇に発見され通報された時は、思わず作戦を中止して撤退する事も考えたほどである。

 

 だが、爆撃機クルー達の強い熱望に押される形で、ハルゼーは作戦決行を決断した。

 

 まず、艦隊をギリギリまで日本本土へ接近させる。ここまでは予定通りだ。

 

 しかしそれでも、発見された以上、予定の位置まで進む事はできない。

 

 そこで、B-25の燃料タンクから溢れるくらいにガソリンを入れて飛び立ったのだ。

 

 結果は、既にハルゼーの元まで届けられている。

 

 やはりと言うべきか、たかだか16機の爆撃機、それも日本の主要都市に分散しての攻撃では、あまり効果的な攻撃はできなかった。

 

 しかし、もともとこの作戦は、戦術的よりも政略的な色合いが強い。

 

 要するに「奢り高ぶっているジャップの鼻っ面に一発喰らわせてやる」ことが目的なのだから。

 

「見たかジャップッ 鼻を明かしてやったぜ!!」

 

 そう言うとハルゼーは、高らかに笑う。

 

 今まで一方的に攻め立てていた日本軍の鼻を明かしてやれたことが、痛快で仕方が無かった。

 

 ともかく、これで日本軍は慌てふためく事だろう。奴等の顔を間近で見れないのが、残念で仕方が無かった。

 

「さて、俺達の仕事は終わった。あとは帰って、ジャップ共の慌てる様を肴に、酒でも飲もうじゃないか」

 

 ジョーク交じりのハルゼーの言葉に、一同がドッと笑いを発する。

 

 彼等にとって、この作戦は既に終わったような物である。実際、B-25を放った時点で、彼等にできる事は何も残っていない。あとは爆撃機クルー達の無事を祈りながら、真珠湾に帰るだけである。

 

 そう思っていた時だった。

 

「偵察機より報告、後方より急速に接近する敵艦隊有り。戦艦2、巡洋艦2、駆逐艦1、更にその後方からも接近する艦隊が有る物と認む!!」

 

 その報告を聞き、ハルゼーは苛立たしげに舌打ちした。

 

「チッ 勘の良い奴がジャップにもいやがったか。まさか、これ程早く追撃してくるとは・・・・・・」

 

 ハルゼーとしては、敵が空襲で混乱している隙に反転し、距離を稼ごうと考えていたのだ。

 

 だが、それは帝国海軍の予想外の追撃の速さで、断念せざるを得なくなった。やはり、洋上監視艇に発見されたのが痛恨だったと言える。そのせいで帝国海軍に、迎撃する時間を与えてしまったのだ。

 

「仕方がねえ、迎え撃つぞ。艦載機部隊、発艦準備だッ」

「お待ちください、提督」

 

 ハルゼーに声を掛けたのは、参謀長だった。

 

「我が艦隊は現在、作戦を終えて退避中です。そんな中で攻撃隊を放てば、最悪、攻撃隊が未帰還になる可能性があります」

 

 退避中に攻撃隊を放てば、当然、敵を背後に見ながら戦うと言う事になる。そうなると、出撃した航空部隊は燃料消費計算が難しくなり、仮に攻撃に成功しても、無事に空母まで帰り付けるかどうか怪しくなってしまう。

 

 参謀長の言葉に、ハルゼーは考え込む。

 

 参謀長の言っている事は正論である。今は敵に攻撃するよりも、どうにかして振り切る方法を考えるべき時であろう。

 

 彼は猛将だが、決して兵の命を粗末に扱う愚将ではない。無理だと判断したら、諦める勇気も持っている。

 

 だが、今は話が違う。

 

 帝国海軍の追撃が予想以上に早かったため、普通に退避しても追いつかれてしまう可能性が出てきた。

 

 水上部隊で迎え撃つと言う手段もあるが、接近してくる日本艦隊には戦艦(巡戦)もいると言う。対してハルゼーの艦隊は、高速艦のみで編成する必要があった為、護衛艦は巡洋艦と駆逐艦のみで編成されている。砲撃戦では勝負にならない。

 

「・・・・・・1回だ」

 

 迷った末に、ハルゼーは決断する。

 

「1回だけ、航空機による攻撃を実施し敵の足を鈍らせる。その後、艦載機を収容、全速で逃げるぞ」

 

 緊張で空気が張り詰める。

 

 既に、先程までの楽観ムードは完全に消え失せていた。

 

 

 

 

 

 「エンタープライズ」の飛行甲板上で、発艦のタイミングを待ちながら、ギャレット・ハミル中尉は愛機の操縦桿を強く握りしめていた。

 

 ようやくだ。

 

 ようやく、ここにたどり着いた。

 

 戦場にて、日本軍と戦える場所へ。

 

 その脳裏には、真珠湾で戦死した兄の顔が思い浮かべられていた。

 

 ギャレットの兄は海兵隊の航空部隊で隊長を務めていたが、真珠湾攻撃が行われた時に戦死した。迎撃の為に出撃し、そのまま戻ってこなかったと言う。

 

 幼いころに父を失ったギャレットにとって、兄のマーカスは、正に父親代わりのような存在だった。

 

 ギャレットが海軍への入隊が決定した時も、大いに喜び祝福してくれたのを覚えている。

 

 その兄は、もういない。

 

 真珠湾の空に、永遠に飛んで行ってしまった。

 

 兄がどう戦い、誰に殺されたのか、それはギャレットにも判らない。

 

 だからこそ自分の手で日本軍と戦い、彼等を多く討ち取る事で、兄の敵討ちにしようと決めたのだ。

 

 ふと、視線を横に向けると、艦橋脇にエンタープライズが立っているのが見える。どうやら、攻撃隊の見送りに来たらしかった。

 

 目が合うと少女は、一瞬、笑顔を浮かべ掛けるが、すぐに不機嫌そうにプイッとそっぽを向いてしまう。

 

 その子供っぽい仕草に、ついつい笑顔を浮かべてしまう。どうやら、さっきのやり取りの件で、未だにお冠らしかった。

 

 その時、ギャレット機に発艦の指示が出る。

 

 表情を引き締めるギャレット。

 

 同時に、眼差しは前方に向けられ、機体を加速させた。

 

 

 

 

 

 飛び去って行く攻撃隊。

 

 その後ろ姿を、エンタープライズは艦橋脇で立ち尽くしたまま見送る。

 

 ここは未だに敵の領海内。攻撃は困難な物になる事が予想される。

 

 果たして、あの中から何機が帰ってこれるか。

 

「・・・・・・・・・・・・フンっ」

 

 その中の1機、

 

 もうどれが誰の機体なのかすら、見分けがつかなくなった存在を、エンタープライズは視界の中で追い求める。

 

「ギャレットの・・・・・・バカ・・・・・・・・・・・・」

 

 小さな呟きは、ケンカ相手に向けて囁かれる。

 

 エンタープライズがギャレットと出会ったのは、今から半年ほど前。ギャレットが「エンタープライズ」戦闘機隊に配属された時の事である。

 

 新しいパイロットがどんな人間なのか、興味が湧いたエンタープライズは挨拶がてら見に行ったのだが、

 

 そこで出会った若いパイロットが、エンタープライズを見るなり言ったの言葉が、彼女の逆鱗を思いっきり強打した。

 

『何だ、このチビは?』

 

 チビ、ビーンズ、スモール、ミニマム、マイクロ・・・・・・

 

 およそ「小さい」と言う意味を表す言葉全般が、エンタープライズにとっての禁句(タブー)である。

 

 エンタープライズがそれを気にしている事を知っている人間なら、決して口にしないはずである。

 

 だが、事情を知らなかったギャレットは、あっさりと言ってしまった。

 

 次の瞬間、

 

 エンタープライズの強烈な垂直蹴りが、ギャレットの股間にクリーンヒットした。

 

 悶絶するギャレットに背を向けて、足音も荒く立ち去って行くエンタープライズを、他の者達は唖然として見送るしかなかった。

 

 それが、米空母艦娘とエースパイロットの、最低で最悪な出会いだった。

 

 それ以来、エンタープライズとギャレットの腐れ縁は続いている。

 

 もっともそれは、ギャレットがエンタープライズをからかい、憤慨したエンタープライズからギャレットが逃げまくる、と言う関係に終始しているのだが。

 

「・・・・・・・・・・・・ちゃんと帰ってきなさいよね」

 

 エンタープライズは、攻撃隊が飛び立っていった空に向けて、ポツリと呟きを漏らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5隻の帝国艦隊は、「島風」を先頭に単縦陣を組み、35ノットの高速で突き進んでいた。

 

 これは常識を無視していると言って良い航行速度である。戦闘中ならいざ知らず、通常航行中に全速航行をするなど、本来ならあり得ない事である。

 

 しかし今は非常時。敢えて型破りな判断も必要と考えられた。

 

 本土を空襲された以上、敵をタダで帰したとあっては帝国海軍の存在意義にもかかわる。

 

 せめて一太刀なりとも浴びせない事には、収まりがつかないだろう。

 

 そう判断した彰人は、出航準備中の旗艦「愛宕」に進言を送った。

 

 すなわち、第11戦隊のみで高速艦隊を編成し、敵艦隊を追撃する。と言う物である。

 

 大艦隊を組んで行動すれば、それだけ動きは鈍くなる。そうなれば、敵を取り逃がす公算が高い。それよりも、少数精鋭部隊で追撃しようと言うのだ。

 

 敵艦隊の指揮官は、劣勢の状況で日本本土を空襲するほど大胆な人物だが、同時に、敵地に長くとどまる事への危険性も認識している筈。

 

 以上の点から考えると、低速の戦艦を連れている可能性は極めて低い。そして巡洋艦以下の艦艇なら、「姫神」と「黒姫」の敵ではない。

 

 これらの点から、第11戦隊のみの追撃でも十分可能と判断した。

 

 彰人の意見具申に対して、程なく、第2艦隊司令部から回答が届く。

 

 だが、それは彰人にとっても予想だにしなかった物であった。

 

 第2艦隊司令官の近藤信行中将は、彰人の進言を受け入れると同時に、編成に第4戦隊の「愛宕」と「高雄」も加えると言ってきたのだ。

 

 現在、全体の統括指揮は近藤自らが取っている。

 

 海軍主力部隊の一翼である第2艦隊を預かる身でありながら、近藤自身も決して臆病な指揮官ではなかった。

 

 「姫神」「黒姫」「島風」「愛宕」「高雄」。僅か5隻からなる艦隊は、ほぼ最大戦速である35ノットのひた走っている。

 

 「島風」だけは未だに速力に余裕があるが、彼女の場合、この中で最も航続力が短いと言う欠点もある。その為、これ以上の速度を出す事は禁じていた。

 

 更に後方からは、「祥鳳」「瑞鳳」を主力とした艦隊も追随している。

 

 彰人はそんな「島風」の艦尾を見ながら、特信班から上げられてきた報告に目を通していた。

 

「先に発見された敵の位置情報から考えて、進路はこちらで間違いないと思われます」

「成程、引き続き、敵情の分析と、位置の割り出しを進めて」

 

 そう言って通信長を下がらせると、彰人は再び前方に向き直った。

 

 帽子の下の目は、諦念とも嘆息ともつかない色を浮かべている。

 

 特別洋上監視艇が、空母を含む敵艦隊を本土近海で発見していたと言う情報が第11戦隊に回って来たのは、出航直前の事だった。

 

 呆れてしまう。

 

 事前に敵艦隊の接近を察知しておきながら、出撃命令が下されたのは、敵機の本土侵入を許した後だったのだ。

 

 本来なら敵を発見した時点で警戒態勢を取り、艦隊も出港させなくてはならなかったのに。

 

 帝国軍全体が、と言うより、帝国全体が初戦の快勝のせいで緩み切っていたとしか思えない。

 

 敵が本土を突く可能性を、誰も予想していなかったのだ。

 

 とは言え、

 

「僕も、人の事は言えないかな・・・・・・・・・・・・」

 

 彰人の呟きに、傍らの姫神は不審げな眼差しを向けてくる。

 

 敵が本土を突く可能性を考えていなかったと言う点では、彰人も同様である。流石に、今回の事態は予想外過ぎた。

 

 姫神に向き直り、そっと少女の頭を撫でてやる。

 

 撫でられて気持ち良いのか、くーっと目を細める姫神。

 

 そんな少女の様子を微笑ましげに眺めながら、彰人は決意を新たに前方を見やる。

 

 失態は実績を持って償う以外に無い。

 

 そう考えた時だった。

 

 見張り員の報告が、絶叫に近い形でもたらされた。

 

 

 

 

 

「右舷40度より敵機接近!!」

「ドーントレス10!! デバステーター15!! グラマン10!! 真っ直ぐこちらに向かってくる!!」

 

 「愛宕」の艦橋にも、次々と報告が齎される。

 

 その報告を聞きながら、近藤は身じろぎした。

 

「逃げられぬと判って、反撃に出てきたか・・・・・・・・・・・・」

 

 恐らく、こちらの追撃を鈍らせるのが狙いだろう。

 

 窮鼠猫を噛むと言う言葉通り、無理を承知で攻撃隊を繰り出してきた感がある。

 

 もっとも、この鼠はネコどころか、トラですら食い殺せる程の牙を持っているが。

 

「愛宕、全艦に対空戦闘準備を通達。あと、後方の祥鳳に、直掩隊発艦の指示を出せ」

「承りました」

 

 近藤の指示に、愛宕はふんわりした調子でお辞儀をする。

 

 普段からフワフワして、どこか頼りなさげな雰囲気のある愛宕だが、こと旗艦としての責務に齟齬を生じさせたことは一度も無い。

 

 流石は、海軍の主力、第2艦隊のトップに立つだけの事はあった。

 

 

 

 

 

 「愛宕」から第2艦隊全艦へ、対空戦闘準備の命令が下る。

 

 それと同時に、「姫神」「黒姫」「高雄」「島風」の4隻では、兵士達が駆けまわり、対空戦闘準備がされていく。

 

 高角砲が上を向き、機銃に弾倉が装着される。

 

 訓練で何度も行っている為、準備をする兵士の姿は皆、手慣れたものである。

 

 しかし、これから始まるのは訓練では無く実戦である。

 

 北太平洋での通商破壊作戦においても、対空戦闘を行う機会は無かった事を考えれば、ここから先は未知の領域と言って良いだろう。

 

 自然、皆の顔に緊張の色が浮かび上がる。

 

 そしてそれは、何も人間の兵士だけに限った事ではなかった。

 

「緊張してる?」

 

 尋ねる彰人に、姫神は僅かに顔を上向かせる。

 

「少しだけ・・・・・・・・・・・・」

 

 少ない言葉の中にも、少女の緊張感が見て取れた。

 

 無理も無い。マレー沖海戦において、航空機が戦艦を撃沈し得る兵器である事は、他ならぬ日本海軍の手によって証明されてしまっている。ましてか、姫神型巡洋戦艦は、純粋な戦艦として建造されたプリンスオブウェールズ(キングジョージ5世級戦艦)よりも防御力の面で劣っている。

 

 姫神の不安も、無理からぬことだろう。

 

 そんな姫神に笑顔を見せ、彰人はそっと、少女の髪を撫でてやる。

 

「大丈夫だ。君には、僕が付いてるから」

「ん・・・・・・・・・・・・」

 

 彰人の言葉に、姫神が頷いた時だった。

 

「右30度、敵機、約30ッ 高度30、高角20度にて急速接近中!!」

 

 見張り員からの報告に、彰人と姫神は現実に意識を向ける。

 

 いよいよ、空からの敵が来たのだ。

 

 睨みつける蒼空から、翼を連ねて敵が迫ってくるのが見える。

 

「まだだよ」

 

 彰人が低い声で告げる。

 

 飛行機は速い。しかしだからこそ、闇雲に撃っても当たる物ではないだろう。

 

 充分に引き付けてから撃つ。それが彰人の方針だった。

 

 やがて、飛行機のシルエットがはっきりと見えてくる。

 

 単発の機体。間違いなく、空母から発艦した艦載機。急降下爆撃機SBDドーントレスに、雷撃機TBDデバステーター。アメリカ海軍が正式採用している機体である。やはり、空母がいたのだ。

 

「敵機、更に接近!!」

 

 見張り員の報告に、眦を上げる彰人。

 

 その双眸が、自分の倒すべき敵を真っ直ぐに見据える。

 

 次の瞬間、

 

「対空戦闘、撃ち方始め!!」

 

 彰人の命令と同時に、

 

 「姫神」「黒姫」「島風」の3隻は、一斉に対空砲火を撃ち上げ始めた。

 

 たちまち、高空に黒い点が浮かび、砲弾が炸裂する。

 

 同時に、米軍機も散開、攻撃態勢に入る。

 

 ドーントレスが隊形を作り、デバステーターが海面付近まで降下、魚雷発射体勢に入る。

 

 予想はしてたが、「姫神」達が撃ち上げる対空砲は、なかなか命中しないでいた。

 

「敵機、急降下!!」

 

 見張り員の報告を受け、振り仰ぐ彰人。

 

 そこでは、今にも急降下体勢に入ろうとしているドーントレスの姿がある。

 

 だが、彰人は冷静さを崩さない。

 

「大丈夫、あの位置なら・・・・・・・・・・・・」

 

 彰人が呟いた次の瞬間、

 

 先頭の隊長機と思われるドーントレスが、直撃を浴びて吹き飛ぶ。

 

 更にもう1機、2番機に相当する機体も吹き飛ぶ。

 

 その様子を見て、彰人は満足そうに頷いた。

 

「長10センチ砲の威力は、充分みたいだね」

 

 姫神型巡洋戦艦が両舷に4基ずつ、合計8基16門装備している65口径10センチ高角砲は、他の日本の軍艦が標準装備している40口径12・7センチ砲に比べると、1発辺りの威力は劣るものの、初速、到達高度、射程距離など、他のあらゆる面で優れている。また、半自動装填装置を搭載しており、毎分19発発射が可能と言う高性能砲だった。

 

 機構が複雑な為、今までほとんど実戦配備されなかったが、姫神型では初期段階から正式採用している。

 

 現在、建造が進められている新型の防空駆逐艦にも搭載が予定されている。

 

 その高性能高角砲が、初陣において実力を如何無く発揮していた。

 

 残りのドーントレスは、「姫神」の対空砲に恐れを成したらしく、おざなりな高度で投弾して退避していく。

 

 当然、爆弾が「姫神」に当たる事は無かった。

 

 そこへ、見張り員の報告がさらに入る。

 

「右舷90度ッ 雷撃機5機接近!!」

 

 低高度から猛禽が獲物を狙うように、デバステーターが迫ってくる。既に魚雷を投下する態勢に入っている様子だ。

 

 その姿を見て、彰人は素早く判断した。

 

「機関全速!! 面舵一杯!!」

 

 彰人の指示に従い、操舵室では舵輪が右に回される。

 

 向かってくる魚雷に対し、艦首を向けて正対する形だ。

 

 魚雷が迫っている場合、魚雷から逃げる方(今回の場合、右から魚雷が来ている為、左)に転舵するのは、実は2つの理由から得策とは言い難い。

 

 まず、魚雷と反対方向に艦首を向けた場合、暫く魚雷と並走する形になってしまい、魚雷が確実に通り過ぎたと判断されるまで(具体的に言うと魚雷の航跡が消えるまで)、艦は直進しかできなくなってしまう。これが良い的になる事は言うまでも無いだろう。

 

 もう一つは、より深刻な理由で、万が一命中してしまった場合、命中箇所は艦尾になる為、舵やスクリューなど、艦にとって重要な部位が破壊される公算が高い。

 

 それに対し、魚雷と正対するように転舵すれば、向かってくる魚雷とすれ違う形になる為、直進は僅かな時間で済む事に加え、仮に命中したとしても艦首等、比較的重要度の低い場所になる為、致命傷にはならないと言う訳だ。

 

 魚雷に向かう形で艦首を向ける「姫神」

 

 同時に機関が目一杯出力を上げ、最高速度の35ノットまで速度を引き上げる。

 

 その急加速に、米軍の航空機は、射点をずらされて攻撃を断念せざるを得ない程である。

 

 やがて、全ての魚雷が「姫神」の脇を通り過ぎていく。

 

 同時に機銃が、上空を通り抜けようとするデバステーター1機を、機銃が捉えて撃墜した。

 

 

 

 

 

「『姫神』、敵の雷撃を回避!!」

「デバステーター5機、『黒姫』に向かう!!」

 

 次々と報告が、「愛宕」艦橋の近藤の元へともたらされる。

 

 敵はどうやら、最も目立つ「姫神」と「黒姫」に狙いを定めた様子である。

 

 重巡である「愛宕」と「高雄」もそれなりに目立つ艦なのだが、敵がこちらに向かってくる様子は全く無かった。

 

「小物と侮られるとは、米軍め、随分と舐めてくれた物だな」

「まあまあ、提督。そう怒らずに」

 

 憮然とする近藤を、愛宕がなだめる。

 

 近藤的には、敵がこちらに攻撃してこないのは幸いだが、侮られるのは、海上の武人として面白くないのだろう。

 

 とは言え、状況は悪くない。

 

 先述した通り、敵は「姫神」と「黒姫」に攻撃を集中させているが、両巡洋戦艦共に、彰人と京介の巧みな防空戦によって、今のところ被弾を免れている。

 

 このまま振り切れるか?

 

 そう思った時だった。

 

「提督ッ 島風ちゃんが!!」

「何ッ!?」

 

 愛宕の言葉に、振り返る近藤。

 

 そこには、残った敵機にたかられている「島風」の姿があった。

 

 

 

 

 

 デバステータ6機に、ドーントレス4機。

 

 駆逐艦1隻が相手には、過剰とも言える数である。

 

 「姫神」と「黒姫」の対空能力が尋常ではないと判断した米軍機の一部が、「島風」を目標にして襲い掛かったのだ。

 

 だが、速力においては「島風」を捉える事は難しい。

 

 先程から、全ての攻撃が空ぶっている。

 

 水柱が空しく吹き上がり、航跡は明後日の方角に奔って行く。

 

 その度に湧き上がる、米パイロット達の悔しげな舌打ち。

 

 40ノットの速力は、伊達ではないと言う事だ。

 

「これくらいなら、どうって事無いね!!」

 

 落下してくる爆弾を回避しながら、島風が得意げに呟く。

 

 このまま全ての攻撃を回避しきれるだろう。

 

 そう楽観した。

 

 次の瞬間、

 

「敵雷撃機2機ッ 左舷90度から急速接近!!」

「えッ!?」

 

 思わず振り返る島風。

 

 そこには、左舷90度、ほぼ直角の機動を描いて「島風」に迫ってくる、2機のデバステーターの姿がある。

 

「やばッ!?」

 

 焦る島風。

 

 ウサギの少女は敵機に追われて、敵機の網の中へと追い込まれた形だった。

 

 既にデバステーターは、魚雷発射体勢に入っている。いかに「島風」の俊足でも、最早回避が間に合う距離ではない。

 

 そのまま敵機が魚雷を投下しようとした。

 

 次の瞬間、

 

 横合いから放たれた砲撃が、デバステーター2機を纏めて吹き飛ばす。

 

「・・・・・・・・・・・・へ?」

 

 呆ける島風。

 

 いったい、何が起きたのか?

 

 思わず、振り向いて視線を向けた先。

 

 そこには長10センチ高角砲を水平に構えた「姫神」の姿があった。

 

 「島風」の窮地を見た「姫神」が、とっさに高角砲による掩護射撃を行ったのだ。

 

「ヒメちゃん!!」

 

 喝采を上げる島風。

 

 高速で飛行する航空機も、横合いからの攻撃には対処できず、明後日の方向に魚雷を放ちながら、這う這うの体で散開していくしかなかった。

 

 更にそこへ、事態が急変する。

 

 雲間を突いて湧き出すように現れた銀翼の一団が、第2艦隊を攻撃中の米軍機に襲い掛かったのだ。

 

 零戦だ。

 

 この時、急を聞いて出撃した空母「祥鳳」「瑞鳳」から成る第4航空戦隊が戦場海域に到着し、掩護の戦闘機を放ったのだ。

 

 残っていた米軍機は、次々と零戦によって駆逐されていく。

 

「クソッ これまでかよッ!?」

 

 零戦の放つ攻撃を辛うじて回避しながら、ギャレットは悪態を吐く。

 

 攻撃は失敗だ。敵艦隊に一撃を与える事すらできず、無駄に損害を出してしまった。

 

 敵が零戦を繰り出してきた以上、長居は無用。これまでの戦いからワイルドキャットでは零戦に敵わない事は立証されている。グズグズしていたらこちらの身が危うくなるのは目に見えていた。

 

「全機撤退だッ 遅れるな!!」

 

 ギャレットの言葉を受けて、撤退を開始する米軍。

 

 その間にも零戦の攻撃は続き、犠牲者は増えていく。一刻の猶予も無かった。

 

 零戦に追われ、撤退していく米軍機を「姫神」の艦橋で、彰人も眺めている。

 

「どうにか・・・・・・終わったね」

 

 第11戦隊にとって初となる対空戦闘だったが、どうにか損害なしで切り抜ける事が出来た。

 

 そこでふと、彰人は自分が、強く拳を握りしめている事に気が付いた。

 

 どうやら、緊張していたのは彰人も同様だったらしい。あまりにも強く握りしめていた為、指の関節が堅くなってしまっていた。

 

 と、

 

 そこで視線を感じて振り返ると、姫神がジッと、こちらを見ている事に気が付いた。

 

 慌てて、笑みを向ける彰人。

 

 何となく、緊張していたのを知られるのが恥ずかしかった。

 

 そんな彰人を、姫神は不思議そうな眼差しで見詰めていた。

 

 

 

 

 

 のちに「房総沖海戦」、あるいは「横須賀沖追撃戦」の名称で呼ばれる一連の戦いは、米海軍の戦略的勝利と位置付けられる事になる。

 

 確かに、戦略目標である日本空爆には成功し、帝国海軍は爆撃阻止にも敵艦隊補足にも失敗したのだから、米軍の戦略的勝利である事は間違いない。

 

 しかし、海戦の最終局面における第11戦隊に対する航空攻撃と、零戦による空戦によって、米軍も少なくない数の空母機を失う結果となった。その為、戦術的には必ずしも、米軍の勝利とは言い難い側面がある。

 

 しかし、

 

 この一連の帝都空襲騒ぎが、後に帝国海軍の、ひいては帝国その物の運命を大きく狂わせる事になるとは、

 

 この時はまだ、誰も気付いてはいなかった。

 

 

 

 

 

第9話「米艦隊追撃」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 よろけるように、自身の飛行甲板に滑り込んでくる機体を、エンタープライズは気が気ではない様子で見詰める。

 

 結局、帰ってきた機体は、10機を少し上回る程度だった。

 

 30機から成る攻撃隊を繰り出したのだから、ほぼ6割が未帰還になった事になる。

 

 ハルゼーが企図した通り、敵の足を止める事には成功した。

 

 艦隊は、どうにか安全圏まで逃れる事に成功した。

 

 しかし、その代償は大きかったと言える。

 

 エンタープライズは、不安げな顔で目的の人物を探す。

 

 しかし、いくら待っても、着艦した機体から、腐れ縁の男が降りてくる気配はない。

 

「そんな・・・・・・まさか・・・・・・・・・・・・」

 

 絶望感に包まれるエンタープライズ。

 

 その時だった。

 

「味方機1機、着艦体勢に入る!!」

 

 見張り員の報告に、思わず振り返るエンタープライズ。

 

 するとそこには、真っ直ぐに着艦体勢に入ろうとしているワイルドキャットの姿がある。

 

 縋るような目で、近付いて来るワイルドキャットを見詰めるエンタープライズ。

 

 やがて、ワイルドキャットは危なげない動作で飛行甲板に滑り込み、狙った場所でピタリと停止して見せる。

 

 皆が見守る中、

 

 果たして、

 

 コックピットから、ギャレットが出てきた。

 

 彼は損傷機や負傷者のいる機体を優先させ、自身の着艦は後回しにしていたのだ。

 

 視線が合う、ギャレットとエンタープライズ。

 

 その顔を見てエンタープライズは安堵の笑みを浮かべるが、

 

 すぐに、思い出したようにそっぽを向く。自分達がケンカ中(エンターが一方的に)だったのを思い出したのだ。

 

 そんなエンタープライズに、ギャレットはゆっくりと歩み寄って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや?」

 

 部屋から灯りが漏れているのを見つけ、彰人は訝るように首をかしげながらそっと近づいて行く。

 

 鎮守府での報告を終えて「姫神」に戻ってきた彰人。

 

 結局、本土を始めて敵に侵されたと言う混乱とショックで、会議は長引き、帰艦は夜半になってしまった。

 

 書類整理は明日にして、今日はもう寝よう。

 

 そう思って艦長室に直行しようとした彰人だったが、扉が開いている部屋から灯りが漏れている事に気が付き、首をかしげていた。

 

「ここは、姫神の部屋だよね・・・・・・」

 

 あの常在睡眠艦娘は、夜も何も無ければさっさと寝てしまうのが常である。とすれば、部屋から灯りが漏れている筈は無いのだが・・・・・・・・・・・・

 

 少女の部屋を覗く事に若干の抵抗を感じつつも、首をヒョイッと出して中を確認してみる。

 

 そこで、

 

「ああ・・・・・・」

 

 彰人は苦笑を漏らした。

 

 中では、確かに姫神がベッドに横になって眠っている。

 

 ただし、一緒のベッドで黒姫と島風も共に眠っていた。

 

 3人の少女が川の字になって、静かな寝息を立てている様子は、見ていて微笑ましい物がある。

 

「今日はみんな、頑張ってくれたからね」

 

 彰人は姫神達を起こさないように、そっと押し入れに近付くと、毛布を出して掛けてやる。

 

 そして部屋の電気を消すと、音を立てずに部屋を出て行くのだった。

 

 


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