「うっす」
放課後、いつも通り奉仕部に向かう。毎日変わらない生活をすることで毎日働く社畜精神を養っていると考えると学校教育怖いと思う。
「あ、お兄ちゃん!」
最愛の妹、小町が駆け寄ってくる。四月になって総武高校に入学した小町はすぐに奉仕部に入部した。これまでも何度か関わっているので、平塚先生も二つ返事で入部を許可したようだ。
「おう小町、今日は変な虫寄りつかなかったか?」
「もう、お兄ちゃんは心配性だなー。そんなに心配しなくても小町は誰とも付き合う気ないよー」
談笑しながらいつもの席に着いて読書用の本を取りだす。小町も定位置について俺の手元にある本を覗き込んできた。
「あ、それ小町が貸した少女漫画! どう? どう? 感想言ってみそ?」
「まだそんなに読んでねえぞ? まあ、かなり突拍子もない設定だけど結構引きこまれるよな。お嬢様高校の金持ちお嬢様がお笑い芸人にスカウトされるとかスカウトの精神疑うわ。単純にネタも面白いし。小町から借りなかったら絶対ゲテモノだと思って読まなかったけど」
「予想以上に感想言ってくれた。嵌まってますなーお兄ちゃん、うりうり」
「頬を突いてくるな、恥ずかしい。まあ、実際面白いし、小町が推してくれるってことは十中八九はずれなしだからな」
小町は小説はあまり読まない代わりに少女漫画はかなりの量を所持している。俺もときどき借りて読むが、小町自身が勧めてくる作品は小町的お気に入りであり、俺も気に入る作品なのである。つまり迷ったら小町に聞けば安牌。
「こんにちは~」
本の内容をネタに話していると、我らが生徒会長、一色いろはがやってきた。もはやノックをする気もない。まあ、いつものことだから別にいいけど。
「おう一色、どうした? 仕事以外なら聞くぞ?」
「仕事の時も聞いてほしいんですけど……まあ、今日は生徒会も休みですから、遊びに来ただけですよ~」
「あれ? けど、いろはさんってサッカー部のマネージャーじゃなかったですっけ? 生徒会休みならサッカー部には行かないんですか?」
そういえば、こいつ生徒会がある時は俺を呼びに来て、生徒会がない時はここに遊びに来ている。「一年生(すでに二年)生徒会長なのに部活にも出て頑張ってる私」作戦はどこへ行ってしまったのか。
「あ~、サッカー部も今年になってまたマネージャー増えたんで、正直私がいなくても十分なんですよね~。力仕事は戸部先輩を頼ればいいよ~って一年には教えておきましたし」
戸部が哀れすぎて涙が出てくる。まあ、戸部とかどうでもいいから涙も出ないけど。
なんかドヤ顔で力説していた一色は俺の手元の本を確認すると目を輝かせながら定位置に付く。
「せんぱい! それ今人気の奴ですよね! ハッ、せんぱいまさか男の子なのに少女漫画読んでるオトメンアピールですか? あの人は基本スペックが葉山先輩並みな上に乙女要素があるから許されるだけで、せんぱいだとキモいだけなのでもう少し慣れさせてくださいごめんなさい」
「俺これで何連敗なのかわかんねえな。もうそろそろガチ泣きしそう。あと、オトメンとか久しぶりに聞いたわ」
「今一気読みしてるんで~。けど、私これ読んだことないんですよね~。せんぱい、最初から読みましょうよ~」
え、なんで? なぜこいつのために途中まで読んでいる本を最初から読む必要があるのか。一色はすごろくの“ふりだしに戻る”の可能性が微粒子レベルで存在している? 移動する“ふりだしに戻る”とか怖すぎるわ。
「いいじゃんお兄ちゃん! 面白い本の布教は義務だよ!」
「いや、それなら俺が読み終わってから貸せば……」
「私は! せんぱいと一緒に読みたいんです!」
なにこいつあざとかわいい。ぷくーと頬を膨らませていたので指で押してやる。ぷふうぅとタコ口から息が漏れる。何これフルーティな香り。一色の吐息を芳香剤とかにして売ったら売れるのでは。やだ、八幡天才!
「お兄ちゃんお兄ちゃん!」
小町に呼ばれて振り向くと小町もぷくっと頬を膨らませていた。大丈夫、お兄ちゃんちゃんと小町がやってほしいこと分かるよ。小町には親指と中指で両頬を挟みこむように付いてやる。ぷぷぅとわざとらしい音を出しながらこちらもタコ口から息を漏らす。こっちはフローラルだぞ。この吐息お兄ちゃんがいい値で買っちゃう。
「はぁ、しょうがねえなぁ」
女の子の吐息の神秘を垣間見たことで俺の心が浄化されてしまった。一色の言い分を聞いてしまい、しおり代わりに挟んでいた指を外し、最初のページに戻る。
「へ~、結構アクティブな感じの漫画ですね~。こう躍動感があるって言うか……あ、せんぱいめくるの早すぎです」
「え、まだ読んでなかったの? 感想言ってたから読んだと思ったわ」
「私は読みながら感想言うタイプなんです~」
それにしても読む速度遅いぞいろはす。お前本読まなそうだけど、漫画もあんまり読んでないんじゃないか?
「まあ、最近だとドラマとか見て原作の漫画読んだりはあんまりしないですね~。少女漫画読んでても男との話には使えませんし」
「後半黒いぞ一色。まあ、確かに少女漫画読む男子は少ないわなー。花とゆめとか結構面白い漫画多いのに」
「お兄ちゃん、そこはちゃおとかさ……」
「本SSは白泉社を応援してい――」
「わああああ、せんぱいストオオオオップ!」
まあ、冗談は置いといて、複数人で漫画を読むときはどのタイミングでページをめくればいいんだ? 複数人で読むことがないからわからんちんだわ。
「じゃあ、私が読み終わったら先輩に合図出します!」
「じゃあ、小町も!」
「お、おう。お前らがそれでいいならそうするか」
そして改めて漫画に目を落とす。日頃の読書で培われた速読で文字を含めて一度大まかに読んで、もう一度今度は絵を中心に見ていく。驚くと劇画タッチになるの斬新だな、ほんとにこの作者女性かよ。そんなことを考えながら見開きのページを読み終わるころ――。
――――chu
両頬に柔らかいものが触れる。どうやら一色と小町がほっぺチューをしてきたらしい。俺がほっぺチューとか言うとくっそキモい。ヒッキーキモい。
「それが合図か」
「えへへ、そうだよー!」
「ふふっ、せんぱい的にポイント高いですか?」
「はいはい高い高い。あとあざとい」
リアクション薄い! と両側から文句を言われるが無視無視。というか、本当のことを言えば不意打ち過ぎて反応できなかったというだけなのだが、事前に一言あったら避けてただろうし結局リアクションは薄くなるか。やべ、今頃になって恥ずかしくなってきた。
その後はひたすらキス→ページをめくるの繰り返しであまり内容を把握する余裕がなかった。帰ったら読みなおそう。
……
…………
………………
「……お、もうこんな時間か。そろそろ帰るか」
「そうだねー、帰りに買い物して帰ろうよ!」
「あ、今日はタケノコご飯とかどうですか? 春になってからまだタケノコ食べてませんし!」
「タケノコご飯に魚の塩焼き……じゅるり」
「小町、よだれよだれ」
「ハッ、これは失敬」
夕飯の献立を話し合いながら荷物をまとめる。バックを肩にかけると、右腕に一色、左腕に小町が抱きついてくる。歩きづらいことこの上ないが文句を言うと後が怖い。俺の立場弱すぎ!
「じゃあ、先帰るな。雪ノ下、由比ヶ浜」
「雪乃さん、結衣さん、さよならですー」
「先輩方、また明日です~」
今日も静かな雪ノ下と由比ヶ浜に別れを告げて部室を出た。最近あいつらやけに静かなんだよな。最初は生理かと思ったが、こんなに生理がこんなに長くはないことは俺にもわかる。一体どうしたんだろうな、俺にはあんま関係ないけど。
「そういえば、今日卵の特売じゃなかったか?」
「あっ、そうだ! 卵切らしてるし買い足さないと!」
「おひとり様一パックだから三パックゲットですよ!」
「いや、三パックは絶対余るじゃん。賞味期限前に卵祭とかもう絶対やりたくないわ。二パックで十分」
オムライスと卵焼きとカルボナーラと卵スープで卵が被ってしまったとか軽く絶望覚えたぞ。一色と小町の料理うまいから食べたけど。
* * *
彼らがいなくなった部室は途端に静かになった。あまりにも静かすぎて自分自身すらいないのでないかと錯覚してしまいそうなくらい。
「…………」
「…………」
「……ねえゆきのん」
「なにかしら由比ヶ浜さん」
沈黙に耐えられなくなったのか由比ヶ浜さんが声を発する。部室に入ってくる時に挨拶して以来の声は重く沈んでいる。私もいつも通り返そうとしたけれど、自分でもわかるくらい低い声が出た。
「この状況……いつまで続くのかな?」
「恐らく……ずっと……」
由比ヶ浜さんが机に沈んだ。あんなものを毎日見せられた上に、これからも見せられると言われれば無理もない。
左ひざに小町さん、右ひざに一色さんを乗せてページをめくる度にほっぺたにキスをされる比企谷君を見せられたら、私だって狂ってしまいそうになる。最初は少しずつ席を比企谷君に近づけていただけだったのに、気がついたらひざに陣取っていた。小町さんは……百歩譲って気にしないにしても、一色さんまで彼のひざを定位置にするなんて誰が予想しただろうか。そして今日はページをめくるたびにキス、最近の高校生はそんな気軽に口ではないとはいえキスをするものなのかしら。こんなとき友達の少ない私は完全に否定できないのがちょっと歯がゆい。
しかも問題なのは彼らが別にいちゃついている自覚がないということだ。彼らは至極普通に過ごしているつもりなようで普通の表情で乳繰り合うものだからこちらとしてもツッコむ隙がない。というか一色さん、さっきの言い方だと比企谷君達と一緒にご飯食べるのかしら……。
心なしか、心休まる場所だったはずの奉仕部部室が私と由比ヶ浜さんにとって修練の場になりつつあるような気がする。一切しゃべりに参加できず、時間の経過だけをひたすら待つと言うのは無言を好む私でも少し辛い。由比ヶ浜さんはもっと辛いでしょう。
けど、私にはこの現状を打開する策がない。というか私には彼ら三人が作り出すいちゃいちゃ空間に割って入ろうという勇気がないの。由比ヶ浜さん、無力な私を許して。
「ゆきのん……」
今、私たちにできることは――
「今日、部屋に行ってもいい?」
「……えぇ」
――傷を舐め合うことだけだった。
やはり彼の後輩との接し方はまちがっている。