ペルソナカグラ FESTIVAL VERSUS -少年少女達の真実-   作:ゆめうつつ

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実は各話のサブタイは両作品の楽曲から取られており、ペルソナ回ならペルソナ曲、カグラ回ならカグラ曲、キャラ回ならそのキャラ曲という図式になっています。この縛りがいつまで続くか……


4話 Crisis

 2009年 4/7 朝――――

 

始業式――――、それは学生生活において一年の始まりを示すと言っても過言ではないイベントである。とはいえ、その内容自体は極めて退屈なものだ。

朝早起きして学校へと赴き、全校生徒が体育館へと集合し、有り難くも無い演説を聞かされて終了する。概ね、何処の学校もこのような段取りで行われるのだろう。

それは無論、ここ半蔵学院においても変わり映えのしない光景である。尤もそれは、『表側』の生徒のみにおいてという意味であるのだが。

 

「うひゃあー、今年もすごい人数だなぁ」

 

その『表側』に属さない『裏側』の人間、つまり忍である飛鳥は、その光景を校舎の屋上に立って見下ろしていた。

午前九時前、始業式の開始時間となった半蔵学院の校門は、生憎の雨模様の中集合する生徒たちでごった返している。そして、そのおよそ三分の一が今年の新入生だ。

言うまでも無く、彼ら三分の一の生徒は難関試験を乗り越え、見事この国内有数の進学校半蔵学院へと入学することとなった優秀な生徒たちである。

 

「――――あれ?」

 

そして、そろそろ切り上げようと思った矢先、飛鳥は不可思議なものを眼にする。

雑多に往来する生徒たちの中で、視界の端に捉えた一つの“それ”。気のせいにも満たない様な、極々僅かな違和感。

それは、『青』であった――――、彼女には何故かそう感じられ、それだけしか感じることしか出来なかった。

それが何であったのかを確かめるために身を乗り出して『青』を探すが、既に群衆に紛れてしまい、見つけることは叶わない。

 

「……今のは、もしかして――――」

 

しかしその答えを口にする前に、タイムリミットが訪れる。

始業式が有るのは、忍学科とて変わり無い。内容も『表側』と比べれば遥かに小規模であり、生徒数も新入生を含め現在五名でしかないのだが。

それでも、一年の始まりを告げるイベントを彼女がすっぽかす筈が無い。何より、彼女にとって初めての後輩が出来るのだ。

 

「それじゃあ今日も、飛鳥、頑張りますっ!」

 

飛鳥は気を引き締めると、一瞬垣間見た『青』に後ろ髪を引かれつつも、踵を返し忍学科の校舎へと帰っていく。

暫く経てば、まるで白昼夢の様な存在であったその『青』を、彼女は忘れてしまうのであった。

 

 

     ◆

 

 

 2009年 4/7 放課後――――

 

新入生である柳生と雲雀の歓迎会は、概ね成功であったと言える。

誰も彼もが、笑い、喜び、仲間であることを認め合うことが出来た交流は、全員にとって忘れられない思い出となることであろう。

仲間内での信頼関係を重視する彼女たちにとって、こうした交流は必須のイベントなのであった。

 

今、飛鳥たちは活動拠点となる半蔵学院の周辺、浅草市内をパトロールがてら柳生たちを案内している。

その内容は浅草の観光名所、人気スポット、よく利用する商店などといった基本的なモノから始まり、

不良の溜まり場、人気の無い裏路地、悪忍と遭遇した地点という忍視点での案内もある。

飛鳥たちでさえ今だ把握し切れていない程に膨大なそれらを、確認も含めて見回っていた為に、何時の間にやら空が薄暗くなっているのだった。

 

「そろそろ切り上げ時ですね。今日はこれまでにして、寮へ帰りましょう」

 

引率者である斑鳩は、案内兼パトロールを切り上げることにする。

時刻は午後七時を過ぎており、春先でまだ日の没する時間が早いために、仲間たちに帰還を命じたのだった。

しかし、葛城や柳生といった好戦的、義務的な面々は帰還命令に渋っており、まだまだパトロールを続けるべきだと意思表示を露わにしていた。

 

「えぇーっ!? もう切り上げるのか? アタイは最近悪忍ともやり合ってなかったから、パトロールを続けてーぞ!」

「……葛城の言い分は兎も角、探索を終えるにはまだ早い時間帯ではないか? 私はまだこの付近を確認しておきたいのだが」

 

葛城の悪忍退治をしたい発言をスルーしつつ、柳生は午後七時という忍にとってはやや早すぎる帰還時間に疑問を抱く。

忍である彼女たちに門限など無いも同然であり、寧ろ夜こそが忍の本来生きるべき時間であると言えるからだ。

しかし、斑鳩の提案が覆ることはない。

 

「最近は悪忍たちの活動も大人しいですし、今日一日くらいは大丈夫でしょう。

 そもそも、柳生さんたちに寮の案内をしなければなりませんし、何より帰ったら歓迎会の続きが有りますよ?」

「あん? なんだよ、そうならそうと早く言えよなー」

「かつ姉ったら、朝の歓迎会で斑鳩さんがそう言ってたでしょ……」

 

歓迎会の続きをすると聞き、手のひらを反した葛城に呆れるように飛鳥は言う。

所謂快楽主義者の気が有る葛城は、在り来たりな任務よりも歓迎会の方に興味を移したらしい。

柳生は忍としての責務を全うしようとする為やや渋っていたが、もう一人の新入生である雲雀が歓迎会への参加を望んだ為に、あっさりと意見を変更した。

冷徹なまでに忍らしい彼女ではあるが、この様に雲雀だけには甘いのが、柳生という少女の性格であった。

 

「まったくもう、みんな――――」

 

そんな微笑ましい光景を見て、紡がれるはずであった飛鳥の感嘆の呟きは不意に途切れることになる。

帰宅ラッシュの時間帯である故に、多くの学生や会社員が行き交う中で行われていた少女たちの喧騒のすぐ脇を通り抜けて行く一つの人影。

その影が、飛鳥の心を果てしなく揺らすのであった。

 

「飛鳥さん、どうしました?」

 

心配して声を掛けてくれた斑鳩の言葉も耳に入らない程に、飛鳥は放心して人波の中を見つめている。

いや、放心という言葉は正しくは無い。一瞬だけ垣間見た、自分のすぐ傍を通り抜けていくその姿を必死に想起しようとしているからだ。

 

自分よりわずかに高い細身の体躯、長い前髪によって隠された銀灰色の瞳、そして身に纏う『死』の雰囲気――――

そう、その姿はまさしく、およそ一月ほど前に自身を救ってくれた少年その者であったのだ。

 

「見つ、けた――――!」

 

その事実に気が付いた瞬間、飛鳥は一も二も無く駆け出していた。

仲間の制止も気にも留めず、ひたすらに彼を追いかけだしたのであった。

 

 

     ◆

 

 2009年 4/7 夜――――

 

彼を探し始め、既にかなりの時間が経っていたが飛鳥は未だに彼を見付けられないでいた。

あの時一瞬すれ違った彼はすぐさま人混みの中に紛れてしまい、何処へ行ったのかも検討が付かなかった為だ。

故に飛鳥は、彼を探すためだけに周辺地域すべてを虱潰しに探し回る羽目となっていた。

飛鳥はビルの屋上から薄暗い路地裏に降り立って辺りを見回すが、それでも彼を見付けることは出来ない。

 

「此処にも居ない……、一体何処に――」

「飛鳥さーん! 見付けましたよ!」

「へっ!?」

 

突如として上空から掛けれた言葉に、飛鳥は間の抜けた声を出す。勿論その声の主は、勝手に飛び出した自分を探し回ったであろう斑鳩のモノである。

彼のことで頭が一杯となっていた飛鳥は始め『見付けた』という単語に反応したのだが、次の瞬間には自身の行いをハッキリと思い出し、顔面を蒼白にする。

大切な歓迎会をすっぽかして単独行動を行っていたなど、言い訳の仕様も無いほどに愚の骨頂であるのだから。

よって飛鳥がとった行動とは、斑鳩に向かって思い切り頭を下げることだった。

 

「す、すいませんでした!」

「はぁ……、謝るのはいいですし、そもそも謝る相手が違います。柳生さんと雲雀さんには、後で謝っておいて下さいよ」

 

飛鳥の隣に音も無く着地した斑鳩は怒る訳でなく、しかし己の行いを諭すようにして告げる。

確かに飛鳥が謝るべき相手は彼女では無く、歓迎会を潰されたその二人であろう。この後のことを想い、気が重くなる飛鳥であった。

 

「それで、一体どうしたんですか。いきなり走り出すなんて?」

「そ、そうです! あの人を見付けたんですよ、あの人を!」

 

説教もそこそこに、早めに切り上げて斑鳩は気になっていた疑問を飛鳥にぶつける。対する彼女の答えは要領を得ない息巻いた物であったが、大体の意味は斑鳩に伝わった様だ。

斑鳩はその意味を察すると、すぐさま仲間内に連絡を取り、この場への集合を指示する。そして、忽ちの間に残り三人の忍学科メンバーが集まった。

初めの内は葛城や柳生が飛鳥の勝手な行動にやや憤っていたのだが、飛鳥の言う彼――――つまり件の妖魔事件に関しての最重要人物の発見を伝えられ、一旦は矛を収める。

歓迎会が流れてしまったことに文句が無い訳では無いが、現在の問題である妖魔事件の解決も重要な任務の一つである為に、忍メンバーたちは彼の捜索を優先することになったのだ。

 

尚、歓迎会の件に関しては、飛鳥がすぐさま柳生と雲雀を筆頭にメンバー全員に謝り倒し、後に埋め合わせをすることで決着になるのであった。

 

「それで、件の少年とやらをどうやって探す?」

「うん。取り敢えず、もう少しだけこの辺りを探してみようと思うよ」

 

柳生が発した疑問は当然であった。

既に時刻は午前零時直前となり、人影も疎らになってきている所為で一層彼を見付けることは叶わなくなっている。

そもそも、普通の人探しであるならば、このような場所や時間帯まで探すことなど有り得ないのだ。

少なくともあの時、彼を発見したことをすぐさま斑鳩などに伝え、忍メンバー全員で捜索していれば、単純計算で彼が見つかる確率は五倍までに上がっていただろう。

だが、生憎と飛鳥が以前彼と出会った時間帯こそが今この時である。その為、彼女はある意味でこの状況になることを待ち望んでいたのかもしれない。

 

「……そういえば、あの人と出会ったのもこんな風に、この時間、路地裏に居て――――」

 

飛鳥の言葉が、最後まで紡がれることはなかった。

 

――――カチリと、音が響く。

 

突如として襲った悪寒。その場にいた全員が、余りの環境の激変に身を激しく震わせる。

しかし、飛鳥だけは違った。彼女はこの身に纏わりつく悪寒を、狂気的なまでに輝く悍ましい月を、ありとあらゆる負の感情が渦巻く世界を既に識っていたからだ。

 

「そんなッ!? これって、あの時の――――」

 

彼女の言葉が紡がれるのはまたしても無かった。

突如として暗がりから飛び出してきた異形――後に『マーヤ』と名付けられる、偶然にもあの時と同じ粘液の身体と青い仮面を持つモノだった――が、襲い掛かって来た為である。

その異形もまたあの時の光景を再現するかのように、飛鳥の知覚範囲を超え、対応できない速度で迫ったのだ。しかし、今とあの時とは決定的に違う点がある。

 

「はあっ!」

「オラァッ!」

 

剣と足甲による一閃――――、言わずもがな斑鳩と葛城の武器による反撃だ。二人ともが既に、忍転身を終えている。

飛鳥と比べても遥かに研磨されたその攻撃は、彼女の背後から襲い掛かった異形を両断し、その身体を弾き飛ばした。

無論、今の襲撃を防ぐことが出来なければ、飛鳥の命は無かったであろう。図らずも、彼女が異形から身を救われるのは此れで二度目となった。

 

「大丈夫か、飛鳥!?」

 

葛城が飛鳥に駆け寄り、彼女の安否を確認する。

勿論、異形の指一本――果たしてアレに指という器官が有るのかは甚だ疑問だが――すら触れていない為、肉体的には何の問題も無い。

よって葛城が懸念しているのは、精神面での問題だ。誰だって殺されかけるなどすれば、多かれ少なかれショックを受けるのが普通の反応である。

そしてそれはこの戦場において致命的な隙となり、死を招くだろう。彼女たちが生き残るためには、ここで誰一人欠ける訳にはいかないのだった。

 

「――――っは、ぁ……、うぅ、ぐ……。だ、大……丈夫だよ……」

 

果たしてそれは、葛城の予想通りであった。

全身を震わせ、血の気の引いた唇で平気であることを伝えようとする飛鳥の姿は、憐れみを覚えるほどに痛々しかった。

最後の気力で構えた二振りの脇差も、隠しきれない程に震えており、とても振るうことなど出来ないだろう。

やがてその脇差も取り落としてしまい、それと同時に飛鳥は膝から崩れ落ちる。

これでは、とても戦うことなど出来ないだろう。異形に襲われたことによるトラウマが、最悪の事態を齎していた。

 

「飛鳥ッ! しっかりしろッ!」

 

勿論それを責めるような輩は存在しない。誰もが今にも発狂しそうなほどの恐怖に抗っているのだ。

これまで経験してきた、忍の任務などとは根本から違う、異形との戦い。その現実が、彼女たちの精神を削り取っていく。

しかし現実は、その恐怖に浸る暇すら与えない過酷なモノであった。

 

「なっ!?」

 

その叫びは、果たして誰のものであったのだろう――否、全員が等しく叫んでいた。

現れた異形は、一体だけでは無かった。まるで闇が染み出すかのように、あちこちの月明かりの影から異形どもが立ち上っていく。

飛鳥たちは既に全方向を包囲され、逃げることは叶わなくなっていた。

 

「……は、ははは。相手にとって不足なしといったところだぜ! 行くぞ!」

 

その恐怖を払うかのように、葛城は無理やりに己を奮い立たせる。

バトルマニアの気質を持つ彼女は、強者との戦いを望んでこそいるが、流石にこの状況ではその信念も揺らぎかけていた。

そもそも望んでいるのは戦いによる己自身の向上であり、命のやり取りではないのだ。そして、その恐怖心が次なる隙を生む。

 

「■■■■■――――!!!」

「ッ!?」

 

斑鳩に両断され、葛城に吹き飛ばされた筈の異形が吠えた。その事実に、葛城は身体を硬直させる。

その異形が生きているのは秘伝忍法以外ではダメージを通さない謎の強靭性にあり、飛鳥から前もって知らされていた情報の一つであった筈だ。

だが、飛鳥を除いてこの場の誰もが異形などとの戦闘は未経験であり、心の何処かで今だ(にんげん)相手としての意識のまま戦っていたのだった。

そして、飛鳥によってもたらされた情報が確かであるならば、この異形が次にとる行動は――――

 

「かつ姉! 引いてッ!」

 

後ろから掛けられた声に、脊髄反射で反応する葛城。固まりきっていた身体を無理やり動かし、飛鳥を抱えて空へと跳ぶ。

次の瞬間、一瞬前まで二人が居た空間が巨大な氷塊に閉ざされる。その魔術めいた攻撃は言うまでも無く、異形によって起こされたモノだ。

葛城がそれを避けることが出来たのは、彼女に攻撃が有ることを呼びかける声があったからこそだ。

 

「……今のは、もしかして雲雀が?」

「う、うん。何だかよく解らないけど、『危ない』って思って……」

 

その声の主とは、現在柳生の後ろに隠れるようにして戦況を見守っていた雲雀――正確には柳生が雲雀を後ろに隠している――のモノであった。

なるほどと、傘に仕込まれた銃によって異形を攻撃していた柳生は思う。雲雀は感知能力においてこの場の誰よりも優れている。

その源は彼女の両目に宿る『華眼』と呼ばれる能力に起因するものであり、それによってあの正体不明の攻撃も感知できたのだろう。

――――或いは、あの能力と『華眼』は同じ能力であるのかもしれない。そんな考察が柳生の脳裏に浮かび、すぐさま消えていく。

兎にも角にも、今は形振り構っている状況ではないのだ。使えるモノが多いに越したことはない。

 

「雲雀! お前はその能力で皆のフォローに回れ! あの攻撃を察知できるだけでもだいぶ楽になる!」

「うん! 分かったよ柳生ちゃん!」

 

間髪入れず柳生から出された指示に、雲雀は一も二も無く従う。それは雲雀に対して過保護な面がある彼女なりの気遣いであるが、もう一つの理由が存在する。

そもそも、雲雀を除くこの場の誰もが異形に対して武器、忍術で攻撃を行っている。一目見た瞬間から、アレに直接触れるのは絶対に不味いと、全員が本能的に理解した為であった。

雲雀はこのメンバーの中では武器を持たず、攻撃スタイルも素手による近接戦闘である為、あの異形に触れるのが躊躇われた故の指示である。

そしてそれが間違いではないことを、彼女たちは直ぐに知ることとなった。

 

「ひいっ!? な、なんだよコレッ!?」

 

突如暗がりから現れた闖入者は、およそこの場には似つかわしくない一人の男性であった。

怯えきった眼で此方を見るその態度さえ見れば、彼が何の力も持たない一般人であることは瞭然だ。

愛刀・飛燕による斬撃で、複数の異形たちを切り捨てて――だがそれでも、異形どもを倒すには至らない――いた斑鳩は、その人物を見て手が止まってしまう。

そのあまりに異常な光景は、彼女を混乱させるのに十分であったのだから。

 

彼女はそもそもこの風景の激変を、何らかの結界の形成による異界化なのだと考察していた。

忍が扱う忍法の一つに、《忍結界》というものが存在する。その名の通り、普通の人々から見れば存在しないも同然な、隠された世界だ。

忍たちが主に決闘用として使うこの忍法は、例え一般人を発動領域に巻き込んだ場合であっても、忍以外の人間が取り込まれない様になっている。

この死の世界が結界であるならば、忍の自分たちが取り込まれるのは当然であり、一般人はそうではないという法則が、《忍結界》と同じように働いていると考えていたのだ。

事実、一月前に飛鳥がこの世界に取り込まれた際、一緒にいた一般人は取り込まれることが無かったと彼女は話していた。

 

(それならば、何故此処に一般人が!?)

 

彼女たちはまだ気づかない、飛鳥が見た一般人は結界に取り込まれなかったのではなく、彼女と等しく死の世界に引きずり込まれたことを。

彼女たちはまだ気づかない、一般人がいた個所に存在した棺桶が、何を意味する物なのかを。

彼女たちはまだ気づかない、そもそもこの世界が、一体何のために存在するのかを。

 

この場の誰もが――今まさに、異形に襲われようとしている彼も含めて――まだ気づかない、彼がもう既に助けられる者ではないことを。

 

「っあ、ああぁあ、あぁあ、アアァアアアァァアァァアアァァァァアッッッ――――!!!???」

 

狂気の月夜に響くのは、男性の断末魔だった。

 

暗がりから飛び出してきた時点で既に、彼は異形の標的となっていた。

そして、この異常な光景を目にしたことで、足を止めてしまったことが、彼の命運を決めたのだ。

 

彼の背後から飛び掛かった異形が、その粘液状の身体で彼を包み込む。

だが、やがてその体積は収縮していき、飲み込まれた男性が徐々に露わになっていく。

しかしその姿を見て斑鳩たちは、今度こそ言葉を失い、己の正気を疑うのだった。

 

「――ア、ヴぉえ……、ガ――――ご、ぼ」

 

減少した体積が何所に行ったのかがはっきりした。男性を包み込んだ異形はその粘液状の身体を以て、彼の体内へと侵入していたのだ。

口、鼻、耳、眼孔――――、そういった隙間から異形を構成していた泥の様なナニカが侵入していき、彼の身体や精神、或いはもっと根源的な部分を蹂躙していく。

既に男性の眼に光は宿っておらず、異形に体内を侵される苦しみも感じていない様だ。

やがて全ての粘液が侵入し終えると、まるで逆廻しの映像の様に、男性の身体から泥の様なナニカが溢れだしてきた。

しかしその体積は先の異形一体分よりも増大しており、見積もっておよそ二倍ほどの量になるだろう。

その泥も忽ち再び異形としての体を取り戻すが、先程とは違う点が一つある。其処には、二体目の新たな異形の姿が有ったのだ。

そして、その二体目の異形を眼にしたことにより、ようやく何が起こったのかを朧げに把握するのだった。

 

これは、捕食だ――――

 

異形が存在する理由や理屈などは分からないが、それだけは理解できた。人を襲い、人を喰らうその姿はまさしく、異形と云う他無いと、斑鳩は何処か自嘲気味に想う。

飛鳥と同じように己の武器を取り落し、崩れ落ちる。いや、彼女だけではない、既に誰もが戦闘意欲など失っていた。

葛城は飛鳥を背に守りながら戦っていた為、全力を出すことが出来ず、追い詰められた。

柳生も同じく雲雀を守りながらの戦いであり、遠距離戦闘の為葛城よりは消耗は軽いが、最早それも限界に等しい。

攻撃は通じず、残弾も残り少ない。そして何よりも、守るべき雲雀自身の心が既に折れていた。感受性の高い雲雀は、異形に襲われた男性を見て誰よりも早く何が起こったのかを察していたのだから。

そもそもこの二人は、入学してまだ一日と経っておらず、妖魔襲撃事件を朧げにしか把握していないこともあった。

 

既に周囲は、数十体の異形によって囲まれている。

飛鳥たちはせめてもの抵抗として、輪になって身を寄せ合い、敵に背を向けることこそしなかったが、その行動にどれほどの意味が有るのだろう。

最早それは、ただの意地にも満たない惨めな足掻きでしかない。彼女たちの運命は、何も変わらない。

 

「――――ここまで……、なのかな?」

 

眼に涙を浮かべたまま、雲雀はぽつりと呟く。それは誰しもが胸中に思い描いていたモノだが、こうして口に出されることによってハッキリと実感を伴う。

想像する。自分たちもあの異形に侵され、新たな異形を生み落す苗床となる様を。

 

私たちは此処で、死ぬのだろうか――――?

 

「……嫌だ」

 

その言葉を発したのは、斑鳩でも、葛城でも、柳生でも、雲雀でもない。

その呟きは、涙を堪え、今だ震えの収まらない身体を叱咤激励しつつ立ち上がった飛鳥のモノであった。

 

「私は……、私たちは死なない! 絶対に死なない! 忍の道を極めるまでは!」

 

それは飛鳥の魂の叫びだ。数多の異形に囲まれるという絶対絶命の窮地にあっても、彼女は未だ自分の命を諦めてはいなかった。

 

「飛鳥さん――――ふふっ、そうですわね」

「へへっ! そうこなくっちゃな!」

「ふっ……飛鳥、やっぱりオマエは大した奴だな」

「飛鳥ちゃんががんばるなら、雲雀もがんばるよ~♪」

 

それに呼応するかのように、斑鳩たちもまた、己の武器を握りなおす。

仲間が立ち上がるというのに、どうして自分だけが座っていられよう?

折れた筈であった彼女たちの心は、信念を取り戻したことによって再び奮い立つ。

 

「飛鳥っ! 正義のために、舞い忍びますっ!」

 

取り落とした脇差の代わりに苦無を握り、異形へと向けて突撃する。最早その心に迷いはない。もう逃げないと決めたのだから――――!

 

「やあああぁぁぁっっっ――――!」

「■■■■■――――ッッッ!!!」

 

そして、()()()()()()。真紅の爆炎に包まれ、跡形も残さずに夜の闇に溶ける様に消えていった。

その快挙を見て、葛城が絶賛するが、当の飛鳥本人は当惑気味であった。

 

「おう! やるじゃねぇか、飛鳥!」

「いやっ? 私はまだ何も――――」

 

其処で飛鳥は何かに気付いたように、表通りに続く路地へと目を向ける。

 

まさか、まさか、まさか――――!!!

 

飛鳥は其処で漸く、どうして此処まで自身の心が折れなかったのかを理解した。

彼女は気付いていたのだ。自分は此処で、待ち焦がれた『彼』に再会することを。

故に、逃げず、退かず、折れず、敗れず、負けずにいることが出来たのだから。

 

――――やがて、表通りから一人の男性が歩んでくる。

 

傍目には、猫背気味のままポケットに手を入れて気だるそうに歩くという不健康そうな印象を与えるだろう。

青い前髪が顔を半分覆い隠しており、垣間見える表情も生気の抜けた陰鬱な雰囲気を思わせる。

だが、その人物が現れた瞬間から空気が一変する。まるで辺り一帯が深海へと引きずり込まれたかのように、温度も、呼吸も、圧力も、全てが重々しくなったのだ。

しかし飛鳥たちは、それらを苦痛と思うようなことはない。彼女たちの中に在る恐怖や絶望といった感情すらも、その雄大な海に包まれ、鎮めてくれるような気がしたのだから。

 

「……やっぱり、君だったのか――――」

 

やがて『彼』は飛鳥を見て、どこか納得した様に呟く。まるでこうして出会うのが必然的であったという、捉え方ではロマンチックとも感じられる吐露だ。

しかし飛鳥には、彼にとって殆どつながりが無いであろう自分に対し、どうしてそんなセリフを吐くのか疑問であった。

それでも、ただ二つだけ理解出来るのは、彼が居れば何とかなるのであるだろうという安心感。

そして、あの時の「どうでもいい」という興味を示さないセリフではないのが、自らの胸の中でより一層大きくなる正体不明の感情を齎すのであった。


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