ペルソナカグラ FESTIVAL VERSUS -少年少女達の真実- 作:ゆめうつつ
2009年 4/6 朝――――
通い慣れた、しかし懐かしくもある半蔵学院の校門を飛鳥は潜り抜ける。
学院を離れていた期間は一月程度の時間だったが、確かなホームシックの様な感情を彼女は抱いていた。
足取りも軽く、学院の敷地内を意気揚々と歩きながら、飛鳥はある場所を目指していた。
まだ学院が始まっていない為か、人影は疎らである。それでも学業や部活で僅かに登校している生徒たちの間を彼女は歩いていく。
途中、気配を消し忘れた為に眼を惹いてしまった彼女に声掛けしようとした男子生徒が数名居たが、一般人に忍を捕まえろと言うのは土台無理な話だろう。
学院の片隅に存在するその部屋は、何も知らない者から見れば只の『和室』としか映らないであろう。
精々が“茶道部が部室として使う”などという予想を立てて、其処で完結してしまうに違いない。だが、この和室こそが彼女の目的地であった。
念入りに辺りを見まわし、盗聴やら監視やらの類がないことを確認すると、床の間に飾られている掛け軸を背にする。
瞬間、飛鳥の姿は掻き消えてしまう。もしもこの場に第三者の目があったならば、そう映ったことであろう。
実際には、壁に施されていたどんでん返し――忍の世界での一般的な隠し扉である――を潜り抜けただけだ。
つまり彼女が目指していたのは、半蔵学院の『表側』から『裏側』――――、即ち忍学科へと至る道である。半蔵学院内には、こういった隠し扉などが幾つも設置されているのだ。
「飛鳥、ただいま帰還しました~っ!」
障子戸の形をした自動ドアを開きつつ、部屋中に響き渡るような大声で飛鳥は宣言する。
浅草に着いたのが帰ってきたという“感覚”であるのならば、このただいまという宣言は“実感”を齎すモノだ。
まだ1年程度しか通っていない半蔵学院忍学科だが、彼女にとっては既にもう一つの実家とも呼べる場所なのである。
「お帰りなさい、飛鳥さん。……一般生徒に見られるとは感心しませんね。気配を消すのは忍として基本ですよ?」
「うっ……、見てたんですか
椅子に腰掛け、優雅にお茶を啜っていた少女、斑鳩。飛鳥と同じく忍学科の生徒であり、同時に先輩にあたる人物だ。
半蔵学院女制服に身を包む、黒髪ストレートの長髪が印象的な少女であり、彼女のプロポーションも飛鳥とまた同じく、或いはそれ以上に豊満であった。
彼女は飛鳥に帰還の挨拶をしつつ、登校時の失態についてダメ出しをする。
忍学科の三年生にして、クラス委員というまとめ役故に、後輩への指導も彼女の役目だ。勿論、それに伴うべき実力も彼女は身に着けている。
やや厳しい言葉かもしれないが、後輩を案じる故の言葉である為、憤りなどは感じない。
しかし、斑鳩のこういった厳しいお言葉も一月ぶりなので、飛鳥の心中には懐かしさと嬉しさが込み上がって来ていた。
それ故に、反応が遅れるのだった。
「おっかえりぃ~~~、飛鳥~~~!」
「ひゃあっ!?」
気配を消して飛鳥に後ろから掴みかかったのは、斑鳩と同じく忍学科の三年生である
長い金髪と制服の胸元を開け豊満な胸を晒した姿が特徴的な、活発な少女である。
しかし、そんな外見よりも印象的であるのが、彼女の性格だった。
「おぉ~~~。暫く見ない間に、またデッカくなったんじゃないか、飛鳥? うへへ~~~♪」
「ちょ、かつ姉! 一か月も経ってないんだから大きくなる訳無いよ! いや~~~!」
……ご覧の通り、女の子へのセクハラを趣味とする、オッサンの心を持った変態少女である。
抱き付いた際に飛鳥の胸を鷲掴みにし、揉みしだく姿は圧倒的に変態そのものであった。
尤も、これが彼女なりのスキンシップである為、飛鳥はこれまた懐かしさを感じていた。
葛城はひとしきり飛鳥の胸を堪能し、彼女から離れると、今度は斑鳩の方へと向かっていく。
言うまでも無く斑鳩の胸を揉むための行動であるのだが、斑鳩とてそれをあっさりと許す訳ではない。
忍特有の歩法、体捌きを駆使し、葛城の魔手から逃れる――。対して葛城も同じく忍の技術を使い、斑鳩の胸を揉もうとする。
段々とその動きは激しくなっていき、遂には飛鳥ですら眼で追うのがやっとだという程までにその動きは昇華していく。
一月前よりも洗練されているその動きに、よもやこの争いは自分がいない間毎日続けられていたたのだろうかと飛鳥は複雑な思いを抱き、斑鳩に同情する。
そうして、この果てしなく不毛な争いは、突如として現れた闖入者によって断ち切られるのであった。
取っ組み合いをしていた二人の間に、何やら不審な物体が転がってくる。
それは煙玉と呼ばれる、忍具の一つであった。本来は逃走や攪乱に使われる煙幕を排出する道具なのだが、忍学科においてこの忍具を多用する者は一人しかいない。
ドカン! と派手な音を立てて煙が噴出し、飛鳥たちは一時的に視界を奪われ激しく咳き込む。そして煙が晴れると、其処には一人の人間が現れていた。
「ふむ、無事に帰ってこれたようだな。お帰り、飛鳥」
短かい白髪に上下とも黒いスーツ、忍として熟練の雰囲気を漂わせた壮年の男性。
飛鳥たちの忍としての教師、
「まず初めに、飛鳥、修行と試験を中断させてしまって済まない。迷惑をかけたな」
「い、いえいえそんな! あの状況じゃ仕方ないですよ」
自身の師にして上司でもある霧夜からのいきなりの謝罪に飛鳥は面食らう。
確かにそれらの事項は残念ではあったのだが、謎の妖魔らしき存在に襲われたこともあって、その命令を彼女は受け入れているのだ。
それ故に、霧夜が頭を下げたことに飛鳥は戸惑いを隠せない。
「いい、これは私なりのケジメだからな。
教え子に適切な指導を行うのが教師の仕事である以上、それを変えてしまったことに、私にも一端の責任があるからだ」
「霧夜先生……」
そう言われてしまっては飛鳥もこれ以上口を挟む事など出来ない。観念して霧夜の謝罪を受け入れる事にするのだった。
「では飛鳥、話してくれるか? 君が見た全てを」
「……はい」
そして一転、顔を引き締め『忍』となった霧夜に向け、飛鳥は語りだす。
あの夜、彼女に起こった出来事を――――
◆
「『謎の妖魔』、『謎の少年』、『謎の能力』――――か。解からないことばかりだな……」
「う、ごめんなさい……」
一通りの出来事を話し終えた飛鳥であったが、不確定要素ばかりの情報に対する霧夜の言葉は辛辣とも取れた。
無理もないであろう。むしろ、たった一度の遭遇でこれだけの情報を獲得しただけ僥倖とも言える。そのため、霧夜は慌てて前言を撤回する羽目となった。
「いや、済まない。責めている訳ではないが……。こうも情報が少なくてはな……」
「ええ。やはり、その少年を探し出して、接触するべきでは?」
対して斑鳩は、その少年を探すべきだと進言する。現状では、それが最善の手段だろう。
謎の妖魔に自分達の攻撃が効かない以上、そちらを優先するのはあまりにも危険であるからだ。
「ああ。だが、件の少年を捜索してはいるのだが、結果は芳しくないな……。
情報が少ないこともあるが、それらしい少年の足取りがぷっつりと途切れてしまっているのだ」
「途切れている、ですって?」
「その飛鳥を救ったと思しき少年は、早い段階から発見できてはいたのだよ。
しかし、それを断定する前に姿を消してしまった。
身辺調査すら済んでいなかったから、学校や親族の情報も無い。勿論、何処へ移り住んだのかも、な」
そう言って霧夜は、懐からある写真を取り出す。
其処に映っていたのは、見間違えるはずもない、あの日飛鳥を救ってくれた少年の姿が有った。
「この人、間違いないです! 私を助けてくれたのは、この人です!」
「やはりか……」
隠し撮りと思われるその写真に写る少年は、相も変わらず濃い死相を映している。
横から盗み見た斑鳩と葛城でさえ、その陰鬱な雰囲気にギョッとし、身体を仰け反らしていた。
「こ、この方ががそうなのですか?」
「それにしちゃあ、何と言うか……」
「あ~、うん。言いたいことは分かるよ、斑鳩さん、かつ姉」
二人が何を言いたいのかを察した飛鳥は、続きを促す事無く黙殺する。
彼の持つ負の雰囲気は飛鳥ももちろん理解しているが、何だかんだで命の恩人である為、悪い意見を聞きたくないという思いが有った為だ。
普段の彼女らしからぬその行動に二人は首を傾げるが、飛鳥が少年の写真を熱っぽく見詰めているのを見て、どういう心境なのかを理解した。
(飛鳥さん、貴女はもしかして……)
(お~、こりゃ飛鳥にも『春が来た』ってヤツか~?)
写真を見つめていたまま暫く呆けていた飛鳥であったが、自身を見つめる斑鳩、葛城、そして霧夜の視線にようやく気付き、慌てて写真を付き返すのだった。
「――はっ!? あ、あ、あ、ごめんなさい! コレ返しますよ霧夜先生!」
「ははは、いい、そのまま持っておけ」
「そうだぜ~、飛鳥~」
霧夜は微笑みながら写真の返還を拒み、葛城は顔を真っ赤にする飛鳥を茶化す様に写真を持ち続けるよう促す。
飛鳥は暫く葛藤するように視線を交互に写真と周囲へと向けていたが、やがて意を決し、写真を確保することに決める。
斑鳩たちから身を背け、写真を懐に――何故か、その豊満な胸の間へと――仕舞い込む飛鳥の姿を、三人は生暖かい視線で見つめるのだった。
「と、兎に角! この人が例の異能者だっていうことが分かったから、この人を探すようにして下さい!」
「はは、分かっているさ。ならば、私は作業に取り掛かる。席を外すぞ」
霧夜はそう呟いて、文字通りにドロンとその場から消え失せる。
残された少女達は重苦しい雰囲気から、約一名は羞恥心から解放された安堵からか、各々が盛大に溜息を吐いた。
「はぁ、疲れた……」
「お疲れ様でした、飛鳥さん。ですが、仕事はまだ終わってはいませんよ」
「そうだぜ~、飛鳥のことも気になるけどそっちは後回しだ」
「え?」
やっと解放されたと安堵の溜息を吐いた飛鳥であったが、斑鳩と葛城の二人の言葉に疑問を覚える。
記憶を探るが、自身に課せられた仕事など一体何が――――
「歓迎会の準備ですよ。明日、柳生さんと雲雀さんが入学してくるのですから」
「あっ! そうだった!」
柳生、そして雲雀の二人は、彼女たちの後輩にあたる忍生徒である。
この春に半蔵学院に入学する新入生であるのだが、飛鳥たちはそれ以前から彼女たちとの交流が有った。
具体的には、およそ数か月前に行われた、半蔵学院への体験入学などだ。
仲間内での絆を重んじる傾向にある善忍は、こういった交流会を開くことなど珍しくもない。
加えて、飛鳥、斑鳩、葛城の三名全員がそういった繋がりを大事にする性格という後押しもあった。
しかし、羞恥心によって脳が沸騰していた飛鳥は、一時的に記憶を喪失していたらしい。
これから新たな仲間となる二人のことを失念してしまう程に、彼の存在が強烈だったのだと言えるだろう。
「ふふ、しょうがないですね飛鳥さんは。ほら、作業に取り掛かりますよ」
「は~い」
◆
準備を終え、始業式前故に任務なども無い彼女たちは明日まで完全なフリーである。
姿勢を崩し、楽な体勢となった彼女たちは雑談に花を咲かせていた。
「……それにしても、謎の妖魔騒ぎか。アタシたちにもそんな任務が回ってくるのかね?」
「いいえ、本当に妖魔の仕業であるならば、私たちに御鉢が回ってくることなどありませんよ。
そんな任務が与えられるのは、卒業をして、更に経験を積み、一人前の忍となってからです」
「やっぱりな~……。強い奴と戦えそうだから、興味はあったんだけどな~」
「もう、かつ姉ったら相変わらずなんだから」
内容こそ非日常染みているが、其処に悲壮や悲観などといった感情は感じられない。
それは油断や慢心などでは無く、仲間たちと力を合わせれば負ける筈が無いという、絶対的な信頼関係の表れである。
事実、彼女たちは、そうやって数多の困難を乗り越えて来たのだから。
しかし、その楽観的ともいえる彼女たちの態度に、飛鳥は僅かな不信を感じてしまう。
あの時、飛鳥へと迫ってきた『死』の恐怖を、彼女たちは知らないのだから――――
「飛鳥さん、大丈夫ですか?」
「――――ぁ、い、いや、うん。大丈夫だよ!」
その心の内を見透かしたように問うてくる――正確には、呆けていた飛鳥を心配した言葉だが――斑鳩に対し、飛鳥は必要以上に威勢を見せてみせる。
しかしそれでも、忍仲間としての付き合いから何かを感じ取ったらしく、斑鳩は飛鳥を気遣うように言葉を掛けるのだった。
「そうですか……。もしかしたら、まだ妖魔に襲われた怪我が響いているのかもしれませんね。
この後は自主練の予定でしたが、飛鳥さんは大事を取って、今日は療養にしますか?」
「あはは、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
斑鳩は飛鳥の身体を案じて、休息に務めるよう進言するが、飛鳥はそれを断る。あの妖魔に襲われた傷は既に癒えているからだ。
そもそも、傷自体があの時の彼の治癒魔術によって完全に回復している為に、これ以上の療養のしようが無いのだった。
だが斑鳩は、飛鳥のそれが空元気だということに気が付いていた。忍仲間として、伊達や酔狂で一年近い付き合いが有る訳では無い。
もしも飛鳥に問題があるとするならば、それは身体ではなく、心の問題であるのだろうと、彼女は理解する。
そしてそれは、葛城とて同様であった。彼女もまた、後輩を気遣うべき先輩としての立場であるからだ。
飛鳥は斑鳩と葛城に不信を抱き、斑鳩と葛城は飛鳥に不安を抱く。
彼女たちの認識の齟齬が果たして、一体どのような結果を齎すことになるのか。
それは、そう遠くない未来の出来事である――――