ペルソナカグラ FESTIVAL VERSUS -少年少女達の真実-   作:ゆめうつつ

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少し前に、UA10000&日刊ランキング掲載を達成しました。皆さんありがとうございます。いやホントビビりましたよ……。

今回は満月シャドウ戦、そして理の……という話です。しかし長いです。一万字超えてます。そして難産でした……(汗


10話 避けられぬ戦い 前篇

 2009年4月9日 夜 『満月』―――― 

 

夜の帳が下り、月が中天に差し掛かる頃、飛鳥たちは半蔵学院学生寮へと向かっていた。

当然の如く、誰もが緊張した趣きでその足を進めている。彼女たちがこれから向かうのは、真の意味での死地であるからだ。文字通りの意味での命懸けの任務となるのは、飛鳥たちとて左程の経験が有る訳でもない。寧ろ、雲雀などは初めての経験となるだろう。常に今日死ぬかもしれないという心構えを持つ理とは違い、彼女たちは心中穏やかではないのだった。

 

「……そう怯えることなど有りませんよ」

 

そう言って不安を和らげようとする斑鳩にも、緊張の色が見え隠れしていた。

飛鳥や雲雀よりも命懸けの任務経験が有る彼女とて、これから向かう任務の危険度は理解している。いや、彼女たちよりも多い経験からその難度が理解できる故に、恐怖は彼女の方が上かもしれない。しかし、斑鳩はその恐怖を押さえつけて、後輩たちを気遣っているのだ。

自分たちだけが恐れていてはいけないと、飛鳥たちは気を引き締めなおし、目的地へと向かうのだった。

 

 

     ◆

 

 

飛鳥たちが目的地である、半蔵学院男子寮の屋上へと到達したときには、既に理が待っていた。しかしその佇まいは、月を見上げながら呆けているという、およそ人を待つ態度とは思えないものだった。

飛鳥たちが屋上へと降り立ち、傍へと近づいても、彼はまだ月を見上げたままであった程だ。その姿はさながら亡霊の様であり、彼女たちが思わず身構えたのも無理からぬことである。

 

「……結城さん?」

「…………」

 

動揺を抑えつつ、代表して斑鳩が理へと問いかけるが、彼が応えることは無い。黙って月を見上げたままだ。

それはまるで自分たちが、引いてはこれからのシャドウ討伐が、それ以下の価値であるのだと言われた様な気分を抱く。斑鳩は激昂こそしなかったが、隠しきれない苛立ちを覚えつつ、理へと再度話しかけるのだった。

 

「っ、結城さん! いい加減にしてください!」

「…………ん」

 

そこで漸く理は、斑鳩たちが到着していたことに気が付いたように、ゆっくりと顔を向ける。

相変わらず感情の色が見えない瞳に睨まれたことにより、目線を逸らしそうになるが、今回ばかりは憤りの方が上回っている為、その眼を見据えることが出来た。

満月の様な銀灰色の瞳、やはりその視線は、自分を見ている様には感じられないと斑鳩は思った。

こうして彼の眼を見据えてみても、何処を見ているのか全く判断が出来ない。いっそ憐れみすら覚えるほどだ。

 

「……結城さん、我々はこれからシャドウ討伐を行うのですよ。

 その様な心構えでは困ります。……頼みますから、ちゃんとして下さい」

「……ああ、…………すいません」

「……?」

 

心此処に非ずといった感じで、理は投げやりに返答を行う。

流石にここにきて、誰もが彼の態度におかしいモノを感じ始めていた。

 

「ゆ、結城くん……? どうしたの……?」

 

おそるおそると、飛鳥が理に問いかける。

だが、その言葉に反応した訳ではないのだろう。そして紡がれた彼の言葉に、誰もが首を傾げる他なかったからだ。

 

「……………………『月』だ」

「へ?」

 

やはり理は月を見上げたままに、その言葉を発したのだ。

思わず飛鳥たちも月を見上げるが、其処にあるのは真円を描く美しい満月が有るのみであり、別段彼女たちの気を引いた訳でもない。

しかし理は、まるでそこに『何か』が有ると確信しているかのように、視線を逸らさない。

無表情ながらも、その真摯な眼差しは月明かりに照らされ、普段は長い前髪に隠されている彼の美貌を引き立てていた。

ほぅ、と誰かが溜息をもらす。或いはその場にいた少女たち全員であったかもしれない。

幸いであったのが、その溜息が全く同時に発せられたために誰のものか特定が出来なかったことと――――

 

「――――来るッ!」

 

ほぼ同時に、シャドウの襲撃によって、有耶無耶になってしまったことであった。

 

時刻は午前零時、シャドウの時間である――――

 

     ◆

 

 

その声を発したのが彼であると、飛鳥たちには信じられなかった。

焦りという感情が多分に含まれたその叫びは、完全に彼の雰囲気に合致していなかったからだ。

まだ短い付き合いながらも、徹頭徹尾マイペースを崩さないのが彼女たちの知る、結城理という人物なのだから。

 

月に陰りが帯びる――――

 

月食? と、飛鳥たちは思い、それを瞬時に否定する。

少なくとも、満月の中心部から徐々に黒く染まっていくという現象は、部分月食にも皆既月食にも当てはまらない。

尤も、地球の影によって月が欠けゆくという現象がこの結界内においても適用されるのかは定かではない為、何が起こっても可笑しくは無い。

 

――――しかし、その『影』を飛鳥たちが認識した瞬間、彼女たちは自分が『死んだ』と錯覚した。

 

「後ろに跳べッ!」

 

再び、似つかわしくない叫びが理の口から轟き、無意識で身体が反応をする。

次いで、一瞬前まで彼らが居た地点に『ソレ』が轟音を響かせ降り立った。コンマ一秒でも遅れていたのなら、無残な挽肉の出来上がりだっただろう。

全員が間違いなく、今まで生きてきた中で最速の反応を以て動かされたのは、修行の成果か彼の功績か。恐らく9割方は彼のお蔭だと、彼女たちはぼんやりと思う。

だが、それが何の慰めになるのか。相変わらず『死』は、其処にあるのだから。

 

「……シャドウ、なのか…………?」

 

葛城の呟きは、その場の全員の気持ちを代弁していた。

身の丈は3~4メートル。胴体は無く、長く伸びた無数の手足が複雑に絡まり合っただけの漆黒の身体。その手の一つに掲げられた、青い仮面。

体色と仮面という特徴を見れば、『ソレ』がシャドウだというのは一目瞭然だ。しかし、『ソレ』が纏う濃厚な死の気配は、昨日のシャドウと比較することさえ馬鹿らしい。

撤退だ――――、斑鳩は早々に結論付け、理に進言しようとする。しかし彼は、何故か忙しなく辺りを見回しており、焦りの気配をより濃くしていた。

 

「……結界の範囲が広すぎる? もしかして、地球ごと結界に包まれているのか? これじゃあ、逃げ場なんて――――」

 

そんな絶望的な呟きが、全員に届く。

そもそも、シャドウが人間を襲う結界――以後、『影結界』と呼称する――とは、午前零時になると同時に出現する特殊な異空間だ。影結界の内部では時間が停止し、全ての機械は動かなくなり、この世の何人も認識することは出来ない、……結城理を除いて、だが。

午前零時から約一時間の合間のみ存在するこの空間に侵入するには、シャドウの餌食となるか、先日の彼女たちの様に偶然囚われるか、恐らくこの世で唯一影結界を認識できる理が外部から侵入するのみなのである。

 

しかし影結界は、忍の扱う『忍結界』と同様、範囲の限られた物であった筈だ。その為、シャドウたちが存在している場合でも、結界を離脱して逃走が可能で有った為、撤退は作戦の一つに数えられていたのだ。

無論、その情報ソースは理自身からであり、彼女たちもそれを疑いようも無く受け入れていた。と言うより、シャドウの情報を彼しか持たない以上、疑う意味が無い。

しかし、それらの前提条件は全て無に帰った。ならばこそ、彼女たちがとれる選択肢は、このまま戦闘するという一択のみだ。

 

けれども、『死』に挑むという、そんな恐怖を抱くくらいならば、いっそ――――

飛鳥たちは、己が持つ武器に目を走らせる。其処にあるのは、人の命を容易く奪う刃だ。後はそれを、首筋でも心臓でも、好きな部位に滑らせれば、それで終わり――――

 

「こっちだッ! 来いッ!!!」

 

三度、彼の絶叫が響く。しかしその叫びは、今度こそ“結城理らしくない”叫びだった。

何時の間にか理は、飛鳥たちから遠く離れた位置に移動し、大型シャドウを引き付けていた。大型シャドウも迷いなく彼に突進する。

思わず飛鳥は理を助けようと身体を動かすが、恐怖から足が縺れ倒れ伏す。まるでコントの様な扱けっぷりで、この様な状況でなければ笑いを誘ったはずだろう。

しかし、その観客である筈の理は歯牙に掛けた様子も無く、眼だけで飛鳥たちに伝える。

 

逃げろ――――、と。

 

馬鹿な、と誰もが思う。

例えるなら飛鳥たちは、あの大型シャドウにとって、往来を行く人に踏みつぶされる羽虫の様なものだ。そもそも、あのシャドウは初めから飛鳥たちになど目もくれていない。

大型シャドウを倒すには、自分たちはあまりにも力不足であり、その役目が結城理へと委ねられるはまだ分かる。

だが果たして、理ですらあのシャドウに対抗できるというのか。飛鳥には、とてもそうは思えなかった。

 

「……駄目っ、結城くん…………、逃げ――――」

「逃げますよ、飛鳥さんッ!」

 

震える喉で飛鳥は叫ぼうとするが、その声を遮り、彼女を抱え上げる姿が有る。

斑鳩だ。その向こうでは、既に逃走の体勢に入った葛城と、雲雀を抱えた柳生の姿が有る。つまりは、理に従い、彼を残したまま撤退するというのだ。当然、飛鳥には許容できるものではない。

 

「そんなッ、斑鳩さん! 結城くんを見捨てるんですか!」

「私たちではあのシャドウに敵いません! 此処に残れば、彼の邪魔になるんですよ!」

 

嘘だ。斑鳩も理があのシャドウに敵うとは露ほども思っていない。そんな建前を用意しなければ、飛鳥を、そして自分自身を動かすことが出来ないのだ。

心底自己嫌悪する。何が忍だ、何がクラス委員長だ。目の前の人間一人――――否、二人の命と心を救うことすら出来やしない。

斑鳩は命が惜しい訳では無い。本来なら、貴重な能力と情報を持つ彼を命に代えても保護するべきなのだ。

だが今ここには、守るべき後輩が3人もいる。そして、自分の力ではシャドウ相手に足止めにすらならないのを理解している。

 

自分の命で後輩3人を危機に晒すか、彼の命で全員を逃がすのか。それは、単純にして残酷な算数であった。

だからこそ斑鳩は思う。そんな決断をあっさりと下した結城理という人間を、恐ろしく感じる。彼女の心の中では、感謝よりも恐怖が勝っていた。

 

「待っ――――!」

 

もう、飛鳥の叫びなど耳に入らない。一刻も早くこの場所から離れたかった。

だが、離れる理由がシャドウからの逃走なのか、彼からの逃避なのか。

斑鳩には、もう分からないのだった――――

 

 

     ◆

 

 

(……行ったか)

 

視界の端で、闇夜に消えていく少女たちの姿を見ながら、結城理は異形に相対する。

それは、彼が能力に目覚め、今までの十年間で討伐してきたどのシャドウとも比較にならない巨体と重圧を持っていた。

だからといっても、理の心は落ち着いている。寧ろ、今までに無いくらいに平静になり、同時に騒めいているという奇妙な感覚だ。

 

奇妙と言えば、もう一つ。

それは先程、理が彼女たちに対し、下がれや逃げろと命じたことだった。

気が付けば叫んでいた。それは、自分の命や他人の命も“どうでもいいと”考える彼には有り得ないことだ。逃走したところで、目の前にいる大型シャドウ以外にも、数多のシャドウが蠢くであろうこの死の世界で、彼女たちが生き残れる保証は無い。

死ぬのが早いか遅いかという程度でしかないのだ。彼にとっては、ただそれだけの違いでしかないというのに。

 

「――――ッ」

 

思考は中断される。大型シャドウによる攻撃が開始されたのだ。

無数の手足に幾重もの剣を構え、同時に魔法の発動を理の感覚は感知する。当然、脳が命令を発するよりも先に身体は動いていた。

爆炎――――、弱いシャドウはおろか、理すら及ばない程に巨大なそれは、しかし理に届くことはない。

この十年で培われた『死』への予感、《心眼》は伊達では無い。何処に居れば死に、何処に居れば死なないのか、理には手に取るように解る。

手足を伸縮させて飛来する剣閃も、合間を縫って飛んでくる火球も、彼に届くことはない。しかしまた、理の攻撃がシャドウに届く事も無いのだ。見たそのままに、物理攻撃の手数は圧倒的にあちらが上。確認すれば、理の炎の魔法には耐性を持っている様だ。

とどめに今の理は武器を持っていない。今夜の合流の際に忍学科が用意する手筈だったのだが、その前にシャドウが襲撃し、飛鳥たちは撤退した。

さて困ったぞ、と理はぼんやりと考える。このまま待っていれば、理のスタミナが先に切れて、シャドウに押し切られることになる。つまりは、このままでは理は絶対に死ぬのだ。

 

しかし理は悲壮することはない。彼にとっては、いつか来る『終わり』が目の前に在るというだけなのだ。

だがせめて――――と、理は思う。シャドウは人間を襲う。それは、この大型シャドウとて例外では無い筈だ。偶々今回は、獲物が自分だけだという話なのだ。

そして自分が死んだ後、このシャドウは何処へ向かう? 明白過ぎる答えに、思考する気すら起きない。つまりは、撤退した飛鳥たちにこのシャドウが向かう可能性がある以上、出来る限り引き留めておく必要があるのだった。

 

「■■■■■■――――――――ッッッ!!!」

「おっと」

 

シャドウが雄叫びを挙げ、剣閃と火球が同時に飛来する。運の悪いことに躱しきれず、剣が肩を掠め、炎が肌を焼いた。

何も問題は無い。回復魔法で痕も残さず治せる程度の怪我であり、そもそも足をやられなければ行動に支障はない。故に、精神力を温存する。

既に理の思考は、出来るだけ永くこのシャドウを引き留めておくつもりでいた。まるでらしくないと、彼は自分でも思う。

 

だが、結城理は自身の命を賭してでも、彼女たちの生存を望んだのだ――――

 

それは決して、不快な感覚では無い。尤も、それが何故という答えは出ないのだが。

 

(どうでもいい、のか……?)

 

何時もの様に思考を打ち切ることは出来ない。家族が死に、流されるままに生きてきた十年で初めての経験だ。

果たして、この問いに答えを出すことが出来るのだろうか――――その前に、彼の命が終わるであろうが。

 

「がッ?!」

 

突如、炎を躱したはずの右足に激痛が走る。瞬時に回復魔法を施し、回復させてその場から離脱するが、理の目に映ったのは信じがたい光景だった。

男子寮屋上の床が砕けていたのだ。その抉れたコンクリートを見て、先程の攻撃の正体を看破する。

 

(……ワザと屋上を砕いて、その破片をぶつけてきたのか。炎はその目くらまし。器用な事をするな)

 

一瞬で攻撃の正体を看破する彼も大概だが、その攻撃を行ったシャドウも大概だ。

そして、この攻撃は武器も防具も持たない理には致命的だ。飛んでくる破片が殺気の無い偶発的なものである為に、《心眼》も通用しない。

偶然ではないのだろう。この大型シャドウは、他のシャドウに比べ明らかに知能が発達している。

あのナリで人間並みか、それ以上に頭が良いのだ。以前読んだホラー小説に、そのような怪物が登場していたなと理は何となしに思う。

 

この攻撃方法をシャドウが身に着けたことで戦局は一気に傾いた。

最早理に出来ることは、受けた傷を速やかに治し、また傷を負い、そして傷を治すというループを出来るだけ長く持たせるだけだ。持たせれば持たせるだけ、飛鳥たちが遠くへ逃げ延び、生き残れる確率は上がる。

だが、目の前のシャドウを倒さない限りこの世界から脱出は出来ないという確信を、理は抱いていた。

 

再び、石礫が飛来して理の身体を傷つける。

学習が進んだのか、飛来する石礫は多くなる一方だ。実に嫌らしく、合理的な戦術だと関心すらする。

魔法で傷を塞ぎ、石礫の弾幕を躱し、躱しきれなかった石礫で傷を受ける。その繰り返しが、延々と続く。

それも何時までも続かない。魔術の糧となる理の精神力は無限ではない。そして、ついには発動すらしなくなった。

そう、これこそがシャドウの狙いであったのだ。いたぶる様な攻撃は、理の精神力を消費させ、能力の封印を目的としていたのだった。

 

身体の力が抜け、膝を付いてしまう。怪我こそ治癒できている為肉体的にはほとんど無傷だが、呼吸は荒く、半蔵学院の制服はボロボロになり、脂汗が全身に浮かんでいた。

確実なとどめを刺すためだろうか、シャドウは火炎魔法を使うことなく、わざわざ理に歩み寄ってくる。全く持って要らない気遣いだった。

後ほんの数秒もしないうちに、手に持った無数の剣で全身を刺し貫かれることになるであろう。

しかし、理の心中は相変わらず平穏平静だ。それに相反する騒めく心もそのままであったが、理にはそれが何であるのか見当がついていた。

それはきっと、渇望なのだ。結城理が永らく求めていた、今眼の前に在るモノ。それこそが、この騒めきの正体。

剣閃が飛来する。この身体では避けることもままならない。避けるつもりも、無い。

 

理にとって、『死』とは恐怖ではない。彼が恐れるのは、本当に怖いのは――――

 

「――――結城くんッ!!!」

 

……あり得ない声が、聞こえた気がした。

 

 

     ◆

 

 

理がシャドウと戦闘を始めた頃へと、視点は移動する。

そこには、彼に命じられるまま戦線から離脱し、飛鳥を抱えて闇夜の街を往く斑鳩の姿があった。

 

「斑鳩さん、斑鳩さん! 戻って下さいッ!!!」

 

駆ける、翔る、カケル――――

 

闇夜の街を一心不乱に跳んでいく斑鳩は、完全に普段の冷静さを欠いていた。

その腕の中の、飛鳥の悲痛な叫びさえ耳に入らない程に。

 

「このままじゃ、結城くんが――――!」

 

その眼はただ前だけを映し、他の一切を映そうとしない。

眼下の街で、同じくシャドウによってこの世界へと堕とされた、哀れな犠牲者達の姿さえも。

恐怖と寒さで震える唇から洩れる言葉は、一つだけ。

 

もっと早く、もっと遠くへ――――!

 

逃げるために、生きるために。斑鳩は前だけを見て、足を動かし、この死の世界を駆けていく。

 

嗚呼、でも――――、一体何処へ行けばいいのだろう――――

 

「すいません、斑鳩さん!」

「んあっ!?」

 

ぱしん、と小気味よい音が響く。それは、飛鳥が斑鳩の拘束から無理やり抜け出し、その頬を叩いた音だった。無理な体勢での攻撃で有った為、威力はそれほどでもないが、彼女を正気に戻すには十分であったらしい。

斑鳩は何処かの道路の真ん中に降り立ち、改めて飛鳥と相対した。彼女の眼には、非難めいた色が見え隠れしている。その眼に睨まれた斑鳩は一瞬身を竦め、しかしクラス委員長としての責務から、冷静に飛鳥を説得しようとする。

 

「……飛鳥さん、気持ちは分かります。ですが、結城さんの様な能力を持たない私たちでは、あのシャドウ相手では――――」

「そんな事は分かってます! それに、私が言いたいのはそれだけじゃありません!」

 

飛鳥の言葉に斑鳩は眼を見開く。彼女はしっかりと己が戦力外であることを認識し、それでもなお理を助けようとしているからだ。

 

「――――斑鳩さん、結城くんを怖がってましたよね?」

「それは……」

 

そして、続く飛鳥の言う『それだけではない事』に、自分自身の不甲斐なさを恥じた。飛鳥にさえ、当たり前の様に見透かされていたのだ。

 

斑鳩は結城理を恐れている。武力でも能力でもなく、その精神性をだ。

何時かの明日、自分が死ぬということを忘れぬ『死』への想い。それ故に彼は、あっさりと己の命を囮に出来る。

だが、少なくとも斑鳩――――否、きっと飛鳥や葛城だって、その『何時か』は『今』ではない筈だ。

彼女たちは理の様に、今だに『死』を理解できていない。もしかしたら、理解できる日など来ないのかもしれない。

だからこそ、斑鳩は飛鳥に問う。

 

「……飛鳥さんは、彼が怖くないのですか?」

 

対して飛鳥は、僅かに苦笑しながら答える。

 

「……すいません、偉そうなことを言いましたけど、私もよく分からないんです」

 

「でも」と、飛鳥は紡ぐ。彼女の脳裏に浮かぶのは、あの運命の日――――

 

「結城くんは、優しい人です。それだけは、間違いないと思うんです!」

「……あ」

 

眩しい、と斑鳩は思う。結城理が影ならば、飛鳥はまさしく太陽という光だ。

飛鳥自身、今だに彼を信用しきれていない所は有るのだろう。そうでなければ、よく分からないという言葉は出てこない。

それでも、彼女のその苦笑から強い意志の力が見て取れた。

 

「ッ、飛鳥さ――――」

 

そんな中、空気の読めないシャドウの襲撃が起こる。

それは本来なら、飛鳥には到底迎撃することも出来ないものであった筈だ。

だが――――

 

「――――ふっ!」

 

居合抜きの要領で解き放たれた飛鳥の二刀、柳緑花紅(りゅうりょくかこう)が、シャドウを切り裂く。

仮面を縦横に切り裂かれたシャドウは、もがき苦しみ、やがて闇夜に溶けていった。斑鳩はその光景を、呆然と見ている。

 

「飛鳥さん、貴女は――――」

「……行ってきます。結城くんを逃がすくらいなら出来ますし、伝えたいことだってありますから」

 

飛鳥が理の様にシャドウを倒せる力を得たのは、彼女の意思の力による物なのか。

既に斑鳩には、飛鳥を止める術を持たない。その資格も覚悟も無い。理の居る場所、半蔵学院男子寮に向けて跳びだしていく飛鳥の後ろ姿を、斑鳩は何もできないまま見詰めていた。

 

自分は何と臆病な事だろう。彼の『死』への精神性というものに目を曇らせ、彼自身というものを欠片も理解できていなかった。斑鳩とて、彼に救われた一人であるというのに――――

無力感から佇む斑鳩に射す影が有る。その気配には勘付いていた為、斑鳩はそれに向けて憮然としたまま不平を漏らした。

 

「……ずるいですよ皆さん。これじゃあ私だけ、悪者みたいじゃないですか」

「そんなことねーよ。アタイだって、結城やシャドウにビビって逃げたんだからな」

 

その影とは、斑鳩と共に逃走した筈の葛城であった。当然、彼女の傍に寄り添う形で、柳生と雲雀の一年生コンビの姿もある。

そして、三人が全員ともバツの悪そうな顔をして飛鳥の駆けた方向を見ている。先程の飛鳥の言葉は、彼女たちにも聞こえていたのだ。

 

「……それで、どうする? お前は行かなくていいのか?」

「そういう柳生さんはどうなのですか?」

 

斑鳩は柳生へと問いかけた。忍らしく冷徹な彼女がどうするのか、斑鳩は分からなかったからだ。

柳生はまず「質問に質問を返すな、と言いたいところだが……」と前置きしながら、彼女の問いに答える。

 

「正直言って、飛鳥の様に結城はまだ信用出来ない。雲雀が怯えていたからな」

「柳生ちゃん、それはっ」

「だがな――――」

 

そこで柳生は首を回し、隣に寄り添う雲雀を見る。

そして、不安そうな表情を浮かべる雲雀を安心させるように、柳生は己の覚悟を告げた。

 

「アイツには、雲雀を救ってくれた借りが有る。それを返すために、今回だけは手を貸してやるさ」

 

柳生は彼と出会った深夜、シャドウに襲われそうになった自身と雲雀を救ってくれたことを覚えていた。そんな柳生の言葉を聞き、雲雀も顔を輝かせ、同調するように自身もまた覚悟を決める。

 

「柳生ちゃん――――! うん、雲雀も結城さんのこと、助けるよっ♪」

 

これで残るは葛城と斑鳩だけだ。しかし二人もまた、既に覚悟を決めている。

恐れが消えた訳ではない。彼女たちの様に借りが有る訳でもない。だが、それでも――――

 

「――――行きましょう、皆さん!」

「「「おう!(ああ!)(うん!)」」」

 

今だけは、結城理を信じる飛鳥を信じてみよう――――

 

「正義の為に、舞い忍びます!」

 

 

     ◆

 

 

時は戻り、再び理たちの場面へと移る。

 

「結城くんっ、助けに来たよ!」

「……飛鳥?」

 

重い身体を起こし、目の前を確認すれば、其処に居たのは決して幻覚などでは無い。

無数の剣群をその二刀で以て防ぐ姿は、誰がどう見ても飛鳥そのものだ。そんな驚愕の光景に、当然の如く理の思考は停止する。

何故だとか、逃げなかったのかとか、助けてくれてありがとうという言葉すら浮かばない。それ程に、理にとっては馬鹿げた光景だった。

 

「くっ、このおっ!」

 

鋭い剣閃が走り、シャドウの腕を叩き切る。巨体とはいえ、飛鳥の技量でも切断は可能であった。

一閃、二閃、三閃――――! 激しい斬撃がシャドウの体躯を切り刻み、眼に見えてシャドウの攻撃の手が鈍っていく。

だが、その代償は飛鳥の体力だ。そして何よりも、飛鳥はシャドウとの戦闘に慣れて無さ過ぎた。

 

「……く、分かってはいたけど!」

 

切断された筈の腕が再生する。切断面から闇が染み出す様にし、腕を形作る。

その腕が再び剣を握り、飛鳥へと飛来する。体力を消耗し、理を背に庇う彼女では、それを躱すことが出来ない――――

 

「や、あああああああぁぁぁっっっ!!!」

 

最早飛鳥は、気力だけで戦っているという状態だった。

防ぐ、逸らす、弾く、往なす、掃う、薙ぐ――――

彼女の技量の限界を超えた筈の防御は、どんな想いで行われているのだろう。

そして、長いようで短い、攻防の時間は突如として終わりを告げる――――

 

「結城くん、逃げ――――がっ!?」

 

飛鳥の身体が、唐突に横に弾き飛ばされる。その攻撃を行ったのは、言うまでも無くシャドウの腕であり、それも切断された筈の腕であった。

どうやら、この大型シャドウは切断された体をも動かすことが可能であり、腕を再生させることで地面へと落ちた腕に意識を向かわせない様にしていたのだ。

そして、攻防の中で飛鳥が理へと逃亡を勧め、ほんの僅かに意識を逸らした隙を狙っての不意打ち。呆れるほどに、知能的だ。

 

屋上の床に叩き付けられた飛鳥は起き上がる様子が無い。呻いてはいるので、死んではいないが殆ど気絶しているようだった。そこでシャドウは飛鳥を標的に定めたのか、眼前の理を無視し、彼女の方へ近づいていく。既に能力の使えない理よりも、得体の知れない闖入者の排除を優先したのだろう。どこまでも合理的である。

 

「…………何で?」

 

理はそんな光景を、呆然と見ている。

自分が死ぬはどうでもいい。命への執着など、彼は当の昔に――――あの『十年前の事故』の日に捨てている。

無論、他人の命にだって関心は無い。例え、誰かが目の前で死んだとしても、彼は眉根一つ動かさずにそれを見届けることの出来る人間だ。

飛鳥は、理の『選択の結果』によってこの死地に舞い戻り、そして死へと(いざな)われている。彼が『選択』したからこそ、彼女は『死ぬ』のだ――――

 

『我、自ら選び取りし、いかなる結末も受け入れん』。かつて理が半蔵学院へと編入する際、交わした『契約』の一節が浮かぶ。彼は確かにその言葉の意味を理解し、署名した筈であった。……だからこそそれを、受け入れることが出来ない。

そして、結城理は漸く気付く。何故自分が、彼女たちの生存を望んだのかを。

 

――――結城理という人間は、(それ)が自身の手による『選択の結果』であるのならば、絶対に許容できないのだ。

 

理の脳裏に、家族を失った『十年前の事故』の光景がフラッシュバックし、今までの人生が走馬灯のように流れていく。

燃え盛る車に取り残された家族。自分もまた大怪我を負い、初めて『死』というモノを実感したあの夜。

親戚中を盥回しにされ、大人たちに嫌気が差し、一人だけで生きていくと決めたのは何時頃だっただろう。きっと、どんな子供よりも早い筈だ。

何時の間にか使えるようになっていた不思議な『能力』。夜の街を徘徊する異形『シャドウ』。そして出会った『忍』という存在。

 

そしてとうとう、走馬灯は今眼の前の光景にすら到達しようとしていた。

 

満月の夜、半蔵学院付属の男子寮/月■■学■付属の■戸台■寮、その屋上で大型シャドウ/『■術師(マ■シャ■)』に相対している――――

 

其処で理は、ベージュ色のカーディガンの少女飛鳥/ピ■ク色のカーディガンの少女■■に守られている――――

 

大型シャドウ/『■術師(マ■シャ■)』の攻撃により、飛鳥/■■が弾き飛ばされ、理にもう打つ手はない/地面の『■■■』を拾い上げる――――

 

(……なん、だ、コレ?)

 

それは、理の知らない記憶。結城理ではない■■■の記憶。ノイズに阻まれ、断片しか識ることの出来ない記憶。

だが、今ここにいる結城理と、記憶の中での■■■とは、決定的に違う点がある。

 

理の手の中には、『■■■』が存在しない。■■■■を■■する為の『■■■』が存在していない。

 

――――果たしてそうだろうか?

 

焦燥感から胸を掻き毟らんとしていた手が、何かの鼓動を感じ、懐を探る。

――――鍵だ。かつて理が契約を結んだ際、契約書に付属していたそれを、彼は何となしに手放せないでいたのだ。

理は鍵を繋ぐチェーンを首から外すことすらもどかしく、力任せに引き千切り、自らの右手にその鍵を収めた。

そして鍵は眩い光を放ち、一瞬にしてその形態を変える。

 

其処に有ったのは理にとって、見慣れない『銃』だった/見慣れた『召喚器』だった。それを見て、理の心臓がドクンと跳ねる。彼はそれを、『召喚器』と呼ぶことを識っている。

当然、結城理/■■■は、その『召喚器』の使い方を、何時の間にか識っていた/言うまでも無く知っている。

 

『召喚器』を右手に構え、ゆっくりと自分のこめかみへと押し付ける――――

 

「結城くん、何をッ?!」

 

最早理には、飛鳥の叫びは届かない。

シャドウは何時の間にか理へと標的を変え、此方へと突撃している。彼にはその光景が、まるでスローモーションのように見えていた。

 

「――――っ、あ、……は、ぁ」

 

呼吸は荒く、身体が震える。『召喚器』を握る手も覚束無く、今にも取り落としそうだ。

恐怖、なのだろうか? 生物が当たり前のように抱く筈の感情を、理は今初めて感じている。

 

(違う)

 

これは『歓喜』だ――――、そんな感情を抱くのも、結城理にとって初めての経験だ。

故に、彼は嗤う。ゾッとするような狂気的な笑みを浮かべ、目の前にいるシャドウを嘲笑する。

 

――――殺されてたまるか

 

     死ぬのは俺じゃない

 

          お前の方だよ――――

 

そして理は、その引き金を引く――――!

 

「――――ペル……ソ……」

 




P3プレイヤーだと、マジシャン強すぎじゃない? と思われるかもしれませんが、彼も大型シャドウである以上、それなりに戦える筈です。というか、大型シャドウの皆さんは大抵搦め手で戦ってきてますよね。それに乗っ取り、このマジシャンさんも知能派な戦い方になりました。

何やら理が謎の電波、もとい記憶を見ていますが、勿論これはこの小説において最大級の爆弾ともいうべき設定です。賛否両論あるでしょうが、どうぞ生暖かい視線で見守ってやってください。

そして次回は、ペルソナ能力に覚醒した理が半蔵学院メンバーと協力しての、VSマジシャン戦となります。どうぞお楽しみに。

……どうでもいいことですが、newwaveでちょっと課金したらいきなりUR雪泉(特攻)引きました。マジでビビりました。これは、さっさと雪泉メインの話を書けというおっぱい神の啓示なのでしょうか。

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