エヴァとルイズのグダグダな生活   作:ゆっけ’

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永遠のルイズ

 「はぁ……はぁ……」

 

 彼女は廊下を走っていた。一部のクラスメイト達とは違い、運動が得意な方ではないため少々不恰好ではあるが、彼女にしては珍しく必死である。

 

「私と、した事が、うっかりしていた、です……」

 

 理由は簡単、ちんたら歩いていては、ホームルームに遅刻してしまうからだ。中学生にとって遅刻というのは一大事だ。勉強は好きではないために成績はあまり(かなり)良くないが、普段の生活面で先生に注意された事などはないから余計にだ。

 勿論、いつも通りであったならルームメイトの居る彼女が遅刻などする筈がない、のだが。

 

「ハルナの、言った通りに、なってしまったのが、悔しい、ですが……」

 

 何故彼女が遅刻しそうかというと、昨夜ルームメイトの一人がどこからか持ってきた「三匹が斬られる」という時代劇のDVDにハマってしまったせいであった。”チョー面白いから、絶対ハマると思うよー”等と言うものだから、試しに見たのが運の尽き。気付けばのめり込んで夜遅くまで見てしまい、他二人と一緒に朝寝坊してしまったのである。

 

「しかし、これだけは、譲れない、です……」

 

 現在時刻はAM8:27。今すぐに教室に向かえば何とか間に合う時間である。にも拘らず彼女がそれをせずに急いでいるのは、ズバリ目的地が教室ではないからだ。

 他二人のルームメイトは既に教室に向かっており、走っているのは彼女だけだ。この日の朝は以前から彼女の習慣的に外せない、あるイベントがある場所にて起こるのである。

 

「今週の、新作は……はぁ……何が出る、ので、しょうか……」

 

 この麻帆良の女子中校内には、当然だが自動販売機がある。ジュースやアイスは勿論、カップ麺や菓子パン、バリケードやお助けライダーなどが売っているそれは、校内だけでも全百八箇所もあるのだ。その中の一つに、彼女が愛飲している不思議な紙パックドリンクを売っている場所があった。

 それは毎週ごとに新作が入り、人気のないドリンクから打ち切られて入れ替わっていくというどこぞの週刊誌のような過酷な競争が行われる自販機だ。そして今日は、丁度その入れ替えの日なのである。麻帆良で売られている不思議ドリンク愛好家の彼女としては、これは絶対に外せないイベントであった。

 

「ふう、何とか……間に合いそう……です……」

 

 ジュースを選び、買い、すぐにUターンして教室まで行く。走りながら時計を見つつ、始業ベルから先生が教室に入ってくるまでの僅かな時間さえ計算に入れ、逆算するとギリギリで大丈夫そうだ。そう思う彼女は自販機へと至る最後の曲がり角を曲がった時、思わず眉を潜めた。

 

「せ…先客、ですか……?」

 

 彼女にとって、それは予定外の出来事だった。今まで自分以外、実際にここでジュースを購入するリピーターと会った事はなく(ネットでは居るらしいと聞いているが)、立地的にもマイナーな筈のあの自販機の前で、見た事のない謎の少女が一人、うんうん唸っているらしかった。

 コインは投入済みの様でボタンのランプが点灯しており、少女は指先をふらふらさせてどれにしようか決めかねている様子だ。

 

(く、早くして欲しいのですが……)

 

 走るのを止めて息を整えつつ、謎の少女の方に近付いていく。時計をチラリと見ると、まだ何とか猛ダッシュすれば間に合いそうだ。まぁそれも謎の少女が早くしてくれればですけど、と少し眉を寄せつつ、迷っている少女の容姿を観察する。

 制服を着ているという事は少なくとも教師ではない。しかしそれにしては、校内では見た事の無い横顔だ。ピンク色の髪をしているのはクラスメイトにも居るが、あそこまでふわふわで綺麗な人は初めて見る。それになんだかゲッソリと疲れている様な。

 と、そんな風に見ていると、悩んでいたらしい謎の少女がとうとう意を決したように、あるドリンクのボタンを押そうとする。だがその指の行き先を見た彼女は……。

 

「あ、待つです! それを選んではダメです!」

「へぅ!?」

 

 いきなり聞こえた自分を制止する声に、思わず少女……ルイズはその動きを止めた。直後、その発声主が慌てたように近寄ってくる。

 

「まだ押してはいないですね? ……ふう、危ない所でした。あなたが今選ぼうとしていたのは、とても素人にお勧め出来るモノではないです」

「は、はぁ」

 

 見ず知らずの女子にそう言われ、ルイズは自分が選ぼうとしていたドリンクのパッケージを見る。

『チーズ餡しめ鯖ドリンク』と書かれていて、何処となく幸の薄い御当地キャラのような絵が描かれている。

 

 ……どう見ても、全く何の変哲もない極めて普通の飲み物だ。

 

「ええと、コレ特に問題なさそうに見えるんだけど……」

「いえ、私も最初はそう思いましたがよく見るです。その文字の下に、小さく書かれている文字を」

「んん?」

 

 言われて、ルイズはさらにパッケージを良く見てみる。するとそこにはとても小さく、雑な印刷で何か書かれていた。それは良くジュースなどに書かれている、あの表示に酷似している。

 

「えーっと、ヨモ…ツ何とかの果汁60%? ……別に問題ないんじゃないの?」

「いえ、問題大有りです。そこに書かれているのは”ヨモツヘグリ”。一説によると、あの世にあると言われる黄泉の国の食べ物の事なのです!」

「よ、よみのくに?」

「まぁ、流石にそれは誇張ではあります。ですがとにかくソレの味は空前絶後の筆舌に尽くし難いものでした。私も他のドリンクを飲んで耐性を得てなかったら危険だったかも知れないです。ある掲示板の書き込みでは、間違えてそのドリンクを飲んでしまった生徒があまりの味に幽体離脱してしまった、と一部では囁かれているという噂があったりなかったりする程です」

「ひぃっ!?」

「まぁ慣れてしまえば意外と癖になる感じで、1年に一度くらいは無性に飲みたくなる事が稀に良くあるですが」

 

 思わずルイズは選びかけていた指をひっこめた。

 

「な、なんでそんな危ないものを平然と売ってるのよ……」

「それはまぁ、ここが麻帆良だから、でしょう」

「いいのそれで!?」

「大丈夫です。噂の続きでは、幽体離脱した生徒はその後特に問題なく元気に走り回っていたそうですので、流石に命に関わる程ではありませんよ」

「そ、そうなの……?」

「まぁ飲んだ前後の記憶が飛んでいたそうですが」

「全然大丈夫じゃないじゃない!」

「私としては今週入れ替わるのはそれだと踏んでいたですが、読みが外れましたね」

 

 絶句するルイズの追求に、その女子は何でもないように答えた。そしてその女子生徒は固まるルイズの所作から、この自販機の素人であると断定する。そもそも、あの不安そうに迷いまくりの指先を見た時点でほぼ確定ではあったのだが。

 

「あなたはココは初めてですね?」

「あ、うん」

「やはりですか。それならまぁ仕方ないです。でしたら……コレか、コッチが良いと思うです」

 

 女子生徒が指し示したのは『オレンジオーレ!』と『バナナスパーキング!』の二つだ。確かに当たり障りのないパッケージである。両方とも微炭酸と書かれているが、紙パックの癖にどうやって炭酸を封入しているのかは、麻帆良驚異の技術力というやつだろうか。

 

「じゃあ、こっち」

 

 ボタンを押し、がたんと出てきた商品をルイズは拾い上げる。すると待っていたかのように、アドバイスをくれた女子生徒は素早くコインを投入。隅から隅へ視線を走らせ今週の新作と思わしき初見のドリンクを見つけると、コンマ何秒の速度でそのボタンを押す。そして出てきたドリンクを拾いながら、時計を確認。

 

「むむ、マズイです……時間が間に合うかどうか」

「えっと……?」

「あなたも、遅刻が嫌でしたら急ぐです! ここからではどの教室でも時間が掛かる筈です!」

「え、あ」

「ではご縁がありましたらまた。その時は、是非その飲み物の感想をお聞きしたいです!」

 

 そこまで言うと、律儀にぺこりと頭を下げた女子生徒は猛烈な速度で来た道を逆走していった。小さい体で文系少女の様だった割には、中々パワフルな走りっぷりだ。

 

「なんだったのかしら……」

 

 言いつつルイズは選んだ飲み物『オレンジオーレ!』の紙パックにストローを差し込む。ぢぅぅと吸い上げてみると、まずはシュワッとした炭酸が口内を軽く刺激し、続いてオレンジの爽やかな酸味とミルクの甘みが程よく調和された初めての味が舌の上に広がる。これがまぁ、意外とイケる。ここまで来るのに費やした体力も大分回復出来そうだ。

 

「確かに美味しいわね」

 

 よくわからない出会いもあったが、そのおかげでやっと教室があるであろう方角はわかった。そこにエヴァが居るかどうかはわからないが、向かう価値はある。災い転じて福と成す。ルイズは少女の走り去った方角へ向け、気を取り直して歩き出す。

 

「よし、頑張るのよ、私!」

 

 とどのつまり、ルイズは校内で迷子になっていたのだった。

 

 

***

 

 

「2-A……2-A……あ、あった! やっと見つけたわよコンチクショー!」

 

 先ほどの自販機少女と別れてから数十分。授業中のため誰も居ない廊下をあっちへそっちへこそこそスニーキングミッションしていたルイズは、ようやく探し求めていた目標を見つけて久方ぶりの笑顔を浮かべた。コンチクショーなどと令嬢にあるまじき言葉を発するのも、ここまでの苦労を思えば致し方ないと言える。

 

「長かったけど、何とか着いたわ。……フフフ、見てなさいよエヴァ。あなたの色々と恥ずかしい姿とか、この私がきちんと押さえてあげるわ」

 

 この作戦が上手く行った時の事を、ルイズは想像する。例えばそう、詰まらない授業のため、机によだれの池を作りながらだらしなく居眠りしているエヴァの姿、なんてものを運良く写真に収める事が出来たりしたら、何か言われた時にそれをチラつかせてエヴァのぐぬぬ顔を拝む事が出来るだろう。そんなルイズ大勝利な光景を思い浮かべると、思わず口元が妖しく歪んでしまう。

 ちなみにルイズがコタツでよだれを垂らして寝ている写真等々が茶々丸HDDのルイズフォルダに90枚近く格納されているのはどうでも良い話である。

 

「よし……」

 

 まず、ルイズは入口のドアに耳を近付けてみた。教室に生徒達が居るのはわかっているが、今何をしているかの詳細がわからないためだ。しばらくそうして耳を澄ませると、中からはカリカリといったペンの音やシュルリと紙を捲る音くらいしか聞こえてこない。教師の声も含めて、話し声の類が一切ないのである。

 

「これって、テスト……でもしてるのかしら……」

 

 そうだとすれば、中を覗いて様子を確認するにはまさにうってつけの状況だ。そしてこのまま聞いてても埒が明かない。だから、ここは一か八かの賭けに出る事をルイズは選択する。入口近くの窓部分から、中を覗くのだ。ソロソロと、ゆっくり頭を上げていく。

 

「……(やっぱり)」

 

 その行動は正解であった。ルイズは知らなかったが、今は丁度地理の授業の小テストが実施されていたのだ。視線を巡らせれば、個性豊かな女子生徒たちが、机の上のプリントに向かってペン先を走らせている光景が目に飛び込んでくる。すらすら書いている者も居れば頭を抱えて唸っている者も居る。どこの世界でもテストというのは、学生を悩ませる共通の敵であるらしい。

 

(それにしても、見るからに怪しいクラスね……ていうかそもそも中学生なのかどうかも怪しいのとか居るし……)

 

 ぐるっとクラス内に目を配り、ルイズは思わず眉間にしわを寄せた。明らかに小学生にしか見えない双子っぽいの。どう見ても高校生、大学生としか思えない大人びた容姿の女性。留学生なのか褐色肌の女性など。普通、とはちょっと言い難いメンツが揃っている。そしてその中に、看過できない女性の姿をルイズは認めた。

 

(あ、あれってまさか……この前の!?……嘘でしょ!?)

 

 覚えている。そう、そこにいたのは例の昼ドラ女子ストーカー幽霊に忍びなれども忍ばないニンニン幽霊だ。ぶるりと全身に鳥肌が立つのをルイズは実感した。何とこのクラスでは幽霊まで実体化して、さらにはクラスの一員と認められた様子で授業を受けているのである。何という懐の深い、言い換えればトンデモなクラスなのであろうか。

 まぁしかし、よく考えたらエヴァという吸血鬼も居るのだから、幽霊の一人や二人や三人くらいは居てもおかしくないのかも知れない。そうしていると、教壇に立つ教師と思しき人物が自分の方を見そうな気配を察して、ルイズは慌てて頭を引っ込めた。

 ちなみにその教師は、人の良さそうなおじいちゃん先生である。

 

(ふう、それにしても何なのかしらここ。…………そうか、ここはきっとおかしな人ばかり集めたクラスなんだわ。幽霊や吸血鬼が平然と在籍してるんだもの。例えば宇宙人に未来人、異世界人…超能力者とか、いかにも居そうな匂いがプンプンするわね)

 

 意外とまぁ、鋭い読みであった。そしてそこで、肝心な事に気が付いた。

 

(あ、そういえば、エヴァってどこに座ってるのかしら)

 

 うっかりしていた。あやかにその事を聞いていなかったのだ。ルイズは今パッと見た光景を思い出すが、エヴァらしき人物が居たかどうかまでは良くわからない。こうなってはもう一度覗くしかないだろう。しばらく息を潜めていると、教師らしき人物が特に動きを見せない事から、安全であるとルイズは判断する。そして窓からゆっくりと顔を出し、再び中を覗いた。

 

(エヴァはどこかしら……エヴァは……あ、アレってアヤカ……よね。丁度良いわアヤカ! アヤカー!)

 

 幸運というのは続くものらしい。教室を見渡してその中央ら辺に良く知った顔を見つけたルイズは、どうにかしてそのあやかとコンタクトを取ろうと窓の外からモゾモゾ妖しい動きを展開する。

 そこへ小テストへの解答を真っ先に終えたらしいあやかが、ペンを置いて一息付き、妙な気配を感じて入口付近の窓をちらりと見て、……二度見してからぶふっと静かに噴き出した。

 

(ル、ルイズさん!? そんな所で何やってるんですのー!?)

(あ、気づいてくれた! どうしよう、どうやってエヴァの席を聞けば……)

 

 確かにルイズが学校内に潜入するとは聞いていたが、こうも授業中に堂々とやってくるとは流石のあやかも想定していなかった。周りはまだテストに集中しているが、いつクラスメイトや教師にルイズの存在がバレてしまうかわかったものではない。あわあわと慌てるあやかに向けて、ルイズは窓の外からパパパッと謎のブロックサインを送り出した。

 

(エ・ヴァ・は・ど・こ?)

(?? ……エヴァンジェリンさんがどこにいるのか、と聞いているようですわね)

 

 別に打ち合わせたりはしていないのだが、そこはまぁ割と気の合う間柄である。ルイズの聞きたい事をサインから読み取ったあやかが、同じく謎のブロックサインを入口に向けて送り出す。

 

(エヴァンジェリンさんは、ここには、いません)

(い、な、い……ですって?)

「おや雪広さん、手を挙げてどうかしましたか?」

「ひぇ!? いいいえ何でもないんですのよ先生ホホホホホ!」

 

 小テストの最中に何かを指摘されて慌てるという珍しい委員長の姿に、机を向いていたクラスメイト達の視線が集中する。それを見たルイズは慌てて顔を引っ込めた。

 

(いない、ってどういう事かしら? アヤカは同じクラスって言ってた筈だし……)

 

 朝にエヴァと茶々丸が学校に向かったのは確実だ。後を着けたのだから間違いない。だがこのクラス内に居ないとなると、どこに行ったかなど見当もつかない。何とかエヴァの行方を知らなければならないルイズとしては、危ない橋を渡る事になるがここはやはりあやかに事の詳細を聞くしかない。

 

「……」

 

 クラス内が静かになった事を確認すると、意を決して三度目の覗き込みを行うルイズ。またもや窓からにょきにょきと生えてきたピンク頭を見て、ビクッとしたあやかが挙動不審となる。

 

(エ・ヴァ・の・行・先・は?)

 

 ルイズのサインを読み取ったあやかが落ち着いてサインを返そうとする、その時だった。

 

(屋、上、に……)

「いいんちょ、さっきから何妙な踊り踊ってんのよ?」

「はわぁ!?」

 

 鈴の髪留めを付けたツインテールの少女が、頬杖付きの呆れた顔をしつつあやかの行動を咎めたのだ。その手元には、半分投げ出したであろうテスト用紙がやけっぱち気味に裏返されている。全然出来なかった事からの完全なる八つ当たりのようだ。ちなみにルイズはあやかの驚き声にビックリしてまたも頭を引っ込めた。

 

「あ、あああアスナさん!? べべ、別にワタクシどうもしておりませんわ!」

「へー、ふーん、そう。あたしてっきり廊下の方に誰か居たりして、変な動きで何か伝えようとでもしてるのかと思ったわ」

「んななな、そそそんな訳ないでしょう!?」

「おや、廊下に誰かいるのですか? そういえばさっきちらりと何か見えたような」

「えっいえ違いますわ先生待っ」

 

 と、スタスタと教師がドアの方に近づいていくではないか。慌てるあやかだが、あまりにも咄嗟過ぎて止める言い訳も思い浮かばない。

 

(ま、まずいわ!)

 

 廊下でしゃがんでいるルイズにもその声と、ついでに足音は嫌でも聞こえてきていた。制服を着ているのにその学校の生徒ではなく、しかも授業中にこのクラスの様子を伺っていた見ず知らずの美少女。これはもうスパイか何かに間違われても不思議はない。いやむしろその確率は100%だろう。このままではあのストーカー幽霊やニンニン幽霊、さらには見知らぬ宇宙人や未来人、異世界人、超能力者の集団に、世にも恐ろしい手段で吊し上げられて拷問されるに違いない。

 しかも制服の出どころを調べられたらあやかまでクラスの裏切り者として処分されてしまいかねない。いくら何でもそこまで迷惑を掛けるわけには。と、一瞬のうちにピンチを飾りたて、マイナス方面に思考が振り切ったルイズはとっさに思い出す。今朝もこのような危機を乗り切る事が出来た、あの鞄の力を。

 

(お願い!)

 

 ルイズは鞄の取っ手についているボタンの一つを強く押し込んだ。するとその時、不思議な事が起こった。

 

(今度は何!?)

 

 小さくなっているルイズを覆い隠すように、一枚の白い布らしきものが飛び出した。それはふわりと舞うと壁に寄り掛かったルイズの全身を覆い隠すように被さってくる。

 だが、それだけだ。流石に壁とは色も質感も何もかもが違う布だ。道端のダンボールのようには誤魔化せはしないだろう。そしてそれと同時、ガラリと教室のドアが開かれた音がした。

 

(もうダメ、こんなので気付かれないなんていくら何でも――)

 「おや、誰も……いませんね」

(ええ!?)

 

 キョロキョロと左右を見回す気配がしてから、ピシャリとドアが閉められる音がした。恐る恐るルイズが布から顔を出す。もしもその光景を第三者が見たとしたら、それはまるで突如として空間にルイズの頭だけが現れたように見えた事だろう。

 実は布だと思われた物体は超鈴音が作った極小サイズのナノマシンの集合体なのである。これは中に搭載されているチップが周囲の背景を瞬時に解析し、それと全く同じ色を表面に写し出す特性を持っているのだ。

 要するにこの布は、カメレオンのように周囲の景色と同化する光学ステルスマントなのであった。ただし消費電力が凄まじい関係で持続時間はとても短く、発動から30秒ほどしか持たない。

 

「た、助かった……」

 

 と、思ったのもつかの間、教室の中が異様に騒がしいのはそのままだ。そして四度、ルイズが窓から教室を覗くと。

 

「ほ、ほら御覧なさい先生も仰る通り廊下には別に何もおりませんわ。全く、いつもいつも妙な事を言い出しては突っかかってきますのねあなたは」

「む、あーらごめんね。てっきりいいんちょの事だから、勉強しか出来ない頭がおかしくなって幻覚でも見たのかと思ったわ」

「何ですって? その勉強すらまともに出来ない凶暴なお猿さんに”おかしい”呼ばわりされる筋合いはありませんわね!」

「どこの誰が凶暴なお猿よ!」

「そこのアスナさんあなたが、ですわ!」

「ムキー! 言わせておけばー!」

 

 と、立ち上がってはみっともない掴み合いを始める二人の少女。テストに退屈していたらしいクラスメイト達が待ってましたとばかりに囃し立て、ワーキャーとクラスは混沌の渦中へと埋没していく。

 

(あわわ、なんか私のせいで大変な事に……)

 

 壮絶なキャットファイトを繰り広げるアヤカとツインテール女子。担当の教師が落ちかせようとしているようだが、あまり効果は出ていない。これではもう、エヴァの居場所を聞く事など不可能であろう。原因は自分であるので、ここは貴族のプライドに従い、あやかは悪くないという主張とともに自首しようかと立ち上がりかけたルイズ。しかしそこで、暴れているハズのあやかと一瞬だけ目が合った。

 

「!」

 

 瞬間、ルイズは刻の涙を見た。

 

『ここは私に任せて、ルイズさんは早く逃げて』

『そんな、アヤカを置いて私だけ逃げるだなんてそんな事出来るわけないじゃない』

『何を言うんですの。ここで捕まったら、あなたの目的を達成できないではないですか』

『それは……』

『ここは引いて、チャンスを待つのですわ。私なら大丈夫ですから』

『……。そう、そうよね。わかったわアヤカ』

『ふふ、わかって頂けたようで何よりです。もしもここを無事に凌げたら、またあの喫茶店でお会いしましょう』

『うん。……死なないでね、アヤカ』

『もちろん、ですわ』

 

(はっ……今のは……)

 

 そう、人は分かり合える。

 

 上記のようなやり取りが本当にあったのか、ただのルイズの妄想かどうかは全く持って定かではないが、ともかく、ルイズはそっと立ち上がると静かに駆け出した。恐らくはわざと自分に注目させて、逃げる時間稼ぎをしてくれているであろうあやかの尊い犠牲を無駄にしてはいけない。この友情に報いるためにも、今はここを抜け出す事を最優先に行動するのだ。

 後ろ髪を引かれる思いで、ルイズは走る。後ろの方から響いてきた「このショタコン女がー!」「言ったわねこのオジン趣味ー!」等というとても演技とは思えない罵声は、もはやその耳には届かない。

 

「……。アヤカ、ありがとう」

 

 流石にそろそろルイズ自身の体力も限界に近い。今回のエヴァの弱点を探し出すというこの作戦は、残念だがしくじってしまったと見てと間違いないだろう。

 だが、これは始まりである。ルイズは手応えも感じていた。そうこれは勇気ある撤退なのだ。あれだけアクの強そうなクラスなら、あのエヴァでさえ何か苦手なものや、弱みを見せる可能性は高いと見る。だからこそ今日はその何かが嫌であの場に居なかった、とも想像できる。

 

「エヴァ! これで勝ったと、思わないでよねーー!」

 

 校庭に出た所で一旦足を止めると、そう高らかに宣言するルイズ。ぐっと拳を握りしめると、そのまま退散していく。

 

「今、ルイズの声が聞こえなかったか?」

「そうでしょうか」

「酷く負け惜しみのような声が聞こえた気がしたんだが……いや、まぁいい。それにしても昼間は眠いな。もう一眠りするとしよう」

「はい、マスター」

 

 そして校舎の屋上で昼寝していたエヴァンジェリンはルイズの襲撃に全く気付かず、今日も健やかに授業をサボタージュしていた。

 

 その後、ルイズは家に帰った後、様々な緊張から解放された事と疲れから夕方近くまでリビングで寝てしまい、帰ってきたエヴァに額に肉といった悪戯書きをされた挙句、茶々丸にだらしなく眠った写真を色んな角度から撮られ、見事にルイズ(の弱み)フォルダの中身は100枚を突破したのだった。


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