斯くして、一色いろはは本物を求め始める。   作:あきさん

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  *  *  *

 

 午後の授業も終わり、どうしたものかと悩みながら校内をなんとなしにぶらつく。というのも、今日のわたしは手持ち無沙汰なのだ。

 生徒会の仕事は昨日のうちにほとんど片付けてしまったので今は特にやることがないし、一人でいろいろ考えたい気分でもない。かといって奉仕部に遊びに行こうにも、プロットを読んだ時のこともあってなんだかちょっとだけ気まずい。……や、いまさら気にする必要はないんだろうけど、後ろめたいというかなんというか。

 せんぱいからご褒美をもらえたのはすごい嬉しかったけど、ちょっとだけでも仕事を残しとくべきだったかなぁ……。

 小さくため息を吐きながら自販機の前を通り過ぎようとした時、視界の隅をかすめたものにふと足を止めた。

 目先にある飲み物のサンプル。その品揃えの中にある、奇抜な警戒色のデザインをしたコーヒー飲料の缶をまじまじと眺める。

 前から興味あったんだよね、これ。でもまずかったらどうしよう……。

 しばらく自販機の前でにらめっこを続けた後、よしっと一人小さく意気込んで購入ボタンを押した。がたんと音を立てて落ちてきたそれを手にすると、自然と頬が緩んでしまう。

 ……ちょっと気分転換しよーっと!

 生徒会室でも、奉仕部でもなく、わたしはベストプレイスに向かって足を運んだ。

 

 なんとなく、ほんとになんとなく、一人分の間隔を空けてから腰掛ける。

 どういう味なんだろう、まずかったらどうしようと期待と不安を胸に共存させながらも、缶のプルタブに手をかけ飲み口を開く。

 その瞬間、ふわっと甘ったるい匂いが漂ってきた。

 ……これ、ほんとに飲めるのかな。

 覚悟したように小さく頷き、くいと傾けて口に含んでみる。直後、口の中いっぱいに強烈な甘さが広がってきて思わず顔をしかめてしまった。

「うえ……あっま……」

 せんぱい、いつもこんなの飲んでるの……? でもちょっとだけ、ちょーっとだけ、くせになるような気がしないでもない、かな?

 こくりと喉を鳴らすたびに舌をうげっと出しながらも、少しずつ中身の重さを軽くしていく。漠然とした気持ちが晴れないまま、遠くを見つめるように、目の前の景色をぼーっと眺める。

 すぐ近くで部活に励んでいる生徒それぞれの心境は人によって違うだろうけど、そこには確かに自分の意志があって。

 誰もそうすることを強制していないのだから、やりたくないならやらなければいい。だけどそれをしないということは、自分がやりたい、続けたいと、心のどこかではそう思っているからなわけで。

 なら、わたしの場合は? 当てはめて考えてみる。

 お菓子作りは前からの数少ないわたしの趣味だ。でも、毎日毎日作りたいと思えるくらい好きなわけじゃない。

 本を読むのは好きになった。けど、自分で物語を作ってみたい、書いてみたいと思うほど熱意があるわけじゃない。

 料理をするのは嫌いじゃない。でも、わたしが作ったものは誰にでも食べてもらいたいわけじゃない。

 ……結局、わたしはどうしたいのかな。答えの見えない迷路をずっとさ迷い続けているような感覚に、ついつい肩を落としてため息を吐いてしまう。

「ここにいたか」

 学校の喧騒と吐息の中に聞き覚えのある声が交じった。そのことに喜びと驚きを滲ませながら顔を上げると、わたしが恋焦がれてやまない相手が立っていたことに表情の緩みが加速していく。

「あっ、せんぱい」

「よう」

 短く挨拶を返し、わたしの横にせんぱいが座った。隣を空けといてよかったと顔をにやけさせながら手元に置いていた缶へ手を伸ばし、見えるようにふりふりと缶を振る。

「これ、めちゃくちゃ甘いですね……」

「何お前、マッ缶飲み始めたの?」

 ちゃぽちゃぽと音を立てているそれを見て、少しだけ嬉しげな様子で尋ねてきた。

「や、そういうわけじゃないんですけど、ちょっと飲んでみようかなーって。でも、ほんとに甘すぎですよこれ……」

「ばっか、お前わかってねぇな。その甘さがくせになんだろ」

 バカにしたような笑い方にむっとしつつも。

「……そうですね、それはちょっとだけわかります」

 缶を置き、くすりと苦笑交じりで言ったわたしにせんぱいが目を見開く。だがそれも一瞬のことで、せんぱいはすぐに表情を綻ばせる。

「それよりせんぱい、わたしを探してたーみたいな感じの言い方でしたけど何か用ですか?」

「……あ、いや、特にこれといって用があったわけじゃないんだが……」

 わたしがそう尋ねると、がしがしと照れくさそうに頭を掻き、目線を落としながらせんぱいが言葉を紡ぐ。

「その、ちょっとお前の様子を見に、な……」

 聞いた瞬間、せんぱいの腕に抱きついてしまった。気にしてくれている、という事実がどうしようもなく嬉しくて、幸せで、力いっぱい目を細めてしまう。

「おい、お前ここ学校だぞ……」

 周りのことなんか一切気にせずにぴとりと頬をくっつけ、すりすりおでこをこすりつける。わたしにとってどうでもいい人たちのことなんかより、そばで耳の付け根まで顔を真っ赤にしている人とのことのほうが、なによりも大切だから。

 大抵わたしがこうやって甘えたくなってしまった時は、何を言っても無駄だ。せんぱいもそれをわかっているらしく、返ってきたのは言葉ではなく諦めたような息を吐く音だけ。

 二人の世界に入り込むように、せんぱいの腕をぎゅーっと抱きしめながら頭をぐりぐり押しつけていると、そっと髪を撫でられた。その感触に小さく吐息を漏らしつつ、ゆっくりと身体を預けて寄りかかる。

「一色」

 優しい声色で呼ばれ、顔を埋めたまま瞳だけをそちらに向けた。視線がぶつかり、頬を赤らめながらぱちぱちとまばたきを繰り返しているわたしに、せんぱいが慈しむような微笑みを浮かべる。

「頑張れよ」

「……はいっ!」

 せんぱいにとっては精一杯の優しさと応援の言葉。

 それを受けたわたしは、全力の笑顔を咲かせるのだった。

 

 傍から見れば恋人のようにも思える状況の中、遠くからヒールを鳴らす音が聞こえてくる。頭を少しだけ起こしてそちらに目をやれば、平塚先生がこちらに向かって近づいてきていた。

「……まったく、神聖な学び舎で何をやっとるんだ君たちは」

 わたしがせんぱいにべたべたまとわりついてるのを見るなり、頭を片手で抑えながら平塚先生が呆れたように息をこぼす。

「先生、こんにちはですー」

「おい一色、先生きたから。だから離れろ」

 居心地悪そうにじたばた身をよじるせんぱいを逃がすまいと、わたしは自分の両腕をせんぱいの腕に絡めてがっちり抱え込む。

「比企谷ぁ……」

「ちょっ、なんで俺だけなんですか」

 いきなり理不尽なとばっちりを食らい、平塚先生に恨みがましい視線を向けられて戸惑うせんぱいを見ながら、わたしはくすくすと心底おかしそうに笑う。

「まぁいい。……それより一色、調子はどうだね」

 表情を崩して、平塚先生が今度はわたしに問いかけてきた。調子、というのはこの間の進路相談のことで間違いないだろう。

「……なんていうんですかね。興味はあるんですけど手ごたえがないというか、みたいな。そんな感じです、あれからずっと……」

 弱々しく呟き、身を屈めてせんぱいの腕にこてんと頭を乗せる。

「一色……」

 しょぼんとしている様子を見て、せんぱいが心配そうに声をかけてくれた。わたしは大丈夫ですよとふるふる首を横に振る。

「ふむ」

 今まで黙っていた平塚先生が口を開いたのでちらりと目を向けると、顎に手を添えて何かを考えるような仕草を取っていた。

「私が答えを出すのは簡単だが……」

 わたしは知っている。答えを他人に提示されても、それは自分の選択とは言えないことを。そして、答えは自分で見つけなければ意味がないことを。

 だからわたしは目を伏せ、ゆっくりと、意味を込めながら平塚先生にかぶりを振った。

「……ちゃんと課題はできているようだな」

 くすりと穏やかに微笑み、平塚先生が白衣をなびかせながらくるりと身体を翻す。

「なら、後は“二人で”ゆっくり考えてみたまえ。邪魔者は退散することにしよう」

 じゃあなと軽く手を上げ、その手をひらひらと振りながら平塚先生が立ち去っていく。……どうしてこんないい人が結婚できないんだろう。ほんと、不思議だなぁ。

「………………はぁ、結婚したい」

 

 少し離れた位置から、切実な呟き声がふと聞こえた。

 ……いちゃついてごめんなさい。あと誰かもらってあげてください、ほんとに。

 

 

 

 

 




一週間以上空いてしまってごめんなさい。
今回ちょっと短いですが、区切りがいいのでここで。

ではでは、今回もここまでお読みくださりありがとうございました!

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