* * *
プロットを読み始めてから、一時間ほど経った。
最初にこの紙の束を手にしてぱらぱらとめくった時は、プロではないとはいえ『らしい』雰囲気にわくわくと期待していたが、ちっとも興味を惹かれない話の展開、とってつけたようなキャラクターの設定や背景に、今となってはげんなりとしていた。
それだけならまだしも、やたらと難しい漢字を使っているせいで読みにくいことこの上ない説明文章のかたまり、意味のわからない長ったらしいルビ振りのせいもあって、既に読むこと自体が苦痛にすら感じ始めている。
そうして最後の章が書かれているページまできたところで、目の疲れからか、ふあと欠伸が漏れてきた。それはどうやらせんぱいも同じらしく、くあと欠伸が伝染する。そのことに小さく口元を緩めながらも、なんとか読み終えて裏側まで辿り着き、手にしていたページをぱたんと閉じる。
「うー、さすがに疲れました……」
「お疲れさん」
「あ、あはは……。ヒッキーもいろはちゃんも、お疲れー……」
しぱしぱする目をこすっていると、机に肘を突いてわたしとプロットの両方を眺めるようにしていたせんぱい、そして成り行きを見ていた結衣先輩が声をかけてくれた。
ある程度集中していたせいで何も口にしていないことを思い出し、紅茶の残りを口に含んでみたものの、予想どおりすっかり冷めてしまっていた。
そのことに気づいた雪ノ下先輩はページを繰る手を止め、空になったわたしの紙コップを見て、静かに微笑んだ。
「……紅茶、淹れ直すわね」
「あ、ありがとうございますー」
雪ノ下先輩からおかわりを受け取り、口をつける。ほわっとした温かい湯気が疲れた目に染みるのを感じながら、ふーと息を吐く。
「さて、八幡。感想を聞かせてもらおうか」
ちびちびと紅茶をすすりながら休憩し始めたところで、今まで黙っていた材なんとか先輩が重々しい語調で口を開いた。自分としてはよっぽどの出来だったのか、腕組みをしているその顔には自信が透けて見える。
……ていうかわたしも読んだのになんでせんぱいにだけ感想を求めるんですかね、この人。なんかちょっとイライラしてきちゃった。
「先輩、わたしからいいですかねー?」
そのせいか、にこにこした表情のまま低い声が出てしまった。
「ぬっ!」
「お、おう……。じゃあ、一色からで……」
苛立ってしまったわたしの様子を見て、材なんとか先輩は椅子ごと身体をのけ反らせ、せんぱいは肩をびくっと震えさせる。いや、イライラしちゃったのはわたしも悪いと思いますがそんなにびくびくされると傷つくんですけど……。
「……ま、まぁ、理解はできないと思うが参考までに聞いておいてやろう。凡俗の意見とはいえ、我にとっては貴重な……」
「めちゃくちゃつまらなかったですー」
「ふぐっ!」
言葉を重ねるようにして言い放つと、材なんとか先輩が息の詰まったような悲鳴をあげながら、がたんと椅子から転げ落ちた。
「ふ、ふむ……。ど、どこがつまらなかったのかご教示願おうか……」
「とりあえず全部ですかね? うまく言えないんですけど話もキャラもありきたりですしあらすじも何が言いたいのかさっぱりですし、読んでてむしろ超苦痛でしたよー?」
「ひぎっ!」
「ていうか話を説明するのになんで難しい漢字ばっかり使ってるんですか? ややこしいし回りくどいしおまけに意味不明だし、なんかめんどくさくなってきて何度も読むのやめたくなりました」
一気にまくし立てるように続けるわたしに、材なんとか先輩は尻もちをついたまま、弱々しい声でおそるおそる聞いてくる。
「ばぶっ! ……そ、そんなに?」
「はい」
その問いかけに全力の笑顔で答えた瞬間、材なんとか先輩の口から何かがふひゅーと漏れていった……ような気がした。
「容赦ねぇな……」
隣で一部始終を見守っていたせんぱいが、うわぁといった感じの表情でぼそりと言ってきた。
「な、なんか昔のゆきのん見てるみたい……」
さらには反対側から、結衣先輩の引きつった声が聞こえてくる。
「あら、私の場合一色さんよりもっとはっきり言うと思うのだけれど」
二人の声を聞いて、肩にかかった髪を払いながら雪ノ下先輩は涼しげに言った。
「は、八幡っ! お、お主なら理解できたであろう? 我の最高傑作と呼べるこの物語に込められている深い世界観がっ! この作品の面白さと素晴らしさがっ!」
材なんとか先輩が縋りつくように手を伸ばし、子犬のような瞳でせんぱいに訴えかける。
「材木座……」
あ、そうだ材木座先輩だった。まぁ、そんなどうでもいいことは今は置いといて。
ちらと視線を送ってみると、せんぱいが静かに頷く。あ、これあかんやつやってやつですね。
「は、八幡……」
「……悪いな、俺も一色と同じ意見だ」
「ふぶっ! ……ぶ、ぶひひ、ぶひっ」
その一言に、材木座先輩がぴくぴくと痙攣しながら白目を剥いた。その姿を見て、わたしとせんぱいはお互いの顔を見合わせながら、やれやれとばかりに苦笑を交え合った。
それから材木座先輩はしばらくの間、こひゅーこひゅーと息も絶え絶えな様子だったが、次第に意識を取り戻し、膝を震わせながらもなんとか立ち上がった。
「……また書けたら持ってくる」
「お待ちしてまーす」
ふらふらとした足取りの材木座先輩の背中にそう告げながら、ばいばーいと手を振っているとこちらに少しだけ振り向いた。
「う、うむ……」
苦々しい表情で唸るように頷きながら、材木座先輩は奉仕部の部室を出て行った。依頼主が去って四人になると次第に会話は減っていき、落ち着いた雰囲気を取り戻していく。
「静かになったわね……」
「あ、う、うん、そだねー」
雪ノ下先輩が手元の本に視線を落としながら呟く。その後、そこに結衣先輩の声が重なった。
「……ちょっと言いすぎましたかねー?」
「ん、あぁ、材木座か。あいつはあれくらいでめげるやつじゃねぇから、心配しなくていいぞ」
ふとそんなことを口にすると、せんぱいはぼーっと遠くを見つめていた目をこちらに向けて、ふっと表情を崩した。
「ていうか、あれだけ言われてもまだ書く気になれるってすごいですねー」
「そりゃ、あいつの場合は自分がやりたくて、好きでやってるからな」
好きだからやる、か……。そういう意味では何もないわたしにとっては、そういうところは素直に羨ましい。
夢や理想を追い続けることは誰にでもできることじゃない。誰かにバカにされて叩かれても、潰されかけても、ちゃんと考えて、悩んで、苦しんで、自分と戦い続けて、それでもなおあがき続けられるのなら、それは、その人だけの“本物”だから。
――だから、わたしの気持ちも、きっと。
「見た目とかはちょっとアレすぎですけど、材木座先輩のそういうとこ、すごいなーってわたしは思います」
そう言うと、雪ノ下先輩、結衣先輩が目を見開く。ただ、せんぱいだけはわたしが伝えたいことを理解したのか、目を伏せ微笑をたたえた。
「そうだな」
微笑みを返し、頬杖をつきながらせんぱいと同じ景色を見つめる。頭の中でいくつかの空想劇を繰り広げながら、それを目先の黒板に映し出すように。
それっきり誰も会話を交わすこともせずに、ただ流れていく時間に身を委ねている最中、不意にぱたんと本を閉じる音が窓側の椅子から聞こえてきた。
「もう、終わりにしましょう」
雪ノ下先輩が何かを諦めたような口調で、今日の活動の終わりを告げた。
* * *
からから回る自転車の音と、二つの足音。
雪ノ下先輩と結衣先輩はなにやら予定があるらしく、一足先に校門を出て行った。なので、今はせんぱいと二人きりで帰り道を歩いている。
「あ、ラノベ、もうちょっとで読み終わりますー」
そういえばと会話を振ってみる。確か、今は一巻の最後らへんに栞を挟んでいたはずだ。少なくとも、明後日までには読み終えてしまうだろう。
「お、もうそんなに読んだのか」
心なしか、嬉しさが混じっているような声でせんぱいが答えた。
「はい。つい夢中になって読んじゃいました」
なんとなく、てへっと舌を出しながら目を細めてみる。小町ちゃんに複雑な親近感を抱いてからはこういった仕草は控えていたのだが、久しぶりにやってみたくなった。
「あざといっつーの」
「あうっ」
またもやおでこをぺしっと叩かれる。……ひどい。でも、これはこれでせんぱいの愛情表現のような気がして、すごく嬉しい。
「せんぱいに傷物にされたー」
「楽しそうに言っても説得力ねぇぞ」
わたしはきゃいきゃいとはしゃぎながら、せんぱいは冷静に突っ込みながら、駅へと続く道のりを歩いていく。ただ、膨れ上がっていく寂寥感だけは消えてはくれず、それを誤魔化そうと余計に騒いでも、逆効果にしかならなかった。
一人の時は大丈夫なのに、隣にせんぱいがいるというだけで途端に脆く弱くなってしまう。だめだなーわたしと呆れながらも、置いていかれないよう重く感じる足を動かしているうちに、駅前の大きな広場に着いてしまった。
「せんぱいのおかげで、今日は貴重な体験ができました。ありがとうございます」
「や、そんなに気にしなくていいから」
感謝の言葉を口にして深々とお辞儀すると、そこまでしなくてもとばかりにせんぱいが手を突き出した。
「それじゃあ、また明日の昼休みに……」
「ああ、気をつけて帰れよ」
別れの挨拶を交わし、寂しさや名残惜しさがごちゃ混ぜになった感情を引きずりながら改札を抜ける。
振り返り、せんぱいに手を振って最後の挨拶を済ませた後、ぺちぺちと自分の頬を軽く叩く。
……もうちょっと、強くならないとなー。
長々とした息を吐いて気持ちを切り替え、わたしはホームへと続く階段を上っていった――。
一応、念のため。
私は材木座、結構好きです。
それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!