* * *
生徒会室には、ただ、静かな空間が広がっている。というよりも、わたしが話を切り出すタイミングを見失ってしまったせいで、お互いに話し始めるきっかけが掴めなくなっているというだけなのだが。
昼食をとりつつも、いい加減そろそろ話をしないとなーと視線を移した時――。
「……ぁ」
つい、せんぱいの口元へ目がいってしまい声を漏らした。あの時、お互いの唇を触れ合わせていたら今頃わたしはどうなっていただろうか。そんなことばかりが頭に浮かんできて、冷め始めていたはずの顔が再び熱を帯びていく。
「……その、話ってのは、いいのか?」
ぽーっとしたわたしの視線と声に気づき困った様子で顔を赤らめながら、せんぱいが呟くように言った。そのことにはっとして意識を戻すと、小さく咳払いをしてから口を開く。
「あ、えっと、これなんですけど……」
一枚の紙をポケットから取り出してせんぱいへ手渡した。
「……職場見学希望調査票? ああ、そういやこんなんあったな…」
そこに書かれている見出しが目に入った瞬間、せんぱいはなぜか眉をひそめた。……何か嫌な思い出でもあるのかな?
「っつーかこれ、空欄のままじゃねぇか」
「……はい。だから、せんぱいに相談しようかなーって」
たははと愛想笑いを浮かべつつ、ぽりぽりと頬を掻く。
「は? いや、なんで俺なんだよ。そもそも、こういうのって自分の行きたい場所を書くもんじゃないのか」
意味がわからないといった表情をしたせんぱいに、わたしは静かに頷いた。
「……わたし、言ったじゃないですか。せんぱいの近くで、知っていきたいって」
曖昧でも、不透明でも、それがわたしの進みたいと思う道だから。でも、それだけじゃ足りないからこそ、平塚先生は突きつけたのだと思う。
だったら、わたしは見つけたい。絶対に見つけなくちゃいけない。どれだけ強引でも、むちゃくちゃでも、わたしの進みたい道の先にある答えを、必ず。
「だから、ちゃんとした理由を見つけなきゃいけないって思うんです。せんぱいのためとかじゃなくて、わたしのために」
返答を待たずに、真剣な眼差しではっきりとわたしの意思を口にした。これから置いていかれないようにたくさん努力をしないと、し続けないといけないのはわかってる。でも、その末に手に入るものも、きっとわたしの欲しいと願う“本物”だと思うから。
「……そうなったのも、俺のせいなんだろうな」
「そうですよ?」
「なら、しょうがないな」
呆れたような、それでいて感嘆したような苦笑を漏らすせんぱいに、わたしはふふんと誇らしげな微笑みを返す。
「じゃあ、相談、よろしくです」
「あいよ」
そう言うと、せんぱいは手元に置いたままの調査票へ手を伸ばし、顎に手を当て考えるような仕草をとった。……そ、それ、口元に目がいっちゃうから、いろいろとまたやばくなりそう……。う、ううっ……。
「……やりたいこととかは」
あうあうと頭の中で呻いていると、尋ねてくる声が聞こえたので思考を切り替える。
「特に……」
即答できてしまう自分が悲しい。
「……じゃあ、やってみたいこととかは」
やってみたいこと……。そう心の中で何度も反芻するように呟いてみたものの、やっぱり答えは浮かんでこない。
「それも、特に……」
ほんと、悲しいなー……。わたしって、ほんと薄っぺらいなー……。
「まぁ、そうなぁ……」
自虐してずーんと落ち込んでしまったわたしを見て、せんぱいも困り果てたように頭をがしがしと掻く。……こんな子でごめんなさい。
「うー……」
「まぁ、焦らずにお前ももうちょっと考えてみろ」
「そ、そうですよね……。せんぱいも、お願いします……」
止めていた箸を再び動かしながら、何度目かわからない思考の波に身を委ねる。といっても、そうしたところで何も変わらないというのはわかっていた。いくら心の中を覗いても、そこにあるのは今は見えないままのもやもやとした何かだけ。
「なぁ、一色」
今は答えることのできない問いかけをひたすら廻らせている途中、わたしを呼ぶ声が聞こえたのでそちらへ向き直る。
「逆にお前がやりたくないことって、何かあるのか?」
やりたくないこと……。その言葉に一旦箸を置き、ぴんと立てた人差し指を唇に添えながら考える。わたしが望まない道、わたしの求めていない答えを心の中で探し始めると、それはすぐに見つかった。
「……近くにいることすらできないのは、わたし、絶対に嫌です」
考えたくない結末を想像してしまったせいか、寂しげな口調でこぼしてしまう。わたしは甘えんぼで、寂しがりで、わがままばかりのめんどくさいやつだけど、せんぱいの近くにいることすら許されないというのだけは、たまらなく嫌だ。
「求めていた答えとちょっと違うんだが……」
わたしの返した言葉に、せんぱいがため息を吐く。まぁ、普通に考えたらそりゃそうだよね、うん……。
「っつーか、そもそもそういういらんことは考えなくていいから、もっと他にだな……」
「……え? あ、あの、それって……」
否定を含んでいるような声色に思わず不安を滲ませながらも返すと、ふいっと視線を外したせんぱいが気恥ずかしそうにぽりぽりと頬を掻く。
「あ、いや、そうじゃなくてだな……。なんつーか、その、善処するって言っちまったし、まぁ、だから、これからはちゃんとお前とも向き合おうというか……」
目を合わせずにごにょごにょとしているせんぱいの顔は、さっきのわたしと同じくらいには赤みを増している。
「……えへへ」
言葉の先を待たずに、わたしは身体を浮かせて椅子をせんぱいのほうに少しだけ寄せた。今はこれだけしか距離を縮めることができないけど、それでも、いつか、心が触れ合える距離まで近づきたい。
「いや、だから近いから……」
「……しょうがないじゃないですか。わたし、今すごく嬉しいんですもん」
こてんと頭を乗せると、せんぱいの肩がびくっと震えた。そのことにわたしはくすっと微笑みながら、感情を紡ぐ。
「せんぱいは、ちゃんと待っててくれますか?」
わたしの手の近くにあるせんぱいの制服の袖をきゅっと掴む。
「……待つのも得意分野だ、任せろ」
相変わらず捻くれていて不器用な返答だったけど、わたしはそんなこの人が誰よりも好きで、この人じゃないとだめだから。そんな気持ちを噛みしめるように小指同士をそっと絡ませ、結び、手を重ねる。
「じゃあ、約束ですね」
わたしはふふっと満足げに笑って、小さくつないだ手を揺らす。
「……おう」
温かさを含んだ声がわたしの耳をくすぐり、ぽわぽわした感情がわたしの心いっぱいに広がっていく。
もうちょっとだけ、このままで……。わたしは身を預けたまま、静かに目を閉じた。
* * *
――……色。
なんか、せんぱいの声がするー……。
――おい、一色、起きろ。
「……ん」
ゆさゆさと身体を揺さぶられる感覚に、おぼろげだった意識がはっきりとしたものに変わっていく。
「………………はれ?」
「やっと起きたか……。そろそろ昼休み、終わるぞ」
ぼんやりとした目をこすりながら何度かまばたきをしたところで、ようやく状況が飲み込めてくる。つまり、その、いつのまにかわたしは夢の世界へと突入していたというわけで……。
「あ、す、すいません、わたし、つい……」
わたし、またやらかしちゃったなーと不安に思いながら、そろーっとせんぱいの顔を覗き込む。
「別に、気にしなくていいぞ」
そんなわたしの様子を見て、せんぱいがふっと口元を緩めた。そのことにほっと胸を撫で下ろし息を吐く。
「それよりもだ、一色。明日もここでいいのか?」
つないでいたままの手を離し弁当を片付けようとしたところで、せんぱいに尋ねられる。
「……いいんですか?」
「いや、だって何も解決してないだろ」
「あう……」
手厳しい一言に、わたしはしょんぼりと視線を落とす。
「まぁ、まだ時間はあるんだし、最後まで付き合ってやるからそう気を落とすな」
励ますように頭を一撫でされた時、ちょうど昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「……んじゃ、俺はそろそろ行くわ。お前も遅れないようにな」
「あ、はい……。また、明日、です……」
生徒会室を出ていくせんぱいの後ろ姿に寂しさを感じながらも、わたしは食べかけの弁当を片付けた後、自分のクラスへと戻った――。
また時間空いちゃってごめんなさい。
Pixivの話と平行して書いてるので、更新間隔まばらになると思います。
ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!