3#01
* * *
五月を迎えると、季節は春から夏へと移り変わる準備を始める。
ときどき感じていた肌寒さはどこへやら、今はうっすらと汗が滲むくらいには暑くなり始めていた。
そんなゴールデンウィーク明けの学校では、誰とどこへ行っただの、部活やバイト漬けだっただの、彼氏彼女とどうなっただのという話し声があちこちから聞こえてくる。それはわたしのクラスも例外ではなく、一部のクラスメイトはもう夏休みの予定についてまであれこれと話しているようだった。
それぞれがそれぞれの青春模様に花を咲かせている中、わたしはそれに混じることもなく自分の席につくと、鞄から淡いピンク色のブックカバーでデコレートした一冊のラノベを取り出した。ブックカバーは新しく買ったばかりのもので、ヘアピンにマッチするデザインと色合いのものを選んだおかげか、やたらと気に入っている。
最近になってからはろくに男子の相手をしなくなったおかげか、わたしに対する敵意は以前よりもだいぶ和らいでいて、ゆっくりと自分の時間に浸ることができるようになっていた。ここまでくれば、噂が風化していくのは時間の問題だろう。
そんなことを考えながらページを繰っていると、担任の先生がやってきた。仕方なく栞を挟み、気だるげにふいっと視線を向けると、クラスの人数分はあろう紙の束が目に入った。
「んじゃ、説明するぞー」
配られたのは『職場見学希望調査票』という見出しの紙だった。担任の説明を聞きながら、『希望する職業』、『希望する職場』、『その理由』と書かれている三つの項目に目を向ける。
ほとんどの生徒はこの三つの項目を、なんとなくやとりあえず、もしくは友達や恋人を理由にして、あたりさわりのない文章で埋めることになるだろう。既に進路の方向性を決めている生徒や、何らかの理由で進路自体が決まっている生徒も中にはいるだろうが、それはごく少数だ。
特にやりたいことがあるわけじゃない。かといって、勉強が得意なわけでもない。そんなわたしは間違いなく前者の人間だったのだが、不純な動機とはいえようやくわたしにも進みたいと思える道ができた。だからこそ、ちゃんとした希望を書いて、ちゃんとした調査票を提出したいと今は思う。
でも、進みたいと思える道の先は、一つのシルエット以外は靄がかかったようにぼんやりとしていて、何も見えない。
書きたいのに、書けない。心と言葉が文字として繋がってくれない。解けるはずの方程式が、なぜか解けない。いくら心の中を探しても、書きたいと、そうしたいと思うことなんてそれ以外ないはずなのに。
いくら頭を捻っても、首を傾げても、その問いかけの答えは浮かばないまま、時間だけが過ぎていった。
* * *
その日の放課後、完全に行き詰ってしまったわたしは平塚先生に助言を求めるために、職員室へと足を運んだ。
「失礼しまーす……」
遠慮がちに言って、中の様子をうかがうようにそろり覗き込むと、わたしの声に気づいた平塚先生が振り向いた。
「おや? なんだか浮かない顔をしているな」
平塚先生はコーヒーの入ったマグカップを置くと、生徒会室の鍵を取り出し、「使うかね?」と尋ねるように微笑む。でも、わたしはそれを受け取らなかった。
普段、わたしが生徒会室を一人で使うときは、何かしら考えを煮詰めたり、わたしにとって大切なことをしようとしている時ばかりだ。平塚先生もそれを理解しているからこそ、わたしの様子を見て「違うのか?」と言いたげな表情をしているのだろう。
「あの、先生、ちょっとご相談が……」
用件を切り出し、クラスと名前以外空白のままの『調査票』を見せる。
「……聞こうか」
優しい眼差しをわたしに向けると、平塚先生は職員室の一角にある応接スペースへと向かっていく。わたしもそれに続き、向かい合う形で革張りの黒いソファに腰掛ける。
「さて、一色。その相談とやらを話してみたまえ」
「あ、はい。じゃあ……」
うまく説明できるかなーと不安に思いながらも、ぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。
わたしに心情の変化があったことや、今朝からずっと考え続けても問いかけの答えが浮かんでこないこと、また、その中にある葛藤のこと。一つ一つ隠す事なく説明した。
「……という感じなんですけど、どうしたらいいかなーと」
わたしが話し終えると、平塚先生は煙草に火をつけ、ふっと煙を吐いた。
「君は、比企谷に似てきたな」
「へ? え、あ、そ、そんなことはないですよ!?」
早口で言いながらわたわたと手を振るわたしに、平塚先生が苦笑する。
「そういうところは、雪ノ下や由比ヶ浜に似てきたようだな」
「あう……」
何も言い返せずしゅんと肩を落とすと、わたしの頭にぽんと手が置かれた。
「誰かに影響されるということは、何も悪いことばかりじゃないさ」
「……はい」
くしゃくしゃとわたしの頭を撫でる手は、せんぱいとまた違う温かさがあって、心地よい。
「さて、相談のことについてだが……」
これで関係のない話は終わりだ、とでも言うように、平塚先生がわたしの頭を軽く叩くようにして撫でた。
「一色」
わたしを呼ぶ声の中に、優しさと厳しさが入り混じる。
「一度、比企谷のことを切り離して考えてみたまえ」
視線で促され、想像してみる。すると、はっきりと形を作っていたシルエットは霧散したように消えていってしまった。それと同時に道は閉ざされ、残ったのは何もない空間だけ。
「それが、答えの書けない理由だ」
わたしが想像の世界をシャットダウンさせたのを見計らって、平塚先生がそう口にした。
「ううっ……」
耐えきれず、うーんうーんと頭を抱えてしまう。わたしを見守るような眼差しで、平塚先生は二本目の煙草をふかしながら再び口を開く。
「次は、君が比企谷の隣で何をしたいか考えてみたまえ」
そう言われ、もう一度想像の世界に飛び込む。すると、霧散してしまったシルエットは元の形に戻り、閉ざされていた道はまた広がっていく。ただ、ぼんやりとしているのは変わらない。
「それも、答えの書けない理由だ」
なんとなく、平塚先生の言いたいことがわかったような気がした。
「でも、わたしはそうしたいんですよー」
「……強情なやつめ。まぁ、君の場合はそれでいいのかもしれんな」
それはそれ、これはこれといった様子でけろりとしているわたしに、平塚先生がやれやれとばかりに苦笑した。
「だったら、強引でも、むちゃくちゃでも、私が納得できる理由を用意して、その要求を通してみたまえ。それがそのまま、君の答えになるだろう」
要するに、納得させてみろってことだろうなー……。うーん、せんぱいのそばにいたいとは思うけど、それはやりたいこととはちょっと違うよなー……。
「ひとまずは、それが課題だな」
右へ左へと首を傾げているわたしを見て、今日のところは終わり、というように平塚先生は二本目の煙草の火を消した。すぐには答えがでないものだと判断したのだろう。
「そうですね。もうちょっと、考えてみますー」
「たくさん悩むといい。そうやって何度もちゃんと考えて、苦しんで、悩んで、あがいて、人は大人になっていくんだ」
「……はい。先生、ありがとうございました」
「君が、ちゃんと答えを見つけるのを期待しているよ。頑張りたまえ」
お礼を言いながら深々と頭を下げると、もう一度、くしゃりと頭を撫でてくれた。
ちゃんと、見つけられるかな。
夕暮れの色に染まる廊下で、平塚先生のいる職員室を一人見つめながら、心の中でそんな不安を呟いた――。
遅くなりました。
関係ないんですけど、いろはすの中の人が出ている某ラジオが終わってしまい、少し寂しく感じる今日この頃です。
あと、Hello AloneのCDを今更買いました。
エブリデイワールドもそうですが、ガハマちゃんのBalladeが好きです。じわじわとなんか心に来ます。どぱーん。
それと、頂いた感想がきっかけで閉店する前にと千葉パルコに行って来ました。
寂しく思いつつも、妙な満足感が生まれたので行ってよかったです。(なりたけはもうどうしようもなかったけど)
残念ながら、ラッピングされたモノレールは見れませんでしたが、いい気分転換になりました。
ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!