「ご褒美のキスを隊長にして頂きたいのです!!」
朝潮のその発言に、昼食時の本来騒がしくすらある食堂は凍りついた。
「……」
「……」
「……」
一人を除いて全艦娘が朝潮に視線を向け、口をパクパクさせている。
だが、視線を向けられた朝潮はまっすぐに大神の事を見上げている。
その瞳の色からは冗談の類の気配は感じられない、正に本気であった。
そして、十分な時間をかけてその束縛から解放されたとき、凍りつく前の10倍以上に騒がしくなった。
「ちょっ! いきなり何を言い出すデースか、朝潮!? 隊長のSweetな唇は私のモノって相場が決まっているんデース!!」
「っ!? 流石に気分が頭にきました」
いの一番に、朝潮を制止しようと声を上げる金剛。
しかし、少しばかり本音が溢れ過ぎてしまった様だ。
金剛の発言に黙っていられないのは加賀だけではない。
「金剛さん、勝手に大神くんの唇を自分のものにしないでくださいっ! それは昔から私のものなんですっ! 朝潮ちゃんも!」
「鹿島こそ何言ってるデース!? 昔からって言っても、鹿島と隊長は仕官学校時代にキスした事なんてないんデースよね?」
「くっ! そういう金剛さんだって、大神くんとキスしたことないんでしょう!?」
「うぐっ! それを言うなら、鎮守府の艦娘全員――」
そこまで口にしかけて、例外がいたのを金剛は思い出した。
「……私は、あるよ。飲み物を飲んでもらっただけだけど」
「No、いやあぁぁぁ!?」
「きゃあぁぁぁっ!?」
朝潮を蚊帳の外において金剛と鹿島の舌戦がヒートアップするが、所詮キスの味を知らない同士。
どさくさに紛れてとは言え、大神の唇を奪った事のある響の一言に大破する。
駆逐艦に先を越されている。
その事実は、二人を黙らせるには十分なものであった。
だが、転んでもただで起きる金剛ではなかった。
「うー――でも、ちゃんとした形で隊長とキスした艦娘はいない筈デース!! だから、朝潮に先を越させるわけにはいかないのデース! Hey! 隊長、朝潮がOKって言うんなら今までのMVPの分、私にもキスするねー! HOTでお願いしマース!!」
なんと以前に遡って、自分にもキスを要求してきたのだ。
「くっ! MVPをあまり取れない私の性能がっ!? でも、何回かは大神くんとキスできるはず、回数が少ないのならその分濃度で勝負します!」」
「MVPの回数だけキス……流石に気分が高揚します」
「一航戦の誇りにかけて、隊長を満足させて見せます!」
「一航戦には負けないんだから!! そうでしょ、翔鶴ねぇ!」
「クソ提督とキス……フンッ、私はそんなの興味なんてないんだから!」
「曙ちゃん、全力で口の周りを拭いて、うがいしている時点で説得力ないよ」
その言葉にざわめく食堂。
それもそのはず。
練習に加わったのが遅い舞鶴の艦娘を除いてしまえば、MVPを一回たりとも取った事のない艦娘はほとんど居ない。
「わたしはー、北上さんが居れば満足かなー、ねぇ北上さん?」
「んー、せっかくだから私はしてみたいかなー。大井っちも一緒にしようよー」
「ええっ、北上さん? いや、私も嫌ってわけじゃないのよ? 北上さんがそういうのなら……」
いや、舞鶴の艦娘であってもまんざらでもない艦娘もいたようだ。
流石は雷巡。
「ちょっと待ってくれ! みんなのMVPの分は昼食を一緒に取った事でおしまいだろう!?」
流石にこのまま話を放置していたら、なんかとんでもない事になってしまいそうだ。
場の雰囲気を読んだ大神は流石に黙っていられず、艦娘たちの会話に水を注す。
「うー、それはそうなんデースが~……結局、隊長は朝潮とキスするんデースか!?」
「そ、それは……そうだ! 朝潮くんは、どうしていきなりキスだなんて言い出したんだい?」
進退窮まった大神は、事の発端である朝潮に理由を訪ねる。
「え? それは特訓の一環です! お、大神さんのお役に立てるようになるための!!」
「それはどういうことだい?」
自分の役に立つためというなら、この食堂の惨状を招いている時点で反している。
それに朝潮とキスする事が、どうなったら大神のためになると言うのだろうか。
「大神さんを好きになれば、もっと強くなれると聞きました。それで、師匠にどうすれば良いか訪ねたとき、キスをしてもらえば良いと教わったんです!!」
「師匠って?」
「はい、足柄師匠の事です!!」
朝潮のその発言に、朝の光景を知っている艦娘の視線が足柄へと向かう。
刺すようなジト目の束を浴び一歩下がろうとする足柄であったが、姉妹たちに周りを囲まれ動く事はできない。
「どういうことデース、足柄?」
餓えた狼以上に、ある意味餓えた金剛の視線が足柄を突き刺す。
「た、他意はないのよ。朝潮が隊長の事をもっと好きになりたいと言ったから、単純にもっと肉体的接触が必要かなーって」
「つまり、それは別にキスに限った話じゃないんだね……」
「あと、朝潮で前例を作っておけば、私も後で……せがみやすいかなーって」
「「「それが目的かー!!」」」
汝は邪悪なリー、と言わんばかりに足柄にツッコミを入れる艦娘たち。
だが、これで朝潮の真意は分かった。別にキスに限った要求ではないのだろう。
キスをハグと置き換えても、朝潮の要求は十分に話が通じる。
それに朝潮の言い方からすると、キスそのものについても何か勘違いしていそうだ。
念のために大神は朝潮に確認する。
「朝潮くん、キスって何をすればいいんだい?」
「はい……私のおでこにたいちょ、おおがみさんのく、唇を……」
その言葉を最後に朝潮は顔を真っ赤に染める。
それはそれで実に可愛いが、話は分かった。
「なーんだ、おでこのことデースか。そうだヨネー、朝潮がいきなり大好きーなんて言うからびっくりしましたが、そんなもんだヨネー」
「朝潮、そう思っていたの……予想外だわ、ここまで初心だったなんて」
金剛の言うとおり、キスと言ってもおでこにする、言わばデコチューであればそこまで目くじらを立てるほどのモノではないだろう。
ようやく納得したのか、艦娘たちがようやく落ち着きを取り戻す。
うまい事行けば大神とキスできると目論んでいた足柄は唖然としていたが。
「それで、お、おおがみさんっ! キスはしていただけるのでしょうか?」
不安そうな目をして大神を見上げる朝潮。
まあ、おでこくらいならいつも遠征から帰ってきた駆逐艦たちを撫でているのと同じようなものだ。
この様子からすると、明日以降キス、否デコチューをせがむ艦娘が激増するという事もあるまい。
「分かった、朝潮くん、いくよ」
そう言って大神は朝潮に向き直り、腰を下げる。
いつも頭を撫でてもらうのとは異なり、朝潮と大神の視線が合わさる。
その事自体が初めてのことで、朝潮の胸はにわかに熱くなる。
「あ……」
そして、大神の手が朝潮の前髪をかき上げる。
おでこが露になるが、そこではじめて朝潮はおでこを鏡で確認していなかった事に気づく。
どうしよう。
おおがみさんにキスしてもらえるくらい、朝潮のおでこはきれいだろうか。
「あのっ、お、おおがみさんっ! 朝潮のおでこきたなくないでしょうか? 大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。いい香りもしてる」
「そっ、そうですか……」
答えながら近づく大神の吐息が朝潮をくすぐる。
大神の顔が接近してくるのに耐えられず、朝潮は思わずその目を瞑る。
そして、一秒が一日も感じられた瞬間の後、朝潮のおでこに大神の唇がつけられる。
「あ……」
熱い、大神に口付けられたおでこが熱い。
僅かな時間の後、大神の唇が朝潮から離れる。
名残惜しさを感じて、朝潮が思わず目を開ける。
そこには、やさしく朝潮を見る大神の姿があった。
大神と視線を交わす事に耐えられず、朝潮は顔を背けて大神の視線から逃れる。
「……よし」
そんな朝潮を見てるうちに、大神に僅かないたずら心が生まれる。
「おまけだよ」
そう朝潮にだけ聞こえるように小声で言うと大神は、横を向く朝潮の頬に、うなじに素早く再度キスをした。
「きゃんっ?」
小さく声を上げて、離れる大神を呆然と見上げる朝潮。
混乱が静まった後、
「ええーっ!? キスっておでこにしていただくものではないのですか!?」
耳まで紅に染めて大声を上げる朝潮。
「ちょっと待つデース! 何をしたデースか、隊長!!」
それを聞いて再度黙ってられないと立ち上がる金剛。
「いや、ちょっとだけおまけを……ええっと。満潮くん、大潮くん、それに荒潮くん、悪いけど……」
「はぁ、分かったわ。朝潮にいろいろ教えてあげればいいのね。でも、その前に」
「朝潮にした狼藉についておとなしく白状するデース!! そして私にもするデース!!」
いたずらの報いは大きなものになりそうであった。
金剛たち大暴走。おかしい、今話でもっと話を進めるはずだったのだが。
キス話だけで一話終わった。