呉の艦娘との和解が成って数日間、佐世保や舞鶴から艦娘が来訪することはなかった。
ブラック提督たちの後処理に時間がかかっているのだろう。
だが、ここで考えていても待ち人が早く来るわけでもなし、大神は司令官代理の職務に邁進する。
メルとシー、大淀たちを秘書として揃えても尚、膨大な業務の量。
艦娘の異動が全て完了したら大分楽になるだろうが、それでも大神が訓練に参加できない状態は不味い。
「鎮守府のように、秘書艦を選ばれた方が良いかもしれませんね」
「うーん、でも固定にしてしまうとその子の練度に影響が出る。持ち回りにした方が良いかな?」
「そうですね、一週間毎に二、三人ほど選ばれるのが良いと思います……私としては残念ですが……」
常に顔を合わせて居るためか、すっかり気楽に会話を交わす大淀と大神。
「そういえば大淀くんは訓練に参加しないで良いのかい?」
「ここ鎮守府の運営が潤滑に回るようになればそのように致しますが、今はとても……」
「すまないね、大淀くん。メルくんとシーくんも苦労をかける」
「それは言わない約束ですよ、大神さん。ふふっ」
「大神さん、そろそろ午後のお茶にしませんか? お菓子焼いてきたんですよ!」
時計を見ると、確かにそろそろ休憩の時間だ。
一息入れようかと、背を伸ばしたところで大神に連絡が入る。
「ごめん、舞鶴から艦娘達が到着したみたいだ。俺の休憩はその後にするから、みんなは先に休んでいてくれ。あと、長門くんを呼んでおいてくれるかな」
机から舞鶴鎮守府の艦娘のリストを取り出すと、改めて目を通す大神。
そうこうしているうちに、長門が、舞鶴鎮守府の艦娘たちが司令室に入ってくる。
「利根型重巡、利根。以下、舞鶴鎮守府の艦娘21名、有明鎮守府に着任したぞ」
「ありがとう、君達を歓迎するよ。なりたての隊長ではあるけどね」
「そうか、ならはっきり言わせてもらうぞ。我輩たちは隊長の事を信用なぞできん。総司令の命令とあらば聞くが、お主の指示は聞けん」
利根の宣言にその場が凍りつく。
大神は舞鶴の艦娘たちに視線を向けるが、誰一人として目を合わせようとはしない。
どうやら同意見の様だ。
「俺が新米の隊長だからかい?」
「そうではない、新米とか古参とかは関係ない、隊長が人間だから我輩らは信用できないのじゃ」
「この長門は大佐を信頼している、といっても聞いてはもらえないか、陸奥」
長門が姉妹艦の陸奥に話しかけるが、陸奥は視線を逸らせたままだ。
「ごめんなさい、長門。貴方の言葉が真実だと分かっていても……無理」
陸奥の拒絶を最後に会話が止まる。
理由は概ね分かっている。
舞鶴鎮守府で恒常的に行われた主戦術の捨て艦をはじめとするブラック行為の数々が原因だ。
だが、それを聞くことは彼女たちの傷跡を無理やり広げるようなものだ、できるわけがない。
「ねえ、一つ聞かせて……貴方が沈んだ艦娘を深海棲艦から助け出したって本当?」
その時、今までずっと俯いていた大井が俯いたまま声を上げる。
それはまるで海の底を這いずり回るような声、絶望の塊のような声。
「ああ、本当の事だよ。金剛くんと響くんに確認してもらっても良い」
大神が頷いた途端、大井が大神に掴みかかる。
「なら、なら北上さんを助けて!! 夕雲ちゃんを、巻雲ちゃん、長波ちゃん、秋雲ちゃんを、潜水艦のみんなを助けてよ! もう、蘇れないって分かってるのに捨て艦にさせられたみんなを、大破進軍させられて沈んだ北上さんを!!」
「もちろんだ。彼女達が深海棲艦に囚われていたとしたのだとしたら、必ず助ける」
大神の答えを聞いても、大井は止まらない。
「そうじゃない、今すぐ! 今すぐ助けてよ! 聞こえるのよ、みんなの声が! 死にたくないって! 沈みたくないって! だから、今すぐ助けてよ!!」
「すまない、今すぐはできない……」
「嘘つき! 騙したわね! あの時も北上さんは大丈夫って言ってたのに!!」
「大井、あまり無茶を云うものではない。それにその隊長は舞鶴の提督では――」
錯乱しかけている、そう考えた利根が大井に話しかけるが、彼女は止まらない。
「そもそも貴方が沈めたんでしょ! 大破した北上さんを進軍させて! 他の鎮守府が突破したから、それだけの理由で!!」
もう、大井はかつて自分を指揮した司令官と、大神の区別さえ出来なくなっている。
大神の首を艦娘の膂力の全てを以って捻り上げる。
「く……お、大井くん…………」
「北上さんを沈めた、殺した、その口で私の名前を呼ぶな! 返せ! 北上さんを返せぇ!!」
自分の名を呼ばれたことで更に逆上した大井は、大神の首を絞める。
だが、舞鶴の艦娘は大井を止めようとはしない。
「隊長! すいません、長門さん!」
「承知した! 落ち着くんだ、大井!!」
大神が危険と判断した大淀の声に、長門が背後から大井を引き離そうとする。
「返してよぉ、北上さんを返してぇ!!」
だが、大井は単装砲の艤装を展開し、大神を殴りつけた。
鮮血が飛び散る。が、大神はふらつきながらも立ち続ける。
ここで、自分が倒れたりしたら、大井、いや舞鶴の艦娘と他の艦娘との隔絶は決定的なものになる。
それだけはさせる訳にはいかなかった。
「……あ、え? ……私?」
飛び散った鮮血を受けて、初めて自分が殴った人物が憎むべき提督ではなく、大神であることに気が付いた大井。
自分のしでかしたことを自覚して蒼褪める。
「違うんです、私、わたし、こんなつもりじゃ……」
「ああ、分かっている。君のせいじゃないってことは。本当に罰されるべき存在は君を、大井くんをここまで追い詰めた提督だってことは」
「だから、だから、北上さんを、北上さんを!」
「ああ、俺にできることならする、全力で北上くんを、みんなを救うと約束する!」
「だからあぁぁぁ……」
致命的に噛み合わない会話の後、大井は叫び声を上げて気を失った。
長門に拘束された状態のまま、蹲る大井。
「隊長! お怪我は大丈夫ですか!」
「大丈夫だ、大淀くん。舞鶴のみんな、舞鶴ではこんな状態の大井くんを戦いに出していたと云うのか?」
「……そうじゃよ、北上が沈んでからは唯一の雷巡だった大井はつねに狩り出されてた。ずっと捨て艦にされた艦娘の叫びを、悲しむ姉妹の声を聞き続けた結果こうなってしまったんじゃ! おぬしも我輩らをそう扱うのであろう!」
「隊長はそんなことはしません! 大神さんは誰も見捨てたりなど致しません!!」
自分に駆け寄った大淀が大神を弁護する。
「……知っておるよ。大神隊長、お主の噂は。だが、怖いんじゃ! 信じて、裏切られるのが怖いんじゃ!!」」
「利根くん……今は俺を信じてくれなくても良い。それよりみんなに頼みがある。ここでは『何もなかった』ことに、俺の怪我は『階段から不注意で落ちた』ことにしたい」
大神の言葉に俄かに舞鶴の艦娘がざわめく。
大井の凶行をなかったことにすると、不問にすると、大神がいっていることに気付いたからだ。
「何を言っているんですか!? 隊長にあんなことをして、何もなかったことになんて!! 止めなかった舞鶴の艦娘たちも!」」
「大井くんは精神的に非常に不安定な状態だ。不問にするよ。それより明石くんの治療を、可能な限り早く受けさせてあげたい。長門くん、彼女の事をお願いしても良いかい?」
「大佐。私も大佐はお人よしが過ぎると思うぞ」
「そうかもしれない、でも今は大井くんの事を、彼女のために何を出来るかを一番に考えるべきだ。俺の事は後回しで良い」
「……分かったよ、大佐。彼女を保健室に連れて行けば良いんだな」
呆れたような長門であったが、それでも大井を抱えると彼女を保健室に連れて行く。
「……お主、正気か? 今の大井の行為、処罰どころか解体処分させられてもおかしくないのじゃぞ? 止めなかった我輩らにも一端の罪が」
「もちろん正気だ。それでさっきの話、聞いて貰えるかな?」
訝しむ様な利根の言葉に、間髪入れずに返す大神。
利根は舞鶴の仲間を見渡す、全員が頷いていた。
主力艦であったが故に親友の死を、捨て艦の嘆きを、受け止め続けて尚戦いの場へ狩り出され、終には壊れてしまった大井。
そんな彼女を見捨てるようなことなんて出来るわけがなかった。
提督や司令官がもはや敵であった舞鶴の艦娘にとって、ともに戦う艦娘のみが嘆きを共有し、生き続けるための支えだったのだから。
いつか誰かが捨て艦に指定され、いずれかの死を見届けることになったとしても。
「分かった、我輩らとて大井の事は大事じゃ。お主の事は未だ信頼できんが、一応礼は言わせてもらう」
そう言い残して、舞鶴の艦娘たちは大井の様子を見るために保健室に向かうのだった。
そうして、舞鶴の艦娘が司令室を去って、
「う……」
保ち続けた意識が微かに遠のき、大神は崩れ落ちかける。
「大神さん!」
3人娘と大淀とメルとシーが大神に駆け寄る。
大神はデスクを背にして崩れ落ちようとする身体を保つ。
「すまない、今大井くんの居る保健室に行くわけにはいかないから、この場で手当てしてもらえないかな」
「大神さん無茶ですよ……」
メルが涙目で大神のこめかみから流れる血液をふき取り、簡易に手当てを行う。
でも、傷が小さいようにはとても見えない。簡易手当てだけでは不安が拭えない。
「大神さん、これだけじゃダメです。ちゃんと明石さんのところで処置してもらって下さい!」
「分かった、大井くんの治療が一段落ついたら、明石くんのところに向か……」
一旦立ち上がろうとした大神だったが、立ちくらみを起こし大淀にもたれかかる。
「隊長! その身体で動き回らないでください!」
「心配を駆けてすまない。大井くんの治療が終わったら、明石くんに来てもらえる様に連絡してくれないかな」
大神にしがみつかれ、本来であれば喜びたい場面。
けれども、大神が心配で心配で大淀の心はそれどころではなかった。
シーが焼いてきた菓子。それは大神の分が取り分けられていたのだが、結局食されることはなかった。