ただ甘さを堪能あれ。
大神が名を呼び、手を伸ばした相手。
それは――
「ビスマルクくん!!」
大神がはじめて欧州で出会った艦娘、ビスマルクであった。
「え、私? 私なんかでいいの? だって私との訓練は――」
だが、ビスマルクは自分が選ばれた事が信じられなかった。
何故ならトゥーロンでの大神と合体技の特訓は失敗続きだったのだ。
目の前に差し出された大神の手を呆然と見やり、恐る恐る手を伸ばすビスマルク。
「ああ、ビスマルクくん。君じゃなければダメなんだ!」
「キャッ!?」
そんなビスマルクの手を握ると、大神はビスマルクを自らの元へと引き寄せる。
か弱い乙女のように、そのまますっぽりと大神の腕の中に収まるビスマルク。
そんなビスマルクを大神はギュっと抱き締める。
「イ、イチロー……」
少し視線を上げる、ただそれだけでビスマルクの視線は大神の視線と絡み合う。
大神の瞳の中に自分の姿が見える、きっと自分の瞳にも大神の姿が映っているのだろう。
一瞬が永遠のようにさえ感じられる、戦いの中だと言うのに大神のことしか見えない。
考えられない。
「俺の鼓動、感じるかな?」
そう優しく微笑んでビスマルクに問いかける大神。
自分を改めて省みる必要なんてなかった。
ビスマルクは大神の鼓動だけではなく、その吐息を、存在を、霊力を感じていた。
もうビスマルクを構成する全てが、髪の毛一本に至るまで、大神で埋め尽くされてしまいそうだ。
なのに、その事がビスマルクは嬉しくて仕方がない。
目の前の大神が狂おしいほどに愛しくて、その腕の中に居る事が幸せで仕方がない。
「ええ、感じるわ……イチローの鼓動を、存在を、霊力を。ねぇ、イチロー、私の鼓動は? 感じてくれてる?」
僅かな不安を視線に乗せ、大神へと問いかけるビスマルク。
「ああ、感じるとも。ビスマルクくんの鼓動だけじゃない。存在も、霊力も、髪の甘い匂いも、肌の柔らかな感触も、ビスマルクくんの全てを感じるよ」
「ヤダ、イチロー……恥ずかしいわ…………」
大神にそう囁かれて、顔を朱に染めたビスマルクは大神に背を向ける。
けれども――
「逃がさないよ。『俺の』ビスマルク」
大神は更に力強くビスマルクを抱き締める。
もちろんビスマルクは抵抗なんて出来る訳がない。
ああ、全身から力が抜けていく、幸せすぎて天にも昇る心地だ。
「やぁっ、そんな風に呼ばないで…………恥ずかしくて、恥ずかしすぎて、もうイチローの顔を見れないわっ」
「それは困るかな……よっと」
大神は力が抜けたビスマルクの身体を腕の中で回転させる。
再びビスマルクと大神の視線が絡みあう。
「ダメぇ、イチロー……みないでぇ…………」
ビスマルクは目を背けようとするが、言葉とは裏腹にこの時間が愛しくて惜しくて視線を逸らすことができない。
でも、恥ずかしくて、顔を朱に染まる事を止められない。
そんな矛盾した様子が思春期の少女のようで、愛らしくて、愛しくて、大神はビスマルクから視線を離さない。
「可愛いよ、ビスマルクくん」
「イチロー、いじわるしないでぇ……」
声をかけるたびにビスマルクの紅潮は激しくなる。
と、大神は先程自分の言った事が一つ間違っている事に気が付いた。
「ビスマルクくん、ごめん。君の全てを感じるって言ったけど訂正するよ、一つだけ足りてないものがあった」
「えっ?」
そんな、これ以上のものが、幸せがあると言うのか。
脳裏に描くだけで、想像するだけで、
「そんなの……私……死んでしまうわ…………」
呟くビスマルク。
その唇が小さく、しかしだからこそ艶かしく動く。
誰にも奪わせてなるものか。
「大丈夫だよ、君は死なない、絶対に死なせない。だから――」
「――だから?」
「それを今から貰うよ、ビスマルクくん」
そう言うと、大神はビスマルクの唇を奪った。
「――っ!?」
それは本当に一瞬の出来事で、ビスマルクが驚きで目を丸くするよりも早く終わる。
「ごちそうさま、ビスマルクくん」
大神がそう言ってやっと、ビスマルクは自分の唇に手をやる。
僅かな間ではあったが、重なり合った二人の唇の大神の唇の感触を求めて。
指で触れてみて、確かに二人の唇が重なった事に、キスした事を実感するビスマルク。
それで、大神が言っていた足りていないものとは何かようやく分かる。
けれども、一つ。
ビスマルクには感じられなかった、大神の全てを感じるために必要なものが。
「……ずるいわ、イチロー」
一滴、ビスマルクの瞳から涙が零れ落ちようとする。
けれども、一瞬早く大神の唇がその涙を掬い取る。
ああ、まただ。
「ずるいわ、イチローだけだなんて。私もイチローの全てを感じたいの。だから欲しいの――イチローの……」
「俺の? 何が欲しいのかな?」
僅かに意地悪げな笑みを浮かべる大神。
もしもここが日本であれば、言葉に詰まる艦娘も居たかもしれない。
だが、ここは欧州で、大神が抱きしめているのは、ビスマルクだった。
だから――
「イチローの、唇が、欲しいの――キスしたいの」
ビスマルクは躊躇わなかった。
ゆっくりと目を閉じると、大神へと更に身を寄せるビスマルク。
目を閉じていても分かる。
大神もまたビスマルクに顔を近づけて――
二人の唇が重なっていく。
「「ん……」」
二度目の、けれども初めて感じるキスの味。
それは砂糖菓子のように、甘く甘くビスマルクには感じられた。
『キスの味 ~あなたの全てを感じたい~』