「うふふ……」
部屋の中では朝、大神に渡された花束を手に鳳翔が微笑んでいる、よほど気に入ったのだろう。
緑茶を飲みながら何度もいとおしそうに見つめている。
「うー、つまんなーい。大神さん、何かしよーよー」
一方、川内は車内で風景を眺めることに飽きてきたらしい。
無理もない、いくら絶景が見れるといっても常に見れるわけではない。
初めての列車といっても一日も経てば慣れてくる、絶景の間の待ちの時間は確実に存在するのだ。
娯楽を求めて、川内は大神の座席兼ベッドに移り、大神の背中に寄りかかる。
「ねーねー、大神さーん」
「ゴメン、川内くん、今欧州に到着した後の予定を確認しているからさ」
大神が文書を広げているのを、一人で何か楽しんでいるのかと思った川内だったが違うようだ。
川内の胸が大神の背中に当たるが、大神は文書に集中したままである。
どうやら任務に付いてのことらしい。
「何々? どういう予定なの?」
背中の後ろから大神の読んでいる文書を覗き込む川内。
とは言っても、移動中は大した予定はない。
到着予定時刻と出発予定時刻は記載されているが、基本的には列車の乗継である。
シベリア鉄道でモスクワに到着した後、列車を乗り継いでパリに移動し、凱旋門支部にてジャン・レオと合流し光武・海Fを受領する。
そして、光武・海Fの起動試験を行った翌日に、公邸でグラン・マや欧州首脳部、大神が指揮する予定の艦娘と合流し作戦会議を行う予定だ。
作戦会議後、大神と大神の指揮する艦隊は地中海に面するフランスの軍港トゥーロンに移動し3週間の訓練を行う事となっているが、それはまだ先の話だ。
当然の如く、乗り継ぎの間は、観光を行う程の時間の余裕はない。
列車を乗り継いだ後もトゥーロンに移動するまでは、基本大神たちは座りっ放しとなるのだ。
「えぇ、そんなー。大神さん、遊ぼうよー」
「ちょっと待ってくれないかな。見落としがないか再度確認しておきたいんだ」
「ぶぅ~」
そんな風に席の上で二人がじゃれあっていると、列車が駅に停車した。
しばらく停車するらしく、朝の様に人が列車の近くに集まってくる。
でも、3人は朝食を結構な量食べたので、まだ昼食は必要ない、とそこまで考えて川内は一つ思いつく。
「ねぇ、気分転換に散歩してきても良いかな?」
「散歩? ちょっと待ってくれ、何分停車するか確認するから」
そう言うと大神は車掌に停車時間を聞く。
そこまでしてくれるなら遊んでくれても良いのに、と川内は少しむくれるが、どっちみち部屋の中に居たままでは暇になりすぎて川内は死んでしまったに違いない。
「川内くん、停車予定は5分らしい。もう分かってると思うけど搭乗確認はしてないから、それまでには――」
「勿論、それまでには戻ってくるよ!」
そう言って川内は列車の外に出た。
スペースがあると言っても、鳳翔と二人座ったままだとやはり身体が縮こまってしまう。
「んー、生き返る~」
大きく背伸びをする、それだけでかなり気分がリフレッシュできる。
身体のあちこちを伸ばし、深呼吸をしていると朝同様に近くに人がやってくるが、列車に乗ってる間に大神に教わった断りの返事を返し、川内はテクテクと歩きだす。
駅の中だし、多少歩いても問題ないよねと軽く考えながら。
と、少し先に列車が止まってるのを見て、川内は近づいていく。
「お、反対方面の列車かな?」
しかしそれは反対方面の列車ではなく、廃車となった機関車であった。
近づいてみると塗装だけでなく、内部まで錆が進行しているのがよく分かる。
「うわ、ボロボロ……こうはなりたくないかなー。ま、大神さんが居る限り心配ないよね」
そう呟きながら触ってみると、赤黒い錆が手に付着する。
ブンブンと手を振って、錆を落とす川内。
と、列車の発車の合図が鳴った。
慌てて振り向くと、さっきまで乗っていた列車の先頭の機関車から合図が鳴っている。
「えっ?」
まだ5分は経っていない筈と慌てて時計を見る川内だったが、先程大神の言った時間から既に5分以上が過ぎていた。
列車の近くからも人が居なくなっている、気が付かないうちに時間が経過していたようだ。
「うそ!?」
そうこうしている間にも列車は動き始めている、自分が乗っていた号車まで戻るのはもう無理だ。
慌てて列車の最後尾の号車に戻ろうとする川内だったが、何の因果か、最後尾の手すりは破損しており、手すりをつかむことは出来ない。
一つ先の乗降口に向かう余裕は、ない。
このままでは列車に乗り遅れてしまう、財布も何もかも列車の中なのに。
「どうしよう……」
言葉も通じない異国の地で、お金も何も持たないまま一人取り残されてしまう。
「どうしよう!?」
大神に迷惑をかけてしまう。
欧州の艦娘を指導できる娘として、信頼できる艦娘として大神に選ばれたというのに。
その期待を、信頼を裏切ってしまう。
焦りが川内の足を速めるが、だが、やはり他の場所から乗るだけの余裕はない。
徐々に列車の速度が速くなっていく。
ダメだ、このままじゃ、本当に――
そう、川内が思ったとき、
「川内くん!」
乗降口の扉が開かれた。
「大神さん!」
大神の姿がそこにあった。
扉を開け、そして、川内に向け手を差し伸べている。
「川内くん、早く!」
迷っている時間なんてなかった、迷う必要もなかった。
川内は差し伸べられた大神の手を掴む。
次の瞬間、
「――よっ、と!」
川内の身体は引き上げられ、列車の中に、いや、大神の腕の中に、収まっていた。
下手に立ったまま引き上げて二人揃って列車から落ちたらどうしようもないと、引き上げた勢いのまま列車の床に倒れこむ大神たち。
川内は絶対に離さないとばかりに大神に抱き付いて、しがみついていた。
大神が車掌に声をかけると、すぐに車掌の手によって、乗降口の扉が閉められる。
「ふぅ――」
これで一安心だ、大神は安心して大きく一つ息をつく。
列車が更に速度を上げていく。
「――っ!」
けれども、川内は目を閉じたまま、大神に抱きついたまま離れようとしない。
よほど、焦ったのだろう。
大神に迷惑をかけることが怖かったのだろう、目じりには涙さえ浮かべていた。
「もう大丈夫だよ、川内くん」
そんな川内の背中を大神は優しく、軽く叩きあやし続ける。
「……ごめんなさい」
やがて、川内がゆっくりと大神に謝る。
「いいさ、これくらい」
「でも、私、こんなところから大神さんに迷惑かけて――」
「……そうだね。俺も到着する前からこんなことになるなんて思わなかったよ」
落ち込んだ様子の川内を元気付けようと、おどけて答える大神。
でも、その言葉にびくりと背中を震わせる川内。
「やっぱり――」
「だから、その分向こうでの訓練は頑張ってくれれば良いよ。君の水雷魂を思う存分欧州の艦娘に見せ付けてやってくれ」
そんな事は今ここで言われるまでもない。
それでは何も罰はないのと同じだ、そう川内は大神に返そうとする。
「そんな――」
「だから、これでこの話はオシマイ。こんなこともあるさ、あんまり気にしないでいこう」
そう言って、川内が話すより早く、大神は川内の唇に自らの指を当てた。
「――――!?」
文字通り口封じされ、川内は何も言えなくなる。
そのまましばしのときが流れる。
そして、大神がゆっくりその指を離すと川内はすっかり押し黙っていた。
「さ、そろそろ席に戻って昼食にしよう。鳳翔くんも待っているし、そうだな、食堂車でちょっと豪華に食べようか?」
そう言って大神は川内の手を引いて自分の席に戻っていく。
川内の手が放れないようにを握りしめたまま。
「はい――」
その様子をふわふわとおぼつかない足取りで追う川内。
「どうして――」
どうしてだろう。
鼓動が高鳴って止まらない。
これは、走ったからでも、焦ったからでもない。
これは、多分――――
多分きっと――――
本当は2エピソードで1話にする予定だったのですが、思ったより字数増えて3000字近くなったのでこれにて投稿。
もうちょっとだけ列車旅は続きます。