剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか 作:REDOX
ええ、色々ありましたが、取り敢えず色々語る前に読んで下さい。
追手がいないことを保証する出来事があったからだ。
『エルドラド・リゾート』の裏口から普段見ることのできない巨大な
彼女は今回の事件を起こしたのがリューさんであることを僅かな情報が見抜いていたらしくその場から逃れることに協力してくれた。リューさんの生存を知る数少ない人物でもあった。
『おい、お前アゼル・バーナムだな?』
『ええ、そうですけど』
『お前を狙っているという通り魔、本当にお前を狙っているのか?』
その時、彼女は私に気付き話しかけてきた。
『ええ、昨日襲われたばかりです』
私の言葉にその場にいた人間全員が驚いた。
『まあ、無傷で追い返したので私は大丈夫でしたけど』
『……ここ最近活動が活発になっている。殺されている奴がいるのは確かだというのに、現場には血痕以外何も残されていない。決まって現場は歓楽街の近く、殺される人間は歓楽街の迷惑客……あの【ファミリア】が関わっていることは確実だというのに、確固たる証拠なしには何もできない』
悔しそうにシャクティさんは拳を握りしめていた。
『だがお前は違う。歓楽街を利用していないお前が何故狙われる? 何故お前だけが狙われる?』
『さあ、通り魔の好みじゃないですか?』
『私は冗談は嫌いだ』
あながち冗談ではないのだが、シャクティさんの真剣な眼差しに私は黙ってしまった。
『何か、知らないか? 些細なことでも良い』
『私は何も知りませんよ。相手の顔も見ていない、声と身体で女性とは分かりますが、それだけです』
『……そうか』
無理矢理の事情聴取を嫌ったのか、それともあまり時間がないからかシャクティさんはそれだけで私に対する質問を止めた。
『でも、きっとそろそろ終わりますよ』
『何故、そう言える?』
『今度出逢ったら――私か彼女、どちらかが死ぬからです』
でも、私は死ぬ気は毛頭ない。だから、ハナによる殺人は終わるだろう。
それだけ言って、私達はシャクティさんと別れた。最後の最後まで彼女は私を疑いの目で見ていたが、長年の勘なのだろうか。彼女は私が何か知っていることを確信していたようだ。
「着きました」
そう言ってリューさんが足を止めた。そこには馬車が待機しており、アンナさんはあれに乗って帰るということだろう。
「そう言えば、私当たってましたね」
「何がですか?」
ここまで走ってきたシルさんが一息ついてから私にそう言った。
「ほら、何時か背中からブスって刺されるって言ったじゃないですか」
「ああ、そんなことも言われましたね。でも残念なことに、私はまだ彼女から一撃も攻撃を受けていないのでハズレです」
「襲われている時点であまり変わりません」
私の言葉にリューさんが少し厳しい声で反応する。アンナさんは少し気まずそうな表情で私達を見ていた。そんなアンナさんにリューさんが一転して優しい声で話しかける。
「この馬車に乗って下さい」
「えっ……で、でも」
「
アンナさんは馬車を見て、そして振り返って私を見た。
彼女はもうあの馬車に乗り両親の元へと戻り、オーナーに着せられたドレスを脱げば今までの彼女に戻れる。生活は少し変わるかもしれないが、平和な日常へと帰れる。
だと言うのに、彼女は何を戸惑っているのだろうか。
「アゼルさん、ありがとうございました」
「何、感謝されるほどの大したことはしてませんよ」
「そんなことありません。私にとっては、大したことだったんです」
そう言って、アンナさんはもう一度感謝と共に頭を下げた。
私としては本当に大したことではなかったのだ。私がしていたことは彼女を呼んで、一緒にゲームに興じ、そしてリューさんが来てからは守るように立っていただけだ。大凡感謝されるような行動はしていない。
だが、彼女が感謝したいというのならそれを拒否するようなことはしない。
「お二人も、見ず知らずの私のためにここまでしていただいて、本当にありがとうございました」
「いえいえー、私は楽しかったですし」
「今回の件は私の因縁でもありました。気にしないでください」
アンナさんは二人にも頭を下げてから、馬車へと向った。だが、一度立ち止まり振り返って、戻ってきた。
戻った場所は、私の前。
「あの……アゼルさんは、だ、男性の方がお好き、なのですか?」
「…………はい?」
わざわざ戻ってきて何を言うのかと思えば、予想もしていなかったその言葉に私は数秒間固まった後素っ頓狂な声で返してしまった。
「だ、だって、マクシミリアン様のことが……その」
「え、あ、ああっ、なるほど、そういうことですか。ふっ、ふはっ」
「えっ、ええっ?」
彼女が何を思ってそんなことを言ったのか理解して、私は思わず笑ってしまった。私にとって今のリューさんは男装しているが、それは普段の彼女を知っているからだ。初めて会ったアンナさんにとって今のリューさんは男性貴族なのだった。
「リューさん、誤解を解いてあげてください」
「……はぁ」
溜め息を吐きながらもリューさんは動いてくれた。彼女は左眼を隠していた眼帯を外し、変装用にまとめていた髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。
普段のリューさんに戻った彼女を見て、私はアンナさんに事の真相を伝えた。
「この通り、リューさんは女性です」
「え、あ、あぁっ!!」
誤解が解けて、アンナさんは少し前に私の言った言葉を正しく理解したのか、納得の声をあげた。今まで彼女の中で私が同性愛者として認識されていたのだと思うと、少し面白い。
「じゃあ、アゼルさんは、女性が好きなんですかっ?」
「そうですよ」
「そっか……そっか――よかった」
小さく頷いて彼女は嬉しそうだった。
「さあ、アンナさん。早く帰ってヒューイさんとカンナさんを安心させてあげてください」
「――はいっ!」
アンナさんは馬車へと駆けていった。御者が馬車のドアを開けて、彼女を迎え入れた。
「アゼルさん!」
最後の最後、彼女はもう一度振り返って声を上げた。
「お花が必要な時はうちのお店に来てくださいねっ! うんとサービスしますから!」
身体を前屈みにするほど勢い良く声を出す彼女は笑っていた。可憐な笑みだった。それが彼女の本来の笑顔だったのだろう。テッドさんは女性の美しい魅せ方は分かっていたが、何が最も美しいのかは分かっていなかったようだ。
金で手に入れた美姫達の笑みなど、彼女達の本来のそれに比べてしまえば月とスッポンだっただろう。そういう意味では、彼は美しさについて何も分かっていなかったのかもしれない。
「ええ、機会があれば是非」
「約束ですからねっ! 絶対来てくださいねっ!」
手を振りながら私は答えた。念を押した彼女は、言い終えると急いで馬車に乗って扉を閉めた。それを確認した御者が馬に鞭を打ち馬車が進み始める。
「ありがとうございましたぁっ!」
馬車の窓から身を乗り出し、手を振る彼女はドレス姿も相まって見ようによっては御伽噺のお姫様のようにも見えた。ハッピーエンドに相応しい幕引きだ。
「流石アゼルさん、モテモテですねー」
「何がどう流石なのかは知りませんが、そんなことはないですよ。吊り橋効果のようなものでしょう。総じて、すぐ冷めます」
「いやいやー、恋する女を舐めてもらっちゃあ困りますよ」
アンナさんの関心が私に向いていたことは、言われずとも分かっていた。だが、それは特異な状況下で生じてしまった特異な出会い故のものだ。彼女が元の生活に戻り、平和な日常に戻れば、私に対する感情も薄れていくだろう。
「さあ、預けた洋服を取りに行きましょう」
最後まで楽しく、そんな意志を感じさせるような表情でシルさんは歩きだす。リューさんはやれやれと呆れながら続き、私は今頃ベルは何をしているのかと考えながら足を踏み出した。
■■■■
「そういえば、アゼルは何故貴賓室に?」
繁華街から再び大賭博場区域へと足を運ぶ。気を利かせたつもりなのか、シルはアゼルとリューを残し一人で預けている洋服を取りに行ってしまった。
残された二人は、忙しなく動き回るギルド職員達やカジノの利用客達を薄暗い路地裏口から眺めていた。
「テリー、いえ、テッドさんでしたね。彼に誘われてギャンブルに興じていただけですよ」
最後はバカラで所持していたチップすべて失いましたが、と締めくくったアゼルにリューは呆れた。アゼルにとってギャンブルは賭事ではなく遊びだったようで、チップを全部失ったと語るアゼルは笑顔だった。
「では、アンナ・クレーズと共にいた理由は?」
「テリーさんがギャンブル初心者の私に歓待役兼説明役を付けてくれると言ったので」
「偶然彼女だったと?」
「いえ、私がテリーさんの最も新しい愛人を、と頼んだからですよ」
何故そのようなことをしたのかとリューは不思議に思った。
アゼルがアンナを連れていたからこそ、彼女の救出及び他の囚われていた女性達を逃がすことがこれほどスムーズに進んだ。それを、リューは今まで全くの偶然であると思っていたが、どうやらそうではないらしい。
アゼルは、わざわざテッドに頼んでまでアンナを傍においていた。
(いや、違う。最も新しい以前の問題だ。もし、アゼルが狙ってアンナを傍においていたなら、アゼルは彼女がテッドの愛人としてあの場所に囚われていたことを知っていなければならない)
だが、リューはアゼルにそのことを言った覚えはない。
彼女にとってこの問題はあくまで彼女自身の問題であって、アゼルを巻き込むなどという考えは一切なかった。そもそもの話、アゼルにアンナを助け出したいから協力してくれと頼んだところで、アゼルは快い返事はしなかっただろう。
十中八九戦闘になる救出劇だ。己のためにしか剣を振るえないアゼルが、アンナを助けるために剣を振るうとは思えなかった。
「貴方は、今日のことを知っていた、ということですか?」
「ええ、何せリューさんが今日使った招聘状。あれを手に入れるために協力したのは私ですから」
「そ、そうだったのですね。あり――――」
アゼルの言葉を聞いてリューは驚きながらも、感謝を述べようとした。だが、その時彼女の脳裏を知るの言葉が蘇った。それはシルから招聘状を手渡された時のことだった。
『愛されてるねー』
シルはそう言って招聘状をリューに渡した。その意味を、彼女は今になって理解した。理解して、顔が熱くなるのが分かった。
「――ありがとう、ございました」
「いえいえ、お構いなく。協力と言っても、大したことではなかったので気にしないでください」
幸いだったのは、二人を照らしていたのがそれほど明るい灯りではなかったことだろう。アゼルはリューが赤面していることに気付いていなかった。
「まあ、後は色仕掛けをされたくらいですかねー」
「……はい?」
「どうやらテッドさんの狙いは私の力だったようで……伝授できる類のものではないので、ほとほと困りました」
「それで、色仕掛けですか? アンナ・クレーズに?」
熱くなっていた身体が、さっと冷めた。
「ええ。彼女も両親を人質に取られていたようで、最後なんて泣いてしまって。それはもう、とても困りました」
自身を攫ったテッドが、両親を害する力を持っているとアンナは理解していた。だから、アゼルから秘密を聞き出さなければ両親がどうなるか分からないぞ、と脅された彼女に選択肢などなかったのだ。
そのことをリューは理解した。理解して尚、あまり気分の良いものではなかった。
「あの、ア――」
「あっ、アゼル!! 助けて!」
人混みから白髪の少年が慌てて飛びでてきた。その後ろから強面の男とその連れが追ってくる。ベルとモルド達だった。
アゼルの名前を呼んだベルは何やらモルド達から逃げているようだったが、そこに険悪さはなかった。
「おや、ベル。無事に出てこれたようで何よりです」
「そ、そんなことよりアゼル、早く帰ろう!!」
「おいリトル・ルーキー待ちやがれ! 俺達が折角夜の街の楽しみ方をだなぁ――」
ベルはアゼルに縋り付いて帰宅を促した。追ってきたモルド達は下品な笑みを浮かべながら何やらベルを未知の世界へと誘おうとしていたが、その場にリューがいると見ると瞬時にその表情と台詞を引っ込めた。
その素早い対応を見て、リューは咳払い一つで済ませることにした。
「クラネルさん、主神を待たせているなら急いで帰ったほうが良いでしょう。アゼルも、私ももう帰るのみですので、ここで別れましょう」
「それもそうですね。楽しい夜も、朝があってこそ。帰って寝るとしましょうか、ベル」
「その前に神様になんて言えばいいの!?」
「それは帰ってから考えれば良いことです。じゃ、リューさんまた会いましょうね」
「ええ――」
夜も更けたこの時間帯に女性であるリューを一人にさせるのをアゼルは申し訳なく思いながらも、ベルとリューの内どちらがより一人にしていて不安かと言えば二人を少しでも知る者なら誰しもベルと答えるだろう。
アゼルは路地裏口から人混みの中へと消えていった。
「――
見えなくなったアゼルに、リューは密かに決意を告げた。
夜の街を歩くのは白髪の少年と赤髪の青年。先程までの燕尾服から普段着へと着替え、少年は何かと肩を張っていないといけない服から気楽な普段着に戻ったことでどこかほっとしている。
大人の遊びを教えた後にベルを歓楽街へと連れ出そうとしていたモルドをアゼルが止め、説得の末解放されたのが十分ほど前のことだ。急いで竈火の館へと帰ろうとしたベルを、もうどれほど急いでも変わりはないからゆっくり帰ろうと提案したのはアゼルだった。
「結局、買い出し行けなかったね。あはは、は」
「まあ、買い出しは明日もできますよ」
「それはそうだけど……神様になんて言えば……」
「素直に白状するしかないでしょう。ヘスティア様に嘘は通用しませんからね」
「そうだった!」
何か言い訳を考えようとしていたベルにアゼルがとどめを刺す。神々は人の嘘を見抜くという常識すら忘れてしまうほど焦っていたのだろう。そんなことがなくとも、ベルであればヘスティア様を前にして平気で嘘を吐けるとはアゼルは思っていなかった。
「正直に、何も偽ることなく、起こったことをありのまま伝えれば怒りはしないでしょう」
「そ、そうかな……」
「まあ、ヘスティア様が怒ったところで可愛らしいだけですけどね」
「そ、それは、そうかもしれないけど。神様には言わないであげてね、その、気にしてるみたいだし」
ヘスティアに威厳がないことは今に始まったことではないのだが、今の彼女はそのことを気にしている。それまでは
特にLv.3のアゼルとベルは現在オラリオで注目を集めている冒険者ということもある。その二人に恥ずかしくない主神であろうと彼女も頑張っているのだ。
筆頭眷属の二人に、怒っても可愛らしいと思われていることをヘスティアは知らない。
「でもさ、なんだか嬉しいね」
「何がですか?」
「団員が増えてさ、なんだか家族が増えたみたいで」
嬉しそうにはにかみながらベルはそう言った。きっとアゼルだからこそ、彼はそれほど照れることなく言えたのだろう。二人は半生を共にしてきたほどの仲、血の繋がりはなくともベルはアゼルを兄のように慕っていた。
そしてアゼルもまたベルのことを本物の家族以上に、弟のように接してきた。
「まあ、【ファミリア】とは本来主神を養う家族のようなもの。家族が増えたという表現は間違ってはいないでしょう」
「養うって、神様は自分でも働いてるよ?」
「あれはもうヘスティア様の趣味みたいなものでしょう。私と貴方の稼ぎがあればもう働かなくてもいいんですけどね」
眷属に【
「ねえ、アゼル。僕は強くなれたかな」
「以前とは見違えるほど、強くなりましたよ」
「そうかな……そうだといいな」
幼い頃からベルのことを知っているアゼルでなくとも、今のベルと数ヶ月前のベルの変化は知っている。精神的にも、実力的にも、ベルは強くなったことは確かなのだ。
だが、ベルが気にしていることはそれだけではない。【ヘスティア・ファミリア】の団長である彼は強いだけではだめなのだ。
「アゼル、僕は皆を守りたい。家族を守れるくらい強くなりたい」
「ええ、貴方の強さとはそういうものだ。知っているとも、貴方は何かを守るために戦える人だ」
「でも、その中にはアゼルだっているんだ」
【ヘスティア・ファミリア】の団長はベルだが、【ファミリア】の中で一番強いのは誰かと問われればベル自身ですらアゼルと答えるだろう。例えベルが決死の覚悟で挑んだとしても、アゼルに敵うことはないだろう。それほどまでの絶望的な差が二人にはある。
だが、それでもベル・クラネルは守ると決めたのだ。
「僕は、守って欲しいって言われなくったって守るよ。アゼルは僕の家族なんだから、そのためになら僕は戦える」
「それが貴方の在り方だというのなら、それは正しい。一方通行な感情なんてものは世の中では当たり前だ」
「アゼルは、なんで戦うの? なんで剣を執ったの? 僕はさ、オラリオに来てからのアゼルのことあんまり詳しくないけど……それでも、分かる。アゼルは無茶をしてるよ、生き急いでるよ、自分から死に向かってるよ」
オラリオに来るまでは歩幅を合わせていた節があった。だが、それは仕方のないことだったのだ。オラリオの外では実戦など皆無、その剣の本領を発揮する場面など余りにも少なかった。だから、弟のようなベルといることができた。
だが、状況が変わり二人の関係も変わった。アゼルは、己が目的のために多くのものを斬り捨てた。誰かの願い、誰かの想い、己の可能性、そして――ベル・クラネルという存在。
「私の求道の果ては、重荷を背負って到達できるものじゃない」
「それって、どういう――」
「ベルが夢見たのは英雄達の物語だった。だけど、私は違った。どんな英雄の冒険譚よりも、どんな賢者の発明譚よりも、ただ一振り、ただ一撃、すべてを斬り裂く剣を夢見た」
幼い頃はそれほど鮮明な夢だったわけではない。ただ剣に相応しい剣士であろうと思った、誰よりも格好良く剣を振るいたいと願った。だが、それは突き詰めていけばすべて同じ頂きへと至る。
原初の願い、それ故にそれは変わらない。剣を執ったあの日、自分に欠いていた最後のピースを見つけたあの日――アゼル・バーナムという剣士は夢を見た。
「すべてを斬り裂く剣戟へ至る――それが私の戦う理由ですよ」
「
「文字通り、
「――――」
ベルは足を止めて呆然と立ち尽くし、何も返せなかった。あまりにも話のスケールが大きすぎる。自分の周りにいる人々を、家族と思っている存在を守りたい、それはオラリオの中では細やかな夢の方だろう。
だが、アゼルの目的は果てが見えない。森羅万象を斬り裂く、それは余りにも途方がない、
ベルの頭にある光景が過る。それは、既に一度ベルの中に生まれていた光景。
折り重なる死体の山の上に立つ剣士。手に持つ剣は血塗れていた、その身体は血濡れていた。それは返り血か、それとも己の血か。きっと、その両方だろう。剣士はただ上を見上げ、斬る、また斬る、そして斬る。頂きへと至るその時まで、死体を重ね、血を流し、剣を振るい続ける。
以前より鮮明に、そして確信と共にベルの中にその光景は焼き付いた。
「それでも、貴方は私を守るんですか?」
アゼルは振り向いて足を止めてしまったベルを見た。その表情はどこか苦しそうで、どこか悲しそうで、それでいて表面上は微笑みなのだ。ベルには分かる、その半生を共にしてきた彼には分かってしまう。
だって、彼は優しかったアゼルを知っている。幼いベルを無下にすることなく友人と呼び、厳しくもちゃんばらに付き合い、楽しそうに笑っていたアゼルを知っている。
だからこそ、彼は確信した、決心した。
「――うん、守ってみせるよ。何が何でも、守ってみせる」
アゼル・バーナムは自分の家族なのだ。
アゼル・バーナムは死に向かう。剣を手に持つその姿は敵がいなくとも斬撃を想わせるほど鋭く、一度剣戟を繰り出せば見ている者を魅了するほど美しい剣の輝きを放つ。だが、剣を振るった先にあるのは、どう足掻いたって死しかない。万物を斬り裂き殺す、それがアゼル・バーナムの目指す剣なのだ。
剣を振るう本人も、剣を振るわれた相手も――向かう先は死だ。
だが、ベル・クラネルは言った。アゼルの事情など知ったことではない、アゼルの心情など分かるわけがない。ベルはベルであるために、アゼル・バーナムの家族であるために、呆れるほど自分勝手にも言った――――自分はそんなことは認めない、と。
自分の信じるアゼルの剣は誰かを殺すものではないから――そうはさせない、と。
自分の家族であるアゼルを死なせることなんてさせたくないから――守ってみせる、と。
完成された剣とは必殺。なればこそ、アゼルが目指すはすべてを殺す一太刀。自身の存在のすべてを賭してアゼルはそれを手に入れようとしている。だが、それでも認められない。
剣とは戦場でこそ輝き、死の淵でこそ人は輝く。なればこそ、アゼルが身を投じるのは常識をかなぐり捨てた、ベルでは到底生き残れないような危地である。それでも、守りたいのだ。
小さな身体には不釣り合いなほど大きな願い。
か弱い存在には分不相応なほど愚かな想い。
だが、実力で負けようとも、心で負けることは許されない。【ヘスティア・ファミリア】の団長であるベルの芯がそこにこそある。
誰よりも愚かである、それでも構わない。
誰よりも強いなんてことはない、それでも構わない。
重要なのは彼の想いである、【ヘスティア・ファミリア】の主柱たる彼の願いである。その願いに賛同するからこそ、彼の周りに仲間が集まる。
「僕は、アゼルだって守れるくらい強くなるよ。アゼルが危ない場所に行くのを止めないって言うなら、力づくでも止められるくらい強くなる。アゼルが誰かを傷付けるって言うなら、僕は身を挺して止めてみせる」
「嗚呼――それでこそだ」
アゼルはベルという少年に期待していた。実力はない、精神的にも未熟なところがあった。しかし、アゼルの師はベルにこそ英雄の資格があるのだと言った。アゼル自身はそんなものいらないと思っていたが、それでも師の期待に応えられないことに少なからず動揺した。
アゼルはベルという少年の可能性を信じていた。
「でも、ベル。私から一つアドバイスをしてあげましょう」
「うん」
「貴方は確かに誰かのために戦い強くなる、そういう戦士だ。でも、それだけじゃ足りない。それは、貴方も分かっているでしょう?」
「……そう、だね」
誰かのためではない戦いというものに、ベルも覚えがないわけではない。否、あの戦いは未だに心の奥底に焼き付けられ色褪せていない。Lv.1からLv.2へとランクアップした切っ掛けの偉業――ミノタウロスの単独撃破。
あの時、ベルは最初リリを逃がすために立ち向かった。そして、負けそうになったところにアイズ達が現れてベルを守ろうとした。あの時は本当に仲間を思っていたのなら、ベルはそのままアイズに任せるべきだったのだ。だが、それはできなかった。それは、してはいけなかった。
ベル・クラネルはもうアイズ・ヴァレンシュタインに助けられてはいけなかった。それは、誰のためでもない、ただ己のための戦う理由だ。
あの想いから彼の冒険は始まり、加速した。
「だから、私を守るためという理由だけでは足りませんよ」
「……僕は」
憧れだったのだろう。金色の剣姫と出会う前から、その青年の背中は少年にとって追いかけるものだったのだ。例え、幼いながらもアゼルの在り方に人非ざる何かを感じていたとしても、ベルは確かにアゼルのように強くなりたいと、憧れたのだ。
幼馴染であり、友人であり、兄であり、そして越えるべき壁だった。ただ、ベルはそう思いたくなかっただけだ。その壁を越えるためには、アゼルを敵として認識しなければならない。それもただの敵ではない。英雄譚に登場する敵、人より遥かに巨大で強い化物だ。
ベルはそれが酷く醜い感情のように思えてならなかった。だが、アゼルの本心を聞いて、そうではないのだと理解した。だって、アゼルの剣は人だけでなく世界そのものに害を成すであろう願いを孕みながらも――美しいのだ。
どのような感情であれ、人はそれを糧に成長していく。だから、感情に優劣などなく、美醜すら曖昧だ。だから、今こそベルはその憧れを肯定することにした。
「僕はアゼルを越えたい、アゼルを倒したい、アゼルより――――強くなりたい」
幼かった少年にとって触れることのできた現実の英雄――嘗ての憧れを力に変えて牙を向ける。自分では手の届かない誰かに憧れ、渇望し、折れることなく突き進むことこそがベル・クラネルの力なのだ。
「それでこそ私が信じた、ベル・クラネルだ」
「……なんか不思議な気分だね。家族なのに敵みたいだ」
「何、親族が巨悪の敵だったなどという話は有り触れています。そういう関係もあるでしょう」
「アゼルは何と言うか、懐が深いね」
変わらないアゼルの態度に対してベルは笑った。ベルもそれほど態度を変えてはいなかった。
「そんなことありませんよ。貴方とぶつかる日が何時か来るということも、何となく想像していました」
「そ、そうなんだ……じゃあ、感謝しないとね。敵のはずの僕の稽古なんてつけてくれて」
「敵と書いてライバルと読む類ですよ、老師はそういうの好きでしたからね。それに――」
アゼルは反転して歩みを再開した。ベルも少し早足でアゼルの横まで駆け、並ぶと足並みを揃えて歩きだす。
その光景は、嘗ての故郷での日々を想わせるものだった。
「――敵は強いに越したことはない」
人は移ろい変わっていく。アゼルとベル、二人の強さも心も関係も、多くのものが変わった。それでも、並んで歩く二人には、変わらない何かがあったのだ。
何時か刃を交えようとも、その時までは、否、その時を経てもきっと。
閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言って下さい。
ええ、最後の更新から5ヶ月余り……長い間お待たせしました。取り敢えずこの断章の終わりまでは投稿していくつもりです。その後に関しては今少し考え中です。
書けてはいるものの、最近なんだか長々と無駄な描写を書き過ぎているようないないような……そこらへんを少し考えて、書いてある分を推敲してからの投稿になると思います。