剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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正義は未だ宿らず

 貴賓室の扉が開かれ、オーナーであるテリーに連れられ二人の人物が入室する。

 片方は眼帯で左眼ごと顔半分を隠した眉目秀麗な男性貴族。もう一人は夜会着(ナイトドレス)で身を包んだ貴婦人。マクシミリアン伯爵として男装したリューと、その夫人として着飾ったシルだ。

 『エルドラド・リゾート』への潜入に成功したリューが次に目指したのはカジノの最奥にある貴賓室(ビップルーム)だった。ベルが僅かな賭金(チップ)から驚異的な幸運で生み出したチップの山を元手にポーカーでチップを更に増やしていった。

 その昔悪友とも呼べる【ファミリア】の仲間から教わった技術(カウンティング)や冒険者としての動体視力等を駆使してリューは順調にチップの山を築いた。そこにシルがカジノにきていた男神達に頼みリューの噂話を広めるように頼み、数時間でホールで注目を浴びることとなった。

 そして、目立ったことでカジノであるテリー・セルバンティスから貴賓室へと招待されるに至った。

 

「さあ、こちらのテーブルへ」

 

 テリーは二人をカードゲームを楽しんでいる者達の席へと案内した。そのテーブルにはテリーの馴染みのある客が多く座っていた。その内の何人かが気兼ねなくテリーに話しかける。

 

「今夜も楽しませてもらっていますぞ、オーナー」

「ところでそちらの方は?」

「紹介します。今宵初めて私どもの店に来られた、アリュード・マクシミリアン殿です。その隣におられるのは、そのご夫人のシレーネ殿」

 

 テリーは軽く二人の紹介をした。リューとシルは短く挨拶をして会釈をする。その間も周囲を観察することをリューは怠らない。テリーの背後に控えている二人の男性がそれなりの手練であることを見抜き、まだ実力行使は控えるべきだと決断した。

 だが、その判断はある男の登場で直ぐに覆されることとなった。

 

「おお、そう言えば今宵はもう一人初めて我々どもの店に来られた方がいましたな。これも何かの縁、是非紹介させてください――バーナム殿!」

「――」

 

 可能性の一つとして考えていたリューだったが、まさか的中するとは思っていなかった。シルはなんとか表情に出ないように内心驚きつつも、これは面白くなってきたと僅かに心躍らせた。

 

「……どうかしましたか、テリーさん」

「この方々もバーナム殿のように今宵初めてこの店に来られたので、是非一緒にゲームでもと思いまして」

「へえ、それは面白そうですね。そうは思いませんか、アンナさん」

「え、は、はい、そうですね」

 

 少女を連れてやってきたアゼルは、男装したリューを見て一瞬動きを止めてしまった。リューは今の姿を見られて恥ずかしかったのか僅かに頬を朱に染めた。だが、アゼルに話を振られて戸惑いながら答えている少女の名前を聞いて意識を切り替えた。

 リューはアンナを見た。前情報で男神からも求婚されたことがあると聞いていたが、さもありなんと言った風だろう。華やかさは欠けるものの、純朴な可憐さ、そして庇護欲を刺激する仕草が目立つ。

 

(少し、近い――いや、今はそんなことを考えている場合ではない)

 

 リューの僅かな視線と仕草だけでその内心まで読み取ったシルは、ニヤけるのを我慢するのに必死だった。

 アンナの登場で、他のゲスト達は彼女に視線を向ける。舐め回すようなその視線に肩を震わせた。その反応が彼等の嗜虐心を更に刺激し、下劣なその欲望を満たしていく。粘着力を増したその視線に、アンナは思わず斜め前に立つアゼルに身を寄せてしまった。しかも、服を小さく掴んでいる。

 これにはその場にいる全員が一瞬呆然としてしまった。いや、シルだけは扇で口元を隠しながら溜め息を吐いて、リューというものがありながら、と小声で呟いた。

 

「あっ、あの、こ、これはっ」

 

 自分のしでかしたことに漸く気付いたのか、アンナはなんとか取り繕おうとするが時すでに遅し。愛人として迎えられて数日、密かに話題にもなっていた彼女が出会ったばかりのアゼルに身を寄せるという事実は、看過できないものだろう。自分の役に立つ道具としてアゼルにアンナを抱かせることは許容できてたであろうテリーも、咄嗟の行動故にアンナの心情をはっきりと表した行動には苛立ちを露わにしていた。

 

「アゼル。彼女をこちらへ」

 

 リューは一度息を吐いて落ち着いた後、アゼルの名前を呼んだ。呆然としていた周囲は、突然の展開に目を点にした。彼等にとって今のリューは、アリュード・マクシミリアンという貴族であり、アゼル・バーナムとは何ら接点のない伯爵なのだ。

 だが、明らかに呼び捨ての呼び方は親しみを含んでいた。

 

「さ、ではアンナさん、行きましょうか」

「えっ、アゼル様?」

 

 アゼルはその一言だけでリューが何をしようとしているのかを理解した。服を掴んでいるアンナの手を取り、リューの元へと歩いていく。

 

「シルと彼女をお願いします」

「了解です。そちらは手伝わなくても?」

「はい。こちらは私一人で」

 

 近付いたアゼルに耳打ち。

 アンナの解放を賭けたゲームになるだろうとリューは思っていたが、それはシルを傍に置きアンナを人質に取られては戦うことができないからだ。しかし、アゼルがこの場にいればシルを安心して任せられる上、アンナまで連れていたのだから好都合だった。

 アゼルはシルとアンナを連れて、リューから少し離れた場所で壁を背にして二人を守るように立った。

 

「浮気ですかー、このこのー。流石は女神様すらメロメロにしちゃう色男ですね」

「浮気も何も、私は誰とも交際してないですよ」

 

 両手に花状態のアゼル。片方は何がどうなっているのか分からず手を握ったまま、もう片方は脇腹を肘で突きながらニヤニヤしている。もしかしたら少しくらい照れているかもしれないと期待したシルは身を乗り出して顔を覗き込んだ。

 だが、そこにあったのは照れている表情よりも意外な感情だった。

 

「アゼルさーん、こーんな美少女を二人も連れて()()()()()()()なんて、何を考えてるんですか?」

「そんな顔してました、私?」

「はい、それはもう、嫉妬しちゃうくらい」

 

 嫉妬するのは彼女ではないのだろうな、とアゼルは思った。空いている手で自分の顔に触れ、何故自分がそのような表情をしていたのかを考える。意識してそのような表情をしていたわけではなかった。

 その原因であろう女性をアゼルは眺めた。

 

 男装していることに驚き戸惑いはしたものの、様になっているその変装を見て感心した。様になっていることがリューの気にしていることなのだが、アゼルは知る由もない。もし、リューの前で女装しろと言われた経験があればアゼルも今のリューの心境を理解できていただろう。

 

 リュー・リオンは、正義の味方だ。

 剣を振るった先に誰かの救いがあるのだと信じて戦う戦士だ。自分とは似ても似つかない価値観を持つ女性であるとアゼルは理解している。アゼルの剣の先には何もない、アゼルの剣は触れたすべてを斬り裂くのみ。

 喜びも、悲しみも、救いも、悪意も、人も、怪物も、神も――一切合切を平等に斬り裂くのがアゼルの剣である。

 

 それは、決して正義足り得ない。

 

(だと言うのに、私は――)

 

 残念がっていた、ということにアゼル自身が驚いた。それは思考を経て辿り着いた感情ではなかったからだ。あの時、アゼルは無意識にリューから頼られたいと思ってしまっていた。

 

(――彼女の隣に立ちたいと、思ったのか。この、私が)

 

 あり得ない、否、あり得てはいけない。

 リューの隣に立ち、彼女に頼られて剣を振るい敵を倒すということは即ち、彼女のために剣を振るうということに他ならない。そんなことはあってはならない。

 誰かのために買い物はしよう、誰かのために街を駆け回ろう、誰かのために優しい台詞を口にしよう、だが――剣だけは誰のためにも振るえない、振るってはならない。

 

 分かっている、そんなことはアゼル自身誰よりも分かっている、そのはずだというのに。

 

(私らしくもない……いや、そうじゃないのかもしれない)

 

 アゼルにとって誰かにここまで惹かれたことは初めてだった。今まで、己の求める剣以外に心を大きく揺さぶるものなどなかった。剣の方が大切であると、断言することができた。それが、アゼルにとっての今までの当たり前だった。

 きっとその感情は彼の中にずっとあったのだ、ただ表に出てきていなかっただけのこと。

 

 孤独とは痛みを伴うものの、一人で完結しているが故にたった一つ己の求道だけを突き進める。自分以外に大切な誰かができるというのは、弱さである。

 だが、その感情の痛みが彼を人であると示す。

 だが、その感情の疼きが彼を人であると定める。

 愚かにも、すべてを斬り裂くという果てなき願いを抱いたことと同じように――その弱さ(想い)は人だから芽生えたものだ。

 

 だから、きっと本来その二つに優劣など存在しない。

 それでも、アゼルは剣を執るしかないのだ。優劣など存在しない感情の一方を殺し続け、踏みにじり続け、剣を振るうことでしか生きていけない。

 彼にとって、生きることとは斬ることなのだから。

 

「ふふ、アゼルさんも人間らしい目をしてきましたね」

「今まではそうではなかったと?」

「ええ、それはもう。まるで一振りの剣のように、とても冷たくて鋭くて、真っ直ぐな目でしたから」

 

 シルの鈍色の瞳は多くを見透かす。相手がどのような感情を抱いているのか、どのような思考をしているのか、果てには相手の次の行動まで見抜いてしまうシルのことを同僚達は『魔女』と呼んだりもする。

 本人は人間観察の賜物だと言っているが、真実は誰も知らない。

 

「アゼル様は」

「もう様はいりませんよ。貴女達はもう解放されたも同然なんですから」

「……アゼルさんは、あの方のことが好き、なんですか?」

 

 アゼルの中では既に事件は解決したようなものだった。どうしてそれほどまでにアリュード・マクシミリアンと紹介された男のことを信じられるのか、アンナには分からなかった。だが、アゼルの視線を見ればアンナでも分かった。自身に向けられていたものとは比べ物にならないほどに、温かく切ない目だ。

 ただ一つ、アンナは男装したリューが本物の男であると勘違いしていた。

 

「ええ、そうですね。きっと、好きなんて言葉じゃ足りないほど想っているんでしょう」

「もー、そういうのは本人に言って下さい。あ、言う時は教えて下さいね。私隠れて見たいので!」

「何を堂々覗き宣言をしてるんですか、貴女は」

 

 アゼルのはっきりとした答えに唖然とするアンナ、そしてアゼルを茶化すシル。言葉にしてしまえば、すとんとその感情がアゼルの中におさまった。苦しみと共に喜びが、痛みと共に温もりがアゼルの中に渦巻いた。

 

 

 

 

 そんなアゼルの心中を知らないリューは、オーナーと向き合っていた。空気が張り詰め、オーナーはリューを睨みつけ、後ろに控えている二人の護衛を今にもけしかけそうな剣幕だ。

 

「これは、どういうことですかマクシミリアン殿?」

「あの娘を、いや――貴方が今まで金にものを言わせ奪い取った、全ての女性を解放してもらおう、()()()

 

 オーナーがリューの口にした名前を聞いて固まる。

 

「名を偽ったお前の所業は、風の噂で耳にしていた。規模は変われど昔と変わらない手口、聞いていた特徴も一致していた。そして、今目の前にして確信した――お前はテリー・セルバンティスなどという名前の男ではない。過去、このオラリオで違法賭博を繰り返していた店の胴元だった男だ」

 

 そう言ってリューは懐から結晶の欠片と真紅の液体の入った小瓶を取り出した。『解錠薬(ステイタス・シーフ)』と呼ばれる、背中に刻まれた【ステイタス】を暴くためだけの道具だ。

 貴賓室に異様な沈黙が流れる。何が起こっているのか、マクシミリアンと呼ばれていた貴族が誰なのか、そしてテリー・セルバンティスが偽者なのかどうか、ゲストや給仕係は何も分からないまま向き合う二人を交互に見る。

 

「……ふ、ふふ。これは、とんだ言いがかりをつけられたものだ」

 

 平静を装おうとしているが、その声には色濃く動揺が浮かんでいた。テリーが片腕を上げると後ろに控えていた護衛二人が前に出る。部屋の各所に立っていた黒服達も動き出し扉を背にしているアゼル達を包囲する。

 周りにいたゲストや給仕係達も漸くこれから戦闘になるということを察したのかテーブルから後退っていく。

 

「一応……そう一応、殺す前に聞いておいてやろう。貴様、何者だ? 何故このようなことをする?」

 

 周囲の人間は未だにリューの言葉を信じ切っていないが、本人は誰よりもリューの言葉が真実であると知っている。テリー・セルバンティスという人間は確かに実在していた。だが『エルドラド・リゾート』のオーナーに着任する直前に不慮の事故で死亡した。テッドはそこに目をつけて正体を偽り、テリー・セルバンティスに成り代わった。

 だからこそ、その素性を知っているリューを殺し、どこからその情報を手に入れたのか知らなければならない。

 

「お前は私達が残してしまった悪。平伏して罪を懺悔したお前に、アストレア様がお許しになる機会を与えた。だから、お前の悪事を耳にしても見逃していた」

 

 その女神の名前を聞いてテッドは顔を強張らせた。そして、まさかと思いながらリューを見る。

 

「あの方はもういない、私の仲間ももういない。私は一度正義に背き、自ら悪を為してしまった。私には正義を名乗る資格などないのだと、思っていた。だが、違う。正義とは資格ではなく心、感情を抱くことに資格がいらないように、正義もまた抱くことに資格など不要」

 

 リューの言葉を聞いてテッドの顔が青ざめていく。

 もういないという『あの方』と『仲間』、そして『正義に背き、自ら悪を為した』という情報から導かれる人物をテッドは知っている。否、知っているなんてものじゃない。一度その人物に捕まり、挙句二度と出ることのできない牢屋に入れられかけたのだ。

 

「まさか、お前っ――」

「故に、あの方に代わって、私がお前を裁こう。もう免罪の余地はない」

「――リオン!?」

 

 その名は、嘗て【疾風】として名を馳せた冒険者。ことあるごとに【剣姫】と比べられていた成長目まぐるしい実力者であり、【アストレア・ファミリア】のもと悪の蔓延っていたオラリオで人々の希望となっていた正義の使徒。

 敵対していた【ファミリア】に罠に嵌められ壊滅、主神も行方知れずとなり、一人残った【疾風】は関係者に至るまで敵対【ファミリア】のすべてを虐殺しその後死亡したとされている。

 

「生きていてっ……!? では、本当にっ、あの戦争遊戯に参加していたのは……!? くそっ、くそくそぉっ!! ファウスト! ロロ! 奴を殺せぇ!!」

 

 目の前の男装の麗人の正体に漸く辿り着いたテッドは怒声と共に護衛の中で最も強い二人に指示を飛ばした。テッドの背後から猫人(キャットピープル)とヒューマンの男性冒険者が二人躍り出てリューと対峙する。

 

「ファウストとロロはあの【黒拳】と【黒猫】だ! 名を聞いたことはあるだろう!」

 

 その名を聞いてリューは僅かに反応を示す。それを恐れをなして動揺したと捉えたテッドは勝ち誇ったような獰猛な笑みを浮かべる。

 【黒拳】と【黒猫】は共にオラリオの暗黒期に名を馳せた暗殺者の名前である。何人もの第二級冒険者の命を刈り取っていた彼等は恐怖の代名詞として流布されていた時期もあるほどだ。

 

 だが、リューが反応をしめしたのは彼等の実力を恐れたからではない。勿論、油断できない実力を備えているであろうことは分かっていた。だが、まさかここでその名を耳にするとは思ってもいなかったのだ。

 

「……一つ忠告しておきましょう。その名を騙ることは止したほうが良い」

「ハッ、ビビって手も足も出ないと見た! お前らやっちまえ!」

 

 テッドの声と共に二人がリューへと突撃、戦闘が開始される。【黒拳】は黒光りする拳具を装着した拳でリューに肉薄し、【黒猫】は反撃しようとするリューを狙ってナイフを振るう。

 

「Lv.3と言ったところでしょうか、確かに強い――だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ここにいるのが私だったことを幸運に思え」

 

 【黒拳】の本名はルノア・ファウスト、【黒猫】の本名はクロエ・ロロ。テッドがまるで暗号名(コードネーム)のように読んでいた名前は彼等の、否、彼女等の本名だった。そして、その二人は今リューとシルが抜けた穴を埋めるべく必死に働いていることをリューは知っている。

 もし、あの二人が自分の名を騙った輩がいると知れば、色々な意味でボコボコにされるだろう。

 

「ファウストとロロが抑え込んでいるうちに、他の奴らはアンナを捕らえろ!」

 

 リューほどの実力者相手に木っ端の黒服では役に立たない。リュー相手にファウストとロロが勝つにしろ負けるにしろ、アンナを捕らえてしまえば人質として役に立つ。その後【ガネーシャ・ファミリア】にリューを突き出せば解決だ。要注意人物一覧(ブラック・リスト)に名を連ねているリューと『エルドラド・リゾート』のオーナーであるテッド、どちらの言葉を信じるかなど火を見るより明らかだ。

 アンナを奪い返せばどうとでもなる、その上リューと一緒にいた女も捕まえておけば盤石だ。そう思ったテッドの指示だったが、誰も動こうとはしなかった。

 

「お前等、何をしてるっ!? 早くしろ!」

「い、いやしかし、オーナー……」

 

 怒りで身を震わせながらテッドは再度命令するが、返ってきたのは戸惑う声だけだ。

 

「ちぃっ、あんな若造如きがどうしたというのだ! 全員でかかればどうということはないだろうが!!」

 

 舌打ちをしながらテッドはシルとアンナを下がらせて扉の前に立つアゼルを見た。他の黒服や給仕達が戸惑っているその理由は、アゼルにあった。殆どのものが先日の戦争遊戯を見ていたし、そうでなくとも冒険者相手に一般人が敵うはずもない。給仕達はもとより、雇われ冒険者である黒服達も恐れをなして動き出せないでいる。

 だがアゼルが動きを見せないでいると、彼等はオーナーの命令に従うべきなのか、それとも戦争遊戯でその実力を見せたアゼルから逃げるべきか迷いながらもじりじりと包囲を狭めていった。

 

 それを止めたのは――ぱん! と胸の前で手の平を叩いたシルだった。

 

「ふっふっふー、アゼルさんはどうやら未熟な若造で実力不足らしいので、ここは私にお任せください」

 

 などと言ったシルに、周りの黒服達はそんなわけがないだろうと言いかけた。怒りで我を忘れ冷静な判断ができなくなっているテッドと違い、彼等はどう足掻いてもアゼルには勝てないと思っている。

 アゼルは、溜め息を吐きながら「お任せします」と短く言った。

 

「ではでは! 悪いオーナーに攫われてしまった皆さん!」

 

 大仰に両腕を広げてシルは貴賓室に立ち尽くす美姫達に話しかけた。突然の呼びかけに彼女達は驚きを露わにしながらも聞き入る。シルの声には人を夢中にさせる魔力のようなものがあった。

 

「皆さんは、英雄様の助けを待つだけの籠の鳥でしょうか?」

 

 まるで演説するかのように、シルは部屋を見渡して美姫達と目を合わせていった。

 

「私にはそうは見えません。皆さんは、本当は意志が強い人。逆境にも負けない人。皆さんが綺麗なのは、したたかな心を持っているから」

 

 美姫達の瞳が揺れる。自分達に語りかけてくるシルの言葉に揺さぶられ、真剣な眼差しで見てくるシルの瞳に揺さぶられ、本来の自分達を取り戻していく。

 

「自由とは、自分で勝ち取るもの。運命とは、自分で切り拓くもの。皆さんには奪われてしまったものを取り戻す力があります、皆さんの帰りを待っている誰かがいます」

 

 誰かがその瞳に生気を取り戻した。そしてまた一人、また一人、絶望へと立ち向かう勇気を取り戻していく。

 

「さあ、だから足掻きましょう、抗いましょう、戦いましょう。他でもない、自分達のために!」

 

 そうして彼女は微笑みかけた。それは許されるのだと、それは当然の権利なのだと。否、最早抗うことは生きとし生けるものの義務なのであると。

 不満があるのなら自分達の手でそれを打ち破れ、帰りたい場所があるなら自分たちの脚で走り抜けろ――他人に流されるだけの人生など、なんと滑稽なことかと少女は言う。

 

 その場の空気を言葉と仕草のみで支配した少女にある者は見惚れある者は怯えていた。誰もが次に彼女が何を言うのか注目していると、貴賓室に激震が走った。全員がその発生源へと振り返る。

 そこには床にめり込むように倒れる『エルドラド・リゾート』のオーナーのテリー・セルバンティスと自身を偽っていた男と、彼を冷たき見下ろす燕尾服の男性が立っていた。

 戦いは、瞬く間に決していた。

 

「今こそが、その時です」

 

 美姫達の瞳に完全に生気が戻る。彼女達を縛り付けていた鎖はすべて断ち切られた。

 今まで抱えていた負の感情が怒りへと転じ、誰にも止められることもなく瞬時に爆発に至った。

 

「うあぁ――――――――――っ!!」

「もうこんなところ一秒もいたくないっ!!」

「ウチに帰すニャア――!!」

 

 暴れだす美姫達を止められる者は誰もいなかった。黒服達も、ゲスト達も美姫達には数で劣っていた。その上形振り構わなくなった彼女達の暴れようは、オーナーの収集品(コレクション)であった頃の彼女達からは考えられないものだった。

 誰かはドレスにも関わらず飛び蹴りをかまし、誰かはチップをゲストに投げつけていた。

 

「さ、じゃあ私達は裏口から脱出しましょう」

「シルさん何気に、いえ普通に楽しんでますよね」

「ふふ、だって正義の味方ですよ。早々できることじゃあないです」

 

 それはそれは魅力的な笑みを浮かべながら少女は笑った。アンナの手を取り、そしてテッドを倒したリューの元へと駆け出す。

 

 そしてついにゲストの一人が扉の外、貴賓室からホールへと逃げ出した。一度決壊してしまえばその後は雪崩のようにゲスト達と黒服は美姫達に貴賓室の外へと追いやられていった。

 騒ぎを聞きつけた【ガネーシャ・ファミリア】が駆けつけるのも時間の問題だ。

 

 

 

 

 

 貴賓室にいた多くの人間がシルの言葉に耳を傾け、その仕草に目を奪われている間でもリューと二人の護衛の戦いは続いていた。

 見事な連携戦闘(コンビネーション)にリューは迂闊に攻められない、なんてことはなかった。

 単純に疾さが足りていなかった。常日頃とまではいかなくとも、アゼルと訓練を共にしているリューからすれば彼等の動きは物足りないものだった。動きだけではない、雰囲気すら足りない。立っているだけで剣気を纏うあの剣士と比べれば、何もかもが見劣りする。

 それに、その本人が見ている前で無様な姿は晒せない。

 

「がっ――っ!」

 

 隙とも言えない僅かな動きの空白に、まるで針に糸を通すように正確に黒鉄の拳具の嵐を掻い潜りリューはヒューマンの護衛の顎に掌底を打ち込んだ。殺さないように加減された一撃は、相手を宙に浮かすほどの威力を伴い意識を刈り取った。

 

「――シャアッッ!!」

 

 仲間がやれたその隙に猫人が二刀のナイフをリューの左側から振るう。左側、それはリューが眼帯をしているがために大きな死角となる方向だった。

 だが、そこを警戒しないほどリューは甘くなかった。

 

「そうくると、思っていた」

「――ッ!」

 

 襲いかかるナイフを僅かにしゃがむことで避け、相手を中心にして回転、その勢いを殺さず肘を後頭部に叩き込んだ。叫び声を上げることすらなく、猫人の護衛は地面へと倒れ込んだ。

 リューは動きを止めず、すかさず駆ける。向かうは今回の騒動の原因である男。

 

「もう終わりだ、テッド」

「――なっ!?」

 

 勝てないかもしれない、心の片隅でそう思ってはいた。だが、あまりにも早すぎた。ドワーフということもあり低身長なテッドをリューの空色の瞳が見下ろす。そこには見逃さないという確固たる意志が宿っていた。今まで見逃していたからこそ、もう見逃すわけにはいかない。

 

「どういうことだっ、あの【黒拳】と【黒猫】がこんなあっさり負けるわけねえっ!?」

「彼等は確かに実力はあった、だが結局は雇い主と同じだ。名を偽っていたのは貴方だけではなかったということ。ファウストとロロは本名な上、あの二人は女性だ」

「――――ッ!!」

 

 あまりにも早すぎる決着と名を偽っていたという裏切りにテッドの怒りは限界を越えた。

 雇っていた二人が敵わなかった相手に自分が敵うはずもないのに、テッドはリューに掴みかかろうと突撃する。

 

「くそがくそがくそがぁぁ!! どいつもっ、こいつもっ、役立たずな上に、俺の邪魔ばかりしやがってっ!!」

 

 ただ冒険者の前線から退きカジノのオーナーとして生活してきたテッドの鈍った身体ではリューに攻撃を掠らせることすらできない。リューは冷静にテッドの攻撃を避けて脚を振り上げた。

 

「言っておくが――容赦はしない」

 

 その一言と共にリューの踵が視認すら許さない疾さで振り下ろされた。

 

「ぐべぇっ!?」

 

 攻撃はテッドの後頭部へと突き刺さり、凄まじい勢いで顔から地面へと激突。頑強な床を破損させるほどの威力の攻撃に周囲の人間たちは青褪める。

 ピクピクと身体を震わせながら動かなくなったテッドを見てリューは言い放つ。

 

「私はいつもやり過ぎてしまう。だが、お前には相応だ」

 

 そう言ってリューは燕尾服を翻して貴賓室を見渡した。あまりにも早すぎる決着に言葉を失くす者、容赦のないリューの一撃に恐れおののく者、誰も何も言葉を発さない。

 

「今こそが、その時です」

 

 可愛らしい少女のその言葉でその静寂は破られた。直後美姫達は声をあげながら暴れだし貴賓室は混沌と化した。

 駆けてくる同僚と、彼女に連れられて来るアンナ、殿を務めるアゼルを見てリューはこの事件が終わりに近付いていることを感じた。

 

「で、この後はどうするんですか?」

「裏口の方から抜け出しましょう。事件に関しては【ガネーシャ・ファミリア】に任せておけば問題ありません」

 

 そう言ってリューは貴賓室の奥、カジノの裏側(バックヤード)へと向かう。シルとアンナも彼女に続き走り始める。だが、アゼルだけは片膝を立てて地面に倒れたテッドに小声で何事が喋っていた。

 

「アゼル!」

「はいはい、今行きますよ」

 

 名前を呼ばれたアゼルはテッドから視線を外し、そして興味も失くしてリューの元へと駆け出した。アゼルが追いつき、四人は裏口を目指す。途中、従業員の一人を捕まえ尋問してその道はあっさりと分かった。

 

「先ほどは何を?」

「少しばかり、釘を差しておいただけですよ」

 

 リューの質問に、アゼルはぼかして答えた。知られたくないわけではなかったが、知られると少しばかり恥ずかしい。それを言ってしまえば招聘状の件もリューが知らないようでアゼルは少し安堵した。

 

 

 

 

 

 

『もし彼女に何かしら害を為そうとするなら、止めておいた方がいい。もし、彼女の正体を仲間に伝え、彼女の生存を明かしたなら――私はきっと自分を抑えられない』

 

 貴賓室の床に倒れたテッドにアゼルがかけた言葉。

 

『こんなに誰かを大切に想ったことは初めてですから、何をするか分からない。その時私は自分のためではなく、誰かのために剣を振るってしまうのかもしれない。それは許されない。でも、私はきっと止められない』

 

 苦笑しながらもその溢れ出る殺気は僅かにも揺らがない。そのすべてがテッドへと向けられ、動かない彼の身体を斬りつけていた。

 

『きっと私は――彼女のために貴方達をどんな手段を用いてでも斬り殺しますよ』

 

 それはリュー・リオンがアゼル・バーナムに望んだ剣とは真逆のもの。誰かのために剣を振るい救いとなることを望んだ彼女のために、誰かのために剣を振るい悪を為す。そんなことは誰も望まない。

 それでも、アゼルはその剣を振るうだろう。自分を偽ることができない彼は、己の中で日に日に大きくなっていくその想いから目を背けられない。そして、その大切さを真に示す方法を彼は剣戟でしか持ち合わせていない。

 故に斬るだろう。許されざるその行為が己が身と心を斬り裂こうとも、彼はその痛みすら糧にしてしまうのだから。

 

 だが、その心配はなくなった。

 

 テリー・セルバンティスと名を偽った冒険者テッドの精神は、突き刺さる殺意の刃によって斬り裂かれ、恐怖と絶望の淵から足を踏み外し、砕け壊れた。

 生気を一切感じさせない空虚な表情。生者の成れの果て、生きながらにして彼の心は死んだ。今宵の悪の行き着く先は――生き地獄だった。

 




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言って下さい。

 ベル君がいなくても上手くいった理由はリューさんが原作よりも強くて戦闘がめちゃくちゃ早く終わってガネーシャファミリアの人が来る前にトンズラできたからです。

 うーん、アゼルの好意の見せ方が難しい……いや、自分でこんなキャラにしたんですけどね。
 カジノ編はあと一話で終了になります。でもリューさんの断章はまだ少し続きます。

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