剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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 ここまでやってこれたのも読者の皆様のおかげです。これからも頑張っていきたいと思います。
 ちょっと明日更新できるか分かりません。


エルドラド・リゾート

 何の因果か、意外な人物と意外な場所で出会うという偶然は誰しも一度は経験したことがあるだろう。それを神の悪戯と呼ぶ者もいれば、運命と美化する者もいる。

 

 きらびやかに装飾された広い空間、柱一本一本、壁の装飾一つ一つに施した職人の拘りを感じさせる絢爛な造り、数多く存在する大賭博場(カジノ)の中でも屈指の人気と格式の高さを誇る富豪達の遊び場――『エルドラド・リゾート』。

 常人には縁のないであろうそんな場所で、リュー・リオンは予想外の人物に対面していた。今のリューから言わせれば、その突然の遭遇は、少し都合の悪い、神の悪戯の類だった。

 

「リュ、リューさ――むぐっ!?」

「私達の素性を大声で明かすような真似は、控えて下さい」

 

 相手も予想だにしていなかった遭遇で驚きの余り名前を呼びかけ、リューが急いでその口を手で塞いだ。その速度たるや、Lv.3の冒険者となったベルですら舌を巻くほどだった。有無を言わせない相手のリューの言い方にベルは急いで頷き、リューは手を離した。

 ベルはリューの隣にいたシルにも気付き、今度は声を抑えながら挨拶をした。こんばんは、と挨拶を返すシルは満面の笑みだ。次いでベルはリューの格好を遠慮がちに見た。

 普段のリューであれば、女性をじろじろ見るものではないと注意するところだったが、今ばかりは仕方がない。

 

 見るからに高級感が漂う燕尾服を着こなす姿は男性のそれ――男装姿のリューを見るなと言う方が無理な話だろう。しかも、髪型も大きく変えていて、その上眼帯までしている。

 だが、彼女とて望んでそうしているわけではない。

 

 【ヘルメス・ファミリア】の団長、アスフィ・アンドロメダからアンナ・クレーズの居場所を入手してから二日が経つ。その間リューは『エルドラド・リゾート』への侵入経路を様々な方面から考えたが、情報を報告された時アスフィに言われた通り、現実的な経路は思いつかなかった。

 それが覆ったのが今朝のことだ。

 

 開店の準備に勤しんでいる時、店の裏で誰かと話していたシルがおもむろに一枚の招聘状を手渡してきた。大凡オラリオで冒険者をしている者や一介のウェイトレスでは二度とお目にかかることはないであろう、大賭博場への招聘状だ。

 どうやってそんなものを入手したのかと聞いても、秘密の一点張り。最後には、ニヤニヤ笑いながら「愛されてるねー」などと言う始末だ。

 だが、結局その時のリューにとって重要なことは招聘状の入手手段ではなく、侵入経路など考えるまでもなく、招聘状があれば堂々と『エルドラド・リゾート』へ入ることができるということだった。

 

 だが、お茶目で、自由奔放で、好奇心旺盛なシルはある一つの条件を提示した。自分も連れて行くこと、それが条件だった。元々招聘状にある名前はマクシミリアン伯爵夫妻、二人で行かなければ怪しまれることは必至。リューは断ることができず、夫妻であるからにはどちらかが男性に扮さなければならなかった。その場にいた二人のどちらがより男装が似合うだろうかは聞くまでもない。

 結果、男装したリューがマクシミリアン伯爵、夜会着(イブニングドレス)で着飾ったシルがマクシミリアン伯爵夫人として『エルドラド・リゾート』に赴くこととなった。

 

「この格好は気にしないでください。一身上の都合というものです」

「は、はぁ」

「アゼルさんに連れてこられたんですか?」

 

 シルの質問の仕方に、リューは僅かな違和感を抱いた。あたかもベルがここにいる原因はアゼルにあるに違いないと思っているような聞き方だ。

 リューは知らないことだが、彼女の潜入に大きく貢献した招聘状にはアゼルも関わっている。むしろそのためにあらゆる者を魅了する美神との食事、その後突然の殺し合いをするはめになった末に手に入れたのだから一番の功労者はアゼルと言えるだろう。

 

「い、いえ、アゼルもいますけど、僕は――」

「おい【リトル・ルーキー】何してんだ?」

「モ、モルドさん……」

 

 そこにいたのはいつぞやか『豊穣の女主人亭』でリューにちょっかいを出しアゼルに追い返され、その後18階層でベルを罠に嵌めた、ならず者の男だった。リューは警戒したが、モルドとその仲間はベルに話しかけるだけだ。その関係も、以前のような侮蔑や嫌悪はないように見えた。

 ベルとアゼルは【ファミリア】の面々が新居である『竈火(かまど)の館』に引っ越すに当たり必要になる食器類の買い出しをしていたところ、モルドと出会い大賭博場に連れてこられた経緯を会話から聞き取った。なんでも、数日前の戦争遊戯(ウォーゲーム)で【ヘスティア・ファミリア】の勝利に賭けて相当な収入があったらしく、その礼とアゼルとの和解と称して誘ったらしい。

 モルド達はリューとシルのような招聘状ではなく、長年の努力と金の結晶であるゴールドカードで最大賭博場(グランカジノ)である『エルドラド・リゾート』への入場が許可されていた。

 

 リューの正体に気付きその素性を明かそうとしたモルド一行をリューが彼等の脚を蹴って阻止するハプニングがあったものの、大賭博場の事情に詳しいモルド達からリューは有力な情報を得ることができた。

 『エルドラド・リゾート』のオーナーには接触しなければならない。そして、その場所の見当はついていた。大抵の大賭博場にある、上客を招き入れより高い賭け金で賭博を行う貴賓室(ビップルーム)だ。

 

 モルド曰く、何が起こっているか中に入った者以外は知らない、本当の治外法権。

 貴賓室には警備をしている【ガネーシャ・ファミリア】すら近付けず、警備は大賭博場側から出している。中で何が起こっても口は挟めず、知ることもできない。

 そして、貴賓室では好色なオーナーが自分の愛人を見せびらかしているらしいと酔っ払った招待客が言っていたというモルドの証言。

 攫われたアンナ・クレーズの居場所は貴賓室しかない、見当は確信へと変わった。

 

 通常では貴賓室へ入ることはできない。だが、方法がないわけではない。どのテーブルで賭けをしようか考え始めたリューは、ふと疑問に思ったことをベルに尋ねた。

 

「クラネルさん、アゼルはどこに?」

「あ、そうでした。モルドさん、アゼルがどこに行ったか知りませんか?」

「【剣鬼(クリュサオル)】か? 俺は知らねえけど、お前らは?」

 

 モルドが仲間二人に聞くも、二人とも首を横に振る。誰もアゼルの居場所を知らないという状況になったが、特に誰も心配はしていなかった。

 

「そもそもアイツ初めてカジノ来るって言うのに、俺達より堂々としてるしよ」

「ああ……確かにそうでしたね」

 

 その理由をモルドが言い、ベルはその光景を思い出しながら消極的に賛同した。

 『エルドラド・リゾート』に入るにあたりベルはそれなりの覚悟が必要だった。住む世界が違うような人々が、それはもう装飾過多と言わんばかりに着飾り、これでもかというくらい富をひけらかしているのだ。常連であるモルド達ですら少し気後れするその状況に、アゼルはまったく動揺することがなく、近くにいたバニースーツのウェイトレスからドリンクを受け取っていた。

 前々からアゼルは何事にも動じないと思っていたベルだったが、そのことを強く再確認した瞬間だった。

 

 だが、それも当然といえば当然のことだ。

 あのフレイヤと面と向かって食事をしたり、手を取って踊ったりできるアゼルが、カジノの雰囲気程度で動揺するわけもない。

 

「まあ、アゼルさんのことだから、案外貴賓室にいたりしてねっ」

「んな訳ねえだろ……ねえよな?」

「ええと、たぶん?」

 

 シルが冗談のつもりで言ったアゼルの居場所を否定するモルドと否定しきれないベル。その場にいる全員が貴賓室の扉へと目を向けた。

 可能性がないわけではない。戦争遊戯で有名人となったアゼルがオーナーの目に留まったという線はあるかもしれないが、貴賓室に呼ばれるには少し理由としては弱い。ベルも一緒に呼ばれていないことも不自然だ。

 

(テリー・セルバンティスがアゼルの異常性に気付いていれば、あり得る)

 

 少し調べて少し考えればあの時のアゼルの異常性に気付く者は多いだろう。そして、それは正しく理解していれば、アゼルを特別待遇で歓待する理由に十分なり得るものだ。

 

 外から来た者からすれば、オラリオは人外魔境だ。だが、これは地下にあるダンジョンに生息するモンスターだけを指した言葉ではない。オラリオで活動する冒険者のことを言っている言葉でもある。

 オラリオの内と外では、冒険者の質が大きく変わる。ダンジョンのない場所では冒険者の成長はあまりにも遅く、偉業と見なされる出来事も少ない故にランクアップする者も滅多にいない。蠱毒の法を用いる集団もいるが、例外中の例外だ。

 

 アゼルは【ステイタス】を用いず【ステイタス】の恩恵を得たLv.2冒険者と渡り合う力があるということを証明してしまった。その力が他者にも扱える、習得可能である可能性を考える者もいるだろう。

 【ステイタス】の成長があまり見込めないオラリオ外の組織にとって、アゼルの見せた力は――喉から手が出るほど欲しいものに違いないのだ。

 

(テリー・セルバンティス、いや、()()()なら気付いてもおかしくない)

 

 アゼルが貴賓室にいる可能性が高まり、リューはじっと扉を見つめた。もし貴賓室にいるのなら、迷惑をかけるかもしれない。そう思いつつも、傍にいてくれるなら頼もしいとも思ってしまった。そして、ある決定的な問題にも気付く。

 今のリューは男装していた。少なくとも、想い人に見て欲しい姿ではなかった。会いたいという感情と、会いたくないという感情がせめぎ合う。

 

 アゼルの居場所も、自分の感情も、結局答えは出ない。

 

 

■■■■

 

 

 貴賓室(その部屋)は外と比べると、静かな場所だった。イカサマだ、と騒ぎ始める輩もいなければ酔っ払って大声で話す人物もいない。しかし、表面上では見て取れない、水面下の様々な戦いがそこでは繰り広げられている。

 腹を探り合う者、権力者に気に入られようとしている者、カードの読み合いをしている者。私が普段身を置いている暴力の戦場とはまた違った社交界という戦場なのだろう。私には到底似つかわしくない場所であることに違いない。

 私とて、来る予定があったわけではない。だが、招待された上に相手のチップでゲームをしていいというのだ。リューさんのこともあってモルドさんに連れてきてもらったが、私も一度ギャンブルをしてみたいと思っていたのだ。招待に応えるに決っている。

 

「バーナム殿、何か気になるゲームはおありかな?」

「いえ、私はカジノに関しては全くの素人なので、どれがどんなゲームなのかすら」

「そうですか……では、誰か説明できる者を共にさせましょう。ほら、お前達」

 

 私に話しかけてきたのはドワーフの男性。この『エルドラド・リゾート』のオーナーであるテリーさんだ。表情は柔らかく、物腰も穏やかなのだが、その歩き方はどこか一般人と違う雰囲気があった。いや、オラリオで最大のカジノのオーナーは一般人ではないか、などと考えている間に私の前に数人の女性達が並んでいた。

 全員が美しく、若い女性だった。ある者は大きく肩を露出させ、ある者は露出を抑えつつ色気を醸し出し、ある者は顔の下半分を漆黒のベールで隠していた。露出させれば良いというものではない、そのことをテリーさんは良く知っているようだ。

 

「どうですか、皆美しいでしょう。私の愛に応えてくれた美姫達です」

「なるほど、テリーさんも隅に置けませんね」

「自慢のようになってしまい申し訳ない。さあ、彼女達は皆プレイヤーとしても一流、お一人選んで連れるのがよろしいかと」

 

 目の前の男は、良く人間を理解していた。男であれば、どれほどの美少年よりも妖艶な美女を隣に置いておきたいだろう。そして、私は漸くアンナさんが攫われた理由に思い至った。貴賓室にいる着飾った女性の殆どがテリーさんの愛人なのだろう。

 テリーさん本人も大の女好きなのだろう。だから、金と権力に物を言わせてアンナさんの父親を嵌めて娘を奪うようなことまでして美しい女性を手に入れているのだろう。

 だが、そうでなくとも、カジノのオーナーという立場、他の権力者や上客の相手をさせるという状況、様々な意味で彼の愛人達は使える。

 

「うーむ」

「何かお悩みでも? もしや心に決めた相手がいらっしゃるのかね?」

「まあ、そんな感じです」

「今宵起きたことは部屋の外の者は誰も知ることはありません。誰も知らないのであれば、それはなかったことと同義ですぞ」

 

 テリーさんは笑いながらそう言った。だが、その笑顔が作り物だということはなんとなく分かった。彼は私に気に入った女性をあてがい、何かしらの恩を売りたいのだろう。確かに、美しい女性を連れて歩くことが嬉しいか嬉しくないかと聞かれれば、嬉しい。

 だが、目の前の女性の誰を連れて歩いても、何も楽しくはない。テリーさんの差し金であるということもあるが、何よりも彼女達の目に生気がない。

 逃げることのできない絶望、抗うことを諦めてしまった精神、希望を見出だせない心、その様がありありと見て取れる。

 だから、私はテリーさんに言った。

 

「いえ、ここで私が彼女達の内の誰かを選んでしまったら、それは選ばれなかった女性の美しさを侮辱してしまうようなもの。どうしたものかと、思っていただけです」

「バーナム殿はお優しいですな。何、そんなことお気になさらず、選ぶといい」

 

 どうぞどうぞ、とテリーさんが更に勧めてくる。どうあっても誰か私に歓待役を付けたいらしい。だが、それも予想していた展開だ。引き下がらなかった時の選択肢も思いついていた。

 

「分かりました。しかし、やはり美しさで女性を比べるのは失礼には変わりないので、こうしましょう。テリーさんの()()()()()()()をお願いできますか?」

「バーナム殿もお人が悪い。彼女の私への愛を試そうということですかな?」

「いえいえ、本当に美しさで女性を比べることができなかっただけですよ」

 

 私はもっともらしい理由を述べて、リューさんが救い出そうとしているアンナさんを呼ぶことにした。あくまで柔らかな笑みを絶やさず、テリーさんは私をやんわりと非難した。普通に考えれば、新しく愛人となったばかりの女性に会わせろなどと言ったら非常識に違いない。彼の対応は何も不思議ではなかった。

 本当に呼んでくれるかどうかは、テリーさんが私をどれほど大切な客だと思っているかにもよるだろう。戦争遊戯で活躍した冒険者だから招待されたのか、それともそれ以上の理由があったのか、これではっきりするだろう。

 

「……少々お待ちを。只今呼んできましょう」

「ええ、楽しみにしています」

 

 僅かな思考の後、テリーさんは貴賓室の奥へと歩いていった。恐らく彼の愛人達が待機している居住空間か何かだろう。

 その対応を見て、私は自分が特別視される理由を考えてみようと思ったが、生憎オーナーがいなくなったからか貴賓室にいた他の客、物腰の柔らかい老紳士が話しかけてきた。

 

「いやはや、流石は戦争遊戯の覇者、昨今オラリオを騒がせる冒険者であるバーナム殿だ。剣だけでなく女性の扱いもお上手だ」

「女性は大切にすること、そう師に教えられてきましたから」

「ははは、良い師ですな。その上バーナム殿は中々に運も良いとみました」

「何故ですか?」

 

 近くを通った給仕係からグラスを二つ受け取ったその老紳士は一方を私に渡してきた。断る理由もなく、受け取って礼を言ってから口を付けた。飲み物のランクまで貴賓室の外と中では雲泥の差だった。

 老紳士の運が良いという言葉の意図が分からず質問をする。

 

「なんでもオーナーは遠い異国の傾国の美女を手に入れたと、ここに来る途中に耳にしましてな」

「へえ、傾国の美女ですか……それは、是非お会いしてみたいですね」

「ほっほっほ、恐らくお会いできるでしょう。オーナーはバーナム殿のことを甚く気に入っていますからな。普段は冒険者を貴賓室に呼ぶことはありませんから」

「私のどこが気に入ったのかは分かりませんが、光栄なことです」

 

 それから少しの間、私はその老紳士と雑談に花を咲かせた。普段関わらない類の人物との会話は思いの外興味深く、オラリオの外の話は、故郷の田舎とオラリオとその間の道中しか知らない私にとっては新鮮な話だった。

 老紳士との会話が終わったのは、貴賓室の一画が小さくざわめいたからだった。

 

「おお……なんと美しい。そうは思いませんか、バーナム殿」

「ええ、話に違わず美しい少女だ」

 

 クレーズ夫妻が男神にも求婚されたことがあるほど美しく可憐な少女であると、自分の娘を形容していたのだが、私は今の今まで親の贔屓目で言ったことだろうと思っていた。

 だが、予想は裏切られた。

 

「バーナム殿、お待たせしました。ほらお前、挨拶を」

「は、はい。アンナと申します……アゼル、様」

 

 貴賓室の奥から再び現れたテリーさんは一人の少女を連れていた。ざわめきは彼女の登場によって起こったのだろう。老紳士のようにテリーさんの新しい愛人の話を聞いていた者も、聞いていなかった者もアンナさんの姿に感嘆の吐息を洩らした。

 純白のドレスはさながら花嫁衣装でも意識しているのだろうか、そのスカートの裾を少しぎこちない仕草で持ち上げてアンナさんは小さく頭を下げた。母親譲りの亜麻色の長い髪、純朴さを秘める碧眼と汚れを知らない白い肌、ほっそりとした顎と項、慎ましい胸の膨らみ。その容姿は、確かに男神達が放っておかないほど優れていた。首に巻かれた装飾(チョーカー)が所有権を示す首輪のようだ。

 

「こんばんは、アンナさん。無理を言って会わせてもらった甲斐がありました。皆さんが傾国の美女と噂するのも納得させられる」

「そ、そんな、私は――」

「アンナ、落ち着きなさい。いや、すみません。アンナも先の戦争遊戯を見ていたものでして、バーナム殿ほどの英傑に会うことに緊張しているのでしょう」

「そんな畏まる必要はありませんよ。私は辺境も辺境の生まれ、剣を振るうしか能のない田舎者ですから」

 

 瞳を僅かに揺らし、落ち着きのないアンナさんの状態を私に会って緊張しているとテリーさんが説明した。それが事実だったらそれはそれで少し傷付くが、今回に限ってそれはないだろうという確信があった。

 彼女の僅かに潤んだ瞳、震える唇、言葉の端々から滲ませる怯え、庇護欲と同時に男の嗜虐心を刺激する今の彼女を、有名人に会って緊張しているからという理由では説明しきれないだろう。私が所構わず人を斬る殺人鬼だと思われているならいざ知らず、戦争遊戯でしか見たことのない私を前にして怯える必要はどこにもない。

 

「では、バーナム殿。是非ごゆるりと我が自慢のカジノをお楽しみください。ルール等が分からない場合は近くの給仕係に聞けば大丈夫でしょう」

「何から何まで、ありがとうございます」

「いえいえ、バーナム殿がいると知れば他の者達も大いに盛り上がるでしょうから。では、私は少々やることがあるので、また後程。アンナ、バーナム殿に失礼のないようにな」

「はい……」

 

 そう言ってテリーさんは再び貴賓室の奥へと戻っていった。私とアンナさんが以前何かしら関係があったのかどうかを調べに行くのかもしれない。どちらにしろ、この場からいなくなってもらった方が私としては好都合だった。

 

「一晩だけでしょうけど、よろしくお願いします」

「こ、こちらこそ、よろしくお願いします……」

 

 一晩だけ、というのは何も私の相手をする期間の話ではない。きっと、今晩ですべてが終わるに違いないのだ。

 不安そうに肩を震わせているアンナさんを見て、私は言った。

 

「そう不安がることはありません。ここにいられる時間もそう長くはない、今は楽しんだ方が良い」

「それは、どういう――」

「さて、では少し見て回りましょう。何、どうせ私のお金じゃないんです。ぱーっと使ってしまうとしましょう。アンナさんは、何か興味のあるゲームはありますか?」

 

 彼女の質問を遮って、私は歩き始める。どうせ、私にできることはないのだから、滅多にない機会を楽しむとしよう。カジノなんて誘われでもしない限り行くこともないだろうし、私の周りにはカジノに行くような人間もいない。

 もしかしたらこれが最初で最後になるかもしれない、などと思いながら私は取り敢えず目についてテーブルへと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 アンナさんを連れ、ポーカー、ブラックジャック、ルーレット、その他にも初めて見るようなゲームをやってみた。一様にテーブルに来た私がアンナさんを連れているのを見て他の男性客から羨望の眼差しで見られたが、特に思う所はなかった。まあ、彼女を連れている甲斐もあってルールを丁寧に説明してくれる人には事欠かなかった。

 一番私の性に合ったゲームは最後にやったバカラだっただろう。難しく考える余地がなく、運任せというところが気に入った。

 

「さて、チップもすべて綺麗さっぱりなくなったことですし、ゆっくりするとしますか」

「あの、よかったんですか?」

「良いんですよ、別段お金が欲しくて来たわけでもないですし」

 

 貴賓室にはゲームをするテーブルだけでなく休憩をするラウンジやカウンターも設置されていた。私はカウンター席に腰を下ろし、ウェイターに適当に飲み物を頼んだ。この飲み物、なんと無料である。

 アンナさんも隣に座らせ、何か注文するように言う。彼女も私といることに多少は慣れたのか、最初より落ち着いた表情になっていた。私に向ける笑顔も、作り物から少しだけ本来の柔らかなものになってきていた。

 

「えっと、あの……」

 

 今は楽しんだほうが良い、という私の言葉が功を奏したのか彼女は特に自分の立場に気負うことなく好きなものを頼んだようでご機嫌だった。傾国の美女、そのイメージを壊さないためにも本来彼女は自分の好きでもない飲み物を頼まなければならなかっただろう。

 彼女の目の前に置かれたのは果実水、ジュースだった。それを可愛らしくコップを両手で持ちながら飲む姿は、傾国の美女とはかけ離れていた。

 

「す、すみません……」

「別に謝ることはありませんよ。好きなものを頼めと言ったのは私ですし」

「そう言って頂けると、助かります……なんだか、アゼル様といると安心、してしまって」

「安心? それはまた何故? 私達は初対面ですよ」

 

 おずおずとアンナさんが意外なことを言ったので、ついその理由を問うてしまった。私には、彼女が安心する理由がさっぱり分からなかった。もし、ここにいるのがベルであれば、あの少年らしい純粋さや無邪気さに安心することもあっただろう。

 だが、私にはそんなものはないだろう。

 

「たぶん、それはアゼル様が、()()()()()()()()()()から、だと思います」

「……まあ、そう言われればそうですね」

「テリー様や他の方達は、私を……とても嫌な目で見てきます。でも、アゼル様は違いました」

 

 その視線を思い出したのか、彼女は身を縮めた。まだ女性に成りきれていない少女である彼女には、彼等の向ける欲望の目は恐ろしいものに映っただろう。家族から無理矢理引き離され、一人欲望の満ちた場に連れてこられ、彼女は怯えきっていた。

 

「ふふ、興味持たれないことが安心できるなんて、なんだか不思議です」

 

 そう言って彼女は弱々しく微笑んだ。本当の彼女の微笑みは、それこそ花のように可憐なのだろう。それが見れないことを少し残念に思いながら、やはりその程度の興味なのだと再確認した。ベルであればその笑顔を取り戻そうと思うだろう、リューさんであればその笑顔を曇らせる悪を裁こうと思うだろう。

 

「あ、あの、アゼル様。聞きたいことが、一つあるんです」

「まあ、答えられるかは質問によりますけど。どうぞ」

 

 幾分か和らいだかと思っていた彼女の表情が再び堅いものになっていた。緊張や不安、そして僅かな期待が彼女の瞳に浮かび上がる。

 

「戦争遊戯でのことなんですけど……アゼル様は、どうやって相手に勝ったんですか?」

「どうって、こうズバッと斬ってですけど」

「そ、そうではなくて、その……ハンデが、あったんですよね?」

「ええ【ステイタス】、と言っても分からないかもしれませんね……まあ、冒険者を冒険者足らしめる力を封印してましたよ」

「ハンデがあったのに、勝てた理由を、その……できれば、教えてもらえないでしょうか」

 

 アンナさんにしては踏み込んだ質問だと、僅かな時間しか共にしていない自分でも感じた。彼女は謙虚な人で、いきなり人のプライベートについて質問をするような人ではないように思えた。ましてや冒険者としての私に対する質問を、ただの街娘であるアンナさんがするのも少しおかしい。【ステイタス】の封印という情報は出回っていたのにも関わらず、ハンデと言ったことから彼女が冒険者について詳しくないことは分かった。

 アンナさん以外の誰かの思惑がそこにあるということは、すぐに理解できた。

 

「ああ……なるほど。そういうことですか」

 

 私は、何故自分が貴賓室に呼ばれたのか分かっていなかった。戦争遊戯で活躍したから、というだけでは高待遇過ぎるし、テリーさんが私の熱烈なファンということもない。理由がないとばかり思っていたが、アンナさんの質問でなんとなく分かった。

 

 テリーさんは私の【ステイタス】に依存していない部分の力、ホトトギスとしての力に興味があるのだろう。言われてみれば、戦争遊戯の前と後では街を歩いていて冒険者に見られることが多くなった気もする。

 【ヘスティア・ファミリア】は戦争遊戯でベルと鈴音の二人が自分よりLv.の高い敵を倒すという偉業を為したが、私の場合その範疇から越えていた。冒険者でないものが冒険者を倒すという、冒険者社会を根底から揺るがすような行為、とヘスティア様は言っていた。

 自分としては、そこまでのことをしたとは思っていなかったのだが、ヘスティア様がいつになく真剣な顔でそう言うのだからそうなのだろう。

 

 私の【ステイタス】に依存しない力が、もし後天的に習得できる類のものであれば、その情報は高く売れるだろう。カジノのオーナーという立場のテリーさんでなくとも、その情報を欲することは私でも分かる。

 

「えっと、あの」

「アンナさん、その質問に答えることはできません」

「そ、そうです、か……」

 

 私が答えられないと知ると、彼女は今にも泣き出しそうなほど落ち込んだ。情報を引き出す代わりに自由にする、なんて取引をしていたのかもしれない。それとも家をなくした両親が人質として取られているのか。強引に女性を一人攫うくらいだ、何をしても私は驚かない。

 

「……アゼル様。この後は何か予定は、あるんですか?」

「この後ですか? というか、そもそも買い物の途中だったんですよね。まあ、この時間なのでもう買い物はできませんね。あるかないかと言えば、ないですよ」

「で、では、アゼル様さえ良ければ……その……今晩、私と――」

「アンナさん」

「――んむ」

 

 潤んだ瞳で私を見ながら、何を言うかと思えば。アンナさんも相当追い込まれていたようだ。

 指を彼女の唇に当て、言葉を途中で止めさせる。それ以上は言わせたくはなかったし、言わせた所で結果は何も変わらない。であるなら、止めることが彼女の傷を一番浅く済ませる方法だろう。

 

「お、お願いします。そうしないと、お父さんとお母さんがっ……」

「うーん、テリーさんも外道ですね」

「どうしても、教えて、もらえませんか……?」

 

 懇願するように、涙を目尻に溜めたアンナさんが上目で私を見る。可憐な容姿と相まって、少し教えてもいいかもしれない等と考えてしまったが、それも一瞬。

 

「すみません、こればかりは教えられません」

「――ッ……す、すみません」

 

 私の最終的な答えを聞いて、遂にアンナさんの瞳から涙がこぼれた。泣き落としかとも思ったが、彼女は俯いて私に涙を見せないようにしていた。誰でも人前で泣きたくはないだろう。万策尽きた、そういうことだ。

 

「アンナさん、泣かないでください。せっかくの綺麗な顔が台無しだ」

「でも、でもっ――」

「私のことは教えられませんが、違うことなら教えてあげますよ」

「……?」

 

 流れる彼女の涙を指で拭い、縋るような表情の彼女に向って私は言った。

 

「貴女は救われる、この悪夢はじき覚める。今宵の悪は、正義によって打倒されるでしょう。だから、ほら、笑っていましょう。これはきっとハッピーエンドで終わる物語なんですから。泣くのは最後の最後、貴方が救われてからにしましょう」




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言って下さい。

 ちょっとアゼルが気障ったらしいかなー……と思いつつ、まあいつもこんな感じだろうと自己完結。ちなみに、自分はアンナの容姿は小説版ではなく漫画版の方が好きなので漫画の方の容姿で。

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