剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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帰還、オラリオにて

 【ヘスティア・ファミリア】と【アポロン・ファミリア】の戦争遊戯(ウォーゲーム)は【ヘスティア・ファミリア】の勝利で決着した。

 酒場等で勝敗を賭けていた冒険者は数多く、その殆どが【アポロン・ファミリア】に賭けていた。そのため、【ヘスティア・ファミリア】に賭けていた者達は大勝利、大儲けすることとなった。

 『鏡』を中継して見ていたオラリオの一般市民や冒険者、神々は強敵である【アポロン・ファミリア】に大立ち回りをした【ヘスティア・ファミリア】の実力を目の当たりにし、【ヘスティア・ファミリア】は瞬く間に底辺【ファミリア】から一気に注目されることとなった。

 

 団長であるベル・クラネルは、自分よりLv.が一つ上の相手に奮闘、敗北しかけるも最後の力を振り絞り逆転勝利。その戦いぶりからLv.1でのミノタウロス撃破も真実味が帯びてきたと言い始める輩が増えた。二度見せた純白の輝きが一体何だったのかと調べ始める者もいた。

 『クロッゾの魔剣』により改宗したばかりヴェルフの名も一気に広まった。命はあまり目立ってはいなかったが身を挺して仲間を先に行かせた功績は大きいと、縁の下の力持ちとして名を上げた。

 鈴音はLv.1ながらも大人数の冒険者相手に一歩も引かず、最終的にLv.が一つ上のダフネを倒すという戦績を残した。炎の付与魔法、そして血を刃へと変える魔法は鍛冶師らしいと評判を上げた。実際は鈴音の【ステイタス】には血を刃へと変える魔法なんてものがないのだが、それは主神であるヘスティア、元主神であるヘファイストスのみが知る。

 

 そして、アゼル・バーナム。

 恐らく一番大きな波紋を呼んだのがこの剣士であった。アゼルは冒険者としてではなく、剣士としてあの場に臨んだ。にも拘わらず、神々の注目を最も集めたのはアゼルだった。

 【ステイタス】が封印されていることは大々的に告知されており、ギルド側も処置は完璧であったと主張した。だが、身体能力は明らかに人のそれを逸脱していた。戦った相手の装備まで調べていれば、それだけではないということにも気が付いただろうが、そこまでしたのは少数であった。

 【アポロン・ファミリア】のLv.2冒険者ラオン・ジダールを一人で撃破。これを成したアゼルは素でLv.2の冒険者に引けを取らない戦闘能力を有しているということだ。それは、冒険者にとっても無視できないことだった。特に強くなるために冒険者になった者はどういった絡繰りなのかを自分達の主神に問い詰めた。

 しかし、その返答は芳しくない。ヘスティアがどのような経緯でアゼルがあのような力を得たのは口を割らなかったからだ。現時点でアゼルの力を説明できるのは、ヘスティアと鈴音、そして辛うじてタケミカヅチだけだろう。

 

 ある者は囁いた、あれは人間ではないと。

 ある者は呟いた、あれは化物であると。

 ある者は言った――名は体を表す、【剣鬼(クリュサオル)】とは正に彼のためにある名だと。

 

 

 影響は他にもあった。

 まず、【アポロン・ファミリア】は即時解散、主神であるアポロンはオラリオを永久追放、【ファミリア】として所持していた財産のすべてを【ヘスティア・ファミリア】へと明け渡すこととなった。負けるとは思っていなかったアポロンは『要求を何でも飲む』と言ったことを後悔した。

 最終的には【アポロン・ファミリア】のホームであった豪邸、冒険者達個人の所有物ではない調度品等、その他多額の賠償金を【ヘスティア・ファミリア】は【アポロン・ファミリア】から勝ち取った。

 解散した【アポロン・ファミリア】の団員達は各々の道を探すはめになった。他の【ファミリア】へと改宗するもの、冒険者を辞めるもの、オラリオから去った主神を追いかけた者、各々が新たな生活へと踏み出すこととなった。

 

 

■■■■

 

 

「こちらが、約束していた脱退金になります」

 

 そう言ってリリは金貨が入った小袋をソーマに差し出した。ローブを纏ったソーマは何も言わずにそれを受け取り、手に持っていた短剣をリリへと渡した。

 

 リリルカ・アーデの改宗、延いては【ソーマ・ファミリア】からの脱退の条件は巨額の脱退金だった。持ち合わせがないということでその時はヘスティアがヘファイストスに頼み込んで打ってもらった《ヘスティア・ナイフ》を担保とした。

 そして、【アポロン・ファミリア】から得た賠償金がある今、同行するというベルや他の団員達の申し出を断りリリは一人でソーマの元に訪れ脱退金と《ヘスティア・ナイフ》の交換をしに来ていた。

 

「今まで、お世話になりました」

 

 皮肉でもなんでもなく、リリはけじめをつけるためにそう言った。もうリリは【ソーマ・ファミリア】の一員ではない。その背中に刻まれているのは【ヘスティア・ファミリア】としての【ステイタス】だ。

 

「リリルカ・アーデ……すまなかった」

「……」

 

 その謝罪に対してリリはどう答えれば良いのか分からなかった。お互い口を開くことなく沈黙が続く。そもそも仲が良いわけでもなく、むしろリリからすれば諸悪の根源とも言える神だ。ソーマは何もしていなかったが、むしろ何もしていなかったことが根本的な問題だったのだ。【ソーマ・ファミリア】の腐敗とはもとを正せば主神であるソーマの無関心が原因だ。最も憎むべきは、無関心なソーマを利用して私腹を肥やしていた前団長だが。

 何を言って良いのか分からず、リリは退出しようと背を向けた。

 

「――待て」

 

 意外なことにソーマはそれを引き止めた。恐らくそう多くの者が聞いたことのないソーマの声は澄んでいた。そう大きな声でなかったが、声をかけられたということへの驚愕もあり、リリは振り向いてしまった。

 その声はどこか切羽詰まっていた、どこか必死だった。

 

「待って、くれ」

 

 最早それは懇願のようにすら聞こえた。リリは立ち止まり、そして元いた位置へと戻った。取り敢えず戻ってきてくれたことにソーマは安堵していた。

 

「これを」

 

 ソーマは棚から酒瓶を一つ取り出しそれをリリへと渡した。中身を確かめるまでもなく、それが何なのかリリには分かった。

 

「な、何のつもりですかっ」

 

 神酒(ソーマ)、人を狂わす神の酒。地上においてソーマのみが酒造することのできる至高の液体。一滴で人を虜にして堕落させる、リリの人生を狂わせてきた憎き酒だ。

 それを自分に渡してくる意図がリリには分からず思わず声を少し荒らげてしまった。

 

「これを、アゼル・バーナムに」

 

 静かに、そして端的にソーマは用件を伝えた。

 リリは納得はできなくとも、何となく理解した。そう言えばアゼルがソーマと神酒を飲み交わしていたと救出された後にヘスティアから聞いていた。あの剣士は何をしているのかと一時は呆れたものの、あのソーマが誰かと酒を酌み交わすとは思ってもいなかった。

 ソーマは至高の酒を造ることに執着しているのであって、誰かに飲ませることに執着しているのではない。

 

 変わったのだろうか、不変であるはずの神が。

 変わろうとしているのだろうか、酒以外何一つ興味のなかったソーマが。

 どこまでも純粋な少年と同じように、あの剣士に関わったものも変わらずにはいられないのだろうか。

 

「頼む」

 

 一向に受け取ろうとしないリリを見かねてソーマはもう一度口を開いた。

 

「【ヘスティア・ファミリア】は今後、【アポロン・ファミリア】のホームだった館に移り住みます。場所くらいは自分で調べてください」

 

 突き放すようなその物言いにソーマは僅かな痛みを感じた。だが、当たり前だったのだろうと納得せざるを得ない。自分はそれだけのことを目の前の少女にしてしまったのだという自覚が、今のソーマにはあった。

 自分で渡せ、ということだろう。そう思って、アゼルに酒を渡すことは難しいと諦めようとしていた時だ。

 

「今回は私が渡しておきます。ですが、次からはご自分でお渡しください」

 

 リリはソーマから酒瓶を受け取った。その予想外の行動に一瞬我を忘れたソーマは質問をしてしまった。

 

「な、ぜ」

 

 【ヘスティア・ファミリア】のホームへと赴き自分で渡すということは、リリと会うということでもある。そんなこと彼女が望んでいるはずもない。二度と顔を見たくないと言われてもソーマは納得できただろう。

 であるからこそ、ソーマには今のリリが理解できなかった。

 

「……確かに、リリは貴方のことが許せません。貴方がもっと他のことにも関心があれば、そう思わなかったことはありません。でも――」

 

 長い前髪の隙間から覗くソーマの瞳をリリは見た。

 

「でも、貴方がいなければリリは産まれなかった。貴方がいなければ、リリはベル様に会うことはなかった。救われることも、足掻くことも、立ち上がることも、戦うことも、貴方がいなければ起こらなかった」

 

 ソーマがいたからこそ【ソーマ・ファミリア】ができ、そしてそこにリリの両親が集いリリを産んだからこそ今のリリがいる。無関心であったソーマがいたからこそ、地獄のような日々があった。そして、それがあったからこそ彼女はベルに出会い、救われた。

 だが、それは結果論でしかない。そんな考え方が彼女の苦しみを癒やすはずもない。

 

「貴方は許されないことをしてきた。でも、リリもたくさんの人を騙し、踏みつけ、切り捨ててここまできました。リリだって、許されないんです。だから、リリは貴方も、そしてリリ自身も――決して許しません」

 

 過去の自分を捨てることなどできるわけもない。今があるのは過去があるからであって、それは忘れることもなかったことにすることもできない。

 それが、どれだけ醜い過去であったとしても、受け入れるしかないのだ。リリルカ・アーデは癒やしなど求めていなかった。傷を負い、血を流し、それでも手放せないものにこそ本当の価値が生まれるのだと彼女は信じている。

 

「リリもソーマ様も、同じです。許されなくとも、生きていくんです、生きていくしかないんです」

 

 ベルだったら目の前の神を見捨てることなどしないだろう。己のしてきたことを悔いて傷付いているのなら、神にさえあの少年は手を差し伸べるだろう。困っている人を見過ごすことなど彼にはできないのだ。

 だから、自分もそうしてみようとリリは思った。今までたくさん悪いことをしてきた。今更善い行いをしたところで、罪は消えない。そんなことは分かっている。それでも、ベルの横に立つに相応しい自分になりたいとリリは願った。

 

「だから、憎まれても、傷付いても、突き放されても、ご自分で渡しに来てください」

 

 神酒をアゼルに渡すことにどんな意味があるのかリリには分からない。だが、目の前の神が一歩前に進もうとしていることは分かった。

 

 一回目の助けはリリなりの歩み寄りだ。目の前の神が憎くないと言ったら嘘になる。しかし、真に憎むべきは人であり、人の欲であり、人の弱さであり、決して目の前の神にすべてを押し付けていいわけがない。

 だって、あの地獄を作っていたのは、酷く歪み、濁り、捻じ曲がっていたとは言え家族(ファミリア)だったのだ。

 

「……リリルカ・アーデ」

「はい」

「お前は……どんな酒が好き、なんだ?」

「教えませんっ」

 

 向き合っていたリリは突然顔を逸らして背中を向けた。そんな行動にソーマは戸惑いを覚え、どうすれば良いのか分からず狼狽える。

 

「それくらい、自分で見つけてください」

 

 そう言ったリリに対してソーマは驚く。何故なら、人の好みなど幾ら考えたって分かるものではない。色々なものを試してみないと分かるものではないし、同じ場にいなければ見つけることもできないだろう。

 少女の悪戯か、それとも挑戦か。

 

 神に試練を与えるなど、人の子も恐れを知らない。

 

「また、会おう」

 

 退出していくリリの背中に向けてソーマはそう投げかけた。

 

「はい、また」

 

 その返事は、まるで激励のようだった。

 けじめは付けた、決着は付いた。だから、ここから始めよう。不変である神でさえ変われるのだと信じて、新たな関係を始めよう。傷付いた少女は傷と向き合い、傷付けた神は己と向き合い、消えることのない罪を背負いながら、生きていくしかないのだ。

 相手を傷付けたという罪に苛まれながらも歩み寄ろうとしたソーマ、己の醜い過去と向き合いながら恋をした少年と共にいたいと思うリリ。変わらない、人も神も変わらない。ならば何時か、決して消えぬ憎しみを酒で薄め、杯を鳴らし酌み交わすことも、あるのかもしれない。

 

 

■■■■

 

 

「これはまた、立派な」

 

 そう言葉を漏らしたのはアゼルだった。見上げた先にあるのは三階建の豪邸、かつて【アポロン・ファミリア】のホームであった建物だ。

 

「どうだ! 今日からここが僕達のホームだよ!」

『おおおー!!』

 

 ありすぎる胸を張ってそう言ったのは【ヘスティア・ファミリア】の主神であるヘスティア、続いてベル、ヴェルフ、命、鈴音が歓声を上げる。

 

「なんと中庭に回廊まであるし、敷地も広いから家庭菜園なんかもできるかもしれないね」

「凄いです神様! 部屋が地上にあります!!」

「いや、それは当たり前だろ……」

 

 今まで劣悪な居住環境で過ごしてきたベルのあんまりな言葉にヴェルフが呆れながらも突っ込みを入れた。今までは光の差さない地下、しかも広いとは言え一部屋に三人で生活していたのだ。行き成りの大躍進にベルは幼子のようにはしゃいでいた。

 

「しかし、これだけ大きいと部屋がたくさん余りますね」

「まあ、いいじゃないか! 大は小を兼ねるって言うし!」

「いえ、まあそうなんですが……」

 

 掃除は誰がするのだろうかと考えていたアゼルに対してベルに負けず劣らずうきうきしているヘスティアが答える。

 

「あ、アゼル様」

「どうかしましたか、リリ」

「えっと、これを」

 

 豪邸の玄関へと走っていったヘスティアをベルが追いかける。それに続いてやれやれと呆れながらも嬉しそうなヴェルフが続く。リリも続くかと思いきや、彼女はアゼルに袋に入った酒瓶を手渡していた。ソーマからは剥き出しで貰ったものの、そのまま持っていてはいらない厄介事を呼び込みかねないとリリが袋を用意したのだ。

 

「あの、これは?」

「ソーマ様から、アゼル様に渡してほしいと。中身は、神酒です」

「ほお」

「お酒?」

 

 相変わらずアゼルの横に立っている鈴音も手渡された袋を見た。神酒と言われても、酒類にあまり興味のない鈴音には馴染みがなかったようで、首を傾げていた。

 

「ええ、一緒に飲みますか?」

「飲むっ」

 

 酒には興味はないが、アゼルと一緒に飲むとなれば話は別だ。誘いがあれば毎晩でも晩酌に付き合うくらいの食いつきだった。

 

「だ、だめです! アゼル様とヘスティア様以外は飲んではいけません!」

「そう言えばそうでしたね……というわけで、すみません鈴音」

「え、えぇぇ、なんで、なんで?」

 

 鈴音はアゼルの袖を少し引っ張りながら抗議した。

 神酒で晩酌するには、神酒を飲んで魅了されないという条件がある。現在【ヘスティア・ファミリア】でその条件を満たしているのは恐らくアゼルと神であるヘスティアのみだ。

 

「おーい、君達!! 早くおいで、重大発表だぞー!!」

 

 大声でヘスティアが三人を呼ぶ。苦笑しながらも三人は急ぎ足でヘスティアのもとへと駆け寄っていく。彼女は玄関前の階段に座り込み羊皮紙に何かを絵を描いていた。ペンは淀みなく紙の上を走り、そして絵が完成される。

 

「じゃじゃーん!! 前々からずっと考えてた、僕達のエンブレムだ! ちゃんとした本拠も構えて、漸く一端の【ファミリア】を名乗れるようになるんだからね!」

 

 完成した絵を掲げたヘスティアが見やすいように地面に置く。団員達はその周りに集まり、そして覗き込む。

 

「なるほど、ヘスティア様を象徴する護り火ですか」

 

 インクで描かれた揺らめく炎。

 

「ベルの名前とスキルからとった鐘だな」

 

 その後ろに、鐘が重ねて描かれている。

 

「そして、アゼル殿が剣」

 

 鐘の更に後ろ、斜めに描かれた飾り気のない長剣。

 

「これが、【ヘスティア・ファミリア】の始まりだからね」

 

 古い紙の匂いの中刻まれた絆、その最初の三人がその紙に描かれていた。どうだと言わんばかりにヘスティアはベルとアゼルを見た。ベルは興奮気味に頷き、アゼルは微笑みを返した。

 

「これからが真の意味でのボク達の【ファミリア】の門出だ!」

 

 新生【ヘスティア・ファミリア】、発足。

 

 

■■■■

 

 

「はぁ……ふふ、ふふふ」

 

 身悶えるように身を抱きしめる。彼女以外が存在しないその空間に水音だけが響く。お湯から昇る湯気では隠せぬ彼女の笑みを直接見たならば、たちまち魅了され立つことすら叶わないだろう。それほどまでに、今の彼女は艶めかしい表情をしていた。

 肌が赤みを帯び、うっとりとした目をしているのは最適な温度に保たれている湯だけが理由ではない。

 

「あぁ、なんて素敵な人」

 

 彼女一人のために用意された大きな浴槽の中、彼女は身を任せて浮かぶ。世界のどんな銀細工よりも美しいその月明かりと見紛う銀の髪はお湯の中を揺蕩う。天井を眺めているはずのその銀の双眸は今、遥か遠くの景色、記憶に焼き付けられた光景を見ていた。

 目を閉じずとも、その光景が彼女の脳裏に蘇る。

 

 一際強く瞬くあの魂の輝き、人には到底出せない色――それは一つの極致だ。

 本来変わることのない魂が明々し、その殻を破っていく様を魅せつけられた。人の形をしていた魂が膨れ上がり、そして溢れ出した。形を保てなくなった炎が爆ぜ辺りを燃やし尽くすかのように、塞き止められた水が氾濫するかのように、アゼル・バーナムの魂は人を越えた。

 だが、それだけでは留まらない。あの前代未聞、前人未到の剣士は、人を越えるだけでは飽き足らず――己が魂の形を定めた。

 

「貴方は剣、冷たく鋭く、でも熱い血の通った剣」

 

 溢れた魂が形作られていく、一つの形へと押し留められていく。人ではない、よりアゼル・バーナムに見合った形へと変わっていく。

 その身体()は人ではなく鞘、その魂は人ではなく剣。人の形をしていようと、そう定めてしまった時点で――アゼル・バーナムは剣になったのだ。剣士にして剣、剣にして剣士、剣人同体の神域。

 

「数多の武神すら越える、たった一つを追い求める存在」

 

 超常の存在である神は、それぞれの特性がある。しかし、たった一つの概念だけで構成された神なんてものはいない。武神であるタケミカヅチは剣神という側面もあるが、雷神という属性も併せ持つ。

 だが、アゼルにはそれがない。人であったがため、たった一つのもので頂点を目指した。そして、そのまま人の域を逸脱した。否、もう既に剣という概念がアゼルに定着しすぎて他のものを受け付けない。

 あれは存在が消滅するその時まで、剣でしかあれない。

 

「貴方が欲しい、貴方のすべてが欲しい」

 

 狂おしいほどまでに愛おしい、愚かな子供だ。人はアゼルを狂人と定めるだろう。その極端な生き様、剣にすべてを捧げた命、人外へとなり果てたその存在。人の世ではアゼルは孤独である。

 寄り添おうとする者も、止めようとする者も、愛そうとする者もいるだろう。しかし、それ故に彼は孤独である。

 友情とは剣ではない、愛情とは剣ではない、恋情とは剣ではない。それらは剣でないが故に、彼を否定する、剣を捨てろと言う。アゼルの両手は既に剣を強く握りしめてしまっているのだから。

 

「私は、貴方のすべてを肯定してみせるわ。貴方のすべてを愛してみせるわ。ああ、でも――」

 

 あれは人には受け入れられない、誰かと共にあるということができない。いずれ神へと至るのかもしれない、だがそれはまだまだ先の話だ。今はまだ人を逸脱し、神のいる世界を少し感じ取っただけだ。まだ長い時間が必要になる。

 その長い時を人の世で過ごすというのは、余りにも酷な話だ。

 

「――傷付く貴方も見てみたいと、思ってしまう。どうしたものかしら、ふふ」

 

 すべてを受け入れ愛することのできる自分に依存するアゼルも見てみたい。だが、アゼルがその魂の本当の輝きを見せるのは傷付いた時だ。人に生まれ、人として育ち、そして剣として完成する、そんな自己矛盾に苛まれ、傷付き血を流し、それでも突き進む時にこそアゼルは輝く。

 悩ましい、大変悩ましい。己のものとしてしまっては、あの輝きは見れない。だが自分のものにしたい。

 

 そうやって悩まされること自体が彼女にとって快感だった。身体の奥底から、そこまで自分を悩ませる相手に対する疼きが湧いてきた。

 

「んぅ……はぁ」

 

 吐息が漏れる、身体が火照る。

 戦争遊戯から二日、美の女神は今日も眠れぬ夜を過ごすことになる。

 

 

■■■■

 

 

 夜の歓楽街、【イシュタル・ファミリア】のホームでもある女主の神娼殿(ペーレト・バビリ)の最上階、そこは主神であるイシュタルの住居だ。豪奢な天蓋付きのベッド、絹のような触り心地の枕やシーツ、淫靡な香りを放つお香、そこは歓楽街の主が住むに相応しい場所だ。

 ベランダへと続く窓が今は大きく開かれ、夜風がカーテンを室内へとなびかせている。

 

 イシュタルは室内へと流れてくる微かな風に火照った身体を晒し冷ましていた。隣では心地よさそうに眠るイシュタルのお気に入りの団員にして【ファミリア】の副団長であるタンムズが寝ている。彼女は今しがた褒美を与えていたところだ。

 勿論、己の肉体を至高の美とするイシュタルの褒美とは、その肉体を味あわせてやることだ。

 

「ふぅ……ん」

 

 一際強い風が吹き込みイシュタルは乱れないよう髪の毛を押さえた。同時に何者かがベランダへと降り立つ僅かな音がした。最上階は地上から実に三十階だ、ゆうに百M(メドル)は越える。

 

「――ただいま戻りました」

 

 何者かが室内へと入ってくる。瑞々しい四肢を魅せつける露出の多い踊り子のような衣装、アマゾネスとしての褐色の肌、腹部にある大きな刀傷――そして、不気味なまでに美しい白と紅の長髪。以前は毛先のみが紅く染まっていたが、今は既に半ばほどまで染まっている。

 両手には血濡れた抜き身の刀。顔の下半分、特に口もとが鮮血で染まっている。それは、彼女の血ではない。

 

「ああ、おかえりニイシャ。今日はどれだけ食べた?」

 

 窓から登場した女性の名はニイシャ・ベルカ、【イシュタル・ファミリア】の戦闘娼婦(バーベラ)の一人だ。今はイシュタルから特別待遇を受けている。イシュタルの隣で寝ている副団長より気に入っている可能性すらある。

 ニイシャは少し前にアゼルに斬られ、そして狂った。髪の毛は白に染まり、瞳は紅くなった。心的なストレスかと思っていた時期もあったが、どうやら違う。そして、極めつけには新たに目覚めた吸血能力だ。人の血を吸いニイシャは強くなっていた、それも劇的にだ。

 だが、そんな能力はいくら【ステイタス】を確認しても見当たらない。面白いと思い、イシュタルはニイシャの食事を黙認どころか支援することにした。餌は歓楽街の迷惑となっている男性客達だ。歓楽街は【イシュタル・ファミリア】の庭も同然、死体の処理や現場の後片付けなどを団員達に指示した。

 すべてはニイシャに芽生えた新たな力を知るための行為だった。

 

「今日は八人くらい」

「そうか。で、調子はどうだ」

「とても、とても良いです」

 

 抜き身の刀を持ちながら彼女は自分を抱きしめてその身を震わせた。それはまるで快楽に身を委ねる淫婦のようにイシュタルには映った。だが、それで良いのだ。快楽に抗うことなどない、肉欲に溺れることは恥じることではない、イシュタルは本心でそう思っている。

 

「はぁぁぁぁ……早く、早く斬りたい」

「もう少し待て、奴には聞きたいことがある。殺すならその後にしろ」

「はぁっ……はい」

 

 何不自由なく歓楽街で男を釣り、そして音もなく殺し血を吸い力を蓄えることができているのは一重にイシュタルのおかげだ。ニイシャも最低限の命令は聞くことにしていた。アゼルを目の前にしなければまだ正常な判断能力が彼女にはあった。

 

「身を清めてこい、武器は置いていけ」

「ありがとうございます」

 

 言われた通りニイシャは刀から手を離しその場に置いていった。ふらふらと熱に浮かされたかのような足取りでイシュタルの部屋を出ていった。扉の外で警備をしていた団員に驚かれながら、そんなことは一切気にせずに彼女は階段を降りていった。

 

「おい、お前達。武器の整備をしておけ、終わったらニイシャの部屋に置いてこい」

「は、はいっ」

 

 開け放たれた扉に向ってイシュタルが指示を出す。団員が急いで床に転がっていた武器を回収し、扉を閉めていく。

 

「さて、ニイシャはどれほど強くなってくれるか。くくく、くはっ」

 

 イシュタルは変貌してしまったニイシャに期待していた。元はLv.3の冒険者だったが、今は団長でありLv.5の冒険者であるフリュネ相手に五分五分に勝負をするほどだ。ありえない、その光景を見た誰もがそう思ったことだろう。

 だが、その根本的な原因となった冒険者を知り、イシュタルは確信を得た。

 

「アゼル・バーナム、お前だ。お前が欲しい」

 

 Lv.1でゴライアスを単騎で討伐、Lv.2でオラリオ最強の冒険者であるオッタルの片腕を斬り落とし、推定Lv.5の正体不明のモンスターをまた単独で討伐。躍進などという言葉では済まされない偉業の数々だ。

 そして極めつけは【ステイタス】を封印しながらもLv.2の冒険者に快勝、おまけに不壊属性(デュランダル)が付与された防具を斬り裂く始末だ。

 

 明らかに【ステイタス】とは関係のない部分でアゼル・バーナムは強化されている。そして、なんらかの理由でそれがニイシャにも宿っている。そうでなければLv.3のニイシャがLv.5のフリュネと戦えるはずがない。

 

 使える、イシュタルはそう思った。

 イシュタルの目的はフレイヤの打倒にある。同じ美の女神でありながら、まるで王者のようにオラリオに君臨するフレイヤをイシュタルは心底気に入らない。だから、力でもって蹴落とす。そのために色々と力を蓄えている。

 ニイシャの力はまったくの予定外だったが、他の準備している策よりコストも少なく特に用意するものもない。夜の街に放ち、そして血を吸わせればいいだけだ。もし、その力が解明できれば【イシュタル・ファミリア】を更に強化でき、野望へと更に近付く。

 

「くっくっく、私の虜にしてやろう。光栄に思え、アゼル・バーナム」

 

 美しい顔を歪めながら、美神は己が欲望を膨らませていく。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言って下さい。

 本当はカジノ編を書き終えてから一気に投稿しようと思っていたのですが、思いの外進捗がないのであるぶんだけ更新してこうと思います。
 取り敢えずこの話で戦争遊戯編は終了になります。いつもだったらこの後に幕間を一話挟んで次章という流れですが、カジノ編は大きな幕間みたいな感じなので、幕間の話はなしでカジノ編に突入します。

 リリとソーマの決着は少し変えました。アゼルと出会ったことによる心境の変化と思って下さい。
 本当は新生【ヘスティア・ファミリア】の部分を最後に持ってきたかったんですが、時系列順にしないとちょっと不格好なのでなくなくこの順番です。


 アゼルは美の女神ホイホイ。

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