剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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求道の果てに実を結ぶ

 白夜を振るう、ラオンはそれをガントレットで弾く。何度も繰り返し、その度に変わらぬ結果を生んできた一連の動作だ。しかし、その度に僅かな変化があることをラオンは知らない。

 

 刃が弾かれる度に、アゼルは一つまた一つと己の斬撃を知っていく。刃から腕に伝わる振動が、言葉で説明されるより鮮明に相手の情報をアゼルへと蓄積していく。材質、強度、製造過程、製造者の感情、刃を伝いアゼルの脳裏に様々な情報と情景が浮かんでは消化されていく。

 そのすべてがアゼルという剣の糧となっていく。

 

 タケミカヅチに稽古を付けてもらった時のような感覚にアゼルは戸惑いを覚えながらも受け入れた。あの時はタケミカヅチという武神の一部を垣間見たが、今回は鎧の記憶が見えた。

 ホトトギスという怪異を受け入れ、数多の記憶を垣間見て、数え切れない感情を追体験したアゼルだからこそだったのかもしれない。自分の中に自分ではない誰かの記憶と感情が流れ込んでくる中でも、アゼルは毅然として己というものを保っていた。

 

(もう、少しだ)

 

 根拠などなかったが、アゼルは朧気ながら到達点が見えていた。

 刃が鎧に弾かれ火花が散った。その橙色の火花の向こうにアゼルは燃える炎を見た。赤黄色に変色するまで熱せられた金属、振るわれる槌、滴る汗、ただ一途に炎と向き合い武具を作る鍛冶師の心を感じ取る。

 だが、それだけでは足りない。それだけでは神々が与え給うた『恩恵(ファルナ)』の力を打ち破るには到底足りない。

 

(もっと深く、更に奥へ)

 

 アゼルは自分が息をしていることすら忘れるほど集中する。その一時だけ自分の身体の感覚を投げ捨て、すべてを刃へと注ぐ。音も匂いも、感覚のすべてが消失していく。

 

 刃を伝ってアゼル・バーナムの魂が読み取っていく、斬り取っていく。伝わってくる情報を読み取る受動ではなく、自らがその装備に宿った神秘の根底へと手を伸ばす能動。

 製作者の更に向こう側、炎と向き合う鍛冶師を見守る遙かなる高みの存在――神々の断片を感じ取っていく。血を分け与え、力と可能性を芽吹かせ、そして見守る彼等の残滓は確かにそこにある。

 

(それを私は、斬りたい)

 

 遥か高みの斬撃を求める衝動は更に加速する。

 

 鋭い斬撃が走る。ラオンはそれを肩を前に出して鎧で弾こうとする。白夜という刀は不壊属性(デュランダル)の宿った武器を除けば最硬の武器の一つに入るだろう。しかし、そこには何も特別な力は宿ってはいない、硬く斬れ味の良い刀なのだ。

 だから、ある種何の変哲のない刀を【ステイタス】によって引き出される《スキル》や《魔法》を用いていないアゼルがどのように振るおうとラオンの鎧を斬り裂くことなどありえない――はずだった。

 

 火花が散り、白夜は弾かれた。しかし、その音と感触が今までとはまったく違った。音はより甲高く澄みきり、確かに何かが斬れた感触があった。

 

「――――ッ!!!」

 

 ラオンは息を呑んだ、ど肝を抜かれた。否、ラオンだけではなく『鏡』を通して見ていた観客もその光景に驚愕しただろう。ありえないと誰もが思っていた光景、不可能だと誰もが思っていた結果、無意味だと誰もが思っていた行為、そのすべてが覆されていく。

 

「ありえ、ねえッ!」

 

 《スキル》による効果なら認めよう、《魔法》による斬撃なら理解できる、【ステイタス】によって引き出された圧倒的身体能力なら納得できた、瓦割りのように何にも邪魔されず準備のできる状態での斬鉄なら可能だと思っていた。

 しかし、これはどういうことだとラオンは心の中で叫んだ。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 幼き日剣を執り、明け暮れるまで剣を振るい、至るべき頂きを見つけ、深淵へと覗き込み、己の魂の形を定め――そして、今そのすべてが実を結ぼうとしていた。

 その身には神々の奇跡は宿っていない。あるのは脈々と受け継がれてきた人々の想い、余りにも果てがなく人外へと堕ちてしまう程強い願い。

 

「どういう手品だぁッ、【剣鬼(クリュサオル)】!?」

「種も仕掛けもありませんよ……()()()、それだけのことです」

 

 ラオンは突然の出来事に驚愕しながらも後ろに跳び距離を空けた。

 

 今までアゼルが対象の強度や神秘に関係なく斬ることできたのは【剣心一如(カルデア・スパーダ)】という《スキル》のおかげだった。しかし、今はそれがない。ないにも関わらず、その剣は鎧を斬った。

 

 アゼルは考えた、そもそも【ステイタス】や《スキル》というものは無から有を生んでいるわけではないだろう、と。【ステイタス】は冒険者の【経験値(エクセリア)】を糧に成長する、それは【経験値】という燃料がなければいけない。《スキル》とは冒険者の魂のあり方を力に変えたもの、生きとし生けるものには魂が宿っている。

 であるなら【剣心一如】というすべてを斬り裂くに足る《スキル》は、アゼル・バーナムという存在から生じたものに違いない。すべてを斬り裂く力があったからその頂きを目指そうと思ったわけではない。すべてを斬り裂く願いが、剣を極めたいという想いがあったからこそその力が発現した。

 

「真に斬るのは剣その物ではなく、私という剣士に他ならない」

 

 だから、何を斬り何を斬らないか、それを決めるのは手に持った剣でもなく、ましてや神々の与えた『恩恵』でもなく、アゼルという剣士の魂だ。

 

「壊れないという神秘であるというのなら、その一切合切を斬ってみせましょう」

「ハッ、ハハハ……」

 

 相手は【ステイタス】を封印した人間だ。それなのに、ラオンは恐怖を感じざるを得なかった。パーティーを組んで下層域の浅い箇所まで行ったこともあった、17階層の主であるゴライアスと対面したこともあった。

 だが、目の前の剣士は今まで出会ってきた化物よりも遥かに濃密な死を感じさせた。

 

 その刃は本当にすべてを斬り裂けるんじゃないかと、ラオンは思ってしまった。それほどまでに洗練されていて、良く言ってしまえば美しく、悪く言ってしまえば人間のものとは思えなかった。極まっている、人とは思えない領域まで。

 

「ハハハ、剣の鬼とは正に(あん)ちゃんのことだったわけか」

 

 冒険者の二つ名なんてものは事実を指し示しているわけじゃない。その殆どが誇張であったり、特徴を捉えて付けられただけの名前だ。美しい女剣士は【剣姫】という二つ名を付けられ、荒々しい濁流の如く破壊をもたらす少女には【大切断(アマゾン)】という二つ名が贈られた。

 だが、アゼル・バーナムは違うのではないかとラオンは思った。誇張なんてものでもなく、特徴を捉えているだけでもなく、()()()()()()アゼル・バーナムという冒険者は剣の鬼なのではないか。

 

「今まで手加減をしてたわけじゃねえんだが、すまねえな兄ちゃん。こっからは――」

 

 『戦争遊戯(ウォーゲーム)』は戦争(ウォー)であってもあくまで遊戯(ゲーム)だ。遊びで人が死んだりしては後味が悪いし、そもそも眷属同士は憎み合って戦っているわけではない。これは神々の代理戦争なのだ。

 だから、殺しはご法度である。

 

「――殺すつもりでいかせてもらうぜ」

 

 ラオンは最早相手が人であることを忘れることにした。今までは心のどこかで相手を死なせないようにとストッパーをかけていた。相手は化物であると自分に言い聞かせ、情けと容赦をなくそうとした。

 この瞬間、レベル2の冒険者であるラオン・ジダールは【ステイタス】を封印したアゼルより己の方が弱いとはっきり定めた。殺さなければ殺される、アゼルにその意志がなくとも醸し出す雰囲気がラオンにそう思わせた。

 

「望むところだ」

「オオオオォォォォォッッ――――!!」

 

 地を蹴ってラオンは爆進、アゼルに迫るその姿はその二つ名通りまるで城壁の如し。そして、放たれた拳は今までと違い確かにアゼルを殺すために放たれた。盾であったラオン・ジダールは、今は矛として能動的に外敵を排除しようとしていた。

 

(それは、悪手ですよ)

 

 轟音をあげながら拳が地面へと突き刺さる。大地を削るような一撃を放って尚ガントレットには傷一つない。続けざまに蹴り、体当たり、そして拳の連続攻撃が始まる。

 しかし、アゼルには当たらない。殺意とまでは言えなくとも、敵意の込められたラオンの拳は今までにない速度と破壊力をもってアゼルに迫っている。敵意、それはやる気のなかったラオンの攻撃には希薄だったものだ。

 

(敵意を持つということは敵を意識するということ、意識してしまっては動きは分かり易くなる)

 

 周囲に拡散されていたアゼルの感覚が鋭くラオンの敵意を感じ取り、相手の視線、呼吸、攻撃の初動、様々な情報を汲み取り攻撃を予測し回避していく。

 そして、斬撃を放つ。狙うはガントレットとブーツのみ。既に不壊属性の付与されていない部分など取るに足らない。その剣は鉄をも容易く斬るまでに至った、剣ではなく魂で、技ではなく想いで、ただの斬撃を神秘の域まで押し上げた。

 

「ラアアァァァッッッ!!!」

 

 迫る右の拳をアゼルは斜め後ろに下がりながら白夜で叩き落とした。

 

 

 

 

 

「――――ッ!」

 

 その瞬間電撃の如き衝撃が全身を駆け巡った。感じ取っていた断片が繋がっていく、漠然と浮かんでいた情景が鮮明になり意味を帯びていく。

 弾いた火花がアゼルに魅せたのは、炉に燃える炎なんてものではなかった。

 

 それは燃え盛る業火だった。熱量など予想すらできない、だが一度触れれば魂の髄まで焼き尽くすであろうことは分かった。その前に男が座っている。

 老人を思わせる白い髭を口もとを隠す程度に蓄え、しかし恰幅のいい身体は筋肉で隆起し引き締まっている。その何者からアゼルは目を離すことができなかった。人間ではありえないほどまでに整った筋肉の付き方、そして何よりも永い年月を感じさせる重みがあった。

 

 男が腕を振り上げた。手には槌が握られていた。飾りのない無骨な槌だった。ただ何かを打つためだけに存在するそれは美しかった。

 振り上げた腕を振り下ろす、鉄を打つ音が辺りに響き、それだけで燃え盛っていた炎が更に勢いづく。

 

 もう一度、もう一度。繰り返すこと三度目、一際高く澄んだ音が響き渡りとうとう炎は荒れ狂う大河の如くその形を留めることができずに爆発した。熱気が一気に押し寄せてくる。

 熱い、炎が全身を灼く。だが、それでも目が離せなかった。何者かが両手に持ったそれを掲げるのが見えた。余りにも美しく、余りにも完成されたそれが何だったのか最初は分からなかった。

 しかし、それは確かに剣だった。

 

 その神の名は――

 

 

 

(見つけたッ!)

「ぼけっとしてんじゃねえぞおおらああぁッ!!」

 

 それが何だったのか理解した瞬間、ラオンの声と共にアゼルは現実へと引き戻される。もうそこには幻視した炎もあの男もいない。見えるのは左の拳を突き出すラオンだけだ。だが、己の中にあの光景は焼き付けられた。あれこそが神であると理解した。

 一目では剣だと分からないほど完璧な剣を見せたあの男こそが、ラオンの鎧に不壊属性を付与した鍛冶師の主神だ。

 

 拳を叩き落とすために振り下ろした白夜を、今度は振り上げる。左の拳を上へと弾き、そしてアゼルは終点を見た。ラオンのガントレットの神秘が、弾いた刃を伝ってアゼルの中へと流れ込む。それは神々が直接施した神秘ではないのかもしれない、比べるのも烏滸がましいほど差があるかもしれない。

 だが、確かにそこに神の残滓があった。この時アゼルははっきりと不壊属性という力を、認識した。視界には映らない、嗅覚にも反応しない、触れてもいないし弾いた音に違和感があったわけでもない。

 

 だが、魂が反応した。()()を斬れと暴れだした。

 

「ダラァッッ!!」

 

 一度弾いた右腕を横薙ぎに振るいラオンは裏拳を繰り出す。アゼルはその拳をまたとない機会であると、待っていたと言わんばかりに振り上げた白夜を上段に構え直した。

 その瞬間、アゼルは己の中の剣を見た。溢れ出す魂は白夜へと収束し、拡散されていた感覚が一気に閉じた。感じるのは、視覚嗅覚聴覚味覚触覚、人間の五感では感じ取れない世界。人の住まう世界(ここ)であって人の扱う力(ここ)ではない――次元違いの神域へと感覚を至らせた。

 言うなればそれは淀み、力の溜まり場。神秘の薄い下界において、神秘が集まる特殊な武装。金属の防具に宿った『恩恵』によってもたらされた奇跡、それがまるで揺らめく炎のようにその位置を照らした。

 

 見ることはできずとも、そこに存在していると感じる。

 触れることはできずとも、その力強さが分かる。

 聞くことはできずとも、味を知ることはできずとも、匂いを嗅ぐことはできずとも――慣れ親しんだはずの感覚よりも鋭く明確に、アゼルの中から溢れた魂がそれを知覚する。

 ならば、斬れないことはないだろう。

 

 気負うこと無く、いつものように構えた白夜を振り下ろす。そして、一歩踏み込み刃を返し逆袈裟に振り抜く、アゼルは自分の感じた力の塊を追って刃を走らせた。

 

 果たしてその剣閃を正しく捉えた者はその場にいただろうか。

 それまでの剣戟とも然程変わらない速度で放たれた二連の斬撃は、しかし速度とは関係なく常世の存在には朧気にしか見えなかったことだろう。輪郭があやふやとなり、そこにあるようでそこにない、煙を掴むような見え方でしか捉えられなかったはずだ。

 何故ならその二太刀は人の剣を半ば逸脱したのだ、人が振るいし神域の剣技、それが今のアゼルの剣なのだから。

 

 

 

「嗚呼、我が命、我が研鑽、我が求道――」

 

 

 

 弾かれることなく振り抜かれた刃がピタリと止まる。それを追ってガシャンと何かが地面へと転がった音、次いで鮮血がアゼルと地面を汚した。

 

 

 

「――剣に至りて花と咲き、堕ちるは死にゆく椿が如く」

 

 

 

 今までのすべてが実となって、この瞬間開花した。開花した瞬間、その真っ赤な花は散ることなく堕ちていく。奈落の底へと、それとも神々の座へと、血濡れた剣士は人ではなくなっていく(堕ちていく)

 

 

 

「一刀三拝、感謝と共に応えよう――――我が斬撃に、斬れぬものなし」

 

 

 

 アゼルの魂が歓喜に打ち震えた。内に秘める怨念達が膨れ上がる、笑い声をあげる。何百年も怪異として現世を彷徨った、そして今遂に一つの到達点を彼等は見た。

 アゼル・バーナムという剣士が、すべてを斬り裂くその未来を見た。

 

 アゼルは地面に転がる二つの手に視線を向けた。金属製のガントレットを半ばで斬り裂き、ラオンの両の拳は今その身体から離れ地面にあった。

 

「――アアアァァァァァァッッッッ!!!」

 

 数秒の後、ラオンは激痛で叫び声をあげた。うずくまり痛む箇所を押さえようとするが、両手がないのではそれもできない。

 

「ハアッ! ハァ、ハァッ」

 

 全身から汗が吹き出し極寒の中にいるかのような感覚に陥ったラオンにアゼルが話しかけた。

 

「さて、私はこれ以上戦うつもりはありませんが、どうしますか?」

「は、はははは……降参だよ、馬鹿野郎がッ」

「それは重畳……実は私も身体中が痛んでこれ以上は御免被りたいところだったんです」

「ハッ、人の両手を斬っておいてぬけぬけと」

 

 ラオンの答えを聞いたアゼルはその場に倒れ込んだ。身体を覆っていた赤黒い血液の膜が溶け始め、そして勝手に傷付いた身体から血が流れる。今までは硬質化した血液で止血をしていたが、力を出し切ったアゼルにはもう硬質化を保つことができなかった。

 

「おいおい、なんだいそりゃ」

「まあ、何事も上手くはいかないということですよ……ああ、痛い」

「つーか、俺の手はくっつくのか?」

「くっつくと、思いますよ。以前腕を斬り落とした相手は次会った時にはくっついてましたし」

「兄ちゃん何してんだよッ」

 

 大分痛みにも慣れたのか、それともやせ我慢か、ラオンもなんとか笑ってアゼルにそう言った。その表情はどう見ても痛みに歪んでいたのだが、やりきったアゼルはそんなラオンを見て笑ってしまった。

 元々憎しみ合っていたわけでもない二人は、勝敗が決すると既にわだかまりがないかのように話し始めたのだった。

 

 ただお互いがお互いを治療できないことに気が付いた時には両人ともに血を流しすぎて気を失いかけていた。やってきたリューと鈴音が治療しなければ、最悪そのまま出血多量で死んでいた可能性もあった。

 

 

■■■■

 

 

 ふと、ヘルメスは各地を旅している時に聞いた話を思い出した。

 

 

 昔々未だ神々が下界に降りる前の話、ある青年がいた。

 青年は優秀な猟師であった。五人家族、兄が一人妹が一人、次男坊として生を受けた少年は優しい兄を見習い、手のかかる妹の世話をして健やかに育ったどこにでもいるような、言ってしまえば神々にとって平々凡々な存在だった。

 

 青年は恋をした。燃えるような恋ではなかったが、青年は一人の少女と恋に落ちた。少女も飾ること無くその気持ちを向けた青年に恋をした。二人は恋人となり、平穏ながら幸せな時間を過ごした。

 二人は結婚の約束までしていた。二人の未来は明るいものだと、二人だけでなく周りの人間も思っていた。

 

 だが、少女は死んだ。呆気なく、なんの前触れもなく死んだ。森に薬草を摘みに行ったきり少女は帰ることはなかった。彼女が見つかったのは二日後のことだった。無残に引き千切られた四肢、美しかった身体には幾つもの噛み跡、流れた血は大地を真紅に染めていた。

 なんてことはない、彼女は森の中で熊に襲われて死んだのだった。武器なしでは人は熊には勝てない。

 

 人々は少女を殺した熊を恐れて家に閉じこもった。森に足を踏み入れる者など、いるはずもなかった――たった一人、恋人であった青年を除いては。

 

 最初は青年は恋人が死んだということが信じられなかった。もしも、それが不治の病によってもたらされた死であったなら、さぞ感動的な死に際を飾っただろう。そこまでは望まなかった。しかし、一言も交わすことができず、恋人が死んだということに気付くこともできなかった青年には、余りにも、現実は余りにも辛辣だった。

 部屋でぼうっと宙を眺めることしかできず、少女との思い出が脳裏を過ぎては青年を刻んでいった。涙を流した、叫び声を上げた。しかし、そんな行為が青年の乾きを満たしてくれるはずがなかった。

 

 一頻り泣き、青年はいつの間にか寝てしまった。次の日の朝、青年の心を占めていたのは憎しみだった。少女を殺めた熊がこの世に存在していることが許せなかった。

 青年は普段から使い込んでいる弓と持てるだけの矢を矢筒に入れ森へと入っていった。

 

 普段狩りをしている森の浅い場所を一応回り、いないことを確認してから更に奥へと進んだ。人が歩いた道などなく、獣道も少なくなっていった。その日は見つからなかったので、青年は次の日もその次の日も森へと熊を探しに出掛けた。

 日々の生活も忘れ、ただ仇を討つことだけを一心に青年は弓を引き絞った。殺意は日を追う毎に研ぎ澄まされ、憎しみは彼の人相を変えた。

 

 そして、ある日青年は熊の足跡を見つけた。青年はその足跡を追い漸く熊の寝床を見つけることに成功した。洞穴の中で熊は横たわり眠っていた。だが青年は無闇に近付くことはしなかった。彼は野生の獣の敏感さを知っていた。

 

 静かに矢を番え、万感の想いを込めて弦を引き絞り、そして静止。憎しみと殺意が青年の中で暴れまわっているにも関わらず、思考は何時になく鮮明だった。

 一度深呼吸をし、そして矢は放たれ宵闇の世界を穿った。

 

 青年は熊の亡骸を確認しようと洞窟へと近付いていき、そして驚愕した。青年の放った矢は熊の頭蓋を貫通、その後ろの岩壁に深々と突き刺さっていた。

 何の変哲もない矢が岩に突き刺さるわけがない。しかし、目の前には自らが放った矢が確かに岩を砕き穿っている。その光景は恋人の仇討ちを果たしたことさえ忘れさせるほど鮮烈だった。数時間、何かに取り憑かれたかのようにその光景を眺めていた。

 

 次の日の朝から、青年は狂ったかのように弓の鍛錬に励むようになった。来る日も来る日も弦を引き絞り、狙いを定め、そして放ち穿つ。しかし、死ぬその時まで再び岩を穿つ矢を放つことは叶わなかった。

 

 

 

 その話を聞いた後、ヘルメスは自分の眷属を巻き込んでその現場を探した。岩に突き刺さった矢などというあるかも分からないものを探す羽目になった眷属達は堪まったものではなかった。

 しかし、その甲斐あってヘルメスはその現場を見ることができた。そこには確かに岩壁に突き刺さり埋まった矢の一部が残っていた。

 

 人の想いは理屈を越える。人には想いを力に変える可能性がある。ヘルメスはその矢を見て確信した。今となっては神々の与えた『恩恵』によって人は超常の力を得ることができるが、それがなくとも人は奇跡を起こす可能性を秘めているのだ。

 しかし、起こるのも一生に一度あるかないか、強い想いを溜めに溜め爆発させた時にしか起きないからこその奇跡。

 

 しかし、もし想いを力に変える術を会得した人間がいたとしたら。人の身に余る想いを背負いながら生きるだけの強靭な精神を持っていたとしたら。その身を人外へと堕としてまで成し遂げたい願いを抱いている人間がいたとしたら。

 理屈を越える、法則を捻じ曲げる、それだけでは飽き足らず存在という垣根を飛び越える程の想いを持った人間がいたとしたら。

 

(一途な想いは岩すら貫く、か)

 

 ヘルメスは『鏡』の向こうで刀を振り抜き佇む男を見る。手に握られた刀は『鏡』越しだというのにその鋭さを肌で感じられるほどの存在感を帯びている。

 

(だが、君の想いは神の御業の一端すら斬り裂いた)

 

 足りないとヘルメスは思ってしまった。今の戦場ではアゼル・バーナムという傑物が剣を振るうには何もかもが足りない。仲間は未だに未熟、主神も威厳に溢れているというわけでもなく、導く者もいなければ、立ち塞がる敵も足らない。

 

(ああ、堪らないッ)

 

 男神は己の内から湧き出る喜びに震えた。数多くの傑物達を見たことも、育てたことも、看取ったこともあった。しかし、あの剣士はその範疇を越えようとしている。()()が描くのは英雄譚などではない。人が望むような愛と希望に溢れ、人々を熱中させるようなものではない。

 ()()が描くのは――最新の神話に違いない。

 

(今の戦場(ステージ)では足りないというのなら――)

 

 そして、当事者ではなく傍観者であろうと決めていたはずのその神は、余りにも呆気なく手のひらを返した。

 

(――この俺が用意してみせようじゃないか!!)

 

 ヘルメスはアゼルが自分の掌の上で踊ってくれるなどとは最初から思ってもいない。あの剣士はそんな器では収まらない。神の想像すら越え、人々の想像することもできない結果を導き出すに違いない。

 きっと、掌の上で踊っていると思った次の瞬間手首から先が斬り捨てられるだろう。

 

 だが、それでいい、それがいい。神の意志に応える英雄なんて掃いて捨てるほどいた。それだけでは足りないのだ。想像を越えるほどでなくては真に面白くはない。

 場を用意しよう、予想を立てよう。だから、それを越えていく姿を見せてくれと娯楽に飢えた男神は願ってしまった。

 

 

■■■■

 

 

「あり得んッッ!!!!」

 

 アゼルとラオンの戦闘の一部始終を見ていたアポロンが怒声と共に机を叩きつけた。

 

「こんな巫山戯たことがあってたまるかッ!?」

 

 巫山戯たこと、とは何も自分の眷属が次々と打倒されていく様のことではない。思っていた戦況ではないが、最終的に団長同士の戦いで勝利すれば良いことだ。団長であるヒュアキントスの勝利をアポロンは疑わない、それだけアポロンはヒュアキントスを信じて(愛して)いる。

 巫山戯たこと、とはアゼルとラオンの決着のことだ。

 

 誰も何も言わない。いつもはお祭り騒ぎと言わんばかりに騒いで暴れている神々も、今起こった奇跡を目の前にして唖然としていた。一部は笑いを堪えていたり、これでもかと言わんばかりにニヤけている男神もいるが、大半は声に出さずともアポロンと似た感想を抱いていた。

 

――【ステイタス】を封印しての参戦

 

 そのはずだ。

 

――そもそも他の眷属に追随する速度で走っている時点で異常

 

 そのことにもっと早く気が付くべきだった。冒険者に囲まれて生活している神々はその事実を見落としていた。そもそも最初から、アゼル・バーナムという人間は破格の身体能力を誇っていたではないか。

 

――レベル2でも中堅、盾役(ガードマン)として戦闘の中核を担うラオン・ジダールでも攻めきれないほどの戦闘能力

 

 ラオンとの戦闘が開始した時点で、その異常性は浮き彫りになりはじめた。冒険者同士の戦いは、人間同士の戦いとは次元が違う。神々ではもうその拳が見えないほどの攻撃速度を叩き出し、肉体は無類の耐久力を誇る。

 そこに、本来なら人間の入り込む余地はない。であるのに、アゼルはラオンと対等に渡り合った。

 

――否、その更に上を行った

 

 蓋を開けてみれば、アゼル対ラオンの結果はアゼルの快勝であった。両手を斬り落とされたラオンと違い、アゼルはそれらしい攻撃は受けていない。かなりの量の血を流してはいるが、それの原因は何か分からない。

 

「ヘスティアァ!! 貴様、これをどう説明するつもりだ!? まさか不正を働いたとは言わんだろうなッ!!!」

「まあ、落ち着けやアポロン。自分の眷属(子供)が倒されたくらいでそうカッカするんやないて」

「黙れ、この無乳が!! ラオンが倒されたのはまだ良い、いや良くないが! そうじゃない、そうじゃない――」

 

 椅子から荒々しく立ち上がりヘスティアに詰め寄ろうとするアポロンを、意外なことに止めたのはヘスティアのことを敵視するロキだった。ロキはお祭り騒ぎは嫌いではないが、それは勝負が終わってからで良いだろうと。

 アポロンもオラリオ一大勢力であるロキ・ファミリアと敵対するわけにもいかず、なんとか脚を止めた。「無乳」という罵倒を、ロキは尋常ではないアポロンの様子を見てこの時ばかりは無視した。アポロンの表情はより険しくなる。

 

「ラオンの装備はゴブニュ・ファミリアの特注品だ、あのガントレットには不壊属性(デュランダル)が付与されているんだぞ!!」

「……ほお」

 

 壊れないからこその不壊属性だ。凹んだり削れたりすることはある、摩耗の果てに使えなくなることもある。しかし、不壊属性を付与した装備を斬ることはほぼ不可能だ。可能とするのは、鍛冶師に不壊属性等の超常の属性を扱うことを可能にした【ステイタス】以外にはない。

 だが、アゼルはその【ステイタス】を封じられている。

 

「そら、ウチも気になるなぁ、ドチビ?」

 

 アポロンと向き合っていたロキはゆっくりと振り向いて未だ『鏡』を覗くヘスティアを見た。まるで睨んでいるかのような鋭い目つき、普段開いていない瞳がヘスティアに向けられる。

 

「……」

 

 ヘスティアは答えない。答えなど、とうの昔に皆が分かっている。『鏡』越しであるとは言え、神々の目は誤魔化せない。だが、皆がその答えを、その真相を主神であるヘスティアの口から聞きたいのだ。

 

「アゼルの持っとった刀、特に力は感じんかった。あれはただの刀や」

 

 神は超常の力の帯びた装備を見るだけで分かる。それがどんな特性なのかまでは分からなくとも、《スキル》等によって何かしらの能力を有していることは見えるのだ。力を封印しても、神としての感覚は健在だ。

 

「【ステイタス】は封印されとるとなると、残る原因は一つしかないんやけど」

 

 だが、その残った一つの可能性こそが最もあり得ない可能性だった。神々ですらその可能性を今まで考えたことがなかった。何故なら人は人でしかなく、どれだけ望もうと人は神にはなれない。そのはずだった。

 

 武器の性能でも、神々の与えた【ステイタス】でもないのなら、原因は()()()()()()()()にしかない。

 人の身で【ステイタス】に打ち勝つだけの奇跡を宿している、そんな荒唐無稽な結論しか残っていない。

 

「ドチビ、お前まさか」

「違う」

 

 戦闘遊戯の不正であれば、神々からの総スカンくらいで済む話だ。しかし、それ以上の、そして禁じられている方法で自らの眷属を強化したとなれば、天界へと強制送還待ったなしだ。

 

「あれはアゼル君の力だよ」

 

 ヘスティアがロキと向き合った。視線がぶつかり、ロキはヘスティアの言葉に偽りがないと悟った。今までに見たことのないヘスティアの強い瞳に、ロキは僅かに戸惑った。

 

「君達が大好きな力ある英雄だ。僕達の力に頼らずに天地を裂く、天然物の英雄だ。好きだろう、そういうの? 楽しみだろう、その行き着く先が。アゼル君は、君達が欲して止まない最新の神話だよ」

 

 その言葉を聞いて、神々は沸いた。静寂が訪れていただけに、その騒ぎ様と言ったら形容できないほどまでに煩く、そして鬱陶しいほどの喧騒だった。

 やれやれと言ってヘファイストスは呆れ、その喧騒の中文句を言えなくなったアポロンは険しい顔のまま最終戦、ベル対ヒュアキントスの大将同士の一騎打ちへと注意を向けた。ロキは、普段と態度の違うヘスティアへと視線を向けたまま。

 

「……ボクは、全然面白くなんてないよ」

 

 小さく、ヘスティアがどこか悔しそうに零した言葉を、果たして誰が聞き取れただろうか。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。

 途中の詩的っぽいのは精一杯の中二病を詰め込んだなんちゃってです。意味とか割りと適当なので、うん、あまり突っ込まないでください。因みにここにもFGOの台詞少し入ってます。
 今回も独自解釈ばりばりなのです。

 これにてアゼル対ラオンは終わりとなります。戦ってなければお気楽思考なラオンと、剣を振るうこと以外は割りとルーズなアゼルはいい友人になれると作者は勝手に思ってます!
 次はベル対ヒュアキントス戦ですが、これは一話で終わらせるつもりです。それに加えて後日談を一話、できれば次章に繋がる幕間を一話、といった感じです。

 おや、ヘルメスの様子が…?

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