剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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 皆さんメリークリスマス。


己が為、正義の風は力を欲す

 オラリオから遠く離れた数多く存在する他の村々と何も変わらない、平凡と平穏が形になったかのような村。朝早くから農作業に勤しんでいた村人達は、しかし今は何故か村の中心にある広場に集まっていた。

 農作業を初めてから数時間、ある事件が起きた。広場の中心に突如、誰も見たこともない何かが出現した。

 

「ユティさん、こっちですこっち!」

「そんなに急いでどうしたって言うのテネリタ?」

 

 村で一番の知識人であるアストレアを共に生活する少女が連れてくる。彼女も知り合いから広場で起こっていることを聞き、事の真相を知ろうと動いた。そして、急いでいるのには理由があった。見逃したくないのだ。

 

「おお、ユティさんならこれが何なのか分かるかもな!」

「でかしたぞテネリタ」

「まったく、何だと言うんですか皆さん。こんな時間に仕事をおろそかにして」

 

 何故か盛り上がっている村人達に呆れながらアストレアは歩く。

 集まっていた村人達が左右に別れて道を開ける。テネリタに手を引かれてアストレアは事件の中心、広場に現れた正体不明の物体の前へと辿り着く。そして、一瞬でそれが何なのか理解する。彼女も馴染み深いものだ。彼女も使ったことがある、神であれば誰でも知っているものだ。

 

「これは『鏡』、でも、なんで……」

「鏡?」

 

 神々が下界の催しを遠方から見るために用いられる遠見の力だ。アストレア自身が出していないとなると、どこかの神がこの村に『鏡』を出現させたということになる。その意味の分からない行動に首を傾げながらアストレアは『鏡』を眺めた。

 現在も『鏡』には映像が映し出されている。それが何なのか、アストレアは一瞬分からなかった。

 

 紫がかった白髪の女性と、全身を緑のケープで覆った覆面のエルフが向かい合っている。

 

「――ぇ」

 

 知っている。アストレアはその人物を知っている。忘れるわけもない、忘れていいはずがない。その装いを提案したのは他でもないアストレアだった。正義を執行するにあたって恨まれることは多々ある。その対策として姿を隠すことを徹底していた。ケープで身体的特徴を隠し、覆面で顔を隠す。

 昔から何も変わっていないその立ち姿。身長は伸びていた、髪の色も昔とは違う。しかし、アストレアが間違えるはずもない。

 

「リオン……?」

 

 砕けたはずの正義の剣が、吹き止んだはずの疾風が、今復活を告げる。悪夢は覚め、過去は追いつき、今アストレアの前に映し出される。

 心臓が鷲掴みにされたような感覚がアストレアを襲う。見たくないと強く感じる一方、見なくてはと逃げる自分を留めた。

 

「ユティ、さん?」

「ユティさんや、これは一体何なんだい?」

 

 立ち止まって映像を見つめるアストレアに違和感を感じたテネリタはやや心配そうに見上げた。村人の一人がアストレアに疑問を投げかけ、他の村人達も答えを待つ。

 

「これは、遠くの景色を映し出す神々の御業よ」

「はぁ、神々とは凄いもんだなあ……俺は会ったことがないがね!」

 

 俺もだ私もだ、と言いながら村人達は笑った。その神の一柱が目の前にいるということは彼等は知らない。

 

「彼等は誰、なんですか?」

 

 笑い合う村人をよそにテネリタが問う、一体映し出されているこの戦いは何なのかと。平穏な村で育ってきたテネリタは喧嘩くらいしか見たことがない。『鏡』の中では人間同士が弓や剣、果てには見たこともない力で攻撃し合っている。

 それは、彼女からしたら恐ろしい光景だった。

 

「彼等は、冒険者」

 

 そしてアストレアは少し震えた声で答える。驚いたし、安心した。しかし、何よりも信じられなかった。映し出されるかつて少女だった女性が今も尚、冒険者として剣を持っている。その姿に憎悪は見えない、その姿に嘆きは見えない。

 かつての少女が、そのまま成長したかのような姿だ。何があった、どうしてこうなった、アストレアの中に疑問が生まれる。あの日憎悪で心を染め上げていた少女はどこへ行った。

 

「目を背けては、いけない……今回こそ、私は」

 

 その答えは、映し出される『今』にしか存在しない。あの時向き合えなかった、けど今ならば、何度も涙を流し悔やんだ今ならば、向き合えるのかもしれない。

 いや――向き合わなくてはいけない。

 

 

■■■■

 

 

 断続的に襲い掛かってくる意識の靄を振り払うように疾走。その一瞬の隙を突いて投げナイフが飛来してくる。リューはそれを払い落とそうとするが、先程までより厚い靄が再度襲いかかる。それは、精神を汚染し、視界までにも影響を及ぼすほど強力な毒だ。

 揺らいだ視界の中、なんとかナイフを弾くが続いて襲ってきた拳を避けることは叶わなかった。

 

「アハハハハッ、まるで無様に踊る蝶のようですね!」

 

 腹部を殴られ吹き飛ばされたリューは苦悶の中なんとか体勢を立て直した。その最中も意識にかかった靄は晴れない。それどころか時間が経つに連れ確実にその靄は厚く、そして広く彼女の意識を覆っていく。

 

「シッ」

 

 動きを止めること無く疾走。時折ぼやける視界でも慣れ親しんだ身体の感覚は彼女を裏切らなかった。更に速度を出すために強く大地を蹴る。ナイフに狙い撃ちされないように蛇行してからリュティへ向かって走る。

 

「何度やっても、結果は変わりません」

「くっ」

 

 だが、その途中でリューは断念して後方へと飛び退く。着地するが、膝に力が入らず思わず体勢を崩し膝をついてしまう。リュティの言うとおり、リューは何度か近付こうと試みたが毎回途中で退く結果となっている。

 近付けば近付くほど視界が狭まり、思考が鈍り、まともに戦えるような状態でなくなってしまう。リューは毎回ぎりぎりのところまで進行し後退するしかできていなかった。

 

 戦闘が始まって十数分、そこにあったのは一方的な戦いだった。攻撃するために近付けば意識にかかる靄が濃くなり動きが乱され、離れても《魔法》を放つこともできない。

 

「これが、貴女の《魔法》ですか」

「ええ、でも普段はもっと弱めに使うんですよ? すぐ壊れちゃうとつまらないですから」

 

 リュティ・ユンペイに発現した《魔法》は直接的に相手を惑わすようなものではなかった。例えば、幻覚を見せたり、幻聴を聞かせたりと言った用途には使えない。彼女の《魔法》にかかった結果としてそう言ったものを見たり聞いたりする者はいたが、それが彼女の《魔法》が及ぶところではない。

 

「【誘う紫の香(ヴィオレッタ・ドリーム)】は徐々に相手の精神を蝕んでいく。血を流し、弱り果てた心臓のように、ゆっくりと心の鼓動を止めていくんです」

「自分から、《魔法(たね)》を明かすとは、余裕ですね」

「ええ、だって知られたところで防げるものではないもの。息を止めてみますか? それとも魔法で吹き飛ばす? その鈍った精神でまともに《魔法》が操れるなら試してみては?」

 

 リュティの言う通り、嗅覚を刺激して効力を発揮するその魔法を防ぐには息をしないことか風で吹き飛ばすかくらいしか防ぐ方法がない。だが、息を止めていられる時間に限度がある限り完全に防ぐことはできない。《魔法》の効力で集中力が欠いている今、魔法を詠唱しながら敵の攻撃を掻い潜ることも難しい。

 しかし、まだ勝機はある。レベル3とレベル4とでは地の性能の差が圧倒的だ。単純な戦闘で言えばリューがリュティに負けることはない。一撃、恐らくそれで決着は付く。

 

「ああ、後言っておきますけど。私に近付くにつれ香りも強くなってます」

 

 しかし、それはリュティも分かっていることだった。彼女はその危険な趣味とは裏腹に、戦闘においてはリスクを最小限に抑える。そもそも正面から戦うような《魔法》や《スキル》を有していない。それでもレベル3にまで至れたのは、モンスターという理性のない怪物達が【誘う紫の香】と相性が良かったからだ。

 人間と違い、モンスターが相手であれば精神を壊すことに躊躇いはない上に効き目も強い。一度精神を侵す匂いを嗅がせてしまえば後はなぶり殺しだ。当然のことながら嗅覚がない相手、例えば骨だけの『スパルトレイ』等には効かないが、それでも彼女の《魔法》はダンジョンで猛威を振るう。

 

「そして、私は貴女に近付くつもりはありません。これは遊戯とは言え戦争ですからね、どんな手でも()()()()()んです」

「至極尤もなことです、これは遊びであっても遊びではない。勝敗によって誰かの人生を左右するのですから、真剣にもなります」

「あら、まだそんなに話す余裕があるんですか? やはり高位の冒険者には効きにくいのが玉に瑕ですね」

 

 呼吸を整えてリューは心を落ち着かせた。間違いなく、目の前の女は外道の類だ。人の不幸を楽しみにし、あまつさえ自分の快楽のために人を不幸に貶めている人間が善人なはずがない。であるならば、リューに最初から戦う理由があった。

 彼女は正義の使徒なのだ。悪を罰することを是とする、そんな過去を持つ冒険者だ。

 

「何故、アゼルだったんですか?」

「時間稼ぎのつもりですか? 逆効果ですし、答えますけど」

 

 逆効果、それはその通りだ。《魔法》の香に晒されれば晒されるほどリューにとって不利な状況になる。しかし、それでもリューはそれを確認しなければならなかった。そもそも、何故アゼルが狙われたのか。アゼル本人もまるで覚えがなかったようだった。

 

「だって、彼強いでしょう? 最近飛躍的に活躍しているし、ええ、今が絶頂期みたいなものでしょう? なら、そこから落ちたら――それはそれは、良い絶望を見せてくれそうだもの」

 

 リュティは頬を染めながら、まるで愛する男に愛を囁くかのように理由を告げた。そして、リューはそれを聞いて彼女のことを少しだけ哀れに思えた。

 

「そうですか、たったそれだけの理由で……貴女も不幸な人だ」

「不幸?」

「たったそれだけの理由でアゼルに手を出したことです」

 

 しかし、そうかとリューの心は決まった。リュティに仮にアゼルを真摯に想う心があれば、少しばかり手加減をしていたかもしれない。それでも結局はアゼルを不幸にするだろうから倒していただろうが。しかし、そんなことはなかった。目の前の外道は心の底から外道だった。ただ目立っていたという理由で、今幸福そうだからという理由でアゼルを選んだ。

 ならば、手加減などする必要もない。

 

「それに、アゼルが絶望する? それはない」

「あら、彼も人です。絶望することくらいあるでしょう」

「いいえ、ない。私が、そうさせない」

 

 発せられた言葉は刃となり、彼女自身に刻み込まれていく。

 リュティの《魔法》がリューの中を這いずり回り、そして確実にその効力を強めていく。視界が狭まっていると感じられるほどにリューの身体に異常をきたしていた。

 

「例え、彼がどんな暗い闇に捕らわれようとも私が彼を救ってみせます」

 

 崩れそうな膝に力を込めた。昔、もう起きられないと思っていた自分を一人の少女が立ち直らせてくれた。だからリューは自分が何度でも立ち上がれると、あの時に比べれば今の状況はなんでもないと知っている。

 

「かつて星々の乙女に導いて頂いた私が、今度は彼の導きになりましょう」

 

 空色の瞳はただ前を向く。アゼルはその空色の瞳が美しいと言ってくれた。自分の弱さを知りながら正義を貫こうとする確固たる意志を見せるその瞳が好きだと言ってくれた。

 だから、彼女の心は折れない。

 

「すべてが死に絶えた夜に彼が見上げる(希望)となりましょう」

 

 それは恩返しだ。彼女の折れてしまった心をもう一度だけ立て直してくれたアゼルに対する、彼女ができる恩返し。希望となってくれた誰かのために、今度は自分が希望になってみせようと彼女は言った。

 

「アゼルは絶望などしない、どんな時でも私が彼と寄り添おう」

 

 ああ、しかしそれこそがアゼルにとっては絶望になるのかもしれない。傷付けたくないと思えた誰かが、どうやったって傷付く状況になってしまう。しかも、それが自分の隣にいるというだけのこと。相手の行動をアゼルに止めることなどアゼルにはできない、だから隣に立つことを許すだろう。しかし、それは辛い。

 傷付くリューを見て、そして何時しかリューを己の手で斬り殺すことになる。隣にいたい、そう思ってしまったがために。

 

「だからリュティ・ユンペイ、貴女は排除する」

「何を言うのかと思えば……はぁぁ、できもしないことをペラペラと。それに少し過保護が過ぎません?」

「笑わせる。本当に過保護であったなら、戦争遊戯(ウォーゲーム)になんて参加させてません。それに、別段私が出しゃばらなくとも結果は変わらなかったでしょう。貴女はどうやってもアゼルには勝てない」

「はっ、ハッハッハッハッハッハッハハハハハ!!! 負ける!? 【ステイタス】をなくした一般人に? レベル3のこの私が負ける? 冗談も休み休みに言うことです! なら何故貴女が私の相手をするんですか? アゼルでは勝てないから、そう分かっているからでしょうに」

 

 リューの言葉にリュティは声を上げて笑った。しかし、彼女の表情には明らかな怒りが見え隠れしていた。【ステイタス】を封印し冒険者になる前、一般人の能力しかないアゼルに勝てないと言われれば当然の反応だろう。笑ってしまったのは、それが余りにも信じられない話だったからだ。

 

「私の行動は無駄でしょう。しかし結果は変えられずとも、過程は変えられます。これは誓いです、これはけじめです。私が彼のためにあるという、それを示すための戦いです。最初から、これは彼のための戦いであると共に、私のための戦い。だから、もう一度言いましょう――」

 

 身長ほどある木刀をリューは八相に構えた。意識を今にも飲まれそうなほどリュティの《魔法》に蝕まれているはずなのに、リュティは思わず一歩後ずさってしまった。凄まじいまでの気迫、空色の瞳のエルフからまるで刃のように冷たい殺気が溢れ出る。

 

「――この剣に敗北はない」

「は、ははは、ハハハハハハ!!! もう良い、堕ちろ」

 

 怒りに顔を歪めたリュティがリューに向けて手を振り下ろす。途端、リューの周りを満たしていた空気が花の香りで充満した。息を止めて走り出せ、そう本能が告げていた。しかし、リューはそうしなかった。

 真っ向から打ち破る、リューは深く息を吸った。

 

 精神が一瞬にして溶かされていくように感じられた。すべての物事がどうでもよく、その甘い香りに身を任せただ揺蕩っていたいといたいと思いそうだった。【誘う紫の香】の最終段階、意識を剥奪され考えることを放棄させられ、ただ術者の言うとおりに動く人形となる。

 壊れた、とリュティが表現する状態だ。ここまでくるとどれほど強靭な精神力の持ち主だろうと堕落する。ただ快楽を貪り、溺れていくしかない。

 

「一つ……忠告しておきます」

「この期に及んで何ですか?」

()()()()になると、私はいつも以上に抑えが利かなくなる……気を付けてください」

「はぁ?」

 

 言っている意味が分からないとリュティは首を傾げた。もう殆ど自意識がなくなっているリューがリュティに何ができるというのだろうか。それは慢心だったのだろう。しかし、経験に裏打ちされた慢心だ。

 今まで彼女の予想を越えていく相手がいなかっただけの話だ。

 

「狂気に溺れましょう、それだけが活路であると言うのなら」

 

 向き合う狂気は己のものではない。それは、愛しい誰かが抱いた狂気だ。そして、彼女はそれを否定するためにいる。言葉だけでは足りない、行動だけでは理解できない。だから、例えそれがその狂気の一端、末端の末端だったとしても触れてみようとリューは思った。

 

「貴女、何を――」

「血を貴方に、捧げましょう」

 

 リューは懐から小太刀を取り出し首の付根付近に添えた。まるで頸動脈を自分で裂き自殺するような体勢になる。これには目の前にいたリュティも息を呑んだ。

 浅く刃がリューの肌を破り血が滴る。そして、彼女の心は鮮血に染められていった。

 

 

■■■■

 

 

 オラリオ最北端、ロキ・ファミリアのホーム黄昏の館談話室。

 

「はは、予想してたとは言え少し、いや結構衝撃的だね」

 

 金髪の小人族(パルゥム)、ロキ・ファミリアの団長であるフィンは苦笑しながら『鏡』を眺めた。その先には全身鎧(フルプレート)の男と戦っているアゼルの姿が映っている。

 

「ラオン・ジダール。アポロン・ファミリア所属のレベル2冒険者だな」

「【ステイタス】無しでレベル2の冒険者と打ち合うって……相変わらず無茶苦茶ね」

「未だに信じられません……」

「信じるも信じないも、今目の前で起こってるでしょうが」

 

 ロキ・ファミリアが事前に調べたアポロン・ファミリアとヘスティア・ファミリアのレベル2以上の冒険者リストを眺めてリヴェリアがアゼルの対戦相手の名前を告げる。未だにアゼルの型破りな行いを信じられず、しかし『鏡』の向こうで実際レベル2の冒険者と渡り合っているアゼルがいるので信じざるを得ない。

 しかしながら、レフィーヤが信じられないのも仕方のないことだ。『鏡』の向こうで刀を振るっているアゼルの動きは下手をするとレフィーヤより速いかもしれないという具合だ。本来一撃で吹き飛ばされてもおかしくない攻撃をアゼルは尽く躱し、そして反撃をしている。そのすべてが堅い鎧によって阻まれているが現在戦況が著しく悪いというわけではない。

 

「アゼル、やっちゃえやっちゃえ!!」

 

 レフィーヤやフィンがアゼルの法外な戦闘力に頭を悩ませている同じ場所、『鏡』の前をアイズと一緒に陣取っているティオナが自分のことのようにはしゃぎながらアゼルの応援をしている。それを見ながら姉は呆れ、近くにいたベートは鬱陶しそうに顔を顰めていた。

 

「アンタねぇ……もうちょっと危機感とかないの?」

「危機感? 何で?」

 

 あまりにもはしゃぐものだからティオネはつい妹をからかおうと思ってしまった。当のティオナは何に対して危機感を持てば良いのかまったく見当がつかなかった。

 

「ライバルよライバル。うかうかしてると、取られるんじゃない?」

「うぐっ」

 

 自分が何に対して危機感を持てば良いのか考えていたティオナの顔が姉の一言で固まる。それを見てティオネは笑みを深めた。

 

「ら、ライバルって決まったわけじゃないしぃー」

「目、泳いでるわよ?」

「ううぅ、分かってます分かってますー。ライバルがいるってことくらい知ってましたー」

 

 ティオナはそれ以上反応しては姉に付け込まれる隙を与えるだけだと分かり、逆に開き直る。しかし、それは姉に対する全面降伏を示しているような行動だ。ティオネは更に何か言ってからかってやろうと試みたが、そうする前にティオナが言葉を続けた。

 

「でも、別にいいんだ」

 

 18階層でアゼルを治療した覆面の冒険者が今回もアゼルの傍らにいて同じ戦場を駆けている。椿が言っていたアゼルの専属鍛冶師である忍穂鈴音もヘスティア・ファミリアに改宗しアゼルと共に戦っている。『鏡』は映像は映し出すが音までは拾ってくれない。

 彼女達がアゼルとどのような会話をしているのかティオナには分からない。しかし、会話など聞かずとも目を見れば分かる。謎の冒険者の青い瞳はアゼルを慈しむような優しい目だ、鈴音の目はアゼルを愛して止まない乙女の目だ。

 

 分かっていた。自分の知らないアゼルを彼女達は知っていて、アゼルも自分には見せない一面を見せているのだろう。だが、それがどうしたとティオナは思った。

 

「私は、もう自分の気持ちを伝えたんだから」

 

 だから、ライバルがいるとかいないとかそういうことはそこまで問題ではない。想いは伝えた、想い続けて良いとアゼルは言ってくれた。ティオナの気持ちに応えることはできない、しかし想い続けるのは彼女の自由であって自分にはそれを止めることはできないと。

 申し訳なさそうに自分に語ったアゼルを見て、ティオナはその優しさを知った。アゼルは誰かの幸せを願うことができる、そういう人間なのだ。そのためなら、自分を傷付けることができる優しい人なのだ。

 そんなアゼルをティオナは想い続けると決めた。アゼルの事情を深くは知らないが、それでもティオナはその想いが偽りであると思ったことはない。むしろ、事情を知らない自分は誰よりもアゼルという人間を愛せるとさえ思ったこともあった。

 

 その人がしてきた行いでもない、その人が語ってきた言葉でもない、ティオナが惚れたのは優しい心を持ったアゼルという人間だった。

 

「…………はぁ!?」

 

 数秒間の沈黙の後、ティオナの発言に対して全員の意思を代表するかのようにティオネが声をあげた。その場にいる全員が言いはしないがティオナのアゼルに対する感情は知っていた。感情を隠さないティオナを見ていればそんなこと誰でも分かる。

 しかし、その想いを告げるとなると問題が浮上する。他派閥の人間との付き合いというのは、あまり推奨されるものではない。それが恋人関係ともなれば尚の事だ。それに加えティオナはロキ・ファミリアの幹部、アゼルは数少ないヘスティア・ファミリアの眷属の一人。どちらを引き抜こうにも禍根が残ること間違いなしだ。

 

「うーん、これは本気でアゼル君を勧誘した方がいいのかな?」

「しかし、そう簡単に引き抜けるとは思えんな」

 

 当然ながら、ティオナを引き抜かれたくない面々としてはアゼルを引き抜くという選択肢しかない。フィンとリヴェリアは作戦会議の予定を立て始めた。色恋沙汰に縁のないレフィーヤはあわあわしながらティオナを見ていた。ベートは我関せずと『鏡』を見ている。

 

「あ、アンタねえ分かってるの? あいつは――」

「分かってるよー。それに、別に恋人になりたいって言ったわけじゃないし」

 

 いや勿論なれれば一番良いんだけど、とティオナは少し恥ずかしがりながら言った。

 

「じゃあ、アンタなんて言ったのよ?」

「好きですって、言っただけだよ」

「それ普通に告白してるでしょうが!?」

「えー? でもアゼルはちゃんと分かってくれたと思うなー」

 

 応えられない好意を向け続けられるのは辛いことだろうに、アゼルはそれでもティオナの好意を受け入れた。きっと、自分と同じくらい応えが返されない好意を向けることでティオナが傷付くということを理解していたからだ。それを理解していたからこそ、アゼルは真っ向から応えられないことを先に告げた。

 恋人になってくれれば、それは最高だ。しかし、そうならないと最初から分かっている。だから、望むのは本当に些細な幸せだ。偶然会って食事を共にする、刃を交えお互いを高めていく、ティオナが望むのはそれくらいのものだ。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。

そろそろフィンさんも本気を出してアゼルを勧誘するかもフラグ。
ティオナは好きな物ははっきりと好きというタイプ(だと思ってます)。

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