剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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お久しぶりです。前回の更新から三ヶ月弱……忙しかったのもありますが、なんだか一話一話が長くなってしまいました。一応連日投稿のつもりでいきますが、土日が少し怪しいのと手直しをしながら投稿することになるので間に合わなかったら一日空けることもあるかもしれません。

では、楽しんでいただければ幸いです。あ、一応言っておくと外伝6巻のネタバレが若干あります。


彼が為、少女は想い続ける

 振るわれる木刀が風を斬りながら戦闘を奏でていく。時折木刀同士がぶつかり打撃音が響く。しかし、圧倒的に振り抜かれる音の方が多かった。

 一方は身の丈ほどある木刀を巧みに扱い遠心力や身体の回転を駆使しながら鋭い一撃を繰り出す。もう一方は未来を見ているのではないかと思うほど滑らかな身のこなしで多くの攻撃を紙一重で避けていく。

 信じられない、木刀を振るうリューは思ってしまった。

 

 横一閃に振るえば一歩下がり剣先が僅かに衣服を掠り、時には振るう前からしゃがんでいたのではないかと思うほど素早く回避行動を取っている。

 振り下ろすと横に一歩動くだけで無力化されてしまう。その後幾ら連撃を繰り出しても相手はその殆どを躱し、躱しきれなかったものは木刀で受けられる。

 

 しかも、何を思ってか()()()()()()()()

 圧倒的、そんな言葉がリューの中に浮かび上がる。しかし、その印象を振り払うように更に剣戟の速度を上げていく。

 稽古はリューがもう一本短い木刀を手にして更に攻撃回数を増やし、とうとうアゼルが防ぎきれずリューの木刀に殴り飛ばされて終わりになるまで続いた。

 

 

 

 まだ従業員しかいない朝の店内、アゼルは上半身の服を脱いで椅子に座らされていた。

 

「貴方も随分と無茶をする」

「【ステイタス】封印というハンデを考えると、これくらいしないといけないかと」

「……私見ですが、貴方ならさほど苦戦しないと思いますが」

 

 豊穣の女主人亭のシャワーを借りて朝の鍛錬でかいた汗を流したアゼルはリューに打撲などの治療をしてもらっていた。最後の方は二刀となったリューの攻撃を捌ききれず何度かその身体に木刀を受けていた。血を摂取して身体能力及び感覚を強化しているならまだしも、稽古でそこまではしない。

 実は腕や足に重りを巻きつけていたことをリューは後から知り呆れ果てた。

 

 しかし、アゼルがやろうとしていることを知れば理解はできた。

 

 【ステイタス】抜きで冒険者と戦うという馬鹿げたことをしようとしているアゼルにとって幾らハンデを付けても足りないだろう。【ステイタス】の有無はそれだけで勝負を決するに足るとアゼルは思っている。

 

 リューの言葉を聞かされても、アゼルは期待を募らせた。

 駆け出しのレベル1の冒険者相手ならまだしも、相手はアポロン・ファミリアの冒険者だ。レベル2へとランクアップを果たしている団員は当然、木っ端の団員も【ステイタス】をある程度高めている冒険者達だ。その上人数は相手のほうが圧倒的に多いときている。

 

「何故、あんな条件を?」

「少し前にガネーシャ・ファミリアの警備隊に捕まった時【ステイタス】を封印できることを知ったんです。そして私は思ったんですよ、剣術とは本来弱き人間が編み出した技術であると」

「そうですね」

 

 治療が終わりアゼルは衣服を着ていく。

 

「であるなら、剣術を真に極めようとするなら身体能力であるとか《スキル》であるとか、そう言ったもの抜きで鍛錬するべきではないかと」

「……本当はどう思っているんですか?」

「【ステイタス】を封印しているくらいじゃないと楽しめません」

 

 あっけからんと、今まで語っていた内容とはまったく違うことを言うアゼルにリューは溜息を吐いた。そもそもファミリアの危機を楽しもうとする方が間違っているのだが、今回の騒動に関してはアゼルもヘスティアも、そしてベルもその責任の所在、誰が解決するべきかを納得している。

 今回の『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を最終的な勝利に導くのはアゼルではなくベルの役目だ。

 

「万が一に備えて、その……血は持っていてください」

 

 灰鬼(グリス・オーガ)との一件があってからアゼルはヘルメスに頼みアスフィが作成した【停滞の檻(ヴリエールヴィ)】を切らさないよう供給してもらうことにした。協力関係にあるからか、ヘルメスはそれを快く受け入れた。

 娯楽好きの男神の本心はそれだけではなかっただろうことは、アゼルでも簡単に予想できた。

 

「ありがとうございます」

 

 【ステイタス】を封印するということは、膂力だけでなく脚力や耐久力まで一般人相応になるということ。そんな状態で冒険者の攻撃を真っ向から受けたら死にかねない。というより、普通は死ぬ。

 アゼルはホトトギスという怪異を取り込み、身体的には常人より遥かに優れている。その上血液を摂取すれば更に身体能力が向上する。だが、アゼルはそれ使うことを自分で禁ずることにした。

 ホトトギスの力を使ってしまったら、それこそ剣術の修行にならない。その上、ホトトギスの力は【ステイタス】のない身体で使うには危険過ぎる。

 

 今までも斬撃を飛ばした際などに勝手に切り傷ができることがあった。それはランクアップを経て器を昇華させていく毎に小さくなっていくものの、傷付くことは変わらない。【ステイタス】の封印をしてしまうとランクアップを重ね昇華した器は元に戻る。

 つまり、それだけ脆くなってしまう。その状態でホトトギスの力を使いでもしたら、今までにないほど大きな傷を負うことが予想される。

 

「一応回復薬(ポーション)の類も持っておくので大丈夫だと思います」

「……アゼルの大丈夫が大丈夫だったことはありません」

「はははは、言われてみればそうですね」

 

 生き急いでいると言われても何も言い返せないような生活をしているアゼルは、意図して危険に飛び込むこともあるが、意図せずとも危険に巻き込まれることも多い。

 今回の【戦争遊戯(ウォーゲーム)】も危険度は分からないが、厄介事に巻き込まれたことに変わりはない。相手の本命はベルで、アゼルは眷属の頼みだからという理由だけでついでとばかりに狙われている。

 

「はーい、お二人さん朝食の用意ができたのでいちゃいちゃするのはやめてね」

「「別にしてません」」

 

 笑顔で二人を呼ぶシルは、同じ言葉を返したアゼルとリューを見て更に笑みを深めにやにやした。アゼルはしまったと言わんばかりに小さく溜息を吐き、リューは頬を少し染めて一度咳払いをした。

 にやにやしたまま朝食の席へと戻っていくシルを若干疲れた様子でアゼルとリューは追い、同じように席につく。

 

「おはようアゼル君」

「おはようございますヘスティア様」

「朝早くから鍛えるのは良いけど、怪我には気を付けるんだぞ?」

「分かりました。まあ、でもリューさんは回復魔法を使えるので心配いりませんよ」

 

 ね、と言ってアゼルはリューに同意を求め、リューは小さく頷いた。

 

「にしても、悪いね。僕までお世話になっちゃって」

「別に気にしないでください、お店のお手伝いもしてもらえることですし」

「それは任せてくれ。こう見えて僕は結構色んな仕事をしてきたんだ、えっへん」

「全部バイトですけどね」

「それは言っちゃいけないことだぜ、アゼル君!」

 

 現在、ヘスティアとアゼルは二人共豊穣の女主人亭に寝泊まりさせてもらっている。いつもの如くシルが提案し、どうやってかミアを説得して実現した。実はヘスティアがこの酒場の一室を使うのは二度目だ。

 ちなみに、ヘスティアとアゼルは最初申し訳ないからと一部屋に泊まろうとしたが、リューが苦言を呈したので二部屋になった。普段はそもそも部屋という概念がない場所に住んでいるので二人は気にしていなかったことが原因だ。

 

 ベルだけは行方不明ということになっているが、ヘスティアもアゼルも心配している様子はなかった。両人共にベルがどこにいるかは知らないが、ヘスティアはベルを信じて送り出し、アゼルは心当たりがあった。

 

「アゼル君、今日の予定は?」

「そうですね、一度ベルの様子を見に行こうと思います。ヘスティア様は?」

「僕は神会(デナトゥス)に出席して『戦争遊戯』の形式と場所、細かいルールを決めに行くよ」

 

 状況が状況なだけあって日頃お互いの予定など確認しない二人も今は確認し合っている。『戦争遊戯』を受けてから最初の朝、前日のような襲撃もなく平和な時間が過ぎていた。襲撃されたところで豊穣の女主人亭の防衛力は下手なファミリアより高いので返り討ちに合うだろう。

 

「神ヘスティア、この後少し話があるのですが」

「アゼル君じゃなくて僕にかい?」

「はい。朝食後、そちらの部屋に行くので待っていていただけないでしょうか」

「構わないよ、どうせ神会なんて遅れても何も言われないさ」

 

 何せ出席者が自由奔放な神々なのだ。遅刻者などいつものこと、そもそも今回の神会に出席義務のある神々は少ない。ヘスティアはその少ない神々の内の一人なのだが、それならそれで「主役は遅れてやってくるものだ」と言っておけば神々は納得してしまう。

 この言い訳をヘスティアはヘルメスから教えてもらったが、当のヘルメスは使ったことはなかった。

 

「では、後ほど」

「ああ」

 

 何の話をするのかまったく予想が付かないアゼルは気になったが、リューがわざわざヘスティアと二人で話したいと言ったので気にしないことにした。長居すると店の準備の邪魔になるのでアゼルは手早く朝食を平らげてベルの元へと訪れることにした。

 目指すは一度ベルの後をつけて近くまで行った市壁上部。

 

 

■■■■

 

 

 前回はベルの後をつけていた都合上気付かれないように屋根を伝って向かったが、今回はそんな事情はないので普通に歩いて向かった。大通りから路地に入り何度か曲がると途端に人気がなくなる。

 騒がしい大通りの喧騒が少しばかり遠くなり、僅かな静寂が訪れる。小さく客を呼び込む店員達の声が耳に届くが、自分が歩いている音の方が次第に鮮明になってくる。

 

「……」

 

 そろそろ市壁上部へと繋がる階段に到着するだろうという曲がり角で私は一度立ち止まった。僅かな違和感が私の意識を僅かに戦闘態勢へと移行させた。

 小さな呼吸音、心臓が脈打つ鼓動、力を入れた筋肉が僅かに伸縮する音、自分以外の音が聞こえた。果物や野菜などの食べ物の匂い、武器の手入れをする油や布の匂い、その場にないはずの匂いを嗅いだ。

 自分以外の誰かがいる、そんな当たり前の状況でさえ集中してしまうと違和感へと変わっていく。

 

(仕方ない)

 

 曲がり角の向こうに誰かが待ち伏せをしているという、そんなありきたりな状況を想定しながら一歩踏み出す。ベルの様子を見に行くという目的があるのに加えて、こんな場所で待ち伏せているのが誰で何が目的なのかも気になった。

 

「あれ、おかしい――」

 

 しかし、曲がり角への向こうを見るとそこには誰もいなかった。確かに誰かの気配を感じた私としては、そこに誰もいなかったことの方が予想外であった。

 台詞を最後まで言おうとすると、突然影が射す。路地裏とは言え日中はそれなりに明るいし、光を遮る物は特にない。

 

「――ッ!」

「まあ、上しかないですよねっ」

 

 上からマントで全身を隠した人影が回転しながら落ちてくる。落下の勢いと回転の勢いを乗せた踵が振り下ろされる。即座に後方に回避するが、振り下ろされた脚が生み出した風に僅かな高揚感を覚える。

 強い、紛れも無く目の前の相手は強者だ。一度捉えたはずの気配を一瞬とは言え見失ってしまった上今の一撃。

 

「誰か知りませんが、襲いかかってきたからには返り討ちにされるくらい覚悟してくださいね」

「えっ、あっ」

 

 白夜を抜かずに相手に肉薄。流石に喧嘩のようなこの戦闘で刃を抜きはしない。相手が抜くほどの強者である可能性は高いが、相手が武器を持ち出さない限りは私も刀は抜かない。

 何かに驚いて動きを止めた相手に構わず拳を振りぬくが、予想通り相手はその拳を余裕を持って避けていく。

 

「わっ、ちょ、待って、ストップ!」

 

 相手は立ち止まって手を前に出して私に止まることを促す。流石の私もそんなことをされてしまっては一度攻撃を止める他ないし、何よりも先程まで感じていた僅かな敵意も今はまったく感じられない。

 振るった腕を止めるのが少し遅すぎたのか、拳は吸い込まれるように相手の頭部へと突き進んでいく。

 

「…………」

「ふぅ、止まった」

 

 相手の鼻先、後少しでも止めるのが遅ければそれはもうクリーンヒットしていたであろう拳をなんとか止めることができた。止めた拳を追うようにして風が吹き相手の頭部を隠していたフードがめくれる。

 

「……何してるんですか」

「えっと……散歩?」

「貴女の散歩は随分荒っぽいですね」

 

 溜息を吐きながら私は脱力する。彼女に出会ったことが嫌だというわけではなく、呆れてしまったというか知り合いだったからやる気が出ていた分一気に落ち着いてしまった。

 

「おはようございます、ティオナ」

「う、うん、おはよ」

 

 私に攻撃してきたのが自分からだったからかティオナは少し戸惑いながら挨拶を返してきた。私は全く気にしていないので、それを伝えるためにティオナの頭を撫でる。

 

「襲いかかってきたことは気にしてませんよ。むしろどんと来いって感じです」

「うーん、それはそれで変かなー」

 

 目を細めなて撫でられるがままのティオナは若干間延びした語尾でそう言った。私としては斬り合いは正面からというのがモットーだが、襲いかかられるのはそれはそれで刺激的だ。不利な状況で戦うというのも鍛錬の一つだろう。

 

「で、こんなところ、そんな格好で何をしてたんですか?」

「え、あっ、そうだった!」

 

 そう言ってティオナは飛び降りてきた建物の屋上まで素早く上りまた飛び降りてきた。その両手に抱えられていたのは食料と武器、そして武器の手入れに使う道具だった。

 

「それは?」

「アイズとアルゴノゥト君の届け物」

「やっぱりベルは」

「うん、ロキ・ファミリア(うち)に……ううん、アイズに頼ったんだよ。そしてアイズも手を貸した」

 

 ティオナが姿を隠して物資の支給をしているのも、市壁上部という僻地で訓練をしているのも、ロキ・ファミリアが協力していると知られたくないからだろう。アイズ個人の協力とは言え、ファミリアの幹部が肩入れしているとなればそれがファミリア全体の総意と捉えられてもおかしくない。

 少し前にもベルとアイズさんが共に訓練をしていたので今回もそうなったらしい。前回と違うことがあるとすれば、前回はアイズさんからの申し出であったらしいが今回は逆だった。

 ベルが頼み、そしてアイズさんがそれを了承した。そこには、何か大きな意味があるような気がした。

 

「これからアルゴノゥト君のとこ行くけど、アゼルも来るよね?」

 

 首を傾げながらティオナはもう答えの分かっている問をする。私は片方の袋を彼女の腕から取り、頷いた。

 

 

 市壁上部からの眺めは思っていたよりも壮大なものだった。円形に広がるオラリオとその中心にそびえ立つ白亜の塔バベル。まるで世界に杭を刺したかのようなその建造物を最も良く眺められる場所だろう。

 

「ほら、あそこ」

 

 そう言ってティオナは少し離れた所でせわしなく動く二つの人影を指差した。片方は金色の軌跡を残しながら目にも留まらぬ素早さで縦横無尽に駆け、もう片方は防戦一方を強いられながらも着実に相手の動きに対応できるようになってきていた。

 

「ひゃー、やっぱりアゼルもアルゴノゥト君も成長早過ぎー、ずるい」

 

 未だ本気を出していないだろうアイズさん相手に防戦とは言え立ち向かえているベルを見てティオナはそう言った。言い方からすると昨日の時点ではもっと酷い戦いだったのだろう。

 私はそんなベルを眺めるだけにした。

 

「あれ、行かないの?」

「ええ、私は邪魔でしかないでしょうからね」

 

 鍛錬の邪魔ということもあるが、アイズさんと二人きりでいるということもベルのやる気を支えているに違いない。そこに私が割って入るのは邪魔でしかないだろう。きっと私もリューさんとの朝稽古にベルが来たら同じように思う。悪感情とまでは行かなくとも僅かな失望くらいはする。

 

「そっかー、じゃあここでお別れだね。私も手伝うって言っちゃったし」

「…………」

「アゼル?」

 

 そう言えば、と思い出す。私はティオナに伝えなければならないことがあったのだった。ハナに出会ったりアポロン・ファミリアとの戦争遊戯(ウォーゲーム)の勃発等で危うく忘れる所だった。

 

「いえ、少しティオナに話があったんでした」

「私に? なになに?」

 

 いつもと変わらない無邪気な笑み浮かべているティオナを見て、心が軋んだ。彼女にはその笑顔が、悩み事一つないと相手に思わせる無邪気な笑顔が似合う。誰かを想いながら笑う彼女の姿を何時までも見ていたいと思った。

 しかし、それは願ってはいけないこと。他でもない彼女の想う相手が私であるからこそ、その姿を見ることを願ってはいけない。

 

 確かに、その姿は可愛らしいだろう、心温まるものだろう。しかし、私は彼女の抱いている想いに望まれる答えを返すことはできない。否、それよりもっと非情な答えを返すことしかできないだろう。

 

「ティオナ、私は」

 

 言葉に詰まる。辛くないと言えば嘘になるだろう。人に嫌われたいと思ったことなど一度たりともない。嫌われてしまうのであれば仕方がないことだが、それを望む人間が一体どれほどいるだろうか。

 好意と嫌悪であれば、誰しも好意を欲するだろう。

 

「私は」

 

 だが、それでも言わなければならない。彼女の想いを斬り捨てなければいけない。彼女のその感情に気付いた時点で伝えることが最も良い選択だったかもしれない。何故もっと早く言ってくれなかったのかと言われても文句は言えない。しかし、誰かから好意を向けられるのが嬉しく、そして心地良かった。

 だが、先延ばしにすることはお互いにとって良くないだろう。

 

「私は、貴女の好意に応えることはできません」

 

 真摯な彼女の感情に、私は真摯に向き合うしかない。例えそれが非情であったとしても、人の夢を壊す行為だとしても、嘘を吐きながら向き合うことはできない。

 彼女のだけではない。私は誰の好意にも好意で返すことはできない。自らが手を伸ばした願いがある限り、この身はその一つの願いのためだけに在る。そうでもしなければ届くはずのない願いを抱いてしまったが故に。

 

「だから――」

 

 だから、何だというのだろうか。

 私に好意を向けるななどと私に言う権利はない。人の感情を止めることは、例えそれが神であったとしても不可能。そんな人達を私は知っている。

 鈴音はそれでも良いと、ただその身を捧げることを選んだ。

 ヘスティア様は構わないと、私を受け入れることを選んだ。

 リューさんは仕方がないと、私と剣を交えることを選んだ。

 

 だから、その先は私の口の出す領域ではない。私はティオナに己の意志を伝え、その後の選択をするのは私ではなく彼女だ。

 真っ直ぐ、目の前で俯く少女を見る。目を逸らすことなど許されない、彼女に背を向けることなどしてはいけない。他でもない私が選んだ行動の結末を見届け受け入れなければいけない。

 

「いえ、なんでもありません。言いたかったことはそれだけです」

 

 一陣の風が吹く。一秒がその何倍にも引き伸ばされたような錯覚に陥り、ティオナが何かを口から発するのをただ待ち続ける。

 胸が締め付けられる。その笑顔が明るかっただけに、それを奪ってしまうかもしれない自分がいることに酷い嫌悪感を抱いてしまう。そう思いながらも、自分の生き方を曲げることができないことに一抹の寂しさと諦めを抱く。

 

「なんとなく」

 

 その声はいつもと変わらず明るい声だった。悲しみに満ちているわけでもなく、怒りに震えてるわけでもなく、聞き慣れたティオナの声だった。

 

「なんとなくだけどね、分かってたんだ」

 

 顔を上げた彼女は今までに見たことのない表情をしていた。笑ってはいた、しかしそれは嬉しそうな笑みでも悲しそうな笑みでもなかった。今にも崩れてしまいそうなほど脆い、寂しそうに笑う少女がそこにいた。

 私の知らないティオナが私を見つめる。

 

 

■■■■

 

 

 ティオナ・ヒリュテには忘れてはいけない罪がある。どれだけ時間が経とうとも、どれだけ善行に尽くそうとも、その手に付いた血は落ちも色褪せもしない。天真爛漫なティオナ・ヒリュテのただ一つの暗い部分、普段明るいだけに色濃く落ちる影――その身に浴びた同胞達の血。

 

「アゼルは剣士だってティオネが言ってた。その言い方が凄く嫌な感じで、ティオネが凄く真剣だったからかな、分かっちゃった」

 

 視線が絡む。ティオナの瞳にアゼルが映し出される。果たしてアゼルはどんな表情をしていたのか本人にも分からなかった。彼女の出す結論がどんなものなのか待つしかないアゼルはただ彼女を見つめ返す。

 

「アゼルは私を好きになんてならない。ううん、アゼルは誰かを愛することなんてない。どんなに触れ合っても、どんなに話し合っても、どんなに刃を交えても、きっとアゼルは剣のことしか考えてない。私を見ているようで見ていない」

 

 時として人は言葉を越えて理解をする。目は口以上に語り、幾度となく手合わせをしてきた相手の仕草はそれだけで多くの物を語る。それが姉妹であるなら尚の事だろう。自分の半身として生まれてからずっと寄り添って生きてきた姉妹の絆は言葉を超える。

 

「でもさ」

 

 ティオナはアゼルから視線を外しオラリオを一瞥する。

 

「それっていけないこと?」

 

 少女は笑う。微笑みを浮かべながら、ティオナは語りかける。

 

「どうしても譲れないものがあって、他の全部を投げ出しちゃうことっていけないことなの?」

 

 アゼルは分からなくなってしまった。目の前の少女はいつもは何も考えていないように底抜けに明るく、浮かべる笑みでその場を和ませる。たが今は、今だけは何かが欠けてしまっているように感じられた。

 ティオナ・ヒリュテという少女のことを、アゼルは何も理解などしていなかった。

 

「そんな訳ない、なんて言えないけどさ。私はね、それがいけないことだったとしても否定することなんてできない、しちゃいけない」

 

 彼女は聳える白亜の塔ではなく尖った赤い塔、ロキ・ファミリアのホームである黄昏の館に視線を向ける。

 

「たくさん、たくさん殺したんだ」

 

 記憶が流れる、感覚が蘇る。罪が彼女を蝕む。

 ティオナとティオネはかつて武神カーリーが統治するアマゾネス達の国、テルスキュラで暮らしていた。男子禁制の国、いたとしても奴隷か子を産む種としてしか扱われない家畜同然の存在だ。そんな場所で二人は育った。

 その国においての正義は一つ――強い戦士であること。

 

「殴り殺した人もいた、首を斬り落とした人もいた、首の骨を折った人もいた」

 

 幼い頃から行われる殺戮の数々に二人の心は凍り付いた。敵を殺すことでしか自身を感じることができなくなっていた。敵を倒せば歓声が沸き、苦戦すれば罵倒された。だから強くなった。

 しかし、そんな生活にも変化が、崩壊が訪れる。普段の闘技とは違う、『儀式』が行われた。それは同胞同士で戦わせより強いほうが生き残るという、古くから続く蠱毒の儀式だった。幸い、二人とも『儀式』で相手に勝利し、そして殺した。そんな日々が続く、二人は勝利し続けた。

 

「皆苦しそうで、死にたくないって叫んだり、手を伸ばして足掻いたりした。でも、私は止めなかった」

 

 引き裂いた肉の感触、砕いた骨の音、泣き叫ぶ同胞の叫び。当時の彼女はそれらを夢に見て寝苦しい夜を幾度も過ごした。徐々に精神も身体も磨り減っていった、少女は壊れかけていた。だが、今も尚ティオナは壊れずに生きている。

 彼女を救ったのは、彼女を崖っぷちで踏ん張らせたのは、先に壊れてしまった姉だった。

 

 ティオネは泣いていた。何度も何度も殺戮を繰り返し、同胞の返り血を浴び、その手を血に染めてきたティオネは、ある『儀式』でとうとう折れてしまった。相手は同室の知り合いだった。ティオナも同じ部屋に住んでいたので知っている相手だ。何度も『儀式』を重ねている内に、同じ年頃の同胞は数を減らし同室の相手とも殺し合わなければならない状況にまでなっていた。

 壊れかけていた姉は、涙を流した。その時からティオナ・ヒリュテは戦士足り得なくなった。折れかけていた心を、壊れかけていた心を奮い立たせた。

 

――守らなければ

 

 自分の半身とも言える姉を守らなければ、ティオナはそう思った。その日からティオナは自ら名乗り出て同室の同胞を『儀式』で殺してまわった。必然、ティオネは全く知らない相手と組まされることとなった。

 喋ったこともある、食事も一緒にとっていた相手をその手で殺すことに戸惑いはなかった。戸惑った瞬間、心が折れてしまうような気がした。

 

「守るためには、そうするしかなかった。だから、殺した」

 

 そして、自分と姉の『儀式』が近付くとティオナは一つの願いを主神に申し出た。カーリーはある条件を出し、ティオナはそれを飲んだ。条件は一度の『儀式』で大量の同胞を殺すこと。ティオナの願いは唯一つ、この国から出ること。

 自分の姉が涙を流す原因がこの国であるというのなら、そこから出ていくしかない。もう二度と姉が涙を流さなくても良いようにティオナは血を流した。一夜にして何十もの同胞を殺し、おびただしい量の血で身体を染めながらティオナは勝利した。

 その胸に秘めるのは自身の姉に対する想いだった。姉がいたからこそ彼女は狂わずに済んだ。だが、それを誰かに言ったことはなかった。ましてや姉になど口が裂けても言えない。守られていたことなど知りたくもないだろうし、知る必要もない。

 一人の少女の愛によって、悲しみは断たれた。

 

「辛いことも苦しいことも、痛いことも嫌なことも全部吹き飛ばすために私は笑った。笑うしかなかった、そうしないと心配させちゃうから。だから、私は殺しながら笑った」

 

 自分の手を見つめながら彼女は自分の罪を思い出す。そこにどのような感情があるのか、アゼルには分からないだろう。しかし、アゼルは思い知る。

 ティオナ・ヒリュテは誰もが思っているよりも遥かに強い。

 

 殺しながら笑う、それは狂気の沙汰だ。そんなことをしながら、ティオナは今も尚狂わずにいる。それだけ、彼女の信じたものが守りたかったものが彼女にとって大切であったのだろう。自分の心を削りながら、身体を酷使しながらも手放してはいけないものだったのだろう。

 

「私って馬鹿だからさ、考えるの苦手だし人の真似しかできないんだ。本で読む英雄達は辛い時こそ笑うんだ」

 

 馬鹿だから、そんな言葉だけで済ませられるほど軽い話ではない。

 見えない傷は見える傷より遥かに深く、遥かに多くの血を流す。その痛みは他者と共有することも叶わず、それ故に気にかけられないこともある。そんなものを馬鹿だからと、考えることが苦手だからと、たったそれだけの理由で笑い飛ばせるとは思えなかった。

 自己防衛、自己暗示、そうすることでしか己を保てなかった少女をアゼルは見た気がした。しかし、ここまで来てしまえばその領域を脱するだろう。信じ続ければ嘘だって真実に成り得る。ならば、お伽噺の登場人物の真似から始まった彼女の行為も貫き通せば彼女と成る。彼女は誰かの英雄に成ったのだろう。

 

 なんと愚か、なんと真っ直ぐ、なんと気高い。

 

「本当にそのことしか考えてなかった。周りのことなんてどうでも良くって、守ることしか頭になかった。殺される人がどんなこと考えてたとか、守られるってことがどんなことなのかも……でも、アゼルは違う」

 

 二人はまた向き合う。先程よりも一歩近い距離にティオナはアゼルに寄る。

 

「アゼルは私のことも考えてくれる。だから、私に言ってくれた。だから、そんなに苦しそうにしてる」

 

 もう一歩、ティオナが踏み出す。腕は背中に回され、ティオナの頭がアゼルの胸に埋まる。

 

「そんなアゼルだから、私は好きになったんだよ。真っ直ぐなのに周りも見えちゃう、見えちゃうから考えちゃう。そんな優しいアゼルが、私は大好きなんだよ」

 

 違う、声を大にしてアゼルは言いたかった。そんなものが断じて優しさなどであっていいはずがない。考えたところで相手を傷付けることは何一つ変わらないというのに、考えたからと言って何一つ許されるはずもないのに。

 

「私は、優しくなかったから。馬鹿だったから、あの時は優しさなんて捨てちゃったんだ」

 

 そう言われ、アゼルは何も言い返せなかった。

 それこそ違うだろうと、アゼルは言いたかった。その選択は正しかった。殺さなければ守れないのなら、優しさなど捨て修羅になるべきなのだ。修羅に成りきれない半端者は、結局どこかで折れて死んでいく。

 しかし、他のことを気にすることを優しさと呼ぶかどうかは別として、その無駄な行動にティオナは惹かれたと言う。彼女は僅かな後悔と憧れをアゼルに覚えたのかもしれない。

 

「アマゾネスは強い男が好き。でもね、きっと私はそんなこと関係なくアゼルが好きだよ」

 

 本当のところは分からないけどね、とティオナは笑って付け足した。人の心を測ることなどできないのだから、確かに分からないだろう。しかし、笑いながらそう言うティオナに偽りなどなかった。

 

「そんな自分をアゼルは嫌いなのかもしれないけど、私は好き。他の誰かがアゼルのことを嫌いって言っても……それがティオネであっても、私は好きって言うよ」

 

 胸元からティオナが私を見上げる。

 

「何時か、そんなアゼルを皆が、そしてアゼル自身が好きになってくれるように――」

 

 本当にアゼルは彼女のことを理解などしていなかった。恋に恋する少女だと、心のどこかでアゼルは思っていた。お伽噺に出てくるような恋に憧れているのだと僅かに思っていた。純真で純粋で、穢れなどない無垢な少女だとアゼルは思っていた。

 だが、違った。

 

 

 

 

「――私はずっとアゼルのこと好きでいるよ」

 

 

 

 

 ティオナの手は血に染まっていた。ティオナの心はどこか壊れていた。ティオナの笑みはどこか狂っていた。それでも、明るく振る舞っている。人を殺めた罪に苛まれたこともあったのかもしれない、その罪の重みに耐えられず泣いたこともあるかもしれない。

 それでも、今もティオナは笑い続けている。その笑顔で誰かを元気づけている。

 

「ダメ?」

「…………」

 

 可愛らしくそう尋ねてきたティオナはダメなんて言われるわけがないと自信に満ちた表情だった。事実、アゼルはそんなこと言い返せるわけがなかった。それほどまでの覚悟、それほどまでの想い、誰が止めることができようか。

 

「ダメなわけ、ないじゃないですか」

「えへへー、やったー」

 

 そう言いながらティオナはグリグリと頭をアゼルに押し付ける。その行動はさながら飼い主に甘える犬のよう。だが、彼女は分かっているのだろうか。彼女が好意を抱いたアゼルの一面こそが彼女に応えられない原因だ。

 

「貴女は……本当に強い女性(ひと)だ」

「えへへ、照れるなー」

 

 どうか笑い続けて欲しい、アゼルはそう思ってしまった。こんな自分を好きだと言ってくれたティオナには笑っていて欲しいと。それがどれだけ矛盾している願いかということを自覚しながらも、それほどまでに彼女の笑みは愛らしかった。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。

いやー……長い、終わらないです。
ティオナかわいいぞー。
何気にリューさんも少しデレてる話。

外伝六巻を読んだ時はティオナの過去が明かされ、やべえどうしようって感じでしたが、書いてみればそれなりに上手く繋がったんじゃないかと思ってます。

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