剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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少年は立ち上がる

 その朝、オラリオの人々の目を覚ましたのは特大の爆発音だった。

 都市の北西、居住区の方向から轟く爆音は連続して響き渡り家屋が燃えたのか煙まで昇っていた。朝早くから作業をしていた商売人達は一斉に外に出て煙の昇った方向を眺める。

 しかし、住人達は慌ただしく避難したりはするものの混乱というほど動揺することはなかった。

 

 なにせここは迷宮都市オラリオ、世界で最も熱い街と称される程の場所だ。血気盛んな冒険者達が大人数いる関係上、戦闘(ドンパチ)など最早日常とさえ言えた。またか、それくらいの感覚で彼等は再び屋内へと戻っていく。

 その中で一人のエルフは、立ち上る黒い煙を戦争の狼煙のように感じていた。

 

「リュー?」

 

 じっと空を見上げるエルフの女性、リュー・リオンを不思議に思ったシルは声を掛けるが返事はすぐには返ってこなかった。何やら酒場で乱闘騒ぎを仲間が起こしたと聞いたのはつい二日前のことだ。

 しかもその相手がアポロン・ファミリアであった。

 

「シル」

「んー?」

「もしもクラネルさんが危地に陥ったら、貴女は彼を助けますか?」

「それはもう! 粉骨砕身、東奔西走、ベルさんのためなら火の中水の中だよ!」

 

 リューの中でも、それはただの予感でしかなかった。オラリオではファミリア同士の衝突など幾らでもあるだろうし、それがいつ爆発するかなど誰にも分からない。今回もヘスティア・ファミリアとはまったく無関係な事件かもしれない。

 

「……もしかして、今回の抗争って」

「可能性はあります。クラネルさんが問題を起こしたとアゼルが言っていました。しかも、その相手が悪かったので」

 

 リューが何を言いたいのか理解したシルは不安そうな表情でもう一度北西の方角を見た。そして申し訳無さそうにリューに視線を移す。

 

「そんなに申し訳無さそうにしないでください」

 

 その後何を言われ、何を頼まれるのか分かっていたリューは先に口を開いた。シル・フローヴァは豊穣の女主人亭で働く他の給仕係と違い直接的な強さは皆無、見た目通りのか弱い少女だ。彼女は荒事には向かない。

 

「少しでも貰った恩を返すためなら――」

「ダメ」

 

 喋っているリューをシルが遮る。大事な事を言おうとしていたのに途中で止められたことに呆気に取られたリューの表情を見て、シルはまるで悪戯が成功した子供のように微笑んでいた。

 シルはリューの両手を自分の両手で包み込むように握った。

 

「恩とか貸しそういうことじゃない、貰ったから返すなんて計算されたような関係じゃない。だって私達は家族なんだよ、リュー」

「……」

 

 シルの言葉を聞いて、リューは喜びと苦しみを感じた。

 シルの口からはっきりと家族と言われ、恩や貸しとは関係のない関係でありたいと言われリューは嬉しかった。

 しかし、その喜びが苦しみとなる。

 

「何時までも、リューは私の家族だよ。例えここからいなくなっても、それは変わらない」

「シル」

「だからねリュー、安心して飛び立っていいんだよ。リューは自由なんだから」

「――っ」

 

 思わず泣きそうになってしまったリューは、なんとか溢れ出そうとする感情を抑えた。しかし、それは無理だった。一筋、零れた涙が頬を伝う。

 確かに、リューには返しきれない恩がある。しかし、その恩がなければシルのために戦いたくないのかと問われればそんなことはまったくない。例え助けられたという恩がなくとも、リューはシルのために戦うだろう。

 そうだ、恩や貸し、貰ったものを返すという損得勘定の上で成り立った関係ではないのだ。否、仮にそうであったとしても、そうでないと彼女達は信じていたかった。

 

「では、家族として一人の友として、私は貴女のために戦いましょう、シル」

「うん! その時は頼っちゃうよー」

 

 何時もと変わらない笑顔に戻ったシルは腕を振り上げながら元気そうに店内へと戻っていく。リューは一粒だけ流れてしまった涙を拭いながらシルの後ろ姿を眺めた。

 

「ありがとう、シル」

 

 それは、今までのことに対する感謝だけではない。これまでも、これからも、そして今もリュー・リオンはシル・フローヴァに感謝してもしきれない。彼女がいなければ身体だけでなく心も死んでいただろう。

 今も変わらず明るい彼女でいてくれることがリューにとってどれだけありがたいことだったか、家族がいるということがどれだけ人の支えになるか、彼女以外には分からないだろう。

 

 正義とはなんなのか、その昔考えたことがあっただろうかとリューは懐古する。なかったわけではないだろう、しかし当時彼女達にはそれを示す存在がいた。夜空に人々が見上げる星々のように、正義の徒を導く誇り高き女神がいた。

 だが、今はもういない。

 

 リュー・リオンは己の中の正義を貫くしかない。本来、正義とは公平でなければならないので、一人の中には存在し得ないというのに。

 それはもしかしたら正義ではないのかもしれない、本当は正義と正反対の悪であるのかもしれない。しかし、それも貫いてみなければ分からない、終わりを見なければ判断などできない。

 

 友のために戦う、救いたい者を救う、自分の力はそのためにあるに違いないと思いながらリューは強く拳を握った。弱きを助け強きをくじく、それだけが正義ではないだろう。それが善きことであると信じ、それを成す己を信じ貫くことが彼女の正義。

 もう二度と折れはしないと誓ったリュー・リオンの正義()

 

(だけど、それだけではない)

 

 どれほど正義を信じようとも、やはりリュー・リオンも一人のエルフでしかなく感情は揺れ動く。友のために戦う、それは確かにそうだろう。しかし、それ以上に彼女はシルに笑っていて欲しかった。その無邪気な笑顔に救われたことがあるからこそ、シルには笑顔でいて欲しいと願った。

 何より、笑っているシルの方が断然魅力的であると彼女は思った。

 

 

 

 飛び立つ彼女を後ろから、誰かの風が後押しする。

 

 

■■■■

 

 

 朝日が昇り、人々が活動し始めた時間帯。辺りに轟いたのは静かな号令と、その後に続く幾重もの爆撃音だった。

 

「のわっ!!」

 

 決して柔らかくない床で心地良くない睡眠を取っていたヘスティア様が驚きの声と共に跳ね起きた。何事かと文句を言おうとしていたが、瞬時に状況を思い出し口を閉じた。

 

「ほ、本当に仕掛けてきたっ」

「ええ、盛大にやってくれましたね」

 

 こっそり硝子のすべて抜けた窓から爆発のあった地点、我らがヘスティア・ファミリアのホームを見る。否、すでにホーム跡地といった方がいい状況だった。元々廃墟となっていた教会はボロボロだったが、今は見るも無残な有様だった。壁は壊れ中は滅茶苦茶だろう。

 

「さて、どうします?」

 

 私は廃教会を囲うようにして建物の屋根等に立っている冒険者達の数を数えていくが、二十人を超えた時点で止めた。予想していた通りの事態になったので私はヘスティア様とベルにどうするか話しかけた。

 

「に、逃げましょう神様」

「ぼ、僕達の家がぁ……」

 

 ベルは逃げることを提案したが、ヘスティア様は窓から見た惨状に衝撃を受けていた。元々ヘファイストス様から貰った生活拠点だと言っていたし、彼女にとっては初めて持つファミリアのホームだったので私達より衝撃が大きいのかもしれない。

 こちらにやってくる冒険者がいないか窓から警戒しつつ私はヘスティア様が平静になるのを待った。

 

「まさか本当にギルドの罰則(ペナルティ)お構いなしに攻撃してくるなんて……」

「相手はそこまで長引かせるつもりはないんでしょう。何せヘスティア・ファミリアは構成員二名という弱小ですからね」

「だろうね」

 

 長引けば長引くほど罰則も大きくなるだろう。しかしヘスティア・ファミリアが相手であれば叩き伏せることも楽、降伏してベルを差し出すのも時間の問題と思っているに違いない。

 

「取り敢えず場所を移動しよう。ホームにいないことにはすぐ気付くはずだから」

「恐らく既に包囲されてると思いますが」

「あの、ギルドに行くのはどうかな?」

 

 取り敢えず気付かれずに逃げることは不可能だろう。ギルドは絶対中立でありながらオラリオの運営を担っている立場上、建物内で荒事を起こす冒険者はいない。ベルの提案は相手の攻撃を一時ではあるが凌ぐことはできるだろう。

 しかし、それは根本的な解決には繋がっていない。ギルドに申し立てて主神であるアポロンを強制送還できるならまだしも、そんなことはできない。ギルドから出たところをまた襲撃される可能性もある。

 

「私としては相手のホームに殴り込んで壊滅させる方が良いと思いますけど」

「む、ホームを壊されたからお返しに相手のホームも壊すってことかい?」

「ふ、ふざけないでよアゼル、神様まで」

「冗談だよベル君。流石にそこまでは考えてない」

 

 私はまったく冗談ではなかったことは言わないでおいた。他には特に案がなかったのでベルの言った通り一先ずギルドに行き落ち着いて話をしようということになった。

 

「よし、じゃあ――」

 

 

 

「見つけたぞ」

 

 

 

「へ?」

 

 突然、壁越しに男の声が聞こえた。

 

「ベル、ヘスティア様を!」

 

 瞬間、先程までの爆音とは比べ物にならない轟音と共に壁が砕かれ廃墟が崩れていく。激しい崩壊で辺りは砂煙で視界が悪くなる中、駆けてくる人物を見た。長剣を携えた黒髪の美青年は飛んでくる壁の破片を避けながら豪速でベルの元へと走る。

 私の指示とほぼ同時にヘスティア様を庇うために抱えたベルはまだ襲撃者を目視していない。

 

「ちぃっ」

 

 地面に落ちている石を数個拾い上げて全力で投擲する。狙いはあまり付けていなかったので当たるとは思ってもいない威嚇攻撃だ。それでも冒険者が全力で投げた石は当たればそれなりのダメージになる。

 案の定殆どの石はあらぬ方向に飛んで行くが、二つほどは相手に当たるコースを飛んでいた。青年は持っていた長剣で石を弾く。その間にベルはヘスティア様を抱えて走りだしていた。

 

「随分物騒ですね、ヒュアキントスさん」

「少々怪我をしていても治せる。アポロン様からの許可は頂いている」

 

 ベルが逃げたことを確認しつつヒュアキントスさんの前に立って追跡を妨害する。どちらにしろ音を聞きつけたアポロン・ファミリアの冒険者達は逃げるベルを見つけて追いかけるだろうが、レベル3の冒険者である目の前の青年がいないだけでも大きな違いだろう。

 狙いがベルであるのなら私が足止めをするというのも悪くない作戦だ。

 

「そこをどけ剣鬼、貴様に用はない」

「別に私も貴方に用はないんですが、ベルを追いかけられると困るので」

「ふん、ランクアップが最速だからと驕っている貴様に何ができる」

「それは自分で確かめてみてください」

 

 腰に挿した白夜の柄に手をかける。

 ヒュアキントスさんがいつ飛び出てきても迎撃できるように感覚を集中させていく。流れる空気すら肌で感じられるイメージで意識を広げていく。それは点での集中ではなく面での集中。相手を見るようで見ない、全体を見ながらも細やかな変化にすら意識を向ける、世界を感じながらそこで起こる出来事を感じ取る。

 

「バレてますよっと」

 

 振り抜きながら抜刀、射出された矢を斬り落とす。そのまま私の横を通りすぎて走り出したヒュアキントスさんを追いかけるために地を蹴る。矢を射た冒険者は驚きながらも次の矢を番えて放ってくる。

 次々と冒険者が現れてはヒュアキントスさんを追う私を妨害するが、そのどれもが失敗に終わる。

 

「確かに、少しは腕が立つようだな」

「これくらいで腕が立つと言われても」

 

 仲間の妨害を尽く避けている私を見てヒュアキントスさんはそう言った。しかし、飛んでくる矢を斬り落としたり、背後から攻撃を避けただけで褒められても何ら嬉しくない。これくらいできてなければ私は今頃死んでいる。

 

「だがアポロン様は別段貴様を欲してはいない。貴様の相手をしている暇はない」

「それを聞けて嬉しいですよ。私は普通に女性が好きなので」

 

 何度か斬りかかるがその度に相手は避けるだけで斬り返してはこなかった。本当に私の相手をする気はないらしい。しかし、流石はレベル3の冒険者でありアポロン・ファミリアの団長なだけはあって避け方も余裕がある。

 

「あの方の寵愛を拒否する権利など誰にもない。アポロン様が欲したのなら手に入れる、過程はどうあれその結論は不動だ」

「さあ、それはどうでしょうね」

「ふん、あの方の愛を理解できないお前の相手もここで終わりだ――後は頼んだぞダフネ、カサンドラ」

 

 その声と共にヒュアキントスさんは飛び上がり、前方からダフネさんの蹴りが飛んできた。

 

「了解」

「は、はぃ」

 

 蹴りを白夜の峰で弾きながら、私はヒュアキントスさんを追おうとするが遠方から飛んでくる矢と魔法によって阻まれる。高速で走り去っていくヒュアキントスさんを視界の端に収めながら、私はベルとヘスティア様の無事を祈った。どういう結果になろうとも、私はあの二人の決定を受け入れる。

 

「ほら、行くわよアンタ達!!」

 

 自分たちの団長でさえ止めることができなかった相手だったからか、ダフネさんの号令のもと五人の冒険者が飛びかかってくる。剣で牽制してくる相手の横を一瞬ですり抜け、再び走りだそうとするが横合いから槍で攻撃される。槍を掴んで相手を投げ飛ばすと、今度は詠唱を終えた魔導師達の魔法が殺到。

 建物の屋根の上は無残に破壊されていく。

 

「なんで当たんないのよ」

「素晴らしい連携ですが、単純に遅すぎます」

「噂通りの化物め」

 

 そう言ったダフネさんは姿勢を低くして踏み込む準備をした。予備動作を見せてしまえば動きなど容易く予想できるが、予備動作を見られても見られなくともどちらにしろ動きが捉えられると理解したのだろう。

 なら、より疾く走るために力を溜めたほうが意義がある。

 

「自分たちが何に手を出したのか、理解しましたか?」

「ふん、主神を捕まえればこちらの勝ちよ」

 

 屋根を踏み砕きながらダフネさんは疾走。一瞬で肉薄してから拳を乱打、次いで回し蹴りからの肘鉄、顎を狙ったアッパー、脳を揺らすフック、金的を狙った蹴り上げ。息をする暇もない猛攻。

 拳がぎりぎり届かない位置まで後退、回し蹴りは姿勢を低くして回避、肘鉄は手のひらで受け止め、アッパーは拳で弾いて逸らす、フックは下から殴り上げ、蹴り上げは白夜の峰で叩き落とす。

 

「今頃団長はリトル・ルーキーに追いついて、もう捕まえちゃってるかもね」

「あまり舐めて掛からないほうが方が良いですよ。兎とて時には噛みつきますから」

 

 自分たちの団長を疑わない彼女達を見ながら私は少し笑った。

 ヒュアキントスさんを追いながら、ここまでする彼等に対する対処を考えていた。廃墟とは言え建物をなんの躊躇もなく破壊、主神がいるにも関わらず攻撃してくる相手の行動は過剰に思えた。

 ここまでくるともう逃げるだけでは根本的な解決には繋がらないことは明確だった。

 

「何も執着心があるのは貴女達の主神だけじゃあありませんよ?」

「はい?」

「恋する女性は時として思いも寄らない行動に出たりする、と聞いたことがあります」

「それは――」

 

 どういうことか、と聞こうとしたダフネさんの背後に影が忍び寄る。それが何なのか瞬時に認識した私はヒュアキントスさんを追っていた時より遥かに速い動きで踏み込みダフネさんの腕を掴んで引っ張りながら再び抜刀。

 金属同士が激しくぶつかり合い火花が散る。

 

「こんな感じに」

「あはっ、おはようアゼル」

 

 歓喜の笑みを浮かべながら褐色の女性、ハナは挨拶をしてきた。

 

「ちょ、ちょっと、誰よこいつ!?」

 

 自分が斬り殺されかけていたという事実に気が付いたダフネさんは大きく後退した。後を追うようにしてカサンドラさんも飛び退いた。

 

「何をしているんですか、ハナ」

「アゼルのファミリアが困ってるって聞いて、助けにきたの」

「……貴女は別に団員ですらないのですが」

 

 流石に目の前で無関係の人間を斬り殺すのは見過ごせない。私と剣を交えたいのなら私だけを狙えばいいだけのことだ。しかし、助けにきたというのは嘘ではないようで攻撃はしてこなかった。

 攻撃の意志がない彼女を前にしても、やはり殺意が奥底から湧き上がることは止められなかった。

 

「そんなこと関係ないわ。だって私、貴方のこと愛しているもの」

「いえ、まあ確かに愛しい人を助けたいと思うのは自然なんですが……貴女は私を殺したいのでしょう?」

「ええ、だから誰にも渡したくないと思うのも自然でしょう?」

 

 言われてみて納得した。確かに自分が殺すと決めた相手を誰かに取られたくないと思うのは理解できる。私で言えばオッタル、あるいはリューさんが他の誰かに殺されてしまうということになる。

 

「ちょっと、そいつ誰よ?」

「こちらハナと言って……まあ、端的に言うと切り裂き魔です」

「も、もしかして最近事件を起こしたのって……」

「あの人です」

 

 ダフネさんとカサンドラさんが更に距離を空けた。誰しも人殺しの近くにいたいとは思わないだろうことを考えると当然の反応だった。むしろ普通に会話をしている私の方がこの場においては異常だ。

 

「ご覧の通り私はそれほど困ってないので、どうぞお引き取りください」

 

 意識的に心を落ち着かせていく。感情という感情を抑えこみ、まるで冷たい鉄のように固く揺るがないように努める。白夜を構えるがそれはあくまで攻撃された時のための用意であると言い聞かせる。

 

「あら、でも貴方のホームなくなっちゃったわよ?」

「探せば宿くらいありますよ」

「なら私の所に来ない? ちゃんと寝泊まりできる所よ? 今ならなんと無料(タダ)で泊めてあげる」

「それはそうでしょうね」

 

 何せ彼女のホームは歓楽街にある娼館だ。寝具の揃った個室は彼女達の商売道具である。寝泊まりできるというのは本当のことだろうが、私は行きたくない。通っていると思われたくないというのもあるが、そもそも私は彼女の姉や仲間達から憎まれている。

 敵地に乗り込むというのも楽しそうではあるが、今は別の問題が起きているのでそんなことをしている場合ではない。

 

「ですが遠慮しておきます」

「そう、残念」

 

 ハナは肩を落として残念がる。てっきりもう少し粘られると思っていたので少し拍子抜けだった。

 

「じゃあ、私帰るわね」

「ええ、そうした方が良い。捕まっては私と戦うこともできないでしょうからね」

「その時は脱獄してでも貴方を殺しにいくから安心して」

「……まあ、一応感謝はしておきます」

 

 そう言いながら私は走りだす。

 

「そろそろ追いかけないといけないので」

「あ」

 

 ハナの登場によって距離を置いていたダフネさんが声を漏らしたが、時既に遅し。屋根の一部を砕くほどの踏み込みによって加速した私はハナの横を通り過ぎギルドに向かったであろうベルを追いかける。

 レベル2である彼女が先を走る私に追いつける訳もなく、置き去りにする。

 

「リリスケ!」

 

 その途中、飛び越えた路地からヴェルフの叫び声が聞こえたので私は足を止めた。既に追うことを諦めたのかダフネさん達は後方にもいなかった。

 

「おい、待てよ! 俺がベルに合わせる顔がねえだろッ! 早く戻ってこい!」

 

 路地を上から覗くとそこには声の主であるヴェルフ、呼ばれているリリ、そしてそのリリの隣に太った男性、路地から逃げられないようにその男性の仲間と思われる冒険者も多数いた。

 しかし、不思議なことに彼等は身体のどこにもアポロン・ファミリアのエンブレムである太陽の徽章を付けていなかった。その代わり、三日月と杯のエンブレムを身に着けていた。

 

「ヴェルフ、どうかしましたか?」

「――っ、アゼルっ! ナイスタイミングだ!」

「あ、アゼル様!?」

 

 私は何事かと思い路地へと飛び込みヴェルフの近くに着地する。ヴェルフは一瞬驚いたものの、すぐにリリの方を示して私に言った。

 

「あいつらぶっ飛ばすぞ」

「あ、アゼル・バーナムだと……!? くそ、アポロン・ファミリアの奴らは何をしている!」

 

 いまいち状況が飲み込めていない私を無視してヴェルフさんは戦闘態勢に入り、リリの横にいる男性は狼狽えた。口ぶりからしてアポロン・ファミリアと何かしらの関係があるのだろうが、エンブレムを付けていない以上違う集団だろう。

 私が白夜を抜くかどうか迷っているとリリが前に出て声を上げた。

 

「お、お願いですアゼル様! リリのことは気にしないで、このまま行かせてください!」

「なっ、リリスケ、まだそんなこと言ってんのか!」

 

 それは懇願だった。頭を下げてはいなかったが、その目には確かな揺るがぬ心が映っていた。涙を浮かべ、苦しみを顔に露わにし、それでも彼女は私に何もしないことを望んだ。彼女は、きっと何かを選択した。

 

「リリがいると、ベル様に迷惑が掛かってしまうんです……だから、リリは、もう」

「そうですか」

 

 リリの瞳から大粒の涙が流れる。堪えようとしても勝手に流れてしまっているのか、それとも彼女は今自分がどんな顔をしているのか分かっていないのか。今の彼女を見たら誰だって助けたいと思うだろう、救いたいと思うだろう。

 

「し、幸せでした……でも、やっぱりリリはダメなんです。どこまでいっても幸せになる権利なんてない、薄汚くて誰にも必要とされない小人族(パルゥム)なんです」

「リリ、私は幸せになることに権利の有無があるかどうかは疑問ですが、貴女がそう選択したのなら尊重しましょう」

「あははっ、やっぱりアゼル様は非道くて優しいですね」

 

 彼女はどこか安堵した表情をしていた。泣きながら口を歪めて笑おうとする彼女は、夢と現実の間で押しつぶされかけていた。だから、その苦しみから逃れるためか、それとも夢を汚したくなかったためか、現実へと戻ることにした。

 痛々しく、だがどこか誇らしい。しかし、そこにいつもの彼女の輝きはもうない。

 

「ふん、邪魔をしないのなら良い。引き上げるぞ!!」

 

 そう言って男性は上空に光弾を打ち上げた。すると周りにいた冒険者達を引き連れてその場から去っていった。勿論リリの腕を掴み、リリはそんな男性に抵抗することなく付き従った。

 

「おい、アゼルてめえ!!」

 

 彼等がいなくなるまで眺めると、ヴェルフが襟首を掴んで壁に私を押し付ける。怒りから私を鋭く睨みつけながら、先程の行動の真意を私に求めていた。

 

「お前なら救えただろう、助けられただろう!? どう見たって不本意じゃねえか!!」

「いえ、あれは彼女の本意ですよ」

「お前は、お前って野郎はっ!! リリスケの顔見てたのか? 泣いてたんだぞ? あの生意気で、金にうるさくて、口を開けば文句を言ってくるあいつが、泣いてたんだぞ!?」

 

 更に強くヴェルフは私の首を掴む。私はヴェルフの手を掴み力を入れて自分から剥がす。レベルに差があるのだ、当然容易くヴェルフの手は離れる。しかし、その感触は残っていた。

 

「それでも、彼女はそうすることを選んだんです。誰かに選択肢を狭まれたのかもしれない、脅かされていたのかもしれない。それでも、彼女は私という力に手を伸ばさなかったのなら、私もまた彼女に手を差し伸べるべきではない」

「仲間だろっ!」

「ええ、仲間です」

「なら、なら……」

 

 リリはベルの仲間であり、そして私の仲間でもある。一緒に探索をしたことはないが、ベルの世話を頼んでいるし一緒に食事にも行った。自分のことを彼女に語ったことも何度かある。

 リリルカ・アーデは私の仲間で間違いない。

 

「仲間だからこそ、私は彼女を尊重しただけです」

 

 仮にリリが私となんの関係もない少女であったのなら、私はあの場で剣を振るったかもしれない。女性を囲って攫っていくというのは褒められた行いではないだろう。

 だが、そうじゃなかった。それだけの話だ。

 

「くそっ、くそっ!!」

 

 ヴェルフは壁を全力で殴りつけた。仲間を救えなかった無力さが悔しかったのだろう、拳から血が流れるがその痛みすら今のヴェルフには感じられないようだった。

 

(誰にも必要とされていない、か)

 

 ならば何故ヴェルフはこんなにも己の無力さに打ちのめされているのだろうか。

 ベルから離れることは確かに彼女の本意であった。しかし、それをする理由は彼女の嘘だ。自分に言い聞かせていただけだ。必要とされていないと、一緒にいるとベルを不幸にしてしまうと自分に言い聞かせ、諦めさせていただけだ。

 

(ああ、確かに私はリリを必要としてはいないな)

 

 だからこそ、救うべきは私ではない、私であってはいけない、心の伴わない救いは救いではない。それはただの偶然、幸運にも誰かの倒して欲しい敵と私が倒した敵が一致しただけの出来事。

 彼女は救われるべきだ。きっと彼女も心の奥底、自分で閉じ込めてしまった希望を抱えている。涙を流すのは、誰かにその悲しみを気付いて欲しいからではないだろうか。

 

「リリは間違ってましたね」

「あ?」

「ベルは、少なくともベルはリリと一緒にいて幸せそうでしたから」

 

 一度ベルはリリを救った。その後一緒に冒険をして、助けて助けられ、お互いを支えながらベルは笑っていた。少なくとも彼は不幸なんかではなかった。

 

「彼女は救われるでしょう。必要としている人も、救いたいと思っている人もいるのですから。ただ、それは私じゃない」

 

 今どこかにいるであろうベルを思い浮かべる。家族を最も大切にしたいと思っている私の主神を思い浮かべる。そして、目の前の鍛冶師を見る。

 

「ですから、道くらいは切り開きましょう。やはり大人数で囲って女性を攫うというのは良くないですからね」

 

 必要とされていないと言う誰かを救うのは、その人を必要としている者であるべきだ。

 

 

■■■■

 

 

 どうしてこうなったのかと、ふとベルは思った。めまぐるしく変わっていく状況に、彼の思考はまだ追いついていなかった。

 

 ホームの様子を見ていた廃墟を襲撃されてから数十分、ベルはヘスティアを抱えて逃げ惑っていた。今はなんとか相手を撒いて地下水路に身をひそめている。

 途中最初に襲撃をしかけてきた青年、ヒュアキントスが追いつきあわや捕まりかけたが予想外の援護により窮地を脱した。ヒュアキントスを足止めしていたであろうアゼルがどうなったかなどベルの頭にはもうなかった。

 とにかくヘスティアを安全な場所に連れていかなければという一心でベルは走った。

 

 神であるヘスティアは致死の怪我をしたら最後、天界へと送還されてしまう。そうならなくとも捕まってしまえば人質にされたらベルは従うしかない。そう思い至ったベルは急いでギルドへと逃げ込もうとしていたが、未だ目的地は遠い。

 

「ベル君」

「は、はい神様」

 

 抱えて走っていた関係でヘスティアは肉体的な疲れは皆無だ。反対にベルは普段と違い一人抱えて走ったので体力の限界が近い。決して綺麗とは言えない地面にベルは座り込んでいた。

 

「アゼル君から聞いたよ。ベル君が喧嘩をした理由」

「え、あっ」

 

 ベルは二日前のことを思い出して赤面した。あの時、結果としてヴェルフが最初に手を出したが、殴りかかろうとしたのはベルだった。そしてその引き金となったのは相手がヘスティアを侮辱したことだ。

 

「嬉しかったよ」

「あ、あの、それは……」

「君が僕のことを大切に思ってくれているって、分かった」

「え、えぅ」

 

 ヘスティアは座り込んだベルの前に膝立ちとなる。両手で頬に触れながら彼女はベルの顔を上げて見つめ合う。優しさと決意に満ちた目をベルは見た。今まで見たことのない類の表情だった。

 

「ううん、僕だけじゃない。アゼル君やサポーター君、ヴェルフ君のことも。君は自分より他人を大切にする。そんな優しい君が、僕は大好きだよ」

 

 ヘスティアは一度目を閉じて、最後の心の準備をした。ベルは固唾を呑んでそんな彼女を眺めているだけだった。

 

「僕は腹を決めた。この勝負、全部君に賭けるよ」

「え」

「もうギルドには行かなくていい、目指すは西南だ」

「そ、そこには?」

「行けば分かる」

 

 そう言ってヘスティアはベルに触れていた手を離して立ち上がった。行こう、と言って彼女はベルに手を差し伸べる。それは初めてベルとヘスティアが出会った時の様子に似ていた。暗い路地裏から光へと導いてくれた女神は、今もベルの目の前にいた。

 

「君は自分が団長だって、ベル・クラネルこそがヘスティア・ファミリアの団長だって言ったらしいね」

「は、はい」

「僕もそう思うよ。だからね、僕は後押しする。言葉なんて幾らでも重ねられる、誰にだってできる」

 

 ヘスティアが何を言おうとしているのか、自分に何をして欲しいのかベルはなんとなく理解した。その眼差しが今彼を試そうとしている。わざわざ危険へと身を投じ、試練を与えようとしている。

 神々の試練だ。しかもヘスティアは己すらそのチップに数えている。

 

「だから、ベル君」

 

 差し伸べられた手をベルは強く握った。引っ張られる力は弱い。見た目通りのひ弱な腕でヘスティアは精一杯ベルを引っ張り上げる。そんな弱い力でも、ベルは立ち上がった。否、立ち上がらずにはいられなかった。

 

()()()()()

 

 いつもより厳かな声は、湿った地下水路の中に響いた。幼い見た目をしていても目の前にいるのは人々を超越した神々の一柱だと実感させられる気配だった。

 

「君が守ってくれ」

「はいっ」

「君が救ってくれ」

「はいっ!」

 

 ベルの中に力が渦巻く。恐怖も、悲しみも、喜びも、苦しみも、痛みも、今まで経験してきたすべてを巻き込みながら膨れ上がる。

 今立ち上がらずして何時立ち上がるというのか。守ってくれと救いを求める誰かがいる、それだけでベル・クラネルは戦える。なんと単純、なんと愚直。しかし、それが彼だった。

 

「必ず勝つんだ」

「――はいっ!!」

「さあ、行くぞ! 僕達の底力を見せてやろうじゃないか!! 追い詰められたら兎だって牙を向けるってことを教えてやろう!」

 

 その声と共にベルはヘスティアを抱えて地下水路から飛び出す。追手に気付かれたがもうそんなことは関係ない。走る、ただ一直線に走る。誰よりも速く、吹き荒れる風よりも疾く、その闘争心が燃え上がり加速する。

 豪速で突っ走るベルとヘスティアが目指したのは西南――アポロン・ファミリアのホームだった。

 

「ベル・クラネル!?」

 

 一足でホームを囲う壁を飛び越え降り立ったベルにホームに残っていた団員たちは驚きの声を上げた。しかし、ベルはそんな彼等を無視して主神がいるであろう最奥を目指す。追いつける者など誰もいなかった。

 

「アポロン!」

「やあヘスティア。こんなところまで乗り込んできて、どうしたというのかな?」

「言うまでもない」

「ふ、そうか。漸く諦めてく」

「受けてやる!」

 

 アポロンの台詞を遮りながら、ヘスティアは大声で宣言した。その意味する所を理解するのに時間がかかっているのかアポロンとその団員たちは固まった。

 

「『戦争遊戯(ウォーゲーム)』受けて立ってやる!!!」

「なっ」

 

 予想外だったのか、アポロンは少し動揺した。予定では街中を追いかけ回し諦めさせてベルとついでにアゼルを手に入れるつもりだったのだ。

 しかし、動揺したのも一瞬。すぐに表情を戻して笑みを深めた。何も変わらない、そう思ったのだ。

 

「そうかそうか」

「でも開催は一週間後にしてくれ」

「おいおい、それは虫が良すぎないか?」

「虫が良いも何も、こんな選択をする必要になったのは街中で暴れてるのは君の団員達のせいだ。それにやるぞと言ってすぐできるものじゃないだろう」

 

 ヘスティアが言っていることは尤もだった。『戦争遊戯』を開催するにあたって、ルール決めや場所の確保などすることは色々ある。

 

「良いだろう。しかし一週間は長過ぎる、三日だ」

「アポロン、何も無条件とは言っていないよ」

「ほう? ではヘスティア、お前は何か私に差し出せるのか?」

「ああ、開催を一週間後にする代わりに一つルールを追加する」

 

 それが何なのかベルすら知らなかった、知っているのはヘスティアとその場にいないアゼルだけだ。

 

 

 

「この『戦争遊戯』の間、どのような条件の勝負であっても――――アゼル・バーナムはその【ステイタス】を封印して参戦する」

 

 

 

 ヘスティアの声が広間に響く。誰も何も言わない。

 

「く……くっく、くくっくっははは!!!」

 

 静寂を破ったのは男神の笑い声だった。

 

「正気かヘスティア? お前の二人いる眷属の内、最高戦力であるアゼル・バーナムを封印すると言ったか?」

「ああ、言った」

「そうか、そうか……私も舐められたものだ。そこにいるベル・クラネル一人で勝てると思われるとはな」

 

 ひとしきり笑った後アポロンは溜息を吐いた。

 

「いいだろう、その条件を飲んでやる。開催は一週間後、その代わりアゼル・バーナムの【ステイタス】は封印される」

「ああ、それで問題ない」

 

 もう語ることはないとばかりにヘスティアは振り向いて広間から出て行く。ベルは若干戸惑いながらもヘスティアの後ろを歩く。

 

「ベル君、これが僕とアゼル君が君に与えられる時間だ」

「でも、アゼルが」

「君が団長だ、アゼル君もそう言っていた。だから、君にすべてを託す」

 

 それに、とヘスティアは続けた。

 

「【ステイタス】がなくったってアゼル君は強い。他でもない君が一番知っているだろ?」

「あはは、そうでした」

「一週間だ。その間に強くなってくれベル君!」

「分かりました」

 

 アポロン・ファミリアの団員たちが慌ただしく駆けまわって『戦争遊戯』の開催を街中へと広げる中、ベルは静かにその決心を固めた。

 

「ヘスティア・ファミリアは、僕が守ります」

 

 

 

 

 

 

 『戦争遊戯』開催決定。

 対戦者:ヘスティア・ファミリア、アポロン・ファミリア。

 対戦形式:未定。

 対戦場所:未定。

 対戦日時:今日より七日後の朝から。

 

 特殊制約:ヘスティア・ファミリア所属レベル3冒険者【剣鬼(クリュサオル)】アゼル・バーナムはその【ステイタス】を封印して参戦するものとする。

 

 

 そんな張り紙が街中至るところに貼りだされ、娯楽に飢えたオラリオの神々は大いに盛り上がった。

 

 完全なイジメであると笑う者。

 強敵相手には滅法強いのがベル・クラネルであると期待するもの。

 【ステイタス】を持つ冒険者達の中に、それを封印して飛び込むとんでもない馬鹿がいると面白がる者。

 様々な感情が交差する中、ベル・クラネルの団長としての初めての戦いが始まろうとしていた。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。

今回の更新はここまでです。
うーん、まだ結構続きそうですね…後10話くらいかかるかもしれません。

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