剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか 作:REDOX
宴などというものに私は今まで一度も参加したことはない。そもそも出身は建物より木々の方が多い田舎であったし、オラリオに来てからも専らホームとダンジョンを行き来しているような生活だ。
宴などという優雅な夜の世界との接点など皆無だ。
「うーん、落ち着きませんね……」
そんな私だが、現在は普段着ることもない格式張った礼装に袖を通している。まさか自分が燕尾服を着る時がくるとは露程も思っていなかったが、着てみると普段の軽装と比べると動きづらい。
服を着ているというより着られている感じが否めない。
「それにしても」
辺りを見渡す。豪華絢爛という単語が相応しいパーティーホールはきらびやかな装飾があちこちに施され、だからといって悪趣味というわけではなく全体として調和が保たれている。天井から吊り下がる明かりは優しく夜の世界を照らし、普段いる酒場等の喧騒とは切り離された異世界に来たのではないかと思わせる。
近くには私と同じく着慣れていない燕尾服に身を包むベル、普段とは違いフリルが多く施された青のドレスを着るヘスティア様、節制しているから宴には行かないミアハ様とその眷属であるナァーザさんを始め、多くの知り合いがいる。つい最近会ったヘファイストス様は普段の男装とは打って変わって黒のドレスを着ていて新鮮だった。
「色々な人がいますね」
そして、そのホールにいる者達もまた同じように着飾っている。私と同じように燕尾服を着る男性冒険者や、胸元が大きく開いたドレスを着る女性冒険者。肌を隠しながらも、その魅力を余すこと無く魅せるエルフの女性、筋肉でパンパンの礼装を着ているドワーフなど、多種多様な冒険者がホールを歩いている。
そして、その傍らにはその主神――神々がいる。いや、逆というべきか。神々の連れ添いに冒険者達がいるのだ。
「こういう宴はなかなかに珍しいからね」
ヘルメス様は私の横に立って行き交う神々の説明をしてくれた。その傍らでアスフィさんも興味深そうに辺りを見渡している。
既に宴の開始の挨拶が終わり、主神達は主催者であるアポロンの方へと足を運んでいた。
「普段は主神だけの宴なんだが、今回は眷属一名同伴ときた。まあ、アゼル君のところは二人招待されたようだけど」
「二人しかいない眷属の間に差ができないように、という
「――やっぱり、何かあると思うかい?」
そう、現在私達がいるのは普段の廃れた廃教会などではなく宴のために貸し切られたパーティーハウスだ。豪華に着飾った冒険者達は主神の付き添いで宴に参加している。そして、それを開催したのがアポロン・ファミリアの主神アポロンだ。
ダフネさんとカサンドラさんから招待状を受け取ったのが昨日、急いで服やら馬車やらを用意をして翌日の今日に宴が開催された。
更にその前日、ベルはアポロン・ファミリアの一団と乱闘騒ぎを起こしている。終いにはダフネさんの「ご愁傷様」という台詞。悪い予感しかしないのは、私だけではないだろう。
「あるでしょうね……まあ、もうここまで来たら仕方ないですし、楽しむことにしますよ」
「アゼル君はなかなか肝が座ってていいねえ、是非うちに欲しいよ」
「私はヘルメス様が主神なのは嫌ですね、普通に」
「非道い!?」
ヘルメス様はアスフィさんに目を向けると彼女は途端に目を逸らした。その行動に男神は更に落ち込んだ。私は思わず笑ってしまい、補足しておいた。
「いえ、ヘルメス様がどうこうではなくてですね。私としては常にホームにいて【ステイタス】の更新をしてもらわないと困るんですよ」
「なるほどね、確かに僕は色々とホームから出払っている時間が長いからね。君みたいに一日で成長するタイプとは合わないか……」
「そもそも一日で成長する冒険者が異例ですけど」
慰めのつもりなのか、アスフィさんが付け加えた。
ヘスティア・ファミリアに身を置く私としては、比べる相手がベルしかいないのでそこまで違和感がないのだが、やはり私やベルの成長速度は異常の一言らしい。神々もこぞってその理由を探っているとか何とか。
「あの、アポロン様ってどんな神様なんですか?」
そう尋ねたのはベルだった。この後主催者に挨拶するついでに二日前のことを謝りにいくから、その前に性格等を知っておきたいのだろう。
「面白いやつだよ。俺は天界から付き合いがあるけど、見ていて飽きない。【
ヘルメス様の説明の意味がわからなかったベルは首を傾げた。私も、ヘスメス様が面白がるくらいなので碌な神ではないことだけは理解した。
「色恋沙汰の話題が尽きない奴さ。恋愛に熱い神と言っても良い。なあ、ヘスティア?」
「知らないよっ!」
何故かその説明にヘスティア様は異様に反応したところを見ると彼女とも何か関係があるのだろう。
「後は、そうだな――執念深い」
今までより一層無邪気な笑みでヘルメス様はそう言った。まるでこれから何か面白いことが起こると分かっているような顔だ。執念深いという言葉の真意を聞こうとベルが口を開こうとした時、広間の入り口からざわめきが広がった。
「おっと……大物の登場だ」
視線を向けずとも分かった。その圧倒的な存在感は、今まで幾度も感じてきた。その視線は今までなんども向けられてきた。一時とは言え、彼女の血を糧に超常の力を扱っていた私は特に彼女には過敏な節がある。
「フレイヤ」
美を愛し、美に愛され、世界のすべてを魅了する美の女神。銀の髪は月明かりよりも美しく、銀の双眸に見つめられたら最後彼女の虜になってしまう。その身体を惜しみなく魅せつけるように露出の多いドレスも美しいが、やはり女神本人の方が美しい。
憎いほどまでに、女神フレイヤは美しかった。
彼女は世界を照らす月の如く、人の手には届かない存在。だからこそ、美しい。
彼女はそれ以上筆を加えてはいけない一枚の絵画の如く、完全にして完璧。だからこそ、美しい。
「――ぬっ!?」
他の客と同じようにベルがフレイヤに見惚れていることに気が付いたヘスティア様はすかさずベルに注意した。
「フレイヤを見るんじゃない、ベル君!!」
「へあっ!?」
まさか女性に見惚れていただけで叱られるとは思っていなかったベルは驚いた。ヘスティア様としては自分以外の女性に見惚れていたから怒ったという可能性もなくはなかっただろう。
しかし、見惚れていた相手がフレイヤとなると話が変わってくる。
「子供達が美の神を見つめると、たちまち虜になって魅了されてしまう!」
その感覚を私は知っている。何度か体験した上、ただ瞳によって支配されかけただけでなく直に触れられこともある。抗いがたい感覚が身体を支配し、思考ができなくなり、視界もぼやける。相手の言いなりになってしまいたいとすら本能で思うようになってしまう。
魅了とは毒のようなものだ。
そんな毒をまるで空気を媒介して感染させてしまうのが美の神々だ。彼等彼女等は滅多にそのまま外出したりはしない。姿を隠したり、神であること自体を隠して出歩くのが日常だ。
しかし今日は神の開いた宴であり、神であるフレイヤが招待されたのだから彼女は惜しみなく自分の美を振りまく。
そもそもフレイヤが住居であるバベルの塔の最上階から出てくること自体が珍しく、ここ最近二度開かれた神の宴の両方に出席していることが異常だとヘスティア様が説明した。明らかに何か狙いがあるということだ。
恐らく、私とベルという彼女が見初めた存在が目的であることをヘスティア様は知っている。
「――ぁ」
懲りずフレイヤを見ていたベルがか細い声を出した。
フレイヤはベルに視線を向けて微笑んだのだ。美の神としての魅了ではなく、ベルはただ綺麗な女性に照れているが、それも時間の問題だ。近付き、触れられでもしたらベルとは言え魅了は免れないだろう。
靴を鳴らしながらフレイヤはこちらに歩いてくる。その後ろにはオッタルが控えているが、やはり多くの注目を集めているのはフレイヤだ。近づいてくる彼等を見ているとオッタルと目が合った。
数瞬でお互い視線を外す。目は口よりも語ると言うが、目ですら私達に語ることはない。語るのはお互いの剣で事足りる。そして、それは今ではない。
「来ていたのね、ヘスティア。それにヘファイストスも。神会以来かしら?」
「や、やぁフレイヤ、何しに来たんだい?」
微笑みを浮かべながら挨拶をしてきたフレイヤ様に、動揺しているのかヘスティア様はかなりおかしい挨拶を返す。まるで威嚇するような挨拶だが、考えてみると笑みというものは元々威嚇目的であったという話もある。
「ただ挨拶しに来ただけよ。珍しい顔ぶれがいるものだから、つい足を向けてしまったの」
彼女がここにいることもそれなりに珍しいらしいが、誰も彼女にそのことは指摘しなかった。したところで何が起こるわけでもないし、フレイヤの性格が変わるわけでもない。そんなことで変われる神ではないのだ。
彼女の言う珍しい顔ぶれに視線を向け、彼女は最後にベルを見た。あろうことか、向けられた銀の瞳を真っ直ぐ見返してしまったベルは固まって喉を鳴らすだけだ。
そんなベルに、フレイヤは自然な動作で手を伸ばした。そのあまりの唐突な行動に警戒していたヘスティアすら反応が一瞬遅れてしまった。当然、ベル自身がその手から逃れることはない。
仕方なく、目にも留まらない速さで私は伸ばされるフレイヤの手に手を伸ばす。オッタルも私に敵意を感じなかったからか反応を示さない。
なんとかフレイヤの指がベルに触れる寸前で私は彼女の手を掴んだ。
「アゼル君!?」
驚くヘスティア様の声はとても遠く聞こえた。
触れた手の先から甘い痺れが電撃のように身体中へと走る。思考を銀の光が埋め尽くそうと私の中を這いまわる。身体が支配されていく、心が侵されていく。何もしていない相手に、触れただけでこうなってしまう。
――
心臓が一際強く脈打った。自分が自分でなくなっていく感覚を、また違う感覚が上塗りしていく。心臓から広がる熱は、私を私足らしめる願いの熱。ただ一振りの剣であろうと、すべてを斬り裂こうと願った私の中で燃える炉。
余りにも愚かな願いを、馬鹿らしいほど強く願ってしまった私が手に入れた――――斬撃という奇跡。
――
戸惑いなどなかった。一思いでその甘美な感覚を斬り裂く。音もなく、刃もなく、見えもしない、触れられもしない何かを私は斬った。理解などできるわけもなく、説明のしようもない。斬り裂くことは私の心臓が脈打つと同等故に。
自分が生きている、その事実を誰が理解できようものか。脈打つ心臓は生まれた時より備わっていたのだ。
フレイヤの熱が私を駆け巡ったのも一瞬、私の中からそれは消え去った。
思考はクリアになり、己の熱は一気に引き身体が冷たくなる。魅了は、もう私には通用しない。
「だ――」
「こんばんは、女神フレイヤ」
私の安否を確認しようと声を上げたヘスティア様を遮って、私はフレイヤに挨拶をする。誰もが直視することを戸惑うその瞳を私は真っ直ぐ見つめた。自らの意志を固く保ち、鉄の塊のように冷えきった視線を送る。
驚くでもない、怒るでもない。その時フレイヤは笑った。蠱惑的な笑みは、見る人が見れば恋人に出会った少女の笑みのようにも、男を誘う娼婦のようにも見えた。だがどちらも総じて美しく、男を魅了する。
「ふふ、久しぶりねアゼル。元気そうでなによりよ」
「貴女に心配してもらえるなんて、男冥利に尽きますね」
不敵な笑みを返す。そんなわけがないだろうと言いたかったが、そう言ったところで彼女を喜ばせるだけに違いない。彼女は噛み付いてくる者でも愛していれば可愛がるような神だ。
「それにしてもアゼル。突然女性の手を取るのは、あまりよろしくないわ」
「人の眷属に手を出すのは、もっとよろしくないのでは?」
「ふふ、ごめんなさい。つい」
つい、で眷属を骨抜きにされたらヘスティア様も堪ったものではないだろう。
素直に謝ったフレイヤだったが、その表情に申し訳無さなど微塵もなかった。むしろ彼女は誇らしげな表情すら浮かべていた。
――仕方ないでしょう、それが私なのだから
そう思っていることが一目で分かった。
「それで、私の手を取ったからにはきちんとエスコートしてくれるのでしょう?」
「さて、私は田舎者なのでレディのエスコートの仕方なんて微塵も知りません」
「そう、じゃあ私が教えてあげるわ――手取り足取り、ね」
それほど強く彼女の手を握っていたわけではない。フレイヤは私の手から自分の手を抜き、私に差し出す。その手を取るかどうか数秒考え、ヘスティア様のためにも彼女をベルから引き離そうという結論に至った。
いつも掛けている迷惑、これから掛ける迷惑の分だ。私は自重する気はないので、せめてベルに関しての心配は少なくしてみよう。
「ご教授お願いします」
仕方なく、私はその手を取った。周囲は呆気にとられているが、私はフレイヤが示すように手を身体の前に持って行き肘を曲げ、半歩彼女の前に出て待つ。そっと、まるで重さなどないと錯覚してしまうほど柔らかに、フレイヤは腕を組んできた。
距離が縮まる。すぐそこに世界の美を凝縮したような存在がいる。それは常人にとっては狂おしいほど手に入れたいものだろう。壊してでも、死んででも、殺してでも我が物にしたいと思う者もいるだろう。
だが、私はいらない。美しくなくとも剣は斬り裂く故。
「ふふ、じゃあ行きましょうか。ヘスティア、貴方の子少しの間借りるわね。ちゃんと返すから安心して頂戴」
「ベルとダンスでもしててくださいヘスティア様」
「え、あ、うん」
ヘスティア様には私が魅了に対する対抗手段があることは言ってあったが、それでも知っていることとそれを目の当たりにすることには大きな差があったのだろう。私がどのようにして美の神の魅了に打ち勝ったのか理解ができていないのか、返事が素直だった。
ヘスティア様のフォローをお願いするためにヘファイストス様に申し訳程度に頭を下げておいた。タケミカヅチ様はヘスティア様同様あまり宴に来たことがないようなのでお願いはできなかった。ヘルメス様はそもそも選択肢に入っていない。
ヘファイストス様は苦笑をしながら小さく頷いて了承の意を示した。
いつもより歩幅を狭くするように意識しながら歩く。隣を歩くフレイヤはゆっくりと、美しい所作で足を進める。靴のヒールが軽く音を立てるだけで彼女はその場の注目を浴びる。歩く、ただそれだけの行動が人々を魅了する。
「何がそんなに嬉しいのか、私には理解し難いですね」
余裕の笑みを浮かべるフレイヤを見て喜んでいると分かる人物はどれだけいるだろうか。彼女はそもそも笑みを絶やさない。見たことはないが怒りながらも微笑むだろうし、喜ぶときも微笑むのだろう。
だが、触れた手から伝わってくる、流れ込んでくる。銀色の感情が止めどなく、隠すことなく、むしろ魅せつけるように突き刺さる。
「どうしてだと思う?」
「……人々の注目を集めているからでしょうか」
「そんなこといつもの事よ」
宛もなくテラスの方へと向かう。既に太陽が沈み暗くなった外を眺めるために外にも幾つかテーブルと椅子が用意されていた。星々が輝く夜空の下へと出ると、今まで後ろに控えていたオッタルがテラスの入り口で待機し、フレイヤと二人になる。
「私に斬られるとは思わないんですか?」
「オッタルならこんな距離あってないようなものよ」
「それもそうですね」
言われてみれば、オッタルなら一足で距離を詰めることもできるだろう。流石にフレイヤを斬る代わりにオッタルに殺されるのはごめんだ。それならまだオッタル本人に喧嘩を売った方が万倍も有意義だろう。
「それで、何で私が喜んでいるのか分かったかしら?」
「さあ……今夜は月が綺麗だからですかね」
「それも、いつものこと。だって月は私だもの」
道すがら給仕係から受け取ったグラスを月に掲げながら彼女はそう言った。月明かりに照らされる彼女の銀髪はその色を更に魅せつける。否、彼女の髪は月光そのものなのかもしれない。そう思わせるほどまでに、この世のものとは思えない美しさを孕んでいた。
背筋が震えるほどまでに美しい。美しさに恐怖を感じたのは初めてのことだった。
「私が喜んでいるのは、貴方が嘘を吐いたこと」
「……なんのことやら」
「嘘を吐いてまで私といたくなかったのに、こうやって貴方を連れていることが堪らなく嬉しいわ」
「人の嫌がることはするなと、教えられたことはないですか?」
「あら、神々にものを教える存在なんていないわ。それに私はフレイヤ、自由奔放であってこそだもの」
まったく悪びれることなく彼女はそう言ってのけた。流石は神、不変にして不死。神であるから、ただそれだけの理由で行動する存在。だが、考えてみればそれは人と何が変わるだろうか。
私は私だからというだけで剣を持つ。ベルはベルというだけで人々を救おうとする。確かに人は死ぬだろう、心は移ろうだろう。しかし、違いなどそれくらいしかないだろう。
「好きな子には悪戯をしたくなってしまうの」
「他の冒険者ならまだしも、私はその気になれば貴方を傷付けることもできますよ」
「このくらいで貴方が怒らないことくらい分かっているもの。ここは宴、剣を振るうには無粋な場所でしょう?」
「……そうですね」
見透かされていることが少し不快だったが、言っていることはその通りなので肯定する。例え、この場で剣を向けられても私は乗り気にはなれない。振るうべき時に振るう、それでこそ剣士だ。
「ふふふ、それにしても本当に貴方は面白いわ。前にも増して魂の色が輝いている。まるで人じゃなくなってしまったよう」
「……人でなくとも構いません。剣が握れれば、人であることなど些事です」
「そう言ってのける貴方だからこそ、私は欲しいの。人は自然と人でいたいと思ってしまう。でも、貴方はそうじゃない。自分の目的のためならどこまでも行ってしまえる狂人。そんな貴方が、私は好きよ」
そう言えば、【
「あら、音楽が始まったみたいね」
ホールの方から楽団による演奏が始まった。初めて聞く曲だったが辛うじて三拍子から成るワルツであることが分かった。
「一曲踊りましょう。ワルツなら、踊れるでしょう?」
「……」
「ふふ、月夜の出来事を私が知らないわけないでしょう?」
ああ、確かにあの夜月は私とリューさんを照らしていた。僅かにフレイヤを睨むが、彼女はどこ吹く風とばかりに余裕の笑みを浮かべていた。小さく溜息を吐いた後、私は恭しく頭を垂れて手を差し出す。
「私と踊っていただけますか、レディ?」
「ええ、喜んで」
フレイヤは私の手に自分の手を重ね一歩近づいてきた。整った顔立ち、輝く銀髪、月の如き瞳。彼女を構成するすべてが彼女の美しさを引き立てる。だが、そう思い返してみると私は月の瞳より空の瞳の方が好きだ。
そう思ってしまえば、心はいつものように落ち着く。
「レディと踊ってる時に他の女性のことを考えるのはマナー違反よ?」
「貴女の悪戯に対するお返しですよ」
「酷い仕打ちね。ええ、でも簡単に靡かないというのも面白いわ。愛し甲斐があるというものよ。でも私嫉妬深いから気を付けたほうがいいわよ?」
「彼女に何かしたら――――それこそ、私は貴女を斬りますよ」
「踊ってる最中にそんな怖い顔しちゃだめよ」
誰のせいだと言ってやりたかったが、言った所で彼女は自重するとは思えないので言わない。
フレイヤの身体に触れて、私の身体は精神と関係なく喜びを覚える。気を抜いてしまえば心を蝕むほどに、美の女神に直接触れるということは危険だ。しかし、支配される気は毛頭ない。
私の心は、他でもない私という
「こんなに私に触れて、こんなに私の声を聞いても魅了されない子供がいるなんて。世界はまだまだ面白いわ」
踊りやすかった。フレイヤが次どのように動きたいのか分かるということではなく、自然とフレイヤの踊りに巻き込まれていた。踊りは美の女神の領分ということだろう。相手がそれで満足するなら、私は彼女に任せることにした。
どこか敗北感があったが彼女に負けた所でなにかあるでもないし、張り合えば張り合ったで喜ばせてしまう。何をしても彼女は喜ぶだろうことを考えると、彼女は幸せな神生を送っているのではないかと思う。
彼女が動く度に髪の毛が後を追うようにして流れる。動きの一つ一つが洗練されていて、気を抜けば見惚れてしまう。彼女は完成された存在、完璧に磨き上げられた芸術、僅かな濁りもない純粋な美の化身。
(だが、私は貴女に惹かれない)
美しくあるべきは私という人間ではなく、私の振るう剣技だ。血を流し、涙を流し、嘆きを叫び、誰から見ても醜い存在に成り果てたとしても、すべてを斬り裂く剣戟が、振るわれる刃が打ち鳴らす鈴の音が、その斬撃に込められた想いが美しければいい。
むしろ、私は醜くあるべきなのかもしれない。己を貫きながらもその事実に苛まれ、己を傷付けながら歩み続ける私は、美しくあるべきではない。綺麗なまま歩めるほど易しい道ではない。
「私は、貴女達からしたら矮小な存在でしかありませんよ。些細なことで傷付き、喜び、嘆き悲しみ、それらの傷を抱えながら生きて死ぬだけの存在だ」
「ええ、そうでしょうね。でもねアゼル、私達はそんな存在を愛しているからここにいるの」
フレイヤの瞳に優しさが映った。自分を卑下するなとでも言っているかのように、彼女は慈愛に満ちた眼差しを送ってきた。
「終わりのようですね」
気が付くと音楽が止まっていた。背中に回していた腕を解き握っていた手も離す。近くのテーブルに置いた自分のグラスを取りに行く。
「アゼル」
真剣な声色だった。静かに鳴く虫の声も、次の曲に入った楽団の音楽も、話に花を咲かせる人々の声も、すべてが意識から外れる。彼女の声には人を惹き付ける力がある。
「罅の入ったガラス玉を見たことはあるかしら?」
「いえ」
「覗き込むと色々な色が見えてとても綺麗で私は好きよ」
「そうですか」
「だから――」
隣まで来たフレイヤが顔を寄せ、頬に唇が触れる。
「――貴方は人でなければいけないわ」
甘い痺れが走るが、もう慣れ始めていたその感覚に惑わされることはない。数秒もすると痺れが引き、私を見つめるフレイヤの顔が見えた。
「楽しかったわアゼル。今のはそのお礼」
「別に礼なんていりませんよ」
「あら、女神の口付けなんて早々してもらえることじゃないのよ?」
そういう意味ではないことは彼女も分かっているだろう。私はただフレイヤをベルから離したかったためだけに彼女の誘いに乗った。利用しただけなのだから、お礼を言われる筋合いはない。
「まあ、楽しんでいただけてよかったですよ。エスコートはこれにて終了ということで」
「ふふ、そうね。じゃあ、私は他の神に挨拶でもしてくるわ。おやすみなさいアゼル、良い夢を。貴方がどんな色を魅せてくれるのか楽しみにしてるわ」
そう言って彼女はホールの方へと歩いて行った。オッタルは数瞬私に視線を向けたが、すぐにフレイヤの後を追った。次会う時は戦場で、そう言っているような気がした。
見下ろす月に手を伸ばす。
剣はその刃の範囲でしか斬れない。だが、刃なくして斬れるというのならそんな常識すら覆せるだろう。刃の届く範囲などあってないようなものにしてみせよう。斬撃を飛ばすのではなく――
「――彼方の月だって斬ってみせますよ」
彼女の言葉がリフレインする。人であるべきだと、まるで私を気遣うように彼女は言った。だが、私には分かる。少なからず、彼女と同じように何処まで行っても自分本位な生き方しかできない私には彼女の考えが伝わっていた。
私のためにそんなことを言ったのではない。彼女は傷付きながらも剣を振るう私を見たいためだけにああ言った。
グラスに残った飲み物を一気に飲み干し、ホールに戻ろうとする私の前に一人の女性が待ち受けていた。
■■■■
「ねえ、オッタル」
「はい、何でしょうかフレイヤ様」
「今のアゼルはどう?」
再びホールへと足を踏み入れ注目を集めているが、そんな輩を全員無視しながらフレイヤはオッタルに話しかけた。
「……以前に比べれば格段に強くなっています。しかし」
「しかし?」
「分かりません」
オッタルのその答えにフレイヤは僅かに首を傾げた。そんな女神を見てオッタルは更に言葉を重ねる。
「貴女の魅了に
「へえ」
「強いでも、弱いでもない。ただ得体が知れないナニかを感じました」
それは言ってしまえば人が神に感じるような感覚に似ているようにオッタルは思った。神は向かい合っただけでその存在の力を示し、神であると理解させる。
「じゃあ、質問を変えるわ」
フレイヤは立ち止まってオッタルを見上げた。
「貴方なら勝てる?」
「無論、フレイヤ様がそう望むのなら私は必ず勝利します」
「ふふ、そうだったわね」
オッタルの答えなどフレイヤは分かっていた。分かっていたのに質問したのはオッタルの言葉が聞きたかったからだ。自分の最も近くで仕えている従者が愛しくて仕方ないのだ。
「これから楽しくなりそうね」
「なんなりと命じください。私は貴女のために生きているのですから」
「ええ、その時はお願いねオッタル」
いつもと変わらない自分の従者の忠誠心に機嫌を良くし、フレイヤは微笑みを浮かべながら宴へと戻っていった。
閲覧ありがとうございます。
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