剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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 ええ、連日投稿はあれまでと言いつつ投稿してしまうのは読んでいただいて嬉しいからです。
 感想で何人かの方に指摘された「切る」と「斬る」ですが、ちゃんと意味を調べて考えた結果「斬る」を採用することにしました。これまでの話でも修正をしました。タイトルの方も変えるかは少し考えているところです。まあ、そこまで気にしていない人もいると思いますが、一応報告です。

 言っておきます、私はリューさんが好きです。


そして因縁は始まる

「只今戻りました」

「ベルさん!?」

 

 席に戻った私が、ベルに話しかけるのと、座っていたベルが椅子を蹴飛ばしながら走りだすのはほぼ同時であった。その後を急いで追うシルさんを見送った私は、訳がわからず立ち止まった。

 彼の座っていた足元を見ると、血でできた赤い点が幾つかあった。

 

「ふむ」

 

 お手洗いに行っている間に何か色々と起こったようだ。思いの外、思い出に浸りすぎていたらしい。

 ベルの席、現在は空席だが、の隣の自身の席へと再び腰を下ろす。料理は少し冷めていたが、まだまだ絶品と言っても過言ではないほど舌を喜ばせた。

 

「何が起こったのか、聞かないのかい?」

「聞いたところで、私にできることは何もありませんから」

 

 ただ、斬ることしかできない。つまるところ、私は荒事でも極一部の時にしか真価を発揮できない。私が斬るという意志を持って触れれば相手は切断され、死に至る。それは、強いだろう。あまりに強力すぎるために、使用できる場面が限られるほどに強い。

 斬らない、という選択肢もある。斬らない事を選ぶ。つまり、相手に刃を押して、打撃として攻撃することも、可能といえば可能である。しかし、私の悪い癖とでも言うべきか、斬らないことを選ぶことは極力避けてしまう。

 

「それでも、貴方は彼の仲間ですか」

 

 突然、後ろから話しかけられる。非難の色を濃く滲ませたその声に、聞き覚えはあった。むしろ、聞きたい声であった。まさか、相手から声を掛けてもらえるとは思ってもいなかった。

 

「ええ、これでも私はベルの仲間です。貴方がどう思うとね、リューさん」

「なら、追うくらいしたらどうですか」

「さて、状況をいまいち理解できていないので」

 

 明らかに怒気の入った言葉を向けられても、私の心は一切揺れなかった。

 私は確かにベルの仲間だ。同郷の友でもあるし、幼少期を共に過ごした幼馴染でもある。四歳年下ということもあり、弟のように思ったこともある。

 しかし、違うのだ。ベル・クラネルという人物は、弟と思い優しく見守る必要のある人間などではない。私はむしろ、痛めつける側だ。

 

「まあ、何事も経験というものですよ。ベルも、いい勉強になったでしょッ」

 

 言っている途中に向けられた敵意の塊を知覚し、視界を掠める肌色の軌跡を見た。数瞬先に迫るであろうそれに私は手を向けた。

 

「何も、平手で殴ることはないでしょう」

 

 平手が頬に当たるギリギリのところ止まっている。その先、手首を私ががっしりと掴み止めなければ、平手は私の頬にあたり小気味いい音と共に痛みを感じていたことだろう。

 

「ああ、本当になんで今剣を持っていないのか」

 

――パァンッ

 

「ッ」

 

 掴んだほうとは逆の手。一度止めたことで油断していた頬にクリーンヒットした平手はそれは盛大に音を鳴らして私に衝撃を与えた。

 

「離せッ」

 

 掴まれた手を振るい、無理矢理離される。

 

「これは、これは。嫌われたものです」

「こらリュー! 客を殴るたあどういうことだっ!」

 

 一部始終を見ていたミアさんが大声でリューさんを叱りつける。これは目立って嫌ですね。これではまるで。

 

「アゼルやないか! なんやなんや? ウェイトレスに手でも出して大目玉喰らったんか? バカやなあっ!! うちがバレない方法教えたろか?」

 

 そう、それである。これでは、まるで私がリューさんにちょっかいを出して殴られたようにしか見えない。実際ちょっかいは出したのだが。

 

「ミアさん。私は気にしてませんから。初対面の女性に平手で殴られるのも、まあなかなかできない経験でしょう」

「……アンタも大概変な奴だね。リュー、奥は……任せられないから。じゃがいもの皮でも剥いてな」

「せやで、アゼル。何事も経験や! 失敗を糧に生きていく! 次のセクハラは絶対成功させようなっ!」

「ロキ様、一応弁明しておきますけど。私は別にセクハラをして殴られた訳ではありませんからね」

「細けえことは気にすんなや!」

 

 いえ、かなり重要なことなのだが。他人にとっては些末事であるのは確かだ。

 

「というより、いたんですね」

「こっちからしたら、アゼルがここにいるほうが不思議やけどな。そや、一緒にどうや? お代は持つで?」

「では、お言葉に甘えて」

 

 自分のジョッキを持って、ロキ様に連れられるまま店内を移動する。行き着いたのは店内の真ん中に位置する一際大きなテーブル。

 

「皆スペシャルゲストやで! つーても、昨日振りやけどな!」

「どうも、ゲストのアゼルです」

「はああああああっ!?」

 

 何故か宙に吊るされているベートさんが大絶叫。本当に、なんで吊るされてるんでしょう?

 

「狼の丸焼きとは、また豪勢ですね」

「ぶっ殺すぞごらぁッ!!」

「うるっさいわよベート!」

「ぐぺっ!」

 

 私の言葉に咄嗟に罵倒を返してきたベートさんの顔に一発拳をかますティオネさん。あれは痛そうだ。ベートさんはガードすることもできず、ただ皆に殴られたり蹴られたりしていた。

 

「はいっ」

「これは、ご親切にどうもティオナ」

 

 混沌とした状況に飲まれている間にティオナが椅子を一つ持ってきてくれる。

 

「最近よく会うね。って言っても昨日と今日だけか」

「そうですねえ。私としてもロキ・ファミリアのような大手のファミリアと交流を持てるのは嬉しい限りです」

「そう? はい、飲んで飲んで」

 

 というより、私がいることに誰も文句を言わないのだろうか? 何かの祝の席のように感じられるが。

 

「今更ですけど、私いてもいいんですか?」

「いいのいいの。皆飲んで食べて騒ぎたいだけだから!」

「それは大いに満喫しているんでしょうね」

 

 この混沌とした状況を見れば分かる。

 

「にしても、アゼルも災難やったな。エルフっちゅうんわな、気を許した相手にしか肌を触れさせんちゅう、それはもうセクハラしがいのある……ごほん、潔癖な種族なんやで」

「なるほど。だからあそこまで頑なに私の手を振り払ったのか」

「せやせや。だから、別に嫌われてるとかじゃないから、あんま気にせえへんほうがええで」

「嫌われてますよ、きっと」

 

 どうも、彼女は仲間というものに何か特別な感情を抱いているようだった。私にとって、仲間というのはベルしかいない。しかし、ベルとは仲間であって仲間でない。同じファミリアに属し、同じ故郷を持ち、同じ時間を共に過ごしてきた。

 それでも、私は本人が言わずとも、自覚せずとも確実にベルを傷付けてきた。

 

「そもそも原因はなんだったの?」

「いえ、どうにも私の仲間が無銭飲食をして夜の街へと颯爽と走って行ってしまったようで。丁度お手洗いに行っていた間だったので、何がなにやら」

「走り去るって……あぁ。アゼルにはまた迷惑かけてもうたな」

「あぁ、うん。本当にごめんね」

 

 私の説明を聞きロキ様はやれやれと行った風に私の肩を持ちながらジョッキに入った酒を煽った。

 

「というと?」

「ベートがね。その仲間君のこと、雑魚だの、アイズ・ヴァレインシュタインとは釣り合わないだの言って貶しちゃって」

「本当に、この駄犬は!」

「もう、やめっ!」

「本当に、すまないねアゼル君」

「いえいえ、フィンさん。私にはほとんど実害はありませんでしたから」

 

 それにしても、雑魚と言われたのもこたえただろうが、何よりもベルが気にしたのは後半部分だろう。ベル・クラベルにとってアイズ・ヴァレンシュタインは特別だ。

 私もテーブルに置いてある料理に手を付け、酒を飲む。私が今さっきまで飲み食いしていたものより高いのだろう、更に美味である。

 

「ベルも、今まで大事に大事に育てられてきましたから。敵というものが私しかいなかったので、こういった刺激も必要でしょう」

「仲間じゃないのかい?」

「仲間であり、敵でもある。ベルが育つ中、きっと彼はずっと彼自身と私を比較してきたのでしょう。彼は自分を卑下する悪癖がありますから。【ステイタス】がなければ、ベルは私には手も足もでない、赤子も同然でした。それでも、ベルは諦めなかった。彼は、何度地面に倒れようと折れなかった」

「強いんだね」

「ええ、ベル・クラネルは強い」

 

 そうでなくては、困る。老師は言った、私は英雄足り得ないと。では、誰なら足り得るのかと。それは、きっと老師自身がずっと大事に育ててきたベルだろう。

 

 

 

 場所を移動してフィンさんとティオネさんの間に入ったら、殴られた。リヴェリアさんとレフィーヤさんの間には入れなかったので、リヴェリアさんの隣に座りエルフの事をもっと教えてもらった。

 

「あの子の名前、ベル?」

 

 そして、今はアイズさんの隣に座っている。

 

「ええ、ベル・クラネルと言います」

「私の事、怖がってなかった?」

「アイズさんのことを? そんなことありませんよ。むしろ、大変感謝していました」

「この前、ミノタウロスから助けた時……逃げられた」

 

 ベル、貴方は何をしているんですか。いえ、確かにアイズさんの美人っぷりはすごいですが。だからと言って逃げることはないでしょう。

 

「それは、怖がったからではありませんよ。アイズさんが可愛いからテンパッて走りだしただけです」

「かわ、いい?」

「ええ」

「せやで、ウチのアイズたんはめっさかわええ! だから、抱きつかせてええ!!」

「ロキ、うるさい」

 

 自分の容姿に自覚がないのかアイズさんは。そして、ロキ様には容赦のないアイズさん。きっとセクハラを日常的に受けてきたことによる自動迎撃みたいなものでしょう。

 ベートさんとレフィーヤさんが耳ざとく私のいった事を聞き、あーだこーだ文句を言っているが耳に入れないことにした。

 

「まあ、私としては。アイズさんの剣の腕に惚れ惚れと言ったところですね」

「剣の腕は、貴方のほうが上」

「そうですか? 褒められると照れますね。でも、まだまだですよ。老師に勝てるようになるには、まだまだ足りない」

「老師?」

「私の剣の師です。ベルの祖父にあたります」

「でも、あの子は」

「ええ、手ほどきを受けていません。元々教えるつもりもなかったようです」

 

 不思議な話だ。どこの馬の骨か分からない私には毎日のように剣の稽古を付けてくれるのに本人の孫には一切しない。今思えば、この時のための布石だったのかもしれない。

 爆発的な成長。それには必ず願望が必要だ。その願望がなんなのか、本当のところは知らないが、強くなりたいと思うことは大事なことだ。常に側に私という強者がいたベルは、常々もっと強くなりたいと言って燻っていた。

 

「てめえ! アイズから離れやがれ!」

「おっと」

 

 漸く吊るされた状態から解き放たれたのか、ベートさんは一目散に私とアイズさんを引き離した。レフィーヤさんがこの時ばかりはベートさんにでかした、とグーサインを出していた。

 

「そろそろ、私も行くとします」

「どっか行くんか? もう夜やで」

「ええ、友人を迎えに行かないといけませんから」

「さっきの子かあ。ほんま悪いことしたなあ。で、どこ行ったか見当はついてるんやろな?」

「ベルのことです。ダンジョンに行ったでしょう」

「ほんまかいな! 防具もなんも付けてへんかったで」

「ええ、そういう奴ですからベルは」

 

 何度倒されようと、その度に起き上がり。

 

「貶され、罵倒され」

 

 武器を奪われようと、ならばその身一つで向かってくる。

 

「惨めで情けなくとも。涙がでるほど、拳から血を流すほど悔しくとも」

 

 泣きながら、もう一度と私に立ち向かうベルを、私は何度も気絶させるほど叩きのめしてきた。

 

「ベル・クラネルという冒険者は、折れたりなんてしません」

 

 その度、彼は起きた時に今回はどうだったかと聞いてくる。私を恨むでも、嫌うでもなく。

 

「流した血、流した涙、流した汗。そのすべてを糧に変え、成長する。ベルは、正しく冒険者だ」

 

 起きた時、絶対私がそばにいた。老師が優しく物を教え、私が厳しく物を教えた。心は痛まなかった。

 

「きっと今も泣きながら、傷つきながら、武器を振るい、敵を倒し、成長している」

 

 諦めが悪い。そう言うと、なんだか悪いイメージが浮かんでしまう。でも、泥臭い感じが彼に合っている。

 何度でも立ち上がる。そう言うと、英雄のように聞こえる。そんな、本に出てくるような不屈な姿は彼に合っている。

 

「知っていますか? 世界は、乗り越えられる者にしか試練を与えないらしいですよ」

 

 そう言って、私は酒場の出入口をくぐった。夜も更け、空には幾千もの星が輝いていた。きっと、それはベルを照らしているのだろう。私ではなく、彼を。

 

 

■■■■

 

 

「ちっ。言いたいことだけ言って帰りやがった」

「……ベル・クラネル」

 

 アイズは、その少年の名前を記憶に刻むように何度か口にした。アゼルが形容した彼の在り方は一目見たベルの見た目、彼との出会いからは想像できないものだった。

 それでも、いや、だからこそ、アイズはベルに会ってみたいと思った。

 

「なんだか、悲しそうな顔だったね」

「せやなあ」

 

 ベルの事を語るアゼルは饒舌だった。自然と口から言葉が出ているように見えた。しかし、その表情はどこか影が差していた。

 

「乗り越えられる者にしか試練を与えん、か」

「まるで、自分には与えられない、と言っているような言い方だ」

「自覚がないんやろ。自分と相手を比べてたのは、何もそのベルっつう奴だけやなかったってことやな」

 

 普段と変わらない糸目とにやけた顔だったが、声だけは真剣だった。

 素手で斬鉄を可能とするほどのスキルを身につけた人間の過去を垣間見た瞬間だった。しかし、その少しばかり見えた過去もすべてがベルという少年に集約しているように、ロキには思えただろう。

 まるで、誰かにそうなるように仕向けられたかのように。

 

 あれほどのスキルと、【剣姫】と呼ばれるロキのお気に入りの冒険者が自分より上だと言う剣の腕を持った人間を、まるで一人の少年を完成させるための駒のように使われている印象があった。

 

「おもろくないなあ。あんなおもろい子を、こんなにおもろくなくするんはどこのどいつやろか」

 

 アゼルの口から語られた、老師という人物。ベルという少年の祖父でもあると言っていた。剣の師。その身が剣のようなアゼルを、形作ったであろう人物。

 そいつに、違いない。

 

「ちっ」

 

 何よりも面白いことを愛し、子供達を大切に思うロキにとって、それは許せないことだった。

 子供達は、自分で自分の道を歩み、成長していくからこそ可愛い。自分の思うように成長させるなんてことは、もう天界で飽きるほどやってきたことだ。

 

 見えないその老人の姿を掻き消すように、ロキは酒をもう一杯、一気にあおった。

 

■■■■

 

 夜を行き交う人々を眺め、人のいなくなった広場を眺めた。場所は、ダンジョンの上に聳え立つ五十階ある巨塔バベル。

 ベルは、飛躍するかの如く成長する。それは、彼の冒険の証であり、私が邪魔をするような無粋な真似はしない。

 自らの弱さを知り、それでもなお強くなろうとする彼が、少し羨ましく思えた。私は、知らない。敗北という物の味を。何度も起き上がる過程にある気持ちを。

 私が知っているのは剣を振るという事のみ。

 

「こんばんは」

 

 いつの間にか、そんな言葉が最も適切だろう。

 ぼんやりと考え事をしていた私の目の前に一人の女性が立っていた。絶世の美女という言葉ですら足りない、この世の『美』を集めたような美貌を持つ女性。目の前に立たれただけで、じんわりと頭の奥が熱くなる。

 銀色の髪に女神のような微笑み。否、彼女は神に違いない。着ている服は、肌を大きく露出する扇情的なドレスにも関わらず気品があり、その立ち姿は芸術品のように完成されていた。

 それは既に支配の領域まで達しようとしているほどの魅了。その神の特性を瞬間で理解する。

 

 心を落ち着かせ、沈める。鉛色を想像する。冷たい、何人たりとも邪魔をすることのできない、一切の感情を含まない鉛色。触れればその物を斬る、それは剣。

 その時、私は何かを斬った。己を守れという本能に従い、初めて目に見えない物を斬る。まるで夢から醒めるように、目の前がはっきりと認識できるようになり、熱も冷めた。

 

「あら」

「こんな夜更けに女性一人とは不用心ですよ」

「ふふ、ありがとう。でも大丈夫よ。私を襲おうなんて子供はいないもの」

 

 そうでしょうとも、見た瞬間に魅了されてしまっては襲おうにも襲えない。美の女神には、そんなことできない。

 

「こんな所で、何をしているのかしら?」

「待ち人を待っているのです。いつになるか分かりませんが、ここで待っていれば来るでしょう」

「大切なのね」

「そういう貴方はなぜここに?」

 

 なんだったか、美の女神の名前は。オラリオでもきってのファミリアの主神だったはず。

 

「バベルの最上階が、私の住まいだもの」

「なるほど」

 

 そう、確か名はフレイヤ。美の女神フレイヤ。

 

「貴方は、なかなか分かっているようね」

「何をですか?」

「美しいものの愛で方よ」

「はて、私のような田舎者にそんなこと分かりませんよ」

「いいえ」

 

 その声は、何故か強制力があった。無意識に彼女の顔を見てしまった。その瞳に吸い込まれるような感覚。落ち着いたはずの、心が揺さぶられる。

 

「貴方はちゃんと、邪魔をせずにここで待っている。あの子の輝かせ方をちゃんと理解している。いい子ね」

 

 そう言って、彼女は私の頬にその手を触れた。触れた場所から熱が生じる。甘い、抗いがたい熱。今まで感じたことのないような、痺れるような感覚。

 斬らなければ、と思いつつも斬りたくないと心が言っている。

 

 こんなの私ではない。私を汚すな、と静かな怒りが心から湧き上がる。一切合切を斬り裂いてこそ剣。斬りたくないなど思ったりしない。

 再び、怒りに任せ何かを斬る。

 

「やめてください」

 

 その手を、私はやんわりと払いのけた。この神を斬ることはできない。私は彼女を斬ることを選択できないことが、どこか分かっていた。

 

「ふふ、貴方もとっても綺麗な色をしているわ。鈍色の輝き」

「……貴方は私の何を知っている。ベルに何かするつもりですか?」

 

 明らかにベルの事を知っていて、彼がダンジョンに行ったことも知っている。しかし、あの酒場にはいなかった。いたら必ず気付く。その上今まで会ったことのない神だ。何か狙いがあるとしか思えない。

 

「何が狙いだ」

「でも、貴方もまだ輝ききれてない」

「何が狙いだとッ」

 

 瞬間、息を飲む。彼女の顔が本当に近くにあった。否応なしに、彼女の瞳を見てしまう。そこに映った自分すら見えてしまう。

 

「貴方に足りないのは何? 力? 名声? 金? それとも、もっと別の何か? 例えば、冒険。例えば、自由。例えば、愛。貴方を輝かせるのに必要なのは、何?」

「それ、は」

 

 知らない。私は、自分に何かが足りないと知りながら、それを知ろうとはしなかった。そもそも悩みすらしなかったから老師に聞こうとも思わなかった。そうか、私は何かが足りないのか、という純然たる事実として受け止めた。

 老師は言った、何か足りずともそれは私の道であると。なら、私はそれでいいと思ってしまった。もしかしたら、老師は私にその答えを求めて欲しかったのかもしれない。

 

「ねえ、教えて。貴方の冷たい刀身(からだ)を熱くするには、何が必要?」

「う、あ」

 

 呼吸が乱れ、思考が纏まらない。彼女の言葉が耳から入っても、意味が理解できない。ただ、何かが私の中に響いてくる。何かを引きずり出そうと、それは暴れまわる。しかし、答えを持たない私からそれを引き出すのは無理だった。

 心を襲ったのは恐怖だった。知らない、知りたくない自分を知られてしまうような感覚。それを自分の意志と関係なく引きずり出されそうになる恐怖。心を震わせる恐怖に身を任せ、私は再びそれを斬った。

 熱は急激に収まった。我に返り、彼女を見る。

 

「分からないのね。でも、それもまた貴方を輝かせるためのことなのかもしれないわ」

「ま、て」

 

 彼女は私の横を通り、バベルの中へと消えていく。

 

「さようなら、また会いましょう」

 

 その言葉を最後に、私は壁に寄り掛かるように地面へと崩れた。足に力が入らない。呼吸が苦しいし、動悸も激しい。あれが、神。ロキ様とも、ヘスティア様とも違う、その力の片鱗だけで私達を圧倒する存在。

 彼女の残していった甘い匂いだけが、その場に漂った。

 

 彼女の言っている事がまったく分からなかった。

 でも、確かなことは分かった。彼女は私にとっても、ベルにとっても良くない存在だ。いつの日か、立ち塞がる敵だ。

 

 

 それから何時間経っただろう。空には朝焼けが見え始め、建物の屋根が明るくなる空を背景に見えるようになってきた。

 足音が聞こえた。とても、不安定で不格好な足音。しかし、それはしっかりと地を踏みしめ一歩、そしてまた一歩前へと踏み出していた。

 

 バベルの入り口。そこから一人の少年がゆっくりと出てくる。

 白い髪に赤い目。兎のような印象のヒューマン。ベル・クラネルという少年はまた一つ冒険をした。

 

「お疲れ様、ベル」

「アゼル、なんで?」

「疲れているだろうと思いまして、帰りは私が」

「うん……ありがとう」

 

 そう言って、私はベルを背中に背負った。昔は軽かったその身体も今は相応に重い。成長しているのだ、彼は。

 

「アゼル」

「なんですか?」

「いつも、ありがとう」

「何を今更」

 

 背中越しに伝わる彼の熱が、私は心地よく思った。

 

「いつも、いつも。僕が気絶した後も一緒にいてくれて。僕が何度倒れたって、何度お願いしても相手をしてくれて。本当に、ありがとう」

 

「アゼルなしじゃ、今の僕は……ないよ」

 

 それっきり、ベルは寝たのか喋らなくなった。

 ゆっくりと、人がいない街の中を、ベルを背負って歩く。背中に感じる重さと熱を懐かしく感じながら、彼の成長を変化を実感する。

 

「本当に、貴方という人は」

 

 人を惹きつけて止まない。

 私のような斬ることしか能のない人間にも貴方は必要だと、欠かせないと言ってくれる。それは、幸せなことだ。

 

「でもね、ベル」

 

 心に闇が募る。

 

「私はそれじゃ満たされない」

 

 本当に欲しているのは、必要とされる喜びじゃない。それが、何なのか私は分からない。でも、これではないと分かる。

 きっと、私が今までの人生で一度も感じることのできない剣を振るう意味の先にある何か。

 

「ああ、私も」

 

 それを理解するためには何が必要なのか。あの美の女神の質問が反響するように頭に浮かぶ。どれか分からない。そもそも、あの中にあるのかも分からない。しかし、目先の欲求はできた。

 

「強くなりたい」

 

 人がほとんどいない街に、私の言葉は溶けて消えた。しかして、その願望は身体に宿った。

 




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※2015/09/14 加筆修正

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