剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか 作:REDOX
「申し訳ありませんが、全員退出してください」
「嫌だッ」
テントに入り、アゼルの荷物をベルが持ってくるとリューはそう言った。それに素直に従う者などいるわけもなく、予想通りティオナは反発した。
「そうしなければ治療はできません」
可能か不可能かで言えば、治療は当然可能ではある。しかし、リューはアゼルのその異常性をあまり他人に見せたくなかった。その上、もしアゼルの持っている血で足りなかった場合、それ以上は現地調達となる。
「それでアゼル君が助かるのかい?」
「保証はできませんが、治療をしなければ助からないのは確実です」
「……そうか、分かった。皆テントから出てくれ」
「なッ」
ヘスティアは苦しむアゼルを一瞥してから、普段とは似ても似つかない毅然とした態度でその指示を出した。ともすれば、普段以上の神威を発しているようにすら思える彼女の態度にティオナは文句を言おうとしたが、姉に阻止された。
心配そうに、何度か振り向きながらテントを出て行く面々を見ながらリューは取り敢えず安心した。どうしても出て行かないというのなら、その場で血を飲ませなければいけなくなっていた。
「アゼル君のこと、頼んだぜ助っ人君」
「はい、必ず助けてみせます」
最後にテントから出て行ったヘスティアを見てから、リューはアゼルの荷物をひっくり返した。中を探っていては時間の無駄だ。
「――あった」
そして、すぐに試験管のような容器に入った赤い液体を見つけた。その数は二本、恐らく残りの一本はアゼル自身が装備のどこかに隠し持っているのだろうと彼女は思った。
オラリオ最高の
「その力には、あまり頼って欲しくはないんですが……背に腹は代えられない」
殆ど意識のなくなっているアゼルの背中を支えながら座らせる。
その力は人ならざる者の力。【
しかし、その力はアゼル・バーナムを人でなくす。それはリューにとっては、認めたくない事実であり、阻止したい状態だ。
彼女を救ったのは、人としてのアゼルであると彼女は信じている。恐ろしいまでの力を所持し、自分のことを人ではないと言うその青年にもまだ人の心があるのだと信じ続ける故に。
リュー・リオンはアゼルに人であって欲しいと願い続けるのだ。
「神ヘスティアにはああ言いましたが、もし……もし貴方が死んだら」
栓を抜いた『停滞の檻』をアゼルの口に近づける。水より幾分か粘り気のある液体が徐々に傾き、そしてアゼルの口の中へと流れこむ。
他人に、しかも想っている相手に自分の血を飲ませるのはどこか倒錯的だった。話を聞いている限りアゼルがリュー以外の人物から血を飲んだということは聞いていなかった。それがアゼルが意図的にしていることであってもなくても、リューはその事に少しばかり特別感を抱いてしまった。
「私は悲しみます、きっと泣きます」
無意識にアゼルは流れ込んできた液体を嚥下して身体へと取り込んだ。別段怪我をしていたわけではないので以前ほど明確な変化は見られなかったが、近くで見ているリューにはその変化がすぐに分かった。
血を飲んだ途端血色が良くなり、冷たかった皮膚も温もりを取り戻しつつあった。それは、まるでリューの飲ませた血が切っ掛けとなって身体が一気に回復していっているように見えた。
「そんな私は見たくないでしょう? だから、帰ってきてください」
リューはアゼルを抱きしめた。脈動するその心臓から身体中に巡る熱を感じ取るようにしっかりと、自分の熱が彼の身体を温めるように優しく。こんな絶望的な状況の中、リューは少しだけ嬉しかったのだ。
あの時アゼルが手を伸ばしたのが自分だったことが、少し嬉しかった。それは事情を知っているのがリューだけだったというだけの話かもしれない。しかし、それでも伸ばされた手を自分が握ることができたことが、アゼルを救う可能性を掴めたことが嬉しかった。
「貴方は、こんなところで死んでいい人じゃない」
その力が人のものでなくとも、その心が人であるならば、リュー・リオンは信じ続けるのだ。剣の鬼というその名前が、仮に彼の本性を表現していたとしてもアゼル・バーナムは人々を救う存在になれると。
救う者も、救われる者も勝手に救い勝手に救われるのならば、彼の剣が正義の剣足りえるとリューは信じた。その分け隔てない心が、いつしか人々を救う光になることを彼女が願った。
――そのためならば、私は貴方と斬り結ぼう
仲間達の墓前で語ったアゼルの言葉をリューは聞いていた。どんな果物が好みか聞きに戻ろうとした時に偶然アゼルの本音を聞いてしまった。
――私は、私の信じる正義のために貴方を倒そう
何かを得るには何かを失わなければいけないのなら、アゼルを人に繋ぎ止めるには、彼女は何を失えばいいのか、彼は何を失えばいいのか。
勝手にその手を掴んだのがリューであるならば、彼女は最後まで勝手であろうと思った。アゼルがどう思おうが彼を人でいさせ続けようと思った。
――私がなればいい
「貴方の剣が世界を照らす、そんな光景を見たいんです」
色々な人間が、アゼルに色々な願いを託した。ホトトギスという怪異は血を吸うという特性上
白夜をアゼルに託した鈴音は、アゼルにその悲願を達成して欲しいと願った。ヘスティアはアゼルの家族でありたいと願った。
リュー・リオンはアゼル・バーナムの剣に正義であって欲しいと、願った。
「そ、れが」
「ッ」
「それが、貴女の願いか」
静かな声だった。抱きしめたアゼルから、掠れた声が聞こえリューは一瞬驚いたが聞かれていたのであれば好都合であった。
「私に人であれと、自分以外の者のために剣を振れと願うのですか?」
「はい」
「それは、無理ですよ」
「無理じゃありません」
否定の言葉をリューは予想していた。アゼルは己の願いが異質であり、そのあり方が不幸を呼ぶことを知っている。だからこそ、彼は自分では誰も救えないと、救わないと言い続ける。
「無理に、決まっている」
最早それは断定であった。己を信じるが故に、そのあり方を貫くが故にアゼルは自分のできないことを知っている。その刃はすべてを斬り裂く、しかし人は救わない。何故なら、人を救うのは人であるべきだからだ。
アゼルが人を救うことはない、何故なら彼は自身を化物と認めているからだ。
「無理じゃありません」
「私は在るだけで人を傷付ける」
「そうかもしれません」
「私が振るう剣は、怪物も、人も、神をも斬ります」
「そうでしょうとも」
「救った人ですら、私は斬ります」
「承知の上です」
「……何故ですか」
弱々しくアゼルもリューの背中に手を回した。
「何故、そこまで私を信じる」
「貴方に救われたからです」
「それこそが、間違いだ。私は何も救わない」
「いいえ、私は確かに貴方に救われたんです」
彼女はそれ以外の事実を認めはしない。アゼルが自分は誰も救わないと言い続けるのであれば、リューは同じだけ自分はアゼルに救われたと言い続ける。
「それ以上、貴方を信じる理由が必要であるなら、それは――」
リュー・リオンは確かにアゼル・バーナムのすべてを知りはしないし、一生知ることはない。ならば、自分の知るアゼルを彼女は信じることにした。アゼルは善人でも悪人でもない、言うなれば純粋。理由があれば善き行いをするし、理由があれば悪しき行いもするだろう。そもそもアゼルは善悪という概念にとらわれていない。
しかし、アゼルは正直で気遣いもできる。他者の心中を察することはできるが共感はできないだけで、彼もまた他者を理解はする。理解した上で、彼がそのすべてを斬り捨てていく。
そう、アゼル・バーナムには感じる心がある。
「それは、貴方が貴方だからです」
「は――」
「貴方が人でなくなるというのなら」
奇しくも、それはアゼルが自身を何故大切な人を斬っても狂わないのかという質問に対する答えと同じだった。
「貴方を人に繋ぎ止める鎖に私がなりましょう」
アゼルには理解できなかった。大切な人を斬ってもアゼルが自分であり続けられる、それこそがアゼル・バーナムの業であり、人ならざる者になっても自分を貫ける理由。その覚悟こそが、彼を人でなくすのだ。
なのに、リュー・リオンはそれを信じてアゼル・バーナムに正義を掲げろと言う、人であり続けろと言う。
「貴方がすべてを傷付ける刃であるというのなら」
――貴女は私に何を見ている
「貴方の刃を休める鞘に私がなりましょう」
その迷いのない声にアゼル・バーナムという青年の心は締め付けられるような痛みを感じた。
「貴方が私を斬り裂くというのなら、受けて立ちましょう」
人でなくなることを選択したのが他でもないアゼルなのだから、降って湧いたような力を振るっているわけではないのだから、その力にアゼルは責任を取る。未来永劫、人を傷付ける存在になるのだから、例え大切な人であっても彼の道を阻むものを斬り裂くくらいどうということもないはずだ。
「喜んで、私は貴方と刃を交えましょう。だが、負ける気は毛頭ない」
ゆっくりとリューはアゼルを抱きしめる力を緩め、そして自分の膝の上へと頭を乗せた。僅かに揺れながら自分を眺めるアゼルの前髪を優しく撫で、そして決断した。
「そのためなら私は――――過去と向き合いましょう」
オッタルですら傷を負わせられたアゼルを、今の彼女では止めることはできないだろう。だから彼女は力を求めた。その行為が意味するところを、アゼルはまだ分かっていなかった。
ただ、彼は一つだけ理解できた。
「ハハッ」
弱々しく笑みを浮かべる。しかし、その笑みは優しさを含んではいなかった。自分と対等であってくれる者を、真っ向からその刃を受けてくれると言ってくれた存在を見つけたことに対する喜び、そしてそんな誰かと戦えるという高揚感。
「でも、今は休んでください」
その空色の瞳を見上げながら、アゼルは苦痛の和らいだ身体の調子を確かめるように少しだけ身じろぎした。未だに力は入らないが命に関わるような支障はもうなかった。数時間もすれば多少なりとも戦闘が可能なくらいには回復するだろう。
「では、他の方々を呼んできますね」
「いえ、もう少し、このままでお願いします」
「……もう少しだけですよ?」
仕方ないですね、と言ってリューは立ち上がるのを止めた。目を閉じて規則的な呼吸をしているアゼルを撫でながら彼女は微笑んだ。一難去ってまた一難、彼女の宣言した道は険しいものだろう。神々をして鬼とまで言われる剣士の刃は、生半可な実力では太刀打ちできないだろう。
しかし、どんな危険でも討ち倒してみせると彼女は誓った。
目の前の青年のためならば、どんな困難にだって立ち向かえると、どんな苦しみにも耐えてみせると彼女は誓った。自分を救ってくれた彼を、今度は自分が彼の抱える苦しみから救ってみせると、例えそれが彼の望んだ結末でなくとも救いたいと願った。
傷付くことがアゼル・バーナムの業であるならば、そんなもの見たくないとリューは思った。そんなことになるくらいなら、彼女自身の手で青年の願いを壊してでも安らぎを与えたいと――――彼女はそう思った。
忍穂鈴音はアゼル・バーナムのことを肯定する。
ヘスティアはアゼル・バーナムのことを受け入れる。
ティオナ・ヒリュテはアゼル・バーナムのことを好きだと全身で表現する。
では、リュー・リオンはどうするのか。
彼女は真正面からぶつかることにした。それだけが、それこそが彼を止める唯一の方法であるという確信を元に彼女は己が剣を握ることにした。
一緒にいて欲しいのであれば、それは待っているべきものではない。それは、きっと勝ち取りに行くべきものだから。
■■■■
リューさんの膝枕で寝かけること数回、その度にリューさんに揺すられ起こされていたが、彼女は一向に膝枕を中断する気配はなかった。だから私も好きなだけ堪能することにした。
その心の中を打ち明けたリューさんはそれ以降何も喋らず私の頭を撫でるだけ。テントの中は静かで、心地よい沈黙が私とリューさんの間に流れていた。
「あの、そろそろ無事を知らせたほうが」
「え、ああ、そうでした。私、死にかけてたんでしたね」
「……流石にその反応はどうかと」
「いや、リューさんの膝枕の方が希少だと思いますよ」
私が死にかける可能性と、彼女が私に膝枕をしてくれる可能性だったら断然、後者の方が低いだろうことは誰にでも予想できることだろう。だからこそできるだけ堪能しておいたのだ。頼んでもしてはくれないだろう。
「おっとと」
「はあ……貴方は会う度にそんな状態ですね」
「はは、何も言い返せませんね」
立ち上がろうとしたが思うように力が入らなかった私に、リューさんは呆れながら肩を貸してくれた。優しい草木の香りが鼻孔をくすぐり、何故か安心してしまった。
「ありがとうございました、リューさん」
「目の前に死にかけの人がいたら、誰だって助けます」
「そっちではなく」
リューさんは少し驚きながらもわずかに顔を横に向けて私を見た。まさか感謝されるなどとは思っていなかったのかもしれない。
「何故感謝するんですか? 私は貴方の道を阻みますよ?」
「だからですよ」
私の前に立ちふさがり、その身を削り、私を傷付けてでも私に人であって欲しいと願った彼女だからこそ、私は感謝する。ただ願うことなら誰にでもできることだ。しかし、人を傷付けてでも願いを叶えるということは覚悟がいる。
恨みを買うかもしれない、相手を殺してしまうかもしれない、そして何よりも自分が死んでしまうかもしれない。そんな危険に立ち向かう覚悟が、彼女にはあるのだ。
「だから、私も誓います」
勝負をするのであればフェアでなければいけない。彼女が戦う理由を私は保ち続けなければいけない。
「この身が人でなくなったとしても、この心は――――」
ああ、この身は既に化物へと堕ちてしまったのだからもう後戻りはできない。しかし、彼女が願うのは私の心だ。人の心を持ち、人を理解し共感し、そして他人のために剣を振るえるようになって欲しいと彼女は言った。
「――貴女を斬るまでは人であり続けると」
人ならざる身で人の心を持つことが、どれほど苦しいことだろうか。ただ自分の目指す場所だけを見ることができれば、どれほど楽だっただろうか。だが、彼女が私と斬り合う覚悟をしたというのなら、私もまた覚悟をしよう。
「その誓い、しかと聞き遂げました」
「誰にも言わないでくださいね」
「ええ、これは私と貴方、二人だけの戦いですから」
だからどちらが負けても、例えそれで死んだとしても文句は言えない。私は斬ると彼女に宣言し、彼女は私を救うと返した。その二つの想いがぶつかるのならば、勝敗は剣で決めるしかない。
「さて、ヘスティア様を安心させますか」
「そうしてあげてください。随分、心配されているように見えましたから」
私が他人のために剣を振るうなど、どんな夢物語だろうか。幾百幾千の命を吸いただ一つの願いのために生き続けた怨念と、人でなくなってまですべてを斬り裂くことを願った私に、ただ一人の女性が勝てるとは思えなかった。
夢のまた夢、まるで物語のように彼女が勝つなどありえないと思いつつも、彼女がその願いを抱いたことに私は疑問など持ちはしなかった。
夢を見てこそ人。届かぬ理想を見てこそ正義。己の可能性を信じてこそ冒険者。彼女が彼女であるが故に、夢を見ることなど何もおかしくはないだろう。
私もまた夢を見た一人。ただその身は人外に成り果て、届かぬ理想に手を届かせてしまえそうになっただけの話だ。
しかし、もし彼女が勝ったのなら、私が他人のために剣を振るえるようになったなら。それは彼女の正義が本物だったということ。届かぬ理想に届いたならば、彼女もまた何か強い想いを抱き、己の何かを失い何かを得るのだろう。
その想い、失うもの、得るものが何であるのかは私には分からない。
「しかし、毒とは……死んでいたら剣士の恥、死んでも死にきれませんね」
「恥?」
「死ぬなら、誰かに斬られて死にたいですから」
「……私は殺しませんよ?」
「大丈夫ですよ、誰も死にたくなんてありませんから」
リューさんに肩を貸してもらいつつテントの垂れ幕を押して外へと出た。そこには不安そうにしているヘスティア様やベル、泣きべそをかいているティオナとそれを慰めているティオネさん、出てきた私を見て安堵の息を漏らすリヴェリアさんやフィンさんがいた。
「アゼル君ッ! だ、大丈夫なのかい、痛いところはないかい!?」
「大丈夫ですよヘスティア様。見ての通り怪我はしてませんでしたから、すぐ良くなります」
「クラネルさん、後は頼みます」
「は、はい」
「では、きちんと安静にしていてくださいね――」
身体を支える役目をベルに継がせてリューさんは早急に拠点から離れることにしたようだ。彼女は自分の正体をできるだけ隠したいので他人との接触、特にロキ・ファミリアなどの大手ファミリアとの接触は避けたいのだろう。
重たい頭を上げて、最後にもう一度感謝を言おうとする。
「――アゼル」
名前で呼ばれた、言ってしまえばただそれだけのことだ。しかし、何故かその呼ばれ方に大きな充足感とでも言えばいいのか、特別な感情が湧いた。自然と小さく笑みを作ってしまうその感情を、私はまだ名前すら知らない。ただ心の奥底から何かが高ぶるのだ。
(ああ、斬り合おうじゃないですかリュー・リオン)
こんな私を救うと彼女は言った。
例え、彼女を斬ってしまっても私は止まらない。立ち止まりたいなど、この刃を止めたいなど、救いなど願ったことはない。それでも、彼女が私を救うというのは物語に語られるような『英雄』ではなく、ただ一人の人としてそう願ったからだ。
これは、彼女の我儘だ。
そして、私の願いも言ってしまえば――――大きな我儘に違いない。
閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。
久しぶりの更新なのにたくさんの感想ありがとうございます、励みになります。
リューさんヒロイン化計画はまだまだあるんです。