剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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お久しぶりです。


強襲の戦闘娼婦

 ロキ・ファミリアにとって18階層での水浴びは既に恒例となっている。大の水浴び好きであるティオナが頼んでもいないのに穴場を見つけては連れて行くので皆それに付いて行っている。

 

 現在はロキ・ファミリアの幹部であるアイズやティオナに加え、ヘスティアとリリ、命と千草、アスフィとルルネも加わっている。ロキ・ファミリアの他の女性団員達は周囲の警戒にあたっている。

 美人揃いなので覗きを警戒しているというわけではなく、18階層はモンスターの産まれない階層ではあるものの17階層、19階層と繋がっているのでモンスターはいる。無防備に水浴びをしていられるほど、やはりダンジョンは優しくない。

 

 ティオナの案内したその水場は10M(メドル)ほどの滝のある場所だった。落下する水が細かく宙を舞い、薄い霧のようになり辺りを涼やかにしている。

 女性陣もその美しく、そして心地の良い場所に気を良くして楽しく水浴びをしていた。

 

 数秒前までは。

 

(ド、ドウシヨウ)

 

 心の中で呟いたその短い言葉でさえ片言になってしまっているのはヘスティアの眷属の一人であるベルだ。和気藹々と喋っていた女性陣の声は静寂に沈み、今現在聞こえるのは痛いほどの沈黙と滝の音だけとなっている。

 

「べ、ベル君、君ってやつは……!」

「な、何をなさっているんですかベル様ぁッ!?」

 

 アマゾネスであるティオナとティオネ以外はその身を屈めて水の中に身体を隠したり、手で覆ったりしている中、ベルはただただ冷や汗をかくばかり。未だ自分の陥っている状況に頭が追いついていなかった。

 

(へ、ヘルメス様ぁぁぁぁ)

 

 しかし、その原因となった神の名前はしっかり頭の中にあった。

 始まりは女性陣が水浴びへと出発してから数分経ったくらいでヘルメスがベルに付いてきて欲しいと言って森へと足を踏み入れたことだ。そこから何故か木に登り、枝葉を伝って移動をすることになった。

 途中から嫌な予感がしていたベルだったが、流石に神がそんなことをするとは思っていなかったのか最後まで素直に付いて行った。そして辿り着いたのは女性陣が水浴びをしている水場のすぐ上だった。

 

 ヘルメスの目的は覗きだった。

 

 止めさせようとベルが身体を動かした衝撃で枝が半ばほどで折れ、ベルは下へと真っ逆さまに落ち、そして現在へと至る。

 

「――ぁ」

 

 そして、そんなままならない思考のままベルは視線を動かしてしまった。映ったのは金色の髪を背中程まで伸ばした女性の姿だった。見たくなくとも見てしまうその少女のあられもない姿をベルは脳に焼き付けてしまった。そして、まともに思考していなかった頭の中が爆発し、無意識に走りだそうとした瞬間。

 

 

 

「おっと」

 

 

 

 バシャリと音を立てて誰かが上からアイズの横、ベルの真正面に降ってきた。オラリオに来た当時より伸びた赤髪、布製の軽装、携えた二本の刀の内の一本は今抜き放たれていた。

 

「あ、アゼル君!?!?」

「――これはまずい」

 

 まさか自分の二人いる眷属の両方が覗きを敢行するとは思っていなかったヘスティアは思わず叫んでしまった。ベルも同じく、昔からあまり女性に興味を示していなかったアゼルが覗きをしたことに驚いたが、それを超える事実が今彼の目の前にあった。

 

「――血?」

「アイズッ!」

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 アゼルの服、そして手に持つ刀に血が付いていることの意味を考えようとしたベルとは違い、ロキ・ファミリアの冒険者達の反応は早かった。

 何も武装していなくともアイズの付加魔法である【エアリアル】はその絶大な効果を発揮する。魔法を発動させ、アイズ、そしてティオナ達はアゼルが飛んで降りてきたであろう滝の上を見た。

 

「【ヘル・カイオス】!!!」

 

 滝の上からアゼルと同じく飛び降りながらその人物は手に持つ大朴刀を振りぬく。同時に魔法の詠唱も終わり、その効力が発揮された。

 振りぬかれた朴刀から放たれた紅の斬撃波がアゼルへと襲いかかる。

 

「斬撃で私に勝てると思わないことだ」

 

 ベルが死の予感を感じたその斬撃波に対して、アゼルは笑みを浮かべながら手に持つ白夜を振るった。自分の魔法で相手の襲撃者の魔法を相殺しようと思っていたアイズも、アゼルが何をしようとしているのか理解した瞬間、ベルの後襟を掴んでその場から離脱した。

 

 二つの斬撃が空中でぶつかり、そして拮抗することなく紅の斬撃波がアゼルの斬撃に飲み込まれた。斬撃はそのまま突き進み、滝へと到達し轟く破砕音と共に岩ごと滝を破壊した。

 

 一足で岸まで辿り着いたベルは、崩れ落ちる岩を見ながら何が起こったのか理解が追いついていなかった。崩れ落ちた岩が地面に激突し巨大な水柱と粉塵を撒き散らす。つい数秒前まで清らかな水場だったその場所は現在土煙が立ち込める。

 

 その場で何が起きたのか理解できていたのはロキ・ファミリアの面々だけだっただろう。アイズも周りを見ると、ティオナやティオネも近くにいたヘスティアやリリを抱えて岸まで退避していた。

 

「な、何事なんだッ!?」

 

 突然自分の眷属の一人が降ってきたかと思ったら、次の瞬間には滝が破壊されて驚くなという方が無理な話だ。ティオナによって運ばれたヘスティアは地面に倒れながら叫び声をあげた。

 

「というかアゼル君は」

 

 無事なのか、とヘスティアが言おうとしたのとアゼルが土煙の中から飛び出てきたのはほぼ同時だった。アゼルに追随するように斬撃波を放った人物――イシュタル・ファミリアの戦闘娼婦(バーベラ)であるアイシャ――も躍り出た。

 

「ハアアァァッ!!!」

「善人ではないという自覚はありますが、ここまで憎まれる覚えもないんですが」

 

 朴刀を巧みに振り回し猛攻をしかけるアマゾネスの戦士と打って変わって、アゼルは静かにその攻撃のすべてを身のこなしだけで避けた。それでも彼女はその攻撃の手を緩めない。

 

「――見え見えですよ」

「なッ」

 

 後ろを振り返ることなく、アゼルは手を振るい背後から迫っていた矢を掴んだ。自分の息もつかせない連撃を受けながら、背後からの攻撃も警戒できるとは思っていなかったアイシャは一瞬固まってしまった。

 だが、アゼルはそんな決定的隙を見逃した。見逃されたことを屈辱に思いながらもアイシャは一度その身を退いた。

 

「殺すつもりなら、もっと殺気を抑えないとバレバレです」

「抑えられるはずもないだろうッ! お前は私達の仲間を傷付けた。否、狂わせた!」

「えッ!?」

 

 その言葉にまず反応したのは言われているアゼルではなく、聞いているティオナだった。戦闘娼婦とはそのままの意味で、冒険者としても娼婦としても働けるオラリオならではの職業と言える。

 その仲間を傷付けたと言われたら、もちろん想像するのは夜遊びをして傷付けたということだ。

 

「狂わせた? 私と貴女達は初対面のはずですが」

「ええむぐぐぐ!!」

「アンタはいちいちうるさいのよ」

 

 一瞬娼館で女性を傷付け、そのことを覚えてすらいない下衆というイメージが浮かんだティオナは叫び声を上げそうになったが既のところでティオネに口を塞がれた。

 

「覚えてはいないだろうな。だが、確かに私の妹はお前に斬られて狂ってしまった!」

 

 その言葉を聞いていた面々、特にヘスティアは衝撃を受けていた。彼女は例えアゼルが善人でなくとも、人を斬る人間だとは思っていなかった、思いたくなかった。ティオナだけは少しほっとしていた。

 そしてアゼルは、アイシャの台詞に眉を顰めた。

 

「私が、斬った?」

「それすら……それすら、忘れたのか!!」

 

 自分が誰かを斬ったと言われて、アゼルがすぐに思い浮かべたのはホトトギス、その次はオッタルだった。しかし、すぐに9階層でオッタルと戦った直前誰かを斬ったことを思い出した。

 

「そうか、あの時の……」

「思い出したか」

「ええ」

 

 アイシャにとっては思い出したから何だという話だ。思い出そうと思い出すまいと殺すことには変わらないのだ。だが、思い出さずに殺すより、思い出して殺した方が思いも晴れる。

 

「であるなら、確かに貴女の憎しみは正当でしょう」

「じゃあ、潔く殺されろ!」

 

 アイシャのその言葉を引き金に周りの森からアゼルに目掛けて数人の襲撃者が襲いかかった。ある者は短刀を突き刺すように突撃、ある者は大剣を勢い良く振り下ろし、またある者は魔法の矢を放った。

 

「御免被ります」

 

 腰に差したままの白夜の鞘を左手で動かし、突撃してきた相手に向け刺突を阻止。振り下ろされる大剣には白夜を振り上げ両断。飛んでくる魔法の矢には腰に差していた短刀となったホトトギスを逆手で抜き放ち相殺。

 流れるようなその動きに、もう迷いはなかった。

 

「私を殺したい理由はもう分かりました。だが、殺されるわけにはいかないので――」

 

 いつか、誰かに憎しみを向けられることをアゼルは分かっていた。化物を斬れば賞賛されることはもう経験した。その賞賛こそが、神々から彼に与えられた【剣鬼(クリュサオル)】という名前だ。

 人を斬れば、誰かに憎まれる。それを彼は今経験している。

 

「――貴女達が死ね」

 

 ならば、神を斬ったらどうなるのか。神を斬ったら、自分は何を感じ経験することができるのか。アゼルの欲求は留まるところを知らない。何よりも、彼はある男を斬り敗北を教えると決めている。

 それ故に、彼は死ぬわけにはいかない。死ぬくらいなら、誰かを斬り殺し憎まれ続けることが彼の選択だった。

 

 水を弾く僅かな音を残し、アゼルはアイシャへと迫った。それを見ていたヘスティアにはいつ走りだしたのか分からなかった。それを見ていたベルにはその刃の軌跡が禍々しく映った。

 僅かに赤く光を灯すその刃は、苦痛と快楽、喜びと悲しみ、人と神、愛と憎しみ、様々なものを映し出す。それは、ベルの知るアゼルの剣ではなかった。その変化、その変貌にベルは戸惑いと驚きを隠せなかった。

 

「ぐぅッ」

 

 多勢に無勢と言わんばかりに、襲撃者は複数人でアゼルを囲みながら攻撃の手を緩めない。しかし、それでもアゼルには攻撃の一つも掠りはしていなかった。すべてが紙一重で避けられ、一人また一人とアゼルに斬られ仲間に抱えられながら撤退を強いられていた。

 そして、最後に残ったのはアイシャ一人。

 

「ラアアァッ!!!」

 

 両の手で持つ大朴刀を振り抜く。しかし、それもアゼルが僅かに後ろに身を引くことで避けられてしまう。一歩踏み込みもう一度振るうも、今度は横に一歩。まるで予め刃の描く軌跡が見えているかのように、最小限の動きで避けるその姿はまるで幽鬼の如く。

 

――届かないのか

 

 攻撃が避けられれば避けられるほど、アイシャの憎しみは増大していった。大切な妹を狂わせた張本人を目の前にして、自分達が傷一つ付けられないという事実が情けなく、だからこそ更に目の前の男が憎く思えた。

 

「もう、見飽きましたよ」

「知った、ことかああッ!!」

 

 殺しに来ている相手に、まるで世間話でもするかのように語るアゼルに感じていた苛立ちをすべて放出するように鋭い斬撃を放つ。

 

「その憎しみ、その殺気は見事だ。だが――」

「クソがあああ!!」

 

 水柱を立てるほど力の入った踏み込み、その水柱を割断する鋭い一撃。モンスターであれば、それだけで倒せていただろう一撃は、しかし目の前の男には通用しなかった。

 

「――私を倒すには足りない」

 

 音もなく、コマ落としに見えるほどの速さで白夜は振り抜かれた。続いて振り抜ぬかれた大朴刀の刃が柄から斬り落とされ水へと落ちる音と共にアイシャが水面を激しく殴り爆音を響かせた。

 

(お前も、大切な者を傷付けられてみればいいッ!)

 

 極大の水柱に飲み込まれた二人は視界が遮られる。それでもアゼルにできる隙は一瞬だろうと判断しながら、アイシャが懐に忍ばせていた二本の投げナイフを水柱の外へと投げた。

 その標的は――

 

「――ぇ」

 

――岸で座り込んで呆然としていた、ヘスティアだった。

 

 誰も予想だにしていなかった攻撃、飛び散る水飛沫によって悪くなった視界、そして何よりも水柱の中から飛来する高速のナイフに、当然ながらヘスティアは反応できない。

 

「無粋な」

 

 しかし、アゼルはそのナイフを見過ごした。自分以外の誰かに放たれたナイフに意識を向けたがそれも一瞬のことだった。

 しかし、それも当然のことだ。ヘスティアの周りにはアゼルより強い冒険者が数名いるのだから、対処を任せてもなんら問題はない。流石に誰もいなかったら自ら止めに入ってはいただろうが、今回に限ってはその必要はないだろうと一瞬の内に判断した。

 予想通り、ヘスティアへと向かっていたナイフはアイズが常人ならざる動体視力と身体能力で空中で掴み、ティオネがヘスティアを抱えてナイフの軌跡上から退避していた。

 

 しかし、アイシャにとってはその一瞬で十分だった。

 

 自分からナイフへとアゼルの標的が変わった瞬間、アイシャは全速でアゼルに突進し抱き着いた。例え斬り刻まれようともその動きを数秒鈍らせるためアイシャは突貫した。彼女の目的は、あくまでアゼルの抹殺。自分が殺せれば最も良いが、最優先事項はそれじゃない。

 

「パドルッ!!」

「何を――ッ」

 

 刃を止めたことでできた一瞬の空白を狙ってアイシャはアゼルに抱き着いてその動きを制限した。そして最終手段として温存していた攻撃手段を持った仲間の名前を叫んだ。

 その人物はアゼルの真上、木々の間から飛び降りてきた。

 

「あいよッ、姉御!! 【ヴェレーノ・アニマ】」

 

 そして事前に詠唱を完成させていた魔法の魔法名を告げながら大きく息をアゼルに向けて吐いた。パドルと呼ばれた襲撃者の口から紫色の霧が吹き出され、身動きの制限されていたアゼルはアイシャと共にその霧に覆われ、その魔法に汚染された空気を吸い込んでしまった。

 

「アイズ!」

「分かってるッ」

 

 ティオネに呼ばれた時アイズは既に行動を起こしていた。見るからに紫色の霧は、何かしらの効果を含んだものだ。であるならば触れることは憚られる。

 

「吹き飛ばす」

 

 アイズが腕を横に振るう、それだけで風が吹き荒れ漂っていた霧を遥か上空へと吹き飛ばした。立ち込めていた土煙も吹き飛ばされ、辺り一帯の視界が晴れる。

 

「ぐっ、はあっはあっ……ッ!」

 

 視界の晴れたその場所に、残されていたのは刀を手から落とし胸を押さえ苦しむアゼルだけだった。視界が完全に遮られた一瞬を狙って戦闘娼婦達は撤退していたのだ。それはつまり、彼女等の目的が達成されたということでもある。

 

「アゼル!!」

 

 いち早く苦しむアゼルの元へと駆けたのはティオナだった。そもそも恥じらいのないと言われるアマゾネスであるティオナは、自分が服を着ていないということすら忘れてアゼルを抱えて岸まで運んだ。

 

「ティオ、ナ」

「大丈夫アゼル!?」

「服、着てください……」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!!」

「アンタは少し落ち着きなさい。アキ、急いでこいつを拠点まで運んでリヴェリアに診てもらいなさい」

「はい!」

 

 闇討ち等に慣れ、怪我人にも慣れているティオネが指示を出して警備にあたっていた人員にアゼルを運ぶよう行動を促す。突然の襲撃に狼狽えるリリや命、自分のしてしまったことに呆然となっているヘスティア、想い人が苦しむ姿を見て動揺しているティオナ。

 楽しいはずの水浴びは、思いも寄らない出来事で終わりを告げた。

 

 

■■■■

 

 

(苦しい……息も、しづらい)

「もうちょいだから頑張ってよね!」

 

 二人の女性冒険者に肩を抱えられながら私はなんとか歩けていた。それ程までに身体から力が抜け、全身を突き刺すような痛みが走った。呼吸も苦しく、脈打つ心臓は狂ったように早鐘を打っている。

 

「どうした!?」

「リヴェリア様、アゼルが」

 

 襲撃者との戦闘で滝を一つ破壊したのだ、その音がロキ・ファミリアの拠点まで響いていても不思議ではない。何が起きたのかと見に来ようとしていたリヴェリアさんとは拠点に戻る途中で出会った。

 

「何があった?」

「え、えっと、水浴びをしていたら、突然アゼルが来て、その後戦闘娼婦まで来て、それで」

「ええい、長い!」

「何かしらの毒を吸い込んで危険な状態です!」

 

 それを聞いたリヴェリアさんの行動は早かった。リヴェリアさんは来た道を急いで戻り、私もその後を追うように運ばれた。この時点で、私はもう殆ど手足を動かすことすらできなくなっていた。

 

(毒、なるほど)

 

 今まで精神的な毒は斬り払ってこれたが、身体的な影響を与える毒はそうもいかないようだ。乗っ取られかけていた精神を正常な状態へと戻していた時の感覚を蘇らせるもまったく効果がない。

 そのまま私は拠点へと運び込まれリヴェリアさんによって容態を診られた。しかし、アキさんがある一言を口にした途端リヴェリアさんはその端正な顔を顰めた。

 

「魔法の毒霧だと?」

「は、はい」

「その術者は!!」

「に、逃げました」

 

 いきなり焦りを見せ始めたリヴェリアに戸惑いながらもアキさんは即座に答えた。その答えを聞いたリヴェリアさんは珍しく、くそと悪態を吐いた。

 

「リヴェリア、アゼルは!?」

 

 そう言いながら走ってきたのはティオナだった。私の元へと駆けより顔を覗き込んできたが、まだ髪が濡れていてどれだけ急いで来たか伺えた。

 

「病人の前では静かにしろ」

「ご、ごめん……それで、アゼルは大丈夫なの?」

「――非常にまずい状態だ」

「それは、本当かい?」

 

 遅れてティオナと同じような状態でヘスティア様がやってきた。すぐベルも入ってきたことを見るに運んでもらったのだろう。リヴェリアさんの重々しい言葉に、ヘスティア様は不安そうな顔を示す。

 

「モンスターの毒であれば、解毒薬の製薬、魔法による解毒は可能。しかし……」

 

 リヴェリアさんは一度、苦しむ私を一瞥してからヘスティア様を見た。

 

「魔法の毒となると、話は別です」

「な、なんでだいッ?」

「魔法による毒は、術者の数が少ない故あまり知られていませんが、解毒魔法とセットとなって一つの魔法です」

 

 リヴェリアさんが説明を続けた。そもそも、【ステイタス】によって発現する《スキル》と《魔法》は獲得してきた【経験値(エクセリア)】によって発現するものだ。毒という魔法はそういった物を日常的に扱っていなければ獲得できない。それは主にモンスターを相手にする冒険者では獲得することのない【経験値】だ。

 つまり、毒の魔法を獲得している冒険者は対人戦用に育てられた特殊な冒険者に限るということになる。

 

「高位の解毒専用の魔法等であれば可能性はありますが……今ここにいる術者でこの毒を解毒できる者は――」

「そんな……」

 

 それを聞いてヘスティア様は崩れ落ちた。ベルに支えられ転倒は免れるも、顔は青ざめ焦点も合っていない。ティオナもただ呆然とリヴェリアさんの説明を聞いていた。後から来たティオネさんが抱きしめていたが、思考停止しているようで反応がない。

 

「ごめん……ごめんよ、アゼル君」

 

 ぼやける視界の中で、ヘスティア様が涙を流す姿だけは鮮明に見えた。流れ落ちる涙が地面へと落ちていくその光景を、また泣かせてしまったと思いながら眺めた。

 意識は朦朧としはじめ、意識は暗闇へと誘われていく。

 

「僕が、僕があんなところにいさえしなければ」

(何を、馬鹿なことを)

 

 あの時、見る人が見れば私はヘスティア様を見捨てた。アイズさんやティオネさんが対処してくれるだろうからという理由はあったし、その通りになったが自ら助けにいかなかったことに違いはない。

 責められるべきはむしろ私の方のように思えた。

 

 だから、彼女に非など一切ないと言ってやりたかった。すべては私が不甲斐ないために起こってしまったことだと、教えてあげたかった。

 しかし、もう言葉を発する力すらなくなり、手は力無く地面に横たわる。動かそうにも指一本動かすことは叶わず、ただ暗転していく意識に逆らうように己の意識を内へと向けることだけが私のできることだった。

 

(心臓は脈打つ)

 

 身体が死のうとしているのなら、せめて心だけでも生きようと叫ばせろ。

 

(血は巡る)

 

 その身体に宿った奇跡は、私に死ぬなと語りかける。

 

(想いは燃える)

 

 身体の中心から熱が蘇ってくる。それはほんの僅かな、意識を繋ぎ止めることしかできないほど些細な熱だ。それでも、その熱に意識を向けている内はなんとか生きていられる。この身に宿った奇跡(ホトトギス)は私を死なせない。

 

――また、貴女に頼ることになるとは

 

 もう彼女はいない、それでも私を生へと繋ぎ止めているのはホトトギスに違いなかった。

 しかし、決定的に何かが足りないのだ。

 

「何事ですか?」

「助っ人君」

(リュー、さん?)

 

 恐らく戦闘音を聞きつけやってきたリューさんはケープを身に纏った、正体を隠した状態でやってきた。

 

「アゼル君が……」

「バーナムさんが? ――ッ」

(そう、か)

 

 地面に横たわる私を見てリューさんも駆け寄ってくる。そして、私はそんな彼女に向けて最後の力を振り絞って手を伸ばした。その行動の意味を、未だに誰も理解できていなかったが、リューさんならば理解してくれると思った。

 

(足りないのは)

「バーナムさん?」

 

 私の横で屈んだ彼女の首筋を力なく撫でる。その場所は、丁度私は二週間ほど前に噛み付いた場所だ。僅かにその時の血の味が口の中に蘇った。確証はない、証拠もない、しかし縋るとすればもうこの奇跡しかない。

 

「――バーナムさんの荷物を持ってきてください」

「え?」

「早くッ!」

 

 この絶望的状況で一人だけ希望を持っているリューさんの言葉にベルは間抜けな声で答えてしまった。しかし、直後飛んできた鋭い声に一瞬怯えながら私の荷物を取るために走り始めた。

 

「テントを一つお借りしてもいいでしょうか?」

「治療できるというのか?」

「可能性はあります。必ず治るとは約束できませんが」

 

 そう言いながらリューさんはリヴェリアさんの助けを借りながら私を起き上がらせ肩を貸してくれた。彼女がこの場にいてくれなければ私は死んでいただろうに、そのことを感謝するための力ももう私にはなかった。

 

「しかし、彼なら生きるでしょう」

 

 私の肩を抱く彼女の手に力が入った。

 

「いえ、生きて欲しいのでしょうね私は」

 

 死にたくないと、私の命は燃えるような熱を灯す。弱々しく、口角が釣り上がり自然と笑みができてしまった。

 

(死ねない)

 

 それは色々な意味を含んでいた。

 

――鈴音にこの刃をまだ見せていないから

――ヘスティア様にすべてを明かしていないから

――ティオナの泣き顔など見たくたいから

――リューさんにそう願われたから

 

 だが最後、心の一番奥底にある想いは変わらない、変われない。

 

(いや、死にたくないッ)

 

――この刃が世界のすべてを斬り裂いていないから




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。

ちなみにヘルメスは最速でとんずらした模様。

※2016/05/07 03:08 戦闘シーン一部修正

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