剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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日間1位を頂きました。読者の皆さんのおかげです。これからも頑張っていきます。そして祝50話。


その想いは刃を蝕む

 神々の来訪に騒然となっていたロキ・ファミリアの拠点も今は落ち着きを取り戻していた。タケミカヅチとその眷属達は幹部用のテントへと走ってきた命との再会を喜び、ヘルメスは少し話があるとその場に残った。

 そしてヘスティアは、アゼルに案内されベルの元へと向かった。

 

 自分を先導するアゼルを見て、ヘスティアは改めて自分の眷属(ファミリア)となった青年の凄まじさを実感していた。それは、今までアゼルが探索をしてきた中層という戦場を守られながらも歩き、最終的にはゴライアスという怪物を目の当たりにしたからだ。

 

(君は、こんな場所を一人で歩いていたのかい?)

 

 神はダンジョンに足を踏み入れてはいけない。

 それ故に、神々のほとんどが自分達の眷属がどのような場所で戦っているか、どのような危険と対峙しているか知らずにいる。話を聞き想像することはできても、それを実感することはできない。

 特に17階層最奥を守る階層主(ゴライアス)など幾ら話を聞いて想像しても、ヘスティアが実際に見た光景には遠く及ばないだろう。

 

――百聞は一見に如かず

 

 この言葉に、ヘスティアは今日ほど強く共感した日はない。

 ここまで護衛において前衛をほぼ一人で受け持っていたヘルメスの呼んだ助っ人の戦いぶりを見て、恐らくアゼルもそれと同等の動きをするのだろうとヘスティアは思った。

 

 攻撃に次ぐ攻撃を身のこなし一つで避け、すべての敵を一刀両断するその技量は戦闘を専門としないヘスティアでさえ感嘆の声をあげてしまったほどだ。故に、彼女は心配すること自体、アゼルにとって迷惑だったのではないかと一瞬思ってしまった。

 

 最初からアゼルは無理はしないと言っていた。それを字面通り受け取らなかったヘスティアを責めることのできる存在はいないだろうが、もし本当に字面通りの意味だったのなら、ヘスティアがアゼルを心配するというのは要らぬお節介だったのかもしれない。

 だが、彼女はその考えをゴライアスを見て否定した。

 

――強者とは常に孤独

 

 その力が圧倒的であればあるほど、強者は孤立する。良く話に出てくるような表現だ。だが、ヘスティアはそれを理解できても自分の想いを曲げられなかった。

 

(君はなんでそんなに一人でいようとするんだい?)

 

 ゴライアスを目の前にしてヘスティアはその途方も無い恐ろしさに身を縮めてしまった。アスフィが脇に抱えながら走っていなければ彼女は死んでいただろう。しかし、アゼルはそのゴライアスに単騎で勝っている。

 あれ程恐ろしく、殺意の塊のような殺気を放つ化物に一人で立ち向かえることがヘスティアには理解できなかった。

 

――孤独は心を蝕む

――無援は余裕を失くす

 

 どれほど強くても、どれほど圧倒的でも、アゼルには人の心がある。であるならば、その心は一人であっちゃいけない、ヘスティアはそう思った。

 

(いくら強くたって、心が壊れちゃうじゃないか)

 

 この時ほど、自分の無力さを呪ったことはなかった。

 アゼルが一人でいるのは、自分が危険なことをしている自覚があるからだ。自分の実力と見合わない者を連れて行くことは、アゼルにとっても一緒にいる人にとっても危険極まりない。

 急激な成長をしているベルでさえ、アゼルに追いつくことはできない。

 

 ならせめて、アゼルの帰ってくる家族(ばしょ)であろうと彼女は決心したのだ。

 

――君を僕の家族だと言い続ける

――私はヘスティア・ファミリア(ここ)にいます

 

 他のファミリアに行って強い仲間と共に探索をした方が自分にとっては良い環境だと知りながらも、アゼルはヘスティアの元にいてくれると言った。そのことが堪らなく嬉しかったが、それと同時にその選択こそがアゼルを危険に晒しているとも思えた。

 

(だから、僕は君の心を守ってみせる)

 

 戦うことのできない己が、アゼルのために何ができようか。それは、愛すること以外ない。ベルに向ける、女性としての感情ではなく、神としてのその包容力を発揮するほかない。だが、その包容力は【神の力(アルカナム)】があってこそ発揮できるものだ。

 傷付かないと知っているから何でも受け入れることができる。自分が圧倒的上位にいるからこそ、慈愛というものが存在する。

 

 アゼル・バーナムという存在は、ヘスティア()の理解を超える。その身に宿す剣は神さえ斬る、それに初めて触れた時、彼女は直感でそう悟った。アゼルの前では神も人も関係なく、ただそこにある存在に成り下がる。

 故に、それを受け入れることができなかった。そんなものを宿すアゼルを恐れてしまった。

 

 だから、彼女はこの時決心した。

 

(僕は神としてじゃない、ただの僕として君を受け入れるよ)

 

 そこに【神の力】の有無などもう関係ない。その刃が()を斬り裂くことができると知りながらも、斬り裂かれたら最後、死に絶えるとしても、彼女はアゼルを孤独にしたくないと思った。

 

 神としての眷属(ファミリア)ではない。

 女としての夫婦(ファミリア)でもない。

 ただ一人の存在としてアゼルを受け入れる――――そんな家族になりたい。

 

「さ、着きましたよヘスティア様」

「……」

「ヘスティア様?」

 

 返事をしないヘスティアを不思議に思ったアゼルは少し屈んでその表情を伺った。

 

「アゼル君」

「はい」

「君が、僕に何か隠していることを僕は知っていた。そして、それを隠すことに何かしら理由があることも理解している」

 

 ヘスティアは真っ直ぐアゼルの目を見た。思い返してみれば、アゼルのしてきたことは世間一般、冒険者界隈から見ても常識破りなことばかりだ。階層主の撃破、最強の冒険者との死闘は本来冒険者となったばかりのアゼルができることじゃない。

 それができるということは、何かしらの原因があるに違いない。

 

「だけど、僕は知りたいんだ。君が、本当の君が知りたいんだ」

「それは……」

「僕はどんな君だって受け入れてみせる。だって僕は君の家族だ」

 

 屈んで近づいたアゼルの頬をヘスティアは撫でた。その感触は以前と何も変わらない。アゼル・バーナムは何も変わらない。

 

「確かに僕は、自堕落で、甲斐性なしで、グータラで、毎日仕事したくないって思いながらバイトしてるような、本当にダメダメな駄神かもしれない」

 

 ヘスティアはアゼルを抱きしめた。その頭を抱えるように抱きしめ、その頭を撫でた。優しく愛しむ、それくらいしか彼女にはできないのだ。そうであるなら、精一杯そうするしかない。

 

「それでも、僕は君の家族として、君を知りたいんだ」

「……その言葉に嘘偽りはありませんか?」

「ない! 神に誓ってない!」

 

 自分でも何を言っているんだと心の中で突っ込んでしまったヘスティアのその台詞にアゼルは静かに笑った。

 

「分かりました」

「本当かい?」

「ええ、でもまずはベルを地上まで送り届けることに専念しましょう」

「分かった。でも、帰ったら絶対だからな。約束だぞ」

「ええ、約束します。私のすべてを、ヘスティア様に明かしましょう。それでも、貴女が私を家族と言ってくれたなら――」

 

 アゼルは微笑んだ。しかし、喜びを現すはずのその表情はどこか影があり、悲しそうにもヘスティアには見えた。その表情を見ても、ヘスティアはアゼルのことを知りたいと、例え話すことがアゼルにとって苦痛になろうとも、その苦痛を越えるものを彼に与えるためならばと心に決めた。

 

「――私は、また強くなれるでしょう」

「君はそればっかりだね」

「苦労をお掛けしてすみません。でも、これが私なんです」

 

 だから受け入れないほうがいいですよ、と言わんばかりの言い草にヘスティアは何も言わずその抱きしめる力を少し強めた。一度決めたことを曲げない、何もそれは剣士の特権ではない。

 

 例え、その刃が突き刺さると分かっていても、彼女は抱きしめることを止めないと決めた。

 

 

■■■■

 

 

 ベル・クラネルは夢は見ていた。

 遥か昔とまでは言わないが、オラリオに来てからの時間が濃厚過ぎる故に遥か過去のように感じてしまう記憶。

 何もない故郷で、祖父と過ごした日々。

 何もない森で、幼馴染と興じた探検。

 泣きはらしている自分を優しく撫でる祖父の手。起き上がった自分に再び木刀を振るってくる幼馴染。そして、倒れる度に起き上がれと自分に言い聞かせているベル・クラネル。

 それは、彼の原風景の一つ。幼い日々に刻まれた彼の記憶。

 

英雄達(あいつら)は凄えぞ、ベル』

『すごい?』

 

 まるで、その本人達を知っているかのように祖父はベルに英雄達の話を語った。毎晩寝る前に聞かせてもらっていた英雄譚は何度聞いてもベルを楽しませた。

 何よりも、それを読み聞かせている祖父の顔が楽しそうで、何度も読んで欲しいとせがんだ。

 

英雄達(あいつら)は強え』

『強い? アゼルくらい?』

『むう……まあ、アゼルもおかしいくらい腕が立つが、そうじゃない』

 

 祖父の唯一の弟子であるアゼルはベルにとっての最強だ。故郷ではアゼルに敵う人は、同年代でも大人でも一人もいない。

 

英雄達(あいつら)は自分の想いを貫き通す、絶対に負けないんだ。力でも、心でも』

『それって強いの?』

『ああ、堪らなく強い』

 

 幼いベルでは強さとは何か判断することはできなかった。成長した今でも分かってはいない。

 

『ベル、忘れるな。いくら倒れてもいい。いくら泣いてもいい。何度負けたって、傷ついたっていい。たがな、最後には、最後には絶対に――』

 

――立ち上がれ、その想いを貫き通せ

 

 言っている意味が良く分からず首を傾げているベルに、祖父はそう言い聞かせた。頭を優しく撫でながら、徐々に重くなっていく瞼を感じながらベルは眠りにつく。

 その大きく、硬い手がとても、とても心地よくて、安心できて、暖かくてベルは眠ってしまう。

 

『ベル君』

 

 誰かに名前を呼ばれた気がした。

 

『ベル君、早く起きてくれ』

 

 誰かに頭を撫でられているのを感じた。

 

『僕を、安心させてくれ』

 

 何か、温かい雫が頬に落ちてきた気がした。とても聞き覚えのある声だった。とても親しい誰かの手だった。心に染みる、そんな雫だった。

 

「か、みさ、ま?」

「ベル、君」

 

 13階層で孤立無援の冒険者を助けてから、彼等の運が底をつきたかのように悪い出来事が重なり続けた。突如大量発生するモンスター達、足元に開き四人を飲み込んだ縦穴。体力も精神力もぎりぎりまで削りながら、それでも彼等は18階層を目指した。

 何度も、助けに行ったことが間違いだったと思いそうになってしまった。しかし、目の前で一人戦っている人を見捨てることなどベルには到底できなかっただろう。ベルの仲間であるリリとヴェルフも、ベルの判断に文句は言わなかった。助けた命も自分の命はベルに預けると言った。だから、ベルは歩き続けた。

 そして17階層の最奥。もう少しで18階層に辿り着くというところで、最大の関門であるゴライアスに遭遇してしまった。命が数秒間とは言え囮になっていなかったら、ベル達は死んでいただろう。

 

「神様」

「よかったッ、よかったよ、ベル君ッ!」

「神様、痛いです……へへ」

 

 涙を浮かべながらヘスティアはベルに抱き着いた。痛む身体とは反対に、ベルは笑ってしまった。ヘスティアがいつものヘスティアで、何故ダンジョンにいるかなどという疑問はなかった。自分が生きているのだという、実感がそこにはあった。

 

 中層に踏み込んでから一日半程経過し、ベル・クラネルの大冒険は一時休止となった。

 

 

■■■■

 

 

 18階層の天井から降り注ぐ光を受け、薄緑色に輝く木々の間を歩いて行く。私を先導するのは一人のエルフの女性だ。緑色のケープを着用して姿を隠していたリューさんは、今はそのフードを外している。

 ケープの下は短衣にショートパンツ、膝の上まで覆うようなブーツ、朝の訓練の時と似たような格好だった。

 

 ヘスティア様をベルの眠るテントまで送り届けた私の前にどこからともなく彼女が現れたのは既に十数分前のことだ。あまり正体を知られたくない彼女は人の少ない場所を選んで歩きながら、私に付いてきて欲しい場所があると言って森へと足を踏み入れた。

 

「それにしても驚きましたよ、まさか貴女まで来るとは」

「シルに頼まれました、クラネルさんを助けて欲しいと」

「それは、断れないですね」

 

 シルさんは彼女にとって大切な恩人だ。命も救われたが、何よりもシルさんがいなければ彼女の心が死んでいただろう。

 

「それで、どこを目指してるんですかリューさん?」

「私にとってとても、とても大切な場所です」

 

 それから数分歩いていると接近してくる気配を察知して立ち止まる。リューさんも同じく察知したのか腰に差していた小太刀をいつでも抜けるように用意をして気配の方向を向いた。

 

「やっと見つけましたよアゼル・バーナム」

「こんにちはアスフィさん」

「ん、【疾風(リオン)】も一緒ですか……まさか逢引ですか?」

 

 やってきたのはヘルメス・ファミリアの団長であるアスフィさんだった。前回会ったときよりもまた一段と疲れが顔に出ていたが、神を連れてダンジョンに降りてきたからだろう。聞くところによると神々はダンジョンに入ってはいけないという規則があるらしい。

 

「【万能者(アンドロメダ)】、その名で呼ばないで欲しいと言ったはずです」

「彼は、貴女のことを知っているのでしょう? なら、問題はないと思いますが。というか逢引部分は何も言わないんですか? え、本当に?」

「誰が聞いているか分からないから言っている。そして、逢引ではありません――」

 

 どうやらアスフィさんもリューさんの過去を知っているようだ。リューさんは過去、自分のファミリアを罠に陥れ全滅させたファミリアを血祭りにあげ冒険者としての地位を剥奪されている。その過去を知っている人物はそう多くない。

 リューさんは少し迷った末、今森を歩いている理由を口にした。

 

「――墓参りです」

 

 誰の、とは誰も聞かなかった。彼女の過去を知っていれば、誰でも分かることだ。

 

「そうでしたか。いえ、すみませんでした」

「構いません」

「それで、アスフィさん。私に用事ですか?」

「そうでした。貴方には私達の帰還に付いてきて欲しいのですが」

 

 それからアスフィさんはヘルメス様とロキ・ファミリアが交わした約束を説明してくれた。ロキ・ファミリアが地上に戻る際一緒に連れて行くこと、そしてそれまで一緒に拠点で宿泊を許可すること。

 

「当然じゃないですか。ベルが来た時点で、地上に送り届けようと思ってましたよ。ロキ・ファミリアには色々借りがあるので、これ以上増やすわけにはいきません」

「それを聞いて安心しました。用事はそれだけです」

「分かりました。後、ヘルメス様が変なことをしないようお願いしますね」

「…………ぜ、善処します」

 

 数秒間の沈黙の後アスフィさんは絞りだすようにそう告げた。盛大な溜息、哀愁を漂わせる背中でアスフィさんはロキ・ファミリアの拠点と思われる方向に歩いて行った。

 

「私が付いて行っていいんですか?」

「はい、私が付いてきて欲しいんです」

「……リューさんがそう言うのなら、構わないんですけど」

 

 再び歩き始める。どこをどう歩いているのか私にはさっぱり分からなかったが、リューさんにはちゃんと道が分かっているようだった。どこにも目印等も付いていないのでどうやっているかは私には理解できなかった。

 

「貴方は、自分の剣を見て欲しいと私に言いました」

「ええ」

「だから、私も見て欲しいと思ったんです」

 

 風が漂い若葉を散らせた。森の中にできた開けた空間、覆い隠す木々もなく天井から落ちる光が直接降り注ぐそこに、それはあった。

 

「これが、私の過去です」

 

 それは質素で、悪く言ってしまえば不格好な墓場だった。枝を紐で結び合わせただけの簡素な墓が十個程並んでいた。

 

「私の仲間は18階層(ここ)が好きでした。死んだら、ここに埋めて欲しいと冗談を言うほど」

 

 そう言いながらリューさんは一番中央に作られた墓を優しく撫でた。

 

「此処には、仲間達の身体は埋まっていません」

 

 そしてしゃがんでここに来るまでに摘んできた白い花を添える。

 

「それでも、私にできるのはこれくらいのことでした」

「とても綺麗な場所だと、私は思いますよ」

「ありがとうございます」

 

 ポーチから瓶を取り出し、その中身を墓に飲ませていく彼女は何故か少し嬉しそうだった。表情もどこか柔らかく、落ち込むだろうと思っていた私としては少し意外だった。

 

「夢を見たんです」

「どんな夢ですか?」

「仲間達の夢を見ました。いつものように死にゆく彼等に叫び続ける自分を見ました。でも、最後に」

 

 私のするべきことはなく、手持ち無沙汰になり墓の前で座っていた私の隣にリューさんは座った。

 

「最後に仲間の、アリーゼの笑顔を見た気がするんです」

 

 一筋の涙が彼女の頬を伝っていた。彼女自身も涙を流していることに気がついていないのか、それとも私に見られても構わないと思ったのか、伝った涙はそのまま地面へと落ちた。

 

「とても暖かく、懐かしい夢だったんです」

「それは、よかった」

「私は、まだ彼女達の期待に応えてもいいのだと言われているようで……」

 

 リューさんの空色の瞳からは涙が零れ、声は震えていた。しかし、微笑みを浮かべる彼女はただ悲しんでいるだけではなかった。

 

「いいに決まってるじゃないですか」

「そう、ですね。でも、嬉しかったんです」

 

 彼女は安堵していた。ただ悲しむだけの仲間ではなく、共に喜ぶことのできた、昔と同じような仲間になれたことに安心していた。

 彼女の時は、動き出したのだろう。

 

「これも、バーナムさんのおかげです」

「私は大したことは、ん――」

「そんなことを言わないでください」

 

 台詞の途中でリューさんが私の唇に指を当て遮った。少し身を乗り出したリューさんの顔が近くなった。変わらず整った顔に美しい空色の瞳、緑がかった金髪の彼女は、近くで見れば見るほど妖精と形容されるエルフだと自覚させられる。

 

「アリーゼは良く私に言いました。もし私が振り払わなかった異性の手があったなら、その相手を逃がすなと」

「……最初振り払われて、その上叩かれたんですが私」

「ふふ、そうでしたね――――でも」

 

 優しく、リューさんが私の手を握った。触れた箇所から彼女の温もりが伝ってくる。

 

「私から握りたい、そう思えたのは貴方が初めてです」

 

 握った私の手を額に当て、彼女は静かに目を閉じた。まるで何かを祈るように、何かに祈るように沈黙した。絹のような髪の毛が指に触れる。

 私の手の感触を確かめるように、リューさんは指の一本一本を触っていく。少しこそばゆい感覚と、嬉しいような恥ずかしいような感情。

 

 

 

 十数分間、彼女はそのまま私の手を握ったままでいた。沈黙は気まずいものではなかった。元々私も彼女も多くを語るような人柄ではないからだろう。

 

「えっと、リューさん?」

「もう少し、もう少しだけ」

「それは、その、構わないのですが。そろそろ戻らないと夕食に間に合わないというか」

「えっ、あ」

 

 目を開いて辺りが暗くなり始めていることに気が付いたリューさんは、ずっと私の手を握っていたことを恥ずかしがったのか、頬を少し朱色に染めた。

 

「す、すみません」

「一食くらい食べなくても問題はないですよ」

「果物でよければ採ってきますが」

「お願いします。私だと森で迷ってしまいそうなので」

 

 十分ほど待つように言ってからリューさんは森の中へと消えていった。

 一人になった私は、リューさんのかつての仲間たちの墓に向き合った。何もない、その亡骸すら埋まっていない墓だ。当事者であるリューさん以外には特に意味をなさない墓に違いない。

 

「なんだか、すみませんね」

 

 それでも、私はその墓に語りかけた。

 

「私はきっとリューさんを傷付けます。アリーゼさんの言ったように、私を離さないというのなら尚更です」

 

 手を握った彼女を思い浮かべる。彼女は私に強さを見出し、そしてその強さを欲した。私はそれを得るために彼女に少しだけ助言をした。

 

「私はすべてを斬り裂きますよ。それが私に大切であればあるほど、私は斬り裂くことに意味を見出すでしょう」

 

 それこそが私の存在証明故に。大切な何かを斬れば斬るほど、斬ることのほうが私にとって大切であるという証明になるのならば、私はすべてを斬るだろう。

 だから私はヘスティア様と勝負をする。だから私は鈴音の想いに応えることはできない。だから私はホトトギスを斬った。

 

「その苦しみが大きければ大きいほど、その辛さが突き刺されば突き刺さるほど、私の刃は研ぎ澄まされるでしょう」

 

 鉄を打つように、私は自分を傷付けその度強くなる。それが私の業であり、私の生き方だから。強くなる対価として、自分を傷付ける必要があるのだから。

 

「それでも彼女が私を人だと信じ続けるなら、私の手を握り続けるなら。私は彼女を傷付けるに違いないんです」

 

 どうすればいいのか、少しだけ考えてしまった。傷付けたくないと一瞬思ってしまった。だが、斬らないという選択肢は私にはない。そんな選択をすることは私が許さない。そんなことをしてしまったら、その命を捧げて私を生かしたホトトギスの心を無駄にしてしまう。

 

「……これはリューさんに直接言うべきですね」

 

 リューさんの置いていった瓶に少しだけ残っていた酒を中央の墓に飲ませた。勝手に信じ、私の手を握ったのはリューさんなのだから、私は謝るべきではないのかもしれない。私が私であるには剣を握っていなければいけないことを、彼女は知っているはずだ。

 人であるということは、私が剣士でなくなるということ。私が彼女の手を握るということは、私が剣を手放すということ。

 

「私は、また誰かとぶつかり傷付けるのか」

 

 考えるだけで締め付けられるような苦しみを感じる。リューさんを傷付けるということは、恐らく戦いになる。心がぶつかり合うだけでなく、剣を交え本当に彼女を斬ることになるだろう。

 彼女が血を流す様を見て、私は何を思うのか、何を感じるのか。できれば、その血を見て飲みたいなどと思うような存在にはなりたくない。

 

「ままならないものですね、私も」

 

 立ち上がり、そして白夜を抜いた。暗くなってきた18階層で、その刃は仄かに赤く煌めいた。燃える炎の如き、流れる血の如き赤。

 

「この剣くらいしか、私に捧げられるものはない――――どうか御照覧あれ」

 

 ああ、だが捧げたこの剣技は恐らくリューさんを斬るのだろう。皮肉と言うべきか、元も子もないと言うべきか。

 

 白夜を振るう。冷めないこの身に宿る熱、尽きないその刃に宿る想い。そのすべてを糧に振るう。彼等の仲間を傷付けてしまうのなら、せめて美しい剣技を捧げよう。

 赤い残光を残しながら、刃は暗闇を斬り裂く。

 

 

■■■■

 

 

「感謝する、ヘスティア」

「感謝するならベル君に感謝してくれ、タケ」

「そうだったな……貴殿の勇敢な心に、感謝するベル・クラネル」

「い、いえ、そんな、僕が好きでやったことですし、あの。だから、頭を上げてくださいッ」

「いや、感謝してもしきれない」

「私からも感謝させてくださいベル殿」

「俺達からもだ」

 

 そう言ってタケミカヅチとその眷属達は頭を下げた。

 場所は負傷して意識を失っていたベルやその仲間に貸し与えられていたテントの中。今はその場にベル、リリ、ヴェルフの他にベルの主神であるヘスティア、窮地から救った命とその主神及び眷属が集まっていた。

 ロキ・ファミリアの開いてくれた小さな宴も終わり、落ち着いてそれぞれの事情の話し合いが終わった。夕食の時いなくなっていたアゼルのことを不審に思いながら、少し野暮用で出かけたとヘスティアと一緒に降りてきた神ヘルメスの眷属であるアスフィが教えてくれた。

 

「私は……ベル殿が来ていなければ死んでいたでしょう。貴方は私の命の恩人です」

「そ、そんな、僕達も命さんがいなければ18階層まで来れてないですし……お互い様ですよ」

「いえ、そもそもベル殿に私を助ける義務はなかった。それでも助けて頂いたのです、恩と言わずなんと言えばいいのでしょうか」

「え、ええと」

「何動揺してんだよベル。お前がそいつを救ったのは事実なんだ、もっと胸張れよ」

 

 ベルとしては感謝してほしくて救ったわけではなく、助けなければという感情に駆り立てられての行動、しかもそれによって仲間までも危険に晒してしまった忌むべき行動だったのだ。確かに助けられた命としては大変ありがたい行動であり、その主神であるタケミカヅチにとっても感謝するべき行動だ。

 しかし、ヴェルフやリリにとってはそうではないはずだ。

 

「ごめんね、リリ、ヴェルフ」

「なーに謝ってんだよ! 俺も止めなかったし、一瞬だけ見捨てようとも思っちまった。だがベル、お前は一瞬で助けに入った。俺はそんなお前に感動すらしたぜ」

「そうですよ、ベル様。ベル様のそういった所にリリは助けられたのです。あの時助けに入らないなんて、ベル様らしくありません」

「二人共……ありがとう」

 

 本当にそう思っているのか、それとも終わり良ければすべて良しという心情で語っているのか二人はベルに不平不満を言わなかった。ベルはこの時、この二人が仲間になってくれて本当に良かったと思った。

 

「話し合いは終わりかい? なら今後の予定をお知らせしようと思うんだが」

 

 お互いの事情、そして落とし所を見つけた面々にヘルメスは話を切り出した。

 

「ロキ・ファミリアが18階層を出るのは早くても二日後、それまでの滞在と地上への同行は許可を貰った」

「ゴライアスをロキ・ファミリアに討伐してもらった後、ロキ・ファミリアの後続組に同行させてもらう予定です」

 

 17階層に居座る階層主についてアスフィが補足した。その強大な力を思い出し、ベルは一瞬身を震わせた。あんなものを、しかも一人でアゼルは討伐したということが事実なら、アゼルはどれほど強いのだろうと考えてしまった。

 

「その際アゼル君も一緒に帰還してくれるそうだ。戦力的にはロキ・ファミリアに同行しなくても大丈夫そうだけど、まあ万が一ということもある」

「いつそんな約束取り付けたんだい?」

 

 自分達をロキ・ファミリアの団長であるフィンの所に案内した後いつの間にかいなくなっていたアゼルにヘスティアすら落ち着いて話をしていない。それなのにヘルメスは後々の予定まで約束しているということに、ヘスティアは少し不満を感じた。

 

「うちのアスフィは優秀だからね」

「あの、私も探しました」

「もちろんルルネも優秀さ!」

 

 わざとらしく親指を立てながらいい笑顔でそう言った。そもそもルルネ・ルーイはあまりダンジョンに来たくはなかったのだ。最近探索に出かける毎に悪いことが続いているので、今回も何か起こる予感がビンビンしている彼女だった。

 

「おや、皆さんお揃いで」

「……アゼル君、どこに行ってたのかな?」

「野暮用ですよ、野暮用」

 

 役者の最後の一人、ヘスティアの眷属であるアゼルがテントへと入ってくる。

 

「アゼル、夕飯は?」

「食べてきたので大丈夫です」

「食べてきたって、どこでだい?」

「……街ですよ。18階層(ここ)にはリヴィラという街がありますから」

 

 少し間を空けてアゼルは返事をした。何故数瞬考えてから嘘まで吐いて返事をしたのか、その理由を知るのはヘルメスとアスフィだけだった。

 

「あっ、そう言えば」

 

 街と言われてベルが何事か思い出してアゼルに話しかけた。

 

「明日そのリヴィラを案内してもらうんだけど、アゼルも来る?」

「私ですか? 私は別に」

「ティオナさんが、来て欲しいって言ってたけど」

 

 そう言われてアゼルは少し考えた。18階層を離れられないので基本的にアゼルにすることはない。有り体に言ってしまえばかなり暇な身となる。

 リヴィラに行きたいかと言われれば、アゼルは大してリヴィラに魅力は感じていなかった。物価は高いし、別に求めている物もない。することがあると言えば、前助けてもらったボールスという冒険者に感謝しに行くくらいだが、それも別段しなければいけないというわけではない。

 

「凄く、来て欲しそうだったけど」

「じゃあ、することもないですし、ご一緒しますよ」

 

 しかし、ティオナとは念願の手合わせの最中予期せぬ邪魔が入ってしまい、完全にその要望に応えることはできなかった。アゼルはティオナに大切なことを気づかせてもらったという恩がある。

 その彼女が望んでいるのなら、埋め合わせという意味でも行くべきとアゼルは判断した。

 

 

 

 

 

 かくして役者は揃った。

 地下深く、世界で最も深い街で、少年は英雄となるだろうか。青年は剣士となるだろうか。否、それは無駄な問答だろう。

 少年は『英雄』にはなれないからこそ憧れを抱き、手を伸ばし鐘を鳴らす。青年は剣士でしかいられないからこそ剣を求め、剣を振るい続けすべてを斬り裂く。

 幼き日々から彼等は何も変わらない。変わったことがあるとすれば、それは二人を取り巻く環境だろう。

 

 結局、語るものがいなければ英雄譚は英雄譚足り得ない。理解者がいなければどんな力も暴力でしかない。光と影は、世界に光が差さなければ存在し得ない。

 人々が彼等を英雄とするか、化物とするかは結局のところ物の見方の一つでしかないのかもしれない。

 

 それでも、青年は言い続けるだろう。

 例え人々が彼を『英雄』と囃し立てようと『化物』と畏怖しようと――

 

――自分は剣士であると、剣士でしかないのだと




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